2018/01/09

モノクロ写真への自動着色実験

ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付けエンジンが公開されていたので試してみた。発端はこのツイート。

返信をたどっていくと「モノクロフィルムで撮ったモノ、カラーフィルムの写真をモノクロにしたもの、デジタルカメラのモノクロモード。いろんなパターンでテストして欲しい。」とあり、それに対して「ぜひ http://hi.cs.waseda.ac.jp:8082 」と。ただしそこでの着色がすべてではない。

実験1


黄色い表紙の岩波新書と赤い表紙の岩波新書を並べ、ミカンと青みがかったバナナを載せて撮影
岩波新書の黄本と赤本、おまけで岩波文庫それにミカンとやや青いバナナとを並べて撮影した。カラーで撮影し(上)、GIMPで脱色したもの(中)に着色したもの(下)は再現度が低い。『読書こぼればなし』は赤本になってしまっている。『魯迅評論集』のタイトルと訳者の背景色は、御世辞にも再現されているとは言いがたいが、それでも同じに着色されている。


初めからモノクロで撮影した方が自然な着色
初めからモノクロモードOptio W30のテキストモード)で撮影したもの(上)はややまし。ミカンの再現性が良いのは〈普通のミカン〉だったからだろう。その証拠に青みを帯びたバナナはしれっと黄色いバナナになっている。一方で黄色い表紙の『読書こぼればなし』は青本と言われたら信じてしまいそう。『魯迅評論集』のタイトルと訳者の部分が同じ色になのに別の色と認識されているのは謎。

実験2


書棚に並んだ背表紙は元が青なのに赤になるなど色の再現度が低い。
ミカンやバナナのように「これはこういう色」と決まったものがないと混迷は深まる。書棚の一角をカラーで撮影(中)しソフトで脱色したものに着色(上)と、モノクロで撮影して着色(下)したものとを見比べると「とりあえず赤くしておけ」という印象をうける。


どうやら「空は青」のように基本色を当てはめている感じ。だから書籍の背表紙のように完全に恣意的な彩色では再現性が低くなる。曇天の写真を着色させて抜けるような青空になったらこの仮説は正しい。

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2016/06/11

水没コンピュータ

今年も国立情報学研究所(NII)のオープンハウスへ行ってきた。2日間開催されていたが、両日行く元気はなく28日(土)のみ。

参加登録をすると2次元バーコードの参加証が送られてくる。昨年まではこれを印刷して持参していたが、今年はiPod touchで撮影し、その画像を提示した。あっさり通過。以前、飛行機に乗るのに携帯電話に受信したメールのバーコードをかざしたが読み取られず、念のため持参したプリントアウトで事なきを得た経験があったけれど、今回は杞憂。

ガイドブック(PDFでも提供されている)をもらう。昨年までのA4判からほぼ半分のコンパクトサイズになり扱いやすくなったが、アンケート用紙がはみ出すのが邪魔。まずは2階の一橋講堂へ行って「NII研究100連発」。

NII研究100連発


NIIの研究者10人が1人7分30秒の持ち時間の中で、それぞれ10件の研究成果を発表する「NII研究100連発」。これはニコニコ生放送で生中継された(プレミアム会員ならばタイムシフト視聴可能)ほか、現在はyoutubeでも見ることができる(しかしこの動画は明らかに途中から始まっている)

450秒で10件なので、平均すると1件45秒のプレゼンテーション。なんだか「全英プルースト要約選手権」(プルーストの長編「失われた時を求めて」を15秒で要約するというモンティ・パイソンのスケッチ)みたい。

100も聞いて覚えていられるはずもなく、今すぐに思い出せるのは、かつてAIは画像認識が苦手だったが、今はディープラーニングによってそこそこの成績を収めるようになってきたという話(では何が不得手かというと、会場では「ほほぉ」と思ったのに、もう忘れている。調べてみるとどうも「意味の理解」らしい)。追い追い動画を確認しておこう。そういえば会場で「あ、これは去年のポスター会場で聞いた」ってプレゼンもあった。

水没コンピュータ


昨年までは中会議室にポスターセッションが詰め込まれていたが、今年はポスターは廊下・講堂前ロビーで、中会議室は半分が「デモ・体験コーナー」になっていた。


「直接自然水冷却PC」「浸水耐久試験中」とラベルの貼られた水槽の中で剥き出しの基板が水に沈められている
水槽の中には水草と金魚
で、足を踏み入れてすぐに目に入ったのがデモB10の「水と光をつかった未来のコンピュータの建築学」(鯉渕研究室)で展示されていた水没コンピュータ。水の中で動かせるコンピュータと言っても、水中で操作できるパソコンを目指しているわけではない。見ての通り電子部品を着けた基盤部分を水漬けにするのが目標。その目的は冷却。高価な特殊冷媒ではなく普通の水が使えることを強調するために水槽には金魚と水草が入れてあった(初日はイモリも入れていたそうだが、夜のうちに脱走してしまったという)


種明かしをすると、チップやメモリなどを組み上げたボードを防水性材料で丸ごとコーティングしてしまう。当然、部品の交換は無理(その気になればやってやれないことはないかもしれないが、費用対効果が悪い)で、故障したらボード毎交換となる。これはグーグルの「マシンは消耗品」という考え方(『アップル、グーグル、マイクロソフト』に書いてあったように思うが手元にないので確認できない)と同じだろう。実際、動画中の質疑で(部品交換はできないと答え、質問者がエコじゃないと不満げなのに対し)「でもデータセンターなんてみんなそんな感じじゃないですか」と答えている。

映像から人の顔を識別


会場では本屋さんコーナーが設けられていた。素見で手にとったら面白そうな本やゲームが沢山。さんざん迷って『IDの秘密』と『おしゃべりなコンピュータ』を購入。ひと休みしようとNII Cafe のテーブルに座ったところ、ちょうど戸山高校とのワークショップ「映像から人の顔を識別してみよう!!」をやっていて、気を回したスタッフが端末を持ってきてくれたので参加。


まず配布された資料に載っている三人の首相経験者(小泉・鳩山・福田康夫)の写真を専用アプリで読み取って映像アーカイブを検索。小泉・福田の二人についてはうまくいったけれど、なぜか鳩山の顔を検索しても別人しかヒットしない(資料を作る段階でチェックしなかったのかなぁ? それとも「こういうことも起きる」という見本?)。それからスクリーンに投影された人物映像を読み取って検索するデモンストレーション。概ねうまくいくのだけれど、緒方貞子(国連難民高等弁務官)の検索結果に堀江貴文がヒットしてしまうのは、まぁなんと申しますか(あんまり面白かったので結果のいくつかは写真撮影してきた)


今はまだ映像の解析だけのようだが、いずれは「怒っている人」「喜んでいる人」を映像アーカイブから抽出することもできるようになるだろう(研究の目的に「赤ちゃんのように目から入ってくる情報の意味を理解して学習」と書かれている)。たとえば国葬で弔問客の中から悲しんでいない人間を見つけ出す、なんて恐ろしいこともできるようになるのだろうか。もっとも問題になるのはその次のアクションであって、「やっぱり不人気だったなぁ」と諦めるとか「功績が理解されていないからもっと周知しよう」とかなら、それほど恐くはない...と言い切れるかな?

アンケート


スタンプラリーには参加せず、アンケートを提出して記念品としてフリクションペン(去年もこれだったっけ)をもらって退去。


アンケートでは、ポスターの前に立ち止まると説明を申し出る積極性と、中会議場内の通路が例年より広かったことを肯定的に評価。興味を持った展示には上記に加えD08「人工頭脳プロジェクト ―東大入試に迫るコンピュータから見えてくるもの―」を記入(「東
ロボくん」はどうやって問題文を読み込むのかと質問したところ、機械可読形式に変換して人が入力しているという答えに軽く失望)

餃子と鱧


帰りは神保町駅に向かい、神田すずらんまつりでビールを飲んで餃子を食い、ついでに和亭『なにわ』にも足を運んではしご酒。来週(5月30日)から鱧(ハモ)料理が始まるとのこと。夏である。

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2014/11/03

「いいね!」を押すような読書

以前のエントリーで言及した、Facebookで「いいね!」をつけるような読書について、菅谷さんのインタビュー記事が公開されている。

USAの教師は9歳の少女(の母親)に対して、その読書が「登場人物や場面が自分の考え方や境遇と近いことに共通項を見いだして読んだり、内容に共感するだけにとどまって」おり、こういう読み方をしていると(読書という)「せっかくの新しい学びの機会を生かせない」と注意する。それでは「世界が広がらないですし、学びが限られてしまう」とも。

なぜ、そのような読書が必要なのか。

人間は道具や機械によって肉体的限界を超えた仕事をこなせるようになった。それによって飢餓を免れ、文明を発達させてこられた。もちろん「2001年宇宙の旅」の冒頭に描かれたように、争いが取っ組み合いから大規模な殺し合いにエスカレートするといった副作用もあったけれど、現代人は機械を概ね使いこなしている。

コンピュータの発達によって、頭脳労働においても似た変化が起きている。馬車や人力車が自動車に取って代わられた時に「機械に人間の仕事を奪われる」と嘆いた人は少数だった。車夫や馬喰は運転手や整備工に、それが無理でも道路工夫といった「新しい技術がもたらした新しい仕事」に就くことができたけれど、馬に新しい仕事が与えられることはなかった(「渚にて」に描かれたような石油枯渇時代が来れば話は別だろうが)。そして「車にその役目を追われた馬の運命こそが、今後我々が辿ることになる運命そのもの」という危機感が広がりつつあるのが現代。『コンピュータが仕事を奪う』というそのものズバリのタイトルの書もある。

かつては「コンピュータにはできない、人間にしかできない仕事がある」と素朴に信じられてきた。しかし残念ながらその領域はどんどん狭まっているようだ。ちなみのこの著者は「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトを率いている。このロボットが代ゼミ模試に挑戦し、「国公立大学4校を含む470余りの大学で「合格率80%以上」を示すA判定」を受けている。まだ偏差値47なので平均以下ではあるが、〈ロボット以下〉の受験生も多数いる状況。今はまだ「だーから私大ブンケーは」と偏見を頼りに安穏としている人も、そう遠くないうちに「代ゼミ模試で人間の能力は測れない」などと言い出すようになるだろう。

訓練を積んだ専門家でなければ難しいと思われていた病理診断でコンピュータのほうが人間の精度を超えたという話もある。まだコンピュータは直接関与はしていないが、データ分析を駆使することで杜氏のいない日本酒造りに成功した酒蔵もある。

現在の高給取りの仕事ほど、熱心にコンピュータへの置き換えが研究されるだろう。24時間週7日、休まず働きミスも少なく、そのうえ賃金を要求しないわけだから(なんといっても忠実である、良くも悪くも)

「これはコンピュータにはできないから」という仕事も安心はできない。コンピュータに仕事を奪われ、他に特技もない人間があふれるようになれば、そういう仕事でも確実に賃金は下がる(Amazonが運営するメカニカルタルクは「人間には簡単だがコンピュータには難しい作業」による小遣い稼ぎをクラウドで斡旋している)

このような未来がユートピアになるかディストピアになるかは、ひとえに政治の力にかかってくる。無定見に人間の仕事を奪っていけば、あふれる失業者や低賃金労働者によって社会は不安定化するだろう。かといって人間の仕事を守るためにコンピュータを規制すれば、貪欲にコンピュータ化を進めた国に経済的に支配されてしまうだろう。打ち壊し運動は敗北する。

そして、民主主義社会においては、賢明な政治家が活躍するためには有権者もまた(それなりに)賢明であることが要求される。もしあなたに政治的な指導者になるつもりがなかったとしても、こうした問題を知らなかったら、選挙で投票するときに、どうやって賢明な選択ができるでしょうかというわけである。

好物をつまみ食いするような読書だけでは賢い有権者になるのは難しい。もちろん、それは子供に限った話ではない。

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2013/03/25

技術メモ:複数の画像をPDFへ

ことの経緯


旧師のもとへ今の弟子共から雑誌や書籍をスキャンした画像が送られてくるのだが、センセイそれが読めなくて困っている。読めないことはないのだが、印刷しようとするとエラーになるという(その後、色々と聞いてみると印刷全般が不能になっていた)。

Skypeの通話では隔靴掻痒なので(なにしろ「ブラウザは何を使っていますか」「ニフティだ」という調子なのだ)、件のファイルを送ってもらった。その点、Skypeはすぐにファイルが届くので便利。ただし、ウイルスチェックの点で心配は心配だが、中国で作ったファイルならMacに感染することはあるまいと検疫スキップ(後日、ISPのメールボックスへ送ってウイルスチェックをしたところ白だった)

送ってもらったファイルはzip。展開してみると複数のbmpファイル(Windowsの標準画像形式)が出てきたが、ファイル名は文字化けしている。おそらく中国語フォントを使っているのだろう。旧師の使っているWindowsXPではzipの展開までは自動で行えるのでここまでは問題ないはず。問題はbmpと関連付けられているのが「Windows FAXと画像ビューア」で、センセはこれを使ったことがなかった。

そこで画像をまとめてPDFにする作業に着手した。いろいろとトラブったので、後日のためにまとめておく。

作業概略



  1. bmpファイルをGIMPを使って向きを修正し、汚れ(スキャナの読み取り面に毛髪が落ちているぞ!)を除き、適当にトリミングをしてからファイル名を分かりやすく変えて保存。

  2. 最初の画像を「プレビュー」を使って開き、「名前を変えて保存」でPDF形式にする。

  3. PDFファイルを「プレビュー」で開き、サイドバーを表示させ、そこへ残りの画像ファイルをドラッグ&ドロップする。

  4. PDFファイルを上書き保存して完了。

詳細補足


1)向きを修正する際はグリッドを表示させて、それに合わせる(きれいに90度傾いているとは限らない)。傾き修正後は「画像(I)」→「キャンバスをレイヤーに合わせる(I)」処理。なお、MacOSの標準画像表示ソフト「プレビュー」を使って回転させると表示できなくなる不具合が発生した。
汚れの除去は「消しゴム」または「上塗り」が普通だが、画像が大きい(今回はなんと3296×4576)場合は大変なので、範囲を指定して削除してから塗りつぶしツールで背景色にそろえる。
ファイル名はページ数にすると後の作業が楽。

2)画像ファイルを集めてからPDFに変更しようとすると苦労する。

3)当初は律儀にサイドバーからサイドバーへ移していたが、ファインダー上から直接移すことができた。

4)「プリント」→「PDFで保存」では2ページ目以降が真っ黒になる不具合が発生した。


3本処理するとだいぶスムースに行えるようになる。今度依頼が来たらキャプチャをとっておこう。

おわりに


EUC(EndUser Computing)の精神からは、センセ本人にやっていただくのが本来なのだが、Macをもってらっしゃらないし、御老体だし、ということで不肖の弟子が代行する次第。

やい、てめーら、スキャンしたら画像の向きぐらい直せ、そしてせめてJPGで送れ!>今の弟子共

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2012/10/11

電子学術論文誌の広告戦略

電子書籍(電子雑誌)の広告について、差し替えが可能なこと、閲覧数に応じて料金をかえられることを以前に指摘した(今度こそ来るか電子出版の時代(「電子書籍の衝撃」)」や「(電子)書籍がタダになる可能性」)。

現実は逆で、たとえば「原発事故から1年半で見えてきた放射能汚染の“正体”」を特集した週刊ダイヤモンド(9/15号)の電子版を購入したところ、広告がことごとく白ページになっており、表示エラーと誤認させるような素敵な作りになっている。

その後、東日本大震災に伴う原発事故の影響から門外漢も医学論文などを参照することが増えたのを見て、現在では次のように考えている。

・念頭においていたのはnatureのような学術論文雑誌(学会誌を含む)
・販売は1論文ずつで、それに広告を付随させる
・ダウンロード型でもウェブ閲覧型でも対応
・広告の内容は、利益相反にも注意しつつ
 ・使用した試薬や機器などの広告1)
 ・所属機関の広告
 ・著者本人の広告2)
 ・研究資金の提供を受けた財団などの広告
 ・関連する書籍(プロ向け/入門書)の広告
 ・翻訳サービス3)
 ・競合による「その論文よりこっちを読め」広告4)
・料金は基本掲載料+論文指定料+広告経由での注文歩合
・上記のように論文を指定した広告の他に、場所を指定しない一般広告もある
・IPアドレスによって「関西地方限定」のような地域限定広告も導入
・広告への読者のアクションは原則匿名保護されるが、同意のもとに読者属性を提供もできるようにする(その場合は値引販売が妥当であろう)
・発行後、一定期間経過後は更新(差し替え)自由となる
・キャンペーン終了などの場合は、期間内でも広告主による差し替えを受け入れる
・参照の多い論文は料金を上げ、参照の少ない論文は値下げする
・過去の広告はすべて保存される(フォレンジック)

  1. 競合メーカーが「うちのを使えばもっと効率良くできます」という広告を入れることも。誇大広告でなければ読者にとって有益な情報となる。
  2. 雑誌によっては「著者紹介」がないので、売り込みが必要なポスドクらは自前で用意する必要がある。
  3. オープンアクセスの普及で門外漢でも論文を手に取るのが容易にはなったが、英語では読むのに苦労する。専門家以外にも開かれた科学とは、このような実装によって保証される。
  4. 競争しあっている一方の論文しか読まないと見方が偏ってしまう。「〜に言及していながら*を引用していない論文には、この論文サマリーを表示」という依頼を受け付ける。citation index(CI)を上げたい著者やimpact factor(IF)を上げたい編集者が喜ぶだろう。むろん「相対論は間違っていた」「EM菌が世界を救う」のようなものは審査で排除する(EMにはpeer reviewの論文はないようだが)。

科学者だからといって、科学関係の広告にしか反応しないということはない。岩波の「科学」の表4には東芝EMIやタバスコの広告が載っていた。そこまで極端でなくとも、保育サービスであるとか家事代行サービスは十分に需要があるだろう。

また、広告とは別に、その論文の影響力(CI)や評価、その論文を引用している論文や総説の情報を付帯させることで、利用価値は大幅に高まる。あるいは「この論文を読んでいる人は〜も読んでいます」のようなレコメンド機能。もちろんその論文に引用されている論文・書籍(の本文または書誌情報)へのハイパーリンク、著者の現在の連絡先への連絡フォームなどは必須。

戦略というよりは戦術的な話になってしまった。

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2012/10/10

電子書籍は学会誌か広報から

電子書籍の普及を妨げる要因はいろいろあるだろうが、その中でも複製(防止技術)は大きい。

発行側は複製されたら堪らないと考えている。それはそうだろう。保護されていないデジタルデータは複製が容易だし、ネットワークに拡散されたら回収はほとんど不可能。心血注いで作成した電子書籍が複製されて闇流通したら、製作費を回収できない。

かといって、ガチガチの複製防止をかければ良いかというと、それもまた問題を抱えている。これは音楽ファイルなどで先行して発生した。携帯電話で購入したものをパソコンでは閲覧できないとか、機種を変更したら読めなくなるとかいった制限があれば、購入意欲は減退する。角を矯めて牛を殺すのと同じ。

また回し読みができない。発行側としては一人一冊購入して欲しいと思うだろうが、個人間の本の貸借が結果として読者を増やす効果は無視できない。出版界が古書店というものをどう評価しているのかよく分からないが、古書店がなければ読書はかなり貧しいものになっているのではないだろうか。もちろん、書籍を電子化することで、絶版・品切れなどというものは今後一掃します、出版社が倒産しても債権者が継続して提供します、というのなら話は別であるが。

つまり現状の電子書籍には、複製は制限したいけれど、制限し過ぎると売れ行きが悪くなるというジレンマがあるわけである。

広報・公報


その軛から自由な出版物がある。無償で配布されるものならば、複製を制限する必要がない。

無償で配布というと、まず広告宣伝が思いつく。広報も、内容の伝達が目的なので売り上げは二の次(第三種郵便を使う場合はあまねく発売されていることが条件なので値段を付ける必要があった。) 。これらは、改竄されたり内容が古くなったものが最新版のように広まったりさえしなければ良いので、たとえば電子署名を付ける程度の対策で済む。

企業の広報誌は経費節減で青息吐息であろうから、電子化は極めて有望なはずだが、さてどうなっているだろうか。もっとも少数でも「パソコンはもってない」「紙の方が良い」というステークホルダーがいると、「両方出すのは大変だから旧来通りで」となってしまうのかもしれない。

学術誌・学会誌


売り上げよりも読まれることが大事なものといえば、学術論文がある。投稿誌の場合、原稿料をもらうどころか掲載料を支払って載せている。さらに「その論文を読みたい」という要望が来たときのために、リプリント(別刷あるいは抜刷ともいう)を用意しておき、無償で渡すのが慣習(全費用は著者が負担する)。従来は投稿料だけで雑誌を維持しようとすると大変な金額になってしまうので、読者にも応分の負担をしてもらっていたが、電子化によって製作費が軽減されれば、無断複製によって売り上げが落ちても影響を受けなくなる可能性がある。ここまで書いて、オンラインジャーナルの著者リプリントってどうしているのだろうか?と疑問に思って調べてみると、印刷回数に制限のかかったPDFをネットにあげて、希望者に案内して印刷させるという方式があった。そんなことしたってすぐ自炊されると思うけど。このE-printは冊子版にも対応しているのかな? つまり現物を送るのでなく、「ここで印刷して」。)

学会誌のように、あらかじめ会費として〈売り上げ〉の目処が立っていれば、それより多くの人の目に触れることは、歓迎こそすれ、忌み嫌う必要はない。非会員でも読めてしまうと会費納入の動機が薄れると思うかもしれないが、1)投稿するためには少なくとも一人は会員でなくてはならない、2)研究会で発表を聞いたり討論をしたりするのも会員が有利(非会員の参加費は一般に高く設定←非会員を排除していない点に注意)、3)支払う余裕があれば人は正規の料金を払う(いじましい節約を重ねていると良心が咎めるし節約疲れも起きやすい)。つまり、多くの人に読まれ、雑誌や学会の評価が高まることの利益は少しくらいの〈立ち読み〉による損失を上回る。多く読まれている雑誌なら広告も集まる。


商業出版は、売れないことには話にならない。読まれなくても良いから売れた方が良いと思っているのでは、というのは邪推が過ぎるかもしれないが、こんな事件があると、内容なんてどうでもいいと思ってたでしょ、と言いたくなる。

聖書の謎


ところで不思議に思うのは聖書。ホテルの客室で見かけるように書籍版は無償で配布されているのに、電子版では販売されていること。ホテルによっては聖書の代わりに「仏陀の教え」のような書籍を客室に備えているけれど、これは電子版が見当たらない。各宗派の教えの中には電子化されたものもあるようだが、ざっと見たところみな有償。なんで無料公開しないのだろう? 

以上、3つは現状でも取次に依存していないという特徴がある。その点からも電子化へのハードルは一般書よりも低い。

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2011/12/24

私がほしいスキャナ

昨日、作家が自炊代行業者を提訴した件を取り上げたけれど、これについては多くの人が一言あるようだ。ただ、法律上の問題を語るのに条文すら見ていないような人もいるのは残念なこと。

その点、専門家はひと味違う。「「原則自由」な社会における自炊代行論争」は、なぜ著作権が保護されるのかにまで遡り、業者は著作権者の権利(創作にかかる投下資本を回収する機会)を損ねないから、この提訴が要求していることは過剰規制であると結論している。また読み取りデータの不法流通などに対しては、それ自体が著作権(公衆送信権など)侵害行為として取り締まれるのだから、自炊代行業を規制する理由にはならないとも。

一方、「自炊代行提訴についての雑感 --- 玉井克哉」は、自炊代行は私的使用のための複製には当たらず違法としたうえで、解禁に向けた法改正論に対しては「「自炊」と「自炊代行」とでは、社会的・経済的な影響がまったく違う」と譲らない。


実はこの二人の論者、しばしば意見を闘わせる仲のようですが、そこは専門家同士、少なくとも玉井先生はこんなツイートも。

自炊代行業の中には高邁な理想などなく、流行りの商売だからと手を出しただけのところや、新古本を手数料付き(!)で集めようと考える小賢しい業者もいて、ひょっとすると闇勢力が手を伸ばすかもと考えると、諸手を上げて「業者頑張れ」とは言いがたい。たしかに、いちいちスキャンなどせず、前のデータを使い回せば濡れ手に粟だ。そうすれば本も裁断しないで済むから、そのまま古書として販売可能。悪い奴が指をくわえてみているはずがない(振り込め詐欺などの進化を見ていると、その知恵を良い方向に使えよと言いたくなるほど、連中は利に敏く頭の回転が速い)。

過剰規制論の弁護士も、(脇が)甘いと全面擁護ではない。

これらの問題に関しては、業界が次のようなガイドラインを作り、安心して任せられる業者を推薦することで緩和できると思う。


  • 発行後一定期間を経過するまでは受け付けない

  • 依頼された本を必ずスキャンする(データ使い回しの禁止)

  • 処理した本は、裁断するしないにかかわらず透明インクなどで「スキャン済み」と押印するか、第三者の証明書付きで廃棄処分

  • データには依頼者の住所氏名、入力業者の連絡先を挿入(依頼者名は名入れサービスで「○○様蔵書」と目立つところに)

  • 処理記録の保存

  • データはディスク渡し(実在連絡先の把握)

特に「依頼した本をスキャンせず、前の依頼人のデータを使いまわし」をされると、書き込みも残したい人には大打撃となる。また版ごとの違いを研究する人にも迷惑至極。それは普通の読者には無関係と思われるかもしれないが、ずぼらな業者なら同じタイトルの別の本のデータを送ってくるくらいやりかねない。

前置きが長くなった。

住居を圧迫する書籍雑誌を電子化したいが断裁することには抵抗を感じる人はいる(本の形を保ったままの溶解処理なら平気なのかなぁ)。そういうツイートを見て思いついたのが、ヘッドマウント型のスキャナ。つまり本を読んでいくときに、一緒に読み取ってくれる機械。普通のカメラ撮影ではガラスで押さえないと歪んでしまい、画像はとても読みにくくなるが、それを解決する技術は開発が進んでいる。この研究のようにパラパラとめくったものを読みとれというのではないから、小型化も容易だろう。

読みながら気になった部分を指でなぞるなどして電子付箋をつけられれば、さらに便利。

読むそばから電子化されていくから、電子書籍で期待されている語句の説明や関連情報へのハイパーリンクも可能になる。Inbookメディアマーカーなどにも関連付けるのが容易になるだろう。こうなるとライフログ記録装置として完成するかもしれない。

未読のまま先に電子化した書籍は読まれない、なんてジンクスもこれで解決。

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2011/12/23

訴えられた〈自炊〉代行業者

書籍をスキャナで読み込んで電子書籍を〈自作〉することを〈自炊〉と呼ぶ。

  1. 書籍雑誌の置き場所が足りない
  2. しかし捨てられない(また読みたい/使うかもしれない)
  3. とっておいても探し出すのに苦労する

電子化によって、上記の悩みは解決する。原理的にはかなり前から構想されてきていたが、スキャナの性能向上とコンピュータのディスク容量増加によって容易になった。

一方、携帯情報端末での閲読が実用的になったことから、「好きな場所で好きなときに読みたい」「全部を持ち歩きたい」が現実的になってきた(音楽ではiPodによってすでに実現している)。蔵書すべてをいつでも持ち歩けるというのは極めて画期的。「無人島へ行くのに一冊だけ持っていくとしたら」という質問は意味をなさなくなる(最高の一冊を選ぶという行為には意味は残る)。

もっともプリミティブな方法は雑誌または書籍をスキャナで読み込み、画像またはPDFファイルで保存・閲覧する。

しかし書籍のコピーをとったことがあれば分かるように、きれいにスキャンするのは意外に難しい。特にのど(本を閉じている側)に影や歪みが生じやすい。また数百ページを読み込むのに、機械のそばで開いてスキャンしてページをめくってを繰り返すのは重労働。

そこで書籍を解体してページをバラバラにし、ドキュメントフィーダ(原稿送り装置)を使って読み込む方法が開発された。そうすると必要な道具は、断裁機とスキャナ。Amazonの2011年売れ行き年間ランキングを見ると、文房具・オフィス用品のトップはなんと断裁機である。

しかし数が中途半端な場合、断裁機を買うほどでもないが、かといってカッターで切り裂くのも面倒というジレンマに陥る。また書籍にはセンチメンタルバリアがあって、初めの一刀を加えるのは敷居が高い。

スキャナも、大量高速処理機を購入すれば、自炊終了後は持て余してしまう。

そんな需要を見込んで登場したのが代行業。本を送りつけるとデータ化してディスクに入れて送り返してくれる(断裁した本の扱いは業者によって異なり、返却するところと返却せずに処分するところがある模様)。1冊100円程度なので、百冊の単位(個人蔵書としては並)であれば数万円で電子化できる。最大のメリットは書棚の整理効果。特に「どこにあるのかわからない」状態に陥っていた場合は顕著。


この自炊代行業者の登場は、最初は話題になったが、いつの間にか雨後のタケノコ、報道によればすでに約100社あるという。

その代行業者が作家から訴えられた。「私の本をスキャンするな」と。

法律の条文を見る限りでは作家側に理がある。書籍の多くは著作物である。著作物を複製するには原則として著作権者の許可がいる。著作権法ではいくつか例外を設けており、自炊行為そのものは私的使用のための複製(第三十条)として認められるものの、これは「その使用する者が複製することができる」という限定があるので、業者による複製行為(スキャン)は該当しない。


なお、以前考察したように、企業など法人においては私的使用のための複製は認められない。しかし「だから違法です」で終わらせるのは頭が悪すぎる。需要はあるのだから、法律を改正してでも、著作権者の権利を擁護しつつ合法化の道を探るべき。例に挙げた新聞の切り抜きは、別途料金を払うことで合法的に社内回覧が可能になる(たとえば朝日新聞の「企業・団体・官公庁などでの新聞記事の内部利用について」参照)。

電子化するために原本が断裁されているから複製ではないという意見もあるが、問題となっているのは中身であって本という物体ではないから無理がある。仮に読み込んだ本を破棄すれば、複製ではなくて移動という主張もなされるかもしれないが、おそらく法的には通用しない。なにしろ「コンピュータに表示させたら、その時点でメモリの中に複製されている」なんて議論がある世界なのだから。

だが疑問もある。

まず問題になるであろうと思わえるのが訴えの利益。前述したように、個人が自分で自分が買った本を解体して電子化することは法的に問題ない。書籍は正当に購入されており、著者には応分の利益が保証されている。たまたまスキャンするのが読む本人ではなく業者ということで、いったいどういう不利益が作家側に生じるだろうか。

代理人もそこは考えたようで、訴えは差し止めに絞ってある。賠償を求めるためには損害を証明しなければならないからだ。

しかし、である。本人には認められている行為を、業者が代行することでどんな不利益が生じるであろうか。これは「みんなやってる」という子供の言い訳とは話が違う。著作権法が私的複製に、家庭内かそれに準じる範囲とか本人が複製するとか公衆用の自動複製機器は使えないとか制限を設けているのは、借りてきて手軽に複製する行為が蔓延したら売上にも影響すると考えたからだろう。繰り返すが、自炊の対象はすでに購入されている。逆立ちしても売上に影響をおよぼすことはない。

売上への影響を懸念するなら、ブックオフなどの古書店の方がよほど影響がある。しかしそんなことを言い出したら、個人蔵書の学校への寄贈とかまで問題になってしまうではないか。それは文化の発展に寄与することを目的とする著作権法(の精神)に反する議論だと言いたい。


ある古本屋が最寄り駅に出した広告は「活かせ古本! 広がる文化!!」だった。子供には「かせ」が読めなくてねぇ。

2番目の疑問は、実は自炊そのものが嫌いなんでしょ?という点。法律的に自炊そのものを問題にできないので、形式的な違反を突いてきた。そういう、浅ましいというか心卑しいというか、なんとも言えない不快感を覚える。


ついでにいえば、私的利用のための複製は「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器」を使ってはいけないのだ。つまりコンビニのコピー機で本や雑誌をコピーする行為は本来保護されない。ただし現在は著作権法附則第五条の二により経過措置が設けられている。法律というのは実状に合わせる必要もあるのだ。コンピュータに取り込んで利用するという発想のなかった時代の規定なのだから、現代的に「自己の所有物は自由」とか「原本を破棄する場合は自由」と条文を改めても良いと思う。なお、昔買ったCDをリッピングしてからリサイクルショップに売るのは自由(仮に問題があったとしても取り締まりは困難)という点も忘れないでほしい。

会見を報じた記事では自炊行為そのものへの嫌悪感も表明されている。

会見場に置かれた裁断済み書籍について、林さんは裁断された書籍について「本という物の尊厳がこんなに傷つけられることはとんでもないことだ」、武論尊さんは「作家から見ると裁断本を見るのは本当につらい。もっと本を愛してください」と話した。

「林さん」というのは林真理子。「ところがこういう業者がハイエナのようにやってきて不法なことをやっている」と感情的。こういう喧嘩腰の物言いは「(再販制度のために年間1億冊が裁断されていることに目をつむった)あさましいポジショントーク」という反応を呼び起こす。

また電子化したファイルがネット上で流通するおそれも指摘し、「依頼者が電子ファイルをどのように使うのか、業者はそれを確認する措置をとっていない」ことも問題視している。

これも代行業者とは無関係。個人が断裁機とスキャナを用意して、ブックオフから二束三文で書い集めて電子化して公開する方がダメージは大きいと思うが、それは代行業を提訴しても防げない。分かってるのだろうか。

断裁された書籍がオークションで売られているなど、作家側がカリカリするのにも理由はある。100円程度でそれらを購入し、家庭用スキャナで読み取ってから再度オークションに掛けられでもしたら新刊の実売に影響が出るかも、と考えるのは分かる。

しかし、いかにも取って付けた理由という感じがする。規制を要求するならオークション事業者が相手ではないだろうか。

それに、電子化して手元に置きたいと思うのは、あえていえば愛読者だ。一読したら(あるいは読みかけで)電子化もせず、したがって断裁もしないが、そのままブックオフへ売ってくれる方がありがたいのだろうか?(電子書籍化によっていわゆる絶版がなくなれば、古書店は歴史的使命を終えたと言えるだろう)

自炊というのはやってみると分かるが、手間はかかるし、出来栄えはいまいち(斜めになる/ゴミが写る/モアレが出る)だし、あくまで正規の電子版が出るまでのつなぎという感じ。それなのに、自炊の技術ばかりが進化していくというのはいびつというほかない。つまりなんで正規の電子版は手に入らないのか。

法律の条文だけ見れば原告に理はあるが、とても不幸な形式主義の発露に見えてならない。

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2011/08/02

「僕と日本が震えた日」(第2話)のオチに苦笑

先日開かれたガイガーカウンターミーティングを紹介したおかざき真里さんの漫画「お母さんのためのGCM講座体験談」の中に「内容は鈴木みそ先生の漫画で」というセリフがある。それがルポ漫画「放射線の正しい測り方」。おかざきさんやいまいみほさんの作品が「こういう会に行ってきました」(これはこれで大切)なのに対して、放射線測定の方法について詳しく解説している。ちなみに3つの漫画に描かれる野尻美保子さんは同一人物とは思えないほど異なっているが、ご本人の談によれば鈴木画が一番似ているとか。(私はいまい画の方が感じが出ていると思う。おかざき画は...)

さて、その鈴木みそさんは東日本大震災を題材に「僕と日本が震えた日」という漫画を描かれ、第2話までがWebコミックとして公開されている。

その第2話は出版業界の受けた震災の影響。紙が足りなくなった(石巻にあった製紙工場が被災した)とは聞いていたが、インクの不足も深刻だったらしい(元編集者としてぞっとしたのは、電力使用制限令の影響で、印刷機の運転がシビアになり「1ページでも遅れたら雑誌ごとまとめて後回し」という状況になっていることで、締切りが48時間も早くなるには、思わず出版界に戻っていないことを感謝してしまったり)。また委託していた商品が流されたり水をかぶったりで売り物にならなくなってしまったのも深刻な事態(ここで委託販売制度の解説が入り、佐々木俊尚が『電子書籍の衝撃』などで「本のニセ金化」と呼んだ自転車操業も描かれている)。

それが全部流されてしまった! これを「神様の万引き」と絶妙な比喩で表現。それに対して電子出版が希望の種という展開が用意される。たしかに電子出版なら、どこかにデータが残っていればアッという間に〈増刷〉できる。端末1台で無制限に書籍を読むこともできる。紙に縛られていた出版が、紙が流れたことを奇貨として電子出版に...と調子よく話が進むわけではない。続きは是非comicリュウのサイトで読んでほしい(紙版も出るようなので購入してもらえるとなお良い)。最後のページは(笑いすぎて)涙なくしては見てられない。

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2011/06/13

錯覚美術館

先日のNIIオープンハウスで聞いた杉原厚吉教授講演「不可能立体と不可能モーション-錯覚から見えてくる「見る」ことの偉大さと危うさ-」で紹介された錯覚美術館へ、土曜日に外神田で開かれたガイガーカウンターミーティングに参加する前の時間を使って行ってきた。

外階段踊り場に出されている美術館の看板 on Twitpic

美術館と言ってもJST,CREST 「数学」領域、「計算錯覚学の構築」の成果を公表する明治大学の施設。運営費も研究費から出るため潤沢とは言えず、週に1日、土曜日だけの公開になっている。この5月にオープンしたばかりなので、googleストリートビューで建物を見ても気配すらない。

事前に杉原教授による見どころをチェックしていなかったため入り口ドアに仕掛けられたロゴなどは見落とした。

雨の日にもかかわらず、結構な入館者がいて、熱心に見ていた。断り書きは見当たらなかったけれど、確か撮影自由・触っても可というおおらかな方針(だったはず)。幸運にも杉原教授に解説をしていただいた。錯視を計算するというのが斬新。

たとえばツイッターで時折見かける、文字列による錯視。上の2行は右下がり、下の2行は右上がりに見える。もちろん実際には平行。

斜めに見える文字列

素人考えでは、〈十〉の横線は〈一〉の横線よりやや高く、また〈同〉の最上位横線は〈窓〉や〈会〉のそれよりもやや高いので、これらが右下がりの印象をもたらす。ところが錯視成分を計算により抽出し、元画像から消去すると同じ文字列にもかかわらず、今度は平行に見える。実に不思議。是非とも現物をご覧いただきたい(Zone F の文字列傾斜錯視)。

この錯視はデザイナー泣かせだそうだが、逆手にとって視覚効果に利用することもできるだろう。フォントを変えると効果がなくなることもあるらしい。

ハイブリッド画像(Zone C)も不思議だった。二つの画像を重ねあわせると別の画像になったり文字が浮き出てきたり。

女性の顔
猿の顔

2つを重ねる(途中)
文字が現れる:This is a secret message

いろいろな専門分野にかかわってくるけれども、そんなことは抜きにしても眼は案外アテにならないを実感するだけでも楽しめる。お薦めスポットの一つ。

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NIIオープンハウス2011

国立情報学研究所の一般公開NIIオープンハウスへ2日に行ってきた。

国立情報学研究所の入り口。オープンハウスと書かれた横断幕。

お目当ては基調講演の「不可能立体と不可能モーション-錯覚から見えてくる「見る」ことの偉大さと危うさ-」と「ネット時代の世論形成」そして行き掛けの駄賃で市民講座「医療を支えるセンサーネット-健康を見守る最前線のセンサー技術とは?」

「不可能...」は錯視を利用してありえないような立体を作ること。そこに動きを加えることでありえなさを際立たせるのが立体モーション。

百聞は一見にしかずで代表作(第6回ベスト錯覚コンテスト優勝作)「何でも吸引四方向滑り台」(反重力滑り台)を見てほしい。種明かしをされてもなおありえない光景が眼前に展開される。

(このコンテストは、予選こそピアレビューによるが本選は観客の投票によるお祭りで、杉原厚吉教授は客受けを考えてコスプレでプレゼンするなど大いに楽しまれたそうだ。そんな受賞だがNature電子版に掲載されたために研究予算を取りやすかった、とやや誇張気味に語られた。ちなみに連続優勝を狙った第7回はあっさり予選落ち。)

これは図形をコンピュータに理解させる研究の副産物だという。理解度を試すためにいろいろな図形を見せる中に不可能立体の投影図を入れておいたところ、〈そのような立体は存在しない〉という結果が出ると思ったらあっさり受容する。調べてみると、人間は思い込みで投影からありえない立体を想像してしまうが、冷静なコンピュータは数学的条件を満たす立体を構築できていた。

過去にも奥行き不連続のトリックや曲面のトリックを使い、ペンローズの三角形のような不可能立体の3次元化は行われてはいた。反重力滑り台はそれらとは異なる原理で実現している。そして計算によって同じような不可能立体を作り出すことができる。

それらを実際に製作し、明治大学錯覚美術館としてこの5月から展示している。ただし土曜のみの開館。展示を見る際の注意は、片目で見ること! この制約はスケールを大きくすることで解消できるので、将来は不可能立体建築を実現したいと。

何でも吸引四方向滑り台は柱の長さを誤認させることで成立しているが、柱のないものも作れる。それを発展させたのが落ちないかまぼこ屋根

反重力滑り台のような不可能立体は、モーション(動画)なしにそのありえなさを理解するのは難しい。本筋からは離れるが、ビデオを簡単にネット(やローカルコンピュータ)で閲覧できるようになったことも影響しているのではないだろうか。

次が「ネット時代の世論形成」。小林哲郎助教は東日本大震災を切り口に、ネット上で社会的リアリティ(何を正しいと感じるか)がどのように形成されるかを分析。東電原発事故ではリアリティが共有されなかったと結論づける。その原因としては、ネットユーザーが〈こだまを聞くようなメディア環境〉にあったことを指摘する。

この〈自分の聞きたい情報だけを収集する〉傾向は、検索時代における〈タコツボ化〉として以前から指摘があり、それに対して佐々木俊尚は「それはあり得ない」とキュレーション論を展開しているが、正直納得しているわけではない(『キュレーションの時代』を読まないとならんな)。

ツイッターではフォローする相手によって自分の閲覧するタイムラインが決まるため、自分と似たような人ばかりフォローしていると、そのタイムラインはまさに〈こだまを聞く〉ようになってしまう。ポジティブフィードバックだ。しかし私自身がそうしているように、異なる見解の持ち主をフォローしている人も多いのではないだろうか。(半分は「わー、こんなバカ言ってるよ」と嘲笑し「それにひきかえ私は」と悦に入るためだが)

アメリカの有権者は、このこだまを好んで聞く傾向がより強いという(そういう環境にある)。社会がニッチなイシューで小さくまとまり分断化されると、全体としての意思決定が難しくなる。

とはいえ人はシングルイシューで生きるわけではない。ツイッターでもフォローの基準は、趣味・仕事・地域...と様々だ。そこにタコツボ化を防ぐブリッジの可能性がある...のだろう。

最後の市民講座までは時間があるので発表を見てまわる。「裸眼立体視ディスプレイの研究動向」ではいくつか方法があるということは分かった。気になるのは、元になるデータの作成方法(撮影方法)は共通なのだろうかということ。「言葉が表す「意味」とは何か?」はコンピュータに言葉を理解させる研究(だと思う)。「興味深い研究ですね」が意味するのは純粋な賞賛の場合もあるし、「難しくてワカリマセン」の場合もある。人間でさえ時には間違うのだから難しいだろう。論文のような素直なものなら、同じキーワードを使っていなくても近い研究を見つけ出すなどは比較的容易かもしれない。「協力的な社会を作り出す評判情報とは?」は実にキョウミブカイケンキュウデス。2つの意味において。(^^; またガイドブックには載っていないが、本の連想検索や自炊電子書籍のテキストと外部情報の自動関連付けなど興味深い研究もあった。

それにしても情報研の研究テーマは実に多彩。くらくらすること請け合い。

19時からの「医療を支えるセンサーネット」は、オープンハウスとは独立の市民講座の一環。

演壇前に陣取る文字通訳チームと大型スクリーン

なんと聴覚障害者のために「文字通訳」が用意されている。要約筆記ではなく、ほぼ話した通りのまま文字で表示される。

講師はうっかり医師だと思っていたら、そうではなかった(講師紹介をちゃんと読め)。どうりで喫煙を擁護するわけだ。さすがにそうは言ってもタバコは身体に悪いと認めていたが、肺がんの原因はタバコではない、大半は誤嚥だというのは本当だろうか。帰ってからググッてみたが、そんな話はとんと引っかからない。情報学研究所としてどう考えているのか、とねじ込もうかしら。

閑話休題。iPodやiPhone(あとアンドロイド携帯も)は〈いつも身につけているセンサー〉として機能する。これで血糖値や体重まで計測できたらさらに用途は広がるだろう(でもどうやって?)。

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2011/03/07

書籍の自動販売機

久しぶりに某私鉄のT駅に降り立ったところ、珍しいものを見かけた。書籍の自動販売機と言ったら、前面がハーフミラーで、夜にならないと中身が分からないもの、と思っていたが、これは昼間から堂々と売れるもの(ちなみに撮影は17:40ころだが、見ての通り十分に明るい)。

15種類の文庫本を展示するホームの自動販売機。小説、レシピ、雑学など。


もっとも調べてみると、すでに2007年から始まっていたものらしい。そういえば機械も新品という感じではなかった。

首都圏の駅のキオスクに文庫本の自動販売機が登場した。意外な組み合わせが、意外な人気を呼んでいるようだ。

「活字をめぐる風景としてとても新鮮。マニアックな品ぞろえにも興奮して、思わず写真まで撮ってしまいました」。作家の亀和田武さんは、実際にホームで見た時の驚きをこう語る。

文庫本自販機が池袋、恵比寿、田端、中野、西日暮里のJR5駅に登場したのは今春から。お金を投入して商品番号を押すと、本がドスン、と落ちてくる。

1台の機械に16点が並ぶ。たとえば京極夏彦『魍魎(もうりょう)の匣(はこ)』、安野モヨコ『美人画報』、水木しげる『総員玉砕せよ!』……。亀和田さんが言うように、確かに傾向がつかめないラインアップだ。

(asahi.com ひと・流行・話題 2007年12月19日)

面白いのは講談社のコメント。今まで思い込みで商機を逃していたんですね。


「文庫本ならではの新しいシステムなのかもしれない」と吉田部長は言う。「表紙だけで買うだろうか、本が落ちてくることに抵抗があるのでは、という心配は出版社の思いこみだったようです。クレームもない。言う相手がいないのかもしれませんが」

ドスンと落ちることに抵抗があるなら電子書籍は如何? コインを入れて携帯電話を近づけたら電子書籍が2秒でダウンロード、という機械なら本の補充も遠隔操作可能。電子マネーを使えば集金や防犯さえ省力化できる。

〈お任せダウンロード〉なら客が機械の前であれこれ迷う必要もない(購入履歴と照合して二度買い防止)。新聞なら月極1000円あるいは21回分1000円とか。

売り上げは上がるだろうけど、労働市場を浸食するかもしれない、というのが悩みの種。

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2011/02/15

(電子)書籍がタダになる可能性

先に、電子書籍になって書籍が安くなると言っても、せいぜい半分だろうというエントリーを書いた。本体価格1000円の本を例に、まず印税が100円(10%)かかり、仮に制作作業をすべて作家本人がやったとしても(この場合、作家の取り分は実質減少する)、さらに配信や決済の費用が必要だから当面は半額という推定。すると「1/10になる」と主張していた方からメールが来た。私信なので無断公表ははばかられるが、ご都合主義的にねじ曲げたと思われないために、あえて原文を示すと次のとおり。

作家の村上龍が起業した電子書籍会社では、著者の取り分は40%だそうです。取り分の四割が100円だとすると、電子書籍の定価は250円ということになります。

1000円の本を例に出した議論へのコメントだから、紙版なら1000円と考えてよいだろう。現行の印税10%とも平仄が合う。250円は、小学生でも分かるように1000円の1/4。事実上1/10説の撤回か。「いや、それでも細川の言う半分よりは安くなる」と言いたいのかも知れないが、先に1/10を唱えたのはそちら。数値を出したらそこが標的になるって、30mの大浪事件で痛い目にあったはずなのに、もうお忘れか。この先、それで痛い目に会うことはないだろうが、閻魔様の前で「私が犯した罪は三つです」なんて言い切って「本当か」と閻魔様が浄玻璃鏡を持ち出したら舌抜かれますよ。

ちなみに村上龍が相手にするのは、そこそこ売れる作家だろう。部数が出れば単価を抑えてもペイできる。前回も指摘したように最終的に問題になるのは金額であって%ではない。利益率100%でも年商100万円では会社は立ち行かない。

また「結論」と「補足」で分析したように、本によっては相当安くなることも考えられる。

ただ、そのときは触れなかった価格決定要因が2つある。一つは広告(書籍の民放化)。もうひとつはフリーミアム方式。

現状でも雑誌の価格は広告費によってかなり安くなっている。なかにはフリーペーパー(フリーマガジン)なんてものもある。書籍には自社広告以外載せられないという慣行(?)が電子書籍に持ち込まれなければ、製作費をカバーするくらい可能になるかもしれない。実際、ある技術書で「広告ではない、参考資料である」という理屈でメーカーから製品情報を寄せていただいたことがある。

電子書籍に載せた広告は、購入行動に移るまでの障壁が低いので、紙に載せるより強気に価格設定可能。しかも電子書籍端末がオンラインであれば随時差し替えることまでできる。また効果測定ができるので、基本料金+実績、つまり電子書籍一冊一冊がアフィリエイトサイトになることも考えられる。これは決済情報とひもづけるとプライバシー侵害になりかねないが、逆に一部の消費行動のプライバシーを買い取る(値引販売)ことで、書籍購入者ごとに異なる広告を載せて広告商品の購入率向上を図ることができるようになるかもしれない。版元ではなく書店(取次)が広告を管理するわけだ。(書店のレジで本と一緒に広告を袋に入れるのと同じ) 版元には広告費としては入らなくても、卸値を上げる形で還元可能(本の中に広告を入れるには版元の協力が必要)。

フリーミアムにはいろいろな形態がありえる。第一章だけあるいはダイジェスト版や機能制限版を無料または安価で頒布し、全部を読むには正規料金を取る方法。本体は無料で質問権を有償にする方法(参考書など)。ダウンロード後一定期間で読めなくなり、再度読むにはキー購入が必要になる方法。フリーミアムとはちょっと違うが、読んで価値があると思った方からお代をいただく投げ銭方式もある。宗教書は無料で配って献金を受け付ければ、非課税収益になる、なんて邪なことを考えてはいけません。(理由は忘れたけれど、値段をつけないと流通上?不利益があり、1円とか10円とかの値付けをするものがあったけれど、あれはなんだったか。)

画像データをPDFにして印刷不可にしたものはもっとも簡単な機能制限版。

これらを導入すれば普通に印税を払って、特に手抜きをしない電子書籍も非常に安く、ひょっとすると無料で頒布されるようになるかもしれない。

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2011/02/08

「オープンアクセス、サイバースカラシップ下での学術コミュニケーションの総合的研究」の報告を聞く

先日のMEBIOS オープンセミナー「Inside Nature」で案内をもらった「オープンアクセス、サイバースカラシップ下での学術コミュニケーションの総合的研究」研究成果報告会に行ってみた。

以下は個人的な関心に基づくメモ。延々4時間に及ぶ大発表会なので内容紹介はほんの一部です。

最初に海外学術雑誌に発表した日本人は誰なのか


上田修一 (慶應義塾大学文学部)

質問の一番手が「面白い研究だが、どういう意義が?」と厳しい追及。それに対して、西洋の科学を日本が受容する過程が明らかになると。なるほど。また冒頭では外国誌に投稿することに批判があることへの疑問を表明されていた。

日本における電子ジャーナルの発行状況


時実象一 (愛知大学文学部)

1958年にオンライン雑誌?
発表要綱とは別にパワーポイントのスライドが配布された。「オンラインのみの新規雑誌数」というグラフで、1958年にすでに一誌あることになっているが、ARPANETさえ存在しない時代にどんな「オンライン雑誌」があったのだろう。

また「電子化」の定義を聞き漏らしてしまった。ネット経由で見られれば画像データでも電子ジャーナルと言えると思うが、データベースとして考えると全文検索の対象とならないのは心許ない。実際CiNiiでも画像形式のPDFをよく目にする。

MEDLINE収録の日本の医学系雑誌の電子化状況とインパクトの変化


林和弘 (日本化学会、科学技術政策研究所)

癌学会や生化学会の論文誌がMEDLINEではEnglandの雑誌となっているのは興味深い。生化学会は会員に国内誌(JB)への投稿を呼びかけていたと思うが、あにはからんや。
なお、「プラットフォーム」という用語があったが、これがよく分からない。おそらく検索と一体となった提供システムなのだろうが、ファイル形式は何を採用しているのだろう。何が心配と言って、何年か経ってコンピュータシステムがガラっと変わったら読めなくなるというのが一番困る(電子書籍でも遠からず問題になるだろう)。PDFやHTMLならそうそう「絶滅」することはないと思うが。

オープンアクセスの進展と電子ジャーナルの利用統計


加藤信哉 (東北大学附属図書館)

学術書・学術雑誌がネット経由で閲覧可能になれば、図書館が蔵書することは意味をなさなくなる。極端なことをいえば、国立国会図書館一つがあれば足りる(外国図書・外国雑誌はアメリカ議会図書館任せ?)。もちろんそれはだいぶ先の話ではあるが、個々の図書館が個別に蔵書の充実を図る必要は低下するであろう。

ただし、検索というのは適切な検索語を思いつかない場合にはまったく役に立たない。だからおそらく司書の役割は検索支援や検索代行になるのではないだろうか。いまでも図書館にはレファレンスサービスというものがある。

ところで「タイトルレベルでの利用統計ではなく、論文レベルの利用統計が求められている」の意味が分からなかった。このタイトルというのは雑誌名のことか?

大学図書館の提供雑誌が研究者の引用行動へ及ぼす影響


横井慶子 (慶應義塾大学大学院)

非常にそそられるタイトルであったが、結論は「変化は確認できたが、その変化に影響を及ぼす要因が大学図書館の提供雑誌であるかという点までは明らかにはできなかった」と肩透かし。

この発表を聞きながら、文学研究への揶揄−−文学研究とは百年前の今では忘れ去られた作家に対して、同時代のやはり忘れ去られた作家が与えた影響を調べること−−を想起したけれど、そうバカにしたものではないかもしれない。影響の具体的内容にあまり意味はないにしても、何を媒介にしたとかどのように受容したかとかの解明は、現在でも価値を見いだせる。

遺伝の3法則がメンデルの死後16年(発表から35年)にして再発見されたようなことがもっと頻繁に起きるかもしれない。文献調査はますます重要に。それから前々から言われていることだが、ネガティブデータの共有も重要に(前にやった人が失敗したからと言って、端から諦める必要はないが、同じ失敗を繰り返すのは賢くない)。

生物医学分野においてオープンアクセスはどこまで進んだのか:2005年、2007年、2009年のデータの比較から


森岡倫子 (国立音楽大学附属図書館)

音大の図書館員がなぜ生物医学分野を対象に? という疑問は別の人が質問していた。国立(くにたち)音大を国立(こくりつ)と勘違いされたのはご愛嬌。ちなみに国立とは国分寺と立川の間にできたからという安易な命名(一橋大の学生をそれでからかったら悔しそうな顔をしていたものだ)。それはともかく、理由の一つに、職を得ないことには研究を続けられないという深刻な事情がうかがわれた(これは聞き違いかもしれないが)。もう一つは、生物医学分野はオープンアクセスが進んでいて研究しやすいという事情もあるらしい。ここで手法を確立できれば他分野でも分析可能、と。

医学分野の学術文献検索サービスPubMedから抽出した論文を対象に、1.制約なしの全文公開(Open Access)、2.登録など制限付き、3.有料全文(購読電子ジャーナル)、0.電子的全文を発見できないの4つに分類して、その割合の変化を見た研究。2005年には27%だったOAが2009年には50%に達していたという。その増加は主に「発見できない」と「有料全文」の減少(それぞれ19.8→5.0、53.2→44.0)によっている。

ただ、思うにこの調査方法では、いつOAになったのかは分からないのではないだろうか。つまり最新号は購読者限定(有償)で、次号が出たら無償公開という形態は把握できない。そこを無視して、時代の趨勢はオープンアクセス、有償購読は古いなどと主張されると、特に商業出版社は困るだろう。いや、工夫すれば商業出版社でも無償公開は可能だけど(著者から掲載料を徴収するなど)。ちなみに、この「古くなったら無償公開」は有料メールマガジンで実施しているところがある。

オープンアクセス実現手段の新機軸:すべてはPubMedのもとに


三根慎二 (三重大学人文学部)

無償公開(オープンアクセス)されている学術論文の所在情報を提供する無料論文提供サイトの紹介。取り上げられていたのはFind ArticlesThe Free LibraryHighBeam ResearchnovoseekPubgetMedscape

操作性の統一や関連文献の提示が期待できるだろう。また「この論文に興味を持った人は以下の論文も」というレコメンデーションも、洗練されたものがあるならば今までの文献調査とは違った展開を期待できる。

面白いのは自身でのアーカイブはHTMLが多いこと、またほとんど(?)の例で図表がカットされていること。

オープンアクセス化の進む医学論文が一般市民に読まれる可能性はあるのか


酒井由紀子 (慶應義塾大学信濃町メディアセンター)

これも興味深い発表。インフォームドコンセントの導入やEBM(根拠に基づいた医療)の普及などにより、患者やその家族が医学情報を求めるようになってきた。今のところ「医者・病院の評判」以外は医師に直接尋ねることが多いが、インターネットで情報を探す人も増えてきた。調査結果で意外だったのは、「有償の英語論文でも読みたい」という人も含め56.1%が医学論文を読みたいと思っていること。もっとも実際に読むかどうかは別の話だろうが。

いわゆる医学論文(原著論文)は、切り離したテーマについての研究だから、それだけ読んでも患者が求めるようなことは書いてないことが多いと思う。たとえばある薬をマウスに与えたら、ある検査値がこれだけ変わったという論文があったとする。その薬はヒトでも同じ効果があるのか?副作用はないのか?そもそもその検査値が下がれば病気は治るのか?(血糖値が下がっても糖尿病網膜症は治らない等) 患者が知りたい情報は医学論文よりは医学総説にあると思う。

仮に原著論文に知りたい情報があった場合でも、それを見つけるのは素人には難しすぎる。また反論が出されて事実上意味のない論文になっていてもそれが分からない(もっとも取り下げられていれば分かるのは紙ベースの文献調査にはないオンラインサーチの利点)。さらに間違った論文に必ず反論が出ているとは限らない。だから後追いのない古い論文を信じるのは考えもの。オンラインジャーナルなどでは最新のCI(どれだけ引用されたか)を提供してくれるのだろうか。できれば自家引用を除いた数値がほしいもの。

しかし、非専門家にもこれだけ知りたい需要があるのなら、レファレスサービスや翻訳・解題サービスは商業的にも成立するのではないだろうか。聞きながらそんなことを考えた。

医学・医療情報源としての「一般雑誌」:10年の変化とその位置づけ


國本千裕 (駿河台大学メディア情報学部非常勤講師)

情報源としての地位は低下しているものの、質の高い医学・医療情報が雑誌にはあるという。しかしそれを見つけ出すのは難しい。

学術雑誌のIFやCIに相当するような、雑誌や掲載記事の質を評価する指標があれば、と思った。

医学ジャーナリストと言っても、医師資格を持った人から、単に自称しているだけの人までいる。もちろん医学教育を受けていなくても良質の医療ジャーナリストになることは可能なので、筆者の経歴だけで記事の良否を判定することはできない。たとえば単行本への収録率とか、その本の売れ行きは評価の指標にならないだろうか。しかし『脳内革命』も一時的とはいえよく売れたからなぁ。

情報源としての雑誌の地位低下を考えれば、ウェブサイトの情報源としての評価はより重要だ。病名で検索すれば怪しげな代替療法が上位にヒットする事もあるだろう。ホメオパシーのように、それにすがって標準医療を拒否したために、悪化させてしまうことも十分にあり得る。そのような悲劇を避けるために、「この雑誌/記事/サイト/エントリーの信用度はこれくらいです」が大まかにでも分かるようにできないだろうか。別にウソつき認定をする必要はない。いいものにだけマークを提供すれば良いのだ。

"e-science"とは何か


松林麻実子 (筑波大学大学院図書館情報メディア研究科)

DNAらせん構造に関するデータアーカイブというのは謎だが、医学生物学系ではだいぶ前からデータバンクが整備され、CSPすなわちクローニング(Cloning)して配列を決めて(Sequencing)論文にする(Publishing)は二流の仕事扱いだった。もちろん制限酵素が自家製で、ゲルのラダーを目視していた時代には花形だったけれど。

そういえば20世紀のことになるが、DDBJの人が、データベースではありません、データバンクですと強調していたものだ。データをただ保管するのではなく、活用しますという自負。

そういう世界に馴染んでいたので、天文学分野でデータの共有が進んでいないというのは驚き。SETI@Homeのイメージがあったからなおさら。原因の一つが機器(メーカー?)によってデータの形状が違うため、というのは納得。配列データはなんのかんの言っても所詮は一次元、最後はテキストデータに還元できる。そういえば生物学系でもイメージングデータの互換性が問題になったことがあったような...

もう一つの障害要因としてデータの提供を渋る天文台があるという。レジュメでは「無償提供することに難色を示す」とあったが、有償ならば問題はないのだろうか。論文抜き刷りを請求したら代金を請求されるような印象をうける。そもそもデータの代金の内訳はなんだろうか。もしデータ取得にかかった経費を負担してもらったら、もうデータの所有権を主張することはできなくならないだろうか。これ次の「データはだれのものか」につながる問題。

日本の研究者にとって「情報共有」が意味すること:e-Scienceに向けての予備的調査結果


倉田敬子 (慶應義塾大学文学部)

まさに「データはだれのものか」。研究代表者による、e-Scienceあるいはcyberinfrastructureの実態を明らかにするための研究者の意識調査。

データを「出し惜しむ」理由として、すぐ思いつく「競争相手に知られたくない」の他に知財絡みでの権利防衛術としての原則非公開もあるらしい。また共同研究の場合は全体の合意が必要で、この場合は一番厳しい基準に揃えざるを得まい。

それ以前の問題として、標準的なデータ形式にして入力する費用の問題もあげられている。

論文誌が投稿受理の条件としてデータの公開を求めることにも、面白くないという感情を抱くらしい。つまり「データは自分のもの」意識。この裏返しで、人のデータは信用できないという意識もあるらしい。必ず追試をする、と。研究によっては、たとえば試料が希少な場合、すごい無駄が生じるような。

公的な研究費を使って得たデータは公のものと決められないだろうか。期限を設けて原則公開とすれば、優先権を保護しつつ死蔵も避けられる。費用は研究費に組み込みで。

ところで第2表にあったIT技術ってなんだろう。普通TはTechnologyなんだけど。IC技術(Information and Communication Technology)なら分からないでもない。

ビックサイエンスも謎。スラングで「中身を伴った大きさ」という意味があるらしいけど。あと雄性性器もビックというらしい...

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2010/12/22

電子書籍になっても本の価格は現状の1/10にはならないだろう

電子書籍が普及すれば、本の価格は現状の1/10になると主張する人がいた。

果たしてそうだろうか?

本の価格の内訳はおよそ次のようになっている。仮に1000円(税抜)の本があるとすると

発行元 700円
取次  100円
書店  200円

発行元の取り分のうちから著者におよそ100円が支払われる(印税・原稿料)。取り分600円のうちから印刷製本関係費用、デザイン費用、広告宣伝費、人件費等を除いた残りが発行元の利益となる。

ポイント
発行元は利益を上げなければ存続できない。カツカツの経営では、新人を育成できない。新人とは書き手だけではない。1代限りで潰す個人経営ならいざしらず、会社であれば社員も育成しなければならない。

人件費の対象は編集者だけでなく、営業や総務経理なども含まれ、またその内訳には給与だけでなく社会保険料の会社負担分や賞与、退職金も含まれる。

一般的な慣習として、著者の取り分は本体価格の10%である。したがって、製作流通がタダ働きをしない限り、価格を1/10にすることは不可能であることが分かる。(初刷部数の印税一括払いがなくなれば−−なにしろ初刷部数というものがなくなる−−もっと高率を要求される可能性もある)

ところが、「電子書籍であれば、製作費は劇的に安くなる」と譲らない。

では、製作流通にどれだけかかるであろうか?

製作流通販売にかかる費用


電子書籍になっても書店と取次は必要である。アマゾンやappストアは「書店機能を持った取次」であり、アフィリエイターが小売書店に相当する。現状のアマゾンアフィリエイト(紙の書籍)では最大8%が支払われている。無店舗であることや精算業務までアマゾンが引き受けていることを考えれば書店より低いのは合理的。

発行元からすれば、取次を介する以上は、書店(アフィリエイター)にいくら渡るかはあまり関係がない(直販を進める場合は重要)。で、その取次(アマゾンなど)がいくら取るかというと30-65%(=発行元に35-70%)。ただし、これは競合が現れた場合は「体力勝負の焦土戦」で下落する(『電子書籍の衝撃』第2章参照)が、独占なり寡占なりで安定した場合、再び高くなるであろう。さすがに8割9割となれば独占禁止法(優越的地位の濫用)が介入してくるであろうが。

取次が何%取るのが妥当かを論じる前に、製造原価の削減について考えたい。

製作費用

製版・印刷・製本の費用は不要になる。製版代は刷り部数に無関係なため、少部数の本では大きな割合を占めていた。これが無くなっても発行部数が多いものはあまり影響を受けないが、専門書では大きな減額要因になる。

運送代と倉庫代は通信費とストレージ費用に置き換わる。これは規模の効果によりたぶんかなり安くなる。

電子書籍の「装丁」がどうなるかは興味深い。表紙に相当するアイコンやオープニング画面は本の印象に強く影響するから、これはプロのデザイナーに任せた方が有利。この単価はどこまで下がるであろうか。

フォントサイズは読者が変えられるから決める必要はないとしても、フォントの種類は発行元で決めなければならない。ナールと角ゴチでは印象がまるで違うからだ(まして勘亭流においておや)。読者が違う印象で読むのは自由だとしても、デフォルトは著者が希望する印象をあたえる書体にする必要がある。この選定もブックデザイナーの仕事。依頼する手間を惜しんだ、MS明朝でいいよ、が一時的には流行るかもしれないが、長くは続くまい。(メジャーな読書端末が携帯電話になった場合はどうなるか分からないが)

ちなみに先日 auが発表したbiblio Leaf SP02は、「行頭に句点」「フォントに漱石感ないし」「字間行間もセンスなさすぎ」と散々な評判だった。大手企業の広報のプロでさえブックデザインには気が回らないという好例(現在の広報資料では明朝体になり、1行の文字数が変更されて行頭の句点は無くなっている)。そういう電子書籍ばかりで低位安定化する可能性もなくはないが、やはり「かっこいい」書籍の需要はあるだろう。

また実質プレーンテキストなら問題にならないが、絵であるとか図であるとかを挿入するならば、それを綺麗に描く人が必要になる。写真などを借りてくるなら、著作権処理業務も必要。とはいえ、ICTの力を借りて今までよりは安くはなるだろう。

営業と編集

次に人件費を概観してみよう。

電子書籍になれば「営業」の形態が大きく変わることは想像に難くない。だが、著者や編集者が片手間でできるものとも思えない。

一例をあげてみよう。電子書籍は電子書店でどのように売られるだろうか? 客は著者や書名を指定してくるとは限らない。「なにか面白い本はないか」と探しに来ることもある。書店のトップ画面、あるいはカテゴリ別のトップ画面に紹介してもらえるかどうかは売上に大きく関わってくる。これはリアルの書店と同じこと。むしろ棚の争奪戦よりも厳しさは増すであろう。一画面に収められる点数は平積みできる点数よりたぶん少ない(まして携帯電話でアクセスされた暁には)。一時的に良いポジションを得られても、後から来る新刊にいつ奪われるか油断はならない。「書店営業」は手を抜けない。

次に編集の人件費。これが結構難しい。すでに書いたように、従来の「出版社」は解体しても編集者は残るというのが私の考え。千歩譲っても、諸々の雑用を抱え込んだ著者よりは、執筆に専念できる著者の方が良いものを書くだろうということは容易に想像できる。

(それと第三者が目を通さない原稿の多くは外に出せる品質ではなく、まして金を取るなど論外。個人ブログの惨状を見よ。企業のウェブでさえ「担当者は読んでないのか」というような例が割と簡単に見つかる。)

営業と編集の人件費は外せない。それがいくらになるかというと、刊行点数にもよるので一概には言い切れないし、売れ行きの予想とも関係してくるが、とりあえず著者と同じ100円を当てておこう。

取次は何%までとれるか


素朴な人は、売上から経費を引いて利益を求める。だが営利企業は逆で、まず利益を決める。そこから売上と経費を導きだし、個々の価格を決定する。

「これくらいしかかからないから、これくらいで売る」というのは素人の発想。(営利を目的としないなら正しい決め方ではある)

なお、企業の目標は最大の利益を上げること。つまり儲けられるところではとことん儲けようとする。その貪欲さがないと営利企業は市場からの退場を迫られる。1000円でも売れるとわかれば、原価が10円でも1000円の値付けをするのが営利企業。そこで利益を得ておくと、後発の競合が現れたときに体力勝負(値下げ競争)で退ける戦術をとることができる。また体力があれば、競合に対してより優位性を保てる製品を開発することが可能で−−書籍でいえば原稿料を弾んで著者の意欲をかきたてるとか、取材費を潤沢に提供するとか、ベテラン編集者に担当させるとか−−それは消費者(読者)の利益にも叶う。ま、半分は建前だけれど、こう擁護しないと「企業が儲けるのはケシカラン」と変な人が涌いて出かねないので。

また、率よりも金額のほうが大事ということも指摘しておきたい。薄利は多売によって支えられる。

販売数が劇的に増えない限りは、従来の300円が妥当な線という合意に至るであろう。「いや、モノを動かすより楽になるのだから、もっと下げられる」という意見も出ようが、浮いた費用が100%読者に還元されると考えるのは甘すぎよう。

結論


電子書籍は、紙の書籍の半分程度の価格で提供することは十分に可能と考えられる。
とくに専門書のように少部数発行の書籍では「ものすごく高い本」が「少し高い本」になるくらいは期待できる。

しかし実際につく価格は、売れ行きの予想に依存する。たとえば中高生相手なら価格を抑えて部数を狙うが、経営者相手のものであれば、比較的強気に設定する。

安定して売れる「金のなる木」の出版権を押さえていれば、気持ち安くして普及を図ることはあっても、価格破壊的な値付けはしないであろう(出版権とは、出版社が持つ権利で、他社からの出版を差し止められる)。もっとも、先行き何が起こるのか分からないのが現実というやつだが。

BOP(base of the pyramid)の時代だから、全体的には安めになるであろうが、価格に「ありがたみ」を織り込んだ本はそうは下がるまい。

政治家が、中身の薄い本を立派に装丁して高額販売するのは脱法的政治献金と批判されるだろうが、難民の子が描いた絵を1点500円で販売して援助資金に当てるのは悪くない発想だ。これを電子版で進めれば効率が良い。こう書くとまた「それは本ではない」と原理主義者が異議を唱えるかもしれないが、あなたに正統な書籍を定義する権限はなく、よしんばあったとしても、現状でさえ書店に並んでいるものは90%がそれから外れるのだから、電子書籍にだけそんな理想を求めても意味はない。よって却下。

また再販指定されないため、時期によって、また「書店」ごとに売価が変わることが考えられる。基本的には売れ行き芳しくないものが値下げする方向だろうが、改訂を機に値上げするような強気の対応もありえるだろう。

いちばん安くなるのは自費出版物であろうか。

補足


コンピュータ用ソフトに比べiPhoneアプリは105円など極端に安価に提供されている。「だから電子書籍も」という声が聞こえてきそうだ。この原因はいくつか考えられる。

(1)少額決済が容易になった
(2)単機能製品である
(3)開発環境の違い(?)
(4)移植物は開発費の回収が終わっている
(5)競合が多い

これらが電子書籍に当てはまるだろうか。
(1)少額決済は電子書籍にも当てはまる。セミプロが出すものや、内容の普及を目的としたものは低価格が進むであろう。
(2)単機能に相当するのは小品である。ブックレットは低価格化が期待できる。紙の書籍は造本や配架の都合で、一定の大きさを必要とされたが、電子書籍では歌一首からでも販売は理論的に可能だ。
(3)書籍の製作環境がコンピューティングによって大きく変わり、コストカットが進めば低価格化が期待できる。しかし過渡期にはワープロで完全原稿を提出できる著者とそうでない著者(極端な例では原稿用紙に手書き)とで価格に差が出る可能性がある。
(4)既刊本の電子化は比較的低コストで行える。著作権の切れたものは原稿料さえ必要ない。逆に書き下ろしの新刊にはこの効果は期待できない。
(5)競合の問題は微妙。本来はすべてオリジナルなものであるはずだが、実際には書店の棚を見れば分かるように、似たような本は多い。これらは価格も同じような範囲に収まるだろう。一方で固定ファンがいるような著者が出版社へロイヤリティを示した場合には高止まりする可能性もある。

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2009/05/16

企業で自炊は許されるか

自炊と言っても、自分で食事を作ることではない。

池田信夫blog(のコメント)を読んでいて(遅まきながら?)知ったのだが、書籍や雑誌をばらしてスキャニングし、電子ブックを自作することが自炊と称されているらしい。念のためググってみるとwikipediaで取り上げられているだけでなく、まとめサイトすらできていた。由来は2ちゃんねるらしい。

個人で可能になったのはパソコンやスキャナ、ストレージなどの高性能化低価格化の結果であろう。以前、30万画素のデジカメで撮影し、VGA画面で再生してがっかりしたことがある。A4判の雑誌1ページを1画面に収めることができなかったから(収めると字がつぶれる)。そのくせ当時のHDDにとっては侮れないファイルサイズ。

法律的な面で考えると、これは私的使用のための複製に該当するから、「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用する」限りにおいては合法的だ。

また公共図書館(「公衆の利用に供することを目的とする図書館その他の施設で政令で定めるもの」)であれば、非営利の事業として蔵書の電子化を行える(昔からマイクロフィルム化は進められていた)。

問題は企業。ソフトウェアならばバックアップが認められているから、購入物など正当な所有物であればオリジナルを保管することを前提にコピーは可能だ。しかし書籍や雑誌にはバックアップコピーを可とする条文は存在しない。企業内の資料室(図書室)は政令に定める図書館等には該当しないことがほとんどだろう。ましてや総務課の棚においておや。たとえ購入した書籍であっても、それを自炊、つまり自分で電子化することは複製権の侵害、早い話が犯罪になるといわざるを得ない。

書籍だとまだ完全電子化にためらいを覚える人は多いだろう。だが、雑誌や新聞の切り抜きは? オリジナルの切り貼りならば著作権法上なんの問題もない。しかし台紙に貼り付ければ、単純にいって厚さは2倍。ファイリングの基本である「1ファイル1記事」を守れば、たちまち膨大な量になってしまう。しかも検索性は低いから死蔵必至。


余談になるが、時間が経って糊が変色したり劣化したりしたスクラップ(残骸)をみて愕然とした経験を持つ人は結構いると思う。どうもオーソドックスなデンプン糊が一番安定らしい...少なくともゴム糊は激しく劣化した。


気のきいた企業ならば乾式複写(今どき湿式複写なんて役所でも使わないんじゃないだろうか?)、さらには電子化を考えるだろう。場所を取らないから保険を兼ねた社内失業対策としても役に立つ。多くの企業で自炊はされているだろう。

ここでタイトルから離れる。

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2009/05/13

Excel→PDFの謎

職場で職員(私の立場は二つ下の臨職)から相談を受けた。Excelで画像入りの原稿を作りPDF変換したところ、画像の周りに罫線が出てしまう、と。

オブジェクトのプロパティをいろいろいじってみるが解決できない。「急ぎますか?」と聞くと「午前中に送りたい」と(そのとき10時)。

普段なら「西を向いて念仏を唱えなさい」というところだが、その憂いを含んだ顔にほだされて頑張る気になる。

末席を汚したとはいえ、実験生化学者の端くれ、問題の切り分けに取りかかる。
1)見えている罫線はオブジェクトの囲い線なのか?
 線に色をつけてPDF変換したところ、どうも別の線らしいと分かる。
2)ひょっとして変換ソフトの不具合?
 ググってみたが確証は得られない。

問題のPDFは某社の変換ソフトを使っている。念のため、M社純正のアドインを使ってPDFに変換したところ...罫線は消えていた。というわけでひとまず解決。


しかし末席を汚したとはいえ、実験生化学者の端くれ、これでは満足しない。いろいろと試してみると次のことが分かった。
・M社のアドインを使う場合は罫線は出ない。
・S社の変換ソフトを使う場合、画像をpingやjpgのような形式で貼り付けていれば罫線は出ない(Officeオフジェクトでは罫線が出る)。

したがって解決策も2つ。
・M社のアドインを使ってPDFにする
・画像を貼り付ける際はpingやjpgにする

管理者の了承を得て、共有マシンにM社のアドインをダウンロードしてインストールした(自分のマシンの時は了解なしかよ)。ただ、2つの異なる解決策を提示したことは混乱を招いたようだ。geekは網羅的に知りたがるけれど、その感覚を押し付けてはいけない。

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2009/01/18

年賀集計

今年は例年より多くの年賀(状)をいただいた。突然、広告付きの年賀状が舞い込んで驚いた人も多かったであろう。いただいた賀状の中には年頭の決意として「元旦に年賀状を書かない」と記してあるものもあって...すみません、早速破らせてしまいました。

並べてみるとなかなか趣があり、紹介もしたくなるけれど、ハガキの所有権は移っているものの内容の著作権は差出人にとどまっている。勝手に公開する訳にもいかないので割愛。概略だけ述べておくと

URIを書いてきたのは1通だけ
メールアドレスを書いてあったのさえ数通
一人息子(大学生?)の写真を使い続けるものがある一方で「年頃の娘の猛反対」で家族写真は断念というものも
写真最多は19枚
「平成」を使用したもの9通

幸いにも「しまった、出してない」というのは業者さんだけ。出したけれど返って来ないのはあるが、それは気にしない。

最後にいただいたのは意外な人から。10日にビッグイシュー新年会に行ったところ、販売者のQさんからと手渡された。プラスチックの小袋に賀詞を書いた紙片と五円硬貨(「ご縁」の縁起)を入れたもの。


年明けに事務所へ行った際に、同じものがスタッフに配られており「さすが商売人」「気配りの人」と評判になっていたが、まさか一介のチャランポランティアにまでいただけるとは。Qさんは事業に失敗して家を失ったとかで(債鬼に追われているので名を秘す)、元は相当な実業家だったらしい。ビッグイシューを売り始めてほどなくアパートを借りられるだけの売り上げを達成したとも聞く。お茶の水博士の時にも感じたが、こういう人をホームレス状態にしてしまう社会はどこか狂っている(じゃあ、適材適所のホームレスもいるのかという質問は黙殺)。直接手助けできることはそうそうないだろうけれど、販売の心得をほかの販売者に伝えるとか、できそうなところからこなしていこう。

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2008/04/19

pdfを分割印刷するには?

今日から始まるアースデイに、明日の午後から助っ人で参加することになった。

ところが会場地図というのが「A2データです。プリントアウトするときは、縮小、または分割して」という代物。

A2判というと新聞紙1ページの大きさ。ポスター用のデータ流用かよ。

いろいろ工夫してみたがA4用紙2枚に分割するのがやっと。さすが1ピコリットルのインクのせいか、文字の潰れはないが、それでも大幅に縮小されていて読みづらい。せめて100%サイズにしたいもの。指定サイズの用紙に分割印刷する方法ってあるのだろうか?

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2007/11/23

W-ZERO3を買う

放置状態のウィルコムのPHS契約を活用するためにadvanced/W-ZERO3[es]を購入した。

写真:シャープのPHS端末WS011SH

モバイルコンピューティングを始めたころの携帯電話は帯域幅9.6Kで、メールの送受信だけならともかくWeb閲覧には力不足。対するPHSは64Kで、家庭用ではあこがれのブロードバンド、ISDNと同等だった(20世紀の話です)。

そこでTwo LINK DATA対応の通話先限定の端末を購入し、それなりに利用した。

ところがこれ、PCカードタイプ。メインマシンがPowerBook G4になったら使えない。スリッパなんかも買ってみたが、やはり利便性は低下する。そんなこんなで使わなくなり、月額980円(税別)ということや長期割引が発生していたこともあってずるずると契約だけ引きずっていた(新規契約の方が優遇されるのにね)。

次のBluetooth対応携帯電話とPEG-UX50の組み合わせは順調だったが、タイマーが起動したらしくデータや設定が吹っ飛ぶ事故が相次ぎ、バッテリも弱ってデータ通信をするとたちまち電池切れするようになり、これも引退。

相方を失ったA5504Tでしばらく用を足していたが、親指入力はどうも性にあわない。

QWERTYキーボードと移動体通信と無線LAN。この「三船の才」を備えた小型端末は限られる。で、advanced/W-ZERO3[es]。惜しむらくはWindows mobileということだが、標準ブラウザがOperaなので我慢しよう。

1週間いじってみた感想。
○軽い
○シャツのポケットにも収まり携行性は抜群
○文字入力が楽
○通信費を気にしなければ大いに楽しめそう

一方で
●QWERTYキーボードのテンキーがプッシュホン配列なのは不可解
●華奢な感じ(特にキーボードのスライド)
●カーソルキーのスクロールが使いにくい
●QWERTYキーボードがやや小さく感じる(ただ、隣のキーを押すことは思ったより少ない)
●QWERTYキーボードを使う際にカメラのレンズカバーを触りやすい
●水晶体が固くなった身にはやや表示が小さい(メニューの字は拡大しない)
写真:小一時間問いつめたいキーボードのプッシュホン式数字配列

あと、さっそくSkypeを入れてみたが、なぜか「有効なPocket PCアプリケーションではありません」とインストールできない。

次の目標はこれにオーディオブックを入れて、通勤時間の有効活用。

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2006/07/21

トークン届いた

某銀行のオンライン取引に使うワンタイムパスワードを発行するトークンが届いた。1分おきに6桁の文字列が表示されるので、取引時の第二暗証として使用しろ、と。

バックライト無しのモノクロ液晶で、お世辞にも見やすいとは言いがたい。読み取りにもたもたしていたら制限時間を超えてしまうかもしれない(端に時間経過が表示されるので余裕をみて操作しよう)。

内蔵電池は5年有効で、電池切れの前に新しいものを送ってくれるという。

銀行の時計とトークンの時計がずれると困った事になるが、FAQには「利用の都度、時刻を補正する」と書いてある。ときどき使わないと大きくずれたりして。

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2006/05/27

携帯電話の時代

総務省の「通信利用動向調査」によれば、インターネット利用:携帯電話が主流に パソコンを上回るとのこと。

これはわからないでもない。いつも身に付けているし、電源オンですぐ使えるし。

でも携帯電話でインターネットは好きになれない。パソコン利用から入ったというのが一番の理由だろうが、他にも
・完全従量制で広帯域の恩恵に浴せない
・閲覧できるサイトが限られている
・定額制で利用できるのは囲われたコンテンツ
・掟破りの絵文字が当然のメール
・メールのヘッダが見えない
・携帯電話でメールを始めた人はタイトルなしで送ってくる傾向

パソコン(だけ)を使っている人と携帯電話(だけ)を使っている人とでは、「常識」が相当かけ離れているように思う。たとえば「メールは36文字毎に改行」なんて、携帯電話ユーザに言わせたら「なんで?」「めーわく!」なことだろう。逆に全文引用はPC初心者にも多い顰蹙行動だが、携帯電話から来ると「パケ死したいか、このマゾ」と罵りたくなる。

ウェブサイトの方はどうだろう。まだ「Windows+IE+SXGA(1280×1024)」を前提に作っている所は多いだろうが...気がついたら携帯サイトを充実させた方が勝っていたりして。

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2006/05/17

ウイルス対策ソフトを導入しても

日経IT Pro SMB(中堅中小企業)の Q&A:ウイルス対策ソフトを導入しても感染する原因は?にコメントを記入。

全ドライブの予約スキャンは実際的でない。業務に影響が出ないよう「金曜17時から」にセットすると「終わるまで帰れない」「急いでいるから残業しているのに仕事にならない」という苦情必至(昼休みなら前者は解決)。スキャンは常駐させる前に一回やれば、パターンアップが正常に行われている限り行う必要はないと考える。

ウイルス対策ソフトと定義ファイルが最新でも防げない場合がある。まず、対応する定義ファイルがリリースされていない最新のウイルスは検出も駆除もできない(0day攻撃)。また派手な活動を行わないものは対策ソフトメーカーの目に留まらないので対応されない。

ウイルスはセキュリティホールを衝くものが多いので、システムおよびアプリはなるべくバージョンアップする(最低限セキュリティパッチが出たら当てる)。これが基本。ウイルス対策ソフトはその次。0 day攻撃に備えて「必要でかつ安全と確信できたファイルのみ正当に利用する」(「怪しいファイルは開かない」は「怪しい」を適切に判断できないから無意味)を徹底する。それでも防ぎきれないのがウイルスなのですよ。だからデータバックアップは必須。

字数制限で省いたけれど、トロイの木馬が組み込まれたソフトが2年間以上も有名ダウンロードサイトで公開されていた例がある。これは作者が不正利用を発見するために仕掛けたもの(世界最初のコンピュータウイルスも不正コピーに腹を立てたプログラマによって作られたというのを思い出す)。それで当初「安全と確信できたファイルのみ開く」としてあったのを正当に利用すると変更。

巷間「怪しいファイルは触らない」が心得として語られているが、「怪しい」を見抜く力は一朝一夕には養われない(身に付いた人はそれを忘れがち)。また下手に勘違いされて、全うなファイルを捨てられる危険もある。逆にいま話題のWinnyなんて、ほとんどが「怪しいファイル」を求めているのだから、開くなといっても無理がある。

「安全と確信できるファイル」とすることで利用者に能動的な判断を求められる。また送り手も誤解を受けないように、件名をちゃんと書く要件もちゃんと書く(「添付ファイルをご覧下さい」は×)、添付ファイルの名前も本文に書くといったことを守るようになるだろう(できれば「添付ファイルは××のバージョン××でウイルス検査済み」とダウンロードサイト並の注意も記入してほしい)。

思えば昔(といっても10年経ってない)は、「知らない人から送られたファイル」が怪しいファイルだった。ところが送信者詐称ウイルスでこれがパー。また日本では「英語(または他の外国語)のメールは要注意」だった。これも日本語タイトルのものが現れてパー。「実行ファイルは危険」に至っては「実行ファイルってなんですか? 拡張子ってなんですか?」というユーザの前に崩れ去る。おまけにjpegウイルスなんてものまで現れて。かと思うとgoodtimesとかpenpal greeting!とかの類を信じてチェーンメールばらまく人もいるし(「テキストだけでうつるウイルスは無い」と言い切れた時代が懐かしい)。


最近の自動車はABSとか衝突予防システムとか積んでいるけれど、それでも公道を運転するには免許が必要な訳で、PCも素人への野放しは考え直した方がよろしいんじゃないでしょうか。AT限定で良いから免許を取れと。

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2005/05/03

Skypeの誤作動?

先日来、師匠からやたら「何か用か」とSkypeで呼び出される。こちらから呼び出されたとおっしゃるのだ。間違ってcallボタンに触ってしまったのかと思ったが、それにしては数が多い。もしかしてバグ?

今日、謎が判明した。Windows用の新しい版ではサインインすると画面向かって右下に「*がサインインしました」と出るのだが、それを呼び出されたと勘違いしていたのだ。

まぁ、コンタクトしているのが私一人だからというのは斟酌しないといけない。

日常Skypeを使っていると、この「サインインしました」がつなぎっぱなしと思える人でも頻繁に繰り返していることがわかる。おそらくスーパーノードが切り替わっているのだろう。と説明してもわからないだろうなぁ。P2P云々以前に、どうもサーバという概念すらご理解されていないようなのだ。

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