2018/05/06

献血ルーム巡り28(宮城県・献血ルームアエル20)

1月末から始めた仕事が土日にもかかることが増え、間が空いてしまった献血ルーム巡り。5月の連休中に、横浜美術館でやっているヌード NUDE—英国テート・コレクションよりとセットにして横浜の献血ルームに行こうと思っていたところ、我妻和樹監督の「映画『願いと揺らぎ』の上映は11日(金)まで」というツイートが目に入った。

実際はこれではなくて4月のツイートであったかもしれない。

前作『波伝谷に生きる人々』のクラウドファンディングに一口乗ったため、今回も支援要請が来ていたのだが、折悪しく資金繰りが切羽詰まっている時期で「もうちょっとしたら」と先延ばししているうちに締め切られてしまい、「ならばせめて劇場へ」と言っているうちにポレポレ東中野での上映も終了し「ぼくーはなにーをやってもー だめーなおとこですー♬」状態だったので、「これは何かの啓示」と仙台まで観に行くことを決意。

自動的に献血ルーム巡りは宮城県が対象に。調べてみると同県にはルームが2つだけなので、もう1回行けばコンプリートとモチベーションも上がる。上映会場との距離も考慮して献血ルームアエル20を第一候補にした。

献血ルームアエル20


仙台駅から徒歩3分、パルコの隣にあるアエルは地上31階の複合ビル。その20階に献血ルームアエル20はある。


その仙台駅には東北新幹線を使うと東京から「はやぶさ」を使うとわずかに1時間半。上野、大宮の次はもう仙台という超特急(ちなみにその次の停車駅は盛岡)盛岡へ行った時(切符の購入で手間取ったうえにグリーン車に乗る羽目になって)緊張していて気がつかなかったが、本当に〈近く〉なっているのだ。前回降り立ったのはまだ20世紀、生化学会の大会の時だから駅前の様子も様変わり。


4日の9時51分に「はやぶさ5号」は仙台駅に到着。もちろん「死んだー、死んだー。どなたさまも落ちる方が死んでからご乗車ください」というアナウンスを聞くことはできない(いつの時代の話だ。ちなみに「せんだいー、せんだいー。どなた様も降りる方が済んでからご乗車ください」が余所者にはそう聞こえるという小話)。アエルの商業区画は10時開店なのか、閉じたガラス戸前に人々が待っていたが、献血ルームはビジネスフロアなので後方のエレベータで20階へ。


所在地
仙台市青葉区中央1-3-1 アエル20階

電話
022-711-2090

成分献血予約フリーダイヤル:0120-489-615

アクセス
JR仙台駅から徒歩2分

提携駐車場
アエルビル地下駐車場、仙台駅屋上駐車場

受付時間
成分献血:10:00~17:00

400・200mL:10:00~17:30

定休日
12月31日・1月1日

ベッド数
18

ロッカー
暗証番号式

自販機
飲料3台

新聞・雑誌・書籍
全国紙3+地方紙2ほか


受付・問診


エレベータを下りると見紛うようのないthe 献血ルームという入口が目に入る。





上の写真は帰る時に撮影したので血小板成分献血は「終了」となっているが、入室時にはまだ「お願い中」であった。にもかかわらず血漿しか採血されなかったのは検査値に問題があったのだろうか?


よく見ると入口の上の方に「血圧測定後、結果シートを持って受付へお入りください」と貼ってあるのだが、ごちゃごちゃとたくさん貼ってあるせいで見落としてカウンターへ直進。だって、今までの献血ルームはみんなそうだった。すると「献血をしたいなら血圧を先に測りやがれ」と丁寧に言われてUターン。入口脇で一人が測定中だったのでしばらく待ち、空いたので近づいてみると、なんとその奥にも測定機があった。注意力が低下していたことは否定しないが、ユーザーインターフェイスとしてかなり問題だと思う。


そんな精神状態なのでトイレで用を足し、深呼吸した後だったにもかかわらず大変不本意な値。素知らぬ顔をして測り直すが期待したほどは下がらない。それでもリジェクトされる恐れはなくなったので、それを持って受付カウンターへ。応対してくれたのは研修中の札を付けた男性職員。ところが直前に存在を確認した献血カードが見当たらない。あたふたとポケットを探るのを穏やかに見守ってくれた(ほどなくジャンパーのポケットから発見)


駐車場は使っているかなど型通りの質問の後、液晶パネルによる問診。ここでも「次へ」をタッチし忘れるという失態。脳は大丈夫だろうか>自分  さらに1年以内に心電図をとったかというところでまた軽いパニック。昨年の3月だったからもう1年は経過している(この辺りにも間隔があいた影響が見てとれる)


カウンターは間仕切りされていて一度に数人の対応ができるようになっているのだが、その間仕切りに3か月以内に生肉や生焼けの肉を食べた人はご遠慮くださいと言う注意書き。これはおそらくE型肝炎ウイルス対策だろうが、初めて見た。時期的なもの(3月以降に追加された注意?)か地域的なもの(東北もしくは宮城県限定?)か。詳しく知りたかったが聞きそびれてしまった。


発行された受付番号は4。ただ、室内には既に多くの献血者がいた。呼び出しは原則として受付番号で。聞いていると一桁台と30番台が併存。後者は全血(400mL)かもしれない。


医師問診室は2つあり、待っていると1番に呼ばれた。本人確認と2.3の簡単な質問。フト脇を見ると、口内炎や切り傷があるとだめと書いた紙が貼ってある。数日前にガムを一緒に口内粘膜を噛んだことを思い出したが、血も出なかったし3日は経っているので無申告。

(以下、書きかけ)

事前検査

採血

トイレ

採血を終えて

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2016/08/01

神は局部に宿る

渋谷のアツコバルーで開かれている「神は局部に宿る」を観てきた。2014年に川治ダムの放流を見学しに行った際、途中の沿道に鬼怒川秘宝殿を見つけ、「なんぞこれ?」と思いつつ通過したが、ほどなく閉館されてしまい、以来、頭の中には「ハリー・ポッターと死の秘宝館」という謎の惹句が貼り付くことに。そこに「ラブホテルや秘宝館などについて、日本で独自に発展した文化だとして光を当ててきた編集者の都築響一が、東京・渋谷のギャラリー・アツコバルーで個展を開催中だ」という新聞記事を見たのですっ飛んでいった次第。

入口付近から会場内を見たところで、壁にはラブホテルの室内写真が4段で壁2面に、中央には「元祖国際秘宝館」の看板(高さ約2メートル)、他に秘宝館にあった裸体女性のマネキンが多数配置。ラブドールの脇に置かれたテーブル。注意書き(フトモモ、ウデのみおさわりいただけます)とウェットティッシュが載っている全裸のラブドールが立って収まっている本棚。脇には「手を触れないでください」という注意書きが貼ってある。

受付の女性に入場料1000円を払うと「テンガさんからです」とにこやかに赤い小物を渡してくれる。後でよく見るとオリジナルコンドームであった。

会場はラブホテル(写真)、秘宝館(写真と現物)、イメクラ(写真)、その他という構成。嬉しいことに撮影自由。ラブドールに至っては(腕と太腿限定だが)お触りも自由。さらにカウンターで飲み物を注文するか別料金を払えば性器部分も手探りさせるという(暗幕の向こうのを手探りさせるのかと思ったらカーテンをめくって顔をつっこんで覗く趣向だったらしい...はい、つまり私はやってません)

会場内は男女カップルの他、女性単独あるいは女性グループも多くいて、中には秘宝館にあった人形のそばで同じポーズをして写真に収まる猛者も。まさに「面白さを追求して余計な方向に頑張って」しまった文化の展覧会にふさわしい。

股間からホースの伸びた全裸で横たわるマネキンのそばにあるビデオディスプレイの中ではホワイトゼブラの紹介動画が。 あちこちの秘宝館を取材した際のビデオが流されていたが、なぜか東北サファリパークの紹介映像も(以前は秘宝館が併設?されていたらしい)

解説冊子の表紙右下には斜めに「入場料500円割引券」と印字されている。 図録は置いてなかったが、500円で解説が販売されていたので購入。これを持参すれば次回は入場料が500円引きになるという。リピーターを獲得するための風俗業界の知恵だそうだ。

カウンターにはその他いろいろな物を売っていた。ふと「お子様の夏休み自由研究用にと買って行かれた方も」と聞こえたので何かと思ったら、スマホに取り付けると550倍の拡大鏡になるというMen's Loupe。「これは!」と思ったものの持ち合わせが足りなかった(1620円だけど)ので、後日あらためて買いに行くとまさかの売り切れ。「ドンキにあるかも」と教えられ、ドン・キホーテ渋谷店に行くと3階に売ってました。「内容的にはここかな」と18禁コーナーで探したけれど見つけられず、表情を改め暖簾をくぐって外に出たら並べてあった。つまり18禁コーナーに入らなくても購入できる。またAmazonなどでも購入可能。


18歳以上向け商品だという警告が表示されます。


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2014/07/05

優れた演劇は観る者の心を

不快にする、といったのはだれだっけ?

出所は不明(なので知っている人は教えてほしい)だが、英国の劇作家に「自分が体制批判の作品を書くのは、保守派の人びとの考えを変えようとしてではなく、むしろ固めるため」というような事をいった人がいたと記憶する。

また、先日参加した第2回LRGフォーラム・菅谷明子×猪谷千香クロストーク「社会インフラとしての図書館-日本から、アメリカから」で、菅谷さん(『未来をつくる図書館』の著者)が、USAの小学校に通うお嬢さんの担任教師から「あの子は本の読み方を知らない」という指摘を受けた話をしていた。「あんなに本好きなのに?」と訝る菅谷さんに担任は「自分好みの世界の本しか読んでいない(これを菅谷さんはFacebookで「いいね!」をつけるような読書と表現)。読書とは本来、自分の知らない新しい世界を経験するためにするもの」だから本の読み方が分かってない、と。読書とはすべてそうあるべき、には異論があるけれど、それが読書の王道であるというのなら、それはそうだ。

だから12月に観る「忠臣蔵」(あるいは「赤穂浪士」)のように定番を楽しむことは認めつつも、「優れた演劇は観る者の心を不快にする」にも賛成せざるをえない。

すなくいむし


というわけで劇団もっきりや公演「すなくいむし(砂喰虫)──そこから見た月は歪んでいて──」である。芝居は5年に1遍で十分と思っている人間であるが、このところ劇場には足を運んでいないし、さる筋からの要請もあって6月15日に本郷文化フォーラムへ足を運んで観劇した。

芝居そのものは、『砂の女』(安部公房)と、精神病院とは明示されていないが『河童』(芥川龍之介)を連想させる。

そして、どうやら放射能汚染をあつかっているようである。それは劇中に「ただちに影響はありません」という文句(ちなみに私はこのセンテンスを揶揄的に使う人間を警戒、というよりほぼ軽蔑する)が使われただけでなく、主宰者が「福島を忘れない!車座朗読会」に出演していることから推測できる。

しかし、「背後から撃たれて腹から出血しているのに、なんで上着の背中に血痕がないんだ?」(灰とダイヤモンド)とか「まだ上陸していないのに、なんで足音が響いてくるんだ?」(ゴジラ)などと、感動はしても分析は忘れない人間の目には謎が次々と浮かんでくる(生活費はどうしている?なんて下世話なものは省く)

役所の移住勧告を拒むのはなぜなのか
作者はそれを「故郷を愛する気持ち」として肯定するのか
主人公は〈砂〉が見えないのに、どうやってその侵入を防ぐ作業をしたのか
「砂が見えるようになる」とはどういう意味なのか

特に2番目「移住拒否を肯定するのか」が重要。ある種の人びとは、福島県の避難指示区域はもちろんその近隣、さらには福島市や郡山市といった中通りも居住には不適であると主張している。その同じ人びとは、10年前には「アレクセイと泉」(音楽:坂本龍一)なんて映画を見ながら「無理して避難しなくてもねー」などと言っていたはず。政府が廃村を宣言したチェルノブイリ原発事故による汚染地域に勝手に戻って生活しているという人々を描いた貝原浩「風しもの村 チェルノブイリスケッチ」を展示した丸木美術館は避難に賛成なのか反対なのか。

「放射能は見えない」を強調する人は得てして見当違いの防護策をとる。夏なのに子供に長袖長ズボンを着用させたなどその典型(ガンマ線は布地ではほとんど防げないし、毎日洗濯するのでなければ土埃除けにもならず、むしろ半袖で過ごしてまめに清拭する方が効果的だろう)。一方ベラルーシでは、家の全室で放射線量を住民が自ら測定し、線量の一番低い部屋を子供部屋にしてその中でも低い側にベッドを置く、線量の高い部屋には長く留まらないようにするといった意味のある対策をとっている(これは住民が自主性をもって生活と環境の回復過程に関わっていこうというエートス活動の成果)。過剰と思えるほどに汚染の脅威を主張する人はなぜか正確な測定に消極的で(中には市が貸し出している線量計を分解し、〈正しい値〉を示すよう改造した市民団体まである)、さらに大人の検査結果から小児の汚染は問題にならないことは自明だけれど不安を訴える保護者のために公費を使わずに小児用ホールボディカウンター(通常のWBCは大人用なので身体の小さな乳幼児の計測は無理)を開発させた早野龍五教授を「人体実験をしている」と非難する人までいる(その一方で、CsとKの区別がつかない不完全で意味のない〈測定〉は大好きなのだから、同一人物ではないにしても理解に苦しむ)。〈砂〉が見えて都度適切に対処できる登和ら3人が留まることを肯定するならば、除染と計測によって、以前よりはやや被曝線量の多くなった故郷に留まろう(戻ろう)という人々を応援するのが筋なのだが、その立場にあるのだろうか。

こういったことが気になりだすと、主人公がバイトで糊口をしのいでいる作家(志望)という設定も、全然それらしくないと不満になるし、下世話なことは省くといったけれど、孤立した家屋で女三人(うち1人は年増とはいえ)に囲まれた若い男が清く正しく過ごすというのもリアリティに欠け(2次元限定という伏線があれば話は更に膨らませられただろう)、最後は「妄想落ち?」(大事なところは主人公の妄想でしたで終わらせる手法で、夢落ちとも)という疑問を抱えたまま出てくる事になりきわめて消化不良。胃の辺りに不快感を残すということは、おそらく優れた演劇なのだと思いたい。逆は必ずしも真ならずというけれど。

その足で明治大学まで行ききりえや・偽本大全で大いに笑って精神の精進落し。

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2013/04/27

東京大学へ寄付をする

東京大学には、医学部附属病院でお世話になったのと何人かの飲み仲間が関係しているくらいで、さしたる義理もないのだが、母校にすらろくに寄付をしない私が寄付をしたのには訳がある。

2011年の原発事故に際し大学院理学研究科の早野龍五教授は、原子炉については門外漢ながら、原子物理学者のバックグラウンドを元に、混乱する情報の「見える化」と解説を精力的に行ってきた。大学本部からの「早野黙れ」という圧力に少し臆し、また家庭の危機に見舞われながらも情報提供とガイガーカウンターミーティングなどへの支援を惜しまず、こうした活動によってパニックから逃れられたと述懐する人もいる。

11年も夏を過ぎると人々の関心が内部被曝に移りだした。しかしもっとも気にされた学校給食の検査には、食材にサーベイメーターを当てるという形ばかりの〈測定〉は論外として)事前に食材を抜き取り検査して弾くという方法では検査すり抜けと精度という問題がある。そこで早野教授は食材ではなく給食自体をゲルマニウム半導体検出器で精度良く測る陰膳調査を提案した(その意義についてはFOOCOM.NETでも解説されている)。ところが役所は「検出されたら手がつけられない」と及び腰。まるで隠れんぼで鬼に見つからないように目を瞑る子供のような反応。そこでとうとう私費で検査を開始されたのが2011年の秋。やがて東京大学基金経由で寄せられた浄財がそれを支えるようになる。

なお、陰膳調査は現在は文科省予算によって進められているが、厚労省管轄の保育所は対象外というお役所仕事っぷりに目が離せない状況。

というわけで、一口乗ったのが去年。今年は従来の装置では難しかった小児用WBC「BABYSCAN(仮称)」開発スタートを記念して(「収入が安定したら」なんて言っていたら何時まで経ってもできない、と観念したせいもあり)追加した。昨年は苦しい財政事情を考慮して2000円にとどめたが、そこへ領収証と礼状(総長からとご本人からと計2通)と活動報告書が送られてくるので恐縮した、という事情もあって増額。寄付とあわせて寄せたメッセージは基金のページで閲覧できる(早野教授支援寄付以外の人の分も一緒)

なお、自分も一口乗ろうという方は注意書きを見てから申し込まれたい。

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2013/04/22

丸の内で零円札

先週の木曜日(18日)、「クラゲドリーム債」の購入に失敗したあとの悄然とした足取りで丸の内に向かった。そこにあるJPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテクが目的。前日のNHK「探検バクモン」で「博士の愛したコレクション」として紹介されていたのを見てそそられたから。

中央郵便局の跡地に建てられたJPタワーの2階にある博物館は11時開館。オアゾの丸善で時間を調整してから行くと、上りエスカレーター前になにやらすごい行列ができている。どうやら上階でなにやらイベントがあるらしい。誘導係の人に聞いて2階までは階段で。

館内は写真撮影禁止ということで写真はない。24日に探検バクモンの後編が放送される筈なので、それを見てほしい。あるいはNHKオンデマンドで。

東京大の保有する標本などが展示されていて、素人にも「おおっ」というものから専門家ならば垂涎なのだろうなというものまで多彩。ただ、説明がとても貧弱(そもそも説明プレートがないもの、離れたところにあるものに加え、説明プレートだけがあったりして、もう「前衛芸術かっ!」と言いたくなる)な上に、どうも新しい説明書きをわざと古びて見せかけている風があって鼻白む思い。そんなところよりも工夫すべきところがあるでしょうに。火星の表面写真を古びた額に入れて抽象絵画的に見せるのはまだ理解できるけれど。

新しい博物館なのだから、ニンテンドーDSガイドのようなものを導入すればよいのに、と思った。そもそも東大にはデジタルミュージアム構想があったはず。今ならiPad(やその他タブレット)とBluetooth(あるいはWiFiなど)で多彩な説明を提供できるはずだ。

という感じで、気落ちしていた上に歩いた疲労も重なって少し不機嫌になりつつ3階のギャラリー3を出ようとしたとき。紙幣の展示物の中に異様なものが。あ、これは赤瀬川原平の大日本零円札 ! まさかこんなところで再会できるとは。込み上げてくる笑いを抑えきれず、満面の笑みで会場を後にした。

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2012/11/30

彫塑「砲丸」の帰還

前のエントリーで、朝倉彫塑館の屋上にある彫塑「砲丸」は、建物が工事中にもかかわらず外から見えるようになっていることを紹介したが、調べてみるとこの秋まで撤去されていたことが分かった。

彫塑の名前を調べるために「朝倉彫塑館 屋上」で検索し、どうやらそれは「砲丸」らしいと分かったところで「朝倉文夫 砲丸」で検索しなおすと「工事進捗状況 平成24年7月から平成24年10月 - 台東区役所」というページが2番目に現れる。ところがこのページを見ようとすると、「■ページが見つかりません」となる。「平成22年12月6日にリニューアルしました。アドレス(URL)が変更されている場合があります。」とあるので、台東区のトップページへ戻りサイト内検索で「朝倉彫塑館」を探すと、またもや「■ページが見つかりません」となる。おかしいなと思いつつトップページの「文化・観光情報」から探そうとするが、分け入っても分け入っても...見つからない(後で逆引きしたところ「台東区立の文化施設・アートギャラリー」→「主な文化施設」→「朝倉彫塑館(休館中)」→「朝倉彫塑館ホームページ」と判明)

そういえば、朝倉彫塑館のホームページに「保存修復工事の状況について」という項目があったな、と思い出し、覗いてみるとありました「工事進捗状況 平成24年7月から平成24年10月」。「朝倉文夫氏が暮らしていた当時のように豚面の彫塑から上水を出すことができるかどうか」「損傷を防ぐために布でしっかりと包み、 重量400kgの「砲丸」をタワークレーンで吊り上げて屋上まで運びました。」というスニペットにあった文章もちゃんとある。(2つのURIを比較したところ、googleの検索結果が
http://www.city.taito.lg.jp/index/bunka_kanko/bunkashisetsu/
asakurachosokan_koji/asakura2012_7-10.htmlなのに対して実際のページは
http://www.city.taito.lg.jp/index/bunka_kanko/bunkashisetsu/
oshirase/asakurachosokan_koji/asakura2012_7-10.htmlで、10月以降にディレクトリ構造を変更したことが原因と分かる。)

彫塑「砲丸」をアトリエ棟屋上に戻す様子の組み写真

やっと本題。そこの記述によれば10月のはじめにアトリエ棟屋上に戻す作業が行われたとのこと。重量400kgということはブロンズか。クレーンで釣り上げた様子がまるで空を飛んでいるよう(3枚目の写真)。布の白と雲の白をうまくずらし、青空に浮く青銅色を際立たせて撮るとは見事。設置後の写真は、工事が終わり「足場が解体されてしまうと、この角度から彫塑を眺めることは出来なくなってしまうので、非常に貴重な写真です。」とのこと。

サイトリニューアルの際に埋もれてしまわないことを祈る。

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2012/11/29

朝倉彫塑館は改修中

母方の菩提寺が谷中にある。先日、少し早い祖母の三回忌を済ませてきた。

工事幕で覆われた朝倉彫塑館

日暮里から寺に向かう途中には朝倉彫塑館がある。何度も前を通っているのに入ったことはない。そして現在は耐震補強と保存修復工事のため休館中。再開予定は2013年の春らしい。

「砲丸」像のところは幕がなく、彫刻が道から見えるようになっている。

建物は工事幕で覆われているが、有名な「砲丸」は見られるようになっていた。(このエントリーを書くために調べるまで「砲丸」というタイトルとは知らなかった。親には「屋上から覗いている人がいるよ」と教えられ、そのころ読んでいた江戸川乱歩の怪人二十面相物と混同して、不気味な洋館というイメージが固着していた。)

春になったら訪れてみたい。

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2012/10/11

特別展「元素のふしぎ」を楽しむ

国立科学博物館で開かれていた特別展「元素のふしぎ」に行ってきた。

この夏に旧・生花若手の会関東支部年長組の暑気払いで元若手が集った際、北海道から帰省していた福井元支部長が家族を連れて見に行ったという話を聞いてそそられはしたものの、手元不如意ということもあって諦めていた。

それが閉幕直前になって、結晶美術館を主宰する山猫だぶさんが入場券付きで鑑賞ツアーを開催するというのをツイッターで知り、急遽参加することにした。

集合場所のクジラ前に集まったのは、主催者(研究員)、その夫人、化学系院生、中学教師、ウェブデザイナー、阿久悠botの中の人そして失業者。招待券に加え特製クリアファイル特製ポストカードセットまでいただいて、いざ出発。

閉幕直前なので混雑を心配したけれど、午前中ということもあってかさほど混んではおらず、比較的ゆったりと見ることができた。観覧ツアーと言っても、旗について歩くわけではなく、自由に観覧し、ときどき説明を聞くという形式。

こういう展示はある程度知識がつくと、単純に驚嘆してばかりもいられない。入場してすぐに「尾形光琳も元素のおかげで絵を描けた」と「紅白梅図屏風」の川の部分に銀箔が使われたという説明。「あれ? これはNHKが取り上げた、X線分析で箔ではないと分かったものでは?」と疑問がわく(これは二重の勘違いで、問題となったのは金地の部分であり、この展示の中盤で「長らく議論となってきた下地は金粉ではなく金箔を押したものであることも判明した」と説明されていた。)。疑問を覚えたらすかさず写真で記録(館内はストロボを使わなければ撮影自由。ただしなぜかビデオは不可と。)

周期表の前では、「原子番号の順に並べたっていうけど、その原子番号はどうやって決めたの」と同行者にふっかける(原子番号はモーズリーが特性X線の波長から求めたもので、そういう話は立ち話では無理)

原子核と原子の比率がせいぜい1:30の原子模式図

原子の模式図の前でもツアーコンダクターを差し置いて、「原子核の大きさは原子の1/10,000以下なのだから、この図はおかしい」と一席。

Imgp4986

しかし電子雲のガラス模型の前では素直に驚嘆。原子の構造と太陽系構造が相似とか何とか聞いた風なことを言う奴は、なんて悪態は仕舞っておく。

ガラスアンプルの中で鉱油に浮く金属リチウム塊
「元素のふしぎ」展の特徴の一つは現物展示。これはツアーコンダクターに言われて気づいたのだが、金属リチウムは比重が0.534なので、保存用の鉱油中で浮いている!(これじゃ鉱油に浸す意味が無い。)

黄リンと白リンを別のものとした説明
ついに見つけました。リンの説明。「黄リンは空気中で自然発光し、白リンは湿った空気中で発光する。」 えーっと、まず黄リンとは白リンの表面に赤リンの膜ができたもので、実質的には白リン。そして白リンの発光に湿気は関係しない。この説明は明らかに変。

金属カリウムの前では「やさしお®なんかよりもβ線は強いだろう」としたり顔。

セレンの整流器
セレンの整流器を見て「セレンの洗面器」という空耳を思い出す。

柄が可愛らしいセラミック包丁
ジルコニウムの用途としてセラミック包丁が展示されていた。「これなら金属探知機に見つけられずに旅客機内に持ち込めますね」「でも、こんなピンクの包丁ではハイジャックしても様になりませんね」とおばかな会話。

前述したように現物展示が特徴の一つ。重さに驚かせる金のインゴットとか、やや玄人受けするような巨大石英ルツボ(シリコン精製用)の陰で無色のガスはひっそりと。しかしクリアファイルではガラス容器に入って写っていたフッ素ガスは現品展示なし。理由を聞くと、乾燥フッ素でもガラスは徐々に腐食されて長期保存はできないからだと。前述福井元支部長のお嬢さんは(「好きな元素アンケート」があったので)「好きな元素はフッ素」と言っていた。理由は自分のイニシャルがFだからと。「名前のイニシャルSは」と聞くと「匂いが変だからいや」と。思わず「君はフッ素の匂いを知っているのかね」と突っ込んでしまった(大人げない)。現物が展示されていないと知っていたら、もう少し説得力のある説明ができたかも。

主な用途として「用途はない」
第七周期元素になるとさすがに現物展示はほとんどない。わずかにウランガラスの製品があるのみ。気に入ったのはフランシウム(87Fr)の用途。「用途はない。」

主な用途の説明として「研究上の興味だけで、用途はない。」
これがアクチノイド以降になるとダメ押しで「研究上の興味だけで、用途はない。」www (アメリシウムあたりだと煙探知機に使わていることがあったりする。)

しかしこれらの元素を合成するには、運転時には「都市一つ分」の電力を消費する加速器をがんがん動かすわけで、「それって何の意味があるの?」という疑問をもつ人もいた模様。無理に「なんの役に立つ?」と問い詰めると苦し紛れに「高レベル放射性廃棄物の放射能を短期間に弱めることができるようになる(かもしれません)」とか言い出して変な期待を持たれても困るので「22世紀のためのもの」くらいが良いのではなかろうか。しかし、私の知識は103のローレンシウムで止まっていたことを再確認。104は暫定クルチャトビウム(正確には覚えていなかった)だもんね。

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2012/09/30

十一代目 桂文治襲名披露興行に行く

桂文治襲名披露興行が新宿・末広亭で始まっている。気がつけば最終日は30日(そのあと、浅草演芸ホール、池袋演芸場、国立演芸場と続く)。27日には札止め(満員)になったと聞き、土日の混雑を考えると今日しかない、と28日に行ってきた。平日に行けるのは失業者の数少ない特権。

先月のお練りの際にいただいた割引券を使って節約。1枚で3人まで割引価格だけど、平日だし急に思い立ったこともあって単独使用。いや、友達がいないわけではないのだが。

用心して早めに行ったため、まだ昼の部の途中だった(昼夜入替なし)。桂幸丸の落語の次は桧山うめ吉の俗曲。かわいい声でとぼけたこと(一部、歌詞の意味が分からないまま唄うところがありますが皆様もお分かりにならないでしょうから気にしないで)を言っていたが、あとで調べたら結構なキャリアの持ち主らしい。昼の部最後は三遊亭遊吉の「源平盛衰記」。これは偶然か。私が最初に桂平治(現 文治)の落語を聴いたのが、「親子酒」とこの「源平盛衰記」。なにわ亭落語会という私設寄席での時間をたっぷりとった大熱演で、すっかり魅了された。その後、独演会「十代目桂文治十八番」でこれを演じ、平成21年度(第64回)文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞を受賞された。そして凱旋公演?で再び演じていただいたのが2010年2月。闘病中の席亭にとって最後の落語会になった思い出の噺。


昼の部が終わっても立つ人は少ない。夜の部は、桂宮治の落語、鏡味味千代の太神楽、桂右團治の落語、瀧川鯉朝の落語。その次はプログラムではぴろきのギタレレ漫談となっていたがコントD51のコントで、続いて三遊亭笑遊の落語、柳家蝠丸の落語、北見伸とスティファニーニよる奇術、桂米助の落語、三遊亭小遊三の落語と来て、中入りを挟んで口上。

舞台奥に張られた幕も取り替えられて三枚目。司会進行は柳家蝠丸。下手から桂米助、笑福亭福笑、桂文治、三遊亭小遊三、桂歌丸と並ぶ。先日、「笑点」でも口上は放送されていたが、直に見る方が面白い(古典芸能にライブという言葉は似合わない)。先代文治と笑福亭福笑の因縁話が披露されたり、突っ込み待ちで話を大きくしたりと、もうそれ自体がひとつの演芸。その間、文治はずっと黙ったままニコニコと。まさに「漫画に描かれたお日様」(歌丸)のような笑顔。この口上は一見の価値がある。

江戸家まねき猫の物まねで秋を感じてから歌丸と福笑の落語(「紙入れ」「宿屋ばばぁ」)で笑い、ボンボンブラザーズの客を巻き込んだ曲芸にハラハラするといよいよ文治登場。お練りの際にも感じたけれど、この人の声はほんとうによく通り、細かいところまで聞き取りやすい。そして尻餅をたっぷりと魅せてくださった。

手元にはまだ3館共通入場券が1枚あるので、また行こうと思う。

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2012/09/05

反原発の知人への返信

1日に「放射線情報を正しく理解するための基礎講座」を聞いた後で、知人からのメールに次のような返信をした。

反原発派の端くれとして微妙なのですが、つまり「今回の事故は当初悲観したほどひどくはなかった」ということなのですね。いまでも避難を強いられている方々には申し訳ないけれど、広瀬隆が昔『東京に原発を』で書いた、人がばたばた倒れるの目の当たりにして「大変なことが起きた」と慄くような事態ではなかった。
以前、映画「アレクセイと泉」を観た時は、政府の避難勧告を無視して汚染された村に住み続ける住民を「無謀な」と思ったものだ。泉だけは汚染されていないと言っても「百年前の水が湧き出る」なんてのは事実の裏付けがない伝承であって、翌年から汚染水が湧き出すかもしれないじゃないかと憤ったりもした。原爆の図 丸木美術館の展示にも、汚染された村での生活を選択する住民を描いた作品群があり、たしかに天秤の一方には〈故郷を喪うことによる精神的打撃〉があると理解したものの、もう一方に載る〈放射能の危険〉を重視していたので、腑に落ちない思いをしたことを記憶している。

多くの人がそうであろうが、私の放射能への恐怖感は広島・長崎に代表される核攻撃の事例で形成されている。ところが瞬時にエネルギー(放射線)を放出し放射性物質を広範囲にばらまく核兵器と、じわじわ反応型の原子力発電所とでは様相が異なる。これについては以前の記事に書いた。

といっても、原発事故は恐くはない、と楽観しているわけではない。


これはいろいろな幸運が重なった結果であって、〈次回〉もそんな僥倖に恵まれる保証はないわけですが。

言霊の幸わう国で「次回」などと口に出したら非難轟々だろう。だが、世界はもちろん日本に限っても脱原発には悲観的なので、次の事故はいずれ起きる。それが10年後か50年後かは分からないが。

そしてその時には緊急停止に成功しないかもしれない。複数の原発が連鎖的に制御不能に陥るかもしれない。風が大量の放射能雲を大都会へ運んでくるかもしれない。水源地帯が汚染されるかもしれない。収穫直前の作物が高濃度の90Srで汚染されるかもしれない(ストロンチウム90の検出には2週間かかる)。...

しかし、今回は緊急停止に成功し、事故を起こしたのは東京電力1F(福島第一原子力発電所)に限られ、風は放射能雲の多くを海へと運び、多くの農地は作付け準備中であり、そして陸地の90Sr汚染は少なかった。住民の被曝線量は低く、毛が抜けて吐いて死ぬようなことが起きないのはもちろん、白内障でさえ起きそうにない。なによりも汚染源である1Fで多くの作業員が働いている。彼らが将来がんに罹って死ぬ可能性はいくばくか高くなってはいるけれども。

で、本来なら「ああ、良かった」と安堵すべき(繰り返しますが、これは遠隔地の勝手な安堵)ところ、なぜか健康被害が出ないと納得しない人達が蠢き始めた。福島県からの避難援助くらいなら構わないけれど、避難しない人を攻撃する、東京も危ないと煽る、瓦礫処理を妨害する...とどんどん素っ頓狂で有害な行動が目立ちだした。

懲りていないように見える原発業界の監視も必要なのに、とんだ二重対峙です。共産党を警戒していたら、反共が看板のヒトラーとかムッソリーニとかの変な連中が台頭してきたみたいな。


「反原発をファシスト呼ばわりした」と誤読して非難されるかもしれないが、文章をちゃんと読めば分かるように反原発勢力がファッショであるとは書いていない。書いてはいないが、「ヒトラーと対抗するために手を結んだら相手がスターリンだった」という比喩にしなかった理由はご賢察の通り。

あと、このメールの相手のような年齢の方に「二重対峙」なんて用語を持ち出すとピクッとされるかと心配したが、今のところ看過されている。

特に小さい子を抱えた母親たちの怯え方は想像以上で、東京から沖縄に避難する、沖縄で青森からの雪の搬入に反対する、親の情緒不安定は子供に悪影響必至で、ちょっと座視できない。(中略)「放射能を帯びた土埃を吸い込んだって、痰や鼻クソで出ていくでしょ」と説明したらとても晴れやかな顔をしていたのが印象的。理屈で判断する手がかりを得たら、不安に振り回されずに済むようになった。セシウムが検出された食品の話でも、「干し椎茸を1kgも一度には食べない」と気づくと、実際の被曝量を考えることができる。

あと気づいたのは、意外なほど「量の概念」が共有されていないこと。きくまこさんの「5時間講義」では冒頭延々と指数とSI接頭辞が解説されるのはそのせい。


「5時間講義」については、翌2日に荻窪で開かれIWJが中継したものよりも以前に録画したもの推奨されている。

ベクレル(Bq/kg)とミリシーベルト(mSv/y)は似たような桁(1以上100以下)で出てくるので等価に感じている人が多いみたいだが、セシウム137(137Cs)を10,000Bqを経口摂取しても(預託)実効線量は0.13mSvにしかならない。外部被曝の場合は1mの距離に100万Bqの137Csがあっても、1日に0.0019mSvしか被曝しない(原子力資料情報室の説明)。これは年間でも0.7mSvに満たない線量で、避けるべき無駄な被曝の基準1mSv/yを下回っている。それなのにエアコンの埃から7万ベクレル!と大騒ぎする人がいる。100万Bqでも0.7mSv/yなのだよ。その1/10以下(実際には134Csも検出され、これは137CSよりも強い比放射能を持つけれどここでの結果には影響しない)。しかも7万Bqがそこにあったのではなくて、7万Bq/kgのセシウム(134+137)。エアコンのフィルターに埃を1kgもためたら、放射能は関係なくそっちの方が問題(フィルターごと測定と訳のわからないことが書いてある)。実際の埃の量はせいぜい数グラムであろう。なら放射性セシウムの絶対量は? 計算するのもバカらしい。

こうして放射線による被害がなさそうだと知られてくると、今度は化学毒性を持ち出してくる。前の記事にも書いたように、量的にお話にならない。化学毒性が問題になるほど放射性セシウムを摂取したら、その前に放射線障害で死んでいる。

メールをくれた知人からは、旧知の反原発仲間との討論会を提起された。「ぼくらが、きちんと討論できないようだったら、日本全体での総意形成など不可能と考えます。」

うーん、重たい。

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2012/08/14

感動の一枚が怪写真に化けるまで

ロンドンオリンピックのサッカー3位決定戦。負けてがっかりなところへ来て、浮かれた韓国選手が「独島は我が領土」なんてデモンストレーションしたものだから、頭に血がのぼった日本人は多かったようだ。

そこへ春・夏・秋・冬というブログに載った試合終了後に清掃する日本人応援団という写真が出回り始めた。Facebookを始めあちこちに紹介され、サッカーにあまり関心のない私のところにまでツイッターで伝わってきた。

しかし、日本人サポーターは日本での試合終了後と同じように、自分達の応援席を中心にしたスペースのゴミ拾いをして清掃している姿が外国人記者の目に止まり、その姿を写真に収められた。
ややもすれば、負けたことの腹いせにイスを壊したりモノを投げたりの暴挙に出るやもしないのに、冷静に清掃する・・・誇らしい姿じゃないか。

ふーん、と思いながら読んでいたが「外国人記者の目に止まり、その姿を写真に収められた」というところで引っかかった。つまり外国の(?)雑誌あるいは新聞に載った写真らしいのに、出所がどこにも書いてない。屈んでいる二人は大きな日章旗らしいものを羽織っているので、オリンピック会場というのはそうだろうけれど、本当にサッカー日韓戦後のスタジアムで撮った写真ですか?と問われると確答しかねる。

そこで、とりあえずブログのツイートボタンからは出所不明の写真であると指摘してから、出所を確認すべくgoogle画像検索にかけてみた。ところがヒットするのは日本語のページばかり(検索に言語指定はかけていない)。日付指定をして絞りこむと、どうやら初出は前記ブログ。変ではないか。

ネットには嘘がいっぱい


ツイッターというのはほんとうに嘘が沢山流れてくる。割合で見れば少ないのかもしれないが、とにかく総ツイートが膨大なので、結構な数の嘘が目に付く(情報の真贋を見極められない人ばかりフォローしてる、ということはない)。特に目を引く写真は要注意で、もっともらしい説明が付いていても、実は無関係な写真に適当なお話を付け加えただけというシロモノが結構多い(黒猫先生も具体的に注意している)。それが「シャレである」という認識が共有されているなら、やれ出所がどうのこうのというのは野暮であるけれど、糸柳事件を持ち出すまでもなく、〈お約束の冗談〉がいつの間にか〈本当の話〉として広がることは起こりうるし、担ぐ気まんまんで流されたらたまったものではない。

騙されているにもかかわらず、嘘を信じて、その筋の専門家に喧嘩を売っている痛々しい素人もそう珍しくはない。

オリンピックでは、石原慎太郎都知事が「銅メダルなんて誰でも取れる、金を取らなきゃメダルじゃない。金を取らないと日本に帰ってこられないようなもっと重たいものを課せばいい」とTVで発言したという8月6日付のツイートもあった(14日現在11,232RT)が、調べてみるとこれは2010年の冬季オリンピックの時の発言。ほんっとウカウカしていると騙される。

ホームページの時代から怪情報はあったけれど、掲示板、ブログ、ツイッターと手軽になるに従って、騙された人間が拡大再生産して爆発的に広がるようになってしまった。

この写真は本物か


で、冒頭の写真に戻る。少なくとも外国の新聞雑誌には載っていない写真らしい。もっとも撮影した外国人記者から直接もらい、記者の記事は没になった(あるいは紙誌面だけでネット版不掲載)という可能性も残るから、間接的に韓国の悪口を言うために「日本って素晴らしい」を捏造したと断定することはできない。しかしまぁ、なんか怪しい写真であることには違いない。そこで調査結果をツイート(このツイートに書いたURIは現在無効)して、美談を鵜呑みにはしてないよ、をアピール。

1日経って、今度は顔本でもこの写真を目にした。「みんなイイ話と思ってるみたいだけど、なんか怪しいよ」とコメントすべく、念のため再度画像検索をかけた。すると12日にこの写真を付してツイートしている人を発見。たしかにロンドンオリンピック男子サッカー三位決定戦後の写真と書いてある。しかしツイートに表示された現在地はパリ。(?_?)

この写真は本物だ


この人はTwilogに登録していなかったが、幸い直近200ツイートの中に残っていた。前後のツイートを読むと、オリンピック観戦後ユーロスターでパリに出てきて、ドゴール空港から帰国するらしい。矛盾するようなツイートは見当たらないので、あの写真はこの人が撮ったと判断。

そうするとおせっかいの虫が動き出し、御注進に及ぶべく、まず証拠固め。ひょっとしてもう気付かれているかもと思い、さらにツイートを追ってみると13日にこの写真を撮ったのは僕ですと。

そして件のブログ主も「伝聞をそのまま鵜呑みにしてしまいました。早速(本日14日午前中には)訂正して撮影者様のことも記載訂正いたします。」と詫びをいれている(14日8時)。え?と思ってエントリーを見直すと、末尾に追記がしてあった。こういう場合は「清掃している姿が外国人記者の目に止まり、その姿を(追記参照)写真に収められた。」のようにすべきだと思う。

引用では出所を明示する


間違いを書いたブログ主が最初にどこでこの写真を見たのかは不明だが、自分のブログで紹介するときに、引用のルールに従って出所を明示していれば(しようと努力していれば)、こういう間違いはしないで済んだろう。コメント欄でも転載元を明記した方が良いと注意されているのに、「ご指摘ありがとうございます。今後の参考にさせていただきます。」と他人事のよう(13日20時半)。その12時間後には冷や汗を流すことになる。

今回は撮影者の了解を得られたから良いものの、出所を示さず、あまつさえ間違えた説明(外国人記者が撮影)を付して掲載した行為は著作権法違反(十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金)に問われる行為だ。注意したい。

なお、引用絡みで言えば、韓国選手がかかげたボードに「竹島は我が領土」などと書いてあるわけがない。元が韓国語なので翻訳の問題もあるけれど、たとえるならば無実を訴える死刑囚が「不当判決の撤回を」と書いているのを「確定判決の撤回を」と書き直すようなもので、間違ってはいないけれど、それをやったら検察に肩入れしてると見られるだろう。おそらくブログ主は「竹島は日本固有領土に決まっている」と思っていて、ためらうことなく「竹島」と〈翻訳〉してしまったのであろうが。

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2012/03/30

「勘助のかなしみ」

26日に朝日新聞紙夕刊2面のコラム「窓 論説委員室から」に書かれた「勘助のかなしみ」という一文を読み、ほとんど泣きそうになってしまった。

NHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」のエピソードをこう取り上げる(有料だが朝日新聞デジタルで読める模様)。

勘助はひどいめにあわされた、あの子はやられて、ああなってしまったと思ってた。けど違った−−と。
「あの子は、やったんやな。あの子が、やったんや」
(原文では  部は傍点)

兵役から帰ってきた息子(後に再出征して戦死)が魂が抜けたようになっていた理由を、四半世紀後に母は突然さとる。

だが、慰めようにも息子は既に戦死している。代わりに詫びようにも誰も糾弾してくれない。文句を言おうにも誰を責めたら良いのだろうか? 気がついても何もできない。これは実に恐ろしいことだ。

余談になるが、この「あの子は」から「あの子が」の変化も胸に迫るものがある。


コラムは続けて戯曲「こんにちは、母さん」(永井愛)から、戦地から戻ったが戦争の話は一切しない夫の胸の内に妻が気づく場面が紹介される。

「ああ、この人は、実際に人を殺したんだ。しかも、子供を、子供を殺したことがある...」

愛する夫が加害者だったという暗転。苦しい経験を語らないのは自分が信頼されていないからか。目の前の夫は生きているけれど、死者よりも遠い... この妻の苦しみは誰が受け止めてくるのだろうか。

この戯曲は後にTVドラマ化されたようだが、番組紹介を見ても、それらしい様子は見られない。ただ、サイトに紹介のない第四回について、「鳥肌が立った」と感想を載せているブログがあるので、「延々と続くダイアローグ」の中に出るのでしょう。

どちらもファンクションフィクションではある。そこを衝いて「事実ではない」に持って行こうとする人がいるのではないかと気になって調べてみたが、幸いにもそういうエントリーは見当たらず、逆に共感する日記を発見して安堵した。

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2011/08/10

ひろしま忌2011

また8月6日がやってきた。原爆の図丸木美術館が存続の危機といわれた2005年に友の会に入会して以来、開館記念日ひろしま忌には努めて訪問するようにしている。

しかし今回はいつになく気が重かった。今年の開館記念日に既にうっすらと感じていた反核運動へのもやもやが、より明瞭になる予感があったから。

もっとも丸木美術館は反原爆の老舗ではあるが、埼玉の奥地までいかがわしいにわか反原発がわざわざ来ることはそう多くはあるまいという期待もあった。(それだけの行動力があれば信頼できるという見方もあるけれど、行動力抜群が仇になっている勘違い正義漢というのも実在するのだ。)

かき氷屋のテント

結論から言うと、例年よりやや賑やかになった感じはあるものの、いつもどおりの老人集会(失礼!)で安堵した。とはいえ若いボランティは以前から居たはずだが、今回はずいぶんと目についた。そして、燈籠の並べ方一つにしても統率が取れていないというか指揮系統の不在を感じさせられたけれど、小規模な美術館行事運営であるうちは大きな問題にはなるまい。揃いのシャツに号令一下のキビキビとした行動というのは、頼もしさもある反面ある種の危うさを感じさせる。

広島忌の集いでは、その学生ボランティアの一人が発言をした(主催者曰く「年寄りばかりという批判があったから」)。ツイッターにも紹介したが、彼女は要旨次のような話をした。

自分は貧乏学生なので、服とか欲しい物があってもすぐに買うことはできない。
そこで買いたいものがあると、封筒にその名を書き、日々100円200円とミニ貯金をして購入資金にしている。
お金が欲しいからと言って犯罪に走るようなことはしない。(ほとんどの若者も同じだ)
しかるに分別あるはずの大人が「電気が足りないから原発は必要」とはなんたることか。

生活感の裏付けがある意見には説得力を感じる。このリアリティの前には「在宅で人工呼吸器を使っている人は」とか「クーラーを控えて熱中症に」とかは影が薄い。なんといっても無い袖は振れないのだ。どうしても振りたいから振袖姿の娘さんを襲撃する、というのは人の道に反している。

犯罪に手を染めないにしても、ヤミ金融から高利で借金をすれば待っているのは破滅。原発というのは高レベル放射性廃棄物という金利を抱えた闇金のようなもの。金利のややましな合法消費者金融が、借り手が破綻しないように年収の1/3以上の累積貸付をしなくなったのに「だってお金は必要」「面倒な手続きなしですぐにお金を渡してくれる」ってな理屈で闇金に手を出すと痛い目にあう。(深刻な事態になる前に当座は状況が好転したように見えるのも怖いところ。)

とはいえ、私は脱原発についてはやや悲観的。「原爆も原発も同じ」には、スローガンとしてはともかく、無理なものを感じる。戦争における毒ガス使用の禁止は国際的な合意に至ったけれど、毒ガス研究から派生した有機リン剤の廃絶は難しい。おお、反原発の人は反農薬の闘士でもあることが多いな。これは火に油を注いだか。

それなら核戦争の準備として始まったインターネットはどうか? モルヒネは根絶されるべき悪魔の薬なのか? ロンドンを空襲したV2の末裔たるロケット開発は止めるべきか? 航空機の発達も軍事と密接不可分だが、これも悪魔の技術なのか? この季節、お世話になることの多い虫除け(ディート)は戦争の副産物だが何か?

昔、原子核と細胞核にかけて、「核兵器も遺伝子操作も、核に手をつけるのはイクナイ」ととくとくと語った人がいるが、即座に「伝統的育種も細胞核に手が加わっている」と突っ込みを受けていた(そもそも合法夫婦の間で行われる受精自体がヒトの生殖細胞に対する遺伝子注入に他ならないではないか!)。比喩は気がきいていればいるほど、ずっこけた時のみっともなさは大きい。

(放っておけば自然に起きることもあるウランの核分裂連鎖反応に比べ、原子核に別の原子核をぶつけて新しい原子を作る加速器のほうがよほど自然の摂理に反しているが、これに対しての批判は寡聞にして知らない。)

原爆被害を受けた日本だからこそ、原発に希望を見たというのは、理屈としても感情としても筋が通っているように思う。弟を死なせたニトログリセリンを安全なダイナマイトとして制御することに成功したノーベルのように。(それが戦争目的で使われたことに悩んでノーベル賞を、とはよく聞く話だが、ニトログリセリンって爆弾として使われるもの?と思って調べたら使われたらしい。)

中庭に並べられた灯篭
てなことを考えていると大変居心地が悪いのだが、幸いなことに集いは早々と終わり灯篭流しへ。

水面にアプローチできる手前の水路は流れがほとんどない
都幾川は今年も灯篭流しに冷淡。本流は雨の影響で深くて流れが早いのに、前日にボランティアが草を刈って作った場所は水位が下がってほとんど流れがなかった。

流れに浮かべられた灯篭

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2011/07/28

フルートは木管楽器ですが

ひょんなことから日本クラシック音楽コンクールの関東地区予選を見(聴き)に行った。

ところが主催者のウェブには開催日と会場の情報しかない。そこで会場のウェブを見ると、なんとコンクールについての情報は全くない。わずかに催物カレンダーに「利用有」とあるだけ。いやなことに進入禁止のようなマーク赤い円に右上から左下へ赤い斜線の記号が付いている。ソースを見るとsold.gif。

そんなこんなで当日を迎えてしまった。それまでに入場は無料らしいこと、来場者はほとんど参加者の関係者、会場には受付もなくて出入り自由らしい、といったことの調べは付いていたが、いかんせん何時から始まるのかが分からない。そこで主催者に電話をしてみたが、誰も出ない。会場となるホールに電話をしてやっと13時からと判明した。(電話をするならもっと早くに!)

コンクール自体についても何も知らなかったので少々調べてみると、「難易度の高い曲を選び、短い時間でピーアールしなくてはならないコンクール」(PRではなくてアピールではないか?)、「デュティユーのソナタなんかをどうだまいったかとばかりに弾く人が多数いらっしゃいます。無調の現代曲を弾くとやっぱり評価が出やすくなりますから。」(Yahoo!知恵袋)とのこと。

というわけでドキドキしながら会場へ向かう。日暮里駅からすっかり立派になった京成線に乗って青砥駅で下車。乗ったのは成田空港行きだが、降車ホームと出口との間にはもう一本ホームがあって、そこは羽田空港行き電車が来るという。間違える人はいるんじゃないかな(羽田空港駅の電車案内も相当シュールらしいが)。

かつしかシンフォニーヒルズ

会場に着く。予想通りなんの案内表示もない。ホール前ロビーにはいかにも出場者という一組。普通なら受付となる辺りに進行表が貼ってあった。ホールに入ってみると、用意はできているが誰もいない。これはなかなか見ることのできない光景。ビビって一度は出てしまったが、ロビーには出場者や関係者が増えてきたので入り直し、こんなこともあろうかと持参した新書を読むことにした。
部門・部・参加番号・開始時刻・終了時刻の書かれた進行表

定刻になると館内放送があって、最初の参加者が3人組で登場(伴奏と譜めくり)。演奏するのはマリンバ。知らない曲なのでよくは分からないが、たぶん上手いのではないだろうか。終演後、率先して拍手をする人がいたので追随。むかし、ジェネセルワークショップに参加したところ、ある座長が演者への拍手を要請し、この習慣を学会発表にも広めたいと話していたのを思い出す。打楽器部門はこの一人で終了。伴奏のピアニストは知人の誰かに似ているような気がしたけれど思い出せない。

次がフルート部門。さらに細かく小学校高学年・中学・高校・大学・一般と部に分けられている。放送を聞くと男女も分けられているようだが、これは聞き違いかもしれない。声楽ならともかく、楽器を男女別にする意味が分からない。

最初は小学生だが、素人耳には「えっ」と思うほどそつがない。ただ、次の中学生もそうだったが、息継ぎの音が響く。そういえばカザルスホールであったアマチュア音楽フェスティバルでも、息継ぎ音の大きい人がいた。ゴールウェイならどうだろう。チェロ奏者のカザルスは演奏中に唸りだして、録音にもはっきり残っているけど、これはまぁ別の話。

可愛いお嬢さんがハァハァ喘ぐのを見るのは、などとアホなことを考えているうちにどんどん進行。知らない曲ばかりで、たまにモーツァルトが出てくるとほっとする。Yahoo!知恵袋で例に出されていたデュティユーのソナタも演奏された。バルトークを連想させるなかなか趣きのある曲。この機会がなければ一生聴くことはなかっただろうと思う。ありがたやありがたや。

ところでフルートという楽器、今は金属製だけれど、もとは木製で、それで木管楽器に分類されている。ところがフルート部門の次は木管楽器部門だという。どういうことだ? あらためてこのコンクールの部門分類を見ると、ピアノ、ヴァイオリン、弦楽器、フルート、木管楽器、金管楽器、声楽、打楽器となっている。なるほどヴァイオリンが弦楽器から分離されているように、フルートも木管と分けているようだ。たぶんどちらも奏者が多くて、一緒にやるとその他の弦楽器(チェロ、ビオラ、コントラバス、ギター、アルペジオーネ?)や木管楽器(クラリネット、オーボエなど)が割を食うのかな。この予選会でもフルート9人に対して、その他木管は総勢で5人だった。これも会場に行かなければ気付かなかったであろう。

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2011/06/15

放射能の呪い

611ガイガーカウンターミーティングについて書こうとすると、どうも私は「分からないことに大騒ぎしてもしょうがないでしょ」的になってしまう。そこで、それはしばらく寝かせることにして、書きながら気がついた〈放射能の呪い〉について先に。

放射能の呪い〉とは、科学的な事実とは離れて、市民の間に定着してしまった放射能のイメージのこと。

放射能は魔法なのか


あまり詳しくはないけれど、映画を例に見てみよう。まずはアメリカ映画「放射能X」(1954)。これは核実験による放射線の影響で巨大化したアリが人間を襲うというパニック映画。巨大化したからってアリが人を襲うとは限らないんですけどね。それも放射能の影響?

続いて言わずと知れた「ゴジラ」(1954)およびそのシリーズ。これも核実験の影響を受けた生物が人間を襲うという設定。映画ごとに設定が異なるが、核実験による放射線の影響で巨大化し、かつ口から炎を吐くようになったという点は共通。口から出ている炎は放射線なのか放射性物質なのかはSFファンなら一度は論じたことがあるのでは? ちなみに当時は「放射能を吐く」と言われていたと記憶するが、activityを吐くというのは実に謎。もしかするとゴジラが吐いていたのはなのだろうか!? このように放射能は理屈の介入を許さない、摩訶不思議なマジックワードになっている。

わからない人のための解説:放射能とは放射線を出す性質のこと、放射線を出す物質(=放射能を持つ物質)が放射性物質、放射線とは放射性物質から出てくる電磁波や粒子線。この説明が円環を形成していることに気づいた人はえらい! 一般には放射能は放射線と放射性物質の両義で使われていた。しかし311東京電力原子力発電所事故以来、政府は放射能という言葉を使わず、正しく使い分けているようだ。

アメリカに戻って「戦慄!プルトニウム人間」(1957)およびその続編「巨人獣」(1958)。放射能Xやゴジラから一歩進み、〈放射能〉は人間に直接の悪さをするようになる。放射線を浴びた人間が巨大化して暴れだすのだ。

基本的なことだが、放射線を浴びて起きる突然変異は次世代以降にしか現れない。その点でもこれら〈巨大化〉はおかしい。

最後にちょっと変わったところで「美女と液体人間」(1958)。これは第五福竜丸事件をモチーフにしていると考えられるが、いま思うととんでもない差別映画。水爆実験で被曝した漁船員が、その影響で液体化し人間を襲うようになるという怪奇映画。最後は警察に追いつめられて皆殺しにされてしまう。漁船員は本来被害者であるのに、いつの間にか加害者、しかも化け物扱い。安部公房は、液体化させられてしまった漁船員の視点で作るべきだったと批判している(wikipediaにも「劇中に液体人間の視点からの描写はなく」とある)。それはともかくとして、この映画で放射能は怖いという思いを強くした人も多いのではないか。古い映画ではあるがテレビでも放映されていた。

以上4つはいずれも核実験による放射能汚染をモチーフにしている。核戦争に対する恐怖心を持たせたいという意図があったのかもしれない(たぶんそうだろう)が、正確さを犠牲にして恐怖ばかりを煽るこの手法が、結果として核に対する理解を妨げてしまったのではないだろうか? 

もちろん核兵器を〈強力な爆弾〉としか描かない脳天気な映画が溢れる中でよく頑張ったといえなくもないが。

最近はマジックワードの地位をDNAに奪われてしまったようだが、それでも新しいところでは、核兵器ではないけれどγ線(放射線の一種)によって人が怪物化してしまう「ハルク」(2003)がある。

映画ではないが、放射能が魔法と同等に扱われている例としてiMacやiBookにバンドルされていたゲームOtto Maticが挙げられる。このゲームには三角フラスコに入った緑色の液体を飲むと巨大化するという設定がある(レベル6)。解説を見るとDrink radioactive potions to grow to 50ft tall!(放射能を一服すると身長50フィート=約15mに巨大化)と。ちなみに巨大化するのは生物ではなくてロボット! 舞台設定が1957年なので取り入れたのかもしれないが...このおかしさは「南無阿弥陀仏を唱えると身体が大きくなって銃で撃たれても傷つかない」に等しい。

放射能の呪い


放射能の呪い〉、それは科学で扱うべきものが魔法の世界に送り込まれてしまった、つまり放射能にかけられた呪い。

そう考えると被曝者や被曝を疑われた東日本大震災避難民への不当な扱い、風評被害、奇想天外な様々な流言も理解できる。科学的につじつまの合わない行動をして平然としていられるのは科学の対象とは思っていないから。

この呪いを解くことはできるだろうか? 忌み嫌われた結核やハンセン病(これも相矛盾する〈遺伝と伝染〉が患者を差別するのに都合よく使い分けられていて、遺伝学や感染症学は出る幕がない...)への露骨な差別が影を潜めたのは、病気自体が制圧されて〈恐ろしさのリアリティ〉を失ったからだろう。残念ながら放射線障害はまだ出てもいない状態でこれだから、〈恐くない〉は無力だろう。

一所懸命に〈放射線ホルミシス仮説〉を強調している向きもあるが、パーティントン夫人のモップの観がある。セシウムなら◯◯温泉にある!と叫んだら、◯◯温泉に閑古鳥が鳴きかねない。(◯◯温泉は日本有数の名泉だが、影響が出ると悪いから敢えて名を伏す。なにしろ療養地として有名だったガラパリ(記事ではグアラパリ)も「フクシマより放射線量が多い」と報道されてから客足が遠のいてしまったそうだから。)

また強い放射線を不用意に浴びれば有害なのだから、〈恐くない〉は好ましくない。適切に用心し、かつ過剰には怖がらないバランスが要求される。

呪いは解けるか


いま恐れられているのは放射能ではなく、放射能に一見似てはいるが実は別物の〈呪われた放射能〉だというのが私の仮説。だから放射線についての知識を増しただけでは恐怖から解放されることはないのではないか。なにしろ現在の知識では〈よくは分からない〉ことも多々あるし。

知識の外部注入は説得であって、納得をもたらすとは限らない。

してみると、線量計を手にして継続してあちこちを測ってみるというのは、本当の放射能を理解する良い方法と言えるかもしれない。初めのうちこそ大騒ぎをするかもしれないが、何日か経てば落ち着くのではないか。危険を煽りたい人は〈正常性のバイアスだァ〉と言うかもしれないが。

「もし女子高生が線量計を手にしたら」はターゲットが異なりすぎるから、「ひとりでできるもん!(放射線測定編)」とか「はじめての線量測定」あるいは「できるかな(放射線測定編)」や「しまじろうと一緒に放射線測定」のようなビデオを作って、子供と一緒に見ていただくのが効果的か。最終的に無頓着なお父さんは子供からも叱られるわけだが。「お父さん、タバコからはα線が出てるよ!」とかね(子供がα線線源を検出できるようなら希望はある)。

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2011/06/13

錯覚美術館

先日のNIIオープンハウスで聞いた杉原厚吉教授講演「不可能立体と不可能モーション-錯覚から見えてくる「見る」ことの偉大さと危うさ-」で紹介された錯覚美術館へ、土曜日に外神田で開かれたガイガーカウンターミーティングに参加する前の時間を使って行ってきた。

外階段踊り場に出されている美術館の看板 on Twitpic

美術館と言ってもJST,CREST 「数学」領域、「計算錯覚学の構築」の成果を公表する明治大学の施設。運営費も研究費から出るため潤沢とは言えず、週に1日、土曜日だけの公開になっている。この5月にオープンしたばかりなので、googleストリートビューで建物を見ても気配すらない。

事前に杉原教授による見どころをチェックしていなかったため入り口ドアに仕掛けられたロゴなどは見落とした。

雨の日にもかかわらず、結構な入館者がいて、熱心に見ていた。断り書きは見当たらなかったけれど、確か撮影自由・触っても可というおおらかな方針(だったはず)。幸運にも杉原教授に解説をしていただいた。錯視を計算するというのが斬新。

たとえばツイッターで時折見かける、文字列による錯視。上の2行は右下がり、下の2行は右上がりに見える。もちろん実際には平行。

斜めに見える文字列

素人考えでは、〈十〉の横線は〈一〉の横線よりやや高く、また〈同〉の最上位横線は〈窓〉や〈会〉のそれよりもやや高いので、これらが右下がりの印象をもたらす。ところが錯視成分を計算により抽出し、元画像から消去すると同じ文字列にもかかわらず、今度は平行に見える。実に不思議。是非とも現物をご覧いただきたい(Zone F の文字列傾斜錯視)。

この錯視はデザイナー泣かせだそうだが、逆手にとって視覚効果に利用することもできるだろう。フォントを変えると効果がなくなることもあるらしい。

ハイブリッド画像(Zone C)も不思議だった。二つの画像を重ねあわせると別の画像になったり文字が浮き出てきたり。

女性の顔
猿の顔

2つを重ねる(途中)
文字が現れる:This is a secret message

いろいろな専門分野にかかわってくるけれども、そんなことは抜きにしても眼は案外アテにならないを実感するだけでも楽しめる。お薦めスポットの一つ。

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2011/05/07

開館44周年の丸木美術館

5日に44周年の開館記念日を迎えた原爆の図丸木美術館へ行ってきた。

長引く失業生活で手元不如意になってきたので、交通費を節約するため東武東上線高坂駅で降りて徒歩で向かった(平日であればここから市内循環バスで行ける)。google マップによれば6.1km、75分の行程である。

駅を出て線路沿いに進むとインド料理の店がある。いや、看板はインド料理なのだが、なぜかインドとネパールの国旗を掲げている(写真では分かりにくいが右側は特徴あるネパール国旗)。まぁ、日本人からすればインド料理もネパール料理も区別できないだろうし、善意に解釈すれば両方の美味しいところを!という趣旨なのだろうが... 夏にでも寄ってみるか。

田舎道をひたすらてくてくと歩く。途中、自転車に乗った中学生が追い抜きざまになにか声をかけてきた。一瞬のことで理解できなかったが、どうやら〈あいさつ運動〉かなにかのようだ。ちゃんと挨拶を返せなくて悪いことをした。

開館記念日の横断幕がかかげられた丸木美術館入り口 on Twitpic


約1時間で到着。まず友の会の更新手続。次に昼食を、といつもの出店を探すが、すでにカレーは売り切れであった。

行事はすべて新館ホール(《アウシュビッツの図》、《南京大虐殺の図》、《水俣の図》、 《水俣・原発・三里塚》を展示)でやるらしい。そういえば以前、外でやっていて雨に祟られたことがあった。

開館記念日の集いでは、「おきなわ島のこえ」英語版発行の報告があった。CD付きだという。趣旨からすれば電子出版が向いているけれど、やはり物がないと落ち着かないのかな。

「南京大虐殺の図」の前で講演する正木基さん


続いて目黒区美術館学芸員の正木基さんによる講演「『原爆を視る』展を考える」。この展示会が震災を理由に急遽中止されたことは記憶に新しい。ちなみに中止を決めたのは理事会で、理由は荒涼とした原子野の写真は津波被災地を連想させて云々だったらしい。つまり理事会は展示の内容を確認せずに、過去の原爆写真展のイメージで判断したらしいのだ。情けない。

講演を聞いた私の理解では、戦後の日本社会において原爆はどう扱われてきたか、とりわけ芸術分野に焦点を当てた企画。

そんな情けない理事連中は全員クビ、と思ったら、首のすげ替えがあったかどうかは分からないが、美術館自体が運営主体変更とかで、理事会は年度末で解散(?)だったらしい。そのため次年度以降の展示に対する決定権がなく、延期という形にできなかったのが中止の実態であったとか。したがって現理事である館長・副館長が展示実現に前向きなこともあり、内部では来年以降の開催を前提に作業をしているとのこと。

面白かったのは、出版業界の発想。日本の新聞はインテリが作って、ヤクザが売ると言われるが、その伝でいけば日本の出版社は作る方もヤクザ。永井隆の『長崎の鐘』がベストセラーになり、歌謡曲や映画にも取り上げられたのを見て、貸本漫画の出版社が作家に「原爆物を描け」。白羽の矢が当たったのが滝田ゆう。画風が合わないと思うのだが、で、書いたのが『ああ長崎の鐘が鳴る」。なんか非常にほのぼのとした作品だそうです。ちなみに当時はタイトルと表紙と内容が一致しないのは当たり前だったとか。

サブカルチャーで核兵器がどのように扱われてきたか、は興味深いテーマである。子供の時に読んだものの影響は強い。

(ちなみに私、つい最近まで広島に投下された原爆にはパラシュートがついていたと思っていた。後年になって、目撃されたのは気象観測用機器で、原爆自体にはパラシュートはついていなかったことが明らかになっている。言われてみれば原爆を直視していて無事でいるわけがないので、目撃証言は疑われてしかるべきだった。)

満員のホール

その後の小室等コンサートは、あまりに人が多かったので、始まる前に出てきてしまった。

同時開催の企画展「チェルノブイリから見えるもの」を一通り見る。広河隆一さんは、先日の「NHKオンデマンドが「チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 1-4」 を削除」という誤報問題を起こしている。その後、誤報と認めるブログでもNHKならやりかねない、うたがって当然と言わんばかりの調子に失望し、人物評価が急落していたので、写真も素直には見られない。そもそも写真というのはキャプション次第で意味が360°、おっと180°変わってしまうものなので、撮影者の証言、その信憑性はとても重要なのだ。よく確かめもせずにNHKガーと騒いだ人のことだから現地の人が退屈しのぎに面白おかしく誇張したホラ話も鵜呑みにしているのでは?という疑念が仄かに。あくまでも仄かに。証拠はない。

貝原浩のチェルノブイリスケッチは味わい深かった。しかし避難命令を無視して汚染地域に住み続ける人を称揚するような筆致はどうなのか。ご本人は既に他界されているので矛盾はないのだが、これらの作品が肯定する生き方は、子供に20ミリシーベルトを強要するなんて非道!という福島の小学校に対する問題意識と対立すると思うが、どうであろう。

そういえば以前観た『アレクセイと泉』という映画ももやもやを感じさせた。百年前の水が湧くという村の伝承がアテにならないのは富士の伏流水(300年かけて湧き出すと言われていたが実際には数十年)と同じではないか。また、油断して計測をやめた頃に汚染水が湧き出してこなければ良いのだが。

この違和感を交流パーティーでぶちまけるほどの度胸はないのが残念。

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2010/08/08

被爆65年 ひろしま忌

去年は拘束されていて参加できなかった「ひろしま忌」に2年ぶりに参加した。


交通費を節約するため高坂駅で下車。あらかじめGoogle mapsで調べておいた徒歩1時間15分コースを歩き出す。と、東松山クリーンセンター一般廃棄物最終処分場の前で西から来た自転車のおじさんに丸木美術館の場所を尋ねられる。逆方向に進んでますね。手にした地図を見せ、大まかな説明をする。ただしGoogleの示すルートは最短距離なので後半はかなりマニアック。おとなしく県道344号を辿った方が安全。どこまで理解されたか分からないが漕ぎだして行った。(後刻、美術館で声をかけられた)

それにしても日差しが強い。帽子を忘れたのは失敗。道中ほとんど日陰がなかったため両腕が赤く日焼けしてしまった。

途中で迷ったかと思ったが、マニアックなルートを(ほぼ)正しくトレースして美術館に到着。丸木美術館の第一の欠点は交通の便であるが、つきのわ駅からなら2.5km、約30分で着く(もっともポピュラーな森林公園駅からだと徒歩約50分、タクシーで12分)。

ピースアクションの報告をする増山麗奈まずは「友の会」のテントで更新手続き。次に隣のテントで水分補給のためラムネを購入。「茶ラムネ」という不気味なものがあるのかと思ったら「茶・ラムネ 100円」だった。

庭にしつらえた会場ではすでに桃色ゲリラ、増山麗奈のNPT再検討会議に対するピースアクションの報告が始まっていた。なんともとりとめのない話に聞こえたが、芸術家だしゲリラだから許す。丸木美術館に冷房を入れよう、と過去の経緯を無視できるのも大胆で素敵。暑さの中で働く職員らも大変だが、連日35℃を超す状況では作品への影響も心配される。実際、温湿度のせいかは分からないが「水俣・原発・三里塚」では絵の具の剥がれが見られた。作品の劣化は心配。

「水俣・原発・三里塚」の中央に描かれた冷却塔の絵の具がひび割れ、剥がれかけている


美術館自体も築40年を越えて改修が必要な時期に来ているというので、大規模な太陽光発電とか燃料電池システムとかの導入も考えてもらいたい。夏の暑さもさることながら、冬の寒さも尋常でないし。...原爆の図は快適な空調の下で見るものではないという考えも分からないではないが、観覧中に熱中症で倒れられて「水をください」では洒落にならない。

会場では続いて江戸川区在住の被爆者西本宗一さんのお話。江戸川区には在住被爆者の団体・親江会があり、区内滝野公園には原爆犠牲者追悼碑が建立されている。西本さんは、原爆被害のことは知っていると思っていたけれど、初めて原爆の図を見た時には自分の知らない被爆者を見て衝撃を受けたとのこと。またマニラで被爆体験を話した時にはアジアの原爆観を突きつけられたこともあったと語られた。

その後は栗友会合唱団コンサート。曲の説明に「この歌を知らぬ者はいないほど、単独で有名になった」とあるけど、知りませんな。お互い小さな世界に生きているようで。アゴアシだけ(ひょっとしてアシだけ?)での出演ということで、終演後にカンパ袋が回される。ビールを自粛して日本茶に切り替えた差額から100円を貧者の一灯で拠出(残り50円は送迎バスにガソリン代カンパ)。

針生館長を偲ぶ会の祭壇

室内に会場を移して5月に亡くなった針生一郎館長を偲ぶ会。献花の代わりに折り鶴を捧げる。豆折り鶴を両手で掬い祭壇に捧げたが、手に付いているような気がして思わずパンパンとはたいてしまった。しまったぁと思いながら下がって見ていたら、同じようにしている人を見つけて安堵。

灯籠の流れを調整する竹竿とスタッフ

川の流れに灯籠を乗せる

最後は都幾川への灯籠流し。停留防止のため、竹竿で阻止線を張るなど前回より態勢強化。瀬の中央まで渡ってから流すようすすめられたので、裾をまくり、裸足になって川の中へ。都市生活者の柔らかい足の裏に川砂利の角はきつい。痛いので動きが鈍くなっていたら、流れる灯籠を撮影するのに夢中のカメラマンに足を踏まれた(裸足なのに向こうは長靴)。突き飛ばしてやろうかと思ったぞ>Hケーブルテレビ。

ようやく流れに乗せた灯籠は100mほど下流で回収された。

丸木のイベントは参加者の高齢化が目立っていたが、今年も爺婆が目立つ中、20代30代とおぼしき人も増えていたように思えた。帰りのバスで聞いた話では、今回初めてという参加者も多かったとのこと。誰かが「丸木美術館は広島・長崎まで行かなくても窺える原爆被害」といっていたが(富士塚かよ)、東日本の住民にとっては手頃な入門コースである。被爆者の生の語りが聞けるのも後せいぜい十数年。歴史的使命はまだ終わっていない。

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2010/02/28

「恩讐の彼方に」を読む

公訴時効廃止の実務面からの問題はすでに書いたので、改めて書くこともないのだが、なんかもやもやとした晴れない気分でいたところ、突然、菊池寛の小説を思い出した。

主人の寵妾と密通し、あげく主人を殺して逃走、木曽の山中で強盗家業を続けていた男が、その懺悔を聞いた僧侶の導きで出家し、罪滅ぼしに諸人救済の旅に出て行きついたのが九州は耶馬渓の絶壁。遭難の相次ぐ鎖渡しの難所にバイパスのトンネルを作ることを決意した。単身、ノミと槌を手に岩壁に挑み始めてから20年、長年の酷使に足は萎え、目もかすんだ老僧の前に父の敵を追う若武者が現れる...

上着のポケットに入れているW-ZERO3には、不覚にも「恩讐の彼方に」は入っていなかった。仕方なく同じ作家の「仇討禁止令」を読んでいたら、熱中して危うく下車駅を乗り過ごすところだった。

菊池寛は、いわゆる文豪ではないけれど、大衆の心をつかんだ作家である。「恩讐の彼方に」は青の洞門開削の史実を基にしているものの、主人を殺して逃げたとか、その息子が仇討ちのため追って来るとかの要の部分は創作だという。悪人が罪を悔い、公のために身を尽くすというのは日本の大衆の心に響く話なのだ。また、敵討ちという私的な道徳と公共との相克にも涙を流すのだ。

恩讐の彼方に」は青空文庫で読むことができる。 また「仇討禁止令」も同文庫に収められている。これは戊辰戦争のさなか、佐幕派の重臣を暗殺して藩の危機を救った侍の物語。しかし、その重臣は許嫁の父でもあった。事情を知らぬ遺児は維新後に東京政府で働く男の下へ仇討ちの支援を求めて姉とともにやって来る。すでに仇討禁止令が出ていると諭しても聞き入れない...

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2010/02/12

レラ・チセ再開の兆し?

昨年11月に閉店してしまったレラ・チセ再開の情報をgoogle アラートを使って探していたところ、新しいブログが準備されているのを見つけた。

アイヌ料理店 レラ・チセ 〜風の家〜

今のところ記事はない。

google アラートにはまた、個人の感想もヒットして来る。閉店3日後に書かれたもう一度行こうと思っていたのに、閉店だなんて泣かせるものも。そう、人生は思い立ったが金曜日、なのだ。

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2009/11/08

レラ・チセ閉店

mixiのコミュ(管理人はricoさん)で「7日に閉店する」と聞いたアイヌ料理店「レラ・チセ(風の家)」。思い出のある店なので木曜日に行って来た。店の前にはテーブルが出されてテイクアウトも。つまり在庫一掃ね。

レラ・チセの前。窓には閉店の貼り紙が。

もう機会が無いのだから、食べたことの無いものを注文すれば良いのに、やっぱり頼んでしまうキトピロ(別名ギョウジャニンニク)。f(^^)

ニシンの丸焼き

でも立派なニシンを初体験。それから評判の味噌ラーメンも。

イカの塩辛をつまみながら、隣の人に落語「親子酒」の講釈(完全に単なる酔っぱらい状態)。

ありがとう そのうち なんとかなるよ

壁に貼ってあるカレンダーの言葉が...泣かせる。

閉店日には結局行かなかった。聞くところによると店外に行列ができるほどだったらしい。

どうやら土地・建物が人手に渡ってしまうようだ。よそでの再起を計画しているそうなので期待しよう。手元不如意とはいえ、協力を求められれば一口くらいは乗ってシサムの心意気を示したい。

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2009/11/04

レラ・チセへ移転

ちがう、レラ・チセ閉店!だ。

東京・中野にあったアイヌ料理店「レラ・チセ(風の家)」が11月7日(土)で閉店してしまうという。

ホームページも既に書き換えられている。

開店は1994年。このときは高田馬場だった。何かの機会で設立準備運動を知り、いくばくかのカンパをした記憶がある。その縁で開店記念行事に呼んでもらい、いろいろな経験をしたものだ。アイヌの料理、アイヌの踊り、アイヌの歌...いまのBGMはウポポサンケ。

やがて店は中野に移転した。狭いながらも自社ビルだった筈。3階が宴会場になったので、そこで昔の仲間を集めて忘年会をしたこともあった。

初代店長の佐藤タツエさんが亡くなった時の新聞記事は、共同通信社発行の『記者ハンドブック(10版)』で、記事見本として掲載されたこともある(現在の11版では別の記事に)。

ああ、なんかいろいろと思い出される。

ともかく閉店までに訪ねてみよう。しかし、どんな顔をして行けば良いんだ?

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2009/05/06

丸木美術館開館42周年

開館42周年を迎えた「原爆の図丸木美術館」に行って来た。

いつもなら、美術館クラブ(工作教室)が終わってから行くのだが、今年は先に「沖縄戦フィルム1フィート運動の会企画制作の映像上映」があるというので早起きして10時半到着を目指す。

ところが高坂駅から歩いたところ、途中で道を間違えたらしく予定時間を超過。着いた時には11時。やはり慣れるまでは地図を用意しなくては。沖縄戦ビデオはとっくに始まっていた。ただ、幸いなことに複数回上映だったので、後半と次回の前半をつないで全編を見ることができた。

そこに登場する証言者によると沖縄には朝鮮半島から徴用されて来た軍夫がいたという。食料が足りないので民間の畑に盗みに入る。農民が軍に苦情を申し立てると、取り調べがあり、ポケットなどから作物が見つかった者は...殴られたのかと思ったら銃殺になったと言う。しかし帝国軍人が民間人の苦情を受けて内部調査をし、犯人処罰までしたというのが意外。盗んだのが兵隊だったら、文句を言った農民の方が痛めつけられていたのではないだろうか。

この上映は本館前の四阿が使われたが、記念式典他は展示室(南京第虐殺の図などがかかっている)で行われた。そのため天候を気にしないで済んだ(終わって出てみたら土砂降り)。

この展示室は天井の上に採光窓があることに気付く。何度か来ているはずなのに気が付かないことは結構あるものだ。そういえば、「原爆の図」では人物は多く描かれているが、背景は省略されていることが多いようだ。特に第三部「水」で顕著。

不思議なのはますます記憶と乖離して、印象が不鮮明になっていること。墨は褪色しないはずなのに...

それにしても人間とは不思議なものだ。放っておいたら戦争を始めるというのが一つ。その、ほとんど業と言っても良い性質をコントロールしようとしないのがもう一つ。戦争肯定派はべったりと身を委ねてしまうし、戦争反対派はその存在を認めようともしない。それじゃ戦争はなくせませんって。

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2009/03/21

ダイアローグ・イン・ザ・ダーク(DID)に予約

ニュースでDialog in the Dark TOKYOの開始を知った。4月27日までの予約状況を調べると、ほぼ満席だが、いくらか空きもあった(昼の時点で)のでただちに予約。28日の土曜日。

http://www.dialoginthedark.com/

日本における過去の参加者は約30,000人。25,000人が回答したアンケートによると98%が「また参加したい」、99%が「人にも紹介したい」という人気。

以前に新聞記事で紹介されているのを読んで興味を持っていた上に、昨年FITチャリティ・ランで資料をもらって感度が高まっていたのだろう。6000円という金額にもかかわらず「ポチっとな」(金額は3ランクあったけど、あれはなんなのだろう?)。

28日はオーバーブッキングの予感はしたが、予定表は空白だったので、とりあえず押さえた。あとになって、ビッグイシューの売り場開拓が予定されていることを思い出したが、幸いなことに時刻がズレていた。

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2009/02/27

メディアの社会的責任を問うシンポに潜り込み


22日の日曜日に開かれたシンポジウム「メディアを変えれば世界が変わる—メディアの社会的責任を問う」に潜り込んできた。

潜りというのは、登録をせず、当然木戸銭も払わずに聞いてきたから。そんなことができたのは、雑誌「ビッグイシュー」の会場内販売が認められ、その売り子として参加したから。

ビッグイシューは登録した販売者しか売れないのに、どうして私が販売に関われるのか。それは一つには売り上げが正規販売者のものになるから、つまり外形的には私が売っているけれど、実はそうではないから。しかし、これは形式的理由。なぜ登録した販売者にしか売らせないかと言うと、趣旨を理解し行動規範に同意した者に限定することで、雑誌の声望を守るため(違反すれば販売者証の取り上げもある)。だから雑誌の趣旨に賛同しているボランティア(私はこの立場)を形式的に排除する必要がない。もっともボランティアを100%信用するのはどうかと思うので、格付けなり選抜なりは必要になると思う。

さて、今回の販売者は虎ノ門で売っている植村さん。彼は先日(1/22)フジテレビ系の「スーパーニュース」に登場した(あの放送には不満もあるが、それはまた別の機会に)。また「ビッグイシュー」107号の「今月の人」にも取り上げられている有名人。ビッグイシュー基金のIT研修にも皆勤参加し、テストに合格してメール販売の資格も持っている。

事務所で落ち合って、もう一人のボランティアYさんと一緒に会場であるJICA地球ひろばへ向かう。ここは去年、バイオ燃料の話を聞いたところ(あれ、ブログに書くの忘れてる)。開場まで1時間以上あるのに早すぎないか?と思っていたら、なんと本式にテーブルを提供してくれると言う。あわてて設営。しかし出来上がったものを、主催者側と比較すると、明らかに見劣りする。庇を借りて母屋を、にならなかったのは良いけれど、もうちょっと工夫しよう。ポイントの一つは立体化とみた。あとは華やぎ...おっと。

全体に平板な印象のビッグイシュー販売机

立体的な a seed の販売

拘束時間は長かったけれど、販売できたのは実質的に開演前、休憩中、終演後の計1時間ちょっと。あとはずっと座っていられて話を聞けて、それでいて週日の1日に匹敵する売り上げがあった。持って来なかった号に関しては植村さんがさっそくメール販売のご案内。それにしても参加者の数を考えるとものすごい購入率。さすがこの手のシンポジウムに来る人は違う。

さて、肝心の内容。面白かったのはマエキタミヤコさんの話。トップの柴山哲也さん(なんか筑紫哲也のアナグラムみたい)の話がドヨンと感じられたので、よけい威勢良さが際立った。もっとも最初に出てきた「知らしむべからず、よらしむべし」の解釈に疑問。呉智英が書いてたよな...と思って念のため今辞書を引いたらその通り。この場合の「べし」は「可能」であって「命令」ではないようだ。

それはともかく、の前にもう少し。フロアの8割近く?がこの「知らしむべからず...」を知らないと手を挙げたのには心底驚いた。無教養の集まりか!? 知っているに手を挙げないのは韜晦とか謙遜とかあるだろうが、堂々と「知らない」に手を挙げてたもんね。いや、私はその時「べし」解釈に自信がなかったのでどちらにも手を挙げなかったが。

それはともかく、さすが広告のプロ。「無関心層というのは幻想」「1%が反応してくれれば御の字」「自分がそれを知らなかったときのことを忘れない」「情報格差で発電をしない」などなど時間が経った今でも思い出せる名文句がぽんぽん。1%については、植村さんも「そうそう」と同意していた。路上で雑誌を売ったら、反応は本当に体感1%程度だろう。

第二部のパネルディスカッションも含め、ただ聴きは申し訳ないと思うほど充実した内容だった。現在、財政的に逼迫しているが、落ち着いたらお礼カンパなどしなければ(第二回開催のためのカンパ募集中)。

ただ、全体の基調が「市民のメディアリテラシーは向上する」だったのは気になった。希望は大切だが、願望と予想は区別しなければいけない。「みんなの意見」は案外正しいが成立するには重要な条件があるけれど、私にはそれが侵されつつあるように思える。

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2008/11/04

聞いたか坊主

歌舞伎に「聞いたか坊主」というのがある。たとえば京鹿子娘道成寺。冒頭に「聞いたか、聞いたか」「聞いたぞ、聞いたぞ」を繰り返しながら大勢の所化(修行僧)がぞろぞろと出てくる。

ところがシェーファーの『アマデウス』によく似たシーンがある。2人のヴェンティチェロ(後述)が交互に台詞をつなぎながら「荒々しいささやきが劇場内に充ちる」中を、舞台の両袖から登場する。

倉橋健・甲斐萬里江による翻訳ではこんな感じ
***
一「まさか。」
二「まさか。」
一「まさか。」
二「まさか。」
囁き合う人々「サリエーリが!」
一「噂だ。」
二「聞いたぞ。」
一「聞いたぞ。」
二「噂だ。」
一と二「信じられん。」
囁き合う人々「サリエーリが!」
***
(テアトロ 471)

一方、江守徹の翻訳(ちなみに本人はサリエリ役をやるつもり翻訳したが、上演権を松竹に取られてしまい、日本初演ではモーツァルトを演じた)では、ちょっと違う。
***
1「信じられない。」
2「信じられない。」
1「信じないとも。」
2「信じるものか。」
ささやき「サリエリ!」
1「皆、言っている。」
2「聞いている。」
1「私も聞いた。」
2「誰でも言っている。」
1&2「信じられない!」
ささやき「サリエリ!」
***
(「アマデウス
」 劇書房)


私の記憶(5回は観た)では「聞いたか」「聞いたぞ」の応酬だが、記憶が当てにならないのは昨日の「兵士シュヴェイク」で証明済みなので固執はしない。しかし、松竹の興行だし、主演は一貫して松本幸四郎だから歌舞伎の要素を取り入れていてもおかしくはないだろう。

またヴェンティチェロとは、脚本の説明では「劇の進行中、種々の事実、噂、風聞は彼ら二人によって提供される」という存在で、これは聞いたか坊主の役割(幕あきに登場して、その狂言の筋などを知らせる)とかなり近い。


さて、私は聞いた。どうするか。アマデウスにはこんな台詞がありますな。
「神を侮るなかれ、と言うが、いいか、人間を侮るなかれ、だ! このまま引っ込みはしないぞ! 神は己の好むところに吹く、と言うが、とんでもない! 神は美徳をこそ好むべきだ。風じゃあるまいし、やたら吹いたりしてはならんのだ。 Dio Ingiusto! 不公平なる神よ...あなたは敵だ! これからは<永遠の敵>と呼んでやる! そして、ここに誓う、命尽きる日まで、この世でお前に逆らうと! 神を懲らしめてやれなくて、何が人間だ?」

こうして奮い立たせなければ挫けてしまうようなショック。

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2008/09/21

ロメオとジュリエットの謎

先ほどまでNHKのN響アワーで「1時間でわかる! ロメオとジュリエット」という内容を放送していた。

シェークスピア戯曲の概要は知っていたが、聞いていて疑問が2つ。

仮面舞踏会なのにジュリエットは仮面を付けていなかったのか? それともロメオは仮面を付けた女に恋したのか?

ジュリエットはジュリエットで、仮面を付けた男を、顔も見ずに恋したのか? 面食いではない、という説明も成り立つとはいえ、ちょっと理解に苦しむ。


現代風に解釈すれば、互いに性フェロモンを感知してビビビッと来たのだろうか。

ロメオ16歳、ジュリエット14歳、どっちも青少年保護育成条例違反で挙げられるぞ、ってな野暮はこの際なし。

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2008/09/17

TG植物による芸術


ルシフェラーゼ遺伝子を組み込んだ「光る植物」で作品を作っている滝田順の講演を聴いてきた。

初期の作品は、クロロフィルの蛍光。風景になる新陳代謝を求めて光合成にたどり着いたとか。

アルコール抽出されたクロロフィルがブラックライトで赤い蛍光を発している。

次に植物から抽出した光合成系でATPを作り、それをルシフェリン発光系に移して光らせるもの。

暗闇で目を凝らさないと見えないくらいほのかな光。このとき机上に静置したものより手に持った場合の方が明るく見えることから、部分的に遮ることで光がより強く認識されるという仮説をたてて構想したのがBioluminescence garden

ルシフェラーゼ遺伝子を組み込んだコケを背景にし、手前に普通の灌木を植える。夜になってコケにルシフェリン溶液を散布すると光りだし、灌木のシルエットが浮かび上がる。(図=灌木と地=コケの明暗が逆転する黄昏時にはどう見えるのだろうか?)

これを屋上庭園でやりたいというが、TG植物を開放空間に植えるのは難しかろう。

4番目が、MRIから作り出した自分の脳の立体模型にTGコケを生やしたLight, only light

暗くすると光っているのが分かる...と言いたいところだが、実際には肉眼では確認困難らしい。上記の写真ではわからないが、ダブルコンテナで厳重に封じ込められているという(組換え施設外で展示するため)。

遺伝子組換えで光らせることに執着する理由がいまひとつ分からなかったけれど、芸術家が生化学反応を利用しようとする取り組みが面白く思えた。

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2008/08/07

6日は多忙な一日

丸木美術館で開かれる「ひろしま忌」に参加するため出発。途中で銀行に寄り8月分の健康保険料を納入。

東武東上線の高坂駅で降り、市内循環バスに乗る。出発まで時間があるのでアイドリングストップした車内は徐々に暑くなってくるが座席でじっと我慢。やはり丸木美術館に行くとおぼしき人(同行者との話から出演者の館野公一さんとわかる)たちが乗って来たが、とりあえず知らんぷり。

定刻にバスは出発。進み具合を地図と照合すると、市内循環バスだけあって、やたらと回り道をしていることが分かる。寄り道をしなければ結構近いかもしれない。

美術館に到着後、まず都幾川の様子を見に行く。去年とはまた流れが変わっていて、これなら灯籠流しは楽になるかもしれない。ただ、停留しそうな箇所(死水域)もあった。

去年の川道は干上がった都幾川


川の方向が変わったところに流れの止まった領域

ボランティア?の人から「来館の折は声をかけて」と言われていたが、顔が分からないし、スタッフに尋ねようにもこの日の美術館は無料開放のため窓口は無人。となりのテントは友の会入会受付なのでパス(入会済み)、仕方がないのでそのまま一番奥のテントまで進み、とりあえずカレーで腹ごしらえ。時間があったので美術館を巡る。

原爆の図は第三部(水)に余白の多いことが気になる。一階に降りて東山薫の肖像に礼。それにしても丸木スマの作品や絵本の原画のスペースに来ると、なんとはなしにホッとする。

14時に太鼓の演奏が始まる。中学生と言うがなかなか勇壮。少し離れた四阿にいたので、その次のわらべ歌は夢うつつに聞き流す。善光寺の若麻績敬史住職の話は面白かった。もっと面白かったのは、配布資料(目立たない所にいたので配ってもらえなかった)で中国共産党を非難したり、麻生太郎(「部落民を総理大臣にはできない」という低劣な発言をした人物)を評価したりしていたので聴衆の一部が混乱してしまった様子。

麻生は「半径2mの男」(端から見ていると強面で嫌な感じがするが、2m以内に近づくと魅力が分かる)と言われる男なので、会って話をした若麻績さんは惹き付けられたのであろう。上掲の差別発言を許すには血を吐くような自己批判を要求せざるを得ないが、それでもアックゼロヨンに対して協力的なのは評価したい。

卵の殻はどちらから剥くのが正しいか、で争う伝統は破棄したいもの。

続いて館野公一さんの歌。最初の歌はちょっと図式的っぽかったけれど※※、次の東海村臨界事故を扱った「語り歌」(バラード)はちょっとゾクゾクした。最後の「豚のご飯」は、フルバージョンは27分かかる(進行の遅れを気にしていた主催者は焦ったらしい)ものを端折ったということで詳細は分からないが、賞味期限切れのコンビニ弁当を食った豚がおかしくなったのは、たとえば塩分過多とかそういう栄養学的問題ではないのかな。必須栄養素とか必要量とかは生物種によって異なるから(ネコにドッグフードを食べさせ続けると失明すると言うし、ヒトがキャットフードを食べ続けると高カルシウム血症になるらしい)。

最後、ではなくてその一つ前の針生館長。田端 展の『被爆博覧会』を紹介。(しかし館長、遺伝的要因がないのにがんになったから被爆のせいって、コンビニ弁当のせいかもしれませんよ。) また語り部たる被爆者が全員鬼籍にはいる遠くない将来に対する備えが必要とも。

峠三吉「人間を返せ」の朗読を聞いてから灯籠流し。去年は川筋が悪くて流すのに苦労したが、今年は冒頭に書いたように流しやすい。ただ、流れの向きが変わる所で死水域ができている。その手前にスタッフが立って交通整理。

川の中に立って、灯籠を流れに乗せるスタッフ

灯籠は下流ではゴミになってしまうので、最近は経費節減も兼ねて下流で回収していたが、今年はその様子が丸見え。うーん。 (と思いつつ去年のビデオを見直したら、回収班らしい人が映っていた。見れども見えず、ですな。)

帰りは高坂駅まで歩く。高をくくっていたら一時間近くかかってしまった。途中、かなり恐い思いもしたので、特に暗くなってからはお勧めできない。ただ懐中電灯を持っていればかなり楽(こういう時に限って携帯電話は電池残量わずかで明かり代わりに使えない)。

次の予定、池袋でのビッグイシュー販売員勧誘の集合時刻まで2時間という中途半端さ。とりあえず各駅停車でゆっくりと行く。

勧誘活動とは、野宿している人を回って、雑誌ビッグイシューの販売員にならないかと誘って回ること。この雑誌は「慈善ではなく、仕事を与えることで自立を促す」というコンセプトで発行され、登録したホームレス状態の人しか売ることができない。売上げ300円のうち160円が販売員の取り分。ただし完全買取制なので、仕入数を調整しながら完売を目指す工夫が必要。この能動的な取り組みが現金収入と共に社会復帰に資している。

さて平日夜ということもあり、集まったのはビッグイシュー基金スタッフを含めて4人。内女性が3人。2人は勧誘活動未経験。というわけで4人一組でゾロゾロと活動開始。

段ボールを敷いて寝ている人はホームレスと識別できるが、ただ座り込んでいる人との区別は難しい。大きな荷物が目印の一つだが、長距離バスの発車場そばはまた紛らわしいのがゾロゾロ。

この日はあまりホームレスと遭遇できず、また眠っている人が多かったためほとんどパンフレットを置いて来るだけで、話をできた人はほんの数人。ただ、そのうちの一人は早速7日から街頭に立ち、夕方の時点で30冊以上を売り上げている(30冊で売上げは9000円、6200円の所得)。時間をかけて説明をした甲斐があった。

※麻生太郎の差別発言


この件が広く知られるようになったのは、おそらく魚住 昭の『野中広務 差別と権力 』(講談社)でしょう。wikipediaの典拠にあげられていますし、amazonのレビューでも6人が触れています。

麻生本人は国会において、そういう差別発言はしていないと主張しつつも、自民党の総務会で指摘を受けた事実は認めています。

読んでいただければ分かると思いますが、麻生の答弁は、その日は政調会長ではない(前日まで政調会長)だとか、何大臣になるかは分からないとか、枝葉末節の解説が多く、「ははん。やっぱり言ったな」と思わせる所があります。

この議事録は膨大なので該当部分を引用しておきます。

中村(哲)委員 つまり、野中当時の議員が自民党の総務会でそのような趣旨の発言をされたということは事実であるけれども、麻生当時の議員が大勇会においてそのような、野中氏を誹謗中傷するような発言をしたことはないということでよろしいですね。

麻生国務大臣 そのように御理解いただいて結構です。

質問で「麻生当時の議員」とあるのは、その前の答弁で、当時は麻生大臣でもなく麻生政調会長でもなく「麻生議員と言っていただくのが正しい」と枝葉末節にこだわっていることへの皮肉? 「あそう」の後に一拍おいてから「とうじのぎいん」と読みましょう。

※※館野公一さんの歌


歌の背景が「今を去ること 50年前」なので、それを聞き落とした以下の感想は全く的外れ。50年前ならシアン垂れ流しの工場、開発命の小役人になんの違和感もない。

また「フルバージョンは27分」は司会者の誤解。いずれもmixiにおいてご本人から教示いただいた。感謝。

乱暴にまとめると「田園地帯にメッキ工場ができたら魚が捕れなくなった」という歌で、工場の排水口の上流と下流に魚のはいった生け簀をおいてみたら下流の魚は一晩で死んだ、と。

いつの話か分かりませんが、50年代ならまだしも、一晩で魚が死ぬほど有害物質を川に流す工場が今どきあるとは思えません。下流に魚の死体が浮いて、役人が飛んできます。おそらく工場内でも、処理済みの水をはった水槽に魚を入れてモニタリングしている筈で、急性毒性を示す物質が流れ出るとは考えにくい。もっとも石原産業やJFEスチールみたいな会社だったら別ですが(これも役所が発見・摘発しました)。

「それは図式的とは違うのではないか」と言われると、そうかもしれませんが。

ともかく「魚が浮く」みたいな分かりやすい公害は、役所が黙っている時代ではないでしょう。(工場の恩恵に浴さない下流の自治体とか県、国も控えている)

しかし慢性毒性や生殖毒性(不妊になる、仔が不妊になる等)となると話は別。たとえば毎年産卵する魚で、仔が不妊(孵らない卵を産む)になった場合、影響はその年にも翌年にも出ません。3年目になって稚魚がいないことで異変に気づく。そうすると、工場は一昨年から操業していて、去年は何ともなかった、だから無関係と推定される。地球温暖化のせいにされるかもしれません。

あとは特定の魚種とか特定の生育段階(卵、稚魚)とかにのみ毒性を示す場合も、通常の水質検査では見落とされますね。

耳で聞いて分かる歌にするのは難しいでしょうけど。(^^;


「いつの話か分かりませんが」と入れておいて首の皮一枚のこった。

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2008/06/21

記念品はデーツ

世界献血デー(6月14日)に合わせてサウジアラビア大使館が行った献血イベント、1週間前になっての報道で火がついて5000人を超える申し込みがあったとか。結局キャパの問題などもあり先着申し込み800人が受理され、私はリジェクト。

その日赤からのお断りメールに、大使館が記念品を用意している、とあるので献血ルームに行ってきた。前のエントリーにも書いたけど、「記念品を用意? 遠慮します」はかえって失礼にあたるだろうし。

王国の紹介と手紙とデーツ

大使閣下からの手紙

送られて来たメールを印刷したものと引き換えに、デーツ(ナツメヤシ)のパックとリーフレット(「未来をひらく協力関係 サウディアラビア王国と日本 国交樹立から50周年)をいただいた。それと大使閣下からのお手紙。

閣下のお手紙は大使館に来た人に出したものらしい。もっとも14日にはサウジアラビア政府に敬意を表して都内の献血ルームで血小板を提供しているから「献血にご参加」には該当する。

Ohmynewsによると、一部の申込者には追加開催の案内があって15日にも大使館で採血は行われたらしい。この15日組は「ナツメヤシのドライフルーツのパック」をいただき、館内で「サンドイッチと、ナツメヤシのドライフルーツ、そしてサウジアラビアのコーヒーを振る舞われた」そうだ。

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2008/06/08

謙虚と礼節

世界献血デー(6月14日)に、東京の在日サウジアラビア大使館で献血に協力するとアラブ料理を振る舞われると聞いた。

なんでも本国から、在留サウジアラビア国民を滞在国の献血に協力させなさいと指示が来たのに、在日サウジアラビア人の多くが英国留学経験があり、日本の基準でははねられてしまうための窮余の一策だとか。政府の指示は国王の命令、従えなければ、まさか首が跳ぶ(斬首刑)ということはないだろうけど、大使としては大失点。しかし知恵者がいるねぇ。一説には「金に糸目は付けず最高の素材の料理や菓子」を提供せよとの指示が出たらしい。それはともかく「できません」で終わらせない態度は見習わなくては。

今日日、大使館なんて用もないのに入るのは難しいから、人助けを兼ねて行ってみよう。特にサウジアラビアってステレオタイプのイメージしかないから。

ところで、えーと、奥ゆかしく「食事は結構(料理目当てじゃないよ)」と遅くに行くのが良いのか、用意されたものを喜んで食べるのが礼儀に叶っているのか、どっちでしょうね。なんとなく後者の方がアラブの風習に合っていて喜ばれそうだけど。

しかし事前に、政府指示の「自国民に滞在国で献血させる」が日本では無理と分かってよかったね。

なお、大使館のウェブページに載ったお願いによれば「セキュリティ上、事前の連絡が必要」とのこと。

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2008/05/22

朝のビール

じゃなくて、麻のビール。

新宿のロフトプラスワンにて。


モンティ・パイソン・ナイト


完全版DVD、『ホーリーグレイル』『ライフオブブライアン』DVD化とまた脚光を浴びるモンティパイソンの全貌に迫る!


【出演】 須田泰成(コメディライター&プロデューサー、「モンティ・パイソン大全」)、石黒謙吾(著述家「盲導犬クィールの一生」)、今拓海(ルポライター)、その他、各界パイソンファン参加予定!


麻から作った発泡酒のラベル(表)


麻から作った発泡酒のラベル(裏)


「モンティパイソンナイト」の看板


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2008/01/06

ムンクグッズ

ムンク展に行くとミュージアムショップで関連グッズが売られていた。以前、別の会場で「叫びTシャツ」などを見たことはあったが、今回は「マドンナ」と「不安」それに「死と少女」がTシャツになっていた。正直なところ「いつ・どこで着るんだ?」

ちなみに本家では叫びポンチョなんてのも売っている。

いろいろ売られていた中からDVD(しまった、ネットで安く買えた)と、「限定」に惑わされてチョコレートを購入。

しかし、なんでクレジットカードが使えないのだ(チケットは買えるのに)。

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大入りムンク展

国立西洋美術館で6日まで開かれているムンク展に行ってきた。ちなみに7日から3月3日(月)までの期間は、新館設備改修工事に伴う館内整備のため全館休館とのこと。

間際なのでためらいもあったが、「叫び」の背景のような3日の夕焼けを見て行くことに決めた。
ムンクの絵画「叫び」を連想させる夕焼け

最終日はいくら何でも混むだろうと予想して、前日午前中の入館を予定したものの、諸般の事情で上野駅に着いた時にはすでに12時を回っていた。長時間の逍遙に備えて先に腹ごしらえをしようと向かったカフェ「すいれん」の前には席が空くのを待つ人の列。気圧されてそのまま展示会場へと進んでしまった。

〈生命のフリーズ〉は、全体として生命のありさまを示すような一連の装飾的な絵画として考えられたものである。

───エドヴァルド・ムンク「生命のフリーズ」より

今回の展示は「装飾」という観点から、一連の作品をセットで見ようと言うもので、最初の部屋ではアトリエでムンク自身がした配列が再現されていた。残念ながら人垣で一望することはかなわなかったが。

My first Munch、つまり最初に見たムンクの絵である「別離」のオリジナルを見ることができたのも大きな収穫。

原画を近くで見ると、絵の具の盛り上がりなどいろいろ気づくことがある。気になったのは絵の傷み。おそらく元はなかったであろう亀裂を目にすると、あとどれだけの期間、人類がこの芸術を鑑賞できるのかが心配になる。劣化を防ぐために照明も落としてあり、作者が描いたのと同じ光の下で見るのはもはや不可能に近い。以前にも書いたが、複製や複製のためのデータ取りを急ぐべきではないだろうか(もう始まっている?)。


たっぷり時間をかけて鑑賞し、ふらふらになって出てきて驚いた。入り口には長蛇の列。入場制限をしているらしい。早くに入って良かった。

美術館前庭に伸びた行列

公園で食事を済ませてから再び前を通ると行列はさらに伸びていた。諸君、もう少し早起きしたまえ。

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2007/09/09

被爆62年 ひろしま忌

夏の思い出を忘れぬうちにアップ。

ダム見学カヌー体験の翌日は「原爆の図 丸木美術館」で開かれた「ひろしま忌」に参加した。

東武東上線を使い、高坂駅から市内循環バスを初利用。乗客は私一人。美術館に着くと石川逸子さんの朗読の最中だった。

集いに参加したり展示を見たりうどんを食したり。さすがに今日はビールは自粛。

進行にはいろいろ言いたいこともあったものの、灯籠流しまで付き合った。ゴスペルグループの歌声が流れる中での灯籠流しは風情があったが、グループの名前が「トリニティ」と聞いて、「最初の核実験の名称じゃない」と私。

さて原爆の図第12部には次のように書かれている。


流れ終わらぬうちに潮は逆流し、
あげ潮にのって、とうろうはもどってきます。
火はすでに消え、
折り重なって暗い流れにただよいます。

だが、都幾川に流された灯籠は回収されているらしい(最近の灯籠流しは下流で回収することが多いらしい)。

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2007/05/06

画家の記憶力

「原爆の図」丸木美術館へ行ってきた。開館40周年の記念行事があったため、企画展「丸木俊展 女子美術時代から《原爆の図》まで」は駆け足で約半分しか観られなかったけれど、「モスクワスケッチ プーシキン美術館」が印象に残った。

美術館で見てきた絵の色分析をしているのだ。絵のスケッチに、各部分に何色が使われていたが細かく書き込まれている。細かい色名が迷いもなく記入されている。「?」などは見当たらない。画家の記憶力とはこういうものなのか。

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開館40周年を迎えた丸木美術館

埼玉県・東松山市にある「原爆の図丸木美術館」に行ってきた。

最初に来たのは大学を出た年の夏、学生時代の知人に誘われて。覚えているのは、まずとにかく暑かったこと。涼を求めて都幾川の河原に降りたら、水が温かった。あとは竪穴住居。健在だった位里さんが「本当は藤蔓で縛るのだが針金を使った」と話していた。

一回行けば十分、と思った訳ではないが、その後ながらく足が遠のいていた。それが2005年に「入館者減少で存続の危機」(ちなみに、私もうっかり「存亡の危機」と書いた事があるけれど、これは重言。「存亡」を使うなら「存亡の機」 )という報道を見て慌てて再訪。少しでも足しになればと図録を購入した。

同じような人は多かったらしく、支援金2400万円が集まり「友の会」会員も倍増して危機は脱したと聞いたのが2006年の夏。

そのまま忘れかけていたが、縁あってアテネ・フランセで上映された映画「パルチザン前史」を久しぶりに見、模索舎で『泪の旅人』を購入したところ、潜行中の滝田修は丸木美術館に匿われていたことがあるという(昔聞いたような気もするが、やはり初耳だろうか)。やるなぁ。

そこへ持ってきて朝日新聞が大きな記事を載せたものだから、にわかに開館記念日に訪ねる気になった。

(そういえばmixiで丸木関連コミュの副管理人を頼まれてるし)

着いてまず友の会に入会。庭は賑わっていたが、展示室は閑散としていたので「離れて見る」を体験した(絵そのものより説明文に没入するたちなので)。しかし、やはり何かが変わった。

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2007/03/31

しばしも休まず

大学は化学系だったので、研究室にはガラス細工の場所があった。入ったばかりの4年生(卒業後は僧侶になる修行にはいった異色の人物)が、そこでフイゴを踏みながら「しばしも休まず♪」と歌って院生を喜ばせたことがあった。

そんなことを、NHKの「みんなの童謡」を聞きながら思い出した。あれ、歌詞が違わないか? ところが調べてみると、違っていたのはこちらの記憶で、正しい歌詞は放送通り「しばしも休まずつち打つ響き。飛び散る火花よ、はしる湯玉」(当初は「しばしもやまずに」だったがそれとは別の話)。

余談になるが三番の「刀はうたねど」は、大日本帝国が崩壊して軍備を廃棄したのとは無関係で(そういう説明を聞いた記憶もあった)、少なくとも1933年にはこの歌詞。尋常小学唱歌(四)に発表されたのは12年とのことなので、ワシントン軍縮条約(22年)も無関係。

こういったことがわかるのも歌詞を載せているサイトがあるからで、もし著作権が云々されて公開されていなければ、あやふやな記憶を正す機会は狭められてしまう(もっと困るのは不正確な異説の乱立)。

ちなみに「村の鍛冶屋」は作詞者・作曲者ともに不明とのことなので、公表後50年は経過しているもののひょっとすると著作権は継続しているかもしれない。JASRACは著作権は消滅したという態度で仲介はしてくれないから、「私が作詞しました」という老人や「49年前に物故した親の作品」という人が出たら大変だなぁ。

著作権を、著作者の死亡70年後まで保護しよう(現行は50年)という動きがあるが、権利を主張するからには義務も全うしてほしいもの。著作権法はその目的に「文化の発展に寄与すること」を挙げているのだから、「権利者が分からない」「どこに許諾を求めたら良いか分からない」という状況は法の趣旨にもとる。権利の上に眠るものは保護されないのだから、死後70年間しっかり権利関係を明らかにし、許諾申請も滞りなく処理してもらいましょう。(誰がその費用を負担するのかな。)

なお、現行法でも「相当期間にわたり公衆に提供され、若しくは提示されている事実が明らかである著作物は、」「相当な努力を払つてもその著作権者と連絡することができないとき」に限って、お役所に供託金を納めれば利用できるそうですけど...商用ならともかく面倒な話。かくてOrphan Worksが増えて行くのでしょうか。ミッキー功なりて、万骨枯る。

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2007/03/04

40年経って、新宿は今

不覚にもブログ更新が2ヶ月滞ってしまった。

昨年は年頭に「ブログに最低100エントリー」という目標を立て、クリアしたのは良いが、「2007年はハードルを上げて」と意気込んだのが失敗の元。

やっぱり初エントリーは年頭所感でしょうと思っていたのに、お屠蘇気分のうちに機会を逸し、新たな目標は「帳尻合わせのために集中書き込みはしない」だったのでますます書き難く。

一緒に止まっていたmixi日記は2月に勤務先で開いたセミナーでしゃべるのを機会に復活できたが、こちらは最長不倒記録更新中。

パソコン通信に熱中していた頃、「3日やったら止められないけど、3日止めたら止められる」と言われていたのを思い出した。

止めてしまうと早々に目標未達確定となるので啓蟄を機会に再開する。

さて、本題。

昨日、在米の知人(日本人)が母堂の一周忌と学生時代に師事した教官の退官記念講演に合わせて一時帰国したので新宿で飲み会を開いた。

彼とは生化若手の会(生化学若い研究者の会)で知り合い、turn overのゆっくりな連中で「年長組」を作って付き合ってきた。今回もその年長組4人衆+αで、いつものHHで飲む予定であった。

予定より少し早く着いたので、ルートを変えて花園神社に立ち寄った。ここは黒テント、いや紅テントか、が芝居をやっていた場所。神社とアングラという取り合わせが前から気になっていた。Wikipediaによると、かの「腰巻きお仙」に「『腰巻』では国体に反する」とクレームがついたり、神社総代会より使用禁止を通告されたりと、別にシンパでもなんでもなかったようだ。

もっとも公式サイトをみると


安永9年(1780)と文化8年(1811)には、大火で焼失した社殿を再建するため境内に劇場を設けて、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博しました。花園神社と芸能の縁は、この頃から始まったものです。

と劇団公演には一定の理解があったことが窺われ、

戦後、甲州街道と青梅街道が交差する開かれた街「新宿」は、雑多なエネルギーに満ちた新しい文化の発信地になりました。花園神社は、そうした文化を育む役割も担ってきたのです。唐十郎らの芝居や、上々颱風をはじめ国内外のアーティストによるライブが行われる舞台として、親しみを持っている人も多いでしょう。

別に恥部とは思っていない模様。

さて、境内を歩いていて、ふと口をついたのが「新宿見るなら...」。これは唐十郎が新宿を引き払うときに言ったらしいから、上記の使用禁止を受けての「さらば花園!」にあるのだろう。

ところが困ったことに、正確な文言、特に続きが分からない。意味としては「新宿を見るなら今のうちだ。そのうち新宿は廃墟になる」なのだが、記憶を頼りにネット検索をかけると複数の説がある。

「新宿見たけれゃ今見ておきゃれ、今に新宿焼け野原」(amazon.co.jpにある森山大道の本のレビューほか)

「新宿みるなら今みておきゃれ。今に新宿、原となる。」(空とぶじゅうたんどこへゆく

「いまに新宿 原になる」(新宿'60sツアー

「新宿見るなら今みておきゃれ、今に新宿 原(はら)になる」(Re: J.ウッズは1947年生まれの「ベトナム反戦世代」

「新宿見たけりゃ 今見ておきゃれ じきに新宿 原になる」(日本映画専門チャンネル

「新宿見たけりゃ/今見ておきゃれ/じきに新宿/原になる」(焼け野原という異聞もある)という有名になったフレーズの出典が、この「月笛お仙」の続演を報じるチラシだったという事に今回初めて気がついた。」(『電脳・風月堂』(資料1)

最後の「電脳・風月堂」はチラシの現物(ただし10月の続演を報じる方ではなくて、8月初日を告げる7月のもの)があるので、おそらく一番正確だろう。ただ、そこをして「(焼け野原という異聞もある)」と注釈をつけている。

少なくとも「見るなら」「見たけれゃ」「今に新宿」は誤りと言えよう。また「さらば花園!」とも関係はない。

ちなみに前段があって、それはまた凄まじい。


「お仙」見たけりゃ

今見ておきゃれ

母ァ殺して 銭つくれ

(「母ァ」は「かかぁ」と読ませるのだろう)

打ち捨てられたチラシがよみがえるのはネットならではだが、不正確な引用が多いのもまたネットの欠陥(上に挙げたほかにも、明らかにうろ覚えというものが見つかっている)。

新宿'60sツアーは、花園神社でビラを読み上げたというのだから、その画像なり全文を載せてくれれば良かったのに。正確な読み上げであることを証明するためなら引用による利用として法的には許容される範囲内。

さて、40年経って、新宿は原にもならず、まして焼かれることもなかった。

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2006/12/17

でんぐりでんぐり

渋谷のBunkamuraで開かれているスーパーエッシャー展に行ってきた。

意外と会場はわかり難い場所にある。誘導標識もあまり親切ではない。ポスターは凝り過ぎで肝心の情報提供を忘れているようだし(日テレのサイトなんて自己満足+バリアフルの権化に思えた)。

それでも人の流れができていないのは吉兆と言うべきか。ダリ回顧展の時よりやや空いた感じで観てまわれた。暑いのには閉口したが。

ニンテンドーDS Liteを使った鑑賞ガイドを貸し出していたので利用。無料というのが嬉しい。

さてエッシャーと言うと「滝」に代表される騙し絵の作者という印象が強いけれど、今回の展示では初期の版画から紹介されていて、騙し絵はむしろ少数。最後の作品となった「蛇」にはわざわざ「騙し絵的要素はない」と説明が。

横線だけで漆黒の闇から浮かび上がる教会を彫りだした「夜のローマ」には思わず息をのんだ。

図録(2500円)とDVD(4935円)を購入。糸が切れて「だまし絵フィギュア」の「でんぐりでんぐり」も会場外のガチャマシーンで購入(300円)。

でんぐりでんぐり

でんぐりでんぐりのイナバウアー

これ、でんぐり返しができるようにはなっているのだが、そのまま丸めるとイナバウアーになってしまう。足を入れ替えればそれらしくはなるものの、まるで填める場所が決まっているかのように取り付け難いし(造りが粗雑なだけだろう)、なにより頭の向きはおかしいまま。そして、腹が外側というのが誰の目にも明らか。もう少し工夫してほしい。

「24の寓意画」に添えられた詩の中には、なかなか気の利いたものがある。気に入ったのは「火打ち石」と「カエル」そして「リス」。

「地下聖堂」をみてKKKを連想するのは変?

平面の正則分割56(トカゲ):腕に白い部分が

「平面の正則分割56(トカゲ)」の左上部、赤いトカゲの前肢に塗り漏らしを発見。

エッシャーを表紙で取り上げた「少年マガジン」も展示されていた。のは良いが、メビウスの輪に色を塗った(1970年2月22日号)のは過剰親切というものだろう。「こうでもしなきゃわかるまい」とは、当時の少年も舐められたものだ。

また、それに先立って連載された「ふしぎ探検隊」も掲載誌と並べて展示されていた。若き日の長嶋茂雄、赤塚不二夫、またコント55号などは、それだけで見物。解説を書いているのはイラストレーターの真鍋博。当時は36歳くらいか。全部は読まなかったが、少々「?」なことも書いてあった。

図録の解説に、「エッシャーの版画は何年経っても、新鮮さを残している」、なのに同じころ流行ったサイケデリックなイラスト、それは当時の最先端をいっくものだった筈だが、「今の私たちが見ると、痛々しいくらい古臭い。いったい、それはどうしてなのだろうか。」とあって(野地秩嘉)、時というものの残酷さを首筋に感じた。

ところで、会場ではレーベンフックの説明に首を傾げたが、図録にある「細胞生物学と細菌学の創始者」というのは正しい。何が気になったのだろう?

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2006/10/15

ダリ回顧展

解雇状態から脱却できるから、と言う訳でもないが、10日に上野の森美術館で開かれている「ダリ回顧展」に行ってきた。


500円余分に払って音声ガイドの機器を借りる。平日の昼間だと言うのに人人人…。やたら時間をかけて見る人がいるので列が滞る。仕方がないのでガイドを二度聞くと、これは理解が深まる。

今回の発見は、
ダリは蟻に死のイメージを持っている
チェロは野蛮に蹂躙される繊細な文化の象徴
ミレーの「晩鐘」のモチーフを多用

解説のない絵に同じ発見をすると思わず微笑みが(たとえば「9月末の3匹の焼いた鰮のある皿の中の電話」の次に展示されていた「愛情を表す2切れのパン」にも同じく晩鐘の二人が見られる)。

そしてダリと蟻と言えば「アンダルシアの犬」。なんと上映していました。まさにシュールレアリスム。

ちなみに「アンダルシアの犬」でグーグル画像検索をしても、映画のシーンは例の目(の直前)くらいしかヒットしない。そこで検索フレーズを「Un chien andalou」にするとアリのシーンも見られます。

「アンダルシアの犬」の乳揉みシーンもそうだが、「無題 花」も子供と見るのはちと憚られる。まぁ小学生以下にゃわからないだろけど、修学旅行らしい女学生と並んで見るのは、おぢさん照れちゃったぞ。

ローレンス・オリビエの肖像からは「A horse! a horse! my kingdom for a horse! 」が聞こえてきそうだった。

「新人類の誕生を見つめる地政学の子供」はブルーバックスの表紙に使われていたなぁ。アメリカに希望を見いだしていたらしいダリは、今のリトル・ブッシュを見たらどう思うだろう。チェンバレンの宥和政策の失敗を絵にしているからと言って、ネオコンのいけいけどんどんを支持するとも思えない。

立体視できる絵も展示されていたが、交差法だったので断念(目の前に指を立ててみたが、うまく重ならない)。

「記憶の固執の崩壊」がジクレ版画(デジタルリマスター?)で販売されていた。ちょっと心が動いたが、財布と相談して断念。

帰りに上野の森のホームレス青テント村を見学した。『ホームレス入門—上野の森の紳士録』を読んで想像していたより少ない。当時より減ったのだろうか。

話は戻って。「ゆるゆるフェミニン」を見ると、ダリの絵を一言で例えるなら…異空間。しかし異空間でも天と地はしっかり描かれている絵が多いという解説。む、気づかなかったが、言われてみれば確かに。

知人は土曜日に行って行列したらしい。できる限り平日がお薦め(荒天ならなお可)。

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2006/09/27

『電脳日本語論』読み始め

今日は就職面接。この会社は今までで二番目に早いレスポンスだったのでやや期待。しかもオートレスポンダーは「一週間経って返事がなかったら諦めてね」だったから、とりあえず書類審査は通っている、と理解。


一時間を超す面接を終え、帰りの電車の中で話を整理。先日、書店で見かけたATOK開発チームの話が関係しそうなので、立ち寄って購入。

p.97の「すべからく」は用法が間違っているような気がする、のは良いとして、ATOKの歴史は興味深い。名前は同じATOKでも中身はどんどん変わっている事、またATOK9で「完成」(紙の辞書レベルで考えていた事は終わっていた)など。

「当たり前でないことをするのが技術だ」(p.88)という専務は、端から見る分には素敵。

いろいろ考えながら読んで疲れたので三章で一休み。

山田正紀に「うしろの一太郎」(「うしろの百太郎」のパロディ)と揶揄された「一太郎 Ver.4」についての記述はあっさりと。このバグ騒ぎのときの対応のおかげで「ジャストシステムはユーザーを大切にする」というイメージを獲得したと言う話もある...ねぇ。私もその頃Vzエディター+ATOKに転向し、以来「ワープロを使うのは素人」(なんの?)派なのでよくわからない。修太なんてものも出していたの? 知らなかった。もっともググッてもヒットしないなぁ。今はJust Rightになったのだろうか?(この部分、よく調べないままアップ)

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2006/06/12

月見草は待宵草、宵待草も待宵草

ブログを手伝っている大衆割烹のブログ連動メールマガジンに、「アカシアと呼ばれている木はほとんどがニセアカシア。ちなみに宵待草は待宵草。」という蘊蓄が。

ところが原文「太宰治の冨獄百景の中で、富士には宵待草(ヨイマチグサ)が似合うとあるが、正しくは」とあったので、富士に似合うのは月見草でしょうと修正。でも、それだけでは整合性がとれないので、太宰を飛ばして竹久夢二に登場願い、主人に連絡。

すると主人から返信で「太宰が月見草と書いた植物は待宵草で」と。

よくわからないので取りあえずブログの記事を非公開にしてから調べてみると
・世に月見草と言われている多くは待宵草(オオマツヨイグサ)
・ツキミソウの花は白く、オオマツヨイグサの花は黄色(但し変異あり)、したがって富嶽百景の花はオオマツヨイグサ
・宵待草は人口に膾炙しているが、そういう植物は存在しない
・宵待草が登場する有名な例は竹久夢二「待てど くらせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ」
・夢二の書き間違い説がある
・夢二の創造説もある
・夢二の書や本の序文には「待宵草」と書かれている

というわけで、こう書き換えた。


太宰治の『富嶽百景』にある「富士には月見草がよく似合ふ」の月見草とは実は待宵草(オオマツヨイグサ)と言われる(ツキミソウの花は白色)。ちなみに竹久夢二の「待てど くらせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな」に待草とあるのは、これも待草らしい。ただし、本人の書には待宵草とあり、いつ、またなぜ宵待草(実際には存在しない)になったのかは謎。

別に請け負い業務じゃないのだから、もらった通りの原稿を右から左に載せていれば問題はないのに、なんか血が騒ぐのよね。そうするとメンデルの法則の再発見や突然変異の発見はオオマツヨイグサを使った研究から、なんて知識も見つかる。これがたまらない。

宵待草について「いつ」「なぜ」の決め手が得られなかったのが心残り(半日未満の調査では当然か)。

ニセアカシアについてもいろいろ面白い話があったけれど割愛。

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2006/05/27

ユニバーサルデザイン度

こういうテストがあるとホイホイ受けてしまうのは他人の評価を気にする性向か、あるいはペーパーテストに慣らされた世代的傾向か。

設計者向けテストだが、だいたい常識で判断がつく。で、結果はあなたのUD度は 上級レベルです。本当のことを言ってもお世辞にはならないぞ。ユニバーサルデザイン(UD)とバリアフリーの違いを突いていたように感じた。

ユニバーサルデザインをかなり理解しています。 設計者にとって建築主の意向は重要ですが、その指示をうのみにしていると、使い勝手の悪い建物になるかもしれません。建築のプロとして、より使いやすいデザインを提案してはいかがでしょうか。

後半の指摘が気になりますね。

詳しい解説は、日経アーキテクチュア5月22日号の特集「今すぐ実践 気配り設計〜新法制定でユニバーサルデザインは不可避に」をご覧くださいとのこと。

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2006/05/01

Creator's Table Vol.4でのアンケート

 28日に参加したCreator's Table Vol.4 「デザイナーが本当に聞きたい『Webの話』」へのアンケート回答。懇親会で知り合った方に内容の一部を話したら、なぜかすごく感心された。ということは他にもこれが役に立つ人がいるだろう(一人でもいれば意味がある)ということで公開。色字は補注。

2.今、マスメディアの、宣伝媒体としての実効果や有り方が問われています。これからの媒体はWebが主流となると思われますでしょうか?
 思う
 思わない
○どちらとも言えない

4.その理由(自由記述)
20年後なら(終末戦争がなければ)そうなっているだろうが、5年後だとわからない。まして来年再来年においておや。

5.今、宣伝やプロモーションの有り方が問われています。新しい手法にはデザインや見栄えだけでなく、心に響くメッセージや見せ方が必要になると言われています。マーケティングとデザインの今後の関係については、どうお考えでしょうか?(複数回答可)
 無縁でなく密接なもの
 マーケティングはクライアントの領域
 クリエイターはデザイン、センスが命
 出来ればマーケティング視点からデザイン提案をしたいと思う
○その他(プッシュ型プロモーションは禁止になるかも。)

(これは半分冗談、半分本気)

6.メディアミックスと言われて久しいですが、現実にWebと連動する宣伝媒体として、一番何を連想しますか?
 テレビなど電波
 広告(商業印刷)
 新聞・雑誌
 フリーペーパー
○ケータイ

11.本イベントについて伺います。内容についてはいかがでしたか?
 充実していて、良かった
 今ひとつ物足りなかった
 詰め込みすぎて、消化不足だった

(記載漏れ:「○充実していて良かった」)

13.もし有料となった場合、どの程度の金額でしたら参加を希望されますか?
 2000円

14.次回以降、ゲストで呼んでほしい方をお書きください。
 視覚障害のあるユーザー、デザイナー

(デザイナーではないが日本IBMの浅川智恵子や静岡県立大学の石川准、東京大の福島智らを想定)

16.その他、ご意見・ご感想など、なんでもご記入ください。
 このアンケートは字がテカテカしていて読みにくい。

(富士ゼロックスご自慢のプリンターなのだろうが...文字は艶消しブラックが良いよ)

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2006/02/26

「明日を夢見て 〜BIG ISSUEが拓く未来〜」上映会

ビッグイシュー販売員であるお茶の水博士のブログに載っていたので、25日に見に行った。


運営の不手際に文句を言えばきりがない(「詳しい会場はセンター内電光掲示板に掲示」と案内文にあったのに掲示されていない。その代わりに学生がプラカードを持ってたっていたが、逆光なのでわかりにくい。受付の前でスタッフが立ち話をするな、邪魔。参加者名簿を廊下に出しっぱなしにするに至っては論外...)し、パンフレットは作りがずさん(「収入はっあその収入は」って「収入はあっても」としたかったのか。販売員が守るべきは「行動規約」じゃなくてその2cm上に書いてある通り「行動規範」。撮影日誌は、ブログでは横置きだった写真を縦に直したのは感心だけど、一点落としている。そのため説明文と不一致。しかも見出しを打ち直すときに間違えたのか「ガンダ」が「ガンダ」になっている。目をこすったぞ。「グラフからおわかりのように」ってグラフ載せてねーじゃん)。そして映画の出来も技術的には今二つ。

でも、途中からそういう事は気にならなくなった。

販売場所近辺を掃除するベンダーの尾崎さん。通りがかりのおばちゃんが、そのちりとりに無造作にゴミを捨てて行くシーンが印象的。尾崎さんの姿など見えないかのように...税金で雇われた清掃員と思ったのだろうか(それにしたって「これお願い」の一言があって然るべきだろう。まともな大人なら)。

「ビッグイシューを知ったきっかけは?」というインタビューに、判で押したようにテレビという回答。これはおそらく「路上で見た夢〜ホームレス自立支援の日々」 (MBS)や「路上に賭けた人生:ビッグイシューという挑戦」(FNS)の影響。たしかにマスメディアの影響力は大きい。素直にすごいと思う。だけど、上映後の挨拶で「上映会にたくさんの人が集まったのはメディアの影響」と言ったのは変だと思う。インターネットの力だって見過ごせない筈だし。あと手前味噌になるのを遠慮して省いたのかもしれないが、武蔵大学内でのアンケートではROHが行った大学前での販売活動で知ったという人も多いそうだから(グラフが見られなくて残念!)、これはちゃんと報告しなければ。


いろいろあるけど妙なスレ方をしていない、今日日珍しい?一途さを見せた学生諸君に拍手。

ところで冒頭のBGMは気に入った。なんという曲だろう? そうだ、映像というのはわかりやすい反面、誤解もしやすい。各シーンに解説をつけたものがあれば良い。編集ノートというのかな。観た人なら文字だけでも映像を想起して、より理解が深まります。


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2006/01/16

昆虫の図鑑、青臭い恋愛小説、心と遺伝子(+同性愛)を聴いてきた

ジュンク堂トークセッション「昆虫の図鑑、青臭い恋愛小説、心と遺伝子(+同性愛)」を聴いてきた。企画は台場にある日本科学未来館らしい。

前半は演者である山元大輔教授が何をしているのか、という行動遺伝学の紹介。これがうけて、終了後の質問も大半が同性愛の遺伝子に集中。少しは本の質問もしましょうよ。

遺伝決定論は忌み嫌う人がいるし、虫の話をしているのにヒトのことだと誤解して怒り出す人もいるから少し心配だったが、軽妙に、慎重にさばいていたのはお見事。

少女^h^h^h^hショウジョウバエの性行動変異の話はもっと聞きたかった。特にsatori変異の脳の話は、聞き違いとは思うが合点がいかない(脳が雌化しても雄を追いかけるようにはなるまい)。また性行動異常で不妊になる変異系統の維持は大変だろう(「禁欲主義は遺伝しない」)。

さて、本のお話。ご自宅と研究室の書棚の写真を示しながら読書遍歴の紹介。実にいろいろな本をお読みになる。しかし「本はためない」主義で、引っ越しの度に処分するというのに、高校以前の本も残されている。どういう淘汰圧に耐えたのか、は興味深い。これについて「いろいろな本を読まれているが、共通点は?」という質問があったけれど、一つの共通点を求めるのは無駄だろう。読み手の心の琴線にしても一本とは限らない。

むしろ読み手の精神状況によって読みたい本が変わるのではないか。実験がうまくいってアイデアが次々湧いてくるような時はあまり本は読まないだろうし、論文が受理されて一段落という時と、行き詰まってしまいグラントの心配がのしかかっている時とでは、読みたい本は自ずと異なると思う。その辺りが意識化できれば、逆に手にとる本によって意識を変える事ができたりして。

また読書は個人的な営みと思われているが、友人等の影響が意外に大きい事を再認識した。

最後にお薦めの本の紹介。
いち・たす・いち」(中田力)
ヒトゲノムとあなた」(柳澤桂子)
まだあったかな? 柳澤さんは何となく避けていたけれど、ああ誉めるのなら読んでみようか、という気になった。これも他人の影響の重要性の証左?

後は雑感。
・やはりコーヒーやお茶ではなく、ビールか焼酎を前に聞くのがふさわしいと思う。(欲を言えば日本酒と天ソバか何かの台抜き関東だと天抜き?で)
・書棚の写真はプロに撮らせなさい。せめて撮影術を伝授して(ストロボが反射して書名が見えない)。
・一日は24時間、一週間は7日と平等に与えられている筈なのに...時間にも人によって濃淡がある。
・恋愛小説を読んだり、女性誌に連載を持ったりすることで脳が刺激されているだろうな(参考「男性なら、無作為に女性誌を買ってみよう」)
・生物系の人はSF嫌い、という事はないと思う。たとえば遺伝研にSF好きの人がいるのを知っている。
・研究室の机に載っているのはG4cubeだろうか。液晶モニタの前に小型ノートPC(Let's note?)がタンデムになっているのがカコイイ。
・館内放送で女性が「昆虫の図鑑、青臭い恋愛小説、心と遺伝子、同性愛」と繰り返していたのはなんとも。

終了後は即席のサイン会。並べて販売されていたうちから「男と女はなぜ惹きあうのか—「フェロモン」学入門」(+「ミーサイマガジン9」)を購入。先生、私の事は覚えていてくださいました。

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2005/11/05

情けないぞ?NHK

3日の夜、ぼーっとNHK総合テレビを見ていたらとんでもないテロップが。

静かに寝むる
女は静かに寝むる
(河島 英五「酒と泪と男と女」)

これは「眠る」でしょう、普通。生放送中に大物歌手が歌詞を間違えた途端にテロップを消した技術力があるNHKなのに、なんという初歩的な... (大物というだけではダメで、別のファクターも必要?)

それともオリジナルが「寝むる」なのでしょうか。そう思って「酒と泪と男と女 寝むる 眠る」で検索をかけると、

「眠る」と書くべきところを「寝むる」と書くところが、河島」
というブログ記事を発見。でも「河島英語である。」なんて書いてあるので信憑性減。

もっとも2001年の紅白歌合戦では「眠る」だったことが批判されているらしいので、やはりミスではなくて原典忠実路線で合っている?

それでも教育的な配慮から、眠るに直す(歌詞中のポルシェをクルマと言い換えさせたという天下のNHKなのだ)か、せめて「寝むる」と、「普通の用法じゃありませんよ〜」を強調すべきでは無いだろうか。

それにしても、検索してみるとなんの疑問ももたずに「寝むる」と書いている人の多いこと(平然と「寝むる」と「眠る」を混在させている人も)。心配になって辞書を引いてしまいました(「寝むる」は大辞泉にも大辞林にも載ってません)。

こういう混乱は、原典にすぐ当たれるようにしてあればかなり防げる。複製権を盾にネットでは検索できないようにしてあるのでしょうが、間違った複製の多発でかえって同一性保持権がぼろぼろに。複製権と同一性保持権、無理に比較したら人格権である後者の方が重要だと思いますがね。複製権が切れた時に紛い物コピーだらけという状態が、果たして好ましいことなのか。


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2005/08/15

陽光の下で観る名画

世界の名画を大判プリンタで原寸大に再現した EPSON MUSEUM「美の巨人たち」特別展を観た。

「裸のマハ」の大きさにも驚いたが、「アビニヨンの娘」があれほど巨大だったとは! かと思えば「印象・日の出」が意外に小振りなのに驚いたり。

それ以上の感動は、絵が蛍光灯で照らされていたこと。殊に古い名画は劣化を恐れ、展示会でも最小限の照明しか当てられていないことが多いが、さすが顔料インク(ちがう)。絵によっては陽光が射していて、画家と同じ光量で観ることができたのが一番の収穫。(明るい「叫び」は不思議な感じ)
epson

名画を背景に記念写真が撮れるというのも人気を集めていたようだ。

たまたま岩波新書の「魔女狩り」(森島恒雄)を読んでいたところだったので「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」の説明(財産目当ての死刑)は奇異に感じられなかった。ターバンを巻いているのは斬首に備えてですか...

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2005/08/07

プリンタで原寸再現の名画

エプソンプリンタで世界の名画を原寸大に再現するという EPSON MUSEUM「美の巨人たち」特別展が金曜から始まる。

同様の趣旨のものとしては鳴門市にある大塚国際美術館が世界の名画1000点を陶板で原寸大に再現しており、これは聞くところによればかなりの迫力だとか。

人によっては馬鹿げていると貶すかもしれない。しかし大画面テレビ受像機でハイビジョン撮影された美術館紀行番組を見るのとどう違うのか。しかもオリジナルは劣化を恐れて十分な照明なしで見なければならないことが多い。

これで全部わかったつもりになっては困るが、教科書知識から一歩踏み出すには原寸の迫力を体感することは大切だ。(逆に「思ったより小さい」という例だってあるだろう。「大いなる赤き竜と日をまとう女」を見たダラハイドのように...彼も早くに現物か原寸レプリカを見ていればねぇ)

絵の具の質感まで鑑賞したい向きのために、どなたか精巧な模写を集めた美術館を建ててくださらないか。一口乗りますよ。

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2005/06/18

spam a lot!

今年のトニー賞、日本の新聞は宮本亜門が受賞を逃した、を見出しに持ってきたせいで、記事を読まず、したがって何が選ばれたのか知りませんでした。

と、12日の「芸術劇場」(NHK教育)を観るともなしに流していると、不意に聞き覚えのある音楽が。

Bravely bold Sir Robin rode forth from Camelot.♪

おお、モンティパイソンの映画「モンティパイソンとホーリーグレイル(MONTY PYTHON AND HOLY GRAIL)」をもとにした「スパマロット」がミュージカル部門最優秀作品賞に選ばれたというのだ。画面にはエリック・アイドルが。この人は歳をとってもあまり容貌が変わらない。ジョン・クリーズ(ハリー・ポッターにでている)がすっかり老けてしまったのとは大違い。

「ホーリーグレイル」は、今では伝説のコメディ集団「モンティパイソンズ」がアーサー王伝説を徹底的におちょくった映画。

ちなみに迷惑メールのことをspamというが、これはスパイスの利いたランチョンミートの缶詰(ホーメル社のSPAM:大文字)をネタにしたモンティパイソンのスキットが元。(お堅いBBCの放送の中でspermと連呼するための偽装ではないかと推測している。)

ミュージカルのタイトルspamalotはアーサー王の居城Camelotとa lot of spamの両方にかけているのだろう。

トニー賞授賞式の模様は18日、NHK-BS2で19:30から放送されます。たぶんスパマロットの触りも放送されるのではないかと期待。

またネット上を探してみるとThe Ballad of Brave Sir Robinなどを聞くことができます。

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2004/11/22

新潟中越地震チャリティコンサート

日大カザルスホールで開かれた東京ヴォイシズの「新潟中越地震チャリティコンサート」を聞く。

このホールは主婦の友社所有時代に「フレンズ」となり、その後経営難が表面化してからに「パトロン」を引き受けていた関係で、日大に買い取られてからもコンサート案内がきていた。18日の「秋のコンサート2004」に行ってチャリティコンサートの開催を知る。

新潟福井豪雨に始まる今年の天災続発には心を痛めていたが、義捐金や支援物資が必ずしも被災者救援に有効に役立たない懸念(たとえば日刊デジクリでの神田さんによる批判や、チェーンメール騒動)から、新潟にもどこ経由で支援すべきか迷っていた。地元とのチャネルがあれば徒にプールされて六菖十菊になったり悪平等で希薄化されたりする心配は少ないだろう(希望的観測)。


ちなみに神田敏晶というとセグウェイのヒューマントランスポーター(発表前はジンジャーという呼び名で関心を集めた人間にとって画期的——サルは転けた——乗り物)を日本に持ち込んで起訴されたり(宗主国の頭領が乗れないんだから危険に決まっていると買弁官僚は考えた、ワケではなくて単に道交法違反だから)、裁判ではさして争わず罰金刑をあっさり確定させながら納付を拒否してみたり、進んで労役留置されながら退屈さに耐えかねて罰金を納めてでてきたりという奇矯過激なだけの人と思われているかもしれないけれど、95年の阪神大震災を経験しています。それに出所手続きがすんだ後まで拘置所職員が被収容者にするような口ききをすることをとがめるなど常識も持ち合わせている。

ところがチケット購入方法が書いてない。19日にホールで募金をしている人に聞いてもわからない。ホール事務局でもわからない。仕方がないからチラシに書かれていた携帯電話番号に問い合わせると、当日売りは15枚だから早く来てくれという。結局開場時刻の一時間以上前に行って並んで購入はできたが、なんと隣にはネット予約をして引換券を持った人の列が! ネット予約のことなんか書いてないぞ。そう思ったのは私ばかりではないようで、券を購入してから入場のため並んでいたら前方のご婦人方が「どこで買えるかわからなかった」とご不満の様子。それで、大人げないとは思ったがアンケートに苦情記入。もっとも聞けば準備期間が非常に短い突貫作業で、開催にこぎ着けられただけでも立派といえなくもない。しかし完売のはずの会場には空席が目立ち、やむをえないこととはいえチケットの割り当て配布が行われたことを窺わせた。来賓席なんて総長夫妻がポツネンと。

こういう現象はバブル期の有名演奏会でもあったときく。つまり企業が接待用に良い席の券を買い占め、もらった方は興味がないからすっぽかす。結果、渇望しても入れない熱心なファンがいる一方で、S席クラスにぽっかりと大穴。

チャリティーだから金があつまりゃ良いというのも一つの見識だが、音楽家に対して失礼だね。ドシロートのチャリティコンサートだって、その志を思えば空席は少なくしたいと思うもの。

(続く...かも)

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