2014/10/07

キニーネは劇薬か?

専門外の人は毒薬・劇薬と毒物・劇物を区別しない(区別できない)ことが多いように思う。毒薬・劇薬というのは薬事法で決められるもので、簡単にいえば毒性による医薬品の分類。一方、毒物・劇物というのは毒物及び劇物取締法で定められているもので、その定義は「この法律で「毒物」とは、別表第一に掲げる物であつて、医薬品及び医薬部外品以外のものをいう」(同法第二条)である。「医薬品及び医薬部外品以外のもの」がポイント。ちなみに毒薬の定義は「毒性が強いものとして厚生労働大臣が薬事・食品衛生審議会の意見を聴いて指定する医薬品(以下「毒薬」という。)」(薬事法第四十四条)。

同じ物質でも医薬品であれば毒薬(劇薬)、医薬品以外であれば毒物(劇物)になる。たとえば塩酸(濃度10%超)は、医薬品として販売されるものは劇薬であり、それ以外の洗浄用などは劇物となる。今()で濃度について注記したが、危険性がなくなるまで希釈したら毒薬(毒物)ではなくなる。リン酸ジヒドロコデインという物質は、麻薬でありかつ劇薬であるけれど、1日に使う量の中に50mg以下しか含まれないシロップ剤は普通薬、つまり薬局薬店で匿名で購入できる(その手軽さのため未成年者による乱用が問題になったこともある)。トイレの洗浄剤には塩酸、自動車用鉛バッテリーには硫酸、インクジェットプリンタのインクには苛性カリ、マッチの頭薬には塩素酸カリなどと、単品であれば劇物になる物質が使われているけれど、希釈されているため製品は法規制を受けない。もし「毒性があるならどんな濃度でも規制しなければいけない」となったら、カフェイン(劇薬)を含むからコーヒーも茶も購入するたびに身分証を提示しなければならなくなるし、飲用規制の意味を持たせるために1日に飲んだ量を記帳しなければならなくなってしまうかもしれない(それを簡単に行うスマートホン用アプリが販売されたりして)

ここまでを整理すると。


  • 毒薬・劇薬、毒物・劇物はそれぞれ別の法律によって定義されている
  • 成分単体としては規制を受ける物質でも、製品中の含有量が少なければ普通物扱いになることがある

毒という言葉は日常的には比喩として用いられることがあり、それが厳密な定義を必要とする法律上の理解との齟齬を生んでいるのかもしれない。


キニーネは劇薬か


光り輝く飲み物というtogetterまとめ(紫外線を当てると蛍光が見える飲み物を列挙した楽しい読み物)を読んでいたら「日本国内じゃキニーネは劇物指定」という記述があった。すかさず「キニーネは劇物ではないでしょう。」とコメントしたところ(ストリキニーネと混同してない?と助け舟を出したのに)、「劇薬の様ですね」と斜め上のコメント。

そこであらためて薬事法施行規則の別表第三に載っていないことを指摘。ダメ押しでファイザー株式会社の製品詳細の「規制区分」には「処方せん医薬品」としか記載されていないことも書き加える(他の薬品で、劇薬であればここに記述されることを確認済み)

その人はこれで納得されたようだが、気になって「キニーネ 劇薬」で検索すると1670件ヒットした。最初のページを見るとほとんどが「トニックウォーターには本来キニーネを入れるのだが、日本では劇薬指定なので云々」というもの。どうも「親亀コケたら皆コケた」の観。wikipediaにも2011年4月13日 (水) 12:43時点における版から「日本では、劇薬に指定されている。」という記述が唐突に。しかし巷に広がったのはこれより前のようなので、wikipediaは患者0号ではない模様。

これに限らず昔の飲み物には恐ろしげなエピソードがけっこうあります。かつてのコカコーラにはコカインが入っていた、というのが有名どころでしょうか。
などと書いているブログもあるが(「これ」とはキニーネの話)、それを言ったらコーヒーはどうなるのだ、と。カフェインは劇薬だ。すまし汁はどうなるのだ、食塩も大量に摂れば死ぬことがある。DHMOはどうなるのだ...


コカ茶はコカインを含むために日本では規制対象だが、南米では普通に販売されている。工場で作られた(らしい)ティーバッグになっていて普通の商店で売っていたので問題はないと勘違いした(事実の錯誤)日本人が土産に持ち帰り、税関でも見過ごされ、それをもらって話の種にと飲んでからアワワとなったことがある。といっても薬が効いてきたわけではなくて、「なんてことないねー」と笑ってから、調べてみたら非合法と知って「警察に知られたら検挙される、アワワのワ」という次第。ちなみにもう公訴時効です。

毒薬・劇薬は人体に有用だから医薬品


毒薬・劇薬と聞くと「恐い」と拒否感を顕にする人がいる。健全な反応ではあるけれど、「物」ではなくて「薬」となっている点に思いを馳せてほしい(毒物・劇物も人体にこそ使用しないけれど、有用な物質なので使用を前提に法律で規制されている)

子宮頚がんワクチンが劇薬であることを問題視する人もいるらしいが、ワクチンはすべて劇薬指定。致死量の観点からは(ワクチンを打ちすぎて死んだという話は寡聞にして知らないので)普通薬でも構わないような気がするけれど、おそらく使用量と過剰投与で副作用の出る量との差が小さいなどの理由があるのだろう(「おおむね以下の基準」という点に注意)。あるいは多人数に接種するので、副作用の現れる率が普通医薬品並であっても発症が不可避という視点だろうか(これは公衆の放射線防護にも通じるような)

毒物・劇物の指定は結構恣意的


恣意的だなどというと叱られるかもしれない(辞書的な意味で「恣意的」が正しいかは実は微妙)が、大学の実験室で3年生(専門課程に入ったばかりで素人同然)にも使わせていたようなありふれた物質が、悪用された事件(傷害目的で給湯ポットに混入された)の続発をきっかけに毒物指定されたことがある(毒物及び劇物取締法の別表第一に記載されていないので変だなと思ったら、別表第一第二十八号の規定で毒物及び劇物指定令で指定されていた...政令のほうが法律よりは機動性があるからね)。正常性のバイアスと言われるだろうけど、釈然としない。
なお、毒性が強くても産業上使用されることない物質は毒物にも劇物にも指定されない。それは規制する意味が無いから(それに対して、免疫系は存在しない物質にも対応する、というのが大野乾博士の講演の掴みだったな...と意味のない知識の披露)。また新規物質の場合、指定が間に合わないことがある。罰則のある法律なので、罪刑法定主義の立場から曖昧な指定は許されない。これは危険ドラッグ取り締まりでも問題になっている通り。

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2013/11/03

単体と化合物

「部屋の酸素が足りない」といった場合は分子状の酸素、つまり単体の話ですが、「クラーク数が一番大きい元素は酸素」という場合は化合物も含めます(空気の成分を見ればわかるように分子状の酸素よりは分子状の窒素の方が多い)。

では、次のうちで単体の話をしているのはどれでしょうか。
1)椎茸からセシウムが検出された
2)うがい薬にはヨウ素が含まれているけれど、放射線防護のために飲んではいけない
3)セシウムで汚染された木を燃やすとき、セシウムはカリウムと挙動が同じ
4)昆布にはヨウ素が多く含まれている

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「ミリ」の意味

次の「ミリ」のうち、他とは意味が違うのはどれでしょうか。
1)ミリシーベルト
2)ミリグラム
3)ミリオタ
4)ミリモル

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2013/10/20

弘前大学教授夫人殺害事件

いくつかのエントリーで言及しているがまとまった記事にしていなかったので簡単に。

1949年8月に青森県弘前市で起きた殺人事件とその裁判。現場近くに住む男性の有罪判決がいったん確定したものの、22年後に真犯人が名乗りでたことで再審(やり直し裁判)が開かれ、無罪判決が出された。

真犯人Tは公訴時効が成立したことに背中を押されて名乗りでたのであるが、現在殺人罪の公訴時効は廃止されており、今後このような救済が行われる可能性はほとんど無い。

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豆泥棒

強姦犯や強制猥褻犯の蔑称。拘置所や刑務所での被収容者間の隠語。なお、間男のことをこう呼ぶこともある。

被収容者間にも犯した罪名によるヒエラルキーがあり(時代劇でも、牢名主が新入りに「おめえ、なにやった」と訊ねるシーンがありますな)、「粋なノビ師に小粋なスリ師、強盗強姦バカがする」という戯れ歌もあるほど(ノビとは忍び、すなわち侵入盗)。ただし強盗犯はおっかないし、度胸もあるということで公然とバカにされる事はない模様(入ったことないから知らんもんね)。この戯れ歌は小関智弘の著書で紹介されている(それの変形「粋な旋盤、小粋な仕上げ、バカでもできるターレット」が書名の由来)が、検索すると「粋なすり師に小粋なのび師」と逆もある。また「粋なのび師に小粋な詐欺師」というバージョンも見つかる。しかし、いずれもしても強盗・強姦はバカのやることと蔑まれている。

なお、今は知らんけど、かつては国事犯の地位が牢内では一番高かったらしい。だいぶ格は落ちるものの、学生運動での逮捕者が留置場に入ると先住のやーさんが「新入りよ、名前はなんだ」「なんでそんなこと聞くんだよ」「あ、学生さんは氏名黙秘だったな」。で、弁護士の指導で黙秘を解いた後も留置番号で呼んでくれたそうである。

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2013/06/19

酵素ってなんでしょう

私は大学の卒研で酵素を扱いました。そのころから「万田酵素」なんてものがあり、「なんか違う〈酵素〉があるな〜」とは思っていましたが、最近は酵素飲料とか酵素ダイエットなんてものも出てきて、物理学の人が〈波動〉を誤解されているのと似た状況に陥っているようだと現状認識。

きっかけは「かーちゃん」ことButayama3さん(わ、敬称内蔵型だ)がtogetterにまとめられた「酵素物語」(1-4)。酵素学をかじった人間が当たり前だと思っている知識が、実は全然当たり前ではないことを再認識させられました。基礎の基礎を生活感覚に合わせて説明しなければ...

さて評判の酵素飲料の作り方を調べてみると、「まずはこちらを見てください↓」と酵素についてもっと知りたい!! 素朴な疑問Q&A 【食事で酵素を効果的にとる 3つのワザ 】というページが紹介されている。そこをひらくともう目眩...

「免疫力を上げるには「酵素」をとる事です。」...そもそも免疫力の正体が不明ですが、仮に免疫細胞の活性だとしても、酵素は無関係。遺伝子の発現には酵素が必要とか、インターロイキンの合成には酵素が必要ってところまで行けば辻褄は合いますが...それなら「免疫力を上げるには炭素をとる事です」も成立する。

「(酵素とは)消化と代謝を助ける栄養素です」...もうね、アボカド、バナナと。

いちいち反論していたら長くなるので、上記ページのQ&Aに沿って解説しましょう(Q4,5は割愛)。

Q1. そもそも酵素って何?


(生体内で)化学反応を素早く行わせる触媒で、その実体はタンパク質(限られた領域ではRNAも酵素として機能しているが専門外の人は無視して構わない)。タンパク質だから、口から入れれば消化されるし、ヒト以外に由来する酵素を注射すればアレルギーを起こすことがある。

基本的に一種類の酵素は一種類の化学反応を司る。たとえばタンパク質を消化する酵素はデンプンを消化しない。タンパク質の消化でも、大きくぶった切る酵素と、腸で吸収できるアミノ酸にまで分解する酵素は別。また「タンパク質なら何でもござれ」というものから「特定の(構造を持った)タンパク質しか分解しない」というものまである。

多くの生命活動は酵素によって担われていると言える。たとえば刺激が神経を伝わるのさえ、酵素が関与している(殺虫剤の中には酵素を働かなくすることでシナプス接合部における神経伝達を異常にして虫を殺すものがある)。古典的な抗鬱剤が働きかけているのも脳の中の酵素。かと思えば毒蛇の毒も酵素、ジフテリア菌の毒も酵素。

発酵も微生物の酵素の働きで起きる。その過程を制御できていれば発酵だが、意図しない方向に進んだら腐敗と呼ぶのが相当。初めから酢を作るつもりなら酢酸発酵で、同じ現象でも酒を作るつもりが酸っぱくなってしまったのなら酸敗。

発酵、酵母、酵素。これらは互いに関係はあるものの、それぞれ別のもの。発酵は現象、酵母は発酵を起こす微生物(の一種)そして酵素は発酵を起こす物質。酵母による発酵は酵母菌内の酵素によって起こる。非正統的な酵素は発酵と区別の付いていないものが多い印象を持つ。これは ***Deleted for the Courtesy Reasons*** せいではないだろうか。

Q2.酵素は何に含まれているの?


酵素にはいろいろな種類がある。「酵素一般」が存在するのは生化学会大会の発表分類くらい。

アミラーゼなら唾液の中、ペプシンなら胃液の中、トリプシンなら小腸の中、カタラーゼなら血液の中、γグルタミルトランスペプチダーゼなら肝臓の中、ナットウキナーゼなら納豆の中といった具合。なお、それしかないという意味でも、そこにしかないという意味でもない。たとえばアミラーゼは麦芽や大根の中にもある。

したがって「酵素は何に含まれているの?」という問はナンセンス。それは「ビタミンの多い食べ物は何?」という質問が意味をなさないのと同じ(食べ物に限定しなければ「総合ビタミン剤」だが)

Q3.酵素が不足すると、どうなるの?


触媒は化学反応の前後で変化(減少)しない。もし生体内で酵素が不足すれば自動的に合成される(前酵素という半完成品で貯蔵しておいて、必要に応じて活性化する例もある)。それが間に合わなければ病気になる。生体外から補給した酵素が働くことは、極めてまれ(口から入れれば消化されるから)。効果があるのは風邪薬に配合されたリゾチーム(効かないという異論もある)、消化剤に配合されたジアスターゼやリパーゼくらいか。おっと脳梗塞の特効薬t-PAもその正体は酵素だが、これは消化酵素の影響を受けないように注射によって投与される。

Q6.酵素を無駄使いしないためにはどうしたらいいの?


「酵素の無駄遣い」が意味不明。酵素飲料などを信じている ***Deleted for the Courtesy Reasons*** な人の根本的な思い違いは、実際に機能している酵素とは別の、得体のしれない何かを酵素だと思い込んでいること(wikipediaの酵素の項目[2013年6月9日 (日) 21:18]にはわざわざ「酵素摂取による健康法が謳われ、健康食品やダイエットサプリメントなどに「酵素」の名を冠したものが数多く発売されているが、十分な科学的根拠がないものも多い。詳細は、酵素栄養学の項を参照」と注記されており、その酵素栄養学の項目では「一般的な生理学・分子生物学等との矛盾点」という一節が設けられている。)

実際に機能している酵素とはどんなものか。もちろん未同定のものはあるものの、その機能や性質がきちんと調べられたものには国際生化学分子生物学連合が名前を決め、EC番号を発行している。もし未知の、ヒトの健康に有用な酵素があるならば、家庭でできる摂取法の開発などよりも、その単離と同定に力が注がれるのが常識。特許を取るにはその方が有利だから。本当に有用であれば第三世界の民間療法さえ特許で押さえてしまうと非難される先進国の製薬会社等が見逃すはずがない

つまりまっとうな酵素であればEC番号を持っているし、それが未決定の場合でも名前を持っている。なぜならば名前がなければ研究を進めるのに支障をきたす。まさか論文に「アレ」とか「例の酵素」とか「松風」と書く訳にはいかない。そして司る反応が分かっていれば語尾が「-ase(カタカナの場合は〜アーゼもしくは〜エース)」の名前がつく。

逆にいえばEC番号がなく、名前(系統名または常用名)の無い酵素はモグリと言える。なお、語尾がaseではない酵素もある(カルパイン EC 3.4.22.17、ペプシン EC.3.4.23.1-3など)。

まとめ


世の中には酵素学が扱うような(まっとうな)酵素と、そうでないものとがある。
まっとうな酵素それぞれは、相手にする物質や促進する化学反応が決まっているスペシャリスト(体の中ではチームで働いている)。
まっとうでない〈酵素〉はただちにインチキと断定できるわけではないが、作用や性質が研究されている酵素と同列に見るべきではない。
酵素栄養学は正統的な学問とはみなされていない。

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2013/06/12

「サイコロクラスタ」の謎判明

Twitterに「サイコロクラスタ」なるものがある(らしい)。アイコンの片隅にサイコロの目を描き込んでいる。ある人のプロフィールには次のように書かれている。「サイコロクラスターのメンバーは常時募集中です。勝手にサイコロを掲げてください。」

いったいこれはなんなのだろうか? そして、どうもサイコロなのに面が正方形になっていない。均等に目の出ない八百長サイコロではないか。とは思ったものの、深く追究することなくいたところ、先日「どらねこ&なるみーた Cafe」の後の懇親会で、当事者の一人から説明を聞くことができた。

アイコンの片隅に白地に赤丸を描き込んでいる人たちが痛々しいツイートを繰り返している。ああいうのが日本の代表とか多数派とか思われるのはとても不本意。心配するな、あれはサイコロの1の目なんだよ。それをはっきりさせるためにこちらは1以外の目を掲げましょう。ということらしい。ああ、それでサイコロのくせに縦横比を2対3にしてあるのか。

古いツイートを漁ってみると「今日からボクもサイコロクラスターの仲間入りです。現在1の目の方が多いので少数派ですが、負けませんよ。(意味不明)」(2010年)とか「遅ればせながら今日からぼくもサイコロクラスターです。2じゃダメですか?1じゃなきゃ(ry」2010年)とか。まとまった解説ツイートもあった。

【サイコロクラスター】ツイッターアイコンの隅になぜかサイコロの1の目を入れる人が多く、その発言内容には疑問を覚えるモノが多い事に気づいたたどらねこが、他の目も大切にしよう(?)と思い立って自身のアイコンに3の目を入れたことがはじまり。(らしい)

なお、アイコンに日の丸を2つも載せている人(描いているのではなくて写っている)もいますが、以前の野口聡一さんと同じで、これはきわめてまっとうな所属表示です。

野口さんの以前のアイコンを探したところ、あるブログのコメントに添えられていたこの画像がたぶんそうです。

こういう自他共に代表的な日本の宇宙飛行士あるいは日本の宇宙開発関係者と認められるような人ならアイコンに日の丸をつけても違和感がない。むしろ国旗をアイコンにつけて品位を疑われるようなツイートをした人間は国旗冒涜罪で最初は警告して氏名公表、続くようなら罰金、それでも改まらなければ矯正収容所に送り込んだ方がよろしいんじゃないでしょうか。(TwitterだけでなくFacebookなどでも)

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2012/12/04

火焙りか絞首刑か(用語解説)

中世に吹き荒れた魔女裁判を支えたのは被告人の自白。「自分は魔女である」に加え、「魔女の集会にはあの人も来ていた」と〈共犯者〉を告発する虚偽の自白もするものだから芋づる式というよりは指数関数的に〈魔女〉容疑者が増えていった。

捜査段階では過酷な拷問がある。ちなみに激しい拷問にも耐えて自白をしないのは魔法によって身を守っていると判断され、つまり魔女の認定を受ける。拷問中に死んでしまうことも珍しくないので、「無駄な否認を貫くより、嘘の自白をして拷問を避けた方が得」という判断が広まる。

尋問官も拷問には消極的な様子を見せ、マニュアルによれば責具を見せながらの説得から始まるという。ストックホルム症候群と似た状況になるのかもしれない。

しかし、そういう追い詰められた状況から解放されても自白は撤回されなかった。処刑台の上から、集まった群衆に向かって「私は無実だ」という劇的な告発も起きなかった。なぜか。拷問室に送り返されたり、絞首刑の予定を火焙りに変更されたりしたから。

一口に火焙りと言っても、魔女裁判のそれはかなり厳しい。八百屋お七ならば熱気を吸い込んだ途端に失神し、短時間のうちに煙で窒息死したであろうが、中世ヨーロッパではゆっくりと燃える生木が使用され、とろ火で焙られるため窒息することも失神することもできず半分焼け落ちた死刑囚が「薪を足してください」と懇願する有様だったという(公平のために付け加えれば点火の前に〈お慈悲の一突き〉などで死なせてもらった例もあるようだ)

ちなみにヨーロッパ人には絞首刑というのは相当嫌な刑罰らしく、法定刑は絞首刑の罪人が「お慈悲により打首」という判決をもらうと涙を流して喜んだという記録があるらしい。この「お慈悲により打首」は『ある首斬り役人の日記』にしばしば登場する。その絞首刑の方が良いというのだから、火焙りがどれほど恐ろしかったか推測できる。

そういうわけで、選挙などで支持できる候補者がいなくて最悪よりは次悪を選択させられるような状況を「火焙りか絞首刑か」と表現するわけだけれど、上述した背景を知らないと思われる人には奇矯過激な妄言に聞こえるようだ。

またフランス共産党がド・ゴール派と社会党を「コレラとペスト」(どちらかを選んだ方がマシということはない)と評したという話も底にある。

しかしまー、実際には、たとえばヒトラーとムッソリーニの選択であれば、反ユダヤ主義から距離をおくようになったムッソリーニの方がマシとも言えるし、ヒトラーとスターリンの選択であれば、〈アーリア人〉と認めれば冷遇はしなかったヒトラーの方がマシ(同じ理由でスターリンの方がマシとも言いうる)と言えなくもないし、スターリンとポルポ....と違いを見つけようと思えばなんとかなることが多い。

こういう究極の選択からは程遠いとは言え、「守旧派大ボス vs. 箸にも棒にもかからぬ極右泡沫候補」なんて選挙を設定されると、投票することに何か意味があるのかと悩んでしまう。ボスが進めようとしている政策に反対だからといって、時代錯誤な差別政策を掲げる泡沫に投票して支持を表明して良いのか? そうなると思いつくのは白票や無効覚悟の他事記載であるけれど、それも「最善がなければ次善」派の皆さんは「自己満足だ」として許してくれない。

なによりも恐ろしいのは、カウンターのつもりで投票した候補が当選してしまうこと。心情的には青島幸男を支持したいし、泡沫とは言えず、都市博とそれに付随する開発は止めて正解だったと思うので例にしたくはないのだけれど、95年の選挙結果が諸手を上げて歓迎すべきものかというと躊躇いを覚えてしまう。青島ならまだ良いけれど、赤尾敏だったらどーすんのよ。中規模の自治体首長選では誰もが驚く番狂わせは起こりやすいし、議員選なら冗談から困ったは頻繁に起きているはず。たぶん、どんな選挙でも有効票と投ずべきという人は、自分の投票結果に後悔したことがない幸せな人なのだろう。忘れてしまっているのかもしれないが。

なお、意中の候補がいなければ擁立すれば良いではないか、なんなら自ら立候補を、というのは正論である。だが、誰も異を唱えられない正論(「お父さん、お母さんを大切にしょう」とか)をことさらに主張する人間には用心しなければならない。「郷原は徳の賊なり

しかし、今度の選挙どうしましょうかねぇ...


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2012/12/03

アボガドロ定数(用語解説)

科学的な説明は『理化学辞典』やwikipediaを見てもらうこととし、ここでは感覚的に把握できる説明をしたい。なにしろ正統的説明ときたら、次のような調子で、いきなり1モルときては第二センテンスに進めない人が輩出してしまうだろうから。

物質1モル中に含まれるその物質を構成する粒子(原子、分子、イオン、ラジカル、電子など)の数に相当する。(日本大百科全書

そもそも原子と分子の区別も、健全な市民にとってはどうでもよいことらしいということを最近知った。いや、知っているという人だって単原子分子とかイオン結晶とか金属とかを持ち出して、これは分子?それとも原子?と聞いたらしどろもどろになるのではないか。

大胆に言うと、アボガドロ定数とは原子分子の世界と日常世界がどれほど隔たっているかを示す数字。12グラムの炭素(炭)の中にある炭素原子の数と同じで、602,213,670,000,000,000,000,000(これを6.022×1023と書く)。

この数は18gの水の中にある水分子の数とも同じだし58.5gの食塩中の塩素原子の数とも同じ。そしてまた342.3gの砂糖の中にあるスクロース(=砂糖)分子の数とも等しい。高校理科の知識が残っている人はこのへんで「原子量または分子量の値にグラムを付けると、その中に含まれる原子または分子の数はいつも同じ」を思い出されただろうか。それがアボガドロ定数

いろもの物理学者さんが「アボガドロ数を実感する」というページを作っている。10倍ズームを23回行うとはどういう事か実感できましょう。

さて、1ベクレル(Bq)という値は1秒間に1つの原子が崩壊しているということ。100Bqなら100個。100Bqの放射能を持つ物質内では1分間に6000個、1時間に360,000個、1日では8,640,000個の原子が崩壊し、それだけ放射線が出てくるわけだけれど、864万も!と騒ぐ前に、それが原子の数としてはとてもとても少ないということに気づいてもらいたい。864万という数はアボガドロ定数に比べると1/100,000,000,000,000,000。放射性セシウムは137グラムで1モル(すなわちセシウム137原子が6.022×1023個)なので、864万個というのは137ミリグラムの100万分の1のそのまた100万分の1のさらに100分の1くらい。それが1kgの中にあるわけで、どれほど希薄か想像できるだろうか。

なお、膨大に思えるアボガドロ定数ではあるけれど、ホメオパシーで100倍希釈を12回繰り返すと10012=1024、つまり1/1,000,000,000,000,000,000,000,000倍に希釈されるので、最後の希釈液には1原子(分子)も残っていない蓋然性が高い(このことはホメオパシーを推進する側も認めている)。

一方、最強の毒物群に数えあげられる細菌毒素の中には、その1分子が入っただけで1つの細胞が死んでしまうほど強力なものがある。しかし、これは通常の毒物とは異なる機構によっている。

放射性元素の場合、1原子が放射線を発する機会は原則として1回だけなので、生体の中でいつまでも悪さをし続けるということはない(セシウムの場合、β線とγ線を1回出して終わり)。

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2012/09/17

名誉毀損(用語解説)

引用」と並んで誤解が多いと思われるのが「名誉毀損」という用語。知識を整理してみた。

人の名誉を傷つけるようなことを言ったり書いたりすると責任を問われる。責任の追及には刑事と民事の2種類があり、国家(検察)が乗り出してくるのが名誉毀損罪(刑法第230条)。

刑事事件としての名誉毀損



公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。


理解のポイントは、1)公然と 2)事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、 3)その事実の有無にかかわらず、の3つ。

一対一で、他に聞いている人がいなければ何を言っても名誉毀損罪は成立しない。ただし、その時はたまたま他の人に知られなかっただけ、の場合は成立する。また〈放送局〉と仇名のある噂話好きに耳打ちした場合も、たとえ1人に対してであっても、それは容易に広まるわけで、名誉毀損罪は成立する。

事実の摘示がなければ名誉毀損罪にはならない。公衆の面前で「バカ」「恥知らず」と罵倒しても、それだけでは名誉毀損罪にはならない。事実の摘示、たとえば「中学で国語の成績が1だった」「病気の奥さんの代わりに愛人をパーティーに連れて行った」などが必要。なお事実の摘示がない場合、侮辱罪(刑法第231条)にはなりうる。

おそらく一番誤解が多いであろうのが3番目。たとえ本当のことであっても、言ってはいけないことがある。たとえば「彼女は私生児だ」「彼の親は前科者だ」。本当であるならばなおさら、これらを吹聴する行為が咎められるということは理解されよう。なお、本人に責任がある「彼女は父無し子を産んだ」「彼は刑務所帰りだ」も公然と指摘すれば罪に問われる。

一方、歯止めは2つ。まず、この罪は「告訴がなければ公訴を提起することができない。」(刑法第232条)。いわゆる親告罪である(「公訴の提起」とは起訴のこと)。人によって名誉の侵害の受け止め方が違うからであろう。告訴(被害者が検察庁に処罰を求める手続き)が必要なので、被害者かその代理人が積極的に動く必要がある。

また、指摘したのが公共の利害に関する事実についてであり、かつ、その目的が専ら公益を図ることであった場合、真実であることの証明があれば罰せられない。公共の利害に関する事実については特に、起訴されていない犯罪行為が明示されている(検察にしたら、公然と告発するのではなく、そっと告訴告発してもらいたいだろうが)。また公務員または公選の公務員の候補者が対象の場合は、真実であれば罰せられない(公務員としての資質に関係の無い事実であれば、真実であっても処罰されるらしい)

刑法の条文にはないけれど、重要な判例がある。それは、真実ではなかったが真実であると信じる相当の理由がある場合は罰せられないというもの。ただし、これは公共の利害に関する事実について、目的が専ら公益を図ることであった場合限定なので、軽弾みな真似はしないように。

民事事件としての名誉毀損


人の社会的評価を低下させた場合は、不法行為として損害賠償を請求される。また名誉回復のための方策(たとえば謝罪広告)を命じられることもある。

免責については刑事と同じで、公共性・公益性・真実性がそろえば成立しない。真実ではなかったけれど、真実と誤認したことに相当の理由が認められれば成立しないのも同じ。

裁判を起こすというのは一般に敷居の高い行為であるし、公の場で名誉毀損行為が再現されるという難点があるため、いわゆる泣き寝入りになりがちであるが、諦める前に打つ手はある。

正統的な手段は、弁護士を通して抗議文を送る。訴訟を起こすよりも安く済むし、ある程度はこれで解決できる。

弁護士の心当たりがない、費用が負担できないという場合は、無料の法律相談を利用する。といっても、街の物知りとか顔役に依頼するのではない。法テラスはそのための組織。勝訴の見込みがあれば弁護士の紹介や訴訟費用の立替もしてくれる。また弁護士会や行政が主催する法律相談会もある。ADR(裁判外紛争解決手続)という裁判とは別の手続きもあり、費用が少なくて済む。

少額訴訟の場合は簡易裁判所に、代理人(弁護士)を立てずに本人訴訟を提起するという手もある。これも簡易裁判所に行けば相談に乗ってくれる。

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2012/09/14

趣味

私には高校時代から世話になっている恩師Aがいる。そのA師にはまた、高校時代に薫陶を受けた師匠Gがいる。

社会人となった筆子どもがA師を連れて、その故郷(正確には、幼少期から少年時代までを過ごされた疎開先)へ遊びに行った際、G師宅を訪ねた。既に引退されていたG師は「いまは何をしていらっしゃいますか」との問に、毎朝モーツァルトのピアノ協奏曲(27曲ある)を、ピアニスト・指揮者・オーケストラの組み合わせを変えながらレコードで聴き、その感想をノートに書いている、とそのノートを見せてくださった。手帳サイズのノートは既に数冊分あり、十行ほどの感想が万年筆で毎日書いてあった。笑いながら「ま、趣味みたいなもんです」と。

辞去した後で、顔を見合わせ「趣味かぁ」と嘆息する門人と筆子。以来、軽々しく「趣味は」と口にすることは慎んでいる。

先日、とある面接で「ご趣味は?」と問われ、上記エピソードを披露したけれど、ほとんど感銘を与えることはできなかったようだ。もちろん不合格。

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2012/03/11

シマウマ症候群/医学生症候群(用語解説)

ありふれた症状を重篤な疾患と関連付けてしまうこと。

「ウマの蹄音を聞いて、シマウマが歩いていると考える」に由来。アフリカならいざしらず、この言葉ができたであろう欧州においては、パッカパッカという足音がしたら、それはウマが歩いていると考えるのが普通。それをシマウマかもと考えてしまう。

以前は医学教育を受けている学生に多く見られたらしい。それで「医学生症候群」とも(googleではこちらの方がヒットする)。近年はメルクマニュアル医学百科最新のようなウェブやブログ、『家庭の医学』のような書籍、あるいは健康をテーマにしたテレビ番組を見て、「この病気にかかっているかも」と怯える一般人も多いようだ。

もっともジェロームの小説『ボートの三人男』(1889年)の冒頭にも、この描写がある。図書館でふと医学書を紐解いたばかりに、ありとあらゆる病気(ただし、膝蓋粘液腫は除く)にかかっている気になってしまった主人公は、その足で医者へ赴く。話を聞いた医者が処方したのは、ステーキを食って酒を飲み、ぐっすりと寝ろというもの。これによって主人公は〈健康〉を取り戻す。

手漕ぎボート中心だったテムズ川に登場したスチームランチに対し、あの傍若無人な汽笛の音をきけば陪審員も「正当防衛による殺人」と認めるだろうなどと前半では罵倒するのだが、後半になってボートを牽引してもらうと掌返し。これら主人公の態度は現代の日本人にも通じるというか、近代の大衆の典型かもしれない。道具立てが図書館からインターネットに変わっただけで、行動の本質は同じ。

患者側がかかると「小騒動 - #私は家庭の医学で不安になりました」でも指摘されているように、ヒポコンデリー(心気症)である。

映画などには、新人医師がありふれた疾患で大騒ぎするシーンがある。題名は忘れたが、社会奉仕で田舎での診療を命じられた若い医師がドクターヘリを呼ぼうとしたのを町医者が押しとどめ、簡単な施術であっさりと治してしまうとか。

ただし、希少な疾患というのは、珍しいとは言え実在するわけで、それゆえに見過ごされる危険も大きい。20世紀後半、イギリスで天然痘の小流行があった際、多くの医師は見逃してしまい、天然痘と診断できたのは過去に天然痘患者を診察した経験のあった老医師だったという話がある。

『続 推理する医学』には「シマウマのひずめの音」という一章が設けられ、重症筋無力症にかかった女性が、そうと診断されるまでの経過を描いている。多くの医師はありふれた疾患として扱ったが、最後の医師が「これはウマではなくてシマウマ」と看破して患者は救われる(wikipediaによれば「適切な治療によって80%は軽快・寛解し、日常生活に戻れる」、つまり診断が大切)。

だが、こういう話を読むと、また素人は「私は重症筋無力症かも」と思いこみかねないなぁ。

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『続推理する医学』はさすがに古本しかない。

ただし『推理する医学2』として改装版が出ている。

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良心は人をカウボーイにする(用語解説)

出典はサキの「ラティスラブ」。英国伯爵夫人のドラ息子が急にメキシコ辺りへ出奔した。それを聞いた男爵夫人が驚いて「なぜ?」と聞くと「イギリスの諺にあるわね。『良心は人をカウボーイにする』って。」と澄ましている。

正しくはシェイクスピアの戯曲『リチャード三世』からで、カウボーイではなくてカワード(coward)、つまり「良心は人を臆病者にする」。

男爵夫人が、彼に良心があるなんて知らなかったと皮肉を言うと、ほかの人の良心に責められるからなのよ、と泰然自若な伯爵夫人。

息子が逐電したのに落ち着いている事情は冒頭に説明されている。「彼は家中のブラックシープ(厄介者)だった。ただし家族一同かなりブラックがかった一家である。」

それだけの話なのだが、この勘違いが面白く、ついついシェイクスピアの代わりに引用してしまう。


なお、「ラティスラブ」は『ザ・ベスト・オブ・サキ(1)』に収められている。


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2012/03/07

正しくこわがる(用語解説)

「こわい」というのは感情の問題なので、正しいも正しくないもないのであるが、「こわがる」というのは行動の問題なので正誤が存在する。

たとえば山の中でヒグマとばったり遭遇したとする。心臓バクバクで背中に冷や汗となるのは無理もない。だがそこで、一目散に逃げだそうものなら命はない! それは誤った行動。あれば熊スプレーを構えながら、ゆっくりゆっくりと後ずさるのが正しい怖がり方。(もっと正しいのはいきなり遭遇しないよう、鈴を鳴らすなどしながら歩くこと。)

冬山(クマは穴の中で冬眠しているから遭遇する危険はない)に、「穴持たずのクマと遭遇したら危険だから」と鉄製の甲冑を着て登ったらどうなるだろうか。過剰な装備は役に立たないどころか、遭難の危険を増すだけであろう。これも誤ったこわがり方。

恐いと感じる対象を遠ざけたり減じたりする行動は正しいが、危険を招き寄せるような行動は間違っている。

ちなみに「正しくこわがる」とは、寺田寅彦(夏目漱石の弟子で『吾輩は猫である』に登場する水島寒月のモデル)の随筆「小爆発二件」に出てくる言葉。

信州・浅間山が小爆発に遭遇した寺田は「一度浅間の爆発を実見したいと思っていた念願がこれで偶然に遂げられたわけである。」と喜びつつ、「万一火口の近くにでもいたら直径一メートルもあるようなまっかに焼けた石が落下して来て数分時間内に生命をうしなったことは確実であろう。」と自戒している。そして帰京しようと沓掛駅で汽車を待っていたとき、下山してきた学生に駅員が様子を聞いているそばを、4人連れの登山者が山へ向かうのを見る。「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」とさも請け合ったように言う学生。

 ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。

終わりの伏字は戦前の検閲のため。

寺田の目には、大丈夫大丈夫と山へ登っていく人々が「こわがらな過ぎ」に見えたのであろう。今の言葉で言えば〈正常性のバイアス〉。しかしここで「こわがれ、こわがれ」と行き過ぎないところがさすが。

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2012/02/20

カーソル事件(用語解説)

後に『知の欺瞞』にまとめられた、ソーカルによる醜聞暴露ではない

2012年1月に東京で降雪が見られた際、雨や雪で空中の天然放射能が集められて空間線量が上昇するありふれた出来事を「大変! 放射能が高くなってる!!」と懲りもせずに騒いだ人達がいた。

その際、「振り切れるほどのピークがありますよね?」と示されたのが、カーソル(グラフ上の位置を特定するための補助線のようなもの)であったという笑い話。

顛末はtogetter上にまとめられている。

それだけならば、「ああ、勘違いでした。f(^^; 」で済む話なのだが、勘違いの主は一向に反省することなく、線量が高くなったのはビスマスのせいと言うがそのビスマスは原発由来ではないのかとか訳の分からないことを言い続けたため、とうとうカーソルさんという渾名を奉られてしまった。

その壊れっぷりは次のツイート(内容自体は他人のウェブからの引用だが自分のオリジナルのように振舞っている)にもよく現れている。

”ミリ” という単位は毒劇物法の "毒物" の概念規定とされています。  投与した動物の半数が24時間以内に死ぬか、あるいは48時間以内に半数が死ねば毒物としての扱いとなってます。この単位が ”ミリ” です。毒性が発揮される単位として ”ミリ” が使われるのです。

この人はミリメートルとかミリバール(今はヘクトパスカルを使うけれど)とか聞いたことがないのだろうか。それにSI接頭辞を単位だなんて...もっともkgやkmを〈キロ〉ということがあるから、ミリを重さの単位と思い込んでいても囃し立てるのは傲慢か。

ちなみに上記の毒物の定義は誤り。いい加減な人というのは底なしにいい加減なのだろうかとため息が出てくる。

この一連の騒ぎの一部または全部をさしてカーソル事件と呼ぶ。しかし、この分では第二次カーソル事件、第三次カーソル事件...と続きそうである。



こちらは「ソーカル事件」について知りたい人向け。
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2012/02/12

ベクレルとシーベルト(用語解説)

東京電力の原発事故(2011)から間もなく1年が経つ。ところがツイッター界隈ではいまだに次のような誤解が流布されている。

内部被曝ベクレルは 細胞を傷つける放射回数の単位
1日に体のどこかの細胞が 何年も攻撃され続け 壊れる
惑わされぬよう!騙されぬよう!余計な被曝はしないよう!

1ベクレル1秒間に放射能放射線が細胞を傷つける放射数
1ベクレル×1日86400秒=1日 86,400 bq/d
100ベクレル×86,400=1日 8,640,000 bq/d

この短い文章の中に、ざっと見ただけで実に5つもの間違いがある(ベクレルはBqであってbqではないといった形式的なものも含めるが、「内部被曝ベクレル」「放射能放射線」という謎の用語は無視)。

とりわけ見過ごせないのは、ベクレルは細胞を傷つける単位という点。生体への影響度を示す単位はシーベルト!

ベクレル(Bq)とシーベルト(Sv)の説明は、ネットにいくらでも見つけられるが、正統的なところで『理化学辞典』(岩波書店 4版)に当たると、次のように書かれている。

ベクレル[becquerel]放射能のSI単位で,記号はBqで,A.H.ベクレルにちなむ.毎秒の崩壊数が1個であるときの放射能の量を1 Bqと定義する.

シーベルトについては、電離放射線の線量当量のSI単位とそっけないので、線量当量を見ると次のように説明されている。


放射線の生物学的効果を共通の尺度で表す量で,吸収線量と修正係数の積で定義される。


まとめると、ベクレルは放射能の強さの単位で、その放射能が生体にどれだけ影響を与えるかはシーベルトを単位として考える。それゆえに内部被曝も外部被曝もシーベルトで尺度を統一して危険性を考えることができる


ベクレル→シーベルトは、体内に入るベクレル数に核種ごとに異なる係数をかけることで計算できる。〈陰膳方式〉で一食分が測定された場合は別だが、食材のベクレル数は1kgごとになっているから、実際に食べるグラム数への換算が必要。もっとも政府による規制値は、その点も考慮されている。

だが、この単純なことがなかなか理解されない。NHKの才媛、小野文恵アナですら2011年暮れの放送(「ニュース深読み」)で、ベクレルとシーベルトの違いが分からないと発言したらしいから無理も無いのか(よく分かっていない視聴者への「分かってないのはあなただけじゃない」というサービス発言かもしれないが)

そこで、いくつかの比喩を考えてみた。ただし、比喩はあくまでもたとえであって、ある面の理解を促す一方で、誤解も招来する可能性も持っている。その点に注意して読んでもらいたい。

「地震におけるマグニチュードと震度」説


上記「ニュース深読み」で出てきた説明。実はこれ自体、誤解の多い単位なのであまり筋が良いとは思えないのだが、大震災の後で理解が進み「ストン」と落ちるかもしれない。

ベクレルはマグニチュード、シーベルトは震度

一つの地震でも、場所によって震度は様々。震源からの距離が大きければ震度は小さいという一般則は、「線源から離れればシーベルトは下がる」の理解を助けるだろう。

地面すれすれに線量計を近づけて「大変大変」と騒ぐのは、そこに長時間寝っ転がるのでなければあまり意味が無い。ちなみに震災前(2010年)に玉川温泉で線量を測った人のブログを読むと、放射能を期待して岩盤浴に来た人は2.2μSv/h超の値を示されて満足した由(その後、7μSv/h超を計測してブログ主も喜んでいる)。

これの難点は、核種による違い(アルファ線もガンマ線も、1秒間に1つの原子核が壊れて出てくるなら同じく1Bqなのであるが、生体への影響は月とスッポン)を理解しにくいこと。

「電球と明るさ」説


電球の明るさ(W)は同じでも、その電球で照らされたある場所の明るさ(lx)は、電球からの距離によって異なるという比喩。

ベクレルはワット(またはルーメン:白熱電球と蛍光灯は消費電力では比較できない)、シーベルトは明るさ(ルクス)

だが、これはシーベルトではなくてグレイの説明に向いている。また「マグニチュードと震度」と同じく核種の違いを理解しづらい。電灯の明るさをルーメンではなくて出力(W)で考えると、同じベクレルでも影響が違うのは、同じワット数でも蛍光灯と白熱電球とLEDとで明るさが違うようなものと説明できるが、かえって混乱を招くような...

「お酒と酩酊具合」説


実はこれがお気に入り。

ベクレルは瓶に入っている酒の量、グレイは飲んだ量、シーベルトは酩酊具合

酒は飲まなければ酔わない。しっかりと栓をしたウイスキー瓶なら子供が触っても問題ない(落として割るなどの心配はあるが)。同様に、厳重に遮蔽してあればギガベクレルだろうがヨタベクレルだろうが怖くはない。実際、いま騒いでいるのをはるかに上回る放射能が原子炉の中に封じ込められ、われわれは安穏と電気を貪ってこれたのだ。

酒をどれだけ飲んだかに相当するのがグレイ。しかし同じ量でもビールとウイスキーでは酔い方が異なるように、放射線によって影響が異なる。そこで出てくるのがシーベルト。グレイの値に放射線荷重係数を掛けて出す。ガンマ線は1だが、当たれば体への影響が大きいα線は20。つまりガンマ線やベータ線はビールで、アルファ線はウイスキー。ちなみにJCOの臨界事故で2人を死なせた中性子線は焼酎みたいなもの(エネルギーによって5-20)。

なお、全身被曝(実効線量)と局所被曝(等価線量)がどちらもシーベルトを使うので混乱しやすい。2011年3月に福島第一原発で作業員が3シーベルト被曝したが、これは等価線量で、生命に別状はない。

また同じエタノール量でも飲み方によって酔い方は異なる。一升の日本酒を一気飲みすれば生命に関わるが、10年かけてペロペロ舐めたのなら、事実上酔わないだろう。シーベルト(Sv)とシーベルト毎時(Sv/h)はどちらも「シーベルト」と言われることが多いと思うが、区別したい。「全身に10シーベルト被曝したら助からない」のシーベルトは一気飲みの方。


これをいうと、「ごく少量の酒なら酔わないにかこつけて、NLTLNT仮説に反対する気だな」とお怒りになる方が出てくるかもしれない。防御の姿勢として「微量の放射線でも悪影響があると仮定して対処する」のは正しいと思います。また、酒の影響というのは自覚とは別にあって、それを調べる試験で少量の酒を飲んだ剣道の達人が大学の剣道部員にぼろ負けして男泣きしたとか、運転シミュレータなどで反応時間を調べたら「大丈夫」という自覚とは裏腹に対応は遅れっぱなしだっとか、そんな話は結構あります。ちなみに一晩寝て、覚めたつもりでも酒が残っていることはありますから、運転をされる方はご用心。旅客機の乗務員規定は12時間前から禁酒だそうです。

難点は、同じベクレルでも影響が異なることが納得できる反面、「エタノールに相当するものは何?」「ワインを蒸留したらブランデーになるみたいに、放射能が強くなることはある?」という誤解を招くかもしれないこと(比喩の本質的欠陥)。また市民測定が始まった当初、ベータ線を測定した値がガンマ線としてシーベルト換算されて高い値になったことが理解しにくくなる(組織への影響度ではなくて、検知管の感度を考慮して補正計算するため)。


酒に強い人がいるように、放射線にも強い人はいるか? というのは、興味深いテーマではあるが、比喩で考えるのは入り口までにしておくのが賢明であろう。もちろんたとえば遺伝子の修復機能の高い人というのはたぶんいる。この人達が放射線の確率的影響を平均よりも受けにくいと考えるのは合理的。逆の、修復機能の弱い人は確実に存在していて、重い例では日光に含まれる紫外線によるDNAの切断を修復できず、少しの日光でもひどい日焼けを起こす病気がある(色素性乾皮症)。この病気を知ると、いかに遺伝子の修復機構というものが凄いか実感できるであろう。なくなって初めてそのありがたさがよく分かる。なお、気の弱い人、食事および就寝前には画像検索しないことを強く推奨。


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2012/02/09

引用(用語解説)

自己の作品中に、別の作品を利用すること。

他人の創作物を引用することは、形式的には複製権等の侵害になるけれども、創作における引用の重要性から、著作権法は第五款 著作権の制限において、「私的使用のための複製」「図書館等における複製」に続けて、第32条で次のように引用を認めている。

第三十二条  公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2  国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。

ポイントは以下の通り。
第32条の条件を満たせば、他人の著作物を無断で複製できる。
条件としては、引用されるのが公表された著作物であること、引用が公正な慣行に合致すること、そして目的上正当な範囲内であること。

なお、同法第48条には、引用の場合は「著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならない。」とあるので、出所(出典)を明らかにしなければいけない。


この著作権法上の引用を狭義の引用と称し、広義の引用なるものが存在するかのように主張するものもいるが、それは無断複製/違法複製である。

引用にまつわる誤解



×引用には許可が必要

引用は無断で行うものなので、「無断引用禁止」はナンセンスである。

×引用は一言一句正確でなければならない

正確に利用すべきなのは当然であるが、状況に応じて外語を国語に翻訳する、漢字をカナに変えるなど変更は認められる(第43条および公正な慣行)。

パソコン通信時代に見られた「改行位置変更しました」はほとんどの場合、意味はない。

切り貼り細工によって主張されていないことが主張されているように見せかける行為は、著作権の侵害よりは名誉毀損で訴えた方が確実であろう。なぜならば、著作物の読み取り方を強制することはできないから。

△引用は全体の半分まで

「引用は全体の半分以下に収める」という巷説は、引用部分が主になってはいけないという主従関係説(最高裁判例)と、図書館における利用者への複製は「公表された著作物の一部分(発行後相当期間を経過した定期刊行物に掲載された個々の著作物にあつては、その全部)」に限るという規定(第31条)を混同した疑いが強い。

そもそも判例はマッド・アマノを被告とするいわゆるパロディ写真事件であって、判決文の中に「半分以下」などとは書いていない。画像の場合、単純なハメコミ合成なら面積で計算しようと思えばできるかもしれないが、〈半分〉の定義が厄介。テキストの中にただ一点ある画像が引用だった場合はどう考えるのか?

×引用する側も著作物でなければならない

現行法には「利用することができる」とあるだけで、旧法(明治三十二年三月四日 法律第三十九号)のように「自己の著作物中に」とは定められていない。

×私信も引用できる

公表されていない私信の著作権は制限されない。手紙を引用する場合は著作権者(ほとんどの場合は発信者)の許可が必要になる。学術論文の文献に「personal communication」(私信)というものがあるが、これを認めている雑誌でも規定には許可を得ることが定められているはず。

×手のかかった作品は許諾を取るべき

そのような慣例をもつ業界もあるかもしれないが、裁判所では通用しない。ただ、〈業界の秩序〉を乱したことに対して、村八分的な報復が行われることは考えられる。なお、この村八分も、個々が契約の自由を行使した結果に留まるうちはまだしも、示し合わせての排除だと、場合によっては独占禁止法等に抵触することもあるだろうから要注意。消費者の自発的ボイコットであれば問題はない。

著作権法第32条とは関係の無い引用


著作物でないもの、著作権が消滅した著作物を引用する場合は、上記の規定は関係しない。ただし歴史上の人物の著作を自作として発表するような行為には、著作権とは別の面で、強い非難が寄せられると考えた方が良い。著作物ではないデータも、剽窃すれば強い非難を浴びる。研究論文でこれを行うと、国によっては公的研究費の差し止めや返還といった処分を受けることもある。マッシュアップと称して他人のデータを利用する場合は注意が必要。

孫引き


出典に直接当たらず、引用しているものを引用することを孫引きという(曾孫引き、玄孫引きなども孫引きで統一)。学生がやりがちなのは、書籍の文献欄に書かれていた出所を、そのまま自分の卒論に文献として書き写してしまう行為。

孫引きには2つの面から問題があり、論文執筆においてはご法度とされることが多い(分野によっては孫引きと明記することで許容)

第一に、端的に言って「見ていない資料を見たように書く」わけであるから、これは捏造(Fabrication)である。捏造(Fabrication)・改竄(Falsification)・盗用(Plagiarism)のいわゆるFFPは研究者にとって命取りになる。素人が権威(と思っている)の研究を引き出して口角泡を飛ばしている場合もこれが多い。とはいえ、ニュートンの原著を読まなくても古典力学は論じられるわけで、そこは表現次第。

科学論文は引用された回数で評価されるが、ある時期、世界で最も引用された論文(=世界一優れた論文)はSDS-PAGEの原報だったという笑い話もある。ローリー法やサザンブロッティング法の原報もよく引かれたであろうが、今なら『生化学実験法』や『細胞工学実験プロトコール』で済ませられる。(マキサムギルバート法の原報が最後に引用されたのはいつだろう?)

第二に、功利的に考えても孫引きには危険が伴う。第一引用者が誤解しているかもしれないし、出典を間違えているかもしれない。俗謡に「親亀こけたら...皆こけた」とある通り。また、こういう例も考えられる。Aが測定をして10という結果を得た。Aは10では不足と考えて「10しかない」と論文に書く。Bはその結果を引用しつつも、5もあれば十分という考えから「Aの測定では10もあった」と書く。これはセーフ。しかしCがAの論文を見ないで「Aは10もあることを見出した」と書くと、Aから「そんなことは書いていない!」とねじ込まれる可能性がある。

基本的には原典に当たること。

ツイッターの場合


ツイッターでは公正な慣行についての合意はまだ形成途上ではないだろうか。そこで若干の考察を行う。

ツイッターには1ツイートが140字までという制限がある。そのため、ツイート中に引用をする場合、出所を明示するスペースが足りなくなることが多いと考えられる。この場合、当該ツイートでは引用であることを示し、前後のツイートで出所を明示するというのが現実的解決ではないかと思う。ハッシュタグを併用すればひとまとまりとして表示することも容易。

なお、1ツイートがまるまる引用である場合に、引用符(「」や“”)の使用などで引用であることを明示しないと、本人のオリジナルであるという誤解を招く。

またツイート自体も著作物になりうるので、ツイートを引用する場合も出所の明示が必要になる。幸い、各ツイートには固有のURIが付与されている。ツイートに引用する場合は、公式リツイートや返信を使うとオリジナルツイートを容易に特定できる。一方、QTとも呼ばれる非公式リツイートは、(クライアントアプリによっては)元のツイートとのリンクが切れてしまうことがある。さらにQTでは引用部分の編集が可能で、字数調整などが可能になる反面、意図を歪めるような悪質な操作ができてしまうという問題を抱える。実際に改竄が行われた事例も報告されている。良い子は真似をしてはいけません。

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2009/06/23

用語解説:唐茄子屋政談とビッグイシュー

路上脱出ガイドに対して、「ルビを振れば良いってもんじゃねーぞ」と批判しておきながら、我が文を振り返ると、読みや意味が難しい言い回しが結構ある。反省して解説を用意した。まずは唐茄子屋政談とビッグイシューの分。


大店
おおだな
大きな商家。

叔父
おじ
父または母の弟。

お天道様
おてんとうさま
太陽をありがたがって呼ぶ言葉。

割烹
かっぽう
日本料理店。

過渡的
かとてき
変化の途中の一時的な状態。

勘当
かんどう
親子の縁を切ること(親から)。具体的には相続人でなくすこと。

閑話休題
かんわきゅうだい
話を本題に戻す時の決まり文句。「それはさておき」

義人
ぎじん
自分の利害を離れて正義を重んじる人。

侠気
きょうき/おとこぎ
弱いものを助ける心意気。

独楽
こま
コマ。

諭す
さとす
言い聞かす。

市井
しせい
町中(まちなか)。
上出来
じょうでき
できが良いこと。

政談
せいだん
この場合は裁判という意味。大岡政談も同じ。

席亭
せきてい
寄席の主人。この場合は落語会の主催者。

逐電
ちくでん
すばやく姿をくらますこと。逃亡。

天秤棒
てんびんぼう
両端に荷物(を入れるかご)をさげ、肩にかつぐ棒。

唐茄子
とうなす
カボチャのこと。

呑気
のんき
のんびりしている性格。深刻さに気付かない鈍感の意味にも使う。

販売者
はんばいしゃ
ビッグイシュー日本の公式用語では「販売員」ではなくて「販売者」とのこと。

顰蹙
ひんしゅく
眉をひそめること。「顰蹙をかう」は他人から嫌がられること。

褒美
ほうび

悋気
りんき
嫉妬、焼きもちのこと。

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