2008/02/24

ワルシャワ労働歌

ふと自分を鼓舞したくなって「ワルシャワ労働歌」の音源を探してみた。

すぐに見つかったのはなんとポーランド語版だった(題名から分かる通り、ポーランドで作られた歌)。

日本語の歌詞は鹿地亘の手によるという(この人は占領中に米軍情報機関に拉致され、スパイになるよう強要された)。

ところが歌詞は2バージョンある。ご存じの人も多いだろうが、敵の嵐は「荒れ狂う」と「吹きすさぶ」(以前、「荒れすさぶ」というのも目にした覚えがあるが、漢字で書くと「荒れ荒ぶ」なので「吹きすさぶ」になったのだろう)。

「狂う」が精神障害者への差別ではないかという議論の影響らしい。時計が狂う(=時刻が不正確)も差別発言として糾弾されたという話を聞いたことがある。それに対して「そんなバカな」などと言おうものなら大騒ぎだったとも。1980年頃だろうか。

82年に死去した鹿地が、そんな議論を受けて訳を書き換えたとも考えにくい(そもそも対立する党派の主張だし)。ということは誰かが気を回して著作者人格権を侵害している、ということだろうか(少なくとも鹿地訳として載せるのは問題)。

それはさておき、能天気に胸をジンとさせていた「今や最後の闘いに 勝利の旗はひらめかん」の部分、考えてみれば「負けたら最後」という闘いは歴史上いくらでもあったろう(そして負けてしまったことも多々)。だが、「これに勝てば千年王国成就」というようなありがたい闘いはなかった。勝っても勝っても新しい敵がしぶとく出てくる。しかも旧敵がよみがえるだけでなく、かつての味方が敵になることもあった。いや、自分自身が当の闘いの相手と同じになってしまうことさえ...

かつて口ずさんだ戯れ歌が無難かもしれない。

取手の上に 我らがキセル 築き固めよ こっそりと (詠み人知らず)

(実際にキセルをした訳ではありません。「できるなぁ」と理論的に?検討しただけで。)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/11/24

やっぱりマルチだった

以下は5月に書いたmixi日記から。この8月に経済産業省から業務停止命令(リンク先はPDF)を受けていたのを今さら知る。円天の破綻より早かった。新聞記事によれば「過去に東京都と福井県から是正指導を受けており、経産省は厳しく処分する必要があると判断した」とのこと。

先週、法事で父の郷里に行ってきた(厳密には祖父の郷里らしいが)。

そこで親類の一人がユナイテッド・パワーのセットトップボックス(STB)を売っていることを知った。
http://www.unitedpower.co.jp/rakuichi_top.html

「TVでインターネット」は、かれこれ10年近く前から現れては消えてきた。だが一向に芽が出ない。

ただ、「PCを使えない(使わない)」というのは私の想像を絶する世界なので(なにしろ携帯電話でインターネットがここまで普及するとは思いもしなかったパソコン中心派)、もしかしたらまだ商機はあるかもしれない。

とはいえ、この仕組は怪しすぎる。いやWindowsCEの話ではなくて、まるでマルチ商法なのだ。それに気づいたのは本人が居なくなってからだったので、叔母にはそれとなく「怪しいよ」と伝えるにとどめたのだが。

いろいろ大人の事情があるらしい。うむむ

私が「オヤジのオウム真理教」と呼ぶ船井幸雄がここの社長と本を出している。あんた「能ない脱税」で懲りたんじゃないのかよ。アマゾンの書評はこてんぱんだが、これならまぁ「年内に破綻」ということはないだろう、たぶん。(ん、本が出たのは2004年か... そろそろ刈り入れ時?)

(帰ってきたその日、ちょうど「円天」が報道番組に取り上げられていた。円天といい、楽市といい、楽天のパチモンみたいな名前を良くもまぁ恥ずかしげもなく...)

(「楽市」は楽天の「楽天市場」をパクったものではなくて「楽市・楽座」からという可能性もなくはないが)

あらためて調べてみると、3年くらい前には既に「教えてgoo」に相談が載っていた。また去年の3月には中身の無いITとネットワークビジネスで人々を陥れる企業「ユナイテッド・パワー」というセミナーレポートが公にされている(5月のときは見なかったような)。こういう「自らが本気で体験したことがないのに、良し悪し言うは、愚なりけり」なんて中傷にめげない人を大切にしなければ(幸いニフティからの削除要請も出なかった模様)。

今にして思えば親戚へ「もう一押し」しておいた方が良かったなという反省があるので、業務停止で一安心。詳しくは書けないけど、野放しだと相当まずい結果を招来しかねなかったから(手遅れになっていなければ良いが...)。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/11/03

「ビッグイシュー」の折り紙職人

施しではなく、仕事を与えることで生活の糧を得られるようにする。この援助の基本(「パンではなく小麦の種を」「魚ではなく釣り竿を」)を実践しているのが雑誌「ビッグイシュー」だ。

「ビッグイシュー」は月2回発行で、ホームレス(路上生活者やそれに準ずる人)だけが販売することができる。一冊140円で仕入れて300円で売り、差額160円が販売者の手取りとなる(一部地域は90円で仕入れて200円で販売)。

NHKの「おはよう日本「首都圏」」や日経ビジネスオンラインでも取り上げられたので、だいぶ知られるようになったと思う。

この雑誌とは、東京は御茶ノ水橋の上で売っていた、その名も「お茶の水博士」から買ったのが最初の出会いだった。彼は手製の路上新聞を発行し、ブログを開設し、多くの固定客を得てカリスマベンダーと呼ばれ、蓄えで部屋を借り、再就職に成功した。今はビッグイシュー日本の佐野代表に請われて東京事務所で後進の指導に当たっている。

御茶ノ水橋の上に開拓された販売場所は現在も引継がれているが、私は個人的な事情で新宿で購入するようになった。

そこで出会った販売員が長倉さん。上記の日経ビジネスオンラインに登場するし、朝日新聞9月14日朝刊31ページに紹介されたこともある。(ビッグイシュー本誌の「今月の人」にも登場)

写真:表紙を飾る女優J.フォスターの顔の上に鎮座するお狐様(折り紙)

彼は一冊に折り紙を一つ付けて売っている。もらっても持て余してしまうのは分かっているが、販促努力の一つとして頂戴している。アクションが一つ増えることで購入客との会話につながるのが楽しみなのかもしれない。

ジョディ・フォスターが表紙を飾る82号に付けられているのはお狐さん。現世利益の代表格、稲荷神のお遣いですから、売上げ増と路上生活脱出をお願いしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/10/08

紅葉に張り替えますか

いつのころからか駅の広告に木々の緑が貼り出されていた。
新緑の広告

広告主の名前はない。ひょっとして立体視できる?と思って平行法と交差法を試してみたが、どうも違う。

季節との食い違いが目立ちだして気づいた。広告が取れないのだ。

白塗りよりはましだけれど...(別の駅で一昨年撮影)
広告の少ない構内(別の駅)

葉っぱが目立つ

景気はまだまだのようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/08

五人組

アテネ・フランセ文化センターで開かれている上映会「小川紳介と小川プロダクション」で「パルチザン前史」を見てきた。開場前に列はできていたけれど、蓋を開けてみれば観客は60人程度か。 昔笑いが起きた、時計塔で裏返しなっていた旗のシーンは誰も笑わず。

台本と、ついでに「辺田部落日録'71.9-'72.11」を購入。計400円。よく残っていたな。(日録は見覚えがあるので昔購入した事があるのかも)

議論、と言うか言い争いのシーンになると何を言ってるのかわかりにくいので台本は助かる。もっとも、読んでみても論理展開がつかめない個所はあるが。またあたかも現地録音のように「今こそ 別れめ (聴取不能)」となっている大阪市大陥落時に学生が歌う「仰げば尊し」は実はアフレコ

議論の場に女性の姿はない。救対(逮捕時の救援対策本部)が女子学生なので京都大全共闘も性別役割分担か、と思っていると再封鎖された文学部棟にやってきた見るからにノンポリチックないでたちの女子学生が、柱に書かれた「再封鎖」の字をしばし眺めてから、やおら下に置かれていた筆をとって「斗うぞ」と書き足すのでびっくり。学生の会話から、その決意はファッションではなく実践に基づいていたことが分かる(「あの女の子な、勇敢だったぞ!ものすごく!」)。

また時計塔で篭城準備を進める中核部隊のなかにもきりりとした女性達が映っている。このシーン、台本には「女子“工兵”がめだつ」「汗で髪がひたいにはりついたまま、わきめもふらずに働いている、白ヘルメットの女子学生。」と書かれていた。

余談になるが、目立つ女性活動家は当時「〜のローザ・ルクセンブルグ(またはゲバルト・ローザ)」と呼ばれたようだ。第一号は東京大の院生らしい。

ちなみに映画では、本名でローザ・ルクセンブルグに関する論文も発表している滝田修が蔵書からルクセンブルグの腐乱死体(ドイツ革命のさなか、右派に殺害され、川に投げ込まれた死体が確認されたのは半年後だとか)の写真を示し、繰り返し「ごっつい写真ですわ」と繰り返していた。革命家の過酷な運命を思ってのことだろうが、このとき彼は自らが無実の罪に問われて10年余の逃亡生活と7年近い拘禁生活を強いられることを知らない。

さて本題。ここに登場する滝田らは党派に所属していない。党派がそれなりの力量を発揮していることを認めつつ、その「丸抱え」を批判して自分たちの闘い方を模索する。そして出てくるのが五人組。キーワードが「義理と人情」というのが面白い。

この手のものは、一方に偏ると相互批判が高じて相互批難から内ゲバへ、他方に偏ると現役ならば傷の舐めあい、「卒業」後は思い出を語りあうだけの同窓会になってしまう。後者を食い止めるのが義理、前者を防ぐのが人情なのかなぁと漠然と思う今日この頃。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/12/10

現代の貧困(論座1月号)

月刊「論座」1月号の特集は「現代の貧困」。

特集の前の「潮流07」にも「インターンシップという美名に潜む使い捨て労働者」という恐い記事がある。日本人も中国からの研修生のように使役されるのだろうか。

さて内容は、さきの『ワーキングプア』を裏付ける実態。そしておぞましい「貧困ビジネス」の繁盛ぶりも。

「on the edge 〜崖っぷちに立つ若年フリーター」を読むと、ちなみにオンザエッジと読むとライブドアの旧社名というのも皮肉な気がするが、オンジエッジであろう、追い詰められて人間としての尊厳を忘れさせられた青年が登場する。

アルバイト生活なのに「ちょっとした余裕」が欲しくて消費者金融(高利貸し)から借金し、数年後に200万円に膨れ上がらせ、夜逃げをしてホームレスなったなんて読むと呆れ返るばかりだが、よく考えれば義務教育は彼に「人類最大の発明」を教えたのだろうか? 

性格的にいくぶん問題はありそうだが、この程度の性格でもっと能力が低くても、今までは十分社会生活を営めたし、今でもちゃんと納まっている人は多くいるだろう。彼が脱落したのは本人の問題なのか、それとも社会に余裕がなくなった結果なのだろうか。自己責任論者はカナリアがもがき苦しむのを見て面白がっているのではないだろうか。

次に登場するフリーター 氏は、貧困の固定化を呪い、社会の流動化の手段として戦争を渇望する(かのよう書く)。そんなに戦争がしたければ自衛隊でも外人部隊でもアルカイダにでも行け、で終わらせられれば話は楽だが、幸か不幸か「論座」もそんな釣餌をぶら下げるまで落ちぶれてはいなかった。

できることなら戦争なんて起きない方が良いと断った上で、こう結ぶ。


しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することを躊躇しないだろう。

あれ、どこかで読んだような気がするフレーズだな。と思って記憶をたどると見つかった。鈴木貴博のコラム「ビジネスを考える目」だ。

そんな世代間の闘争が、残念ながらこれから先、再び、そして三度(みたび)起きてくる。我々の世代が、若者の世代に雇用機会をはじめとする様々なチャンスを平等に与えられなければ、きっとそうなることだろう。

そして、なんとかそれらの若いパワーを権力で押さえ込まずに、解決の道を見つけてあげられないと、我々の世代も含めて未来は暗いものになるだろう。

なぜそう思うのか? もし三度、若い世代の闘争を権威でつぶしてしまったとすると、四度目に現れる若き挑戦者はおそらく武力と集団を武器に現れる。そしてそれは先進国としての終わりを意味するであろうからだ。

フリーターが言えば誤読されるけれど、コンサルタントが言えばエスタブリッシュメントも耳を傾ける(なにしろ日経のプレミアムサイトに載ったコラムです)。そのことがまた彼を苛立たせるのだろうなぁ。

ご本尊のblogについたトラックバックによると、論座を読まない批判もあるという。お望みのB vs. C の闘いも同様に仁義なきものになることは織り込み済みだろうか。

また別のTBは突き動かす名状しがたい諸々にシンクロ出来ないと書いていて、私にはこの方が得心がいく。一言で済ませるなら、彼は蜃気楼に向かって石を投げているのだ。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

『ワーキングプア』

働いても生活保護水準以下の収入しか得られないのがワーキングプア(働く貧困層)。これで居住地の制限があったら農奴と同じ。日本におけるワーキングプアの深刻な実情が報告されている。

ただ、巻頭に石川琢木の歌を引いているのには違和感を覚える。確かに彼は貧窮の中に没したけれど、それはたぶんに本人の浪費が原因であって、ワーキングプアと同列には論じられないだろう。東京朝日新聞時代の給与(25円+夜勤手当で実質30円)は「悪くない」よりは「良い」部類であったそうだし。

月に三十円もあれば、田舎(ゐなか)にては、
楽に暮せると——
 ひょっと思へる。
悲しき玩具

もっとも実際のワーキングプアの中にも自堕落、は言い過ぎとしても本人の問題が大きく思える例がある。その点、その子供達が人生のスタート地点からハンデを負い、いわば貧困を相続していることには100%同情するし、危惧される。階層の固定化につながり、社会の闊達さが失われかねないからだ。

なお本書を購入しようと思う人は、下記のお茶の水博士のブログからどうぞ。
http://big-ogawa.seesaa.net/

(なぜかアクセスできない...マイミクからも消えているし...胸騒ぎ)

お茶の水博士(仮名)はビッグイシューの元販売人、つまり元ホームレス。ワーキングプアどころか仕事も、住むところさえ失っていた。本書に収められた経験談によれば、それはあっと言う間のことらしい。上に書いたことと矛盾するようだが、普通の暮らし、むしろ羽振りの良かった人の方が、いったん歯車がずれると立ち直りが難しく、事態を悪化させてしまうのも恐ろしいところだ。

かくいう私もこの2月に整理解雇され、ながく失業状態にあったので他人事ではない。不安定で低賃金でも職があるとないとでは大違いのように思えるが、新たな職探しが難しくなればそれ以上の改善は望めないわけで、「なんでもいいから」に追い込まれなくて本当に良かったと思う。(勤めだして振り返ると、なにしろ今度は面接する側に引っぱりだされるので否応無しに思い出されるのだが、自分はずいぶんと認識が甘かったと冷や汗が出る思い。)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

土・くらし・空港

成田国際文化会館で開かれていた「土・くらし・空港」展へ2日に行ってみた。お目当ては小川プロの映画「第二砦の人々」。開演までに少し時間があるから、と先に展示を見ていたら、危うく満席で見られなくなるところであった。その辺の様子は「共有される歴史」に詳しい。

これは第一次強制代執行を記録した、三里塚6部作の中ではもっとも激しい映画だ。ところが久しぶりに見て、次の「辺田部落」に通じる“語りの映画”の面が強いことに気がついた。とにかく長回し。砦の中で、バリケードの下で、地下壕で、まとまりなく話し続けるのをひたすら撮る。地下壕の通気口のところなど「もうわかった」と言いたくなるほど繰り返しろうそくを近づけて空気の流れを見せてくれる(これは覚えていた)。ラストの穴掘り(地下壕拡張)シーンは暗いし方言だし、わかることと言えば若者達が穴を掘っていることとそれが大変な作業と言うことのみ。それがまた延々と続くのだ。今回は真面目に見続けたので、使っているのがトンビ鍬(展示されていた)とわかったのが収穫。

(公開当時は「七月仮処分」「第二次強制代執行」を前にしていたので、今とは受け取られ方もずいぶんと違っていただろう。)

次に上映された「映画作りとむらへの道」によってそれが意図的なものであることが明かされる。作中登場する小川監督は、「辺田部落」のラッシュを見てだと思うが、東京から来た人ならカットして編集してしまうだろうということを語っていた。ところが地元でそのまま見せると食い入るように見て、良かったという。別に自分らが映っているからでもなさそうで、どうも村に流れる時間は都会とは違うようだ。

それにしても、その地味の権化のような「辺田部落」の上映を、「不測の事態」を理由に禁止した78年当時の筑波大当局者は、よほどの慧眼かただのバカであろう。慧眼というのは、あの地味地味を見て共感したら、若気の至りとは別のレベルで「空港を、この地にもってきたものを にくむ」ようになるだろうから。

東山薫についてははっきりとガス弾直撃による死と展示されていた。主催は航空科学振興財団歴史伝承委員会だが、後援には国交省や千葉県も名を連ねている。警察の不祥事は県の責任。機動隊員によるガス弾水平撃ちは証拠映像もあって否定しきれるものではないが、それでも国・千葉県は投石(同士討ち)説を主張し続けてきた。もはや特別公務員暴行凌虐致死罪は時効だから譲歩しましょうということか。それにしては去年、管制塔事件元被告人に1億300万円を請求するなんて、あー、つまり「良い過激派は死んだ過激派」ということか? ちなみに東山さんは救護所防衛隊員であって石を投げていた訳ではない。

他に目を引いたのが「七夕会」からの扇屋旅館への感謝状。三里塚への「不時着」3日後の7月7日に現地入りした運輸省(当時)職員は、空港反対の空気が強い中で宿泊場所の確保に苦労したようだ。それを引き受けたのが扇屋。いかなる事情あるいは思惑があったかはわからないが、これはやはり立派と言うべきだろう。「旅館は客を歓迎する」というシンプルな思想かもしれないが。

それに応えて「七夕会」という感謝の集いを続けた職員も礼儀を知っている。(でも、その気遣いを地権者にも示していれば、あそこまではこじれなかっただろう。引き返すには十分すぎる余裕があったのに。)

こういう展示があるにもかかわらず、貼り出されていた入場者アンケート(感想)には、「反対派一辺倒の偏向」みたいな寝言が書いてあって、まったく「見れども見えず」、自分の枠組みに収まらないものは目に入らないのねと悲しくなった。(これは自分にも返ってくる批判だが)

展示はいくぶん改良の余地があるとは言え、よくまとめられていた。常設展の実現を望みたい。これもアンケートに書かれていたが、空港内に展示室を設けるのはかなり適切に思える。

帰りは途中、千葉駅で降り、銚子電鉄の「ぬれ煎餅」を購入。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/27

今年も好調空調服

アクセス解析を見たら「空調服」で当ブログに来ている人が多い事がわかった。TVで取り上げられた影響か。テレビ東京のWBSでは新製品「空調ベッド」が紹介されている(動画あり)。

楽天市場で販売しているので行ってみると空調服の品揃えも増えていた。嬉しいのはUSB給電ケーブルが発売された事。これでデスクなら長時間作業が可能になる(現在は電池を2セット用意して取っ替え引っ替え)し、電池残量が心配でLoでちまちま使っていたが遠慮なくHiにできるぞ。

空調服用USBケーブル

服内に風の流路を確保するため布地は風を通しにくい。したがってファンが停まると途端にサウナスーツに早変わりするのが難点だったので、これは嬉しい。

ファンなしの服地だけも販売するとはなかなか細やか(更新日不明のFAQでは対応予定となっているが服地別売は既に対応している)。もっともブルゾン用とワイシャツ用ではファンが違うようだから、ワイシャツタイプはフルセットが必要か。
混紡半袖Yシャツタイプ空調服

シートに寄りかかっても大丈夫な自動車用(ファンが脇についている)とかインナースペーサー(流路を確保)とかもある。

お買い求めは以下からどうぞ(メーカー直営ショップにリンク)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/05

エコカーワールド2006


横浜で開かれたエコカーワールド2006(公式サイト:ボリュームを絞ってからアクセス)に行ってきた。

電気バイク

まず電動二輪車に試乗。ヤマハのEC-02Passol-L

驚くほど静か。エンジンではなくモーター駆動だから当然か。暖機運転はおそらく不要だし、早朝の出発でもご近所に気兼ねは不要だろう。加速は、競走なんてしようとしない限り十分に思えた。原動機付自転車扱いなのでヘルメットは必須だし、飲酒運転は不可だけど、安全のことを思えばそれはやむを得まい。

ただ課題もある。公表されている写真ではわかりにくいけれど、あのペンタゴン部分はえらくスリムなのだ。ニーグリップを効かせにくい。あそこを横から見たイメージ通りにたくましくしてバッテリを大容量にしてくれれば良いのに、と思った(Passol-Lと共通部品にしたせいか!)。また出先で気楽に充電できるなら遠乗りにも心配がなくなる(地図にヤマハショップを書き入れていく?)。

あと、これはEC-02固有の問題ではないが、オートバイの経験しかないので、リアブレーキが左レバーというのがなんとも。試乗の際はかなり慌てた。緊急操作だから、身体をよく慣らす必要がある。

ハイブリッドカー

ハイブリッドカーには2種類あるという。エンジンで発電して駆動はすべてモーターで行うもの(シリーズ式)と、駆動にエンジンとモーターを併用するもの(パラレル式)と。ちなみにディーゼル機関車も同じように複数方式があるという。そうだよね、運転席でクラッチ踏んでるようには見えないものね(昔はあったらしい)。

シリーズ式は構造がシンプル。エンジンを効率よく運転できるので燃費は良いし排ガスの制御も容易の筈。航続距離が長いほかは電気自動車と走行性能は同じだろう。

パラレル式は電気系統に異常が生じてもガソリン車(またはディーゼル車)として走行できるという。おお、それはそうだ。この方式は普通の内燃機関自動車と逆で、高速道路を巡航すると燃費が落ちる(モーターアシストなしで走行するため)。

電気自動車

通常の蓄電池でモーターを回して走るもの。普通自動車タイプではまだ実用化されているとは言いがたい感じ。ほとんどが販売価格未提示の参考出品だし、数少ない価格提示ものは400万円超もするくせに、一充電で150kmしか走れないのではね。また、運転席を覗いた限りでは、エアコンのついているものはなかった。あんなものつけたらアッと言う間にバッテリ上がってしまうだろう。ガソリンストーブ抱えて走るよりはましだけど、風だけというのは。

それと走行時に静かすぎるのも問題。先日テレビで、盲人はすぐそばに来るまで気づかないという実験をしていたが、晴眼者でも後ろから走って来られたらわからないと思う。前側に指向性スピーカーを載せて存在をアピールする音を出す等の工夫が必要だろう。でないと引ったくりに使う悪ガキも出る予感(電動バイクも同じ)。

燃料電池自動車

型式が統一されていないから燃料補給が一本化できない感じ。水素ガスの高圧注入は恐いな。吸着体を使えば低圧でも充填できるかもしれないが、高低両方を用意するのは容易じゃあるまい(間違えたら事故る)。メタノール改質も有力だし。

ガス自動車

LPG(液化石油ガス)車とCNG車(圧縮天然ガス)が出展されていた。LPGは古くからタクシーに普及している。天然ガス車を新たに普及させるメリットは何? 東京ガスの営業車には良いのかな。

DME車

ジメチルエーテルを燃料とする自動車。SOx(亜硫酸ガス等のイオウ酸化物)や煤をまったく出さないといい、NOx(窒素酸化物)の発生も少ないという。ディーゼルエンジンをそのまま使える(燃料供給系等には改造が必要)のも利点。


以上の他に低排出ガス車というものも出展されていた。従来のエンジンや排ガス処理装置の改良の延長と言って良いだろう。目新しさはないが、まだ自動車開発の王道?

総じて問題はインフラをどうするか。まず走行地域の限られた業務用車からの導入となるだろう。それから既存インフラの改良で対応しやすいものが有利かと(その点ではバイオディーゼル燃料は有望だと思う)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/27

業績を上げた個人を高く評価する事は

日経のbpspecial「こんなとき、あなたならどうする?」社員のモチベーション向上の方法にコメントしようと思ったが、もたもたしているうちに閉め切られてしまった。orz

お題は、社員のモチベーションを高めるために業績を上げた者を個人として大きく評価することの是非。

A社長方針は、チームの和を乱すから個人を大きく評価はしない。対するB社長方針は業績を上げた者を評価するのは当然のことである。

(毎度思うけれど一つの会社と考えたら社長が二人いるのって変じゃない? 方針Aと方針Bで十分なような。)

これについての私の考えは


A社長方針では、業績向上の果実が社員に行かないではありませんか!? チーム全体に一律ボーナス? 間接部門がやる気を無くしますよ。もっとも「経営者だけが美味しい目」が一番モチベーションを下げますが。

という訳で基本はB社長方針。ただし、その個人が「自分一人の功績」「部署の他の連中は寄生虫」といった勘違いをすればチームは崩壊しかねない。

そこで、表に出ない働きっぷりは人事や上層部よりもチームメンバーやリーダーの方がわかっている筈なので、「使い方は任せるから、メンバー全員に感謝して還元するように」と言い添えれば、より公正な報酬となる。それに現金で一万円もらうより、一万円の食事に招待されて「あなたのおかげ」と言われる方がモチベーションは高まるでしょう(特に地味なプレイヤーの場合。ローンを抱えていれば話は別)。

派閥形成の危険性はあるが、チーム内でいがみ合っていてはチーム全体の生産性が落ちる事は、会社全体の云々よりは感覚的に理解しやすいので、そう極端な事にはならないであろう。いざとなれば

「いざとなれば」の続きがでないままタイムアウトでした。会社の規模とか業種によって様々ですからね、具体的処方は。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/19

「開発した者が売れ」は正しいですか?

日経のbpspecial「こんなとき、あなたならどうする?」へ回答した。

技術主導型で売上げに悩んでいる会社で、A社長の方針は「開発者をある期間、人事異動させて、営業担当にする」、一方B社長方針は「開発者はそのままで、営業への支援はしても、営業担当にはさせない」。正しいと思う方を1000字以内の理由を添えて送信しろ、と。

普通に考えればA社長の方針を選ぶ事になるが、あえてB社長方針に分がないかを考えてみる。

B社長の疑問はもっともである。ただ、A社長方針への反論が多く、前向きな提言がないのが難。

よく見るとA社長は「悪いのは開発側」、B社長は「営業側に問題がある」と言っているに過ぎない。二人とも技術系とすれば、自らが変わろうとするA社長に軍配を上げたくなる。だが営業側に問題はないのだろうか? 説明の中に「開発が営業の意見を聞かない」とはないので、営業が開発側に顧客ニーズを伝えてないのではないか。それに気づいているB社長は「開発者は今のままで良い」にとどまらず「営業をこう変える」と踏み込む必要がある。たとえば週に一つは技術クレームを持ち帰るよう義務づけるとか。一番大切なのは、営業(に限らず社員が)自社製品に誇りと自信を持つこと。


開発を営業を経験させるのは短期間で十分。「売るのって大変だ」と実感すればよろしい(新しいセンスで売り込みに成功すればもっと良い)。「技術開発側をコキ使う」とは、慣れぬ営業をさせて悲鳴を上げさせる事ではなく、本業で力を発揮させる事の筈。

31日に集計結果が出るそうだ。ひょっとするとコメントをいただけるかも。

あれ、同じ日経のIT Proにもこんな記事が。
営業担当者がSEに抱く不満とは


「SEに足りないと思うスキル」の上位3項目は、「顧客の課題などを聞きだす力」、「その場に応じた会話ができる力」、そして「専門知識を生かした積極的な企画提案」が占めた。

当然、読者(多くはIT技術者)からは猛反発。一言で言えば「SEがそれをやったら営業は何をするの? 客と天気の話でも?」。もちろん中には冷静な人もいて、SEは契約における関連法規(商法・派遣法・下請法等)を理解していないから営業担当は必要と擁護していますが、これも裏を返せば「営業、もっとしっかりせい」。

2ちゃんねるの「ビジネスニュース+」にこのIT Proの記事が載っていて、こっちは営業経験者?も交えてほとんど煽り合い(SEとはSirimasen EngineerとかSumimasen Engineerとかいうのは未見)。まぁ専用ブラウザで捻りの無い特定IDを非表示にすれば、息抜き+小さな発見になるかもしれませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/01

Creator's Table Vol.4でのアンケート

 28日に参加したCreator's Table Vol.4 「デザイナーが本当に聞きたい『Webの話』」へのアンケート回答。懇親会で知り合った方に内容の一部を話したら、なぜかすごく感心された。ということは他にもこれが役に立つ人がいるだろう(一人でもいれば意味がある)ということで公開。色字は補注。

2.今、マスメディアの、宣伝媒体としての実効果や有り方が問われています。これからの媒体はWebが主流となると思われますでしょうか?
 思う
 思わない
○どちらとも言えない

4.その理由(自由記述)
20年後なら(終末戦争がなければ)そうなっているだろうが、5年後だとわからない。まして来年再来年においておや。

5.今、宣伝やプロモーションの有り方が問われています。新しい手法にはデザインや見栄えだけでなく、心に響くメッセージや見せ方が必要になると言われています。マーケティングとデザインの今後の関係については、どうお考えでしょうか?(複数回答可)
 無縁でなく密接なもの
 マーケティングはクライアントの領域
 クリエイターはデザイン、センスが命
 出来ればマーケティング視点からデザイン提案をしたいと思う
○その他(プッシュ型プロモーションは禁止になるかも。)

(これは半分冗談、半分本気)

6.メディアミックスと言われて久しいですが、現実にWebと連動する宣伝媒体として、一番何を連想しますか?
 テレビなど電波
 広告(商業印刷)
 新聞・雑誌
 フリーペーパー
○ケータイ

11.本イベントについて伺います。内容についてはいかがでしたか?
 充実していて、良かった
 今ひとつ物足りなかった
 詰め込みすぎて、消化不足だった

(記載漏れ:「○充実していて良かった」)

13.もし有料となった場合、どの程度の金額でしたら参加を希望されますか?
 2000円

14.次回以降、ゲストで呼んでほしい方をお書きください。
 視覚障害のあるユーザー、デザイナー

(デザイナーではないが日本IBMの浅川智恵子や静岡県立大学の石川准、東京大の福島智らを想定)

16.その他、ご意見・ご感想など、なんでもご記入ください。
 このアンケートは字がテカテカしていて読みにくい。

(富士ゼロックスご自慢のプリンターなのだろうが...文字は艶消しブラックが良いよ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/22

「その前」を見たい「ホテル・ルワンダ」

映画「ホテル・ルワンダ」を銀座テアトルシネマで見てきた。

ルワンダ内戦の末期に起きた大虐殺の嵐の中で難民1200人余を救った男の物語。映画および背景の基本情報は公式サイトを参照。ちなみに外務省のデータによればルワンダ共和国の面積は2.63万km2(四国の約1.5倍)で人口は841万人(2004年)。このサイズの国で100日間に100万人(赤十字の概算)が殺害されたという。

他の人の感想はトラックバックセンターが設けられているので、そこでまとめて見られる。容易に読みきれる数ではないけれど。

まず基本的なところから。事件は「ツチ族とフツ族の部族紛争」と理解している人が多いと思う。しかしツチとフツは見分けがつかない。冒頭に説明的に挿入されたシーンで欧米からきたジャーナリストが理解できなかっただけでなく、ディプロマトのシーンでわかるように「ゴキブリ」退治に血道をあげる政府軍も民兵もIDカードをチェックしなければツチを判別できない始末。そしてツチとの融合を目指す穏健派フツも虐殺の対象となった。

※ゴキブリ=ツチ人のこと

ユーゴは民族紛争で、アフリカは部族紛争。この使い分けからしてアフリカ蔑視。ましてツチ・フツという区分け自体が、元の民族の違いはあったもののルワンダを植民地化したヨーロッパ人によって政治的に強化されたもので、現在では「完全に異なる民族集団としてとらえることはできない」という。日本で言えば縄文人と弥生人みたいなものか。あるいは関西人と東京人とか。したがってここでは映画のプログラムおよび公式サイトとは袂を分かち、「フツ人」「ツチ人」と表記する。


さて、この映画をものの見事に誤読している人がいるようだ。虐殺が始まってからの、主人公ポール・ルセサバギナの活躍物語として「楽しめ」ば、近未来の日本への警鐘とする解釈は鬱陶しいものだろう。その意味では映画自体に不満が残る(三ヶ月間におよぶ惨劇の中で理性を保ち、家族と同胞を救った男の物語しては素晴らしい)。

へそ曲がりの私が注目したのはホテルスタッフのグレゴワール。冒頭、支配人に対するサボタージュの態度で争乱を暗示した彼はフツ人で、大統領暗殺を合図に始まったツチ人虐殺を機に、あたかも特権階級にでもなったかのような勘違い行動を起こす。だが冷静に考えればフツ人はもともと多数派で、ツチ人を絶滅したところで全員が金持ちの支配階級になれる訳でもない(そもそも支配するべきツチ人を殺してしまっては、結局フツ人内部を序列化するしかない)。外資系四つ星ホテルのフロントを務められる男だから、それなりの能力と分別はあった筈だ。それがなぜ自分の天下が来たような勘違いをおこし、支配人(ポール)への私怨もあるにせよ国連保護下の難民を襲撃させるような挙に出たのか。

上記には当時のルワンダ情勢理解について混乱がある。日本公開を応援する会のサイトにある連載ルワンダ史参照(特に1-3と10以降)。フツ人はハビャリマナ政権下では人口的にも政治的にも多数派。但し、経済的にはピンからキリまで。コーヒー価格の下落や内戦によるフツ難民の流入でキリの方はかなり苦しかった模様。(3.24追記)

幸いにも「復讐の連鎖」を断ち切る政策により、彼は死刑を免れルワンダで服役していると言うが、彼を主人公とした方が良い映画ができるのではないだろうか。つまり「茶色の朝」が傍観者の物語だったのに対し、普通の市民が空疎なスローガンに酔って大量虐殺への荷担者に転落するまでの道筋を辿る映画だ。

地区の民兵を率いて虐殺を続けるルタガンダにしても元はただの商売人で、虐殺の小道具である中国製の鉈で一儲けを企む有様(鉈!日本で市中にある銃のほとんどは去勢されており、しかも徴兵制がないおかげで国民のほとんどが銃の取扱を知らないから、内戦は起きにくいと思っていたが、こういう間道があったか...それにカラシニコフ銃は女子供でも扱えるそうだし)。この男が何を考えていたのかも興味深い。

いったん始まってしまった「祭り」を傍から見ればただの気違い沙汰だ。あの鉈を手にした民兵を我が事としてみた観客は多くはあるまい。だからこそもっと遡って、日常の中に偏狭な思考が浸食して行く過程を映像化してもらいたいと切に思った。

そもそもこの映画を見に行こうと思ったのも、日本公開に尽力した町山智浩がプログムラムに寄せた一文に難癖を付け『ホテル・ルワンダ』なんか何の役にも立たない!と嘆かせた御仁がいる事を知ったから。

“エンターテイメントとしてもきちんとした作品”としか見られない人には、グレゴワールやルタガンダは自分かもしれないなどという想像はできないだろう。「秘密の大計画」に沸き立ち「ぬるぽ」などと書いたプラカードを用意して拉致被害者を迎えに行った連中と街頭デモで「フツパワー!」と踊っていた連中は五十歩百歩と思う(幸い、日本で未確認情報をコピペしまくった軽率の徒は多かったが、実際に足を運んだ人間は多くはない)。

ところで彼らに感じるこの憎悪はなんだろう。ネタバレになるが、最後の脱出が民兵に阻まれそうになった時、突如現れたRPF(反政府軍)の攻撃によって民兵は潰走する。鉈と自動小銃では勝負にならない。RPF Go! Go! Go! 溜飲を下げたところで昔見た「暗い森のカッコウ」を思い出した。ナチス・ドイツによって親を殺されたチェコ人(スロバキア人かも? 区別できてません orz)少女は金髪と青い目を備えていたがためにアーリア人と認定され、孤児院でドイツ人教育を施されてから里子として売られて行く。買い取ったのは妻が子供を産めないドイツ軍の大佐。彼はアーリア人であれば元の国籍など気にしない、つまり理想的?ナチで、しっかり者の少女がお気に入り。ところが地元の悪ガキどもは外国人排斥がお好き。女一人をよってたかっていじめる訳だが、それに気づいた大佐は激怒。部下(たぶん親衛隊)を動員して成敗に乗り出す。豆ナチと本ナチでは勝負にならない。さすがに同国人だし子供相手なので銃こそぶっ放さないけれど、シェパードをけしかけ、鞭で散々にぶちのめす。ざまぁ見やがれ。このドイツ軍登場のシーンは、中国の抗日物語だったら「八路軍がきた」に匹敵するであろう頼もしさ、「戦艦ポチョムキン」ならラスト「ウラーッ」シーンに勝るとも劣らない感動。でも、これってヤバくね? DQNをもってDQNを制すとはいえ、敵の敵でも敵は敵。そして無辜の民に鉈を振るった民兵も人の子であり夫であり父であろう。死ねば家族は泣き悲しむ。それに爽快感を覚えるようでは...覗き込んだ深淵に引きずり込まれていないだろうか。

話変わって。ポールはとことん冷静なホテルマンだ。普通の人間なら怒鳴り出してもおかしくない状況でもホスピタリティに満ちた態度を崩さない。虐殺された死体の山を見た後に一時パニック状態に陥るが、それでも人前では、特に子供の前では自信と包容力に満ちた支配人であり父親で居続ける。もし彼が安手の勧善懲悪活劇のヒーローみたいな行動をしていたら、いや、少しでも不服従とわかる態度を示していたら、その命はなくホテルは屠場と化したであろう(血気にはやる若者が登場しなかったのは不思議)。剛に対して徹底的に柔で勝負した姿は見事。

そうして抑えに抑えてきた彼がついに反撃に出る。といって銃をとる訳でもないし拳を振り上げる訳でもない。RPFの猛攻で窮地に陥ったビジムング将軍が、賄賂で口にした久しぶりのスコッチに「スコットランドは良かった。また行けるだろうか。」と弱気を漏らしたところで突如タフな交渉人に変身する。それまで従順だった男の変貌に将軍びっくり。(かなり端折ってます)

書き出せばきりがない。サベナ社の社長役で出てくるジャン・レノが冷酷なのか頼りになるのかわからないハラハラ感を漂わせていたとか、ポールは贈賄文化に首まで浸かっているけど赤十字の職員には金を渡さないのは見識なのかとか、どうして自動車は夜でもライトをつけないのだろうかとか、避難するトラックの台数は少なすぎないかとか、ホテル敷地内での歌や踊りはフツ人に挑発と受け取られなかったのだろうかとか。

↓DVDではなくてサントラCDでした。24日以前に見た人ゴメン。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006/01/21

こういう「放送と通信の融合」はいかが

現在のアナログ受像機は数年の後に使えなくなる。はて、いつからだったか。そういうことには一番詳しそうな姪に聞いてもはっきりとしたことはわからない。まぁ、一般大衆の受け止め方なんてこんなものですよ>地上デジタル放送推進協会&総務省

彼女曰く、日本中のテレビ受像機を買い替えさせるなんて無理。対して、でも携帯電話はアナログを途中で中止したし、auはPDCを全廃したし、と私。もっともシチズンのアンケートによれば携帯電話は半数近くが1年以内に買い替えるそうだから、移行期間を2年もみれば円滑にサービス停止できるだろう。

そうだ、テレビも携帯電話方式、つまりメーカーではなくキャリア(放送局)が販売したらどうだろう。F901はフジテレビとか(違う)。ビジネスモデルは自局配信広告優先受信。NHKを見ていても商業コマーシャルが(笑)。逆にNHK仕様のテレビはCMスキップ機能付き。ただし受信料を払わないと見られなくなるとか。

上記調査によればパソコンでさえ個人は3年で買い換える人が46.5%。新規購入1円、機種変2万円なら2011年までにほとんどのテレビをデジタル対応に買い替えさせられますぜ。現在あまり買換えが進まないのはデジタル移行を理解している人も、「待てばもっと良い機械がより安く手に入るだろう」と思っているから。携帯電話ビジネスモデルならこの買い控えを抑制できます。♪

ついでだから携帯電話をテレビのリモコンにしてしまえ。同時に、テレビをつけていたら「番組からのお知らせ」をメールで届けるとか。

冗談から駒で、考え出すとなかなかイケそう、と酔った頭で考えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/01/03

岸信介はA級戦犯 ではなかった

お屠蘇で緩んだ頭を引き締めるため少し堅めの雑誌を手にとった。月刊「論座」(2月号)。

巻頭記事が「渡辺恒雄氏が朝日と「共闘」宣言」と刺激的なタイトル。これなら読めそうだ。

読売新聞は昨年6月の社説で、「A級戦犯が合祀されている靖国神社に(首相は)参拝すべきでない」と主張した(p.28)...知らなかった。(少しネットを調べると梯子を外されたといわんばかりの発言が発見できた)

岸信介はA級戦犯ではない(p.35)...エッと思って調べると、確かに戦犯容疑者として拘束はされているが、訴追はされていない。しかしニキサンスケと呼ばれた男に責任がない筈はないし、日本人として戦争責任を追及すれば東京裁判に訴追されていないからといって見逃すわけにはいかないというのだから、あまり重要視する事では無いだろう。ただ不用心に「岸は」とやれば突かれるだろう。用心用心

吉田茂は自衛隊を「戦力なき軍隊」と言っていた(p.36)...これまたエッ。そっか、憲法九条二項が否定するのは「戦力」と「国の交戦権」だから、戦力なき軍隊なら問題ない(ワケネーダロ)。某自衛隊基地のウェブサイトがair base(空軍基地)と書いているのは勇み足でもなんでもなく、政府の公式見解に沿っての事だったのね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/06/05

空調服を着てみた

昨年発売されて話題を呼んだ空調服。最初の報道を見た時にさっさと購入すれば良いのに、もたもたしているうちに売り切れとなって切歯扼腕したので、今年は発売開始とほぼ同時に注文し、無事入手できた。

5月28日、あまり暑くはなかったが、思い切って着用して外出。脇に着いている吸気口が異様...と心配したが、一緒に晩飯を食ったGT会の面々は誰も気にしなかった模様。

満員電車は避けた方が良いけれど、着用しての通勤も不可能ではなさそう。しかし職場で一人これを着て、冷房を止めたらひんしゅくを買うだろうな。休日出勤専用か。

肝心の冷却能力は...よくわからない。というのも、なかなか「暑い!」というほどの日がないから。冷房なしで平気な日にこれを着るとLoでも寒い(当たり前か)。今日(6/5)は気温が高めだったので期待して着用し、Hiにしたところ...風は十分に回ったが「涼しい」というほどではない。あるいはまだ汗腺が十分に機能しておらず、肝心の汗が少ないせいかもしれない(温度計を扇いでも表示温度がさがらないのと同様、乾いた皮膚に風を送っても涼しくはならない)。風呂に入って汗を流してきましょう。


| | コメント (0) | トラックバック (2)

2005/05/05

平和の行方

韓国・中国での日本非難に対して「日本の軍国主義復活など、余計な心配」という人がいる。たしかに今の日本人が近隣諸国へ武力侵攻する姿は想像しにくい。しかし、本当に大丈夫だろうか?

20世紀の末にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争というものがあった。「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」としてまとまっていたユーゴスラビア連邦は血で血を洗う内戦に突入し、非戦闘員の虐殺まで起きる始末。激戦地の一つとなったサラエボは、そのわずか8年前には冬季オリンピック開催都市であったのにと異様に感じたのを覚えている。50年間近く平和にやってきて、平和の祭典オリンピックまで開いて、それが国際介入を受ける「歯止めなき内戦」に突入してしまうとは!(セルビア人勢力の主体はボスニア外からの応援かもしれないが)

だから、今は「そんな面倒なことには関わりたくない」という人が、いきなり「暴支膺懲」とか喚き出すのではないかと心配。いったん流れが勇ましい方向に定まったら、それに逆らうのはそれこそ「そんな面倒なこと」。ネコの毛は茶色だっていいじゃないか。戦争になっても自分が前線に行く事はないだろう...あれあれ、話が違うよ。でももうシカタガナイ。兵隊の身分は安定だし給料もちゃんと出るし、隊伍を組んでの行進って結構かっこいい。(「華氏451」を読んでいたら、あの呑気な銃後の妻達を思い出してほしい)


もっとも、念のためにボスニア紛争の概要を調べようとしたところ、サラエボオリンピックで大惨敗というページがヒットし、実はオリンピック開催当時から危険な兆候はあったという話。

オーストリア共和国の選手に対して、市民(の一部)がオーストリー=ハンガリー二重帝国時代の恨みをぶつけ、コンデションをめちゃくちゃにしたという(閉会後には宿舎への投石騒ぎまであったと)。

あのときのオーストリア選手団に対する110年前の歴史の恨みが行き着いた先は、「人を呪わば穴2つ」という悲しい結末でした。もし1988年のユーゴスラヴィアの人々にオーストリア選手団を暖く迎えるような心のゆとりができていたなら、ひょっとするとあの内戦は避けられていたかも知れません。
(「サラエボオリンピックで大惨敗」) この分析が妥当かはわかりませんが、憎しみを原動力とする事の危険性には同感です。

さてサッカーワールドカップの日韓共同開催は無事に済んだし、中国の反日暴動に呼応するようなおっちょこちょいも一つまみより多くはなさそうなので、すぐに憎悪の火が燃え上がる心配はありませんな。

でも「なんだかんだ言っても中国経済は日本なしには立ちいかない」という優越感に支えられた余裕の対応ですから、それが相手の感情を煽る心配がありますし、日本側に余裕がなくなれば「降り掛かった火の粉は払わねば」などと売り言葉に買い言葉の応酬になり、抜き差しならない事態に陥る懸念は残ります。局地的ではあれ、人民解放軍と自衛隊の衝突なんて事になれば、これは国難。国難に際して足並みを乱すような言動を許容できるほど日本社会は成熟しているでしょうか? 「言論の自由は保証するが、お前のは反日活動だから駄目」となる気がします。

そうなってからでは遅い。どうしたら未然に防げるでしょうか。「憎しみに駆られるのではなく幸福の希求を動機とする」と思いつつも、「愛国」くらいにしか自らの存在意義を見いだせない者への蔑みを禁じられません。私は連中を憎んでいる... 対話ができるだろうか...

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2005/05/03

ビッグイシュー日本へのメール(サポーター・定期購読)

ビッグイシュー日本 御中

昨日(2日)、振込を済ませました。

さてお送りいただいた「パトロン・定期・サポーター制度案内.doc」ですが...
・わざわざMS-Wordを使うような内容だろうか
・印刷を考えた体裁保持ならPDFで足りるだろうに
・「ビッグイシューの概略」は読み取れないけれど
・どうしてURLを記載してないの
・どうしてウェブにこの内容が公表されてないの
・戻るけど、ウェブに載せるならPDFの方がMS-Wordファイルより向いている
(個人的にはPDFは好かないけれど、検索エンジンはPDFを拾って上位に載せるらしい)


建設的に書き直しますと、
1)定期購読・市民パトロン・サポータの募集はウェブでも行う(「販売場所」の下端から昇格させる)。但し、定期購読については販売員と競合しないよう、地域制限など配慮が必要。市民パトロンへの送本も、買い逃し対策としてバックナンバーのみ請求に応じて送付がよいのでは(居ながらにして最新号が入手できるのは便利ですが)。
2)印刷を念頭に置いた趣旨書は(MS-wordではなくて)PDFで提供する。
3)日付も入れる(ウェブにはいまだに「来年1月 から月2回発行を目指します」なんて文章が)
4)会社概要は必須(前回連絡した「ビッグイシュー財団」へのリンク切れも直っていません)
5)定期購読者等の数が増えて、個人情報取扱事業者に該当する場合の準備も怠りなく。

記事企画についても考えがありますが、それはまたいずれ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/03/07

末子相続

昔、戸籍に関する本を読んでいた時に、長子相続が日本の伝統のように考えられているが、地方には末子相続というのもあった、という記述を読み、それはどのようなシステムなのかと疑問に思った。しかし疑問を放置する悪癖のため解明しないまま年月が経過。

先日、ビッグイシューという雑誌(2005.3.1 No.23)を見ていたところ、モンゴルの家族形態の説明があり(p.22)

子供は幼いうちから羊番や乳搾り、家事など親の仕事を肩代わりしていく。そうして家畜の数も増え、弟妹たちが自分の代わりに仕事ができるようになると結婚し、家畜を分けてもらって親から独立する。最後に残った末の子が最終的に親の面倒を見て、親の財産を引き継いでいく。

おお、これぞ末子相続ではないか。と?年来の疑問が解けた。

ちなみに思い立ってググれば、たくさん解説がヒットします。日本の末子相続も似たようなシステムだったようです(家畜と違って田畑はふえませんが)。

疑問を放置していたのは誉められないけれど、何気ない日常の一こまから思い出したのは、まだ見込み(なんの?)があるといっても良いでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)