2017/11/25

献血ルーム巡り25(岩手県・もりおか献血ルームメルシー)

11月23日に盛岡市にあるもりおか献血ルームメルシーで血小板を提供。これで献血ルーム巡りは岩手県コンプリート。

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2017/11/15

地獄を覗く

千葉県というのは高い山がなく、県内で最も高い地点は全国で一番低いそうである最高点標高が408m。というわけで標高329mの鋸山は日本百低山に入れられる(もっともこのリストには1000m超の山も入っている)ほどであるが、海岸そばにあるため標高差が大きく、頂上近くまでロープウェーが通っているし、頂上展望台そばには断崖に突き出た地獄のぞきなる名所もある。先週金曜日にそこへ行ってみた。

ロープウェーは15分間隔で出ており、約4分で頂上につく。昇り最終便(15:30)に乗り、拝観料を払って日本寺境内に入る。地獄のぞきまでは往復で40分と案内にあったが、10分ほどで着いてしまった。

断崖に突き出た岩。上に鉄柵があり先端近くまで行くことができる。 先に全容が見えて怯えさせる。

最後は階段のない岩肌を登る。 最後の上りもきつい。

柵の外へ手を伸ばして直下の撮影を試みるが岩の先端が写っている。 柵は少し手前にあるので直下を覗き込むことはできない。

パノラマ写真。東京湾と三浦半島が見える、夕日が海に反射している。 娘と孫だけ行かせて手前で待っているご婦人(右端)に「一度に3人以上行くと危ないとか」と軽口を叩いたら本気にされてしまい、誤解を解くのに苦労した。

次の予定もあったので急いで降りたが16:00の下り便には間に合わず、しばらく駅併設の資料館で時間を潰してから下山。

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2017/08/14

霧ヶ峯ホテル無残

生化学若い研究者の会(生化若手の会)の夏の学校がかつて開かれていた季節になった(ちなみに今年は9月1日からで、開催地は滋賀県である...あ、もう参加受付は締め切られている)。そこで1986年、1988-1995年に会場として使われ、2010年10月に事業を停止し廃館となった長野県諏訪市の霧ヶ峯ホテルを訪ねてみた。

と言っても、これだけのためではなく(そこまで数奇者ではない)、ちゃんと諏訪市に用事を作って、その帰り道。

ホテル前に続く道への曲がり角に立っていた案内標識カーナビにはもう載ってないだろうと独り決めし(後で確かめたらまだ載っていた)、近くのホテルこわしみずをナビに設定、後続車に煽られながら九十九折りを登ると30分ほどで懐かしい景色が。そしてホテルへの案内標識がまだ残っていたので難なく到着した。

赤レンガの15階段の先にガラスドア4枚の玄関。上には「KIRIGAMINE HOTEL」と。ストリートビューで見たときには無事だった玄関扉は、ガラスが割られ、こじ開けられた様子も。階段もずいぶんと荒れている。

3階屋根の上にカモシカの絵と「霧ヶ峯ホテル」の文字通常の表記は「霧ヶ峰」だが、ホテルの看板は「霧ヶ峯」。カモシカがトレードマークで、確か剥製がロビー入口に立っていた。

玄関のドア4枚のうち2枚のガラスに大きな穴が開いている。 剥製の無事を確かめたかったが、階段に足をかけたら敷地内侵入になるので断念。開校時にはこの先のロビーに机を並べて参加受付をしていたっけ。

1階のガラス窓が半開きに。それにしても、人はなんで空き家に入りたがるのだろうか。探すと廃墟探索と称して不法侵入して撮影した動画(20分超)も見つかる(ホテル名は伏せてあるが、中を見れば分かる、特に畳敷きの大広間)。Googleで「霧ヶ峰ホテル」と検索すると「心霊」がサジェストされる始末。

1階の張り出し部分。窓のそばまで雑草が。ここは確か食堂。もっとも大広間の隣にも食堂風の洋広間があり、夜はそこがビアホールになったような記憶も。

砂利を敷いたホテル前の広場 ホテル前の駐車場。京都からの参加者が天下一品のおみやげラーメンを使って屋台を出したのがここ。プロフィール写真はそこで撮影されたもの。考えるといろいろ(こわくて書けない)問題があって、今やったら炎上必至であろう。緩い時代だったことに感謝。

昔の写真が見つかったら少し足そうと思う。

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2017/05/05

「日本国道最高地点」再び

先に「雪の回廊」を見に行き、日本の国道で標高のもっとも高い地点にも立ってきたのだが、いくつか不満があった。

そこで3日の憲法記念日に再訪してきた。高速道路は予想通りの大渋滞で、前回の1.5倍ほどの時間を要した。この時間を放送大学やNHKのラジオ講座聴取に当てていたら、どれだけ勉強になったか分からないが、うっかり追突事故など起こしていたらしたくもない社会勉強になったわけで、休日らしく過ごせたのは感謝。夜間通行止めの17時まであと数分というところでゲート通過という綱渡りであったが、とまれこうまれ雪の回廊再体験と日本国道最高地点からの撮影ほかに成功した。

「日本国道最高地点」の石碑に手をついて振り返る筆者

この石碑の前には直方体の石が置いてある。「撮影用に乗る台でしょう」と言われたのを信じて乗ってポーズをとったけれど、それをSNSに公開してから「炎上しないか?」とにわかに心配に。そこで調べてみると(同じことをやってるバカ者がいくら見つかっても正当化は無理なのだが)幸いなことに草津町・山ノ内町広域宣伝協議会主催の「雪の回廊ウォーキング」の案内写真でタスキをかけた女性2人が乗っている姿を確認して安堵。 石碑の前の石に乗る襷をかけた2人の女性。

SPORTS ENTRYに掲載された「第13回 志賀草津高原ルート・雪の回廊ウォーキング ~日本国道最高地点(標高2,172m)を歩こう~」から引用。タスキをかけた女性二人が石碑を紹介するような格好で手前の石に乗っている。山ノ内町観光商工課内にあるイベント事務局提供の写真であるから、当然これは「してよいこと」と判断される(「特別な許可を得て」という注意書きは見当たらない)

パンパンに膨らんだポテトチップスの袋

標高2000mなら気圧も低いだろうとスナック菓子を持っていったところ、期待通りのパンパンに。

夏の学校の思い出

志賀高原は生化学若い研究者の会(生化若手の会)が夏の学校の開催地として一時期使用していた。

切妻屋根の洋館

初めて参加した第25回の会場がこのホテル白樺荘。名古屋支部が担当した翌年は霧ヶ峰高原に移ったが、翌々年は関東支部が近くのホテル・ニュー志賀で3泊4日という大規模開催に。そしていつの間にかシンポジウムスタッフになっているという、深みへの第一歩となった思い出の開催地。

帰りの高速道路は拍子抜けするほど空いていた。連休だもの、やっぱり皆さん泊まりがけ。

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2017/04/24

煙となんとかは高いところが好き

昨年、意を決して出かけたのに天候のせいか期待はずれに終わった雪の回廊を、今年も懲りずに見に行った。

今回は冬季閉鎖の終わった当日。ただし前回とは逆に群馬県側から登った。

展望用駐車場から見た国道292号の両側に雪は積もっているが斜面の地肌も見えている

「去年よりは雪は多いけど、まぁこんなもんかなぁ」と半ば諦観しながら運転していくとどんどん両側の雪が高くなる。そしてついには完全な「雪の回廊」に。これは来た甲斐があった。

道の両側に高さ5メートルほどの雪の壁。歩行者もいる。

しかしながら立山黒部アルペンルートのような壮観を期待してはいけない。

煙となんとかは

展望用駐車場に立つ「日本国道最高地点 標高2,172m」のプレートのはまった石碑

なんとなく「雪は一番高いところに多い」と思い込んでいたが、一番高いところの北側に雪は多く残っていた。というわけで、日本国道最高地点(2172m)を過ぎ、渋峠ホテル(ここで食事をし、長野と群馬の県境にまたがった写真も撮る予定であったが)の前を通ったところでドライブレコーダーの動画上書きを防ぐために予備のメモリーカードに差し替えた後にまた素晴らしい雪の回廊が現れたが後の祭り。

このあと長野市内で用を済ませてから戻ってきた。火山規制のため17時で白根山のそばを通る道路は閉鎖されてしまうので万座から軽井沢へ抜けた。こちらにも道路の両側に雪の壁がそそり立つ場所があった。

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2017/04/20

夜ノ森の夜桜

福島県富岡町の夜ノ森地区は桜の名所だった。震災のため開催されなかった2011年の桜まつりに関する記事に由緒や規模が書かれている。原発事故の影響で富岡町は長らく居住が制限されていたが、2017年の4月に一部を除いて解除され、桜まつりも(会場は変更し、期間も短縮されたが)7年ぶりに開催された報道では桜まつりとなっているが、町の広報では「富岡町復興の集い2017」の一環としての桜イベント、当初は午後だけの予定だった)

桜並木のライトアップが復活したという記事を見て、祭り当日は無理でも、ご祝儀がわりに見に行こうと思い立ち、旧師Aを誘って10日に出かけてきた。

常磐道を北上

歩道の植え込みに咲くサクラ

旧師Aには走行中の写真撮影をお願いした。練習に撮影した友部サービスエリアのサクラ。

帰還困難区域を通る常磐自動車道には沿道に空間線量が表示されている。2年前に通ったときの最高値は5.3μSv/h(毎時5.3マイクロシーベルト)だったが、今回は3.4μSv/hとかなり下がっている。それでも放射能汚染の問題に関心のある人なら驚く数値(ちなみに役所が送ってくる某市の空間線量測定結果は0.03-0.06μSv/hなので50-100倍の値)だが、旧師Aはピンと来ない模様。

国道6号を南下

せっかく東北まで足を延ばすので、まず道の駅そうまへ行って震災伝承コーナー(PDF)を見学(ここは以前にも来ており、ひしゃげた道路標識等(こちらのブログに写真あり)を旧師Aに見てもらうため)、次に南相馬市の小高地区でハッピーロードネット(ふくしま浜街道桜プロジェクト)に植樹してもらったサクラの苗木を探したが、これは見つけることができなかった。停車できる場所を見つけては苗木についているプレートを見に行って番号を確認するのだが、番号が近づいたと思っているうちに気がつけば隣接する浪江地区になってしまっていた。暗くなりかけていたこともあって戻るのは断念し、そのまま国道6号を南下することに。

「ここまで津波が来た」「“獣に注意”の道路看板は以前は“牛に注意”だった」「放れ牛は回収されたが、今は野生のイノシシが出没する」「人を恐れることを知らないイノシシなので結構危険」と運転しながら解説していたところ、なんと前方路上にそのイノシシ発見! 運転中の撮影をお願いしていた旧師Aは「撮って撮って」と促しても反応できず、幸い渡りきって路外に出た脇を通過。考えて見れば後続車はなかったのだから停車して自分で撮れば良かったし、ドライブレコーダーの映像(帰宅までに上書きされた)も途中でiPod touchに取り出すことはできた。やはり長距離運転で疲れていたのだろうか。

富岡町の一部は帰還困難区域なので立ち入ることができず、カーナビの指示に従えない。もう通れるかと思って右折車線に入ったらやっぱりその先にはバリケードが。やむなくバリケードの前まで行って、警備の人に道を聞くと「自分、地元じゃないもんで」と頼りない。再び6号を南下。途中、赤色の誘導棒が振られているので何かと思ったら自動車が衝突したのか信号柱が交差点に倒れていた。

サクラのトンネル

そんなこんなはあったが、なんとか富岡第二中学校の脇の桜並木に到着できた。さて、どこに駐車できるか? 幸いにも警備員が立っていたので尋ねると「駐車場というのは特にない」とキッパリ。「おおっぴらには言えないが」という指示に従い××に駐車。このお宅の住人が戻られたら、場所を借りたお礼を述べ、できれば一緒に花見をしたいもの。

道路の両側に桜並木が続き、下から照らされている。

平日のせいか人通りはほとんどなかった。サクラ自体も満開にはもう一息という感じ。だが、それが良いという見方もできる。

枝先の花と蕾のアップ

役場の判定によれば五分咲き。旧師Aによればサクラの花は幹に近い方から咲くという。

道路右側の歩道に並ぶ照らされた桜の木

ライトアップはたぶんハロゲンランプ。手をかざすと暖かかった。右のシルエットが旧師A。

ストロボを焚くと花はかえって暗くなる。樹の前に立つ男性一人。

ストロボを焚くとこんなに雰囲気が変わる。

「休憩所 ご自由にご使用ください。」という立て看板。

休憩所とトイレは用意されていたが、期待していた屋台は出ておらず、地元への経済的貢献はまた今度。

道を塞ぐバリケードと手間にある「この先 帰還困難区域につき 通行止め」の看板。

ライトアップ再開のニュースにも書かれていたが、桜のトンネルの大半は帰還困難区域になっている。

バリケードの隙間から覗いた向こう側は遠くの交通信号が灯るだけの暗闇。

バリケードの向こう。また来るぞ。今度はこの先へ(こっちはライトアップされてないから明るいうちに着きたかったのだが)

中学校の校庭にリアルタイム線量計があり、赤い文字が闇に浮かぶ。

富岡二中の校庭に怪しく光る線量計(たぶんリアルタイム線量計)。数値は0.354μSv/h。気にする人はない。というか人がほとんどいない。

ちなみにこの値は、その場に1時間いると0.354マイクロシーベルトすなわち0.000354ミリシーベルト被曝(四方八方からγ線が飛んで来るような状況では、実際に被曝する実効線量は空間線量より低いことが知られている)する。24時間ずっといれば0.008256ミリシーベルト、1年間いれば3.01344ミリシーベルトになる。ただし自然放射線コミの値。700年いれば2シーベルト超になって造血器に障害が出て(これを確定的影響といい、100人が被曝すればほぼ100人に現れる影響だが全身へ短時間に被曝が前提)骨髄移植が必要になる計算。しかしこれは非現実的。30年でおよそ100ミリシーベルトになり、これは致死的ながんの発生が0.5%増える被曝量と言われている(何も無い時が25%なら25.5%に上昇)。200人が100ミリシーベルト被曝すると、がんで死ぬ人が1人増える勘定。残り199人には明瞭な影響が見られず(放射線以外の原因によるがんで死ぬ人はいる)、誰に影響が出るかは分からない(これを確率的影響という)

なお、便宜的に30年間放射線量が変わらないという前提で計算したが、セシウム134の半減期は約2年、セシウム137は約30年なので、30年後には半分以下になっている(6年経った時点で既にセシウム134は事故当初の8分の1近くまで減っており、今後の減少にはあまり寄与しない)。また建物の中に入れば壁や床による遮蔽により被曝量は減り、さらに雪が積もっても遮蔽になってその期間の線量は低下する。

道の片側だけに続く桜並木。

夜ノ森駅西側道路のサクラ並木。地元じゃないせいか、警備の女性は行き方を間違えて教えてくれた。だいたい富岡駅じゃなくて夜ノ森駅だし(富岡駅はずっと南。また駅舎のある東側は帰還困難区域で立ち入り禁止)。しかしGoogleストリートビューで予習してきたおかげで袋小路で立ち往生することもなく無事到着。

山盛りの刻みキャベツの上に揚げたメリカリ6匹が載った皿を中央に左手に飯茶碗、右手に味噌汁椀、新香、味噌の小皿が載ったトレイ。

帰途、四倉パーキングエリア(上り)のよつくら亭で食した目光唐揚定食。これは奢っていただいた。評判通りの美味。

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2017/03/29

柿田川公園散策

昨秋(2016年)、静岡県の柿田川公園に行った。本当の行き先は柿田川献血ルームだったのだが、午前中の受付に間に合わなかったため時間調整に訪れた次第。システム的には古い日付でのアップも可能だが、柿田川献血ルームの記事はスタートの「献血ルーム巡りへトラックバックするので、真の投稿日が分かってしまう。というわけで小細工は止め、十日の菖蒲といくことに(菖蒲は六日でも出遅れ)

当日のツイート

入り口

高さ1メートル、幅3メートルほどの石積みの山

正門から入ってすぐの広場にある公園名のプレート。

公園の駐車券

駐車場は普通車で200円。清水町民は普通車無料。また障害者手帳を提示すれば無料になるという。

第一展望台から

木々の間から池が見える

湧水群。

手前から幅数メートルの川が流れだすのを上部の展望台から望む

流れだす柿田川。

手すりのついた、20段以上ある石階段

第一展望台から戻る上り階段。かなり急である。

展望台への階段の降り口で左側の手すりにかけられた杖。握りの部分に「譲り合い思いやりのつえ」と貼ってある。

階段上部に用意された「譲り合い思いやりのつえ」。

第二展望台から

折れ曲がった階段の先に展望台が見える

第二展望台。

展望台へ降りる途中で柵越しに柿田川を見る。

第二展望台への途中から見た柿田川の流れ。


木々に囲まれた直径10メートルほどの池を展望台から覗き込む観光客

第二展望台から見下ろす。水辺に「お願い」という木札が立てられている。

水の中に直径5メートル程の深い穴があり、そこから水が湧き出ている

この井戸から水が湧きでて流れ出す。

水辺に立てられた「コインを投げないで」というお願いの立て札。

「お願い この水は、飲料水として利用しておりますので、コインは投げ入れないで下さい。明るい社会をつくる運動協議会清水町支部」。読みようによっては「湧水へ投げ入れないで、私にください」とも。というのは冗談だが、公園の整備は税金で行うのが筋ではあるものの、民間が寄付金を利用すれば弾力的に対応できるというメリットも。

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2016/08/21

ぬれ煎餅を焼きに行く

6月の〈遠足〉に携行しようと銚子電鉄のぬれ煎餅を通販で取り寄せたのだが、色々あって延期しているうちに賞味期限の8月9日が来てしまった。そこで心ゆくまでぬれ煎三昧と洒落たのだが、心なしか風味が落ちている。そこで改めて銚子市まで買いに行くことにした。

牛久経由利根川沿いを犬吠埼へ

電車で行くと酒を飲んでしまうので(えっ まずいの?)自動車で繰り出した。ルートはいくつかあるが、圏央道の神崎ICから利根川沿いに進む道を選択。このルートではゴジラとほぼ等しい身長の牛久大仏を遠目に拝むことができる(残念ながらドライブレコーダーに収められていたはずの、前方に忽然と現れたありがたいお姿は上書きされてしまっていた)。出発した頃はどよんと曇っていたが、利根川沿いに着いた頃には「夏だ! 海だ! 太陽だ!!」という目論見通りの晴天に。「利根水郷ライン」(国道356号)でそのまま銚子市に行けたはずだが、なぜかカーナビが茨城県に行きましょうと誘導するのでそれに従う。利根川と常陸利根川の合流地点にかかる水門付きの橋はなかなか壮観であったが、しばらくして「有料道路(利根かもめ大橋有料道路)に誘導している?」という疑いが。だが、さらに下流にも橋はあったはずだし、特に曲がれという案内もなかったのでそのまま進み、銚子大橋で無事千葉県へ。ここはもう河というよりは海の風情。

銚子市役所庁舎壁面にかかるスポーツ選手を称える「祝 出場」等の垂れ幕8枚市役所の建物壁面にはたくさんの垂れ幕。「オリンピックに出場してるんだ」「でもずいぶん沢山さがってる」「そんなに銚子市ゆかりの選手が多いのかな」と不思議だったので、信号待ちを利用して写真に撮っておいた。オリンピックはトライアスロン出場の加藤友里恵さんだけでした。

犬吠埼灯台下の激混み駐車場せっかく犬吠埼へ来たのだから、やはり犬吠埼灯台へ。ところが平日(15日)にもかかわらず大混雑で小さな駐車場は満車。整理誘導する人もなく、下手をすると路駐車両が出口を塞いで出られなくなりそうだったので写真だけ撮って方向転換して抜けだした。

犬吠駅

「煎餅屋が宣伝のために電車を走らせている」と言われるほど有名になった銚子電鉄のぬれ煎餅。近年、ぬれ煎餅駅なるものも開業したが、やはり買うなら犬吠駅で、というわけで犬吠駅へ寄ってぬれ煎餅(赤の「濃口」)とサバカレー缶、そして何故かスモークサーモンジャーキー(製造は銚子市のメーカーだが原材料は北海道から)を購入。「ぬれ煎餅アイス」もあったはずだが、それは見落とした。

以前はサイトに販売店の一覧があったのだが、去年気付いたときにはなくなっていた。購入したり見かけたりした場所をあげておくと、歴史民俗博物館ミュージアムショップ、千葉駅構内のNewDays、東京駅八重洲口地下の「東京みやげセンター」と「諸国ご当地プラザ」、そして海ほたる3階の売店。遠方の方は通販で。

地球の丸く見える丘展望館

屋上からのパノラマ写真関東地方の東端まで来たので、地球の丸く見える丘展望館にも寄ってみる。屋上の中央には3段の物見台が組まれていて、360°の眺望を楽しめる。シータがあれば威力を発揮しただろう。およそ200°のパノラマ写真はダウンロード(約1.6M)して、閲覧ソフトのウィンドウ幅を1000ピクセル程度にし、原寸大表示でスクロールした方が実際に見渡しているのと似た見え方になる。

3階にある「カフェ330°」でサバカレーを食す。サバサンドが美味しいという話は聞いたことがあったけれど、サバカレーもなかなかいける(イマイチ以下であったら犬吠駅で購入したサバカレー缶の扱いに困るところであった)。ここの1階にあるお土産コーナーは狭い割に充実していた。が、素見で終わり。ヤマサ醤油の「しょうゆ味わい体験館」でしょうゆソフトクリームが食せるという情報に欣喜するも「15日は休業」という貼り紙にがっかり(予約が必要というのも、工場見学だけなのか、体験館自体も要予約なのか判然としないのも困りもの...電話で尋ねようかと思ったら「15日は休業」)。

展望館から西に向かって下りる坂から見た光る太平洋展望館は丘の上にあるので駐車場へ下りる坂の途中から輝く海が見えた。時刻は15時。

海水浴場の砂浜の向こうに見える屏風ケ浦の断崖ついで銚子マリーナ海水浴場へ行き「東洋のドーバー」こと屏風ケ浦を眺める。夕日が映えたらさぞかし美しいだろうが、それを見ていると遅くなるので割愛。帰りはあの上を走る「銚子ドーバーライン」を通る。

ぬれ煎餅駅

駐車場から見た鉄筋三階建てのぬれ煎餅駅手焼きしたぬれ煎餅の断面

国道126号沿いには「銚子電鉄ぬれ煎餅駅」があり、手焼き体験ができるので立ち寄ってみる。ちなみにここ、Googleの地図上には記載されているが、ストリートビュー(SV)にすると奥の運輸会社の建物しか見えない。不思議だなーと思っていたところ、SVの撮影がぬれ煎餅駅開業より前だと教えてもらった。使っているブラウザが旧く(根本的には使っているMacが旧い)ライトモードでアクセスしているため撮影日時が分からなかった。

手焼き体験は100円で2枚焼くことができる。係の人が丁寧に説明してくれるのだが、聞いていると他の客にもほぼ同じ説明を繰り返していて(毎回変えるのもおかしいから当然といえば当然だが)、「あれを1日に何十回と繰り返すのか」と妙な感心。健康診断で「はい息を大きく吸ってー、止めてー、動かないでー、はい終わり」を繰り返す放射線技師を思い出す。肺活量の測定を経験した旧師は「あんなのを毎日何十人と相手にしていて***Deleted for the Courtesy Reasons*** ならないか」と他人の疝気を頭痛に病んでいたが、そういえば「目が死んでいた」という声もあり、Googleマップの口コミには「子供にたいして無表情で、教え方や接し方や話方がものすごく怒ってる感じに、きつく冷たくて」と恨み節が綴られている。私達が当たったのは別の店員さんだろうか、テキパキとして無駄がなく好感の持てる人だったのだが(冷茶も持ってきてくれたし)

作りたてのぬれ煎餅は思いの外サクサクであった。なお、なぜか体験コーナーに置かれたタレはうす口と甘口のみ。その代わり青海苔とか胡椒とかマヨネーズとかも備えられていた。焼いた煎餅はその場で食べられるほか、持ち帰りもできる。

お土産コーナーは試食が充実していたため、ついついお菓子を購入。

本当に何も無い高滝湖パーキングエリア

圏央道に入ってしばらく走るとカーナビが変なところで降りろという。「え?」と思ってナビを見ると、データ上では圏央道はもうすぐ終わり。ナビ販売時には未完成の区間へと突入した。当然、例によって道無き道を進む状態に。

展望台からPA駐車場とダム湖を見下ろす。展望台東側に謎の空き地。謎の空き地前には「(仮称)イベント広場予定地(地元エリア)」という色褪せた看板

前回は予定を変更したため立ち寄れなかった高滝湖PAから高滝湖を見下ろすことができた。展望台は「なんでこんなものがここに」と言いたくなるような四角錐形の山。山地を切り開いて出た残土を積み上げたものだろうか?

当初はサービスエリアとして計画されたもののパーキングエリアに格下げされ、売店どころか自販機すらない、本当に何も無いパーキングエリア。しかし、さすがに眺めは良い。橋の向こうに見えているのは重村三雄の作品「かげろう」。展望台の東側に広がる謎の用地には「(仮称)イベント広場予定地(地元エリア)」という色褪せた看板が立っていた。

海ほたるは満車状態

海ほたるのかなり手前の路側帯に駐車場へ入ろうとする車列が突然見えるアクアラインは渋滞という表示は出ていたものの30分ほどで通過できそうだし、海ほたるの駐車場には空きがあるというので楽観視して走行。すると前方路側帯に故障車? 事故か? と思いつつ前を見たら海ほたるへ入る車両の列だった。しかしもう待機列へは入れない(走行車線で止まったら渋滞の元だし、下手をすると追突される)。それにうまく割り込めたところで、何分かかるか分からない上に、駐車場で「この野郎」と殴られるかもしれない。と言うわけで立ち寄り断念。海ほたるでカーナビに次の目的地をセットする予定だったので、その後は無誘導状態に。しかし、2年前まではカーナビなしで走ってたんだと開き直る。それにしても首都高は右側に降り口という無体な構造を止めて欲しい。

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2016/08/05

高崎駅には0番線も

1つの島状プラットホームに3つの線路が入っているという奇っ怪な構造の駅がある。切り欠きホームといい、郡山駅で水郡線に乗るとき遭遇したのが初体験(もっと以前に見ているかもしれないが記憶にはない)。4番線の向かい側が2番線で、3番線(水郡線乗降)は「80m先」ってワケワカンネ。そんなのは秘境矢祭へ向かう水郡線だけだと思っていたら、高崎駅にもあるの発見したのが先月7日。実は切り欠きホーム自体はそんなに珍しいものでもないらしい。togetterにある「切り欠きホーム」≠「ホームの切り欠き」というまとめの後半にいくつか紹介されている。

フェンスの手前は閉鎖された旧1番線。その向こうに下仁田行きの白い電車が止まっており、天井には「上信線のりば→0」のライトボックス看板がさて、そんな高崎駅であるが、所要で前橋へ行く際、再び八高線で3番線に降り立ったとき、向かいに0番線があるのを発見した。これは上信電鉄の乗降ホームで、JRからは改札を出ないと行けない2004年に分離されたらしく、その際に旧1番線は閉鎖された)のではっきりしたことは分からないが、改札から入って右手が0番線で乗車用、左手が1番線で降車用のようだ高崎駅構内図では番号すら振られていない)。実は0番線は以前にも見たことがある。

左側が1番線、右側が0番線で潮来・鹿島神宮方面の列車が停まっている。手前には車止めがあり、千葉方面には行けない。 JR成田線の佐原駅にも0番線が存在する。wikipediaには鹿島線の折り返し列車が使用するとある。駅の番線の決め方にはルールがあるので、いったん定めた1番線より若い側に番線を増やす場合に0番線とすることが多いらしい。熊本駅のように0A、0Bと2つ増やした例もある。メジャーなところでは京都駅(なんと1番線がない!)日暮里駅にも0番線が存在する。

調べながら原稿を作ると、当初の「0番線! 珍しい」という前提が崩れてしまった。f(^^;

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2016/06/08

世界一大きな...飯給駅

太平洋に昇る朝日を見に来たついでに巡る房総半島の旅、粟又の滝の次は小湊鐵道の飯給(いたぶ)駅。ここに何があるかというと世界一大きなトイレ。ただし、ギネスブックに登録を申請したものの興味をひかれず、審査に値しないとして却下されてしまった由。

「世界一大きなトイレ」ギネス認定ならず (毎日新聞2012年10月17日)

飯給駅前の世界一大きなトイレ

開設当時にプロのカメラマンが撮影した(と思われる)きれいな写真があるので、屋上屋を架すことはないと思うが、一応訪問記念に。もっとも世界一の広さを誇るのはご婦人用なので外観のみ。

高さ2メートルほどの塀に「婦人用」を示すピクトグラムとドアの付いたトイレ。開設当時の写真と比べると花のプランターがなくなり雑草が生えて殺伐とした雰囲気を漂わせており、それを描写するには素人写真の方が効果的かもしれない。ちなみに今回はご婦人を同伴できなかったので、内部は撮影できなかったが、内側のプランターも撤去されているという話。

便座の壁側にはL字式手すり、反対側には可動式(はね上げ式)手すりがついている隣にある男性も使える多目的トイレも開設当時は小奇麗だったが、4年経つとかなり... 車イスでも使用できる多目的トイレで、その面の機能はしっかりしているのだが。「手すりはL字型だけじゃないよ」というつもりで撮った写真は水平がとれていない。orz それに比べプロの撮った写真は、鏡を使って死角にあるベビーキープまで1枚に納めてしまい、見事としか言いようがない(戸を開けて撮影できたからでしょ、と負け惜しみ)

木更津からアクアラインで海ほたるへ

当初予定ではこの後は高滝湖(高滝ダム)により、店があいていたら食事をし、市原鶴舞ICから圏央道に入って帰る(高滝湖PAの展望台からはダムの全景が眺められる)はずだったが、木更津郵便局に用事ができたため一般道で木更津市街まで。

平地に出ると道は広くなり長閑なドライブを楽しめた。郵便局でアマゾンマーケットプレイスの注文品(出発前日に千葉県内から注文が届いたので、「ついでだ」と持ってきた)を「ゆうゆう窓口」に差し出す。市内で食事をするにはまだ9時と早いので、東京湾アクアラインに乗って海ほたるパーキングエリアに向かった。カーナビが「料金は3000円です」(2014年4月から3090円だが、旧いカーナビなもので)と言うので心臓が止まりかけたが、これはETC非搭載車の場合。ETCアクアライン割引のおかげで800円で済んだ。

蕎麦の上に具としてむき身のアサリが並べられた「あさりそば」海ほたるでは「あさりそば」を食べてしばし休憩。走り始めが1時だから、なんだかんだの神保町で8時間近く運転していることになる。

屋上テラスの壁に貼り出された「ドローン使用禁止」のプレート屋上に出ると「ドローン使用禁止」の表示。なんでだろう? 風が強くて墜落の危険が大きいから? 船舶への影響を懸念? それとも。

5階テラスの手すりに貼られている「海抜23メートル」と下にペットの水飲み場があることを示すプレート
5階から見下ろした、植え込みの中にある1メートル四方はあるかと思われるイヌ(フォックステリアか)のアイコン
植え込みのそばにあるごく普通の水道と流し場
ペット(というと「アニマルコンパニオンだ!」と怒られるかな?)を連れて来る人も多いようで、ペット専用水飲み場が用意されているという。上から見て目立つよう大きなサインが出ているのでどんなものかと行ってみたら...普通の水道でした。流し台の角は、ぶつかってもケガをしないよう緩衝材で保護されているようだ。水飲み器に鎖が付いているのは持ち去り防止だろうけど、そういう事をする人がいるんだなぁ。

窓辺に置かれた「ここに座らないで」と4か国語で書かれたV字型プレート客のマナーといえば、展望席の窓辺には「ここに座らないでください」という注意書きが英中韓日の4か国語で。駅などの案内に中韓表記は不要!不快!と沸き立つ〈国士サマ〉はこれを見たらどう反応するだろうか。邪推だけど「日英表記は不要」と言い出しそうな。でも、注意書きのすぐ脇に腰掛けていたのは見たところ日本人のご家族でした。

旅の終わり

約1時間休憩して出発。川崎浮島JCTから首都高に入り、山手トンネルに差し掛かる辺りからカーナビを頼れなくなる。2015年3月開通なので、旧いナビにはデータが入っていないのだ。そしてなぜか大渋滞(全体の流れがゆっくりとなって助かった面も)。それでもなんとか無事帰宅できて、トリップメーターを撮影したことで、デジカメの時計が3分以上進んでいることが判明した。この日の撮影は137枚。内訳は、行きの高速道路での休憩が6枚、太東埼で18枚、椿公園で40枚、上総中野駅で7枚、粟又の滝が38枚(動画を含む)、飯給駅5枚、木更津市内で2枚、海ほたるで19枚、山手トンネル(渋滞で停車したところで撮影)1枚、そしてトリップメーターの記録1枚。

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2016/06/07

養老の滝だけど落ちてくるのは水

太平洋に昇る朝日を見に来たついでに巡る房総半島の旅、上総中野駅の次は粟又の滝(川の名前から養老の滝とも呼ばれ、正式には高滝らしいが「高滝」で検索すると下流の高滝湖ばかりヒットする)

当初、(あわ)又の滝なのに(くり)又と読み間違えていた。おそろしいことにグーグルでは「栗又の滝」で検索してもトップにヒットするのは「粟又の滝」。しかも「もしかして」などの注意も出ない。自尊心を傷つけないようにとの配慮は愚か者を甘やかすのではないかな。

それでも不思議なことにカーナビへのは設定できた。どうやったのかは覚えていないが、たぶん近くのランドマークで検索してから地図上で「ここ」とやったのだろう。カーナビの履歴には「粟又付近」と残っていた(それをノー天気に「くりまた」と読んでいた)。そして有名な観光スポットなので近くまで行けば案内看板が立っている。

滝へ降りる道

県道の川側に楼門のような木造の建物があり、3メートルほどの高さに「上総養老の滝」という白い行灯型看板町営駐車場に自動車を入れ、県道178号を徒歩で滝へ向かう。降り口には門があり看板もかかっていて分かりやすい(が、これは〈罠〉だと後で分かった)。看板に「養老の滝」とある(申し訳程度に「粟又の滝」とも)のは川が養老川だから。養老の滝といえば居酒屋(「養老乃瀧」が正式)ではなく、滝の水が酒に変わったという養老孝子伝説を連想するが、それは岐阜県のお話。したがって滝に流れているのはお酒ではなくて水(岐阜の養老の滝だって酒が流れているわけではないが)

「滝見苑の駐車場をご利用ください」とあるから、これは向かいの旅館滝見苑が設置したものだろうか。ちなみに駐車料金は1時間までなら300円と町営よりも安く、滝にも近いから、早朝に来ても使えるならこちらの方が便利。

粟又の滝

谷へ降りる道。幅は60センチメートルほどでセメントで舗装されていて谷側にはロープが張ってある。木々の向こうに滝が見える。この入口から降りていくと滝の中腹に出る。上流への道は途中で途切れているので、滝壺へ降りてみる。セメントで補強されているところもあるが、傾斜が急なところもあり、歩きやすいとは言えない道であった。

左手に滝が見えてきた左手に「粟又の滝」の検索結果で見慣れた滝の姿が見えてくる。やれやれもうすぐか、と思ったら甘かった。

滝壺脇へ降りる狭い鉄の階段。傾斜は急で20段以上。降りた先に川を渡る飛び石が見える。
降りてから振り返った鉄階段。最後の2メートルは階段が無くなっている。
なんと長くて急な鉄階段が現れた。しかも最後の数メートルは階段が途切れ、手すりはロープに変わり、足元は濡れた石段である。単に濡れているのではなく、どうも水が流れているようだ。これは滑りやすそう。

正面から見た粟又の滝。緩やかな岩肌を水が流れ落ちてきている。
川を渡ってから振り返ると下流に大きな看板のある階段が
それでも降りきるとおなじみの滝の姿が見えて「ああ、来たんだな」と安堵する。しかし、今のルートは万人向けとは言いがたい。どうしたものかと思いながら飛び石を歩いて川を渡り右岸を振り返るとしっかりした階段が見えた。よし、帰りはあそこを通ってみよう。

90メートル先に避難口があると知らせる木製看板 左岸に遊歩道があるので、しばらく下流に向かって歩いてみた。しばらくすると「避難口2番 90m」という気になる看板が。避難口って何?

川は右へ曲がり、青空が見え、山肌の緑が輝いていた。 木々が覆いかぶさるような道を歩いて行くと突然、視界が開け、朝日に輝く森が見えた。調子に乗って歩いてしまうと駐車場に戻るのが大変(あの上り階段が控えている)。そこでそろそろ戻ろうかと算段しているところで「避難口2番」の看板が見えた。

避難口

避難口2番とかかれた新聞紙を広げたほどの大きさの白い看板
セメントで固めてはあるが、落ち葉の積もった急な坂道。
公道に繋がる部分は高さ1メートルほどの竹垣で塞がれていた。
看板には細かい字でなにやら書いてあったようだが、今は読めない。好奇心に駆られて上り始めてすぐに後悔。なんという急坂だ。しかも落葉が積もっていて滑りやすい。つづら折れを上り、ようやく上の道路に出たと思ったら、なんと柵で塞がれていた。映画「地下水道」で負傷したコラブを連れて歩いたデイジーの気分。実際に避難する段になったら開放されるのだろうし、そうでなくても簡単に乗り越えたり倒したりできそうな代物だが、あの勾配と落ち葉は避難を妨げること請け合いだ。ってなことを考えながら降りてきた。

道端に落ちていた「避難口1番へ140メートル」の看板 滝まで戻る途中に「避難口1番 140m」という看板が倒れていた。向きからすると上流。だが滝壺まで戻り左岸を調べたがそれらしいものはない。

滝への入り口は

階段下に建てられていた遊歩道案内図なんのことはない、先ほど右岸に見えた石の階段が避難口1番。遊歩道全体の案内図もあり、どうやらここが起点らしい。つまり先ほど県道から降りてきたのは公的なルートではない。そういえば途中の休憩所風のところに「私有地」と書いてあったっけ(〈罠〉と書いた所以であり、憶測だけど途中に土産物屋でも店開きするのだろうか?)。そしてこの避難口の意義は、雨が降って急な増水の恐れがある場合に観光客を避難させるためのものであった(恐いのは避難口3番と4番の間には「この間は避難口がありませんので十分注意してください」という、具体的にどう注意するの?と疑問符のつく注意書きがあること)

避難口1番の石段。幅は2メートル弱でセメント製の手すり。
石段の上端から県道までの坂道。コンクリで舗装され、中央にはロープ。
県道へ出たところ。「粟又の滝自然遊歩道入口」「滝めぐりコース 養老の滝200メートル、(中略)下り口」という看板が。
さて、その避難口1番は、急ではあるものの広くてしっかりした階段であった。狭くて中途半端な鉄階段よりは使いやすそう。体力があれば人を背負って昇降も...金と力のない私には難しいか。階段が終わると今度は坂道。これまた急峻で長い。しかし上り下りが分離されており、歩きやすい。

そして県道178号に出て振り返ると、設置者名こそ書いてないものの「粟又の滝自然遊歩道入口」等の看板があり、ああ、ここが滝へのオフィシャルな入口だと分かる。

駐車場

町営駐車場出入口脇の小屋に紐でくくりつけられた「駐車料金はこの中へ」「1台500円」と手書きされた白い木箱。駐車場に戻っても、この時刻(7時40分)では1台だけ。当然、管理人の姿も見えない。料金収納箱が置かれているということは利用者の良心任せの無人駐車場なのかも(第三者が勝手に設置したニセ料金箱の可能性は...ま、ないだろうけど、手書き文字の怪しい箱だ。)。当然のことではあるが500円を納付してから出発。出口で人が突然現れて「金払わなきゃだめじゃないか」と難癖をつけられたら、と妄想して投入するところを写真に撮ったが、よく考えたら動画にして「入れるふり」でないことも明白にしておかないと証拠としては弱い。幸いなことにそんな人物は現れなかった。

滞在時間は約40分だったので、今度来るときは滝見苑の駐車場を第一候補にしよう。さて、次は飯給駅だ。

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2016/06/06

つながらない線路:上総中野駅

太平洋に昇る朝日を見に来たついでに巡る房総半島の旅。椿公園の次は御宿にある「月の砂漠の像」の予定であったが、自動車を停める場所を見つけられなかったので場所だけ確認して通過(駐車場はいくつもあったが、早朝のことで管理人はおらず、かといって無断で停めていると揉めそうな雰囲気があって、「もういいや」ということに)。この辺りで疲れが出てきたのか、勝浦まで海沿いの道路を走ってから大多喜街道を北上するつもりでいたのに、ナビへ粟又の滝(別名「養老の滝」)の位置を設定してしまったため、すぐ半島中央部に向かってしまった。粟又の滝近くまで来て上総中野駅のことを思い出し追加設定したのだが、カーナビというのは基本的に「ここでUターンしろ」とは言わないようだ。方向転換するためにかなり大回りをすることに。ともあれ6時半ころに駅前に到着した。

2つの鉄道が出会った駅

この駅は2015年6月21日に放送された「ヨルタモリ」の「始点・終点」に登場している。印象的なナレーションを書き起こしたページがある。

つまりここは、
ふたつの車止め標識が向かいあう
極めて珍しい始点・終点。

鴨川を目指して五井から南下してきた民間の小湊鐵道と、日本国有鉄道が内房の更津と外房の大を結ぶために建設してきた国鉄木原線(国鉄民営化後いすみ鉄道いすみ線に)は、この上総中野駅で出会ったところで力尽きたように延伸が止まり、今に至っている。そして駅は列車が互いに乗り入れられない構造になっている。ナレーションの結びは繋がらない線路のもどかしさを語っているようだ。

上総中野駅の二つの車止め標識は、
70年以上もの間、
複雑な思いを抱きながら
行きかう電車を見守り続ける。

ところがである。実は小湊鐵道といすみ鉄道とを結ぶ線路は存在する。Googleマップで見てもらえば分かるように、東から来た小湊鐵道線は駅舎寄りに、西から来たいすみ鉄道線はその南のホームに引きこまれているが、もう1本、ホームのないところを通っている側線がある。

つまり、「ここはあくまでリレーの中継地点。」というのは一種のフィクション(実際、保守用車両ではあるけれどいすみ鉄道から小湊鉄道へ乗り入れた例もある)。それを知ってやや興ざめした思いで見回すとそもそも電車は走っていないということにも気付く。幻想を打ち砕いてから現地に赴くというのも旅の醍醐味(ぉぃ)。

駅全景

左からいすみ鉄道、右から小湊鐵道の線路が来る上総中野駅のホーム

パノラマ写真は縮小して全体を見るより、ダウンロードしたものをウィンドウ幅1000ピクセル程度で原寸大表示にしてスクロールした方が実際に見渡しているのと似た見え方になる(ココログは仕様上1600ピクセルより幅広い画像をアップできないので、外部に幅8416ピクセルの画像を載せた)。向かって左端に駅前駐車場が見える。車止めで終わっている手前の線路は小湊鐵道のもの。左手から伸びてきている線路は大多喜を経て大原と繋がるいすみ鉄道。無人駅なので改札口はなく外から直接いすみ鉄道のホーム(1面1線)へ渡ることができる。いすみ鉄道のホーム右端には車止めが見える(その奥に側線が通っている)。小湊鐵道の線路はその右側を伸びている。駅舎は手前の小湊鐵道ホームにある。

一両編成の大原行き始発列車がホームに停まっている駅前に着いたとき、ちょうど大原行きの始発列車の出るところであった。見ての通り気動車(ディーゼルカー)であり電車ではない。小湊鐵道も電化されていないことは架線がないことで確認できる。

手前に駅舎のある小湊鐵道のホーム、線路を挟んでいすみ鉄道のホーム駅舎の五井寄り右半分は禁煙の開けた待合室駅舎の大原寄り左半分は喫煙可の開けた待合室
小湊鐵道ホームには木造の駅舎がある。無人駅なので改札口も券売所もない。外から来て右手(五井方面)は禁煙、左手(大原方面)は喫煙可となっている。扉がなく中央部が吹き抜けなので煙が漂ってくることはないだろうが、実におおらかな〈分煙〉である。なお、トイレは外へ出たところに竹筒型の公衆トイレ(写真は撮ってこなかったのでwikipedia参照。この写真には側線もはっきり写っている。)がある。

大原寄り、いすみ鉄道の線路から側線が分岐しているwikipediaの駅舎写真にはっきり写っているので、今さら載せる価値もないのだが、いすみ鉄道の線路と側線の分岐部分は撮ってきてある。手前の車止め標識は小湊鐵道の終点。

こうして出かけたときはなにかしら地域経済への貢献を考えるのだが、この時刻では開いている店もない。やむなく待合室の外にあった自販機で入場料代わりに飲み物を1本購入するにとどめた。次の目的地は粟又の滝(別名は養老の滝、正式?名称は高滝)。

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2016/06/04

椿山公園

5月21日に太東埼へ日の出を見に行った帰りに、いすみ市の椿公園に立ち寄った。

椿にそれほど興味があるわけでもなく、もとより開花の時期でもない(「開花時期がそれぞれ異なり」といっても秋から春にかけてだ)のに出かけたのは、園内にある大吊橋に興味を惹かれたから。

大吊橋

駐車場から入口広場へ入ると正面は四阿へ降りて小吊橋へ続く道
入口広場から大吊橋への道には門がある
畳一畳ほどの案内看板は錆びていて字はほとんど読めないが地図だけは色が残っている
門をくぐると幅1.2メートルほどの吊り橋
谷に奥には赤い小吊橋がかかっている
右手の下には池がある

谷を利用した公園で、両側を結ぶ吊り橋が大小2つかかっている。入り口から入って左(駐車場から来ると正面)は奥の小吊橋へ通じる下り道(途中で分岐して谷底へも行ける)、正面は大吊橋に直結する門。右は駐車場だが、こちらから来たので写真はない。

案内看板は見事に錆びていたが、なぜか地図部分のみ残存。公園案内図は上記いすみ市サイトにある。

「椿の森大吊橋」はがっしりとした造りに見えたが、やはり吊り橋、渡って行くとフワっフワっと上下に揺れだした。うん、これなら吊り橋効果も期待できそう(ぉぃ)

左手には奥にある小吊橋と谷底の中心施設(休憩所、トイレなど)が、右手には「西ノ谷堰」の池が見える。中心施設ではなにやら早朝トレーニングをしている男性が一人いた。

展望台から小吊橋へ

吊り橋を渡りきると右手に谷を登る階段
谷の奥へと続く尾根道は狭く両側は樹木
展望台へ続く急な上りの階段道
展望台から見下ろすと大小2つの吊り橋と円内を一望できる

70メートルの橋を渡りきると細い山道に。階段があるので車イスなどでは行くことができない。しかし転回するスペースはあるのでそこまで行って空中からの眺めを楽しむことはできる。

この先は尾根道で、細い上にアップダウンが激しく、また樹の枝が張り出して来ているので歩きにくい。奥の展望台への道は急階段。

とはいえ(晴れていれば)頑張って上るだけの価値ある眺望がひらけている。椿の花の咲く季節ならさぞ壮観であろう。それにしても展望台の踏み板の傷み具合は気になる。ちなみに展望台から四阿(あずまや)へ通じる道は整備中のため立入禁止となっていた。

展望台から北を振り返ると高圧送電塔が
イノシシ避けの電気柵への注意を促す看板
谷の奥の道から眺めると大小2つの吊り橋の向こうに東京電力の鉄塔

深山の趣はあるが振り返れば高圧線鉄塔が立っている(深山にも高圧線は走っているけれど)。階段道を降りていくと、イノシシ避け電柵の注意看板。素人細工でなければブレーカーがあって死ぬほどの電流は流れないと思うけれど、それでもショックは受けるだろう。

案内図⑦の位置から小吊橋と大吊橋をまとめて撮影。その向こうに見えるのは東京電力の鉄塔。小吊橋は短いせいかそんなには揺れない印象。

入口広場へ

吊り橋の下にある「つどいの広場」へ続く道
坂道を登り切ると入口広場へ
西ノ谷堰池の畔から見上げた駐車場へ続く階段

四阿の前で道は二手に分かれ、左は中心施設のある「つどいの広場」へ。右の道は「椿の森大吊橋」を左手に見ながら坂を上って入口広場へ。戻ってきたのがおよそ5時半。

駐車場に「トイレは下」という案内看板があったので確認しておこうと入口広場の手前の階段を降りてみると、結局つどいの広場にある中心施設のトイレに行けるということらしい。たしかに地図を見ると入口広場からつどいの広場へ降りる道は四阿の前へ迂回している。急ぐ人は階段で大吊橋の下に出るのが賢明だろうが、この急階段である。ちなみに駐車場はこの斜面に櫓を組んで鉄板を敷いた構造。

ここから小湊鉄道といすみ鉄道が乗り入れている上総中野駅へ向かった。

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2016/05/22

太東埼へ日の出を見に行く

ふと思い立って千葉県の太東埼へ日の出を見に行った。この季節、日の出は4時半と早い。そのおかげで明るくなっても人が少ないという利点もある。それはともかく5月20日の深更、「タモリ倶楽部」(テレビ朝日)を見終わってからしばらくして出発した。

幕張パーキングエリアでは照明はついているがもう閉店していた以前、と言っても前世紀のことだが、白子町のブランチに通っていたことがあったので、当時のルートである京葉道→千葉東金道を使って行った。さすがに3時だと幕張PAも開いている店舗はない。カーナビは東金ICまで行って東金九十九里有料道路、九十九里有料道路を使えと指示してきたが、九十九里有料道路は来年3月まで終日通行止めPDF)なので、手前の山田ICで降り、勝手知ったる下道を走行した(後で気付いたが圏央道で茂原北ICまで行くという手があった...これだから旧いカーナビは)

さすがに20年経つと、街の様子は変わるし記憶は薄れるしで、途中どこを走っているのか分からなくなりかけたが、国道128号に無事に辿りつけた。その代わり、道路の案内標識(青看板)を見て「本納に赴くままに(「本能の赴くままに」の洒落)」と呟く機会は失った。

4時頃になると明るくなってくる。幸いなことに、やや雲は出ているものの、朝日は拝めそうな雰囲気。ところが、いすみ市岬町和泉の「太東灯台入口」交差点を左折したところで道を間違える。「太東埼灯台直進1.1km」という看板は目視したものの、道路標示に欺かれて右へ逸れてしまう(この意味はGoogleSVを見ていただければ分かると思う)。とても狭い農道や袋小路に迷いこんでタイムロス。人の通らない早朝で本当に良かった。カーナビの助けも借りてようやく灯台そばの駐車場に到着できたのが4時半。

上空は晴れているが水平線上には雲の帯。その上が赤く染まっている。日の出に間に合ったか、と外に出てみると...なんと雲が水平線を覆っているではないか。まぁ、良い。ある意味で「日の出には間に合った」。駐車場には先客があって、どうやら来ているのは若い男女(男は展望台にいるらしい)。邪魔をしては悪いという配慮半分、さっさと立ち去れという恫喝半分で、駐車場からまっすぐ展望台へは行かず、まず下のトイレへ。それから駐車場へは戻らず南回りに進み、階段を使って直接展望台へ。

崖の縁から少し下がったところに柵があり、その向こうには太平洋が広がっている。水平線上には雲があるが、その上には朝日が輝きだしている。

展望台の後方、やや小高くなっている、岬の先端で一番高いところからパノラマ写真を撮影。それからもはや昼行灯のようになった灯台の照明を眺めたり、潮騒や鳥の声に聞き入ったりしてゆったりとした時間を過ごす。そうこうしているうちに早朝にもかかわらず、さらに人が増えてきたので移動することに。次の目的地である椿公園に向けて出発。国道128号へ出る道はきわめて明快で、どうして迷ったのだろうかと頭をかかえるほど。

13年前の太東埼

展望台の後方に白い灯台が立っている。実は太東崎訪問は2度目である(なのになぜ道を間違える>自分)。前回は2003年の1月2日、いわゆる〈次日の出〉を見に来ている。とても寒くて、デジカメのバッテリー電圧がアッという間に下がってしまったのを覚えている。そしてこの時も水平線は雲に覆われていた。また当時からトイレは太陽光発電を利用していたが、発電パネルは増えている。

上から覗き込んだ波打ち際その時の写真を引っ張り出してみると柵の形が違い、どうも海蝕が進んで柵を作り直しているようだ。当時は崖っぷちに近いところまで進めていて、波打ち際を覗き込んでいる(柵を越えるようなことはしていない)

崖の縁にある旧い柵から数メートル下がったところに高さ1メートルほどの新しい柵が作られていて「きけん のぼるな」という警告が。 そういえば柵が二重になっているところがあった。このペースで下がっていったらどうなるかな。ここは旧海軍が首都防衛のための電探(レーダー)を設置した場所だが、その本体の礎石はすでに海中に崩落した、と説明があった。今の太東埼灯台は海岸侵食を避けて内陸へ移設した2代目であるという。

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2016/01/30

アクアマリンふくしまへアンコウを食いに行く

アクアマリンふくしま(正式名称は「ふくしま海洋科学館」)では月に1回、福島の海で獲った魚の放射能を測定する「調べラボ(「たべらぼ」と読む)を開催している。

アクアマリンふくしまでは「調(た)べラボ~いわきの魚を食べてみよう~」を開催します。福島県で漁獲される魚をみなさまの目の前で捌いて、放射性物質量を測定することによって、現在の福島沿岸の魚介類の安全性を理解していただくイベントです。

そして「いわきの魚を食べてみよう」という副題が示すように、モニタリングの結果から安全性が確認され試験操業の対象となった魚介類は試食できる。1月はアンコウ!

というわけで17日(日)にいわき市まで行ってきた。去年の夏に駆け足で回って消化不良だったところをじっくりと見たくもあった。今回はお酒をいただこうということで列車を選択。

常磐線特急「ひたち」の色覚バリアフル

JR常磐線の特急「ひたち」は全席指定である(自由席というものがない)。特急券を持たないで乗車した場合は、頭上に赤色灯のついている席に座り、車掌から指定券を購入することになる(乗車前に買うより高くなる)。「空いているのは赤色点灯の席」というのはアフォーダンスに反するように思われるかもしれない。実際そういう声はあったし、私もそう思っていた。しかし座席指定券を購入して乗車してみると、券面に印字された番号の座席が緑色点灯なのは実に当然であった。

座席の上のランプが予約済みかどうかを示し、左が緑色なら予約済み、右が赤なら未予約。ところでこの「ひたち」の乗車システムにはもう一つ批判があった。それは指定券が発行済であるかないかが天井のランプの色だけ、しかも赤と緑という日本人男性の約5%が識別できない組み合わせで表示されていること。色覚バリアフリーの思想においては色のみに頼った区別は好ましくないとされる。インターネットエクスプローラー(IE)とかファイアフォックス(Firefox)あるいはサファリ(Safari)、クローム(Chrome)といったウェブブラウザにおいて、標準の設定ではハイパーリンクの張られた文字列は色が異なるだけでなく下線が引かれていることにお気づきだろう(標準では未読が青、既読が赤であるが、その色を変えるだけならまだしも、下線を表示させないようにする**Deleted for the Courtesy Reasons**な〈デザイナー〉が存在するのは実に嘆かわしい)。これはWorldWideWebを開発したティム・バーナーズ=リーの卓見らしい(色覚バリアフリーという概念の提唱者は不詳)が、現在のカラーユニバーサルデザインについては色覚バリアフリーのページなどを参照されたい。

座席の背もたれにある説明では赤いランプは左端 「色だけで区別といえば交通信号がそうではないか」という声もあろう。経験者によると色ではなくて左右の位置で区別しているという(そのためふだん横に並んでいる信号になれた人が雪国のように縦に並んだ信号機に遭遇すると困惑する。それはもっともに聞こえる。ある種の充電器では点灯部位が同じで色だけ変わることで充電終了を知らせるが、そうではないから点灯部位で判断はできそうだ。それではここで座席の背もたれについている説明を見てみましょう。赤が左で緑が右になっていますね(交通信号の配置を思い出せる人はいますか?)。それでは天井のランプの配置はどうでしょうか。

通路を挟んで進行方向向かって右側の座席では赤と緑が逆になっている これに気づいたのは帰宅して写真を整理している時だったが、「こんなバカなことがあるのか」と開いた口が塞がらなかった。そしてしばらくして気がついた。私が乗ったのは下り列車。上りなら座席は180°回転するので説明と一致する...あれれ、通路反対側ではランプの並びが逆ではないか。窓側が緑という配置なのだろうか?

ともあれ、頭上のランプは緑という快適な旅で泉駅に到着。駅そのものは3度目だが列車から降りたのは初めて。橋上駅舎は改装したばかり(といっても2005年か?)らしくとてもモダンな印象だが、ホームは昔ながらの常磐線の趣がたっぷり。

アクアマリンふくしまへ

泉駅からアクアマリンふくしまへはバスも出ているものの、あまり便利ではないので南口からタクシーに乗る。車内に「プラズマクラスター」云々というステッカーが貼ってあるが気にしない。料金メーターは順調に上がっていき、正門前、タクシー降り場の寸前でもカチリと上がって2130円。眉ひとつ動かさず現金で支払って降車。荷物をコインロッカーに収め身軽になって入館。料金は1800円。

今回は「縄文の里」はスキップし、まっすぐ本館へ向かう。海獣(印象としては怪獣 ^^; )の咆哮が聞こえてきたので記念に一枚(音無し)。

「調べラボ」は1階のアクアルーム1で開催されていた。廊下に面した側に流しと調理台があり、そこで獲ってきた魚を測定用にさばいていたのは富原さん。鮮やかな手つきとよく通る説明の声に漁師さんか魚屋さんかと思ったら獣医さんでした。 私の撮った写真では雰囲気が出ていないので、ボランティアスタッフの方の写真を拝借。左端の女性は取材に来た福島テレビのスタッフ、その前で熱心に見入っている女児は常連さんらしい。

アンコウ汁を作る寸胴鍋の前に女性レポーターが立ち、向かって右側にカメラ・音声・照明ああ、写真は「第九回 調べラボ~いわきの魚を食べてみよう~」にたくさん(私の撮ったぼけたのも)。そしてドンコの身を測定機に入れて後は待つだけになった11時からはお目当てのアンコウ汁が振舞われる。福島テレビがレポートするさまが面白かったのでこっそり撮影。そのせいでもないだろうが、おかわりしてもいいのかなぁとウロウロしていたら福島テレビに取材を依頼され、テレビカメラに顔を晒すことに。たとえ相手がテレビであろうと「撮られたら撮り返す」を実践。

正面にTVカメラを担いだ男性、その背後からLEDライトで照らされ、向かって左には音声収録用の大きなマイクレポーター「今日はどうして来られたのですか」私「アンコウ汁を食べられると聞いて」
レポーター「参加してみていかがでしたか」私「アンコウ汁が美味しかった」
レポーター「ここに来て、来る前と考えが変わりましたか」私「全然変わりません」

展示パネルの下にあるテーブルに並べられた参考図書後から思えば、そこで後ろに並んでいる本(『はじめての福島学』や『放射線被曝の理科・社会』『語りあうためのICRP111』『原発事故と放射線のリスク学』『知ろうとすること』など20冊)の中から『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』をサッと取り出し、「この本を読んでいましたから」とやったら様になっただろう(下衆の知恵あとから)。実際問題、汚染は基準値をはるかに下回り、その基準値からして1年間食べ続けても追加1mSvに達しないことを確実にする用心深いもので、なおかつ追加1mSvを超えたからといってなにか悪い影響が出るはずもない(なにか起きるとすれば別の不摂生の影響の方が大きかろう)。「美味しい魚だ」とニコニコしていることの好影響の方が強く出るだろう。

ちなみにこの本はチェルノブイリ事故の越境汚染を食らったスウェーデンが、大混乱の果てに得た教訓と対策をまとめたもので、訳者の「本書に見られるような危機意識と万全な災害対策が日本でもきちんと共有され、適切な準備がなされていれば、福島第一原発事故のあとの対応は異なったものになっただろうと思わずにはいられません」というあとがきが印象的。原発を再稼働するなら「事故は起きないように努力はするけれど、もし事故が起きてもこういう対策があります」を示すべき。そして同じ失敗を繰り返してはいけない。

なお、2月13日11時半からの「サタふく」で放送されるらしいが、私の場面はカットされていることでしょう。県外から見る術もないし(どこかで見られるかな?)。もし映っていたら教えてください。

おいしい水族館

寿司屋のカウンター。ここで代金を払って寿司を受け取る。 さすがにアンコウ汁一杯では腹が満たされないし、むしろ食欲が刺激されてしまったので、いったん抜けて、かねて予定の寿司処「潮目の海」HAPPY OCEANSへ。水族館で寿司を食うって許されるのだろうか? という気もするが、クラゲ水族館として有名な加茂水族館のレストランでもエチゼンクラゲ定食やクラゲラーメン、クラゲアイスを出しているし、許されるのだろう。もちろん館長には持続可能な、科学的に管理された資源利用こそ海洋のワイルドミートクライシスを解決するかぎであるという明確な考えがある。

寿司台に並べた六貫の握り寿司と升に入ったコップ酒を収めたトレイ すぐ脇にミズクラゲを眺めながら立って食べるカウンターがあったのに気づかず、反対側の椅子のあるスペースで握り寿司と地酒「又兵衛」をいただく(本体価格の合計1325円に課税した額1431円は表示されている税込価格の合計(1030+400)より1円高くなるので分けて注文するのが吉)。「潮目の海」の大水槽を泳ぐ魚を眺めながら、一緒に来る予定だった人のことを想ってちょっとしんみり。

ほろ酔い加減で展示を見て回り、トドやアザラシ、チンアナゴを愛でながら1階に戻ってくると今度は「おいしい水族館「アクアクロス」」にトラップされる。こちらではくじらフライ(単品)とスーパードライ。改めて確認できたことは、記憶にある鯨肉の味は生姜醤油の味であったということ。

さばかれて口だけ残ったアンコウ その足でアクアルーム1に戻ってみると、不覚にもアンコウの解体は終わっていた(上記togetterに動画がある)。しかし測定しなかった魚がブツ切りにされており、わさび醤油も用意されて食べ放題に(一般の客には出さない賄い的な物をツイッターの誼で分けていただいた)。途中でアニサキスがいるかも、という話になり「よくかんで食べましょう」になったものの、幸い潜伏期間を過ぎても異状なし。余った魚をブツ切りにして山盛りになった紙皿が2つ、その隣にわさび醤油の入った紙皿

しゃぼん玉男

ガラスの向こうに青い水槽が並んでいる14時を回ったので帰りの列車が気になり始め、「もういっぺん来るかも」とバックヤードツアーにも申し込まず、館内をサッと巡りシーラカンスのコーナーにも足を運んだ)、外に出てクウェート・ふくしま友好記念日本庭園の奥にある水生生物保全センター(CAL)でデビュー前の魚達が養生している水槽を眺めて退館。土産物を買うならら・ら・ミュウが良いと聞いたので、正門を出て直ぐに右へ。途中はA型バリケード(これの名前を調べるのに手を焼いた)が並べてあって工事中のように見えたが、警備の人に聞くと通り抜けられるというので進んでゆくとレンガを敷き詰めた広場になり、そこで大きなしゃぼん玉を飛ばしている人が。声をかけて写真を撮らせてもらった。

直径30センチメートル、長さ2メートルほどの大きなしゃぼん玉を作る男性

海べりの広場を漂う巨大なしゃぼん玉

ら・ら・ミュウ

ら・ら・ミュウは正式には「いわき市観光物産センター」といい、大きく「飲食ゾーン」「物販ゾーン」「おさかなゾーン」に分かれている。ここで「めひかりクッキー」「会津みちのく酒紀行」「かつおチップス」を購入。ついでにインフォメーションで泉駅へ行く方法を尋ねると、バス時刻表付きの地図に蛍光ペンで描き込みながら丁寧に教えてもらった(ただし、印をつけてもらったバス停は逆方向のいわき駅行)

バスの来る時刻には余裕があったので、ふと2階に上がってみると「いわきの東日本大震災展」をやっていた。3年前に開催し、当初は1年間の予定であったものが長期開催されているという。原発事故が注目されがちだが、福島県も津波被害は激しい(ずっと南の千葉県でさえ死者が出ている)。会場中央に何気ないように置かれていた大きなぬいぐるみは土台だけが残った住宅跡に置かれていたという。「欲しかったら持って行っていいよ」といったという主人の言葉に、流されたのは家だけではないことがうかがわれた。

17日に「アクアマリンふくしま」へ行ったついでに土産物を買おうと「ら・ら・ミュウ」(いわきの物産銘品プラザ)に寄ったところ、2階で震災展をやっていた。被災者から譲り受けたという大きなぬいぐるみが印象的(持ち主については明示的な記述はなかったけれど、津波で亡くなられたと推測)。

Posted by 細川 啓 on 2016年1月19日

泉駅はるかなり

「支所入口」のバス停バス停に行くとバスが来るまでにはまだだいぶあったので、駅方向に歩くことにした。しばらく歩くと「支所入口」。これはアクアマリンふくしまのサイトに案内されている停留所。また少し行くとアクアマリンまで徒歩10分という大きな看板が。徒歩10分と書かれた高さ2メートル、幅3メートルほどのアクアマリンふくしまへの案内看板次のバス停に着くたびに時刻を確認し「まだ行ける」と歩き続ける。バス通り(県道15号線)だから逸れることはあるまいと思ったのが大間違い。小名浜消防署前で15号線から逸脱、途中で怪しみガソリンスタンドで道を聞かなければ危うくそのまま陸前浜街道を西進するところであった。泉町八合のESSOさん、ありがとうございました。

あの交差点、なんか嫌な感じはしたのだ。それまで順調に現れていたバス停が急に途絶えるし(そこで引き返せよ)。でも、地図を見てもらえば分かると思うが、右上方から15号線を辿ってくれば左下方へ進みたくなるもの(バス停をチェックするため左側を歩いてきたから、同じ道を2度横断することに抵抗もあった)。とはいえ、リアルタイムであれ事前であれ、地図の確認は大切と何度目かの反省。晴れていたのがせめてもの救い。いや、雨や雪なら歩くなんて無謀なことをせずバスを待った...過去の経験を鑑みるに、そうとは言い切れないな。

ともあれ、やや予定より遅れたとは言え無事に泉駅に到着。時刻表を見るとまもなく上り特急が来る。券売機の操作は朝と同じなので滞り無く乗車券と特急券を購入し、余裕で17時32分発特急「ひたち」24号に乗り込んだ。

終わり良ければすべて良し

帰りの旅の友は「ら・ら・ミュウ」で買い込んだお酒とおつまみ。

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2015/12/01

献血ルーム巡り13(埼玉県・鴻巣献血ルーム)

昨秋から始めた献血ルーム巡り(ある野望に基づき)埼玉県に回帰して鴻巣献血ルームへ。15年11月24日に行ったものの、なぜかブログ記事にするのを忘れていた(12月1日付けでアップするが、実際の日付は2016年である)。どうやら顔本にあげて安心してしまったらしい。

鴻巣献血ルームは運転免許センターの中

埼玉県警察運転免許センター敷地内にある鴻巣献血ルーム。ここは全血400mLのみ。成分献血だと1時間近くかかるのに、400mLは10分かからなかった。なお、献血当日に運転免許試験を受けて合格した人にはプレゼント(このときはマフラータオル)が用意されている。

A型緊急、O型緊急、B型不足、AB型緊急この日はA,O,ABが「緊急」、Bが「不足」だった。「お薬服用中でも献血できる場合があります」という看板も。

「お薬服用中でも献血できる場合があります」という看板を首から下げたマスコット人形服薬中は原則として献血ができない。しかし安全率を大きくとって「全部ダメ」としていたら花粉症の季節に血液不足が深刻になってしまったという。そこで現在は薬剤の種類ごとに制限を変えている。潔癖症というのはある意味で贅沢。

受付・問診・採血

受付で全血しか受け付けていない旨を確認される。もとよりそれは承知之助(というか、6か月ほどお休みするつもりで3か月の休止期間のある400mLを選択した)

型通りの同意とタッチパネルによる問診を済ませ、無線呼び出し機とアクエリアスをもらって待機。待合室は高くて明るい天井。大きなテーブル1つと小さいテーブルが3つ、イスはベンチと合わせて約20人分。

医師問診では「酒を飲みますか」と聞かれたが、別に肝機能値に問題があったわけではなさそう。セルフ測定した血圧が151/108と高めだったためか再測定。結果は問題なし。

採血ベッドは6台。靴を履いたまま上がる。看護師の手袋は紫色。採血部位をエタノール綿で2回、ヨード綿棒で1回消毒するのは他所と同じだが、看護師の指はヨード消毒していなかった。成分と違い全血はレッグクロス運動をするまもなくアッという間に終わる。

おみやげのカップスープ。転がり防止のため「起き上がりムンク」の助けを借りる終わると鴻巣献血ルーム限定の「ぽかぽかキャンペーン」ではカップスープをくれた。(左に写っているのは「起き上がりムンク」)

トイレ

トイレにはL字てすり2014年にリニューアルしたばかりとあって、明るく清潔で、そしてバリアフリー構造。しかし手すりが必要な人が献血できるのだろうか?という疑問も。採血後の血管迷走神経反射(VVR)対策かもしれないが。ちなみに気分が悪くなったときの非常呼び出しボタンは押しやすい位置にあった。

右手の壁、手すりのそばに非常用呼び出しボタン洗浄操作パネルのそばだけど、視覚障害者は誤操作しないだろうか?

採血後のお手洗いは座位でこんな注意書きを貼るより、便座を固定してしまった方が確実だと思う。清掃しにくくなるのを嫌ってるのかな。

水道の左脇にはエアータオルエアータオル(ハンドドライヤー)が用意されている。

募金箱の列

棚に並んだ募金箱待合室の棚には募金箱が並んでいた。一見同じだけれどよく見ると、「平成27年台風18号等○○災害義援金」「平成27年台風21号与那国町災害義援金」「屋久島町口永良部島新岳噴火災害義援金」「東日本大震災義援金」「中東人道危機義援金」とそれぞれ目的が異なっていた。ただ、これだけ並べられると、特に縁でもないと選ぶのは躊躇われるし、かといって全部に良心の疼かない金額を入れるのも大変で...はい、写真を撮っただけです。orz

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2015/11/05

矢祭町の「さかな家」に行く

東北最南端の町、矢祭町には「さかな家」という小料理屋がある。6月に水戸へ行った帰りに乗用車で矢祭町を訪れた際は、開店時刻よりも早く着いてしまったこと、また自動車なので酒は飲めないこともあり、店の場所を確認しただけで帰ってきてしまった。今回、郡山まで鉄道で出たので、水郡線を使って立ち寄ることを計画した。

郡山駅の謎

4番線ホームの標識の隣に、より大きな3番線は80メートル先の標識昼食を済ませ、13:45発水戸行きの水郡線に乗ろうと郡山駅に着いた。改札はICカードで通過できるが、用心して切符を購入。東館駅まで1320円。案内に従って地下通路を通り、階段を登ると不思議な標識。出たホームは右が2番線、左が4番線。3番線は?と思うと大きな「80m先」だという。1本のホームを2つの線で共用する例もあることだし、そういう事かと思って矢印に従い進むと、さらに大きな「3番線」の看板。なんぞこれ。

ホームの真ん中、待合室の外壁に幅3メートル、高さ2メートルはあろうかという「3番線はこの先です」の看板「水郡ホームはこの先です」「3番線 水郡線ホームはこの先です。」とくどいほどの案内。

ホームの幅が半分になり、2番線の線路の隣にもう一本線路があり、そこに列車が止まっていたこの謎は待合室(上記看板は待合室の外壁に掲げられている)を過ぎると解けた。切り欠きホームで3番線が作られているのだ。かつては番線なしで「水郡ホーム」と呼ばれていたらしい。ちなみに戸と山を結ぶから水郡線なのだが、名目上?は隣の安積永盛駅が終点。

奥久慈清流ライン

全長140kmほどあるものの、現在は各駅停車しか運行されていない。完全非電化路線で走るのはすべて気動車(ディーゼル車)である。こう書くととても田舎臭い感じがするが、愛称は奥久慈清流ライン、そして車体はカラフルである。車内はボックスシートとロングシートを組み合わせたセミクロスシート、ボックスシートは1-2の3アブレスト、つまり一人がけと二人掛けの組み合わせなので中央の通路がゆったりとしている。そして驚きなのはトイレ。

洋式便器入り口も幅広くて中も広々、L字手すりも設置されており、車イスでも使用できそうである。もちろん水洗である。しかしながら東館駅のトイレは汲み取り式で、強烈なアンモニア臭が漂っていた。なんというギャップ。

大きな高窓一周する円形の建物に円錐形の屋根途中にはモダンな駅舎の駅もあったが(すれ違いのためしばらく停車していた磐城塙駅)

闇夜に入り口と待合室の蛍光灯だけが輝く駅舎東館駅は典型的な田舎の駅舎。昭和時代の話であるが、東京から来た学生が、無人駅が多いことを悪用して無賃乗車を図った。気がついた車掌が「待て」と呼び止めるも夜陰に乗じてその場は逃げおおせた。3日後に何食わぬ顔をして乗車すると、車掌が「お前はあの時の」と見破り、3日経っても覚えられていることに観念して、おとなしく割増運賃を支払ったとか。伝聞なので最初のシチュエーションがよく分からないが、どうも乗務員は全乗客の顔を見知っている恐ろしい路線、ということらしい。いかにもそんな感じを漂わせている駅舎である。

ちなみに簡易委託駅で、乗車券類の発売はいかにも近所のおばさんという風の女性が行っていた。集札すなわち改札口での切符の回収は行っていない(往きは車掌が検札の際に回収してしまった)。また16時を過ぎたあたりで窓口のシャッターを下ろして帰ってしまったので切符を購入することはできなかった(車内で購入したところ、駅では使えなかったであろうSuicaで支払いをすることができた)

今回も早い時刻についてしまうので、時間調整は近隣散策に当てようかとも思ったが、いろいろあって駅の待合室で読みかけだった『悪魔のハンマー(下)』を読むことに。上下合わせて1000ページを超す大作で、しかも活字が小さい。上巻を読み終えたところで息が上がってしまい、しばらく放置していた本。在来線の旅の友にはふさわしかろうと持ってきて、かなり読み進めることができた。しかし、見慣れぬ男が駅の待合室でずっと本を読んでいるというのは、地元に人にはかなり奇異に見えたかも。女子高生目当て(けっこう降りてきた)の変態に思われたかな?

さかな家

日も暮れて、高い天井の蛍光灯では本を読むのがつらくなったので、そろそろ開店するかと「さかな家」の前まで行ったが、まだ看板は消灯したまま。前で待っているのも不審に思われそうなので、いったん国道118号に出て、そこでポケットWiFiをつなごうとしたが、残念!電波が入らない。〈秘境〉を甘く見ていた。

闇夜に浮かび上がる「さかな家」の看板時計を見ると17:20。もういいだろうと戻ってみると、見慣れた文字の看板が煌々と輝いていた(マイナスに露出調整しないと文字が飛んでしまうほど)。ありがたやありがたや(開店時刻は17時半)。

何食わぬ顔をして入店するといかにも若大将という感じの主人に迎えられる。一人なのでカウンター席に案内された。カウンターと言っても靴を脱いで上がる板張りの小部屋で、主人が目の前で調理をする。メルマガの「おすすめ」にあった南郷ひやおろしやまつりの恵み盛り合わせ(ノビルの味噌添え、甘唐辛子の天ぷら、あと一つはなんだったっけ?)をまず注文。お酒は目の前でなみなみと、比喩ではなくてなみなみと注いでいただいた。

カウンターの上にある木製の魚職住接近なのであろう、小学生のお嬢さんが帰ってくる。そしてちゃんと客に挨拶をしている。やがておかみさんも現れて「アイコンそのままですね」。以前はオフ会で会った人から「アイコン詐欺!」と罵られることが何回かあったけれど。おかみさんの故郷に敬意を表して飛騨のお酒をいただくことに。これもまたなみなみと。

帰りの電車汽車の時刻が迫っているのでハイピッチで注文。さんま刺身に続き『いちえふ』にたびたび登場するメヒカリの空揚げ又兵衛ひやおろしでいただく。これもまた美味。しかしこんにゃくビビンバ丼はタイムアウトで見送り。うーん、もういっぺん来ないとだめか。おみやげにいただいたリンゴを下げて駅に行くと「矢祭町はこんにゃくの里」というステッカーが貼ってあった。

現在駅を中心に前後3駅に列車が着ているかを示す電光表示板が待合室の壁にかかっている水郡線の各駅にはこういうモダンな設備もある。無人駅が多いので、列車の遅延を利用者に知らせるためのもの。名前はトレインロケーションシステム「おしらせくん」とか。郡山に戻って新幹線に乗るならもう少し遅くまで粘れるけれど、今回は水戸に出て常磐線での帰還を選択。

人の姿が見えない車内(背もたれの影にはいたかも)水郡線はほぼ貸切状態。真っ暗闇の中をたっぷりと時間を掛けて水戸に着く(途中駅で車両の切り離しとか下り列車との交換とかで止まっている時間も長かった)。すなおに特急(ときわ92号)に乗ればよいのに、「金はない、時間はある」と学生のようなことを言って各駅停車を選択(新幹線を使った場合の半額で済んだ)。ロングシートで旅情はないけれど、途中から心地良く眠って帰ってきた。『悪魔のハンマー』は残り200ページほど。


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2015/09/20

伊達に行ったのは伊達じゃない

9月13日。急遽参加を決めた前夜の懇親会で「解禁〜」とひとりだけ酒を飲み(他の参加者は皆さん自動車でお帰りなので...ならなんで「食と地酒」の店に!)、ホテルまでの約3kmを歩いたら飲み足したくなってサイゼリヤへ行った影響かすっきりとした目覚め。風呂を浴び、朝食を摂ってさっさと出発した。

Google Mapsの経路検索によれば、福島飯坂ICで降りても二本木ICで降りても大して時間は変わらないので、福島松川PAで降りて松川事件現場をもう一度見ていくことに。高架橋の上から朝日に照らされた現場を一望して大満足。鉄柵に肘をぶつけたのも気にせず、次の目的地である伊達市役所へ向けて出発したのが8時前。

伊達市役所入口。右手に放射線測定値を示す電光掲示板。伊達市役所には8時半に到着し、駐車場にも余裕あり。入口脇には放射線量を示す表示盤。建物から電気が取れるからだろう、おなじみの太陽電池パネルは付いていない。赤色灯がついているのは異常な上昇があったときの警報用?(なら普段は緑色灯が点いているのかな? 休日だから消灯しているだけで)

エントランスホールに入ると、右側の市役所窓口へ通じる通路にはシャッターが降り、左手に進むと市民ホールには高井さん撮影の写真が展示されており、右を見るとダイアログセミナーの看板。ああ、ここだ。2010年に生化若手の会夏の学校に参加した時もそうだったが、2日目から参加すると、他の参加者はもう馴染んでいるのに独り浮いているような寂しさを覚えるもの。

第12回ICRPダイアログセミナー

前日に血を抜かれて、血糖値が下がっていて、睡眠不足という状態なので(特に午後は)しばしば意識が飛んでしまった。幸いなことにダイアログセミナーについては資料や実況ツイート情報がwikiにまとめられている。

会場からのツイート

まずは健気に会場から投稿したツイートを拾ってみよう。

4年半経って実測値で論じられるようになったのは大きいな。(10:22:20)

これは早野先生の発表だったか。乳幼児用ホールボディカウンターBabyScanで2700人を測定したが、放射性セシウムが検出(下限は50Bq/body)された例はないというもの。これはほぼ同じものをより多く食べている親の検査結果(山に自生するものを未検査で食べるなどしない限り不検出)からの予想と一致する結果だが、「子供に問題となる汚染はないはず」ではなくて「子供に問題となる汚染はない」と言い切れるところが大きい。

3年経って振り替えるのは有意義。(12:25:59)

これは午前中最後のセッション「あれから三年」というパネルディスカッションを聞きながら(「振り返る」のタイポである)

人類遺伝学の初歩は中等教育ではやっていないんだろうな。(12:37:06)

これは、相変わらず低線量被曝による遺伝的異常を心配する人への苛立ち(異常を疑われて子供が結婚差別を受けることを心配しているのなら親を責めるのはお門違いなのだが)。たしかに放射線で突然変異は誘発されるけれども、線量も線量率も桁違い(大雑把に言って100万倍)である。さらに言えば、その中には(少数例ではあるが)優れた形質を示す突然変異もある。だから放射線育種なんてものもあるわけで。被曝して超人が生まれると考えるのはSFの見過ぎと言えるだろうが、被曝したら突然変異体が生まれるというのも短絡しすぎ。そして、あまり強調したくはないけれど、人は誰しも病気の遺伝子を複数持っている。遺伝子の異常によらない先天性疾患もある。だから人為的な放射線を全く浴びず、自然放射能の弱い地域に住み、有害な化学物質への暴露もなく、配偶者の家系を7代遡って調査して問題が見つからなかったとしても(こういう調査をする人は自分の家系も調べているのだろうか?)、先天性の障害を持つ児は産まれてくる。人生は当たる確率の小さいのロシアンルーレット。それが人類遺伝学の初歩か?と突っ込まれると困るけれど。

ま、中等教育では「健康な子孫を残すために摂生しましょう」は教えられても、「どんなに注意しても病気を背負った子は生まれるときは生まれます」を教えるのは難しいか。でも、「先天性障害を負っているからと言って不幸とは決めつけられないし、〈生きる価値〉を判定してはいけない」はしっかり教育して欲しいところ。

安東さんの名司会。(12:46:59)

緊迫したパネルディスカッションが終わって安堵。それにしても言葉の齟齬は怖いと思った。山本さん(登壇者として紹介されるまでツイッター名しか知らず、それは人前で声に出すのは憚られるため、開会前に写真展でお見かけしても挨拶できなかった)が「地元のお母さん」と言ったとき「地元って、横浜?それとも福島?」と一瞬混乱した。どちらでもそれなりに意味が通じて、しかし全く別の解釈に至りかねない。幸い今回は皆さん「横浜」と理解されたようだけれど、代名詞以外にも、こんなところにも陥穽があるなんて。

午前の部は終わり、午後は13時45分からというアナウンス。2階で弁当を配布していると言うが、招待された方や関係者が優先と遠慮して、外へ食べに出た。そのため大森&宮崎のフルート演奏は聞けず。

「正しさは恐い」 (14:53:30)

これは「対話:ステップ2―未来への歩み」での宮井さんの発言だろうか? その前のベラルーシから来た小児科医Raisa Misiuraの発表は途中までしか記憶にない。

宮井さんの発言(だと思う)ではもう一つ「誰が言っているかが重要」というのが印象深い。ネットが普及して早い時期から「匿名実名論争」というのがあった。匿名(ハンドル)擁護派は「誰が言ったかではなく、何を言ったかが重要」と主張し、少なくとも日本では匿名派が優勢だ。だが、端的に言ってそれは嘘。嘘と言って強すぎれば、それはある限定された条件下でしか成立しない。

被災者自身が言えば受け入れられる言葉でも、県外の論評屋が口にしたら「ふざけるな」と猛反発をくらうものがある(実際、おかげで科学リテラシーが高まったと言って公の場で「そんな科学知識ならいらない」と怒鳴られた例もあるとか)。この点、「内容だけで判断」という人は地雷を踏みがちだろう。私もいわゆるモヒカン族の気がある(なんせ、Mad Max: Fury Roadを2回も見に行っちゃったもんね、違うか)ので注意したい。...ちなみにニフティサーブで主宰していたフォーラムは実名制です。

未来と現在の間には断絶が割り込んでくることがある。3.11が典型。(15:03:04)

誰かが未来と現在は繋がっているみたいなことを言ったのにイラッとしてツイートした。今は反省している。

大人げなく怒れる人の貴重さ。(15:33:14)

これはICRPの丹羽先生が怒鳴り散らしたというエピソードを拝聴しながら。togetterを見ると「丹羽先生が場外乱闘を」と紹介されている。また早野先生のツイートでも(「言われたいた」→「言われていた」)

ちなみに丹羽先生には「細胞工学」に寄稿していただいたことがある。郡山でお会いしたときに名乗ったが、もちろん覚えてはいらっしゃならなかった。こちらも内容は忘れていて、単に「著者には丹羽が2人(丹羽太貫と丹羽修身)いた」で記憶していたに過ぎないのだが。

エピソードの力侮りがたし。(15:41:55)

これは早野先生が紹介した研究で、おそらく「誤った情報を正すための3つのコミュニケーション術」と同じ内容。すなわち「1.事実をもって反証を試みても、奏功しないどころか逆効果になる」「2.デマへの言及を繰り返すことで、そのデマを期せずして広めてしまう」「3.相手を肯定することは効果的だが、実行は難しい」そして3つの筈なのに4番目「4.ストーリーの力を常に過小評価してしまう(以上4つは記事の見出しで、3つのコミュニケーション術とは「噂を打ち消してデマを払拭する過程で、誤った情報を繰り返して発信しないこと。説得力のある、前向きなストーリーを利用すること。そして、情報は多ければ良いとは限らないと心に留めておくこと」)

このストーリーで訴求するとは前日の心理学カフェで紹介された悪徳商法が用いるトリックである(それで心に響いてツイートした)

この後も17:30の閉会までいろいろな人が発言をして、考えさせられた。私に何ができるだろうか。そもそも今回やってきたのは、これが最終回と聞いたからで、いってみれば葬式鉄(廃止となる路線や列車、特にその最終運行ばかり乗るとか撮るとかするような鉄道ファンの蔑称)みたいなもの。産業を持ってくるような才覚はもとよりないが、「できません」で手あぐらをかいていては申し訳ない。

帰ってから考えた

『飯舘村を歩く』著者の話は、初めなんとなく神経に障ったが、午後のセッションで「ひとりで考えて腹に落とすことが大切」と言うのを聞いて、敵視することはないと考えを改めた。帰りの運転中は安全運転を心がけ(そのおかげか驚異の燃費21.2km/L)、翌日になって記憶を反芻した。

まず思ったのは、12日の心理学カフェでも感じた、デマや悪徳商法がエピソード(物語)の訴求力で攻めてくるのに、対抗する側が持ち出すのが情緒を削ぎ落した科学の言葉では勝敗(大衆の判定)は見えているだろうということ。ストーリーで訴えるのを「不誠実なトリック」と排除していては人々の共感は得られない。それを実感させられたのが、安東さんの語る従姉妹のエピソード。普段は涙声を聞くとそれだけで冷淡になってしまうのだが、市井の人を襲った不条理の事実を突きつけられて思わず貰い泣きしそうになってしまった(馬齢を重ねて涙もろくなった、というのもあるかもしれない)。避難指示が解除されず、そのため留守にした自宅がネズミに荒らされて住めなくなってしまい帰還を断念したのだが、そこは原発からの距離が近いというだけで、線量率は低く、住もうと思えば住めた。少なくとも頻繁に帰って来ていれば住めなくなるほど荒れることはなかった。国の言うことを信じて二度も裏切られたという嘆きが聞こえるような気がした。

また科学の言葉で考えるのは、訓練した領域でなければ難しいだろう。エネルギー問題で見識を示した人が、自身や家族の健康問題では〈鰯の頭〉に縋るようなことがあってもおかしくはない。「病気に効くかどうかは二重盲検法で確かめなければ」「有効な治療法があるのに、それを使わせないなんて非人道的だ!」「あんたは壺売りの手先か!」と噛み合わない啀み合いになるかもしれない。

そして「誰が言うかが大切」もそうだけど、声は届いているけれど、言葉が通じていない状況をどう打開するか。「こっちが正しいことを言っているのに、感情的に反発する困った人たち」とレッテルを貼っても、精神的勝利法でしかないだろう。これに関しては今のところ、無用に刺激するのは避けて逆鱗の位置を特定するという消極的手法しか思いつかない。しかし必要なのは相手を肯定すること、そして前向きなストーリーを共有すること。

福島の酒

消極的な「手を引っ張らない」協力から一歩ふみ出せば、それは「支える」だろう。考えなしに「後押し」まですると、ありがた迷惑になるかもしれない。

※一般には「足を引っ張る」という比喩を使うが、これはどうも「首吊りの足を引っ張る」の短縮形らしい。邪魔をするという意味ならば「手を引っ張る」で十分かと。

というわけで、伊達市が用意したのであろう参加者への記念品は、余ってしまうのもよろしくなかろうと、全員に行き渡ってであろうことを見すましてからいただいてきた。中身が猪口だと分かって思い出したのが「福島の酒を買って帰る」というミッション。市民ホールには日本酒や焼酎が展示されていたので、市の職員を捕まえて「酒はどこで買えますか?」。はじめは勘違いされて薄皮饅頭の保原柏屋への行き方を説明されたが、酒を買いたいと強調したところ、しばし考えられてから酒を置いているドラッグストアを紹介していただいた。行ってみると、道を間違えたのか、純粋な酒屋があり、選り取り見取り。ホールで紹介されていた酒のことはコロッと忘れて、ほまれ酒造の会津ほまれ(純米酒)と花春酒造の花春(純米酒)を購入。自動車なので一升瓶でも良かったが、万が一口に合わないと困ったことになるのでそれぞれ四合瓶で(杞憂であった)

猪口は「ふくしまダイアログ」「ICRP」と銘入りなので、「余らせない」という配慮は正解。ただ、残念なことに漆塗りなので、その日の晩酌には使えなかった(米びつの中で脱臭中)

市役所駐車場から西の空を見ると雲の上に夕焼けが広がっていた。

最後に伊達市の夕焼けを。


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2015/09/15

松川事件現場再訪

8月27日に松川事件の現場を見に行き脱輪して散々な目にあったが、13日に伊達市に行く用事ができたので、寄り道をして近くを通る高架橋の上から改めて現場を眺めてきた。

線路が1本、上下にやや右カーブしながら走っており、その脇に殉職之碑、慰霊観音、謀略忘れまじ松川事件の碑が並んでいる。県道の高架橋から金谷川駅方面を望む。この線路からレールが1本取り外され、上り列車が脱線転覆して乗務員3人が殉職した。中央に見える黄色の塔の手前にあるのがJR東日本労組建立の碑、先にあるのが慰霊観音と殉職之碑。右側手前に松川記念塔がある。

慰霊観音と線路の間には高いフェンスが張られている。以前はなかったもので、現場を見に来た人間が線路内に立ち入ることを嫌ってJRが設置したらしい。

石塔とそこから下がったところに作られた四阿松川運動記念会が建てた「松川記念塔」と、その周りに四阿等を整備した松川記念塔公園。記念塔はJR東北本線の上り線のすぐ近くにあることがよく分かる。右下に写っているのは高架橋の手すり。

記念塔の下の小さな広場には公園の由来を記した小さな看板が立っている前回は案内されるままに中央の看板のところまで自動車で入り、転回して帰ろうとしたところ、水路の石蓋がきれた少し先で脱輪した。この石蓋が道の右端なのでもう少し左に寄らなければいけなかったのだが、左側の田圃を警戒するあまり右寄りに走行して脱輪。ウインチで引き揚げられたあとが見えるような見えないような...

記念等公園へ続く丁字路左側が事件現場、右手前に記念塔公園。最初に来たJAFのレッカー車はこの辻から先へは進めなかった。乗用車なら入れないことはないが、ここに停めて塔までは徒歩がお薦め。記念塔公園で道は行き止まりなので、駐車しても迷惑にはならないだろう(農作業車が来たら話は別)

田んぼの脇に細い未舗装の農道が曲がりくねって続いている。 記念塔公園までの道全景。徒歩なら松川駅方面(手前)からも歩いてこられる...かも?

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献血ルーム巡り11(福島県・赤十字血液センター会津出張所)

今回は会津出張所での献血のあと郡山市で「心理学カフェ」、その翌日には伊達市で開かれている「第12回ICRPダイアログセミナー」とハシゴをしたので、書きたいことがたくさんあって、早く整理しないと忘れてしまいそうなので急いで書く。

もともとの予定では、9月の献血は月末のはずだった。それが福島エクスカーションに参加したとの当ブログエントリーを読んだ方から、(こいつなら福島まで来るかもと期待されたのか)郡山でサイエンスカフェを開くとの連絡をいただいた。初めは「テーマは面白そうだけど郡山はねぇ...」と思っていたが、午前中に献血を済ませれば間に合うことに気付き、9月12日に日帰り強行軍を設定した。と、その後からICRPのダイアログセミナーが12,13の両日に開かれ、これが一連のダイアログセミナーの最後になるという情報。うーむ、これは聞きたい。会場の伊達市は遠いけれど郡山からは近い、ということで郡山に一泊することにした。そのため今までの遠征は前泊だったが、今度は早朝に出ることに。

会津出張所

出発して間もなく震度5弱の地震に見舞われる(地震とは思わず、エンジンの不調で車体が震えだしたのかと思った)も、土曜の早朝は道が空いていていて快適。順調に会津へ向かう、と書きたいところだが出発が少々遅かったのに加え、途中で巡邏中のパトカーにぴったりとつかれて制限速度順守走行を強いられたり、パーキングエリアで空揚げそばを頼んだら肉を揚げ始めて待たされたりがあって(最大の原因は出発遅延だが)、予約の10時になってもまだ高速道路の上。うまい具合にパーキングエリアがあったのでそこから電話をし、「気をつけておいでください」と焦りを見透かす注意を受ける。さらに例によってカーナビが音声案内を終了しても建物を見つけられないという事態発生。さいわいにも屋上に設置された大きな赤十字マークを彼方に発見して辿りつくことができた(帰りはすんなりと表通りに出られたので、何が悪かったのか謎)。ちなみに「ふくしまけんせきじゅうじけつえきせんたーあいづしゅっちょうじょ」ではカーナビに入力できなかったので、所在地「会津若松市一箕町大字八幡字門田1-2」で検索したのだが、そこに何か問題があったのかも。

受け付け

駐車場に車を入れ、玄関へ入るとスリッパへの履き替え。さらにガラス扉を開けると奥に受付カウンターのある待合室。かなり小ぢんまりとしている(ウェブページに載っている写真を見て分かるように、椅子が8脚)。遅刻を詫び、献血カードを渡すと同意事項の説明から(今までの献血ルームもそうだったはずだが、なぜか新鮮な印象)。ろくに読まないで「はい」と言ってから27年5月18日からの第2版と気づく。どこが変わったのか尋ねると、4の研究利用で、単に「研究開発等に使用することがあります」だったのが「個人を特定できる情報と切り離し云々」と厳格化されたとのこと。

成分献血で予約をしており、「血小板で」と確認を求められたので、「緊急!400mL献血のお願い」というメールが来ていたことを念頭に「全血が不足しているのなら400でも」と申し出るも成分で構わないとの返事。でも後ろに貼り出してあるボード福島市のセンターに掲げられていたのとおなじもの)には「超ピンチ」となっていた。400mL献血をすると3か月はお休みなので(その間に6か月禁忌となる行為に及ぶという道もあるが)、ちょっぴり安堵。

タッチパネルの問診はいつもの通り。ついでセルフ血圧計で測定、したが結果を印字した紙が出てこない。職員2人があれこれ調べ、紙切れと判明(直前に用紙不足の警告が出て、互いに確認しないまま「補充されたもの」と思い込んでいたらしく、紙の点検が最後になっていた)。遅刻したり道が分からなくなったりのせいであろう、深呼吸をして臨んだのに最高血圧150を超える結果だったので、再測定ににんまり。2回目も下がったとは言え140を超えていたが、お咎めはなし。その間に手首に個人識別用の紙テープを巻かれたので、2回目の測定は腕を機械に通すのが大変だった(ここは個人名で呼ばない方針)

トイレ

ペーパーホルダーの隣に貼られた「座位で」のお願い医師による問診を待つ間に荷物を玄関にあったロッカー(硬貨不要)に入れ、水分補給をしてからトイレをチェック。扉を開けると奥に個室が1つだけ。一瞬、間違えて婦人用を開けてしまったかと振り返った。間違いなく男性用と確認してから個室へ。「採血後は、小便も座位で」とある。洋式便器だけなら便座を固定してしまえば合理的と思ったが、固定はされておらず、床には〈誤爆〉の痕が。

白い筐体に灰色のボタンで目立たないボタン 非常呼び出しボタンは目立たない。テプラは水平に貼りましょう(タイルが貼ってあってグリッドになっているんだから)

問診と事前検査

戻って待っていると番号で呼ばれて医師による問診(検診と書かれることが多いと思うが、ブースの表札は「問診」)。「前回献血のあと何か問題は?」「ありません」で終わり。続いて血液検査のための採血へ。前回、採血のあと止血帯を巻かれず指で押さえていろと言われたことに不満を漏らしたが、会津出張所では「包帯は使いません」という説明書きが用意されていた。指で押さえた方が止血成績が良いそうだ。ただ、看護師に頼めば絆創膏の上に包帯を巻いてくれるようだ。

結果は特に告げられず(ルームによっては教えてくれる)待合室へ戻る。本棚を眺めたり(震災のあと会津若松市の仮設住宅へ避難されてきた楢葉町民の記録『会津の日々』(非売品)が雑誌ラックにあった)、ガラス越しに採血室(の美人看護師)を眺めたりして待つ。

献血

短期記憶がいかれているのか、自分の番号を勘違いしていて、呼ばれたにもかかわらず無視。職員が不審そうに眼を向けるので「私じゃないから」と手首を見たら、呼ばれている番号ではないか。慌てて入室。

部屋の右端は検査カウンター、入口正面は問診ブース。残り(左の約2/3)が採血スペース。淡いピンク色の採血ベッドが3,2,3で8台あり、熊谷献血ルームと同じくらいか(熊谷は6床だが、待合室は会津より広い)

ひざ掛け毛布はやや濃いピンクで、全体に明るい感じになっている。アームレストには温パックが用意されていた(前回ほど熱くはない)。前回疑問に感じた「テレビの音はどうやって聞いている?」と確かめるべくリモコンで点けてみるとベッドの平坦なヘッドレストから音が聞こえてきた。イアホンを使う必要はないんだ。

Tシャツ(?)の上にエプロンを着けた看護師は新しい白いニトリル手袋をはめるとエタノールを噴霧し両手を擦り合わせて消毒。次にこちらの肘窩をエタノール綿で3回清拭してからポピドンヨードを塗布。ヨードが乾くまでの間に色々な作業をすすめるのは共通だが、目を離した隙に左手人差し指が茶色になっていた(ヨードで消毒)。その指で未消毒の部位を触ったら消毒した意味がなくなるので、人差し指だけピンと伸ばしているのだが、アレやったりコレやったりが大変そうで、ちょっと段取りが疑問。気になったので、採血の間に他の献血者への作業をじっと見ていたら、あれれ人差し指の消毒はしていない! 別の看護師を見ているとエタノール綿で丹念に拭いているのでヨードは使わないのかと思って目を離すと、いつの間にか指先が茶色になっている。どうなってるの?

いよいよ針を刺す段になって、「メガネが曇って血管が見えない」と言い出した。律儀に鼻までマスクをかけているので、呼気がメガネに当たって曇るのだ。「見ようとするな、感じるんだ」と言いかけたが、洒落にならない気がしたので沈黙を守る。幸いにもちゃんと血管に刺さってくれた。後は4サイクルの採血と(遠心分離した赤血球の)返送が終わるのを待つだけ。

採血ベッドのテーブルにあったラミネートの内容は、福島市の赤十字血液センター献血ルームと同じく、気分が悪くなったらしゃがめ、内出血の予防法、提供した血液の使用を止めて欲しい場合の連絡方法そしてレッグクロス運動の案内。このレッグクロス運動は、見回してみると皆さん真面目にやっている模様。少なくとも隣の男性と向かいの女性ははっきりやっていた(向かいの女性は真面目に足首屈伸をやっているせいか毛布がずれて裸足が露出して結構艶かしかったが、気づいた看護師が毛布をかけ直してしまった)

土曜日のせいか、ほぼ絶え間なく献血者が入ってくる。回転が早いのは400mL献血者もいるためのようだ(成分献血のほぼ半分の時間で終わる)。採血の終わった血液バッグの処置を見ていると、どうも見慣れた光景とは違う気がする。チューブシーラーが据え置き型なのかな。

献血を終えて

待合室に戻ると定型の儀式、すなわち献血カードの返却、「献血の同意説明書」「お願い!」「今一度、ご確認をお願いします!」といった書類の交付そして感謝の言葉。

「今一度、ご確認をお願いします!」は、6か月禁忌に抵触するけど正直に言えなかった人のために、匿名で血液利用を止める方法の説明(電話をかけて採血番号と生年月日を録音すると該当血液は使用されない)。禁忌事項の筆頭は「不特定の異性または新たな異性との性的接触があった」。これはかなり厳しい条件(だし、該当しても正直に答えにくい質問)であるが、B型肝炎ウイルスは性交渉で感染するし、検査で発見できるようになる前に感染させられるようになるという危険極まりない病原体なので危険(かもしれない)性的接触があれば献血をしないというルールを全員に順守してもらう必要がある次第。ちなみに前記リンク先にあった症例の一つはオーラルセックス(をされて? 確認しようとしたらリンク先の毎日プレミアは閲覧回数制限があるようだ)で感染しており、当人はなかなか納得しなかったとか。これはB型肝炎ウイルスだけでなく、C型肝炎ウイルスやヒト免疫不全ウイルス(これに感染した重症例がAIDS)も同じく危険なウインドウ・ピリオドを持つ。

献血記念として社会福祉法人こころんで作られた型抜きクッキー・シュガーラスクを、また予約特典ではエゴマラスクだんでらいおん製造)をいただいた。選べる記念品の中には福島市でもらった「佐賀の神崎 名水そうめん」、いわき市でもらった「タフマン」もあり、どうも株式会社ヤクルトがまとめて提供しているようだ。

前回から新たに挑戦を始めたセブンティーンアイスクリーム制覇ではブルーベリーのチーズケーキを選択。しかしアイス抹茶ミルクに続けると身体が冷えて、これは失敗。献血後の飲み物はホットにしよう。

表からみると玄関ロビーのガラス壁に不気味な白い影が次の予定の時刻が迫っていたので休憩は20分ほどで切り上げて辞去。玄関にはアニメ風の女子の等身大パネルがあった。これこれ、福島市の血液センターにあったのはこれ。裏からみると、白い人形(ひとがた)で、ここでは1つだけど4つも5つも並んでいるとシュール。調べてみると、これは小峰シロという白河観光物産協会の公認キャラクターで、献血にもオリジナルポスターやオリジナルクリアファイルで協力している。

さらに調べるとパネルのきれいな写真を撮影している方が見つかった。

名前の由来は小峰城なのね...

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2015/09/11

松川事件の現場を訪ねる(下)

8月27日、福島県赤十字血液センターで献血をした帰りに福島大学松川資料室を訪ねた。要事前申込ということなので週の初めに電話をし、15時に附属図書館ロビーで待ち合わせることに。

27日は昼前に献血が済んだので信夫山に行って街を眺め、「昼食と、それから給油も」と考えながら福島大学へ向かうもみるみるあたりが寂しくなる(移転整備した大学にはありがち)。「これはまずい」と思ったときには大学の看板が目の前に現れた。駐車場所の確保が懸案だったのでとりあえず入ってみることに。

福島大学

門衛所では特に記帳を求められることもなくすんなり通過。最近は入構にうるさい大学が多いので拍子抜け。よからぬ学外者の入構をもう少し心配したら、と柄にもなく思ったり。

駐車場はほぼ満杯であったが、外部講師用に確保したが当日は利用予定のないらしい空き(コーンを立てた枠の隣に、コーンを片付けた枠があった)があったのでそこに駐車。後で分かったことだが、そこが経済経営学類棟の前だった。

時間に余裕がありすぎたので、学内散策。まず図書館の位置を確認。次に学食で昼食。思いのほか安く済んでしまい、目的の一つ「地元経済への貢献」は果たせず。

講義棟の正面入り口向かって右に2本の垂れ幕「今ここでしか得られないものがある」「地域と共に歩む 福島大学」S講義棟に掲げられた「地域と共に歩む 福島大学」。地方国立大学のスローガンとしては最も無難なところか。もう少しアグレッシブでも、と思わないでもない。

大学が設置した立て看板「過激派団体・カルト団体・悪徳商法等に注意!」大学会館前に掲出された過激派・カルト団体への注意を呼びかける立て看板。「東日本大震災の被災地支援、原発問題の勉強会などを装う勧誘にも注意が必要」とある。

「メッセンジャープロジェクト」参加者募集の貼り紙大学会館の掲示板には、夏休みに帰省したら母校を訪ねて福島大をアピールしてという「メッセンジャープロジェクト」へ参加する学生を募集する貼り紙。

リアルタイム線量計構内にもリアルタイム線量計。この値を見て、高いか低いか判断できますか? 教職員や学生はいつ見てもほぼ同じ値だろうから、ほとんど気にしないのではないだろうか、と思った。

「放射線(能)測定のスキルアップ」講座案内のビラ(A4判)図書館に貼り出された「放射線(能)測定のスキルアップ」講座案内。ちょうど開講中だった。

公開講座「ふくしま未来 食・農教育プログラム」案内(A4判2枚)同じく図書館に貼り出されていた郡山市との連携による公開講座「ふくしま未来 食・農教育プログラム」の案内。対象は農業者の方、一般の方、関係機関など。事前申し込み不要で参加費も無料。あと3回開講される。

小さいテーブルとキャスター付きの色鮮やかな折りたたみ椅子が配置された図書館入口脇のロビー待ち合わせ場所の附属図書館は今夏にできたばかり。左手奥には売店も。正面奥に見えるのは新築祝いの花。芥川賞作家の中村文則が福島大の卒業生ということで、その関連展示も。トイレには便座クリーナーが設置され、メーカーのアンケートも貼ってあった(1枚の用紙にどんどん記入する形式)。「他人が使った便座に座るのに抵抗感がありますか?」には回答した全員(27人?)が「はい」で、「いいえ」は0。「このクリーナーは必要か?」にも回答記入した全員が「必要」で「必要なし」は0。(この製品に恨みはないけどメーカーサイトに書いてある「不潔な便座は肌の炎症を引き起こし、ウイルス性の病気の一因」ってのはいただけないなぁ)

松川資料室

約束の時刻ぴったりに伊部名誉教授入館。お互いに持ち物とか特徴とか伝えていないのにすぐ分かるって... 挨拶もそこそこに移動開始。外に出るのかと思ったら奥へと進んでいかれる。奥にある目立たない扉の錠を開け、階段で下へ。

ガラスケースに収められた資料松川資料室はいろいろあったそうで、現在は図書館地階にある。なるほどそれで図書館で待ち合わせたのか。事前連絡無しに訪問することは難しそう。斜面に建つ半地下なので窓の外には木々が。ガラスケースの中に飾られた写真パネルに写っているのは廣津和郎と水上勉そして松本清張。

キングジムのパイプファイルの並んだ6段スチールラック公判記録の他、差し戻し控訴審の門田裁判長が書き込みをした記録類も(左棚4段目)。この門田判事、松川事件では無罪判決を出しているが、松山事件の原控訴審では無実の被告人に死刑判決を出している(廷吏に抑えられながら懸命の抗議をする被告人の映像も残っている)。25年後に再審無罪判決が出た時も存命で、新聞にコメントを寄せられていたが、捏造された証拠で死刑判決を出したにしてはずいぶんと呑気な、という印象を持った。誤判は裁判官の避けられない宿命なのか。

『落語辞典』『噺家の手帖』などが並ぶ書棚主任弁護人を務めた大塚一男弁護士(故人)の蔵書も収められている。これは趣味の本。落語好きだったらしい。大塚弁護士に関しては、子息が大学法学部を受験した際、日本史で松川事件を問う出題があったというエピソードを雑誌で読んだことがある。

硬派の本が並ぶ本棚一方こちらは、まるで模索舎の棚を見るような。

松川事件以外の冤罪事件のファイルや書籍の並んだ棚中には丸正名誉毀損事件のきっかけとなった正木ひろしと鈴木忠五の『告発』も所蔵。復刻版ではない(しまった、もしかしたら献本だったかも!)。その向かって右隣には『徳島ラジオ商殺し事件』、左には「丸正事件」や「松山事件」のファイル。

背に「雑誌」と書かれたパイプファイルの並ぶラック雑誌記事もコピーして製本。時系列順と雑誌別に整理されている。共産党が出している「前衛」や「文化評論」が多いのは当然として、廣津和郎が筆を振るった「中央公論」も4冊分に及ぶ。このほか被告人が出した書簡なども収められ、これらは資料検索することができる(ただし、書誌データだけで本文は閲覧できないので、読みたければ別途複写請求をすることに)

なお、福島大学には松川事件研究所があり、「資料室の事業を引き続き行うとともに、事件の背景と実相、松川裁判、松川救援運動、それに出版・報道などマスコミの論調などについて、多面的・総合的に取り組む」とある。

冤罪・誤判の実態と原因の分析、裁判員制度の実施、刑事司法改革、さらには司法官僚制度な ど、最近の刑事事件に係る事例を挙げただけでも、「松川」から学ぶべきものは少なくない。むしろ、「松川」の意義は大きくなりつつある、といえる。

研究所のウェブに掲げられているこの趣旨には同感で、資料の散逸や劣化を防ぐだけでなく、積極的に活用してもらいたいと思う。ただ、残念ながら研究所の研究成果ページは2011年のオープン以来空白のままである。

事件現場

今年7月に発表された「松川事件と福島」を複写していただき、NPO法人福島県松川運動記念会の案内と資料室のパンフレット(末尾に基金への募金のお願いがあり、これ自体は平成23年6月に終了しているが、随時受け付けているとのことなので、志ある方はご協力を)ももらい、さぁ現場への行き方を聞こうと思ったら「案内しましょう」という望外のお言葉。自動車に乗っていただいて現場まで。

真新しい白い菊が供えられた高さ3メートルほどの台座に載った石像事件現場脇に建つ犠牲者慰霊観音像。新しい花が手向けられていた(事件発生は8月17日)。一般に観音像と言われているようだが(現場では先生、なんとおっしゃったかな?)、いま写真を見ると観音菩薩っぽくない。あえていうと地蔵菩薩の印象。

高さ3メートル近い「殉職之碑」は墓石のよう観音像の隣にある国鉄職員有志が建てた殉職の碑。三人分の稲荷ずしが供えられていた。事件翌年に建てられたこの碑には、当時の被告人を犯人視するような記述もあり、この碑には手を合さないという被告人もいたという(という話は人が殊勝そうに手を合わせる前に教えてください! まぁ、先に聞いたら聞いたで、どう振舞ったら良いか悩んだだろうけど)。無罪判決確定後に建立側から削除の申し出があったそうだが、敢えて削ることもないと残されていると。

幅広い意志に銘板をはめ込んだ「謀略忘れまじ松川事件」の碑こちらは少し離れて東日本鉄道労働組合が建立した碑「謀略 忘れまじ松川事件」。碑文は松崎明による(なるほど、それで「謀略」ね)。伊部先生はこの碑文にはご不満な様子。ちなみに後ろに写っている高架橋から現場一帯が俯瞰できるとか。

高台に建てられた松川記念塔と伊部先生無罪判決確定後に建てられた、廣津和郎の碑文を掲げる松川記念塔。裏には「二度と松川をくりかえさせないために1964年9月12日これを建てる。」と刻まれている。立っているのは案内してくださった福島大学の伊部名誉教授。これは現場から200メートルほど離れていて、東北本線上り線路脇である(電車が通って、どれだけ近いか実感した)。「松川記念塔公園」という看板が立っていて、四阿もある。ここは松川運動記念会が管理しているらしい。

田圃の向こうに慰霊碑と線路が見える記念塔の場所から現場を望む。黄色い鉄塔の右に慰霊観音と殉職の碑。なお、事件に巻き込まれたのは旅客列車で、乗客に怪我はなかったのかというのが疑問だったが、客車は転覆しなかったため乗客に被害は出なかったのだと。いただいた資料を見ると、9両編成で実に600人以上が乗車していたという(wikipediaにも「客車2両も脱線」とまでしか書いてない)。場合によってはとんでもない大惨事になるところだったのだ。

松川記念塔へ続く農道の向こうで乗ってきた乗用車が傾いている。JAFのレッカー車は農道に入れない。慰霊碑前までは自動車で行っても(未舗装の狭い道に平気なら)構わないが、松川記念塔公園までは徒歩で行くのが無難。記念塔の前で無事に方向転換できて安心した途端に脱輪した。JAFを呼んだが道が狭くてレッカー車が入れず、郡山から交代を呼ぶことに。聞けば左側の田圃に落ちた自動車もあるとか。伊部先生は戻るJAFにお願いして送ってもらった。その後、救援車にウインチで引き上げてもらうという珍しい経験をして無事脱出。その人も以前に救出経験があり、どうやら魔の事故多発地点であるようだ。

「辛くて生姜ねぇ!!」のガラス瓶 予定外の3時間ロスに慌てて高速に入り、給油はサービスエリアで(145円/L!)。土産物もSAですまそうと思ったら、日本酒(に限らず酒全般)は置いてない! とりあえず「うまくて生姜ねぇ!!」の姉妹品、「辛くて生姜ねぇ!!」その他を購入。次回、会津に行く際は忘れずに日本酒だ!

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2015/09/10

松川事件の現場を訪ねる(上)

せっかく福島市まで出かけるので、どこか立ち寄るべきところはないかと出発前に検討したところ、かの松川事件の現場が近いことに気がついた。

松川事件とは

松川事件は1949年8月17日に起きた列車転覆致死事件で、日本の代表的な冤罪事件である。下山事件(当時国鉄総裁の下山定則が行方不明となり、線路上で死体となって発見された)、三鷹事件(三鷹駅構内で無人の電車が暴走して民家に突っ込んで死傷者が出た)とならんで国鉄三大ミステリー事件と呼ばれる。

三鷹事件と同じく共産党員の犯行とされ、一審の福島地裁では起訴された20人全員が有罪判決(内5人が死刑)を受けた。しかし当初から強引な捜査(摘発の端緒は未成年者の別件逮捕で、自白した被告人は拷問を受けたと主張)への批判があり、自白と客観的な事実との食い違いも指摘された。また二審判決後に検察庁が被告人のアリバイを証明する証拠(諏訪メモ)を隠し持っていることが明らかになって破棄差戻しとなり、最終的には全員の無罪判決が確定した。この間、実に14年。

裁判批判

裁判中、報道が検察寄りであることを危惧した弁護人の働きかけで、法廷外でも被告人の無実を訴える運動(「松川運動」)が展開され、呼応した作家の一人、廣津和郎は雑誌「中央公論」で判決批判を連載した(後に書籍『松川裁判』にまとめられた)。同じころ、山口県で起きた強盗殺人事件(八海事件)の弁護人がカッパブックスから『裁判官』を出版して二審死刑判決を批判した。これは映画化されポスターに使われた台詞「まだ最高裁があるんだ」は流行語にもなった(後年、労働裁判で労組側に有利な判例が変更された結果、高裁で勝訴しても「また最高裁がある」という嘆きが聞かれたとか)。これらの動きに対して時の最高裁長官である田中耕太郎は「雑音に耳を貸すな」と訓示して影響を抑えようとした。

ところがその映画「真昼の暗黒」(1956)を見て、自分が起こした傷害致死事件の犯人として無関係の四人が裁判にかけられていることを苦にした犯人が凶気を携えて自首するという椿事が発生する(京都五番町事件)。しかも虚偽自白をした四人の少年は警察官から拷問を受けたと訴えていたから無罪にするだけでは済まない。ついには国会で取り上げられるまでになる。かくして「法廷外での裁判批判は有害な雑音」という裁判批判批判は影を潜める。

冤罪事件は後を絶たない

戦後の冤罪事件には、八海事件や仁保事件のように政治性のないものと、松川事件や三鷹事件のように共産党員の犯行とされたものとがある。九州で起きた駐在所爆破事件(菅生事件)では、起訴された共産党員は無関係どころか、ダイナマイトを仕掛けたのは現職の警察官であることが明らかになっている。その警官Tは身分を隠してシンパとして共産党員に近づき、現場近くへ誘いだしていたのだ。一方、有罪判決は覆っていないものの、白鳥事件は再審開始の条件を緩和した最高裁の白鳥決定にその名を残している。

冤罪事件は過去の話だろうか。今は科学捜査が発達しているから、自白に頼った無理な捜査はない? しかし弘前大学教授夫人殺害事件や足利事件では「最新の科学捜査」によって無実の人が犯人とされ服役している。足利事件の捜査は1990年代である。

そもそも松川事件で問題となった検察官による証拠隠しをなくすための「検察官手持ち証拠の原則開示制度」はいまだに導入されていない。

また松山事件(タイポではなく、宮城県内で起きた強盗殺人事件)で死刑の根拠となった証拠は警察が捏造したものであったが、これも昔の話と片付けることはできない。障害者郵便制度悪用事件で検察官が証拠のフロッピーディスクを改竄して被告人を陥れようとしたのは21世紀になってからの話である。

先日、ツイッター上で「無実の被告人が無罪とならなかったケースを教えて」と弁護士(専門は知財)に質問している人がいた。どんな回答を得たかは未確認だが、巧妙な罠だと思った。無実であるということを裁判以外で証明、というか納得してもらうのは非常に難しい(被告人や支援者が無実だといっただけで信じる人は少ないだろう)。一方で、誤った有罪判決が確定したのち再審で無罪になった場合でも「無罪になっている」と退けられる。循環論法である。もちろん死刑確定から再審開始まで30年近くかかった免田事件の例や、再審開始が決定したときには元被告人は死亡していた徳島ラジオ商殺し事件の例を知れば、「でも裁判で無罪になったでしょ」と嘯くには相当厚い面の皮を必要とする。しかし、そういう人間がいないとも言い切れないのが悲しい現状。

ちなみに大逆事件(幸徳秋水事件)のように、裁判所は頑なに誤りを認めないけれど、事件はでっち上げであり被告人の大半は無実とする説が定着している例はある。

福島大学松川資料室

というわけで、松川裁判そのものは52年前に全員無罪となったのであるが、これは薄氷を踏む様な勝利であって、めでたしめでたしで済ませるわけにはいかない。また真犯人は不明のままである。そして裁判に真相究明と犯人処罰を期待した人達にとって、無関係な人々を起訴したばっかりに主題が替わってしまったことは無念であっただろう。

というような理屈をつけて松川事件発生現場を見に行くことにしたが、詳しい位置がよく分からない。あれこれ調べていくと、慰霊塔や記念碑が複数あって場所もそれぞれ数百メートル離れているとか、道が狭いとか分かりにくいとか、あまり芳しくない情報が集まった。2001年に現場を尋ねた人の書いたものにある、松川駅前の交番で尋ねると「心得たとばかりに用意してあるコピーの地図(しかも蛍光ペンでルート入り)をくれ」るという情報は心強かったが、あいにくこちらは自動車で行くから、その手は使いにくい。

そうこうしているうちに現場近くに移転した福島大学が松川資料室を設置して事件の資料を収集しており、見学もできるということを把握した。現場への行き方も教えてもらえるだろうと期待し、「事前に下記問い合わせ先までご連絡ください」という指示に従って電話。8月27日の15時に附属図書館で待ち合わせることにした。経済経営学類棟ではなく附属図書館なのはなぜ?という謎は当日解明される。

長くなったのでに分割することにし、前半はここまで。

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2015/09/09

献血ルーム巡り10(福島県・福島県赤十字血液センター)

なかなか仕事が決まらないため、暇つぶしと社会貢献を兼ねて始めた献血ルーム巡り。福島県の二番目は福島市内にある県赤十字血液センター内の献血ルーム。今回も前泊することにして、「ホテルを予約して、ホームレスの生活自立を支援しよう」というhotels4changeから白河市のホテルルートイン新白河駅東を予約。ここは福島エクスカーションに参加すべく新白河駅に降り立ったときに「あ、ここにもルートイン」と思ったものだが、距離も手頃、値段も手頃ということで決定。

前泊

翌朝撮影したホテルの車寄せ。隙間なく駐車している。 booking.comの情報には「駐車場なし」と恐ろしいことが書いてあるが、ホテルのページには「無料」「先着順」「113台」「近隣コインパーキング有り」と(最後の一項目が意味深だが)頼もしいことが書いてある。Googleストリートビューでホテルの駐車場があることを確認して出発した。しかし、着いてみると満車! フロントでは車寄せに停めても構わないというけれど、そこもすでに一杯! もう一回相談すると近くの〈無料駐車場〉を紹介してくれた。新幹線駅の目の前なのに、皆さん自動車で来られるんですなぁ(人のことを言えるか)。着いたのが21時を回っていたため、ホテルのレストランは閉店、周辺に店らしい店もなく(駅まで行けば〈はなの舞〉があるのは分かっていたが)虫の知らせか途中のPAで蕎麦を食していたのを良いことにそれを夕食とすることに決定。

前回宿泊したいわき泉駅前はバス・トイレの広さとバリアフリーに驚いたけれど、残念ながらこちらは普通に狭い〈ホテルのバス・トイレ〉。便座が斜めなので普通より狭いかもしれない。それでも放尿姿が鏡に映らないのは高評価。また部屋着は浴衣でなく甚平で、1階の大浴場もその格好で行けるのはありがたい(今まで経験したビジネスホテルの多くは、浴衣姿で廊下に出るなというので、自販機に飲み物を買いに行くにも着替える必要があった)。WiFiも前回の設定がそのまま使えた。ところがアラーム時計の時刻が合っていない。はじめは2分ずれているだけかと思ったが、よく見ると11時間58分ずれていた!

試しに午前10時25分に鳴るようセットしたら、午後10時23分に鳴り出した。モーニングコールも(さすがに午前/午後は合っていたが)なぜか2分早くかかってくる。

それでも旅の緊張からか、寝過ごすこともなく無事に起床、朝風呂を浴び(寝ぼけていたらしく、大浴場のロッカーでセットした錠番号が偶然にも部屋番号と一致! 後で気づいて冷や汗である)、朝食を摂って予定の時刻に出発できた。白河インターから東北自動車道に入り、安全運転で福島西インターまで。そのあとカーナビに導かれて福島県赤十字血液センターに予定よりやや早く9時半頃に到着。

血液センター献血ルーム

福島県赤十字血液センターは3階建ての大きな建物で、3階の窓に「献血ルーム」と貼ってあるけれど、ルームそのものは1階にある。航空写真で見てもらうとよく分かるが駐車場も広くとられ、うち6台分は献血者用に確保されていた(もっとも枠外に停めてから気づいたのだが)。入り口ロビーはガラス張りで、駐車場側からみると複数のヒト形パネルが白い裏面を見せていて、なんか現代芸術っぽい(ああ、写真撮り損ねた。来週また福島市を通るけど、駐車場に入って写真だけ撮って帰ったら怪しまれるよなぁ)

ロビーに貼り出された「本日の血液在庫状況」の表ロビーには「本日の血液在庫状況」が貼り出され、この日(8月27日)はAとOが「超ピンチ」、BとABが「ピンチ」という厳しい状況。そして200mL献血は「高校生のみ受け付けます」と完全に「全血400mLまたは成分献血」に舵を切っていた。ちなみに保存のきく血漿はABが「少し心配」のほかは「安心」、血小板がいずれも「超ピンチ」となっていて、血小板を提供するつもりで来ている身としては我が意を得たり!なのだが、よく考えると血小板や血漿の輸血にABO式血液型って関係あるのだろうか?(血漿中には血液型に応じた抗体が存在するので無視はできないのだろうが)

トイレ

トイレのペーパーホルダーの脇に設置された非常呼び出しボタンロッカーが目立たない場所にあったため、カバンを担いだままカウンターに行き10時予約である旨を告げると、すいていたためかすぐに受け付けが始まった。最初に服薬と歯科受診の確認(3日以内に歯石除去のような出血を伴う歯科処置を受けていると献血はできない、次にセルフで血圧測定。朝食の時刻と睡眠時間を申告したらタッチパネルを使った問診。最初の「体調は良好ですか」に「はい」と答えた後は軒並み「いいえ」。かるがもクリニックでMMRワクチンを接種したのは去年の8月26日なのでワクチンの質問にも久しぶりの「いいえ」。ただし海外旅行の経験には「はい」。結果はICカードに書きこまれてフォルダへ。右手首に受付番号の入った紙テープをまきつけられる。医師による検診を待つ間に荷物をロッカー(美術館などによくある、後で戻ってくるけれど100円効果を入れないと鍵の閉まらないタイプ)に入れ、トイレをチェック。〈朝顔〉の上には献血後は座位で用をたすようにとの注意が貼られ、気分が悪くなった時のための非常呼び出しボタンは個室の中にだけ。押す面が大きくて非常用向き。

検診と事前検査

そんなことをしているうちにマイクでの呼び出し。慌てて戻り、男性医師の検診を受ける。特に問題もなくすぐ血液検査へ。いちおう両腕をチェックして検査用採血は左腕からに。ナースの白い医療用手袋は指先に破れ目があるのが気になる。しかし処置前に消毒液を擦り込んでいるから問題ないか。針を抜いた後、これまでだと厚いガーゼのついた絆創膏を貼られ、止血帯を巻かれるのだが、なぜか畳んだガーゼを当てて「押さえていてください」。

このカウンターは採血ベッドから見えるので、献血中に別のナースが担当する後の人の様子を見ていると、手袋は毎回交換した上に消毒しているし、採血の後は止血帯をまいてもらっている。中には本採血用の腕に温パックを巻かれている人も。何なのこの違いは?

待合室に戻って待機。自動販売機(無料)から炭酸入りアクエリアスを飲んで水分を補給する。書棚を見ると主に新書判コミックスで、漫画雑誌も少々。「美味しんぼ」が並んでいるのを見ると「撤去しちまえ」と毒づきたくなる。壁にはナースが撮った写真や小学生の献血ルーム見学の様子が貼られている。ガラスケースの中には継続的な献血協力者への感謝状や記念品の見本も。また献血および供血状況を示したパネルも展示されていた。骨髄バンクの案内にはパンフレットだけなく、ノートパソコンを使った動的コンテンツも用意されている。

採血

そうこうしているうちにベッドの用意ができた。ベッドは(たぶん)10台。ここのは明るい黄色である。ヘッドレストにスピーカーの内蔵されたタイプ。今までテレビもビデオも見る気がないので、着席するとすぐに消してしまっていたから、よそでは音声をどうしていたか思い出せない。隣の音が聞こえてこないのだからイアホンか何かを使っているのだろうが、考えてみると見知らぬ他人の使ったイアホンを耳に入れるのは気持が悪い。こういうタイプが増えていくのだろう。

靴を脱いで上がる。アームレストには温パックが用意されていた。腕を載せてしばらくすると、温かいを越して熱くなってきたので間にタオルを入れてもらう。エタノール綿で清拭してからヨード液で消毒。ヨード綿棒は1本ずつパックされていた。驚いたのはナースが自分の人差し指をヨード綿棒(使用済み)で念入りに消毒していたこと。これは他所では見た覚えがない。ヨード液が乾いたら採血開始。4サイクルおよそ40分で血小板を提供。

テレビはスピーカーを確認してすぐに消してしまった。テーブルの上にパウチされた書類が何枚かあるの手にとってみると、献血後の注意(気分が悪くなったらしゃがめ、内出血の予防法、提供した血液の使用を止めて欲しい場合の連絡方法)とレッグクロス運動の案内。この運動も献血ルームごとに微妙に異なるのが面白い。ナースの指示でやってもらうから、それまでに読んでおいてと書いてあるが、結局指示はなかった。まぁ、勝手に始めていたからかもしれないが。基本は両足首を重ね、上下から押しつけ合う運動なのだが、力をいれる時間がルームによって6秒だったり5秒だったり。同時に腹にも力を入れろというところもあれば、足首の屈伸を組み合わせろというところも。

ベッドがちょうど検診室と事前検査カウンターの前だったので人の動きを見ていると、前述したようにナースによって処置が微妙に異なることを発見。これは他所のルームでも見られた。ちなみに服装はパンツの人とスカートの人が半々くらい。全員がエプロンを着用し、マスクはきちんと鼻まで覆っていた。

包帯を巻かれた右腕少しうとうとっとしたところで終了。こちらも止血帯は使わず、ガーゼ付絆創膏の上から包帯を巻かれた。少し朦朧としていたのか、血圧を測る前に降りようとして制止されてしまった。この終了後の血圧測定もルームによって使う機械が違うのが面白い。家庭用の手首に巻くタイプのところもあれば、腕にカフを巻くタイプのところも。共通しているのはセットすれば自動で測定するところ。上下とも問題のない血圧であった。

献血を終えて

待合室に戻ると定型の儀式。ただ、よそだとドナーのところへ職員が一式持って来るけどね。献血記念にティッシュボックス(例の、東北六県ご当地けんけつちゃんの描かれた物)それと予約して行ったのでもう一品選べるというので血迷って佐賀の「名水そうめん」をいただく。

自販機専用のコインももらえたのでセブンティーンアイスクリームを食すことに。ボタンの数は4×2+3×3で、その名の通り17種類あるはずなのだが、よく見ると重複があって12種類しかない。がぜん刺激されて、「17種類コンプリートを目指す!」となり、ひとまず今まで食べた記憶のない「ミルクあずきモナカ」を選択。ちなみにメーカーサイトを見るとセブンティーンと言いつつ20種類ある(年齢詐称アイドルみたいだ)ので、献血ルーム以外でもチェックしておく必要がありそう。期間限定商品もあるな。

さらに水分を補給し、約30分休憩して退出。ここもロッカーは出入口のそばで、職員は奥の方にいるので、荷物を取り出したら黙って出ていくことになる。

信夫山

せっかく福島市まで来たのだから、すぐに帰るのはもったいない。ということで福島大学の松川資料室に見学を申し込んであるのだが、約束の時刻は15時。それまでには間があるので信夫山へ行ってみる。

第一展望台には登らず直下の駐車場から福島市街を眺めている人たち市内を一望できるという第一展望台周辺は工事中であったため(左端に写っているのは工事関係車両)、駐車場から景色を眺める人も。

岩に嵌めこまれた「暁に祈る」の歌碑展望台には「暁に祈る」の歌碑。なんでここに? と不思議に思い、帰ってから調べると、これは戦時歌謡の「暁に祈る(作詞をした野村俊夫が福島市出身)で、シベリア抑留中に起きたリンチ事件(「暁に祈る」事件)とは無関係だった。歌の方が先にできているので「本家はこっちだ」と言われれば返す言葉がない。

駐車場の隅に設置されたリアルタイム線量計駐車場にはリアルタイム線量計が設置されており、その値は0.30μSv/h。この値はおそらくバックグラウンド値込み。よく持ち出される「年間1ミリシーベルト」はバックグラウンドと医療用被曝(そして職業被曝)を除いた追加被曝線量なので、この値を単純に外挿して「年間2.6ミリシーベルトだ! こんなところには住めない」と騒いではいけない。

このあと信夫山公園にも回ったが、鉄板で囲って工事中のところが多く、危うく身動きが取れなくなりそうにもなったので早々に退散した。

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2015/08/14

福島エクスカーション(2015年8月)

きっかけはこのツイートだった。

開沼さんを直接はフォローしていないので、誰かがリツイートしたものか、誰かのホームを見に行って見つけたのだろう。直感に従って申し込み。すぐに参加費振込みと予習の指示が来たので、未読であった『はじめての福島学』と『「フクシマ」論』を注文。これが届いてみると400ページを超える大著。それでも10日までには、と一所懸命読んでいくと、放射線についての勉強が大変だというところで、次のような記述があって力が抜けてしまった。

これまで「放射線がわかるQ&A」みたいな本が無数に出ていますが、どれが信頼できるいい本なのかわからないし、それを買ったところで読むのも大変そう。信頼できそうな詳しい人が「いい本だ」って言っている本は、辞書みたいな厚さだったり、

辞書みたいな厚さだったり! かかる壮絶な自己否定は(SNSでは珍しくもないけれど)なかなかお目にかかれるものではない。編集者はおかしいと思わなかったのか。

閑話休題。2冊を並行して読み進めたが、どうにも間に合いそうもないので『はじめての福島学』に集中し、往きの新幹線やまびこ203号の中で何とか396ページまで読むことができた(こうして直前まで読んだことが「試験」に好影響)

集合

醤油味のスープにメンマ、刻みネギ、ゆで卵、チャーシュー、焼き海苔の乗ったラーメン 予定通り集合時刻の25分前に駅についたので、構内の店で白河ラーメンを食す。それから集合場所の芭蕉像前に行くと、すでに暴力的になりつつあった太陽光を避け、少し離れた日陰に人が集まっている。名乗るとクリップボードに挟んだ資料を渡された。おお、太っ腹、と思ったらこのクリップボードは終了時に回収された(回収するなら先に言わないと、名前を書き込まれたりするよ)

バスの車体には「白河市」と書いてある手配された小型バスが着いたので乗り込む。車体には「白河市」とあるので市のバスだろうか。座席は1+2だったので、乗ってすぐの1列席に座った。
座った席は入り口を入ってすぐ右ここは前のシートがないので飲み物ホルダーも小物入れもないかわりに、砂かぶりの特等席(そのためか講義中、2回も指された)。予定時刻を過ぎても出発しないのでどうしたのかと思ったら、遅れている人がいるという。その人が駆け込んできて謝った時刻を見ると、どうやらやまびこ205号で着いたらしい。

バスは出発すると東北自動車道へ。矢吹ICからあぶくま高原道路、磐越自動車道を経て常盤自動車へ入り、いわき四倉ICで降りたようだが、その間ずっと大判スケッチブックを使った紙芝居型講義が続いていたので定かではない。道の駅よつくら港に着いたのがおよそ10時50分なので、約90分の講義だった次第(そういえば冒頭に主催者たるShirakawa Week実行委から挨拶があった)

フィールドワーク1(いわき-広野-楢葉)

出発前に新白河駅で用を済ませていたにもかかわらず、熱中症を警戒して水分を摂り過ぎたせいか、車中では早々に自然の呼声が突き上げてきた。平静を装いながら道の駅よつくら港のトイレに駆け込むとなんと清掃中! 幸いにも車イス用トイレ(正確には車イスでも使え、そうでない人も使えるトイレ)が空いていたので事なきを得る。

ここも東日本大震災の時は津波の直撃を受けて相当な被害があった。もっともひっくり返った自動車の写真くらいだと「水が来たのね」としか思わないが、改めて調べてみると流されてきた漁船が建物に衝突して破壊していったという。予習というのは大切です。

入口にかけられた「ようこそ!浜風商店街へ!」の横断幕 続いて立ち寄ったのが久之浜第一小学校の敷地に作られた浜風商店街。とりあえず500mLの清涼飲料水を購入したが、麦茶の接待が待っていた。
白い紙で地形や建物を再現したジオラマ商店街の中には被災時およびその後の写真と在りし日の街の姿を示すジオラマが展示されていた。こちらでは復興支援缶バッジを購入。久之浜地区では津波は免れた家屋も、その後に発生した火災により焼失してしまった。消防団が出動したものの、余震で退避している間に火が広がって、途中のホースが燃えてしまい消火活動が不可能に。「石巻の火災は有名だけど」という地元の方の言葉が耳に残る。
久之浜第一小学校のプレートが付いた石造りの門柱と浜風商店街の幟門柱には小学校のプレート。幟には「ようこそ 浜風商店街 みんなで前へ、未来へ!」とある。
バスに乗り込んだ犬型ゆるキャラ「しらかわん」ここでなぜか白河市のゆるキャラしらかわんが合流。しかもバスに乗り込んできた。これ、対向車とりわけ高さが同じ大型トラックやダンプの運転手はかなり驚いたのではないだろうか。

J-Village の入り口J-Villageで昼食。食後、帰る段になって気がついたが構内無断撮影禁止の貼り紙。こういうのは入ってきたときに見えるように貼ってほしい。

フィールドワーク2(楢葉)

線量計の表示を写真撮影バスの中でリアルタイム線量計2台と積算線量計1台が希望者に渡される。さっそく現時点での線量を記録(0.2μSv/hとのこと)。

沿道に植えられた桜の苗木とオーナーからのメッセージを記したプレート沿道にはふくしま浜街道・桜プロジェクトが植えた桜の苗木が。浜街道163kmに2万本の桜並木をつくろうという壮大な計画。このピンクのプレートはオーナーのメッセージを載せるもの。すでにオーナーになった人や支援者の顔ぶれを見ると、人によっては「一緒にやりたくない」と思うかもしれないが、小心さから自分の身だけは潔癖に保とうとし、小異にこだわってしまう愚は避けたいもの。

天神岬から海岸べりの更地天神岬から臨む。ここにもかつては住宅が建っていたという。手前に見え隠れしているのはサケの遡上する木戸川(これは『はじめての福島学』p.371に紹介されている)
フレコンバッグが整然と並べられた仮置き場津波で生じた瓦礫や除染廃棄物の仮置き場。ここで分別・減容が行われ、中間貯蔵施設へ運ばれる。すでにフレコンバッグの中には耐用年数を過ぎて破れ始めたものもあるらしい。なお、放射性廃棄物が山と積まれているけれど、自己遮蔽に加え、外周は放射能を持たない土を詰めたフレコンバッグを積んであるため、近づいてもそれほど被曝はしないとのこと。
手に持った線量計の表示を撮影線量チェックするも、値はさして上がらず(0.3μSv/hくらいだったか)。基本的に海から放射線が飛んで来ることは考えにくい。

海に向かった展望台 沖合20kmの地点に設置された浮体式洋上ウィンドファームを見るため展望台に上る。実証研究は今のところ順調らしいが、原発1サイトに匹敵する電力を生み出すのに風車が何基いるかを計算したら笑うしかなかった(最大出力時でさえそうで、しかも出力は文字通りの風まかせ)

20km先にあるという風力発電所は見えない晴れてはいるが、靄っているため見ることはできなかった。ここで数人が口裏を合わせ「見えますね。ほら、あそこ」と一芝居打ったら、もしかしたら全員「見える見える」となったかもしれないが、そういう危険な遊びはしない。

鉄筋三階建ての楢葉町役場次のフィールドは楢葉町役場のそばに設置された「ここなら商店街」。楢葉町という名前になんとなく懐かしさに似た感覚を覚えるのはなぜだろうか。大学の同級生の一人が確かこの町出身だが...30人全員の出身地を覚えているわけもない。
青地に赤い字で書かれた「ここなら商店街」の看板 商店街の名前は「食べるも!! 買うも!! ここなら」という意味らしい。楢葉町は避難指示解除準備区域なので日中は住民も帰還準備のために立ち入れる(宿泊は禁止)。商店街があるとないとでは大違い。
「レバニラ食べて 元気モリモリ」と書かれた武ちゃん食堂の看板 マンガ「いちえふ」の第十四話に紹介されている「武ちゃん食堂」がある(ああああ、6日はここで食事をすればよかったのだ!)。ニラレバ定食は文字通りの看板料理。
ソフトクリームを食べる開沼先生「いちえふ」によれば武ちゃん食堂のニラレバ炒め定食と並ぶ名物は、おらほ亭の柑橘ソフトクリームだそうだ。で、下調べをしてある人はちゃんと食べている。迷った私はとっさの判断(帰りの車中のおつまみに最適!)で「あぶり焼 小いわし」を購入。

ここまではお買物ツアー的な感じもあったが、この後いよいよ津波被災現場へ。

フィールドワーク3(富岡)

国道6号から海岸方向へ進むと、遠目には少し寂れた田舎町に見えたものが、実は津波によって破壊された家屋と分かってくる。一軒一軒を単独で見ればありふれた廃屋だが、それが続いている。バスを降りるとき、ここには慰霊碑や流されてきた小型トラックが突っ込んだままの家屋があると教えられた。トラックの突っ込んだ民家はすぐに見つかった。道路よりやや高いところにあり、東京の街中でこんなモノを目にしたら「現代芸術か?」と思うほど非現実的な光景。カメラを構えたところで鴨居の上に飾られた額縁が目に入った。仔細は読み取れないが「賞状」と書いてある。ここの住人は無事に避難できたのだろうか。戻ってきて変わり果てたわが家と、無事に残った賞状を見たときどんな思いをされただろうか。そんなことを思ったら撮影する気が失せてしまった。

海側一階部分が破壊されて斜めになったアパートが、そんな殊勝な気持ちも、目の前にある少し歪んだ印象をあたえる建物が津波で一階部分が押しつぶされて変形したのだと気づいたらどこへやら。海側の一階部分が中央に食い込み、二階がだるま落としのように落ちてきている。
モニタリングポストの表示は0.312μGy/h慰霊碑のそばにモニタリングポスト。囲いの柱に「富岡は負けない」というステッカー。
海側を見るとフレコンバッグが積んである海岸にはフレコンバッグがうず高く。

ヨークベニマルの正面入口ヨークベニマルTom・トム富岡店は地域の中核的な大規模小売店だったという。雑草が舗装を割って伸びているが、不思議なことに正面入口前のタイル貼りは草があまり生えていない。
ペットショップの前はタイルの隙間から草木が高さ1m近くまで草というよりは木に近いものも生えている。
ガラス戸越しに店内を覗く店内を覗き込むエクスカーション参加者一同(写っているのは約半数)。地元の人の目にはこういうように映っているのだろう。
駐車場に立てられたコーン駐車場には除染作業の企業体が朝礼をする場所を示すコーンが立てられていた。

国道脇に立てられた寿司屋のサインポール回転寿しアトム。食事中に地震に見舞われ、客が避難した時のままなのであろう。テーブルには皿が残っていた。アトムというのは原子のことである。原子力はatomic power。街の寿司屋が店名に取り入れたことからも「原子力 明るい未来のエネルギー」を素直に受け入れていたことが窺える。同様の例としてはアトム観光や原子力運送がある。40年間いい思いをさせておいて...メフィストフェレスか。

国道に面した柵には「エネルギー館」の看板。その奥に洋館風の建物。東京電力のPR施設「福島第二原子力発電所 エネルギー館」。時計が妙な時刻で止まっているのが気になる。ちなみに建物はエジソン、アインシュタイン、キュリー夫人の生家をモデルにしている。
芝生の庭には除染活動に使ったのだろうか、1000リットルは入りそうな黄色いポリタンクが放置されていたここに勤めていた人たちは原子力の伝道師という仕事を晴れがましく思っていたことだろう。原発は安全だし、日本の発展に欠くことはできないのだと。その信頼は無残にも身内によって打ち砕かれた(2Fは津波に耐えたけど)

バス移動(富岡-大熊-双葉-浪江)

ゲートが設けられ、マスクを着けヘルメットをかぶった警備員2人が守る枝道への入り口 帰還困難区域に入ると国道6号から脇に延びる道はすべて閉鎖されている。停車禁止の〈通りぬけ〉なので「原子力 明るい未来のエネルギー」のアーチ看板は一瞬見えただけ(動画を撮影するのが確実であろう)。じっくり見たければグーグルストリートビューがあるし、写真もネットにはたくさんある。

浪江町のローソンで休憩後、常磐道で帰途に。

テスト

福島エクスカーションは福島の現在を知る活動だが、参加者がガイドとなってその知見を広めていくことを期待して筆記試験を行い6割以上の正解で「初級ガイド」合格となる。バスの中で試験問題50問(『「フクシマ」論』をベースにした福島の歴史について25問と『はじめての福島学』に基づく福島の現状について25問)に挑戦。時間は30分。基本的には本に書かれていたことであるし、朝の講義でも触れた内容なので、そう難しくはないはずなのだが... どちらも2問ずつ間違えてしまった。解答を間違えるだけならともかく、参加者同士で解答用紙を交換して採点する際、正答なのに誤答扱いするミスを犯したのは申し訳ない(幸い、自己チェックで発見できたが)

ちなみに「福島の現状」問9の設問にある「体内の放射性カリウムの量と放射性カリムの量を」は「放射性セシウムの量を」の誤りだろう。といっても「はいはい、これはセシウムね」と解釈して答えたので、誤答になったことを正当化はできない。orz (回収された問題用紙には「?」を朱書しておいた)

はなの舞

かくして全行程無事終了して新白河駅に帰着。解散後、次の新幹線(17:51)を逃すとその次は19時13分なので、ゆっくりと疲れを癒そうと駅前の海鮮居酒屋はなの舞へ移動。まずは弥右衛門を一杯。

続いて花泉、会津中将と福島の銘酒を飲み進む。実になみなみと注いでくれる。

いい気持ちになったところで電車の時刻。車中では酒の追加はせず、ここなら商店街のヴイチェーンで購入した「あぶり焼 小いわし」をかじりながら帰還。

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2015/08/12

帰還困難区域を走り抜ける

いわき市まで行ったついでに、マンガ「いちえふ」を真似して常磐自動車道の最近開通した区間を走り、帰りは国道6号を使って帰還困難区域を通り抜けてきた。高尚な目的など微塵もない、好奇心に駆られた行為。

マンガ「いちえふ」の主人公が開通したばかりの常磐道を走るシーン。片側一車線の対面通行だが、本人は「うひょー、ピカピカ」と大喜び

出典:竜田一人「いちえふ」第十四話「(Get Your Kicks On)Route 6!」/週刊モーニング2/5号 p.110(2015)

この絵に描かれている通り、恐怖の対面通行(上下線ともそれなりの交通量)であり、また沿道の電光掲示板には空間線量が表示されている。この日の最高値は5.3μSv/hで、さすがにそれを目にしたときは軽い緊張を覚えた(役所から線量計を借りて自宅で測ったときは雨樋にたまった泥に近づけても0.06μSv/hだったので、普段の100倍近い値)

パーキングエリアの庭にサッカー選手の足形が2列に並べられている ならはパーキングエリアは今年3月に開業したばかりの小奇麗なPAだが、飲料の自動販売機が1台とトイレ、それから喫煙室くらいしかない。もっとも屋外には「フットボールレリーフ」という、サッカー日本代表の足形を集めたものがあるので、好きな人にはたまらないかもしれない。中央にあったのはザッケローニ監督の足形。大きい。

常磐富岡インターチェンジから先は搭載している旧いカーナビにデータがなく、マンガと同じく「道なき道を突き進」む、「おー、これぞフロンティアスピリット!」なのだが、これ自体は何も常磐道まで行かなくても、最近開通した区間を走れば体験できる。しかし追体験というのは楽しいもの。

下りるインターチェンジを通り過ぎぬよう、「道の駅そうま(これが大間違いで、本来は「道の駅南相馬」とすべきであった)を目的地にセットしておいたところ、下道と偶然重なるのであろう、突然「300メートル先、右折です」などと案内されることが数度。もちろん無視して走行。

ナビがアテにならないので南相馬インターチェンジで降り、いくぶん空腹を覚えながら道の駅を目指す。当初の予定ではまず凍天を食すはずであったが、これがあるのは道の駅相馬。当然、道の駅そうまにはなく、しかもなぜか食堂の券売機にダンボールが貼りつけられていて「食べさせません」という強固な意志を感じたため、震災展示(津波でひしゃげた道路標識は圧巻)を見てから土産物(七味にんにくだが、材料の原産地は書いてない。ラベルに早池峰とあるから岩手県だったか?)を買って退散。その段階で、次に道の駅相馬があることを発見したが、やんぬるかな、行ってみると入り口は国道6号の下り線に面しており、上り線から入ることは絶望的(後で地図を確認すると手前の交差点で右折すれば入れた)。そこに凍天があるともしらず、「しゃーない、次」と通り過ぎることに。しかし6号を進み、小高地区までくると震災の傷跡がまだあり、食事処らしき建物が見えても営業していないものばかり。そしてあれよあれよという間に帰還困難区域になってしまい、営業している店はおろか、自販機さえない状況に。もちろん停車禁止。ここでは万が一にも事故を起こすわけにはいかないので、運転はより一層慎重に。そのため左右に広がる風景もちらちらと見るしかない。そこへもってきて疲労と空腹が重なってきたため、双葉駅への道に通じる道に掲げられた「原子力 明るい未来の エネルギー」の看板も第一原発への交差点も気がつかないで通り過ぎてしまった(「第二原発左折」の看板を見て「あれっ?」)

せめて「いちえふ」を諳んじられるほど読み込んでいけばこんなことはなかっただろうに。とはいえ「獣と衝突」の注意を呼びかける看板はちゃんと見つけられた。初めから「獣と」で作られたものもあれば、シールを貼ったもの(その下の字はたぶん「牛」)も。また「猪と衝突」というものあった。少数ながらまだ「牛と衝突」も健在。またところどころに立てられた「除染作業中」の幟に混じって、「除草作業中」の幟も。これに気づいたときは嬉しかったけれど、停車して写真を撮るわけにも行かず、頼みのドライブレコーダー映像は、帰宅したときには上書きされていてお見せできないのが残念。

帰還困難区域を出ると〈北限のコンビニ〉があったので、とりあえずパンと飲み物を購入して休憩。平日の午後であったが、結構混んでいた。道の駅ならははトイレしか使えないというので通過。「豚丼」と看板がチラリと見えたが、やってはいないだろうな。

このように得るもの少ない通りぬけであったが、後日の福島エクスカーションの良い予習となった。

アクアマリンふくしま

広野インターチェンジから常磐道に乗り、いわき湯本でいったん降りてアクアマリンふくしまへ。いわきの名所を紹介して、少しでも観光へ誘わなくてはという義務感よりは、「行って還ってだけでは、あまりに能がない」という焦燥感。前日、覗きに行った泉駅で「わくわく里山・縄文の里」オープンなんてチラシを持ってきた影響もある。

下調べをしてこなかったので1800円という入場料に狼狽し、さらに「閉館17時半ですがよろしいでしょうか」(着いたのは16時半ころ)という追い討ちをくうが、グッとこらえて入場券購入。入るとすぐに、右手が縄文の里、直進で本館という分岐。止せばいいのに縄文の里へ進む。遠回りになったけれど、カワウソに会えたので満足。

続いて本館へ。古生物学が終わるとエスカレーターでいきなり4階へ。「熱帯アジアの水辺」コーナーで思ったのは、生物の展示は生育環境を再現しなければならず、そうなると「水族館」「昆虫園」「植物園」といった区分けはあまり意味がなくなるのでは、ということ。とはいえ蚊とか虻とか蛭とかまで再現して欲しいとは思わない。

ゴマフアザラシは水の中を大きな目をぐりぐりしながら泳いでいたが、隣のトドの水槽は生き物の気配なし。もしや?と思って階段を登って水面の上(アクリルの前では高さ2mほどまで水)を見ると、案の定トドは陸上に寝転がっていた。トドというのは一部のツイッタラーの間ではToDo(やるべきこと)の隠語。

水産資源としての魚についての展示もあり、福島県の海産物の放射能汚染状況についての説明もあった。ここはじっくり見たかったので、機会があれば再訪したい。

17時を回るといよいよ閉館の音楽がかかりだす。三拍子だったら「別れのワルツ」、四拍子なら「蛍の光」だけど、どっちだったかな。寿司屋も閉まっていたし(これも後で調べたら15時まで、「食材がなくなった場合は、早めに閉店」)、諦めて早足で出口まで。途中、ショップ前スロープに震災の記録が展示されていた。地震と津波そして引き続く停電と燃料供給停止のため、多くの展示魚が死んでしまったという。飼育者としては痛恨であったことだろう。

ショップでの買い物ができなかったので、中郷SAで福島土産を購入。

一見したところ酪王カフェオレの1Lパックなのだが、実はパイというおちゃめな商品(偶然だが、道の駅そうまで購入した七味にんにくと同じ販売会社だった)。それと福島産ではないけれどおひたち しょうゆラングドシャという醤油スイーツに心惹かれてこれも購入。どちらも美味でした。

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2015/07/28

袋田の滝から矢祭町へ

水戸まで出たついでに、東北最南端に位置する矢祭町へ足を延ばすことにした(6月25日の話)。矢祭町には鉄道(地元の某さんは見栄なのか癖なのか「電車」とおっしゃるけれど、電化されてません)が通ってはいるけれど、その水郡線は、過去には急行が運行されたこともあるものの、現在は45駅、140km弱を各駅停車しか走っていない。町の中心にある東館駅は、水戸と郡山のほぼ中間地点に位置し、どちらの駅にも100分近くかかる。秘境と呼ばれる所以であろう。で、ここにはさかな家がある。「山の中なのに何故さかな家? 川魚の店か?」などと失礼なことを言ってはいけない。福島県は海あり県である。

袋田の滝

当初の予定では17時半の開店と同時に飛び込んで、おらが蒟蒻丼を購入して帰る予定であったが、11時予約の献血を10時から始めてしまったので、ゆっくり食事をし、ゆっくりと自動車を走らせても、かなり早くについてしまうこと必至。そこで途中にある袋田の滝に立ち寄ることにした。

急なことなので駐車場情報を把握せず、カーナビ頼りに現地へ行くと最終段階で案内と道路状況が合わなくなってしまった。そこで沿道の食堂で昼食をとるとともに情報収集。そこの駐車場に置かせてもらい歩いていこうと思った(そのために奮発して軍鶏せいろを注文した)ら、もっと滝に近い場所にある無料駐車場を教えてくれた。そこに車を停め直し、徒歩で滝まで。平日ではあるがそこそこ観光客がいる。

滝へ通じるトンネルの途中、幅が広くなったところでは天井にきらびやかなイルミネーション 入口で料金300円を払うとトンネルへ。施設利用券裏の説明によれば、このトンネルは79年12月の完成で、長さ276m、高さ3m、幅4m。当初は第一観瀑台までだったが、その後エレベーターを設置して第二観瀑台を増設したようだ。エレベーター前は明らかにトンネルが新しかった。途中、幅広くなったところでは何故かイルミネーションが。

低い方にある第一観瀑台から見上げた袋田の滝第一観瀑台からの眺め。滝はやはり見上げる方が趣がある。「この奥には秘境」とツイートしたところ、さかな家のおかみさんに見つかってしまった。


上にある第二観瀑台から見た袋田の滝第二展望台からだと滝の全容は見られるけれど、かえって壮大さが失われるような。しかし滝の上流はたしかに秘境っぽい(もっとも、滝は南から北に向かって落ちている)

第二観瀑台から見下ろした滝川にかかる吊り橋トンネルの途中からこの吊橋への道がある(第二観瀑台から)

断崖の中腹にある第一観瀑台吊り橋から見た第一観瀑台。いったい西行法師はどうやって滝を見たのだろうか。

吊り橋のたもとにある袋田自然研究路の案内標識。「生瀬滝まで片道20分」吊り橋を渡ると「袋田自然研究路」の案内標識があったが、「生瀬滝まで片道20分」に恐れをなして断念。

つづら折れになって崖を登る鉄製階段これが袋田自然研究路へと続く階段。

ハイキングコースの案内看板地図にも「急な階段」と書いてある。

滝川の対岸に設けられた幅1メートルほどの遊歩道。両側に手すり。対岸の歩道を通って滝見橋まで戻る。

対岸から見たトンネル入口対岸から見た観瀑施設の券売所(トンネル入口)。中央の階段は使えないので左側へ迂回する。そこに最後の公衆トイレ(トンネル内にはトイレはありませんという注意書き)がある。小奇麗な水洗トイレであったが、別途女性専用トイレの案内も。

〈秘境〉矢祭へ

袋田の滝を出て国道118号に戻り、久慈川沿いをゆっくりと北上。それでもまだ時間が余っていたので途中で矢祭山公園に寄ってみた。

木々の緑の間に見える水郡線の鉄橋(緑色)久慈川にかかる水郡線の鉄橋。この緑の中を場違いにカラフルな車輌が時おり通って行く。

高さ5メートルはあろうかという忠魂碑巨大な忠魂碑。

松林に薬剤散布をしたという注意書き(パウチシールした紙)探鳥路の入り口には薬剤を散布したという注意書き。この日はもう立ち入り解禁なので構わず進む。

探鳥路の途中で久慈川対岸の山を望むと緑の中に岩肌を見せた絶壁が見える。眺めは最高。

山また山の連なる景色この写真だけ見せれば、秘境と言っても信じてもらえるだろう。実際にはすぐ下に国道と鉄道が走っているのだが。

レンガを敷き詰めた探鳥路。隙間から草がはえている探鳥路にはレンガが敷いてある。

草で塞がれかかった探鳥路頂上付近は未舗装で、両側から迫る草に覆い隠されかかっていた。「もしヤマビルがいたら」と考えると急に気が萎えて、ここから引き返す。

斜面に木で土留めを設けた探鳥路の階段探鳥路は傾斜が急になると階段になる。雪が積もったらかなりスリリングであろう。いったん融けて再凍結したら最高。多少歪んでいるとは言え、レンガを敷いて平滑になった面で滑りだしたら止まらないだろう。その先には急傾斜...(一応、道だからストッパになるような木もない)

大きな矢祭山公園案内絵図降りてきてから案内図を発見。草に阻まれなければグルッと回ってこの案内図のところへ来られたのね。

それでもまだ開店時刻には1時間以上あったので、この日は「さかな家」の場所を確認するにとどめ、東北自動車道の白河ICに向けて移動。途中、少しは〈金を落とそう〉と給油したところ、もう矢祭町ではありませんでした(レシートを見たら隣の塙町だった)

瓶詰めの「うまくて生姜ねぇ!!」 途中、那須高原サービスエリアにて2013年の郡山行では購入できなかったうまくて生姜ねぇ!!を入手。ご飯がすすむ、すすむ。
福島桃のゼリー6個入りこれは福島県産白桃限定使用を謳った「福島 桃のゼリー」。冷やしていただきました。
栃木県産とちおとめを使ったという「いちごのカレー」はパッケージでもイチゴが主張 また栃木県に敬意を表して「いちごのカレー」に「いちごバター」(見た目は苺ジャムだがバターが練りこんである)というゲテモノ一見奇を衒ったような商品も購入。どちらも美味でした。

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2015/05/06

近郊の専業農家に聞く

4月に東京近郊で専業農家を営む人の講演を聞く機会があった。以下は当日と翌日に備忘録としてツイートしたもの。紹介内容の正確さについて保証はなく、責任は演者ではなくブログ主が負います。

素人が枝豆栽培するなら、種蒔きは明日(12日)だと。収穫は6月末。
これは会場からツイートしたもの。

以下は12日の連続ツイート

昨日、専業農家さんの講演を聞く機会があった。まだ覚えていることを備忘録としてツイート。1)近郊農家は近隣住民(非農家)との関係が大切。風で資材が飛んできた、土埃が、農薬がというトラブルは日頃のコミュニケーションで緩和できる。

2)その一環として規格外で出荷できない野菜を配っているが、その方が美味しいと評判になることも。
3)家庭菜園を営む人からの相談にも乗っているが、枯れたり病気になったりしてから持ってこられても手に負えない。そうなる前に相談して欲しい。

「病気になったりしてから持ってこられても手に負えない」と聞いて、農家とは作物の医者ではなく、保健師のようなものなのだと思った。病気になる前の栄養指導、生活指導。

4)家庭菜園で素人が失敗する理由には、ア)水や肥料のやり過ぎ、手入れのしすぎ イ)播種時期のずれ ウ)微量要素の欠乏 エ)農薬への偏見 オ)後手に回る病害虫対策
(感銘を受けたのでアンケートに「農薬と微量元素の話は有機フリークに聞かせたい」と記入)

ずいぶん前の話だが、EMぼかしをベタ誉めするのは非農家ばかりと読んだことがある。プロは法律で規格が定められた農薬や肥料を上手に使う。奇をてらうのは素人。

農薬は使わない、と怪しげな病害虫対策に頼り、どうにも手のつけようが無くなってから農薬を撒く、というのもありがちな話。もちろん食われた葉っぱは戻らない。

5)地元では後継者問題は起きていない。小一時間で東京へ遊びに行ける地理的条件が若者を引き止めているのかも。(東京農大には「一度は東京で暮らしたい」という全国の農業後継者が多いとか)
ちなみにスライド上映のパソコンを操作していたのはご子息夫婦。

6)気候の変化を感じる。夏の暑さや雨の振り方は昔と違ってきているので、「今まで通り」では対処できない。新しい技術も積極的に導入。
ちなみにこの市では先日「防音校舎に空調を設置するのは是か非か」という住民投票があった。市長は30℃超えは年に10日以下と言っていたが...

(補足:市長は教室温度が30℃以上になるのは年に10日以下、去年は6日だったから空調なしでも頑張れると主張したが、市議から不正確で参考にできない測定と突っ込まれていた。毎日同じ時刻に測定していたのは1校のみなうえに、「13時に29.5℃」の日は30℃未満だと。)

住民投票の結果を受けて、市長は当初計画通りの空調設置を表明。それ自体は賢明な判断だけど、実に壮大な遠回り。活発な議論によって市民に市政参加への意欲が高まった、なんて副産物もなく(投票率は3割強)、対応を批判された市議会も反省の色は見られない。投票前にある市議が心配していた「子供の教育を任せるには相応しくない街」という印象を市内外の子育て世代に与えていなければ良いのだが。

閑話休題。


(補足:若奥様は非農家の出らしく、ホウレンソウの植わったビニールのトンネルを見て異次元の感想を漏らされたようだ)

7)後継者問題でいえば、以前は長男であっても小遣い程度の収入であったが、いま地元では多くの農家で月給制を採用している。

8)農作業にはパートタイム労働者を雇用しているので、「今日の作業はありません」というのは許されない。
(こうなるともう会社経営を変わらないな)

9)種まきも収穫も、1日ずれただけで影響が大きい。育ちすぎても出荷できなくなる(から、農協は行事日程に気を遣ってくれ)。

(クリティカルな時期は作物によって異なるから、全組合員の都合が揃うことはないようだ)

「会社経営を変わらないな」というのは「会社経営変わらないな」のタイポ。かつては「クロヨン(9・6・4)」「トーゴーサン(10・5・3)」(農林水産業従事者は課税所得の捕捉率が4割あるいは3割に留まり、税逃れをしていると)と言われていたが、そういう時代は終わり、しっかり帳簿をつけるようになりつつあるのだろうか。

約2時間話されていたので、まだいろいろあるけどメモをしてないし、覚えているのはだいたいこんなところ。なお、いずれも私の記憶だよりなので、講演内容を確かめないまま演者に文句を言わないでください。(むしろ「そんな話はしていない」の方が蓋然性大)

ここまでが直接言及したもの。その後に補足的なツイートを少々。

植物は空気中の二酸化炭素をとり込み、根から水を吸っているけれど、これで補充できるのは炭素と水素と酸素だけ。チッ素、リン、イオウその他の元素がなければ成長できないし生きていくのも難しい。循環型農業とか言っても、農産物はみんな系外に持ち去っているんだから施肥が必要なことは明白。

なお、チッ素については、空気中のチッ素を固定できる細菌がいて、それと共生している植物はチッ素肥料がなくても大丈夫。しかしリンとカリは必要。微量元素はその名の通り微量で済むので、耕作開始前のストックがある限りは問題ない。しかし農産物を出荷していればいずれ欠乏する。

農産物を食べた連中の排泄物を回収して肥料にして初めて循環型農業と言える。海や川の魚(湖にわくユスリカでも結構)を食べた鳥が飛んできて脱糞するのでも良い。

いずれにしても現場の人の話というのは、参考になる。現場にいるとかえって見えなくなることももちろんあるだろうけれど、それは現場主義の人が自戒すれば良いことで、鳥瞰を旨とする理論派はそんなことを言ってないで自分の頭の周りのハエを追った方が良い。

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2015/04/29

献血ルーム巡り8(茨城県・日立献血ルーム「さくら」)

なかなか仕事が決まらないため、暇つぶしと社会貢献を兼ねて始めた献血ルーム巡り。茨城県の最後は日立市にある献血ルーム「さくら」

当初、4月29日(祝日)を予定していたが、予約状況を調べるとすべて空きなし! というわけで急遽2週間早めた(19日に「ふくしまの話を聞こう4」に参加すれば、そのあとの懇親会で肝機能値が悪化する恐れが高かったため)。平日なので高速道路の休日割引が使えない。そこで深夜割引をと3時起きして出発したが、首都高が事故のため通行止めとなっていて、常磐道に入ったのは4時を回っていた(つまり割引は適用されず)。実は出発に手間取り、首都高に入った時点で間に合いそうもなく自己嫌悪に襲われていたので、「予定通りに出ていても間に合わなかった」に気分スッキリ。

「無断駐車禁止」の看板はまだ「すかいらーく」のまま とはいえ、距離の長い区間で割引が効かないのは痛いので、あまり早く着いても駐車料金が高くなることも考え、水戸で一般道で降りることにした。予定では風神山自然公園で日の出を...のはずが夏至も近い今頃はとっくに日が昇っていたし、6号からの分岐があまりに鋭角だったため(あとで調べたら手前に、標識はないけれど広い交差点があった...これも下調べ不足)見送り。通勤時間の混雑が始まったのでファミレスで時間調整でも、と思ったところで24時間営業は常識ではないことを思い知らされる。そんなこんなはあったものの、無事ガスト日立駅前店(ここは24時間営業で、駐車場の看板を見ると以前は「すかいらーく」だったことが分かる)に着き、朝食(脂に気をつけながら焼きサバ定食)を摂って時間調整。空いてはいたが、席でぐうぐう眠るのもはばかられたので、浜の宮ロードパークに移動して仮眠を試みた。
ロードパークから見た堤防と左手に広がる太平洋ここは茨城県の日の出スポットにも選ばれる場所で、眺望良好。ただ、6号バイパスを引っ切り無しに自動車が通るので、落ち着いて眠ることはできなかった(日光直射を避けるためバイパス側を向いて停めたせいもある)。そこでラジオをつけるとバルトーク作曲「ルーマニア民俗舞曲」 が。これは以前、目覚まし音楽に使っていたのですっかり目が覚めた。予約の10時にはまだ間があったものの、遅れるよりはということで出発。駐車場の位置は事前に確認していた(ガストに入る際ナビに導かれて前を通過していた)ので難なく駐車。場所を忘れないよう区画の標示を撮影して出場。

日立出張所?

5階の窓に「献血ルームさくら」と文字が貼ってあるが、数が合わないため最後の一枠に「くら」と二文字建物の外側に献血ルームがあることを示しているが、「さくら」の部分を声に出して読もうとすると妙な感じに。
入り口には献血ルームの看板やポスターが沢山ビルの入口は献血ルームがあることを「これでもか」とアピール。1階にある場合は珍しくないが、ここは5階。オーナーの理解があるのであろうか。
入り口の上には「茨城県赤十字血液センター日立出張所」ルームの入口には「茨城県赤十字血液センター日立出張所」と。こういう標示は初めて見た。そういう時代に開設してからずっとここにあるのかな。
ガラス扉の下部には「鹿島建設」という文字が残っているドアガラスには「鹿島建設」という文字が。居抜きしたのだろうか。この先ルーム内は撮影自粛。

問診から採血まで

受付開始時刻(10時)前であったが開いていたので入って予約である旨を告げる。献血カードを渡してしばらく待機。待合室は採血室と職員控え室の間にあるため、開始時が近づくとナースさんたちがぞろぞろと通り抜け。みなさんとご挨拶。

待合室のイスに座って両足をマッサージ機に入れた。足の間に操作パネル。待合室にはフットマッサージ機があったので、血行を良くしておこうと試してみる。「自動」で任せていると温めたり脹脛を締め付けたり足裏を押したりと色々してくれるが、何時まで経っても終わらない。呼ばれて慌てるのも嫌なので「運転 入/切」ボタンで止めてしまった。

問診はタッチパネルだが、なぜかスタイラスペンがなく、指でタッチ。反応が悪くて少しイラッとさせられる。続いて医師による問診。この若い先生は新任なのかまだシステムに慣れてらっしゃらないようで、ベテラン?ナースが付きっきりで助言。血圧がやや高めであったが何も言われず事前検査へ。検査用採血はいつもと同じ左腕。ナースさんのピンクの腕時計が素敵であった。ヘモグロビン値を告げられて「血小板をお願いします」。もとより望むところ。

いったん待合室へ戻る。本棚をチェックすると、新聞雑誌のラックには赤十字の講習テキストがあるのは水戸ルームと同じ。本棚はコミック単行本。浮世離れしないために『進撃の巨人』の第2巻を読んでみる。うーん、登場人物がまるで識別できない。

呼ばれて採血室へ。ベッドの数は...そんなに多く無い。番号が振られていないようだ。ウェブサイトにある によれば6台あり、そんなものかな(小規模な部類だろう)

北側の、窓から2番目のベッドに案内され、靴を脱いで上がってみるとモニター画面に「予約席」と手書きの札が。(^^; 

ここでは採血機のモニタを見ることができ、どれだけ血を抜かれているかを追跡できた。1サイクルで400gの血液を処理し、血小板は合計およそ230g。バッグの中に血漿や血小板(を含んだ血漿?)が溜まっていく様子も眺められた。遠心分離する様子は見てみたい。赤血球が下に落ちるというのは想像できるが、血漿と血小板はどう分けているのか。


トイレの注意書きは疑問

アサガオの脇に「気分が悪くなったらすぐしゃがんで」と立って用便を前提の注意ここのトイレもビルの共用部。よその献血ルームでは「採血後は男性も座位で」というところが多いけれど、ここは「気分が悪くなられたときはすぐにしゃがんで」と立位を前提。うーん、いいのか?(そもそも〈放水中〉じゃしゃがめませんよ)。これは気になったのでアンケートに記入しておいた。

Imgp0246非常呼び出しボタンはアサガオのすぐ脇に。これらボタンは概ね立った状態で押すことを想定しているようだが、へたりこんでから「立てないから、仕方ない、人を呼ぼう」という方が多いのではないだろうか。どこかの施設ではボタンが床上40cm位のところにあった記憶がある。
ビルの入口にある献血ルームの看板の下に、入る時にはなかったラジカセが終わって出てみるとラジカセが呼びこみをやっていた。しかし平日昼間とはいえ、特急も停まる駅の駅前なのに人通りはとても少ない。午前中の献血協力者は、私を含めて一桁台か(婉曲表現)。豪華景品抽選会のご利益もあまり無いようだ。どうやって増やすかは課題。
道路の向かい側にも献血ルームの看板が道路を挟んで玄関の向かいにも献血を呼びかける看板が。このあと駐車場に戻り、もらった駐車券(300円分)を入れて出ようとすると100円足りなかった。300円だと2時間半なのだが、2時間32分いたからか!

常陸牛と梅クリーム大福

このあと「せっかく茨城まで足を延ばしたのだから、地元名産を食べて」ということで目を付けていた常陸牛のお店へ。海沿いの道をひたちなか市までゆっくりと。ところがまたしてもカーナビに「音声案内を終了」されても目的地を発見できずに彷徨するという失敗を。ちゃんと建物外観も把握していかないと。
鉄板にステーキと付け合せ。御飯と味噌汁と小鉢太平洋の雄大な眺めに気が大きくなって、昼食はちょっと贅沢。ただ、正直いうと期待したほどでもなくて、もしかするとサーロインステーキよりも(少し安い)もも肉ステーキの方がお似合いだったかも。素直に「茨城そだち」御膳でも良かったかな。
梅クリーム大福の包装はマンガチックな絵柄の水戸黄門友部サービスエリアで休憩中、売店で発見した「梅クリーム大福」。あまりの脱力ぶりについ購入。脱力といえば「納豆ショボーン」などというもの(ググッて出てくるものとは異なる)もあり、これも憑かれて、もとい疲れていたためか購入。梅クリーム大福は美味であった。
上は検査用採血、下は本採血のあとに貼られたガーゼ。どちらも血液は微量。 帰ってからガーゼを剥がしてみると、出血はほとんどなかった。処置が素早かったからだろうか。

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2015/04/22

のらっくす農園を訪ねる

つくば市まで献血をしに来たついでにのらっくす農園を訪ねることにした。


カーナビの住所選択画面。「上条」という地名は「か」のところにも「う」のところにもない。所在地はあらかじめ調べておいたのだが.... まさかカーナビに入力できないとは想定外! 「阿見町上条787」の「あみまち」は難なく選択できたけれど、「かみじょう」なんて大字が選択肢にない! 「うえじょう」もダメ。とりあえず「上長」を選択するとだいたい近いみたいなのでとりあえずそこまで行くことにする。

道端に立つ高さ2メートルほどの黄色い看板すると幸いにも画面地図上に「上条」の文字が現れる。しかし目的地登録はできないので、地図を見ながら運転することに。農園そのものは道路から林で隔てられていたが、幸いにも入り口道路脇に黄色く目立つ看板が立てられていた。この雰囲気は原爆の図 丸木美術館への入り口に似ている(今ストリートビューで確認したら、丸木美術館の立て看板は小洒落たものに更新されていた。昔は道一本隔てたところに今もあるようなもっと大きい手描きのものだった)
入り口の両脇に同じ看板ちなみに看板は入り口の両側にあり、どちらから来ても見落とす心配はない。書体も促音便「っ」の位置も2つとも同じなので、あの描き方はロゴ的に決まっているのであろう。
農園内の作業小屋にかかる看板 林を抜けると作業小屋があり、「環境保全型農場」「有機肥料・無農薬農法」という看板が掲げられている。2011年の東京電力原発事故以来の混沌の中で、有機農業大好きな人達への評価はビクトリアフォール状態なわけ(東北および関東地方の有機農家はそれまで産直でつながっていた都市住民の〈裏切り〉で煮え湯を飲まされた)だが、ここは耕作放棄地の復元実験が主目的で(だから「環境保全型」)、そのため肥料や農薬に割く資金が足りなかったという、結果的に有機農業、言い方を変えると神がかってない有機農業なので嫌悪感はわかない。
正面から左側は一面の畑。50mほど先にブルーシートのかかった高さ1mほどの小山 除草のために導入したというヤギは、実験が終了したためか脱走騒ぎを起こしたためか、いなくなっていたし、新たに掘ったという井戸も確認できず。ブルーシートの下は野積みの堆肥であろうか。この農園では農業体験ができる(要予約)ということで、関東農政局のサイトにも載っている。
正面にビニールハウス、その後ろには林。そして青い空 それにしても空が高い。夏にはここでバーベキューをしようという話もあり、天候に恵まれれば気持よさそうである。ただし、農作業をしたらシャワーが欲しいし、酒を呑むなら自家用車という訳には行かない。公共交通機関は...一番近くを通るのは江戸崎と土浦を結ぶJRバスか。わ、工業団地前に停まるのは1日に1本!?
この日はアポ無しだったので声をかける気もなく、もとより小屋は無人であった。写真だけ撮ってすぐに帰ってきたが、奥の畑では作業をしている人がいて、もしかしたら不審に思われたかもしれない。気になったので帰宅後〈農園主〉にメールで釈明しておいた。

茨城県における有機農業の意義

ところで県庁の人に聞くと、茨城県が有機農業を推すのは内水面の汚染対策、つまり河川湖沼が肥料のために富栄養化しているのをなんとかしたいかららしい。それでエコ農業。そういう事情であれば大いに同情(昔、「水銀資源が枯渇したら、日本の水田を掘れば良い」というジョークがあったそうだが、チッ素やリンも相当投入されているようで、無施肥で順調というのは「プチ断食で好調」みたいなものかもしれない)

その話を聞いたのは2月にあった「有機農業の魅力をあらためて考えよう!」というシンポジウム(PDF)。そこでは、〈土ができる〉という現象は土壌中の微生物叢の変化で、なかでも植物と共生する微生物(エンドファイト)が注目されているという話もあった。農薬や化学肥料の替わりになるとも期待されると。

とはいえ、(チッ素は根粒菌などが空気中から取り入れられるけれど)リンやカリウム、さらにはイオウ、鉄、マグネシウムといった元素は収穫物と共に系外へ持ち去られてしまうから、外部から補給しなければいずれ不足するようになる。「無肥料」に対する不信は、この厳然たる質量保存の法則に基づく。

「上条」の読み方は

「上条」はカーナビの「し」の欄に

帰宅後、調べてみると「上条」の読み方は「じょうじょう」と判明。それならばナビの選択画面にも載っていた。



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献血ルーム巡り7(茨城県・つくば献血ルーム)

なかなか仕事が決まらないため、暇つぶしと社会貢献を兼ねて始めた献血ルーム巡り。水戸の次はつくば市へ、血小板の端境期となる木曜日(3月12日)に遠征した。

つくばまで

今回は用心してネットから事前予約をして臨む。予約手続きを済ませると「一週間以内にメールで」と表示され、あと4日しかないのに大丈夫か?と不安になったが、無事月曜日に確認メールが届いた。そこには「治療中・服薬中・体調不良等の場合はご協力いただけない場合もございます。海外から帰国後4週間以内のご協力はいただけません。」とは書いてあるが、採血前にカレーは食うなとか新しい恋人と親密な行為に及ぶなとかの注意はない。後者は日赤サイトにある献血をご遠慮いただく場合の9番目、エイズ、肝炎などのウイルス保有者、またはそれと疑われる方に該当する行為。これらハイリスク行為は本人に限らず、性的パートナーにも回避が求められるので、早い話が「あんた、尻尾と角を生やしていませんか(浮気されていませんか)」と聞かれているようなもの。そんなの本人は気づかないもんだよ、普通は。感染防止を徹底したい気持ちは分かるけど、少々現実離れしているようにも思える。そのうち刑務所や拘置所等で長期隔離されている人に協力を依頼するようになったりして。
「サイエンス」が正しくScienceと綴られた標識 それはともかく、場所を確認して一路常磐道でつくばへ。谷田部インターチェンジを降りてサイエンス大通りへ入ると、かのSaiensu-odoriという標識は正しくScience Ave.と綴られていた。ただし、撮影地点が異なるので全部が直っているかは定かでない。
広場の向こうの建物に献血ルームの看板つくば献血ルームへ自動車で行く場合、都市交通センター駐車場を3時間まで無料で使えるのだが、南2へ行くはずがうっかり南1へ入れてしまったため、歩き出してから迷子に。予約時刻が迫っていたので電話をして道を尋ねると「西武百貨店は見えますか」と。まさかそれが目の前のイオンの裏手とは思わなかったので、「見つかったらまた電話します」といったん切ってさらに迷走。ようやく予定と違う駐車場に入れたことに気づき、15分遅れでルームにたどり着いた。呼びこみをやっていたお姉さんたち、目の前にあるのに「献血ルームはどこですか」と尋ねたおじさんを「こいつの血ぃ使って大丈夫か?」と思ったのではないだろうか。

問診から心電図まで

あとはいつもの通りで献血カードを渡し(「駐車券は?」と聞かれて慌てて渡そうとしたら「後でいいです」と突き返され)、タッチパネルで質問に答え、そのあと医師の検診。道に迷い走ったので血圧が心配だったが、収縮期血圧も137で「問題ありません」と。例によって「1年以内の予防接種」で引っかかるかと思いきや「去年の8月です(MMRつまり麻疹(measles)、流行性耳下腺炎(mumps)、風疹(rubella)の新三種混合ワクチンを8月末に接種した)」であっさりクリア(インフルエンザ等の24時間から狂犬病の1年間まで幅があるので、該当するものが多い3か月までは慎重にチェックされるのだろうか?)。続く血液検査も無事にパス。しかし心電図は前回が2014年の2月だったためとり直すことに(想定済み)。もちろんこれも合格したが、平日の午前中だったのに、なぜか血漿献血に。カウントが1なので回数制限ぎりぎりの今なら幸運かも(成分献血は血小板1回を2回に換算して1年間に24回まで

以上の手順、タッチパネルによる問診から始まるのは共通だが、医師による検診と血液検査はルームによって順序が異なることがある。結果を総合判断して決定するなら医師による検診は最後でなければおかしいような気もするが... もっとも採血という侵襲的・観血的な検査は、血圧その他で弾いた後にするのも合理的。

待合室にて

いったん待合室に戻って待機。なんとなーく本棚をチェック。宜保愛子とかは目くじらを立てることもあるまい。幸いにも近藤本とか内海本は置いてなかった。

「水分を補給して」という指示に従いルーム内の自販機からたまねぎスープを選んで飲む。この自販機には恐怖のホットアクエリアスもあった。

またオムロンの体脂肪計がカウンター席にさりげなく置いてあった。戯れに測ってみると「隠れ肥満(体脂肪率26%超、BMI23)」 orz

採血室へ

順番が来て採血室へ。これで10以上の献血ルームを経験したわけだが、内装は千差万別。個性があるのは楽しいけれど、規格はないのか?とちょっと心配。ほとんどが間借りだから統一は無理なのだろうが。しかしベッド番号は天井からの標識かテレビの背面かくらいは揃っていても良いような(テレビモニタの背面を使っていたのはここが初めて)。統一といえば、ここのナースさんたちは全員紫色の医療用手袋を着用していた。それだけでなくネームカードを付けたストラップに、ドラえもんとか水戸黄門とかいろいろ付けていらっしゃる(ざっと見たところ2種類ずつ)。これも〈制服〉? そういえばここのナースさんはパンツ派とスカート派に分かれていた(印象ではパンツ派の献血ルームが多いけど...読者の報告を求む)。採血室に(検診医とは別に)男性(白衣を着ていたのでたぶん医師)の姿、しかも2人を見たのも珍しい。1人はナースさんの指導をしていた。

各採血ベッド脇には小さなゴミ箱が一つあって、ちょうど1人のナースさんが中身を回収していた。ゴミ箱の中にプラスチック袋をセットしているのだから、それごと交換すればいいのに、中身をあけて一つに集約しているような... 作業が終わってから手袋を交換するかも気になったが、腕に針を刺されてベッドに寝ているので仔細に追えなかった。

採血後の脳貧血を防ぐため?レッグクロス運動というものが勧められている...のだが、これがまた献血ルームによって案内があったりなかったり、あっても内容が異なっていたりと不思議な現象がある。埼玉県の献血ルームでは足首を交差させて上下から押し合うという方法を案内しているが、ここでは足首の屈伸運動(つま先を上げたり伸ばしたり)。水戸はどうだったかな...移転したらしいからもう一回行った方が良いだろうか?

トイレは共用部

トイレにある非常呼び出しボタン終わると型通りの説明を受け、記念品を選び、3時間分の駐車券を貰ってしばらく休憩。トイレは共用部分にあったが、気分が悪くなったときのための呼び出しボタンは設置されていた。外へ出ると、昼休みのせいだろうか、呼び込みティッシュ配りをしていたお姉さんたちの姿はなかった。
献血ルームの案内板来るときは散々迷ったけれど、帰りはアッという間に駐車場へ到着。そして通路には大きなパネル。素直に出口に向かっていればここを通ったはずなのだが... 駐車場の使い方を根本的に間違えていないか?>自分(自動車を降りてからの行動に問題があるようだ)
このあと、せっかく茨城県まで来たのでのらっくす農園へ足を延ばすことにした。

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2015/02/22

最終講義を聴きに行く

世話になった先生が今春に定年を迎えられる。その最終講義があるというので聴きに行った。

JRのボックスシートに座り、読みかけのままだった『原発事故と放射線のリスク学』を開いていると、いつの間にか車窓の景色が変わり、「ああ、来たな」と思うとしばらくして終点に到着。駅は改装されて往時とはうって変わったモダンな佇まいだが、良くも悪くも個性が無くなっている。かつてはなかった南口までできていて、どちらにもバス停があるので迷ったが、とりあえず以前と同じ(こういうところは劇的には変えないだろう)と踏んで北口へ。駅前広場もあまりの変わり様に「はて、以前はどうなっていたのか」と考え込みそうになったが、バス停案内はしっかりしていたので難なく目的の停留所へ行けた。ああ、位置的には以前と同じだよ(やっぱり保守的だ)。時間的に余裕があればちょっと銀行まで寄って、と思っていたらバスが来たので乗車。なんと低床式。

農地の中に並ぶ太陽光パネル市街地を抜け、国道を進むと異様な光景が。あれは太陽電池パネルではないか。しかしメガソーラーというにはかなり足りない。そうね、キロソーラーかヘクトソーラー(もしかしたらセンチソーラー...うん、情緒的な太陽光発電はこう呼ぶことにしよう)
反対車線のバス停留所目的地の名を冠したバス停はこの次だが、通は手前で降りる。本部が移動したの知ってるもんね(でも会場は次のバス停の方が近かった...)
車道との間に植え込みと並木のある歩道いかにもキャンパス前といった趣の並木歩道。前を行くお二人も大学に入っていったけれど、最終講義とは関係ない方だった。
道路を挟んだ向かい側には高いネットが張られている旧研究棟は取り壊されて、フェンスがあるところを見ると運動場になっているのであろう。
いったん事務棟に入り、特に案内も出ていなかったので構内図で会場を確認すると棟が違うと分かったので外に出る。建物の角を曲がろうとすると、停まった自動車の中から見覚えのある人物が。既に退職されている前教授! 慌てて挨拶をし、聞けばやはり最終講義を聴きにいらしたと。会場のある建物に入ると職員(教員だったかもしれない)が気がついて案内してくれる。なんかお付きの人になった気分。
受付に行くと、記帳用とは別に予定聴講者のリストがあり、○を付けるだけで入れるようになっていたが、畏れ多いことに2番目に私の名前が。
階段教室で後方の席の卒業生二人と懇談される前教授卒業生と懇談される前教授。
講演者席でハンカチで口元を拭い緊張の様子の教授 開始前、緊張の面持ちの教授。なんか、このお二人相貌が似てきたような。頭蓋骨を並べてもそっくりなんじゃないだろうか(おい)
お話は大学入学から始まるのだが、実質1枚目のスライドにいきなり大管法(大学の運営に関する臨時措置法の略称)が登場してびっくり。もっとびっくりしたのが、臨時措置法という名が示す通り「5年以内に廃止するものとされる」時限立法だったはずが、実際に廃止されたのは2001年(2004年の国立大学の法人化よりは先だが、実に30年以上!)だったということ。とはいえご本人は学生運動に加わることはなく、講義がないのを良い事に遊び暮らしていらしたらしい。それでも尊敬する先生を見つけられて学問に目覚め、博士課程のある東北大の大学院に進み、修士論文の核はピアレビューの雑誌に投稿した、というと聞こえはいいのだが、ご本人の弁によれば、論文の書き方なんて習ってないから既存のものを手本に切り貼り(確かに「持ってきては、貼りつけながら」と言われた)して投稿したところ査読者から罵倒(「こんな論文は見たことがない」「不届きである」)されたと。これを聞きながら「どこかで聞いたような話だな...あっ(ここでSTAPもといSTOP」。なお、その論文は先輩の手を借りて修正し、再投稿の結果受理され、今日に至るも無事である。
この後も研究にまつわるいろいろな話が続き、感心したり笑ったりしていたのだが、私と経験が重なる部分に来ると、細部にこちらの記憶と異なる部分が散見されて、(この先生に限らず)今まで感心して聞いてきた話って、意外と不正確なものなのかもと(自分の記憶が正しいことを前提に)少々悲しい気分になった。まー、細かいことはいいんです。大切なのは、おや、こんな時刻に誰だろう。
教室前方で先生を囲んで記念撮影。熱弁が終わったのは予定を過ぎて午後5時。続いて学生やご家族から花束が贈られ(大講座制というシステムのためか、よその研究室からも頂戴していた)、最後に聴衆を交えた記念撮影...なのだが、最近の学生さんはシャイなのだろうか、なかなか前に出てこない。退官した教員や古い卒業生ばかりが集まって、仕方が無いので教室後方で見ている学生を呼びつけて並ばせる。それでも中央には出てこない。普通は最後に指導を受けた学生が囲むものだと思うけど。
撮影する学生三人 お約束で「撮られたら撮り返す」。デジカメの良いところで、懇親会が終わる頃には土産としてプリントが手渡された(いかん、「寸志」を用意し損ねていた。卒業生は菓子折りとか持ってきているし、肩身狭っ)
この後さらに先生を囲んで食事会。時間の都合で端折られた部分も伺うことができた。なお、今日は主に在校生を対象としたもので、卒業生向けには改めて夏に開催されるという。その時は農園見学もセットだろうか。

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2015/02/14

献血ルーム巡り6(茨城県・水戸献血ルーム)

なかなか仕事が決まらないため、暇つぶしと社会貢献を兼ねて始めた献血ルーム巡り。栃木県に続いて茨城県コンプリートに着手した。

水戸市民は献血熱心

当初予定では日立献血ルームから取り掛かるはずが、前日に予約状況を見ると「電話」も「ネット」も終日「空きなし」になっていたので、ネット予約なら「空きあり」になっていた(電話予約とネット予約が別枠になっているというのもよく分からないが)水戸献血ルームへ急遽変更。ただし複数回献血クラブは事前に登録した地域(県)しか予約できないので、予約なしで(帰宅後、「よく献血される地域」を茨城県に変更したら、強制的にログアウトさせられた挙句、再ログインを試みると「あなたさまは現在、仮登録となっております。登録完了のメールが届くまでお待ち願います。」に、そして茨城県赤十字血液センターからメールが届いたのは翌朝10時半)
ビルの壁面には2本の垂れ幕、窓には大きな赤十字で献血ルームの存在をアピール 水戸駅南口にある駐車場に乗り入れ(受付開始の10時前には着く予定が、いろいろあって10時9分入場)、「ほぉ、ビックカメラもある。」と感心しながら北口へ出ると、左手にとても分かりやすく存在をアピールしていた。
中村ビルの6階でエレベーターを降りると、すぐ目の前に献血ルームの看板。一緒に乗っていたうちの一人がさっさと中へ入っていく。しまった、出遅れた(エレベーターの開ボタンなんか押して譲るんじゃなかった)と慌てて続くと、既に中はぎっしりの人だかり。先に入った男性は「混雑しているので今からですと...」と説明を受けているのに、私はなぜか「献血カードは? 駐車券は?」と当然のように事前受付が始まる。手荷物とジャンパーをロッカー(中と小とがあった)に入れ、カウンター席に空きを見つけてしばらく待つと呼び出されてタッチパネルによる問診。いつものようにホイホイ回答していくと、既往症のところで「アレ?」。以前は今までにかかった疾患だったと思うが、それが「1年以内に」となっていた。というわけで昔罹った病気は除外。受付番号をもらうと22番(待合室は4人がけのテーブルが4卓にカウンター席が8つほどだから、混んでいるわけだ)。続いて医師による検診。お齢を召された女医さんだったせいか、心配された血圧は文句ない正常値で合格(不自然に高くなることがあり、女医さんにときめいてしまったのか、などと)。さらに事前検査でも問題はなく、血小板を提供することに(血小板は2回にカウントされるので、これで年間24回の制限まであと僅か)

事前検査のカウンターには献血前の食事の注意が貼り出され、牛乳、ハンバーガー、ラーメンなど脂っこいものは避けて、と。この手描きポスターは待合室にも貼り出されていた。これ、ウェブにも載せるべきだと思う(気にし出すとファストフード系は軒並みアウトだし、定食でも焼肉、焼き魚、炒め物は引っかかりそうで、確実なのは素うどんとか掛け蕎麦あるいは盛り蕎麦になりそうな...)。なお、この乳びについては広島県赤十字血液センターブログに解説がある。

また待合室に戻り、30分ほど待機。その間に大手を振って水分を補給し、また待合室の奥にあるトイレもチェック。「採血直後の使用は座位で」という注意書きが貼られ、個室内と朝顔脇の2か所に(気分が悪くなったときのための)非常呼び出しボタンが設置されていた。

採血が始まったのは実に12時過ぎ。採血ベッドには靴を脱いで上がる。「4回(成分献血では血を抜いて遠心分離した赤血球を戻すというサイクルを繰り返す)、42分です」と看護師さん。れ?前回は3サイクルだったような、と思いつつも異議を唱えるわけにもいかず、おとなしくまな板の上の鯉。いったん腕に巻かれたカフが実は隣の機械のものだったとか、静脈に針を刺したらガーゼで拭うほど出血したとか、粘着テープを床に落とすとか、細かいことはいろいろあったものの無事開始。

で、例によって観察を始める。採血ベッドは10。その下にはカゴがあり、栃木センターでは手荷物を入れている人もいたが、こちらでは毛布やクッション入れになっている模様。東京や埼玉では最近目にしない握り棒(ハンドグリッパーというの?)はここでも使用。隣では温パックを腕の下に入れるとか甲斐甲斐しく面倒を見られているが、こちらは後半にタオルケットを掛けられたくらいで基本放置。レッグクロス運動の説明はない(けど、勝手に始めた)。看護師さんは全員紫色の手袋を着用。しかし手の消毒はしていない、というかお馴染みの手指消毒スプレーが見当たらない! まー、針を刺すところはヨウ素を使って念入りに殺菌されているわけだけれど。

出てみると入口の前には昼休みのお知らせが。 終わってからの解体、じゃなくて装脱はなぜかナース2人がかり。終了後の血圧は手首ではなくて腕で測定。最高血圧・最低血圧共にやや低くなってはいたが異常はなし。「20分は休憩してください」と送り出されてみれば13時。家族連れもいて大賑わいだった待合室は閑散としていた。受付スタッフも半減し、手の空いた看護師さんたちが食事に出ていく。自販機で再度水分補給。ラインナップは他所と大差ないけれど、白湯と冷水があるのは珍しい? ちなみに私、開始前はアクエリアスで、終わってからはリアルゴールド、いずれも氷なしで。

掲示されている開設許可書を見ると、水戸献血ルームは2007年オープンらしい。人口27万人の都市の献血ルームとしてはやや小ぶりな印象(人口20万人を切る甲府市にあるGrapeの方が広々としていた)。休日とは言え、午前中の混雑ぶりは水戸市および周辺自治体住民の意識の高さの現れなのか。午前中に待っている間にもグループで訪れる人もいて、待つ側はちょっと大変だけど、効率からいえば理想的? 日立(人口18万)やつくば(人口22万)が楽しみ。

4つのテーブルには菓子とウェットティッシュが用意され、カウンターに備え付けの図書はコミックが中心で若干の文庫本も。新聞・雑誌のラックには赤十字の各種講習テキストも並んでいたのが印象的。献血ルームでよく見る血圧計はなかったが、体重計があった。また待合室では無料WiFiが使用できたけど、案内は見当たらなかったので、もしかしたら他所のにタダ乗り? ツイッターのパスワードは変えた方が賢明かな。

ビルの2階と駅を結ぶ通路に出された「献血のお願い」幟。その前には魚民の「飲み放題」という看板が。 献血カードを返してもらい、いろいろ注意書きとレトルトカレー(これは選択した)の入った袋、そして駐車サービス券を受け取る。これも室内に貼り紙がしてあって、以前は30分だった余裕を1時間に延長しました、と。食事とかしているうちに時間オーバーしてしまった人がいたのだろうか、あるいは中村ビルでの消費庄やは昼営業しており、魚民は夕方開業のはずだが駅からの通路に看板が)を促そうという方針か。

血小板を抜いたのだから常陸牛で精をつけようと意気込んで食事に出たが、下調べでリストアップしておいた加護やに行ったところ、魚料理は舌平目とあるのを見て茨城県北部海域のヒラメは出荷制限が解除されたというニュースを思い出し予定変更(地元産と確認はしなかったが...この辺りいくぶん思考力が落ちていた)。椀の蓋を味噌汁の中に落とすなど、注意力低下が疑われたので食事はゆったりと。コーヒーを飲み、女性従業員を眺めているうちに元気が出たので出発したのが14時半頃。

水戸センチメンタルジャーニー

来るときは水戸南インターチェンジから降りたが、帰りは水戸インターチェンジを使おうと市内を北上(国道50号から千波湖へ抜ける逆川緑地脇の通りに素敵な並木道を発見)。千波湖畔の県民文化センターには故フィッシャー・ディースカウのリサイタルを聴きに来たことがあったなぁ、などと昔を懐かしみつつ、ちょっと足を伸ばして那珂川河畔まで。街の様子はずいぶんと変わっていた。


水戸北スマートICを使う気はなかったので、踵を返して水戸ICを目指す。後から考えると、このコースは正木ひろしが蒼泉寺から辿った道ではないだろうか(後に首なし事件と呼ばれる警察官による拷問致死事件を解明するため、弁護士の正木ひろしは蒼泉寺に埋葬されていた被害者の遺体を発掘し、東京大で鑑定するために頭部を切断して密かに持ち出し、列車に遅れそうになったため水戸駅には向かわず赤塚駅へショートカットして上野行きに乗り込んだ)。大塚池を横目に見ながら国道50号をのろのろと進み、途中で給油をし、常磐道に乗り入れる。

トンネル入口にはKaraokeyamaという表示友部インターチェンジで北関東自動車道に乗り換え、カラオケ(唐桶)山トンネルというふざけた名前のトンネルを抜けると沿道に雪が残っていることに驚愕。うむ、あの山はひょっとして元祖過激派蜂起の地、加波山であったのか。

今後の予定

3月4月で日立とつくばに行けば茨城県コンプリートである。

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2015/01/14

献血ルーム巡り5(栃木県・栃木県赤十字血液センター)

なかなか仕事が決まらないため、暇つぶしと社会貢献を兼ねて始めた献血ルーム巡り。新年第一回で栃木県をコンプリートした。

栃木県赤十字血液センター

栃木県の常設献血場所はうつのみや大通り献血ルーム栃木県赤十字血液センターの2か所。前者は昨年のうちに済ましている。

血液センターは宇都宮市内とはいえ案内に「お車でのご来場が便利です」と書かれるような場所。しかしおかげで探すのにも苦労しないし、駐車場も広々としていて快適。

高さ1メートルほど、前面上部のボタンを押すと殺菌されたスリッパが出てくる機械が3台正面玄関から入ると、スリッパに履き替えてとの案内。感心なことにスリッパは紫外線で殺菌されている。ただ、説明の字が小さいので最初は戸惑うかもしれない(上部中央のボタンを押すと下からスリッパが出てくることはシールですぐ分かったが、帰るときに上に置けば良いというのが分かりにくかった)

13時までは昼休みなのだが、受付手続きは13時前からどんどん進めてくれた。献血カードで前回も栃木県内で献血していることを知るや「ポイントカードをお持ちですか」とは「ファミマか!」と突っ込みたくなるが「栃木県は今回制覇なのでもう来ないから」なんて意地悪は言わず黙って差し出す。受付を済ませて暫く待つ。

待合室にはマッサージチェアが2台あり、また幼児が遊べるキッズコーナーも設けられていた。実際、子連れの献血者も数組。こうやって親の姿を見ていれば18歳になったら「自分も」と思うようになるだろう(献血そのものは16歳から可能だが200mLだけ。17歳になると男性は400mL、18歳になると男女とも400mLと成分献血が可能に)

ロッカーキーはけんけつちゃんキーホルダーにロッカーの鍵にはサンタ姿のけんけつちゃん(採血ベッドの足元にも手荷物を入れられるカゴがあり、これはよそでは見なかったような)

「トイレは採血の前に」という注意書きはあったものの「男性も座って」という注意書きはなかった。つまり採血後の使用は考えていない? ただし非常呼び出しボタンはトイレ内に複数設置。

ここでも無線呼び出し機はなく館内放送で呼び出し。ただし名前ではなく、受付時に発行される番号で呼ばれるのはうつのみや大通り献血ルームと同じ(プライバシー保護のため番号で呼びますというお断りが貼ってあった)。「牛は10桁、人は11桁」なんていう人には堪えられないかな。手首に紙テープを巻かれて、それに番号やバーコードが書いてあるというのも導入当初はちょっと驚いたけれど、もう慣れた。

午後の最初は26番。午前中に25人来ていたということか。ざっと6分に1人の割合なので順調な稼働率。採血ベッドは10台以上(12台?)あるけれど、一斉には稼動させず時間差を設けている模様。番号を呼ばれて入ると素敵な女医さんによる問診(待合室には問診医の当番表が張られていた)。そのせいかまた血圧が高めに(尿意を堪えながら自動車を運転してきたわけだが、すでに用は済ませ、20分近く休憩していたから大丈夫と思ったのだが)。腕を変えて測り直したが、やはり最高血圧は140に。「病的ということはありませんから」ということで採血可となったけれど少々気になる。ちなみに献血の基準は「最高血圧が90mmHg以上」で上限値はないけれど、140は「I度高血圧」(旧基準では軽症高血圧)に該当する。ぐぬぬ...

採血ベッドに乗る際、スリッパに履き替えているから「靴を脱ぐか脱がないか」で迷わないと思ったら「スリッパを脱ぐかどうか」で迷うことに。「脱いで」が正解。

担当のナースさん、ベテランなのかずぼらなのか、数人いるナースの中でただ一人ゴム手袋を着用せず、見ていると手指の消毒もしない。気になって別の人の採血をする様子をずーっと見ていたのだが、「ここでするだろ普通」というところでも消毒しないまま穿刺。まー、消毒綿を持てば指先は殺菌されるし、指先が触る皮膚はヨウ素で殺菌されているしで、素人が心配することではないのかもしれないが... あ、エプロンで指先を拭いた、あなたさっき自分の顔に触ったでしょ、いま持ったそのファイルは受付カウンターから届いたものだよね、ぎゃあ〜、お願い消毒して〜。エタノールスプレーが寂しがってますよー。

30分少々で3サイクルが無事終了すると、チューブを固定していた粘着テープを取り、無造作に針が抜かれる。ここまでは前回と似たりよったりだが、採血中に針のところを覆っていたガーゼは取らず、そのまま止血テープを巻かれたのにはびっくりした(もちろんハイポでの脱色はした)。そういえば検査採血の際も「1分間おさえていてください」というだけでガーゼ付き絆創膏も止血バンドも使わなかった。これが栃木県スタンダード? 今回は真面目に押さえていたためか出血は少なくて済んだ。

血のついたガーゼ。前回よりは出血は少なかった。上の写真、血が少ないガーゼは検査用採血のあとを押さえていたもの。下の写真、前回本採血のあとを押さえていたガーゼ。経験したことがないほど血が染みていて驚いた。

採血が終わったらしばらく休憩(献血ルームによって推奨休憩時間は異なるような)。そのために持ち込んだ『放射線被曝の理科・社会』を読んで時間をつぶす。

「おトクにけんけつ」のチラシ。優待サービスを受けられる15の店の一覧赤十字もあれこれキャンペーンで献血者を増やそうと努力をされている。献血未経験または1年以上間が空いている人を紹介してくれたら特製マウスパッドをプレゼントという「献血×ONE PIECE」というものも(関東甲信越地域限定)。また県内のラーメン店で組織した栃木照る照る坊主の会とのタイアップでラーメン増量などのサービスの受けられる「おトクにけんけつ」というキャンペーンも(ラーメン店のみならず焼肉屋や中古タイヤ販売店なども参加)。ちなみに成分献血の前にラーメンなど脂っこいものを食べるのは禁物です。乳びという状態になり、最悪の場合、赤血球と血漿の分離が正常に行われず採血中止という事態も。ラーメンや焼肉は献血後に(カレーやハンバーガー、さらには乳製品も要注意なのだが、なぜか日赤公式の注意には見当たらない)


壬生パーキングエリア

レモン牛乳ソフトクリーム帰りは北関東自動者道路の壬生PAでレモン牛乳ソフトクリームを賞味。「関東・栃木レモン10%使用」と書いてあるが、もちろん無果汁

パーキングエリアの駐車場から道の駅の駐車場へは歩いていけるこのPAは道の駅と一体となったハイウェイオアシス(みぶハイウェーパーク)なのだが、こういう構造にするならスマートICも設置すれば良いのにと思った。正直な話、オートバイなら道の駅側駐車場へ出るのも...(良い子はやらないように)

駐車場には出された「禁止事項」看板の1項目目は「オフ会・集会」そして「オフ会禁止」という謎の掲示。


今回は冷凍餃子を買いそこねた。福島県遠征の際は電車を使った方が賢明そうだから、東北自動車道とはしばしの別れである。

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2014/12/31

献血ルーム巡り3(栃木県・うつのみや大通り献血ルーム)

なかなか仕事が決まらないため、暇つぶしと社会貢献を兼ねて始めた献血ルーム巡り。次は栃木県制覇を目指す。

うつのみや大通り献血ルーム

山梨県コンプリートから2週間を過ぎた12月下旬、今度は栃木県のうつのみや大通り献血ルームへ出かけた。またしても乗用車。そしてこちらは12時から昼休みに入るのに、渋滞に捕まったり道を間違えたりしているうちにタイムアウト。予定を変更して食事と給油を先行(なぜか給油しようと思うとGSが見当たらなくなり、おかげで時間調整には困らなかった)。14時少し前に立体駐車場に車を入れて通用口から入って受け付けへ。
表通りに面した入り口 表通りに面した入り口は分かりやすい。
表通りに出された「旅人献血大歓迎」の看板「旅人献血」なる看板が出ていて、県外からの献血者を歓迎していた(栃木県民は献血をしないのか、なんていう人もいるけど、キャンペーンで県外から人を呼び込めれば地元でお金を落としていく経済効果も期待できるから悪いアイデアではないと思う)
「いちごけんけつちゃん」クリアファイル。裏には関東甲信越のご当地けんけつちゃんが勢揃いこれが記念品の一つ「いちごけんけつちゃん」クリアファイル。裏には関東甲信越のご当地けんけつちゃんが勢揃いしている。
バスケットボールチームTochigi Brexなどスポーツ選手の写真を配した「栃木プロスポーツメモ用紙」もうひとつの記念品は4種類のメモパッドがセットになった「栃木プロスポーツメモ用紙」。TOCHIGI BREX(バスケ)、宇都宮BLITZEN(自転車)、ICE BUCKS(アイスホッケー)、TSC(サッカー)と、すみません、全部知りませんでした。

さて、受け付けが終わると、腕に紙のタグ。通し番号(?)が振られていて26。無線の呼び出し機ではなく館内放送で呼び出されるのはレトロな雰囲気。待合室兼休憩室のインターネットコーナーに血圧の自動測定器はあったけれど、これは利用者サービスらしく、プリント出力はなし。血圧は問診医が測定。そしてここでも1年以内の予防接種で悩まれる(話が前後してしまうが、この後アップする熊谷駅献血ルーム参照)。 採血イスは11台あり、うち2台は全血専用の模様。ここも靴を履いたまま。靴を履いたままでタオルを掛けられるとレッグクロス運動はしにくいのよね(そういばレッグクロス運動の案内はなかった)。テレビはいつも見ないのでさっさと消したが、ここのモニタは少し大きく(13インチ)て、それは自慢の一つみたい。 終了少し前には看護師さんが注文を聞いて飲み物を持ってきてくれた。これは初めての体験。また、あのぶっとい採血針を(よそでは「抜きます」と宣言してから慎重に抜くのに)アッという間もなく抜かれたのにも驚いた。

県外からの初献血ということなので、終わると上記の記念品を渡されるとともにアンケートを依頼された。汚い字でごちゃごちゃ書いたことを反省し、後でツイッターアカウント宛に清書したものを送った。

きっかけ:その他(献血ルーム巡りの一環)
意見・要望:表通りに面していて入りやすい造りだと思います(ビルの上階というルームも多い)。
できれば昼休みなしでお願いしたい(12時に間に合わず時間調整することに)。
モニタにTwitterアカウントが貼ってあったが、携帯を切っていては控えられない。
いろいろな献血ルームを巡っていると、微妙な差があって面白い。スタッフの皆さんもプライベートで他県のルームに行ってみては?(実行済みでしたら失礼)。

昼休みを取るなとかブラックな要求に見えるけれど、実際ノンストップでできているルームもあるわけで...とはいえ複数の問診医をそろえる必要があるなどハードルは低くない。ひっきりなしに来るならともかく午後になっても献血者が2名という状況では人員増強は困難か。もっとも私が行った日は1時間のうちに10人も来る盛況ぶりだったが。

宇都宮でお買い物

終わってから近所に書店はないかと尋ねると、ドン・キホーテの上階か宇都宮パルコの8階にあるという。ドンキは見つけられなかったので(後で地図を見たら、パルコより遠くにあった)、パルコにある紀伊國屋書店へ行き『知ろうとすること。』と『水危機 ほんとうの話』を購入。20日に会った知人(2児の母)が、放射能のことを気にしているのに福島県の乳幼児をホールボディーカウンターで精密に測定しても汚染は見出されないことをご存じないことに危機感を覚えて献本を決意(『水危機』は自分用)。あれば『いちから聞きたい放射線のほんとう』も買いたかったが、駐車場の時間(献血ルームでくれた駐車サービス券は余裕が30分ほど)が気になってじっくりと探せず(自動車をパルコの駐車場に移していれば、ゆっくりと探すことができた...と気付いたのはレジで「駐車券はご入用ですか?」と聞かれて)。ともあれ、昼食をけちって地域経済にあまり貢献しなかった埋め合わせは完了。次回、栃木県血液センターに行けば栃木県はコンプリート!


(珍しく年内に投函した年賀状に「12月26日の宇都宮遠征から無事帰還できているならば元日にはブログ(http://ow.ly/GpQMq)が更新されて近況とか新年の抱負みたいなことが書かれていることでしょう。」と書いて、無事帰ってきたものの抱負は未だ用意できず。どうする?!)

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献血ルーム巡り2(山梨県・甲府献血ルーム)

なかなか仕事が決まらないため、暇つぶしと社会貢献を兼ねて献血ルーム巡りを始めることにした。すでに記念品を頂戴するほど回数を重ねてはいたが、少数の〈馴染みの店〉に固まる傾向があった。見聞を広めよう。そして、どうせやるなら全部を〈制覇〉しようという趣旨。

甲府献血ルームGrape

山梨県には献血ルームが1か所にしかない。というわけで遠征を決意したのが11月。ちなみに山梨県赤十字血液センターは服薬についての細かい注意を公開している。これは全国共通と思われるが、なぜかよそでは見つからない(日本赤十字のサイトでさえ「薬の種類によって献血をご遠慮いただくことがあります」と一般論)。そしてそこには目薬など局所投与の薬物は当日使用していても構わないと書いてあったが、「外用薬については、服用当日献血をお願いできない場合もありますので、血液センターまでお問い合わせください」と注があったので、以前ステロイド入り目薬を理由に断られたことも思い出し、電話をかけてみた。すると私が使っている外用薬は、当日塗布しても全血献血ならば構わないが、成分献血の場合は72時間あけてほしい、と。それでリスケジュール。

さて12月の上旬に甲府まで出かけた。常識的に考えれば列車を使うべきなのだが、いろいろあって乗用車を運転して行った。

ビル前の通りに街灯と同じ高さに掲げられた甲府献血ルームの標識ココリの前には大きく看板。
実はこの看板を見つけたのは終わって出てきてから。ちなみにこの通りは一方通行。緑の看板がココリの駐車場だが、事前に見つけることができなかったため手前の提携駐車場に入れ、徒歩で来て建物の反対側から入ったのは内緒だ。

献血ルームの入り口はガラス張り。人の背丈ほどのクリスマスツリーやポスターが飾られている。2階へ行くと早くもクリスマスモードの献血ルーム。12年9月に移転したとあって、真新しい感じの明るいルームであった。型通りの手続きを終えると問診。血圧が高く出て女医さんに不審がられる(とっさに「先生がお美しいから」なんて言うほどの度胸はない)。駐車場であたふたしたせいだろうと説明して再測定で合格。

採血室には写真撮影お断りと大きな掲示。中の様子を知りたい方は公式ページの写真をご覧ください。採血イスへは靴を履いたまま。

休憩室の書棚には『キャン・ユー・スピーク甲州弁?』『女性の品格』などと並んで近藤誠の『がん放置療法のすすめ』が! 休憩室もゆったりとした造りで、雑誌や書籍も豊富なのだが... なんと近藤誠の著書『がん放置療法のすすめ』が置いてあった。日本赤十字はこれを推奨するのだろうか? と頭に血が登りかけたが職員を問い詰める気力が湧かなかったし、万が一「何がいけないんですか?」とか「お読みになっての批判ですか?」と反論されたら脳出血してしまいそうなので黙って退出(ちなみにある放射線科医は「近藤某は持続的に恐らく数百万以上に働きかけて、私ですら死者を複数知ってますからね。直接的には2人。」「私は仮に他のあらゆるものを一切罵らなくなったとしてもあいつだけは最大限の罵倒語で罵りますよ。」とお怒り)。山梨県赤十字か日本赤十字にメールを送ろうと思いつつも手付かずのまま。
記念品のクリーナー付きストラップ(胴体がブドウの房になっているご当地けんけつちゃん)の絵柄入りにこやかに記念品を受け取り、籤を引いて帰った献血者の中には、こういう陰険なのもいるということで。
Imgp0102 「平日限定年末お楽しみ抽選」(PDF)で当たったトートバック。今まで赤十字からいただいたもの(タオルとかエマジェンシーアルミブランケットとか)を詰め合わせて非常持出袋にした。

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献血ルーム巡り

学生の時に始めた献血は、途中にブランク期間を挟みながらも70回を超えた。男性の場合は69歳まで供血可能だけれど、疾病その他で欠格者となる事態も十分にあり得る。あと何回協力できるだろうかと考えたら「いつも同じ献血ルームで良いのか?」という疑問が湧いた。思い返せば、飯屋飲み屋も固定しがちな〈定住民族〉。これではいけない、生き方を変えよう(大袈裟な)。そこで一念発起した「全国献血ルーム巡り!」。

とはいえ、さすがに飛行機で遠出するほどの余裕はないので、近県から攻略すべく計画を立ててみた。

期間制限・年間制限

献血には全血(200mL/400mL)と成分(血漿/血小板)とがある。日赤サイトにある献血基準によれば、成分献血をしたら次は2週後以降という期間の制限がある。また血小板成分献血1回を2回と数えて、血漿成分献血と合計で年間24回までという年間の制限もある。つまり血小板献血だけなら年に12回(月1ペース)、血漿だけなら24回(2週に1回で続けると12か月目に制限)。400mL献血だと年に3回しかできないのとは大違いである。

ちなみに輸血を受ける側からしても、全血ならば400mLずつ少人数から提供された血液の方が安全であり、それよりも必要な成分を選択して投与される方がなお副作用が少ないという利点がある。実際、献血ルームではほとんど毎回「成分でお願いできますか」と聞かれる。

東京都と埼玉県は攻略途上

行動エリアの都合で、今までは東京都内の献血ルームに行くことが多かった。ところが15か所もある! そのうち足を運んだことがあるのは4か所(移転その他でなくなってしまった所を除く)。これはコンプリートに時間がかかりそう。いずれも交通至便なので後半に回そう。

埼玉県は7か所ある。既に行ったことのあるルームもあり、残りは半年もあれば攻略可能。そこで9月に下久保ダムのフラッシュ放流を見に行った帰りに熊谷駅献血ルームに寄って作戦の第一歩を記す。ところが鴻巣献血ルームは全血しか扱っていない。400mL提供したら3か月お休みだから、これも後に取っておこう(海外旅行など一時的な不適格になる直前に行くのが合理的か)。というわけで埼玉県も後回し。

千葉県は6か所で、しかもいずれも東京寄りで攻めやすそう。一方、神奈川県は9か所(2015年1月オープンを含む)と数が多い。とはいえ横浜市に半分が集まっている(横浜市と言っても広いけれど、横浜駅周辺でないのは旭区にある二俣川献血ルームだけ)

ここで北関東三県に目を向けると茨城3か所、群馬3か所、栃木2か所と、その気になればそれぞれ1か月でコンプリート可能ではないか。だが、もっと容易な県があった。それは山梨県。山梨県には献血ルームが1か所にしかないのだ。かくして献血ルーム県内制覇の第一目標は山梨県と決まった。

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2014/09/27

下久保ダムフラッシュ放流

神流川上流にある下久保ダムフラッシュ放流があるというので見物してきた。日常的な感覚だと「放水」と言いたくなるが、専門用語では放流というらしい。


大きな地図で見る

2つあるゲートの左側から放流が始まっていた。
着いたときには左岸側オリフィスゲートからの放流が始まっていた。

右岸側ゲートからも放流が始まり白い水の帯が下りてくる。 ほどなくして右岸側ゲートからも放流が始まる(10:20)。
水が流れ込み始めても堤体の下に作られた副ダムの水位はまだ低い この時点ではまだ副ダム(水叩き)の水位は低い。
副ダムから流れ出す水の勢いを削ぐ減勢工と、その下流に積まれた置土。置土にはどれだけ流されたかわかるように白い線で升目が書かれている。 減勢工の下流右岸には河川を洗浄するための置土(砂や砂利)が用意されている。
叢石橋付近の神流川 下流の叢石橋(三波石峡駐車場のすぐ近く)付近。まだ河原は見えている(10:59)。
水が副ダムを越え始めた。 ダムに戻ると水は副ダムを越え始めていた(11:53)。しかしまだ最大放流には至っていない。公開された予定では12時半に毎秒90立米の最大放流量になり、1時間継続すると。
橋の上の見学者に取材する地元紙記者(後ろ姿) この橋は、普段は部外者立ち入り禁止だが、この日は見物用に開放されていた。見物客に取材する地元紙記者。
橋の上で傘をさし、下流側の撮影をする職員。 置土の流される様子を撮影する関係者。
開放されている発電所の門。橋はこの左手から。 発電所前まで自動車で乗り付けるのは避けた方が良さそう(誘導の職員は門前に停めて構わないと言っていたが、見物が増えることを考慮して三波石峡駐車場へ移動した)。「トイレ」の矢印は左を指しているが、その先(橋)は立ち入り禁止で、正しくは手前の道を川沿いに下る。なお、右の道はダムサイトへ通じる道へ繋がっている( 本稿冒頭の地図参照)


放流開始直後と最大放流量に達した頃の比較動画を用意したが、埋め込む方法がわからない。orz いったんアップしてから試行錯誤しよう。

すっかり流された置土 置土はすっかり流された(12:30)。流された砂や砂利で三波石峡の岩を洗おうという目論見。
水位の上がった叢石橋付近。河原は見えなくなり、岩も濁流に飲まれている 叢石橋近くでは岩が水に隠れかかっていた(12:43)。水位上昇は最大で2.5mと予想されていた。
クレスとゲートとオリフィスゲートから放流している写真の載せたダムカード おみやげはダムカード。

続きを読む "下久保ダムフラッシュ放流"

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2014/04/08

今年もやります「ふくしまの話を聞こう」

「原発事故下で福島の人々はどのように暮らしているのか」 遠く離れたところで空想で騒いでいても仕方がない。善意のつもりの言動が被災者に不利益をもたらしたら本末転倒。現地の話を聞こうではないか。こうして始まった「ふくしまの話を聞こう」は、今年三回目を開催します。

テレビユー福島の大森真報道局長と「福島のエートス」安東量子代表に加え、旅行会社HISを口説いて行くなら今だっぺ!いわき 東北応援ツアーを実現させた当時の高校生からも「震災からの3年間、福島でこんな風に暮らしてきた」を話していただきます。

少し小振りにし、その分参加費を上げたにもかかわらず、お陰さまで満席となりました。会場に入れない方はUstream中継を予定していますので、そちらでご覧ください。

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2013/03/03

勝浦へ担々麺を食べに行く

近年ものぐさが酷くなってきたので、自分で目の前に人参をぶら下げることにした。インセンティブといった方が格好よいけれど。

春の一大イベントといえば確定申告。なんで無職が確定申告をするかというと、外国の上場株式を少しばかりもっていて、この売買差益は源泉徴収されていない。逆に配当金には内外で二重に課税されている。ならば相殺と独り決めしても良いのだが、後日呼び出しを食らうのも避けたいところ。で、確定申告。

幸いなことに国税庁サイトには確定申告書等作成コーナーというものが用意されていて、書類を揃えてから(とはいえこれが大変)そこにある数値を入力すると自動計算して申告書を作ってくれる。e-taxという電子申告システムもあるけれど、手続きが煩瑣という印象がある上にMacintoshでは苦労すると疑っているので端から無視。

この確定申告を2月中に片付けようと決心した。そしてインセンティブとして、実現できたら勝浦へ担々麺を食べに行こうと決めた。

なぜ勝浦か。 関東B-1グランプリでシルバーをとったそうだが、それが目当てではない。以前、都内で勤務していた頃、その近所に「ぴか一」というラーメン屋があった。アルカリイオン水を使ってますなんてのを売りの一つにするようなところはあったものの、味も価格もそこそこで、週に1回くらいのペースで使っていた。それがある日閉店。貼り紙を見ると勝浦に移転しました、と。それがおそらく2002年。

店頭に貼られた地図入りの移転のお知らせ

貼り紙はメモというかデジカメで撮影したのだが、マシンの新調かソフトのバージョンアップの歳にファイルを紛失...と思っていたが、これを書きながら調べ直したら見つかった(2002年と特定できたせいもある)。

別に「必ず行きます」と約束をしたわけでもないし、正直なところまだやっているかどうかも分からない。それでも軽い気持ちでググッてみたらちゃんと見つかった。これも何かの縁であろう、ということで目標はこれに決まり。

計算の結果、幾許の還付もあると分かり(税金を納めすぎていたんだから、喜ぶのは本末転倒なのだが)、28日には申告書完成。返信用封筒を用意してあるから時間外収受ポストに投函すれば済むのだが、一晩屋外に置くのも心配だったので1日朝に届けてその足で勝浦へ行くことに決定。(後日、返送された控えを見たら、収受印は2.28。前の晩に投函されたという扱いなのか。)

翌1日、うっかり寝坊したため予定の電車には乗り損ねた(うえに途中でトイレ下車という想定外の事態に遭遇した)ものの、総武線を途中で快速に乗り換えるという機転を利かせたせいか、千葉駅で予定の電車に無事乗車。今回も旅情にかけるロングシートだったが、そこは持ち込んだ『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』を読むのに当てたので無問題。それに外房線大網駅までは以前のテリトリーなので、あまり旅という雰囲気ではない。

途中、上総一ノ宮駅で停まっていると特急が追いついて、前は安房鴨川行きで後ろは東京行きに切り離す、なんて不思議なことをしていたけれど、あれはなんなのだろう(帰ってから時刻表を見たけれどやはり理解できない)

駅コンコースに飾られた5つの7段飾りの雛人形。その後ろには勝浦坦々麺が関東・東海B1-グランプリでグランプリを取ったという横断幕。

勝浦駅についてみると、予想よりも(失礼!)モダンな駅舎で手洗いもきれい。そしてコンコースには勝浦坦々麺の横断幕を隠すように雛人形が。そうだ、勝浦は雛祭りでも売り出していたんだ、と来てから思い出す(つくづく調査不足)。帰りの電車時刻はメモしてあるが、予定が狂ったときに備えて時刻表を撮影。特急を含めて1時間に2本...


地図で道を確認し、バスで16分なら歩いてもそうはかかるまいと高を括って歩き出すと、途中で足が痛くなった。幸い目の前にバス停があり、すぐにも来そうなので予定を変更。バスは後ろ乗り料金後納制。バスのシステムというのは地域ごとに違いがあって、他所へ行ったときの悩みのタネ。と用心していたにもかかわらず降車の際、自動両替と勘違いして料金箱に投入してしまった。地元の人間には当然のことでも、一応観光地でよそ者が来るんだから東京のシステムとは違うんだよは大書してほしいなぁ。運転手さんにはお手数かけました。

店舗はその前を通り過ぎるときにバスの中から見えていたので迷わず辿りつけた。直前まで「坦々麺にしようか〈ぴか一ラーメン〉にしようか、2杯は無理だよな」と迷っていたが、結局ミーハーに担々麺と決定。注文して待っていると、後から来た夫婦も坦々麺を注文。こちらもわざわざ遠くから食べに来たらしい。だから気分が昂揚するのは分かるけど、釣りの話から船酔いの話に移ってゲロの話はやめてよね。

空になった丼
完食し、「神保町時代を知っている」なんてことはおくびにも出さずに会計を済ませ、さっそうと退店。今の店名は全部ひらがなで「ぴかいち」だが、「ぴか一ラーメン」は昔のまま漢字を使っていた。今度来る機会があったらこちらを。さて店内で話に聞いた雛人形を見に行こうかとも考えたが、虫の知らせで勝浦駅へ向かう。

道路側から見た店舗。今の店名は全部ひらがなで「ぴかいち」。
いまどき懐かしい電話ボックス
埋められた電柱
道路の両側は高い崖

今度は徒歩。約1時間かけて駅前に来ると、またもや自然の呼び声。確実なところでは改札内しか思いつかないので、やむを得ず急いで入構。かくして市内観光の目論見は外れました。お土産も買えなくてすみません。

帰りの電車はボックスシートでやや旅気分。しかし千葉駅につくと、まもなく逗子行き快速が出るという案内に急かされるように乗ってしまい、錦糸町を過ぎるまで立つことに。嗚呼。

東京駅の土産物センターで、震災以来の観光客減少で再び危機に陥っているという銚子電鉄のぬれ煎餅を購入。それを持って、翌日の落語会の様子を聞こうと和亭『なにわ』に立ち寄ると、なんと世話人も来ていた。というわけでそのまま段取りを打合せ。いつの間にか降りだした大雨の中を帰宅し、ご褒美旅行は終わった。

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2013/02/09

有機栽培というブランドの価値があらわになった

私は農学部の出身ではあるけれど、農芸化学という農業実務とはやや離れた分野であったせいか有機農法というものに憧憬をいだいていた。あるいは青年にありがちな、「正統派に与しないことへの陶酔」もあったかもしれない(科学から逸脱しなかったのは幸いである)。農薬化学の教授は、種子殺菌に水銀剤を使うと味が良くなるとか成長が良くなるとか(もう詳細は覚えていない)言って、反農薬の風潮には軽侮を示しつつ無視。それに軽く反発してこっちも単位だけは頂戴するという態度で卒業(作用機作とかそういう話だから別に節を曲げる必要もない...が、ちゃんと話を聴くべきであった。)

しかしながら、2011年の3月以降、有機農法大好きで農薬や化学肥料は嫌いであろう人達(なんと呼ぶべきであろうか)の無残な壊れっぷりを目の当たりにし、それ以前から遺伝子組換え体やEMの評価で疎遠になっていたこともあり、「あの人達の主張はすべて再吟味が必要」ということで有機農法には相当懐疑的になってしまっている。

というわけで、「どうすれば「みんなで決める」ことができるのか?(『みんなで決めた「安心」のかたち——ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』(亜紀書房)刊行記念イベント)に参加して、渡された自然農園レインボーファミリーの資料に有機農法で頑張ってます的なことが書いてあるのを見て、開始を待つ間、裏に次のような走り書き。

もう少し酷い事故だったらどうするんだろう?
「自給のふり」というフレーズが浮かんだ。
ある種のぜいたく、オーバースペックではないか。

もう少し酷いというのは、20Bq/kgなんて言っていたら食べるものがなくなるような汚染をもたらす事故。ただし100Bq/kgという国の基準はぎりぎり超えないので、基準を信頼すれば食べるものには事欠かず、おそらく健康被害は生じない。少量の放射性セシウムも拒否する人は伯夷叔斉のように飢えて死ぬ道を選ぶのか(事故前に作られた缶詰や冷凍食品で生活するには相当の経済力が必要になるだろう)

自給の振りというのは、化学肥料や農薬抜きでの生産量では、おそらく現存の人口を維持できないということ。日本に限ってみたところで、全稲作農家が有機栽培に踏み切れば米不足に陥る。一部の人間がロハスな生活を満喫するためには、その他大勢は化学肥料と農薬で育った作物で命を繋ぐ必要がある。物の価値が分からぬ人間に、無意味に手間の掛かったものを高額で売りつけているとも解釈できるが、金にあかして〈良い食べ物〉を独占する姿はかなり醜悪だ。

ある種の贅沢というのもそれを指している。本当にそんな手間をかけただけの価値はあるのだろうか?という疑問。

そういう暗い気持ちでトークセッションの始まりを待った。スピーカーの一人、五十嵐泰正さんが「「My農家を作ろう」方式の放射能測定がもたらしたもの」の中でとんでもない間違い(指摘に応じて現在は修正済み)を書いていたことも影響している。20Bq/kgという自主基準も、数値だけ聞くと「なんだかなぁ」(これは次の「地産地消のためのセカンドオピニオン」まで読めば諒解できる値)

しかし、実際にトークが始まってみるとそれらは杞憂だった。第二部では農薬・化学肥料抜きでは食料供給は支えられない旨の発言もあり、とても常識的な展開。そしてとても参考になった。

なかでも、事故直後の不安でいっぱいな状況ならいざしらず、1年経ち2年経ち、計測結果も蓄積してきたにもかかわらず、相変わらず0ベクレルでなければ一口でも食べたら病気になると言わんばかりに忌避している人たちがいるけれど、そういう人たちを「自分たちが相手にする対象ではない」と言い切ったところに感心(それではどんな人が対象なのかというと、「柏という地元を愛する人」)。これは民間団体だからできたことで、少数派へも目配りしなければいけない行政ではとても(部局を限定すれば可能かもしれないが)できない。

行政にはできないことをやる以上、「行政をせっつく運動」にならなかったのが成功の要因だろうか。せっつく運動はともすれば外部に悪者を設定する運動になりやすい。そして人を攻撃していても前には進まないことが多い。そういう不毛さを回避したのは立派。

ただ、柏を離れた概論のところで述べられた「震災は隠されていた問題を顕在化させた」という指摘はその通りだし、大きな原因である人口減少が進行する時代を迎えてコミュニティのコンパクト化を進めるのは合理的選択だとは思うけれど、これも外部の人間があれこれ指図することはできない反面、広域(地域間)での調整も必要で、いくら〈地域のみんなで決めたこと〉であっても通らないことが多々出てくるだろう。これは難しい問題。

さて、事故後、二回の収穫を経て、農産物に放射性セシウムが取り込まれる条件が見えてきた。端的に言えば、土壌が強く放射能に汚染されていても、そこからとれる農産物を安全にする目安が得られている。きめ細かい測定をしている柏はもちろん、抜き取り調査をしている福島県産にしても、危険なほど汚染されたものが市場に出回る蓋然性はとても低い。そうなるとむしろ他県産だからと測定されていない農産物とどちらがより安全だろうか? にもかかわらず福島県産であるというそれだけの理由での忌避に正当性は認められるだろうか? もちろん心配な人が産地を選択するのは個人の自由だ。だが公に福島産農産物を非難し、たとえば店頭からの撤去を求めるような行動に出れば、それは不合理で反社会的なものとして指弾される時期が近付いているように感じる。そしてそういった〈市民の不安〉を尊重するあまり科学を蔑ろにするような擁護を続けてきた人達にも批判が向けられるようになるだろう。このあたり五十嵐さんは歯切れ悪く語ったけれど、私の脳裏には幾人もの人文・社会系の知識人の名前が浮かんだ。辛辣な予想を述べるならば、そうなった暁には「放射能が怖かったんだから仕方がない」と、追い詰められた外国人排斥派と同じロジックを持ち出して破産する者続出であろう(そんな浅ましい弁解が出ないことを切に願う)

(「同じロジック」というところを理解しない人はいるだろうか? いるだろうな...)

このトークイベントには「ふくしまの話を聞こう」を主催する福島おうえん勉強会のナカイ代表も参加されていた。なんと第一部についてはツダっていたようなので、そのツイートも参考にされたい(いま当日のツイートを朝の分から見ると、ほかにも興味深いツイートが。これとか)

第二部も愉快だった。遠藤哲夫さんを見て「もしかして船瀬俊介みたいな人?」と警戒したのもつかの間、「地域作りの運動をアートとか文化でやろうというのはあんまり信じてなくて」とかおっしゃる。相手をする五十嵐さんも、購買におけるストーリー作りを評して、はじめは胡散臭く思っていたが、ストーリー込みで消費するのも結構〈アリ〉なのではないか「GDPって、こうやって増やすものじゃないかな」と会場を笑わせる。

(ストーリーを付与されると味が良くなる件については、以前「私たちは騙されている、のだろうか」で触れた。しかし一言居士として付け加えるならば、どんな名産を使いどんな名人の手によって料理されたものであっても処刑前の最後の食事であれば、とても喉を通らない代物になるだろう。食事のシチュエーションも大事。その意味で「Hunger is the best sauce(空腹は最高のソース)」も誤りで、楽しい仲間こそが最高のソースではないだろうか。ツイッターで「ごはんたべたい同士を発見します」なんてお遊びが流行るのもむべなるかな。)

日本の食を実際に支えているのは化学肥料と農薬と認める発言があったのは前述の通りだが、どうも無農薬・有機栽培の虚構性を暗黙の了解にしているようにも感じられた。

その虚構も楽しむためのフィクションであれば有益であるのだが、「健康のためなら死んでも良い」と揶揄される執着に結びつくと笑ってもいられない。福島県の飯舘村がつとに有名だが、有機農業に取り組み、都会への直販に活路を見出そうとしていた農家は多い。ところが営農が難しくなった福島第一原発近辺はさておき、ほとんど汚染のなかった東北地方の有機栽培農家も事故後は注文が途絶えてしまったという。もともと有機栽培にこだわるような消費者は放射能にも人一倍敏感なのだから当然といえば当然なのだが、検査をしてほとんどあるいは全く放射性セシウムが検出されなくても、その人達は戻ってこない。手許のメモには「無農薬フリークに依存する危険性か」などと皮肉な走り書きがあるけれど、生産者は消費者のことを志を同じくする仲間だと思っていたのに、遠くの消費者は農家が仲間だとは思っていなかったという悲劇。この〈裏切り〉を農家はどう思っているだろうか。

と、第一部の後の「〈柏産柏消〉セッション!」での笠原秀樹さん自然農園・レインボーファミリーの発言、「農業は自由でいいですよ。矛盾なく生きられる。嫌な客には「お前に食わせる野菜はない」と言える。」がとても意味深に響いてくる。


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2013/01/16

26年目のベラルーシ

14日に郡山まで行ってきた。目的は福島のエートスが主催する「お話会@郡山市労働福祉会館」に参加するため。代表の安東量子さんがチェルノブイリ事故から26年経ったノルウェーとベラルーシを視察した報告会。

実は2月に安東さんを東京にお呼びして同じ題目で講演をお願いしているグループに属しているのだが、どうも個人的な予定と重なりそうな雲行き。そこで不義理をしても話の内容についていけるように、不義理をしなくて済めば予習になるという目論見で脚を延ばした。

なお、視察中の現地からのツイートがまとめられている。

郡山へ

雪に覆われた郡山駅前

前日の新年会でうっかり深酒してしまったけれど、どうにか起きて在来線を乗り継いで郡山につくと、なんと銀世界。思わず「おいっバカ猫!郡山には雪が積もらないだと?」と罵り言葉が。ところが北国のさらさら雪だったことが災いし、無謀にも予定通り会場まで徒歩で向かってしまった。人通りがないのか歩道は真っ白。こういうときに商店の顧客観が表に出る。除雪をしている店としていない店は一目瞭然。「食事は前の歩道を除雪をしている店で」と思ったが、なぜか食堂系は除雪をしていない。一軒、見事なまでに雪を除けた蕎麦屋があったけれど、なんと閉まっている(営業していないのに除雪するとは!)。そうこうしているうちに歩行速度低下の影響が時間に現れだし、やむなく前を除雪をしてある自販機から買ったコーヒーで済ませることに。労働福祉会館の前を気づかずに通り過ぎるなどの事象はあったものの開演前に無事たどり着いた。

2階会議室はまだ人もまばら。受付らしい受付もなかったのでそのまま入り、挨拶をして着席。田人饅頭が2個ずつ配られた。

ノルウェーの事故対応

1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の影響は遠くスウェーデン・ノルウェーにまで及んだ。そもそも事故が発覚したのはスウェーデンのフォッシュマルク原発敷地内での異常放射能の検出が端緒だった(『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』p.169)。そして放射能雲(プルーム)が通り過ぎた後に局所的な汚染(ホットスポット)が残されたのだが、当初それは見過ごされていたらしい。やがて地元保健所(?)の職員が気付き、測定器を調達して調べ始め汚染の実態が明らかになったという。

幸いなことに線量は避難が必要になるほど高くはなく、食品汚染に絞って対策を立てられた。観光と牧畜が二大産業という土地であるが、観光業に影響は出なかったというのが日本からすると不思議。また測定体制が整い、出荷される肉が安全と分かると普通に取引されたというのも羨ましい。

斜面に広がる放牧地の除染は非現実的であったため、家畜への取り込み防止が第一の防衛線になっている。セシウムを吸着するプルシアンブルー(PB)を餌などに混ぜることで放射性セシウムの吸収を抑制する。PB混入のためのコストアップは政府が補償。第二の防衛線は出荷前の生体測定。600Bq/kg超は生きたままの測定で発見できるので、その場合は畜舎に入れて清浄な餌を与えるとみるみる下がっていく。再測定して基準を下回ったら出荷するという合理的対応(日本の場合、屠殺しないと測定できないため、再チャレンジが不可能...という以前に基準値以下でも買い控えが)

ホールボディカウンタ(WBC)で測ると住民はよその10倍も汚染されているという。しかし汚染された土地を放棄するという発想はないらしい。視察団は自慢の缶詰工場も案内されたが、これは放射能とは関係がない。つまり土地の誇りを見て行けということ。それくらい故郷と歴史を大切にする人々らしい。文字通り降って湧いた災難だけに、文句をいう相手が眼前になく、実際的な対処をするしかなかったという事情もあるようだ(目の前の化学工場の不始末などなら補償金を貰って転業というのもあったかもしれない)

対処可能であることが「できることはした」という自信につながるのだろうか。

なお、PBは(そしてアップルペクチンも)体内の「とても高い」放射性セシウム濃度を下げる効果しかないとのこと。これは市販の解熱剤が39℃とか40℃の高熱を37℃台に下げることはできても37℃を35℃に下げる力はないのに似ているように思った(体温を通常より下げるのは人工冬眠薬という別のタイプ)

ベラルーシの事故対応

ベラルーシ(年配の方には白ロシアといった方が通じるだろうか)はチェルノブイリ原発のあるウクライナに隣接する国で、放射能汚染をまともに受けた(原発は国境から16kmに位置する)。原発に近いゴメリ州は甲状腺がんが多発した。

汚染は今なお深刻ではあるが住民は絶望しておらず、日本人のイメージするチェルノブイリ事故被災地とは異なるというのが安東評。

放射能よりも問題なのは(避難による)人口減で、工場が維持できなくなり、産業の衰退が人口流出を招く悪循環に陥った。仕事がなければ人は生活できない。

それでも避難住民には帰村の動きがあるという。戻ってきた住民に理由を聞いてみると「理由はない」と。突っ込んで質問すると、どうも「何も起きないから」ということらしい。これは出生率にも現れていて、事故後低下したものの5年後に最大の上昇率を示したという。

事故当時、小さなパニック騒ぎは散発したけれど、いずれも遠隔地で、原発近くは泰然としていたというのも興味深い。

学校には放射線安全クラブがあり、子供たち(見たところ小学生くらいに相当)が農産物の放射能を測定している。ただし、その測り方はかなりアバウトで「おいおい、それでいいのか」と言いたくなるほど(会場で動画が映された際にどよめきが)。なにしろ洗っていないジャガイモを包丁でざく切りしただけで測定している。日本であればおろして容器に隙間なく詰めてからだよね。

また放射能マップが教室にも貼り出されていて、汚染状況が可視化されている。

市場に出すための検査がない家庭菜園の作物が住民の汚染源になっている。しかも食材の種類が少ないので同じものを食べがちで希釈が期待できない。経済的に苦しい家庭は家庭菜園に頼るので汚染が高くなりがち。親が放射能に無関心だと子供の内部被曝が多い。子供の基準は20Bq/kgで、これは「とても低い値」というのが現地の捉え方とのこと。基準値そのものを疑う風潮もないらしい。

一般住民の場合は問題はもっぱら内部被曝であるが、林業従事者の場合は外部被曝も軽視できない。しかし広大な森林を除染するわけにも行かず、結局立ち入り制限するしかない。そうすると野生動物が増え、食物連鎖の頂点に立つオオカミも増える。そのオオカミが媒介する狂犬病が脅威になっているというのも「風が吹けば桶屋が儲かる」的に見えるけれど深刻な現実。

郡山に金を落とす

被災地の復興には産業が立ち直って雇用が回復するのが一番だが、よそ者が来て金を使う(いわゆる「金を落とす」)ことも役に立つ。ということで、まず駅まではタクシーを利用(ただし相乗りで、しかも篤志家が「ここは任せて」と全額出してくださった;感謝)。それから駅ビルのうどん屋で奮発して鍋焼きうどんを注文。ところが腹が膨れると頭に血が回らなくなる。なにか土産物を、と思っても値段・重量を考慮すると決められなくなってエキナカをうろうろ。事前に薦められていた「うまくて生姜ねぇ!!」を見つけられなかったせいもある。店頭で「ありがとう 県警」という日本酒を見たら感極まって、そのまま出てきてしまった(ぉぃ)。結局、書店に行って『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』を購入して土産がわりに。

帰りの車中で読むつもりなら在来線を使えばよいものの、降り止まぬ雪に危機感を覚え新幹線を利用。まったく考えていることと行動とが一致しない一日であった。積もった雪の中を歩いたせいかなぁ。

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2012/12/10

三宝寺池探索

知人がFacebookに「11/27石神井公園散歩」という写真10枚をアップした。その中に「どこの山の湖?」といいたくなる写真があり、タイトルは「三宝寺池」。記憶とはだいぶ違うので、「違う写真を投稿してしまった」というコメントに場所を間違えたのかと思って突っ込むと、場所は間違いないという。そこで6日に石神井公園駅そばの男女共同参画センターえーるで開かれる「放射線のおさらい寺子屋」へ行くついでに石神井公園へ寄ってきた。

結論から言うと、たしかにその景色は三宝寺池のものだった。まぁ、自分でもせっかく写真も撮ったのでここに披露(Facebookに載せたのとは違う写真を中心に選択)。


街中のボート池には見えない石神井池
ここは駅から歩いて行くと、道路際に池が突然現れる。ボート乗り場から反時計回りに歩き出すと、街中のボート池には見えない光景が広がる。


ゴミ箱にはカラスに荒らされないよう網がかかっている
池畔のゴミ箱にはカラスよけの網がかかっている(もっとも次のゴミ箱にはなかったが)。

中の島にかかる橋の上から西方向を見る 公園案内図 公園には石神井池と三宝寺池の2つがあり、間は公道が通っているのだが、それを失念し、中の島まで来たところで「この先が三宝寺池」と勘違いしてしまった(そこの景色が記憶の中の三宝寺池とよく似ていたせいもある)。ところが橋を渡ったところで案内図を見たら、まだまだ先。このとき13:22。「えーる」には14時に行かないとならないので少し急ぐ。
藤棚と水路 池にかかる木製通路 信号を渡ると三宝寺池側。なんとなく懐かしさを覚える藤棚や水路があるけれど、ここの記憶ではない。
池から上がったカモ 警戒する風でもなくカモが水から上がってきていたが、近づくとさすがに逃げていく。なぁ、人の行く先へ逃げるなよ。
三宝寺池周辺図 紅葉の先に沼沢植物群落
知人撮影の写真に似た風景 木道に入り沼沢植物群落の前を過ぎ、水神社までくるとようやく目指す風景が見えてきた。
縦にした写真 島崎敏樹の本に、水鏡を使った「ありえない世界」の写真が載っていた。水面に写った景色は線対称で〈不自然〉だから、縦にすると不気味とあったけれどどうだろう。
来た方向を振り返ると紅葉が

ほぼ同じ構図
人が撮った写真を元に、撮影地点を探すというのはなかなか難しい。それらしいところを見つけるたびに写真を撮って比較する。しかし一面では「街中の池をあんな風に撮るとは詐欺写真。素直に撮ればもっとショボくなる。」を実証したい気持ちもあり、上手に撮りたいという気持ちと葛藤。

手前に泉、池の北側で高くそびえる樹木 紅葉のトンネル ようやくそれらしいところを見つけ、安心したらもう13:43。ところがそういう時に限って〈絵になる〉景色が目の前に。またほとんどをフルオートで撮ってきたので、「マニュアルで撮りたい」という生意気な欲求が頭をもたげ、時間を浪費。それでも紅葉を収めることができた。
少し潰れた「まるで桃パン」 公園を急いで出て「えーる」に向かう途中でローソンを見かけたので、「ちょっと遅れます」とメールを打ってから入店して福島県産桃「あかつき」のジャムを使用した「とっておき宣言 まるで桃パン」を購入。袋には大きく「食べて応援しよう」。この売上の一部は福島県・宮城県・岩手県の生徒を対象にした奨学制度「夢を応援基金」に寄付される。

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2012/11/25

我孫子駅、弥生軒の唐揚そば

我孫子駅の駅そば店が大きな空揚げを載せた蕎麦/うどんを出すという話を知ったのは、おそらく「タモリ倶楽部」で選択乗車(大回り乗車)を取り上げたとき。

選択乗車とはJRの運賃計算の特例大都市近郊区間内のみを普通乗車券で利用する場合、重複しない限り乗車経路は自由に選べる)を利用した乗車方法。たとえば上野駅から御徒町駅へ行くのに、130円切符を購入し山手線で内回り(新宿・品川を経由)に乗車しても構わない。俗称は〈大回り乗車〉。同じ駅を二度通ることはできないので一筆書きと呼ぶのは不適切。

その時は「ふーん」と思って見ていたのだが、先日それが急に気になり、路線図を確認したところ130円で行って帰ってこられることを確認。なんとなく1日がかりの大大回りをしなければいけないように思っていたが、ミニマムでも構わないのだ。

というわけで、思い立ったが吉日とばかり25日に決行。快晴に恵まれ、上機嫌で常磐線(地下鉄千代田線)に乗ったところで「乃木坂駅で人身事故」というアナウンス。「どうせ帰りは常磐線を使わないし」と聞き流したが、「ニンシンジコ」と聞こえる自分の耳にやや不安を覚える。

我孫子駅ホームにて。成田行は11:46発との電光表示。

我孫子は遠い、というイメージがあったけれど、意外に早く、11時前に着いてしまった。ホームは3本あるのだが、降り立ったホームの売店はシャッターが閉じていた。店の場所を確認してこなかった迂闊さを責めながら探すと、3,4番線のホームに開いている弥生軒5号店を発見。ところが時刻表を確認していなかったので、乗り換える予定の成田線は電車が発車間際。これは「この時間帯でも30分に1本は出ていたはず」と見送ることに(ここで食べずに乗っては何をしに来たのか分からなくなる)。

丼を覆う鳥空揚げ

蕎麦にするか饂飩にするかは道中も迷ったものの蕎麦を選択。唐揚は1個入り(360円)と2個入り(480円)が選べるので1個を選択。丼を受け取るとなるほど大きい。味もまずまずであった。

食べ終わるのには5分とかからず、後は電車を待つばかり。11:16に上野発成田行へ乗れば良いのだが... しばらくして催してきた。そこで階段を登ってトイレに行くとかなり混んでいる。時計と睨めっこをしながら待っていると、どうも用を済ませていては間に合いそうもない。そこでいったんホームに戻る。しかし待っているうちに成田までの42分間が危険に思えてきた。この感じでは電車にトイレはないかもしれない。脂汗を流しながら車内で足踏みをすることになるのは御免だ。というわけで再び橋上のトイレへ。余裕の表情で戻ってきたときにはホームは無人になっていた。

成田駅1番線にはだれもいない

鹿島神宮行きはボックスシート

30分ほど待ち、次の電車に乗って成田へ。ああ、ロングシートか。成田駅の1番線はなぜか人っ子一人いない。先年、銚子へ行った時も旅情のないロングシート電車で興ざめだったが、向かいに止まる鹿島神宮行き電車は、モダンなステンレス車体にもかかわらずボックスシート。これは期待できるかも、と思っていたとこへ来た電車もボックスシート。かなり混んでいたが幸い座ることができた。長閑な田園風景の中を千葉へ。そして総武線で都内へ。

学生時代は常磐線沿線に住んでいたし、前世紀末に勤めていた会社は千葉に分所があって頻繁に通ったこともあり、この日はちょっとした感傷旅行にもなった。

出発した駅の隣駅で改札を出ようとしたところ、何故か自動改札から乗車券が出てきた。そのままにしたら次の人が困るので抜き取って出札。切符の写真を撮り忘れていたので丁度良い。家に帰ってからスキャンした。

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2012/05/21

淵の森再訪

5年前、柳瀬川対岸の宅地化計画で話題になった淵の森を訪れたが、顔本のグループに誘われて日曜日に再訪した。

森自体には大きな変化はなかった――木のテーブルとベンチが整備されてはいた――が、帰宅してから古い記事を読み返してみると、リンク先の「サツキとメイの淵が森」が閲覧できなくなっていたり、「淵の森保全連絡協議会」は更新が止まっていることが判明したりと複雑な気分に。


より大きな地図で 淵の森散策 を表示

JR新秋津駅からは、改札で出て右(秋津駅と反対方向)に曲がり、秋津神社の前を道なりに坂を下って線路沿いの道を進むと柳瀬川にかかる歩行者専用橋に出る。そこを渡った左側が入り口。

秋津神社の力石

秋津神社には若者が力比べに担いだという力石が。神社ではあるが不動尊も祭った神仏混淆。

線路脇の坂道を下る

線路に挟まれたマンション(ベルメゾン秋津)。南側(手前)の線路はほとんど使われていない模様。北側の線路を走るのは西武池袋線。柳瀬川にかかる橋が見える。

貨物線のトンネル(写っている指は撮影者のもの)

秋津神社の下を貨物線が通っている。

池の脇には木道があるが、朽ちていて通れない。

道路下の公園には湧き水を水源とする池があるが、残念ながら木道は通行禁止。

開発をまぬがれた畑と雑木林

淵の森の周囲は宅地化されているが、少し北西に進むと農地と雑木林が残っている(北秋津近辺)。

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2012/01/06

初詣?

東日本大震災で崩落があったため立ち入り禁止になっていた荒幡富士(埼玉県)が修復されたと聞いて元日に行ってきた。

南から見た荒幡富士
山頂のブルーシートはもう外されている。

入口の鳥居
入口の鳥居には門松。

森の向こうに建設中の高層マンションが2棟
山頂から北方を望むと市民の森の向こうに所沢市街。

送電線の向こうに超高層ビル群
東方にはスカイツリーも見えると聞くが残念ながら靄っている。

ゴルフ場の先には観覧車
南方は西武園(ゴルフ場と遊園地)

西にも高層マンション
西方は林の向こうに住宅街。

神仏には冷淡な口であるが、復旧費用の足しにと賽銭箱に硬貨を投じてきた。これで昨年5月以来の懸案解消。

謎の階段
浅間神社を出てきたへ300メートルほど来たところにある、まるで空へ続くような謎の階段。登ってみると、公園という名の広場になっていた。眼前には荒幡小学校。

この日の地震にはまるで気づかなかった。

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2011/10/04

無料? 有料? お役所仕事?

ある市議が「どう見ても市役所内にいる人間より多い自転車が既に止まっている。きちんと市営駐輪場を利用する人々より、違法駐輪の方が手間がかからずタダなのが不公平であり問題」とツイートしているのを見て、その市の市営駐輪場の状況を調べてみた。すると有料(一時利用100円)は結構あるが、無料なのは3つだけ。

試しにそのうちの一つをGoogleストリートビュー(SV)で見たら不思議な光景が。(iPadだと少しずれた場所の地図が表示されてしまう...SVに切り替えて、東の交差点に移動してみてほしい。)


大きな地図で見る

一つの駐輪場に看板が二つあって、向かって左は「有料」、右は「無料」と書いてある。

暇だったので現地に飛んでみた。上記SVで「有」の字が変なのは写真のつなぎ方の問題らしい(手前の鉄柱も途中で消えている)。共和地業の看板には大きく「月極有料駐車場」と(〈げっきょく〉ではありません〈つきぎめ〉です)。そしてどうみても同じ敷地の交通安全課の看板には赤字で無料と。(混浴露天風呂で、脱衣場だけ男女別になっているみたいだ)

有料と無料と2つの看板が並んでたっている

看板の新旧から判断すると、かつて民間の有料駐車場だったものを、市が借り上げて無料駐輪場にしたらしい(民間の看板の電話番号は市外局番4桁時代――3桁を経て現在は2桁――のものだ)。

古い看板を撤去しなかったのは、期間限定(「臨時」と銘打っている)なので、現状復帰の費用を惜しんだためか。しかし紛らわしいと思わないのだろうか。「無断駐車は30.000円いただきます」(30円ではなくて3万円)なんてあったら、「ここは申し込みが必要な月極駐輪場」(〈げっきょく〉じゃなくて...略)と勘違いされ、利用されないとは考えないのかな、お役人様は。

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2011/05/15

荒幡富士へ

思い立って埼玉県所沢市の荒幡富士へ行ってみた。

明治時代に築造された標高119メートルの人工の富士山(しかし富士市で日本全国の富士山リストを作っているとは)。

「狭山丘陵いきものふれあいの里」の地図看板

以前、より詳しく言うと昭和時代に、後に大台ケ原先生と密かに命名した同級生と来たことはあったが、さすがに二十年以上経つと周囲も様変わりしていて今浦島。周辺は「狭山丘陵いきものふれあいの里」として整備されていた。

危ないから登らないでという貼り紙と被害状況を示す8枚の写真

残念なことに3月11日の東日本大震災の際に崩落があったため、登山禁止となっていた。

ご丁寧に、被災状況を示す写真も掲示されていた。

山頂付近にブルーシートがかけられている

周囲を回って見上げると、山頂付近にはブルーシートの覆いがかかっていた。

山自体は浅間神社と地元の保存会の管理なので、修繕費用の調達もそう楽ではないだろう。しまった、賽銭箱に喜捨してくればよかった。(関係団体は所沢市に修復を要請しているが、また登りたいと願う者は僅かでも支援すべきと考える。)

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2010/02/11

献血、ビッグイシュー、望郷台

11日はかねてから予約していた成分献血の日。前回の生化学検査で肝機能値(GTP)が標準値から外れていたので10日間の禁酒をして臨む。

この献血ルームにはビッグイシュー日本版を寄贈している。前回以降に発行された135号と136号を調達しようと8日から歩き回っているが、なぜか販売者が見当たらない。この日も朝、買いに行く予定だったが寝坊したので献本されているものを流用。

血小板献血は他の献血よりも制限年齢が15歳若い。“定年”なんてだいぶ先のことと思っていたら、今までのペースで行くと大して協力できないうちに打ち止めになることに気付き、重点的に血小板を提供している。もっとも問診中にそのことを言うと、非公式ながら年齢制限は緩和の方向にあるという話。提供側としてはありがたい話だが、花粉症の服薬制限緩和、イギリス渡航歴による制限の緩和と総合して考えると、血液不足は相当深刻なのだろう。困った話だ。

血漿と血小板を「15」(単位は何だろう?)提供し、しばし休憩してから次回の予約をし、職員に断って待合室の書架にダスティン・ホフマンが表紙の136号をおいて辞去する。時刻は12時半。向かいのうどん屋にはいり、ちょいと奮発して鴨南うどんを注文。飲酒も解禁だが、さすがに直後はまずかろうと自制。とまれ汁で水分を補給。

新宿へ移動してビッグイシューの販売者を探す。メーリングリストに、休日には新宿ピカデリー前で販売しているという情報があったので行ってみたが空振り。ま、雨模様だから仕方がないか。伊勢丹前、大塚家具前、新宿駅新南口前、南口改札付近、京王でパート前、小田急でパート前と回るが今日も一人も見つけられず。これで今週、延べ20か所以上で空振りの計算。たぶんいないだろうと思いつつも、三井ビル前まで足を伸ばしたところやっぱりいなかった。さすがにそれ以上の売場を探す気力はなかった。

西武線に乗って久米川駅で降りる。かつてハンセン病患者が強制収容された全生園の中には患者が作った築山があり、その頂上から帰れぬ故郷の空を眺めて涙したと伝えられる。しかし前回訪問時には樹々に阻まれ、とても「所沢街道を往きかう人や車、そして富士山や秩父の山並み」は見えなかった。そこで冬に再訪を決めていた。うかうかしていると春になってしまうので雨をもものとせず行った訳だが...やっぱり周囲は見えなかった。樹が高くなったのは後年のことなのだろうか?
手前の樹に葉はないが、その先の視界は樅の樹に遮られる

かろうじて園内は見渡せるが


歩数計をつけていなかったので定かではないが、軽く一万歩は歩いたことであろう。

紀元節粉砕行動は遠くなりにけり。

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2009/05/04

ハンセン病資料館再訪

一昨年に訪問した国立ハンセン病資料館を再訪した。

元患者らから「展示や説明文を、国の責任をあいまいにした内容に変えた」との抗議を受けていた社会福祉法人が運営から撤退したという報道(2月)や新しい学芸課長の就任を伝える3日の記事を見た影響だろう、発作的に途中下車して向かった。

今回はすべて徒歩。思ったよりも遠くない。まぁ全生園の正門から入ったせいもある。

だが、思いつきで無計画に行ったのが仇。ゆっくり見始めたら展示室2に入ってすぐのところで閉館時刻の案内。

帰りは園内の森林浴の道を通り、患者が造成し、その頂上から故郷の方向を見て涙したという「望郷の丘」(築山)に登ってみたが、木々に阻まれて外は見えなかった。これは冬にまた来よう。

続きを読む "ハンセン病資料館再訪"

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2008/10/27

ムカゴツアー

26日は熊谷市までムカゴを取りに行ってきた。

畑でムカゴを取らず、写真を撮っていた人のレポートが公開されている。

予想と違って、地に這いつくばるような収穫作業。農作業なんてリヅカでのエンノー以来のうえ、このところ腰が痛いのでどうなるかと思ったが、上体を起こした姿勢を保持してなんとか切り抜けた。

横一列になって始めたはずが、気がつけば皆は遥か前方に。えいままよとマイペースでムカゴをつまむ。

そのうちどんどん引き揚げて、畑に残っているのはわずか三人に。いずれも黙々と、偏執狂的に作業をしているようだ。私がジェノサイドをやったら、犠牲者は逃れる術がないだろうなぁ、イヒヒヒ。

食事の後は、なぜか運動会。そのため帰りのバスではアルコールも出たようだが、おぢさんはその前に寝入ってしまいました。ああ、もったいない。

参加した皆さんは、今日も朝から働いていらっしゃいますが、私はゆっくりと休ませていただきました。こんなことで良いのか?

写真は「ムカゴの巣」と命名したホットスポット。こんなのが時々見つかった。
Imgp2047

私が想像していた収穫風景(朝日新聞2008/09/21夕刊)。写っているのは料理研究家の枝元なほみさん。
Asahimukago


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2008/03/10

あやうくキセル

2006年の存亡の機に際し、奇想天外と言うか、意表をつく支援要請(※)で危機を乗り越えた銚子電鉄に乗って来た。

※インターネットアーカイブのデータなので、文字化けしたら文字コードをShift-JISに指定する。欠落している画像には「電車運行維持のためにぬれ煎餅を買ってください」と書かれている。

JR某駅からSuicaで乗車。鈍行で揺られて銚子駅に降り立つと、そのホームがそのまま銚子電鉄のホームになっていた。

車内は閑散

JRのホームがそのまま銚子電鉄のホームに

銚子電鉄の乗車券は車内販売。ということで気がつけば車中の人。切符は買ったけれど、JRの精算はどうなるの?

往復乗車券
そんな心配をよそに、電車は終点の外川駅に。駅員に切符を渡して外に出てしまった。出場処理をしていないから、このSuicaは使えないぞ。

終点の外川駅外観

ここで心配をしても始まらないので、とりあえず海岸に出て、潮風と波音を受ける。朝は活気に満ちているのだろうが、午後の漁港は長閑そのもの。いいねえ。

千騎岩


犬吠駅

犬吠駅まで歩いて戻り、帰りの車中の楽しみに酒とつまみを購入。銚子駅に着くと、次の列車までやや時間がある。いったん改札を出ようとすると、なんと有人。Suicaを示すと「ここは域外」と意外なお言葉。現金精算をして出場し、すぐに切符を買ってまた入場。総額は同じでも、一度に払うと損をした気分。


冷静に考えれば、出場せずにそのまま乗車し、行きの乗車駅とは別の駅で降りたら130円で済んでしまった訳だが、それって犯罪。鉄道に乗りに行って、別の会社とは言えキセルをしたら洒落にならない。次にいく時は銚子までの切符を買って退路を断とう。それにしても、あれだけ宣伝しているSuicaに域外があるとは。銚子ってそんなに田舎なの?

身を潔白にして乗り込んだ帰りの電車も期待に反してロングシート。おいおい、これじゃカップ酒を楽しめないじゃないか。銚子はもう通勤圏なのか。旅情を味わうには特急かグリーン車を使うしかないというのも腹立たしい。東金線や成田線ならボックスシートもあるかなぁ。

銚子駅での指示に従い、下車駅でSuicaの出場処理をしてもらった。

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2008/01/13

昨日は嫌煙オフ

mixiに複数あるタバコ嫌いコミュの一つで開かれた新年会(オフラインミーティング)に出てきた。当初そう乗り気でもなかったのだが、忘年会から新年会に切り替えた辺りから失速気味で、過去に経験した流会パターンに似てきたためテコ入れ発言をした責任で。

ところが始めてみるとえらく盛り上がって、気がつけば23時過ぎ。いやぁ、楽しく酔った。

そして、煙に曝されなかったのがまた快適(ひどい場合は下着まで煙臭くなるから)。

会場となったのは禁煙スタイルで紹介されている天狗

ビル自体が全館禁煙。ただ、店に入った時に「おたばこは?」と聞かれたのが謎(別の階では吸えるらしい)。

路上の私製灰皿を指弾する参加者の指と傘

ところで豊島区は全区歩きタバコ禁止なのだが、店の入り口そばの路上鉄柱に清涼飲料の缶が括り付けられていて、ご丁寧に「灰皿」とまで貼ってある。鉄柱の所有者は確認しなかったが、豊島区に通報したら対処してくれるだろうか。

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2007/12/16

「となりのトトロ」は夏の物語

何を今さら、と思われるでしょうが、冬の八国山緑地を訪ねて実感した。森の印象が全く異なる。

写真:八国山緑地の雑木林

写真:八国山緑地の折れた木

中程で折れた樹が頭を垂れていた。

写真:冬の雑木林は空が見える


写真:八国山緑地の池

最後の写真、実は池です。水面が落ち葉で埋め尽くされているので、やけに平らな窪地に見える。

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2007/10/28

ダム再訪

突然の台風に思い立って、夏に見学したダムを再訪した。しかし、さすがは洪水調節用のダム、満水にはほど遠く、期待した洪水吐も宙に浮いた状態。

台風一過のダム湖

自然越流式のこうずいばき。流れ出すにはまだだいぶある。

自然越流式、つまりここまで水位が上がると奈落の中へ吸い込まれて行く次第。その様子は見てみたいものだ。

右岸点検通路の入り口

これが一般人お断りの右岸点検通路口(左岸通路は見学できた)。

道端にあった木製のオブジェ

放置資材? 謎の物体は芸術作品でした。ダムの周りにいろいろな作品が配置されていた。

作品説明の立て札。作品名は「形象における流動性について」


湖一周を試みたが、土砂崩れのため道路が閉鎖されていた。

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2007/09/24

淵の森緑地

先日、新聞に取り上げられていた淵の森緑地を訪ねて来た。

淵の森の碑

秋津駅側の入り口そばに立つ石碑。「淵の森」と刻んである。

柳瀬川の清流
柳瀬川の清流。すぐ後ろは西武線の高架。

柳瀬川に泳ぐ鯉
大きなコイが泳いでいた。

林の中の道
鬱蒼とした森、のように見えるが、電車の走行音が響き、ある意味「千と千尋の神隠し」の世界。

柳瀬川の淵
ここがおそらく名前の由来となった淵。

「淵の森の掟」の高札
淵の森の掟。役所の名前で出されると素直には聞けないのは不健全? 後ろは今回開発が問題になった対岸。木々の間に家が見える。

対岸
宅地開発の危機は去ったと言うが。森の限界はすぐそこに。

此岸
こちら側も。

緑のトンネルの先は駐車場
出口は民間駐車場の奥。

駐車場の奥にある入り口
看板も横を向いていて、入り口とは分かりづらい。

包囲された小さな緑地であることが分かる
柳瀬川の上流側橋上から緑地を望む。

なお、「サツキとメイの淵が森」に見事な写真がある。現地に行って「猿沢池だ」「札幌の時計台」「播磨屋橋」と騒がないよーに。

ところで雑木林とは人間が手を入れることで遷移を中断してできた人工林だ。クヌギやコナラといった落葉広葉樹の林は放っておけば数十年でシイやカシといった常緑広葉樹の林(極相林)になってしまうという。「既に40年放置された狭山緑地では、その前兆が散見される。」という気になる指摘もある。この雑木林は誰が手入れをするのだろうか。

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2007/08/23

カヌーに挑戦

ダムサイト見学のあとはダム湖でカヌーに挑戦した。

ダム湖のカヌー乗り場

湖上から

ボートと異なり、カヌーは前向きにすすむ。とはいえ、複数で漕いでいると2番手以降の目の前は人の背中。前を確認しないで漕いでいると、岸に向かったり、他のカヌーとニアミスしたり。で、たびたびブレーキをかけることになるが、漕いでいるのと反対側でパドル(櫂)を止めると、実に小気味よく転回する。

ダムの取水口(左)と洪水吐(右)。手前に流木止めがあるので近づけない。

ボートより軽快に感じたのは船体幅が狭いせいか。とにかく上流端まで行って、次は下流の流木止めまでと実にスイスイ。この流木止めのために取水口まで行けなかったのは残念。って、吸い込まれたらどうするんよ。

大雨の中を必死に戻ってくるカヌーたち

雲行きが怪しくなって来たので、桟橋に向けて戻りだしてしばらくしたら雨が降りだした。警戒感が幸いしてさほど濡れないうちに上陸できたので、うっかり遠出していた船が大慌てで戻ってくる様をゆっくり撮影。

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2007/08/21

80mの階段

機会があってロックフィルダムの点検通路、つまりダム堤体の内側を通ってみた。

ダムの管理区域へ
通常は入れない管理区域へ職員に導かれて侵入、じゃなくて進入。

堤体下にある入り口

洪水吐(こうずいばき)トンネル脇の口からダムの中へ。地中なので年間を通して気温は10℃前後(この日は14℃)、冬は暖かく夏は涼しい...を通り越して寒さを感じる。外から暖気が入ると霧が発生。

通路は左右に分かれる
点検通路は左右に分かれ2本ある。一般見学者は左岸トンネルへ。右岸は保安上の理由で見学はできないらしい。そういうこと聞くとよけい興味をそそられるのよね。


80mの階段。脇にはケーブルの束。
階段は約500段、高低差およそ80メートル。通路脇には堤体に取り付けたセンサーの情報を管理事務所に送るケーブルの束。
海抜294.5m、この辺りが水面の高さ
水面の高さまでくるとだいぶ暖かく感じるようになった(階段を上ったせいもある?)。

明るい地表への出口
明るい地表に出て安堵。

対岸から見る取水口と洪水吐
今回は特徴ある洪水吐を近くで見られなかったので、満水になる頃を見計らって出直してみよう(ちなみに現在は台風に備えて水位を下げている)。

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2007/04/02

国立ハンセン病資料館

春の陽気に誘われて、花見がてら新装オープンなった国立ハンセン病資料館(旧・高松宮記念ハンセン病資料館)に行ってみた。

桜が咲いたのとリニューアルのニュースを見たためだが、少し前に『独酌余滴』(多田富雄 朝日文庫)を読んだことも影響しているだろうか。

西武新宿線の久米川駅で下車。清瀬行きのバスに乗る…はずだがバス停が分からない。えいままよと歩き出す。工事中のバイパス(?)を歩くと自動車がほとんど来なくて実に長閑、なのは良いが、全編歩く根性はないので、本道に戻ってバス停を見つけたところでバスを待つ。見ると携帯電話で運行状況を知ることができると言う。2次元バーコードを読込む機能がないので懸命に親指で打ち込んでいるうちにバスが来た。orz

資料館停留所で下車すると目の前に資料館。バスを降りたのは私一人だが、入り口付近には人がちらほら。入場は無料だけれど、いちおう受付があるので寄ると性別・年代などの属性情報の提供(任意)を求められ、記入するとパンフレットをもらった。

展示は二階。重い常設展示(3部屋)を見ていると、企画展示の解説をするというアナウンス。

この企画展示は、韓国の国立ハンセン病療養所「国立小鹿島病院」元院長である趙昌源が描いた油絵展で、題して「趙昌源絵画展—小鹿島の光と影—」。小鹿島病院で起きた惨劇を後世に伝えるため筆をとったと言う。解説は趙先生ご本人。

説明の中には首を傾げざるを得ないものもあった(たとえば患者隔離政策は日帝が持ち込んだ、というのはまぁそうだろうが、それ以前には患者差別はなかったかに聞こえる言い方や、日本の療養所は上げ膳据え膳みたいな解説、あるいはアメリカは本土の患者をハワイのモロカイ島に隔離したなど)が、やはり現場の経験は説得力が違う。

印象的だったのは「生命の歌」の説明で、療養所では医者が少なかったため衛生兵の経験者(朝鮮戦争の後だったのでたくさんいた)が医療スタッフになっていた。彼らは戦地の経験しかないので、内科的治療で治るものまで外科的治療、つまり足の切断手術をしがちだったという話。

また療養者の子供(非感染)でサッカーチームを作り、全国大会に出ようとした際に、警察が阻止しようとしたのを実力で突破したという話。院長先生は軍人で(赴任した際も軍服姿だったという)、「警察なんて蹴っ飛ばした」と笑っていらっしゃったが、頼もしいような恐ろしいような。

常設展はとても一回では見切れないので、リーフレットにあるよう何度か通うことにしようと思う。

藤本事件資料はなぜか名前のところがマスクされていた。でも、本人上申書に名前がしっかり書いてあるから無駄なような。
ハンセン病資料館と桜並木


帰りは「『全生園の隠れた史跡』めぐり」をいただいて、桜並木から園内を散策。花曇りではあったが、花見客が楽しそうに幾組も宴を開いていた。そういえば戦前、園内の全生座で開かれた療養者による歌舞伎公演は近隣住民も観劇に訪れ、多い時は2日間で3000人に及んだと言うから、迷惑施設とは思われていないようだ。

帰宅してみると歩数計は14000を超えていた。

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2006/12/10

土・くらし・空港

成田国際文化会館で開かれていた「土・くらし・空港」展へ2日に行ってみた。お目当ては小川プロの映画「第二砦の人々」。開演までに少し時間があるから、と先に展示を見ていたら、危うく満席で見られなくなるところであった。その辺の様子は「共有される歴史」に詳しい。

これは第一次強制代執行を記録した、三里塚6部作の中ではもっとも激しい映画だ。ところが久しぶりに見て、次の「辺田部落」に通じる“語りの映画”の面が強いことに気がついた。とにかく長回し。砦の中で、バリケードの下で、地下壕で、まとまりなく話し続けるのをひたすら撮る。地下壕の通気口のところなど「もうわかった」と言いたくなるほど繰り返しろうそくを近づけて空気の流れを見せてくれる(これは覚えていた)。ラストの穴掘り(地下壕拡張)シーンは暗いし方言だし、わかることと言えば若者達が穴を掘っていることとそれが大変な作業と言うことのみ。それがまた延々と続くのだ。今回は真面目に見続けたので、使っているのがトンビ鍬(展示されていた)とわかったのが収穫。

(公開当時は「七月仮処分」「第二次強制代執行」を前にしていたので、今とは受け取られ方もずいぶんと違っていただろう。)

次に上映された「映画作りとむらへの道」によってそれが意図的なものであることが明かされる。作中登場する小川監督は、「辺田部落」のラッシュを見てだと思うが、東京から来た人ならカットして編集してしまうだろうということを語っていた。ところが地元でそのまま見せると食い入るように見て、良かったという。別に自分らが映っているからでもなさそうで、どうも村に流れる時間は都会とは違うようだ。

それにしても、その地味の権化のような「辺田部落」の上映を、「不測の事態」を理由に禁止した78年当時の筑波大当局者は、よほどの慧眼かただのバカであろう。慧眼というのは、あの地味地味を見て共感したら、若気の至りとは別のレベルで「空港を、この地にもってきたものを にくむ」ようになるだろうから。

東山薫についてははっきりとガス弾直撃による死と展示されていた。主催は航空科学振興財団歴史伝承委員会だが、後援には国交省や千葉県も名を連ねている。警察の不祥事は県の責任。機動隊員によるガス弾水平撃ちは証拠映像もあって否定しきれるものではないが、それでも国・千葉県は投石(同士討ち)説を主張し続けてきた。もはや特別公務員暴行凌虐致死罪は時効だから譲歩しましょうということか。それにしては去年、管制塔事件元被告人に1億300万円を請求するなんて、あー、つまり「良い過激派は死んだ過激派」ということか? ちなみに東山さんは救護所防衛隊員であって石を投げていた訳ではない。

他に目を引いたのが「七夕会」からの扇屋旅館への感謝状。三里塚への「不時着」3日後の7月7日に現地入りした運輸省(当時)職員は、空港反対の空気が強い中で宿泊場所の確保に苦労したようだ。それを引き受けたのが扇屋。いかなる事情あるいは思惑があったかはわからないが、これはやはり立派と言うべきだろう。「旅館は客を歓迎する」というシンプルな思想かもしれないが。

それに応えて「七夕会」という感謝の集いを続けた職員も礼儀を知っている。(でも、その気遣いを地権者にも示していれば、あそこまではこじれなかっただろう。引き返すには十分すぎる余裕があったのに。)

こういう展示があるにもかかわらず、貼り出されていた入場者アンケート(感想)には、「反対派一辺倒の偏向」みたいな寝言が書いてあって、まったく「見れども見えず」、自分の枠組みに収まらないものは目に入らないのねと悲しくなった。(これは自分にも返ってくる批判だが)

展示はいくぶん改良の余地があるとは言え、よくまとめられていた。常設展の実現を望みたい。これもアンケートに書かれていたが、空港内に展示室を設けるのはかなり適切に思える。

帰りは途中、千葉駅で降り、銚子電鉄の「ぬれ煎餅」を購入。


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2006/11/27

岡山訪問

所用で岡山に行ってきた(10/11,12)。

新幹線「のぞみ」に乗るのは初めてではないが、昼間は初めてというのを失念していた。油断して窓外の流れる景色を見ていたら気分が悪くなってしまった。帰りは通路側を取ることにしよう(念願かなって、帰路は新大阪まで通路側、それから同じ列車でB席(三列中央)だった)。

東京は雨だったが、岡山は曇り。翌日には快晴で、長傘は見事にお荷物。

雨の上がった岡山駅前

岡山市民会館で遠藤邦基と田中克彦の講演を聴く。偉い人が読み間違いをすると、おべんちゃらがそれを正しいものとして広め後世に残ってしまう話を聞くと、昔も今も人間って変わらないものだと改めて思う。古典を読むには批判的視点が大切だ。いま「聖書じゃないんだから」と書こうとしたが、実は聖書こそ筆写ミスの宝庫らしい。

閑話休題。田中克彦は名前くらいしか知らなかったが、現物は予想とだいぶ違った。日本の大学が「Brotstudium(飯の種になる学問)」ばかりに走って崩壊する、と大層悲観的。それもこれも勉強嫌いが政治家になって、その政治家が大学教育をいじるから、と首大学を作った障子破り都知事閣下などを引き合いに弾劾するが、実務を進める官僚は勉強一筋...あ、文部官僚は別格か(某官僚から個人的に聞いた話なので具体的には書けないが、旧文部省の感覚って、ほかの霞ヶ関の人間から見ても異次元世界のものらしい)。

教育の「恐ろしさ」は、かつて神州は不滅でB29は竹槍で落とせると信じた軍国少年(1934年生)なので骨身に染みているのだろう。

過日、田中の訳した『ノモンハンの戦い』(岩波文庫)を読んだ(不覚にも国境を巡る小競り合い程度にしか認識していなかったが、大規模な戦闘だったとしって驚く)。従軍作家の見聞記である第二部は興味深い。もし日本軍があの大敗をしっかり総括していれば、第二次世界大戦の悲劇は避けられたかもしれない。ま、そうだと今でも徴兵制や特高が残っていたかもしれないので、歴史を変えてやろうとは思わないが(歴史に「もし」はないとは言え、大日本帝国が賢く欧米との対立を避けていたら、核兵器は開発されなかったかも...うーん複雑な気持ち)。

講演内容とは関係のないことだが、市民会館の椅子の傷み具合から地方経済の疲弊が見えたような気がする。街に少しはお金を落としてくるべきだったな。

市民会館の傷んだ椅子

翌日は岡山大学へ。岡山大学と言えば糟谷孝幸(1969年、機動隊員に撲殺される)という人もいるだろうが、私は『思想としての風俗』で紹介されていた、関西全共闘最後の砦を見たかった。「パルチザン前史」にも描かれていた、時計台を占拠した学生が圧倒的な警察力の前に敢えなく落城する刹那、最後に歌ったのが「仰げば尊し」だった−−今こそ別れめ、いざさらば−−という伝説の大学。

だが、大学にある時計台は図書館のもので、どうも様子が違う。

岡山大学付属図書館の時計塔


帰ってきてから調べてみると、どうやら件の時計台は大阪市立大学だったらしい。あれぇ、記憶って当てにならない。

もっとも調べているうちに、「パルチザン前史」での歌声は、現地の録音はヘリコプターの轟音ばかりで、人の耳には聞こえた学生の歌声が入っていないため、別に録音した歌声を重ねあわせたものという文章も発見。これは映画を見た時に、ヘリコプターの音に比べて歌声が不自然に感じられたことに符合する。え、それこそ作られた記憶だろって? うむむ


岡山駅のホームで見かけた四国学院大学の学生募集看板。私がこの大学について知っていることはただ一つ、傑作アホ映画サマータイムマシンブルースロケ地だったということ。おーおー、あの時計塔も描かれているね。

四国学院大学の広告

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2006/04/18

至福の昼酒(羊山の芝桜)

思い立って羊山公園の芝桜を見に行った。平日だから自家用車でも大丈夫かとも思ったが、用心して電車を利用。飯能を過ぎる頃には車内は加齢臭ムンムン。と、隣の車両は小学校の遠足らしい集団。こちらはペド臭むんむん(ぉぃ)。西吾野駅でぞろぞろ降りて行った。ガラガラになった車両へ移動する。

横瀬駅で下車。地下道で線路を渡り「姿の池コース」で芝桜の丘に向かう。道には案内が整備されている。こちらはまだ桜が盛り。その下には朝から渋滞。電車で来て正解であった。

桜花の下は渋滞

が、着いてみると五分咲き。ちょっと早かった。
芝桜は五分咲き

花絨毯

文字通りの五分咲き
遠隔カメラが見える

自分撮りをしている人を見て真似をする(後で見たら順光にしたため眩しそうに目を細めていた)。多目的広場で樽酒とキュウリの浅漬けを食す。うまー。お酒はあえて升で。

芝生広場を抜けて見晴らしの丘へ向かう。途中にも芝桜。こちらから来た人はこれを見て「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」をやってたりして。

駐車場前の芝桜

見晴らしの丘は桜吹雪。

桜樹と姿の池

花吹雪

武甲山資料館に行くが火曜は休館。やまとあーとみゅーじあむもお休み。地図にも書いておいてね>観光協会

説明の無い「忠霊塔」は空疎に存在感を示し、秩父事件追念碑は人目に触れないようにされていた。建設委員筆頭が荒船清十郎だから「やはり野に置けレンゲソウ」扱い? 秩父用水の銅像には案内柱が建っているのに。まぁ桜吹雪が見事だったので許す(なんと非論理的な)。

忠霊塔

地図の上では道の脇にある碑

「この先」に碑がある

秩父事件追念碑

地図に「牧水の滝」と気になるものがあったので見に行った。

牧水の滝(人工滝)

人工のものであるという。下流の水車小屋(らしきもの)の中身は循環用ポンプと濾過装置。

一見水車小屋

ちちぶ銘仙館秩父神社に立ち寄る。織物というのは大したものだと改めて感嘆。秩父神社では不思議な立て看板に遭遇。

出口禁止って

その後、市内でさらに不思議な看板を発見。「無断駐車」して良いの?

無断駐車?

(実は赤で書かれた文字が褪せて読めなくなっている)

駅前でそばと再び地酒を喫して13:49の池袋行きで帰還。乗車時点で万歩計は18000歩超。

(そういえば昨春も思いつきで小旅行をしたなぁ。ああ、懐かしのNS)

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2006/03/12

柳瀬川散策

柳瀬川の岸辺を歩いてきた。

起点は空堀川との合流地点(のやや上流)。清瀬橋近辺は河川改修工事中であった。流れは道路(小金井街道)と離れ北に向かっているので、いったん戻って左岸の西武グリーンヒル内を抜ける。川が再び東向する地点で河川敷に出て下流に向かって歩いた。無味乾燥なコンクリート護岸でなく、自然石(だと思う)を積み上げてあり、流れには緩急があってDO(溶存酸素)は高そう。

しばらく行くと堤防上の道に上げられ、さらにしばらく行くと遊歩道から公園の小径っぽくなる。左手に別のせせらぎが現れ、「蛍を飼っているから入らないで」と。それはやがて小さな池に流れ込んでいた。気になって遡行すると、水源は案の定ポンプでした。もっともホタルが住めるなら循環水ではなくて井戸水かな。

池の畔に戻って家族連れに混じって小休止。小さな池ではあるが子供の目には大きな湖のように見えるだろう。その再現を狙って低いアングルから写真を撮ってみたものの腕の悪さを再確認したのみ。逆光なので露出を+に補正したが、足りなかったみたい。水面は白く飛んでいるし木々は暗いし...なんか斜めでもあるようだ。
060311a

(幼少時に連れて行かれ、広大と思った庭園や湖沼を成人してから再訪するとがっかりすることが多い。そもそも日本庭園は箱庭的で、想像力を働かせて楽しむべきものなのだろうが、それにしてもたとえば小石川後楽園の西湖の堤なんて、子供が見ても「何これ?」で三大がっかりに匹敵する誇大広告だと思う。ああ、本物を見てみたいものだ。)

閑話休題。現地の写真は金山緑地公園と金山調整池と柳瀬川回廊構想金山調節池と金山緑地公園(探鳥スポット)に素晴らしいのがあるので、そちらを見てほしい。

そう、ここは調整池。洪水防止のため、堤防を低くしてあり越流により水位を調整するところ。だから北側にはより高い堤防があり、そこには「危険ですから入らないでください」と。もちろん大雨のときの話。しかし水没してホタルは大丈夫なのだろうか。今度、台風でも来たら冠水状況を確かめにこよう(だから危ないってばさ)。

川を辿っていたのだと思い出して堤防に戻る。下流には見事な桜並木。もうしばらくすれば格好の花見地帯になるだろう。
060311b


清瀬台団地の対岸にはもういくつか池があり、木道で上を歩けるようになっていた。清掃が行き届いているのか訪れる人の民度が高いのか、ゴミは目につかず、実に気持ちがよい。うろちょろする子供はやや目障りだが、これは仕方が無いだろう。学校のある日か、盆暮れ、今年ならワールドカップの試合中なら空いているだろうか。

鳥を狙っているのか日向ぼっこをしているのかよくわからないネコ二匹を驚かさないよう堤防上をそっと歩き、市民体育館手前で左折(あとで地図を確認したら直進可能だった)。

武蔵野線のガードをくぐり、九十九折(大袈裟)を登ると途中に城山神社の鳥居。右を見ると滝の城址公園のプレート。ああ、それで下に駐車場があったのか(気づけよ)。どこに滝があるのかと入ってみるも、もちろんそんなものはありはしない。伝承によれば城内に滝はあったらしい。柳瀬川に向かって落ちる急峻な斜面は竹林になっており、そこに小さな流れもどきが見られたので、この上流だろうか。だが、水は停留しており、阿呆が捨てた小型テレビが醜態を晒すのみ。

東所沢駅に出て帰宅(線路は進行方向左手にあったのに、駅は道路右側なので驚いた)。

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2005/11/05

入間航空祭2005

3日(文化の日)は誘われて入間航空祭へ。


Iruma Air Base 普段は入れない空軍基地へぞろぞろと進入。滑走路も家族連れでにぎわっていた。

「ミス航空祭」のパレードに遭遇。力才色兼備の婦人自衛官のアピールかと思ったが、どうやら民間人らしい。近隣の地区ミス?を集めたらしいが、正直言って装備品展示場にいた婦人自衛官の方が凛々しくて素敵に思った。ミス空挺団(いるのか?)にパラシュート降下させる方が受けるだろうに。ちなみに「ミスター航空祭」も地味にやってました。こっちは隊員だろう(禁令を破ってシートを持ち込んだ見物客が前を占拠していて近寄れず未確認)。


展示されたジェット機

格納庫では諸装備の他に練習機も展示。これは車輪のリトラクト(格納)を見せるため(だけに)、支柱で空中浮遊させてある。後方から伸びているコードは動力用であろう。エンジンが停まっていると非力なものだ。


ペトリオット発射台 防空の英雄?ペトリオット。政治家が戦争回避に失敗したらお世話になるしかないのであるが... そもそも回避に努力する気なさそうだし(おき火に揮発油を注ぐようなことには熱心)。

ペトリオット発射台の注意書き
その発射装置には「フォークリフト使用箇所」「重心」「前方→」などと注意書きがされていた。これ、安全操作の基本ね。前方後方間違えてセットしたら洒落にならないし。(^^;


バッテリは右側後風防の下にある そういえば練習機のせいかもしれないが、機体にはいろいろ注意書きがしてあった。「バッテリは右側後風防の下方にある」とか。


脚立に乗って携帯電話
本格的に脚立まで持ち込んで、携帯電話で撮影する謎のおじさん。日本の国防政策を象徴?(脚立が装備、カメラが外交ね)


温泉フランクの暖簾

お祭りにはつきものの屋台村。しかしさすがというべきか、アルコール類は見当たらない。謎の「温泉フランク」を発見。でも食べたのは別の店から買ったスパム(SPAM)ステーキ。
スパム(SPAM)ステーキ


入間ターミナル
「一般乗客待合室」って何? 向かって左は「VIP専用」。


へりコプター へりコプターって、あなた....

...勘亭流ですか。


ゲバラのシャツを着て歩く若者 おうおう、USA同盟国の軍事基地にゲバラのシャツとは良い度胸だ。って、単なるファッション? 単なる無知?


総立ちの観客。子供は肩車 雑技団の全国大会? ブルーインパルスは空中演技ですから座っていても見られるのに。離陸前にあれこれ言うから観客総立ち。

この日はあいにくの曇天で、華麗な飛行も背景が鉛色ではいまひとつ。収穫の一つは「防空監視は難しい」を実感したこと。


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2004/12/19

光る骸骨

分子生物学会年会にかこつけて神戸行きを企てたが、神戸ルミナリエは13日点灯なので、逆立ちしても見る事ができない。そこで地元の人に「昼間に見る価値はありますか」と聞いたところ「白い骸骨みたい」と素敵な回答。遅れてきた青年よろしく心の眼で「こうなのだろう」と補正するのはお得意なので見に行く事にした。11日夜に酔狂な酔客とともに探索。闇夜にほの白く浮かぶ姿を見て想像を巡らす。

12日朝、朝日の下での趣を確認するため再訪問。すると、なんと試験点灯されていた。ラッキー。

luminarie

その後、時間調整のため湊川公園の大楠公像などを見て帰った。

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