2008/03/01

NK細胞を活性化

先週の土曜日(2月23日)は神田の大衆割烹で開かれた落語会を聴いて来た。腹の底から笑いでもしないと身が持たない情勢だったので本当に助かる。

この日、時間に余裕があったので新宿から靖国通りを歩いてみた。春の陽気で、汗ばむほど。そして新宿区なのに意外なほど空が広いことに驚く。と、そこに漁船、じゃなくて空を切り裂くような鉄塔。はじめは放送局かと思ったが、あとでgoogle mapで確認すると自衛隊市ヶ谷駐屯地の施設らしい。

そびえ立つ鉄塔。手前のトラックには「粋」の字が。

市ヶ谷駅近辺でうっかり外堀通りに入ってしまい、飯田橋駅そばで軌道修正。それでも西神田に着いたのは開場30分前。腹ごしらえをしてから店に向かう。なにしろ、以前の落語会では空腹のまま「親子酒」を聞くという地獄の体験をしているので。

店の前に掲げられた落語会の看板

この日の出演は三笑亭可龍(二つ目)と桂平治(真打ち)。二人2席ずつ4席に2時間というたっぷりとした時間配分(通常の寄席は15分くらい)。

平治師匠の平治メモによると一席目の「長短」は満足のいく出来ではなかったらしい。偶然にも、前週のNHK「笑いがいちばん」でこの「長短」が放送されていた。もちろん噺の比較などできるわけもないが、素人にも明白なのはマクラの長さ。平治師匠は気の長い人の話し方をたっぷりと演じていたけれど、短気な職人風の話し方もお似合いだと思う。ま、それは延々とは演じられないけれど。

二席目の火焔太鼓は身振り手振りを交えての熱演。テープやCDなどの音源ではこれは分からない。大名屋敷の庭を通る際の仕草を見て、「松」という言葉が出る前に笑い出してしまった(家を出る前に、太鼓が汚いから縛られて松の樹に吊るされるかも、と脅かされたのを庭の松を見て思い出す様子が伝わってくる)。

なお、「世に二つという火焔太鼓」は言い間違いではなく、火焔太鼓は二つで一対のものであることを踏まえての工夫だそうだ。

可龍さんは最初に「宗論」。いくらキリスト教に帰依したからと言って、あんな外国人宣教師みたいなしゃべり方をするようになる訳はないのだが、際どい内容だから少々誇張した方が安全なのかもしれない。それにしても落語で賛美歌を聞くとは思わなかった(しかも、去年、叔父の没後7年記念会で歌ったもの)。羽織を替えての二席目は「幾代餅」。一席目の反応を見て予定を変えたと言う。さすが。ただ、幾代太夫が一途さに打たれて心惹かれるようになるところが、こちらは筋を知っているから良いものの、ちょっと物足りないような(と、生意気なことを言ってみる)。

会場の隅に父君がいらしたが、別にステージパパという訳ではなくて、以前からの店の常連だそうだ。まったく縁は奇なもの。

高座のあとは酒と料理。大皿料理もいいけれど、ここでは少量多品種が次々と運ばれ、いろいろな味が楽しめる。もしかして、かなり贅沢。

この会がなければ生で落語を聴くことはなかったかもしれないので、誠にありがたい催しだ。次回は6月21日。

この日、大笑いした御利益か、今週(25-29)は運気が上昇したようだ。

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2007/06/24

麻暖簾

臨時の寄席で落語を聴いて来た。噺家が気を利かせてくれたのか「テレビではやらないもの」と演じたのが「麻暖簾」。

蚊帳も按摩も通じ難くなって来たというのもあるだろうが、なんと言っても盲人を笑いものにしているのがマスメディアで取り上げない理由だろう(差別だと判断したというより差別だと言われるのを恐れて)。

視覚障害者を「一人では何もできない無能力者」とするのはもちろん差別だが、「なんでもできる」と持ち上げるのも、一見能力を高く評価しているようで、実は「個人を見ないで“視覚障害者一般”でくくる」点で同じだし、さらには「介助をしない口実」になるからよろしくない。

この話には、自信家の盲人が一晩中蚊に悩まされるなど底意地の悪さも垣間みられる。しかし、晴眼者の中途半端な気配りが一番悪いこともわかるようにできており、もっと聞かれて良い話ではないだろうか。下げのところを少々工夫して。

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2006/09/19

落語とPC

先週の土曜日に落語を聞きに行った。大衆割烹の主人が店で開く落語会。最初は開店三十周年記念に向けての企画であったが、好評のため継続して三回目

出演した噺家は、前回は自分の師匠が出ているのでおおよその状況は聞いているだろうが、勝手をつかみ兼ねてか、まくらを「どういう場でも安心な話」で切り出した。児童生徒を相手に郭話はできないし、客を笑うような演目は避けねばならないから。で、それが「三ぼう」、つまり「つんぼ(聾)」「けちん坊(吝嗇)」「どろぼう」ネタ。寄席には来ないか、笑われても表立って抗議はしないから、どこでも気兼ねなく演じられる、と。

ただ、さすがに聾者は落語を楽しまないなんて朗らかな無知は通用しないし、何より「つんぼ」という言葉自体がはばかられる存在。その辺は心得ていて、つんぼの解説の後「ご身内にそういう方がいらっしゃったらお赦しを」と深々と頭を下げる。おいおい,落語も大変だなとやや興ざめしながら聞いていると次がけちん坊。笑うために金を払ったりはしないというのを滑稽に演じてから、この会場にいらしている方はお代を払って−−ほとんど飲食費−−いるから決してケチではないでしょうが、ご身内に...と続ける。最後は泥棒。いくらコケにされても怒るわけにはいかないから安心して笑わせられる。そしてこれも最後に「ご身内に」とやるから会場大笑い。しかも頭の下げ方がだんだん軽くなるのはうまい。

それから演じたのが「だくだく」。ちなみに第一回に出られた桂平治師匠は前座のころ、勝手に「お客がワーと笑ったつもり」と付け足して師匠に怒られたとか。

代わって真打ちが登場して「目黒のさんま」。下げ(落ち)が有名な話は、客が「来るぞ来るぞ」と身構えているから大変だろう。しかし今回は客も大変。生唾を飲み込みながら脂滴る塩焼きを食す演技を見るのは辛かった(親子酒の時の塩辛も垂涎だったなぁ)。

「普段の袴」は煙草ネタ。これはだんだんやり難くなるだろう。最後は「百川」。演目は聞いていなかったのに、その日の午前中にこの話を思い出したのは不思議。これは訛りを題材にしているから、場所柄をわきまえないと通じないばかりか客を不快にさせる可能性も。百川でググると、「この人物の出身ははっきりしません。(中略)本当ははっきりしないと言うよりはっきりさせちゃいけないのです。というのは、田舎物を馬鹿にしております。場所を限定するとその他の県の人たちは面白いかもしれませんが、当事者は面白くありません。」という解説も(誰かと思ったら三遊亭栄楽)。

ところでPCとはパソコンではなくてpolitical correctness。無神経に障害者や特定の職業等を嘲り笑うのは聞き苦しいけれど、毒気を抜きすぎると笑いも死ぬから難しいところ。中には安楽死がふさわしい笑いもあるだろうが、蓋をしてなかった事にしてしまうのもどうかと。

あと考えさせられるのはアナクロニズムの扱い。娯楽なのだから時代考証はほどほどで足りるにしても、あまり時事あるいは現代ネタを盛り込まれると軽い感じが... かといって能のように意味が分からないままかしこまって聞くのも不毛な感じ。「ツァラトゥストラはこう語った」なんて聞くとお子様向けリライトみたいに感じるのに通じるが、所詮はただの衒学趣味かしら。

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2005/11/05

情けないぞ?NHK

3日の夜、ぼーっとNHK総合テレビを見ていたらとんでもないテロップが。

静かに寝むる
女は静かに寝むる
(河島 英五「酒と泪と男と女」)

これは「眠る」でしょう、普通。生放送中に大物歌手が歌詞を間違えた途端にテロップを消した技術力があるNHKなのに、なんという初歩的な... (大物というだけではダメで、別のファクターも必要?)

それともオリジナルが「寝むる」なのでしょうか。そう思って「酒と泪と男と女 寝むる 眠る」で検索をかけると、

「眠る」と書くべきところを「寝むる」と書くところが、河島」
というブログ記事を発見。でも「河島英語である。」なんて書いてあるので信憑性減。

もっとも2001年の紅白歌合戦では「眠る」だったことが批判されているらしいので、やはりミスではなくて原典忠実路線で合っている?

それでも教育的な配慮から、眠るに直す(歌詞中のポルシェをクルマと言い換えさせたという天下のNHKなのだ)か、せめて「寝むる」と、「普通の用法じゃありませんよ〜」を強調すべきでは無いだろうか。

それにしても、検索してみるとなんの疑問ももたずに「寝むる」と書いている人の多いこと(平然と「寝むる」と「眠る」を混在させている人も)。心配になって辞書を引いてしまいました(「寝むる」は大辞泉にも大辞林にも載ってません)。

こういう混乱は、原典にすぐ当たれるようにしてあればかなり防げる。複製権を盾にネットでは検索できないようにしてあるのでしょうが、間違った複製の多発でかえって同一性保持権がぼろぼろに。複製権と同一性保持権、無理に比較したら人格権である後者の方が重要だと思いますがね。複製権が切れた時に紛い物コピーだらけという状態が、果たして好ましいことなのか。


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