セミナー「科学者の論文捏造事件の背景とその防止策」に行ってきた。
まずは黒川清日本学術会議議長のアジテーション。(公式サイトという http://www.kiyoshikurokawa.com/ のリンク先は少なくともMacでは表示できません。上記のリンク先は「民間医局」で、そこのフレームからDr.Kiyoshi Kurokawaを見る仕組みになっている。)
捏造などの不正が罷り通るのは研究室が縦社会で教授を批判ができる雰囲気が無いからだ、と。打開策の第一は他流試合の推奨、つまり学部生を同じ研究室の院生にしない...という話を聞いていて、生化学若い研究者の会夏の学校で同趣旨の提言をした事を思い出した。
ただ、これは「ニワトリが先か卵が先か」。学生が動かないから閉鎖的で澱んだ研究室になるのか、排他的な文化が蔓延しているから賢明な学生は動こうとしないのか。
そうすると次の提言である「駆け込み寺」は即効性が期待できる。あるいは『目安箱」でも良いだろう。もっとも本物の目安箱は記名式で役人の面前で投票するもので、それを嫌った投げ文が多く吉宗を怒らせた、と読んだ覚えがある。
面白いのは、判例を積み重ねるコモンロー方式の方が柔軟に対応できるという指摘。完璧な不正防止対策を作ろうと手をこまねいているより、まず主要な部分を抑え、雑魚は後から追い詰めるというのは賢い方法だ。
続いて浅島誠副議長が講演。正副議長がそろって出席という事は学術会議として不正問題を重視していると言う事だろう。それは言うべき事を、言うべき時に、言うべき人が言う大切さを率先垂範しているようだ。
学術会議としては「科学なんて所詮は」という冷笑的不信感の蔓延を恐れている。しかしせっかく信じてもらってもそれを科学者側が裏切っては台無し。科学者の横断的なコミュニティの必要性を訴えていた。
しかし学術会議ではその機能を担えないだろう。学会でさえ、総会は委任状で成り立っている有様。ICTの利用はどうだろう。ニフティに作られたバイオフォーラムは見事に消滅した。匿名掲示板では2ちゃんねる化するだろうから真面目な議論は難しい(なにせ、正式な不正告発でも40%は意趣返しなど不純な動機に基づくという調査があるというのだから)。そこで残された希望はblogとSNSとなろうが、野次馬根性は旺盛なくせに、自分の持っている情報はなるべくオープンにしたくないという人たち、あるいは日本人は他人と異なる意見を書けないというNYから帰ってきた社長が指摘する壁が控えている。同一性と匿名性の保証を両立させられれば多少前進はするだろうが、1日は24時間(=駄文に目を通す暇は無い)という制約はなかなか超えられまい。
3番目は山崎茂明愛知淑徳大学教授による「何故、論文捏造事件が起こるのか? その背景と防止策」。
まず、なぜ不正行為が問題となるのかという根本的な問題提起。答えは、研究は個人的営為に止まらず、その成果は公共財であり、水や食品の安全性と同様に知識や情報の質もチェックされなければならないから。科学も公衆衛生の対象である、と。
それからUSAの研究不正史を概観し、公正を司る機関Office of Research Integrity(ORI)が警察ではなく教育・啓蒙活動をしている事を紹介。「なぜ起こるのか」はよくわからなかったが、「どう防ぐか」の答えはあったと思う。不正疑惑への対処システムの無い組織はNIHの研究助成を受けられないというのも効果的。
続いて理研(2004年に不正事件発覚)の土肥義治理事が理研における不正疑惑への対応方針を説明。理研は不正行為を捏造(Fabrication)・改竄(Falsification)・盗用(Plagiarism)のいわゆるFFPに限定しているが、その対応方針は会場の弁護士から how to まで触れられた素晴らしいものとお墨付き。監査・コンプライアンス室の室長は専任というのも力の入れようがうかがわれる。
企業側から協和発酵バイオフロンティア研究所の中野洋文リサーチフェローが独自の研究日誌を紹介。不正はいけないいけないと言われたら暗く萎縮するけれど、不正のできないシステムにすれば伸び伸びと研究できる、と。しかもこのノートはUSAでの特許紛争を勝利に導いた、つまり研究者にとっても利益のある方法。異動が激しい中にあってしっかりと伝承されているらしい。着想から考察まですべて書くことが指示され、貼付けたデータには割り印と第三者の確認サインまで行われている。だが、感熱紙の出力は退色するし、いざ裁判という時に署名者が証言台に立ってくれないとかえって揉めないだろうか(毎回異なる署名では偽造疑惑に反論できないが、毎回同じ人物だと癒着疑惑が)。
研究ノートとしては後からの書き加えは重要だろう(特に着想や研究計画)。だが証拠価値からすればそれは御法度。また筆記具の指定があるのかなど、もう少し詳しく聞きたい気も。ちなみに科挙の採点では、不正を防ぐために採点段階毎に使用する墨の色が違っていて答案や採点の書き換えを防いでいたという(宮崎市定「科挙 中国の試験地獄」による)。
ちなみにこのブルーノートは会社のものであり、書き終わったものは研究所の地下書庫に保管されているという。
ノートに書き込めないデジタルデータは記憶媒体に収めて公証人役場で封印する。これも先発明主義への対抗。(しかし、将来取り出したところで再生する機器が残っているのか心配。たとえばMOとか5インチFDは絶滅危惧種。1.2Mはもう絶滅? また媒体によっては時間経過でデータが消失するおそれがある。)
最後にパネルディスカッション。まず竹岡弁護士がコメント。
1)大切なのは責任の分界(その人に問うべきは何の責任かを明確にし、曖昧な総懺悔を許さない)
2)手続きの公正さ(デュープロセス)を守ること
3)予防法は具体的に(「教育をしましょう」は「どういう教育」がなければ意味が無い。)
続いて社員のインサイダー取引で揺れる日経の宮田編集長が4つの問題提起。
1)不正が起こる背景はなにか
2)調査・検証はどのように行うか
3)ペナルティーはどうするか
4)予防策はどのように
実は不正が起こる背景はよくわからない。醜聞が最近連発したのでなんとなく近年の傾向のように思ってしまうが、古くはN線とか、ちょっと下ったところでもカンメラー事件、近い所ではイルメンゼー疑惑(これは疑惑止まり)、常温核融合事件なんてのもあった。この時間的空間的な広がりをしっかり把握しないと、局所的な事象、たとえば国立大学の独立法人化に目を奪われてしまうだろう(先生方のご苦労はお察し申し上げます)。
親会社(ルーセント)の業績悪化がベル研の捏造事件の原因かもしれないが、研究費を削られながらも正直に研究を続けている人が圧倒的多数(の筈)だし、研究費を獲ってしまった事で引っ込みがつかなくなっての捏造もあるだろう。
また捏造・改竄と盗用は本質的に異なる。前者は虚偽だから事実によって覆される。論文稼ぎには使えるが、ロイヤルティを取って世界にお披露目したら一発で化けの皮がはがれてしまう。
調査・検証は(捜査の)素人には重荷だろう。しかし研究上の不正は研究者でなければ見抜きにくい。といって、研究上の不正だから適正手続きを保証しなくて良いとはならない。不正を憎む気持ちを悪用して、競争者を讒訴して追い落とそうとする輩が出るかもしれない。疑われるだけでもダメージは大きい。だから被疑者の権利保護と手続きの透明性確保(公開原則)の両立を図らなければならない。
同僚研究者であっても「結果の不正」は見抜くのが難しいというのが土肥理事の見解。確かに本気で再現実験をしようと思ったら同レベル以上の専門家を動員し同じ条件で行う必要がある。しかも再現性が無いといっても、「たまたまうまくいった」可能性は否定できない。さらに本人も見落としている重要因子があって、それがないために再現できないのかもしれない。
それに対して「プロセスの不正」であれば、実験ノート等の精査で判定できる(言い換えると、そこまでしっかり捏造されたら解明は困難)。きちんとした研究ノートをつけない人には辛い時代が来ますね。ん、小さいけれどビジネスチャンス?
処罰となるともっと難しい。ORIが不正を認定した場合に「研究助成の自発的辞退(Voluntary Exclusion Agreement)」へ署名させるだけで、あとはそれぞれの研究コミュニティに委ねているのはうまいやり方だ。不正の定義自体が様々(FFPに限定するところと「重大な逸脱」も含めるところと)だし、既存の規制での処分(研究許可や助成金の取消など)でも対応できるから。
そうした苦労を考えれば、不正を予防する方がはるかに効率的だ。だが、ここはややもすると抽象的精神論に流れがち。教育云々はどうしてもそうなる。不正行為は研究者の自殺だと叩き込もうとしたところで「これくらいは」「バレなければ」「誰にも迷惑をかけなければ」「ウソも方便」には馬耳東風。
まず「なにが不正か」をしっかりと共通認識にしなければならない。精製できたことを確認するために電気泳動にかけた。マイナーバンドが見えたので「もう一晩脱色しよう」はやっぱり改竄ですよね。「それは何故いけないのか」も重要。科学的成果は公共財だから紛い物を混ぜてはいけないというのは正論だが、「はぁ?」という研究者もいると思う。そして「どれくらいいけない事か」が理解されなければ不正は絶えない。
ここで思い出すのは企業で研究をしていたときの事。上層部を喜ばせられるような結果を出せずに悩んでいた頃、学会で大学院の先輩と会い、夕食を共にしながら近況報告をしつつ冗談まじりに「データを粉飾したくなりますよ」と言うと、真顔で「それは絶対にやってはダメだ」と怒られた。おそらく、こういう小さな教育指導の積み重ねが全体の品質を保っているのだろう。(念のため付け加えておくと、もし立場が逆であったら「それは自分の首を絞める事になるよ」と忠告しただろう)
閑話休題。NIH流に研究費を断つのは有効だとしても、政府を含め日本の助成機関がそこまで毅然とした対応をするだろうか。制度を作れば守るのが官僚の美点だが、入り口のところで骨抜きになってしまう気がする(敗者復活戦の機会を与えるとかなんとか)。それに不正をする動機のない地方小短大にまでコンプライアンス室の設置を義務づけたら、それは体の良いいじめだ(いやいや、就職難から取りあえず職を得た若手が主流への復帰を目指して不正をするかもしれない...)。
面白かったのは、不正をした研究室は共通して雰囲気が暗い、という土肥理事の指摘。つまり闊達な相互批判のないところ、教授の専制支配に室員が萎縮しているようなところには不正が芽生えやすいということか。
追記:公式報告は
BTJジャーナルの第三号に掲載(PDFで無料提供)。
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