2016/09/22

「難しい医療・看護・介護の言葉をやさしく」

ツイッターで見かけた第3回コトノハカフェ「難しい医療・看護・介護の言葉をやさしく」というイベントに心惹かれて参加した(9月17日)。

会場はバルトという「ベルギービールとお料理のおいしいお店」。参加費は1000円とやや高めの設定であったが、ちゃんとドリンクが出た(サイエンスカフェに代表される「××カフェ」の中にはカフェとは名ばかり、水も出ないところがあって「言葉を大切にしない人たちだ」と困惑した経験がある)

困っているのは外国人


医療の言葉が難しいことについては以前から話題になっていて、改善の努力が続けられているが、今回の中心は介護の言葉。それはEPA(経済連携協定)によって、8年前からインドネシアとフィリピン、そして最近はベトナムから日本で看護師や介護士として働こうとする人々が来日しているから。日本の施設で実地研修を受けながら国家試験を受け、日本の資格をとって日本で働こうという訳だが、そこに言葉の壁が立ちふさがる。

国家試験に合格しなければ帰国しなければならないのだ。来日するのは既に故国で一定の資格を持っている人。それが日本に4年間滞在して試験に合格しないからと帰国させられると、本人にとって損失だし、送り出した国としても面白いはずがない。ところがたとえば看護師試験は、合格率は約90%なのに、EPAで来日した研修生は10%に満たない時期があったという。そんな状態が続けば、日本で働こうとする外国人は減ってしまい、医療・福祉業界は深刻な人手不足に見舞われかねない。難しい言葉は人材育成を阻害しているのだ。

話題提供者は留学生の日本語教育に携わってきた文教大学教授の遠藤織枝さん。国に働きかけて国家試験の問題文見直しを実現させるなど功のある方なのだが、医療福祉については門外漢という弱みも垣間見られた。

当日のツイート




翌日のツイート




よくわからないままに研修地に青森を選んで苦労した、というのは初期の話。

現場ではスピードが要求される


医療や介護の現場では、意思伝達にとりわけスピードが要求される。モタモタしていたら命に関わることもあるだろう。勢い用語は略されがちになる。その、門外漢から見たら宇宙人の会話みたいなものついていけるのがプロの証とも言える。なによりも言葉は集団のアイデンティティであり、仲間を識別するシグナル 。伝えるだけでなく、敢えて分からせないことにも言葉の機能がある。そういうこともあって、質問票に「②なんでも日常語にするのが解決か?」と書いたがこれは取り上げられなかった。その代わり、参加申し込みの際に書いた「難しい専門用語には、覚えると嬉しくなって無闇と使いたくなる魔力があると感じています」が読み上げられ、これは一部の参加者(さしたる根拠はないけれど、看護師のような専門職)に受けていた。

言い換えると一般に長くなる

遠藤さんが編著した『やさしく言いかえよう介護のことば』を版元が持ち込んで販売していたので購入したが、目次を見ると「言い換えたら長くなるだろう」という予感が当たっていた。短くなるのは「頸部→首」「眼瞼→まぶた」「残渣→かす」「疼痛→痛み」「振戦→ふるえ」くらい。吐血と喀血がまとめて「血を吐く」になっているのもいただけない。「消化管から血を吐く」「呼吸器から血を吐く」のなんという冗長さ。

相手が変われば言葉も変わる

もちろん利用者やその家族に説明するときは別である。専門家ぶる必要もない。誤解されない範囲で(実は日常語だとそれが難しいのだが)平易な言葉を使ってゆっくり丁寧に説明すべき。

ただ、庶民の中には知識レベルが驚くほど違う例があることも忘れてはいけない。ある老人とコンピュータの話をしていると頻りに「言語」とおっしゃる。Cとかコボルの話かと思ったらそうではなく、どうも日本語変換機能(当時はFEPと呼ばれていた)のことだったということがある。また別のやや若いご老人とやはりコンピュータの話をしているとどうも話が通じない。突き詰めてみるとプログラムという用語を「演奏プログラム」「運動会プログラム」「入学式プログラム」のような番組表、進行予定、式次第という意味で理解しようとしていることが分かったことがある。通じる訳がない。ちなみにこの方はコンピュータのハードの説明書に、バンドルされているワープロソフトの使い方が書いていないとご立腹。テレビの取説に番組解説はないでしょ?と説明しても納得しない。実はお二人とも世間では街のインテリで通用する人物なのである。それでこの惨状なのだから、自他共に認めるブルーワーカーが日常化した用語をどう誤解しているかは想像を絶する。

常識といえば、SI接頭辞というものがある。小学生向けの暗記物に「キロキロと、ヘクト出かけたメートルは、弟子に追われてセンチミリミリ」なんてのがあったくらいだし(いつの時代だ?)、コンピュータではキロバイト、メガバイト、ギガバイト、テラバイトがお馴染みだから、テラ(T)は一兆倍、ギガ(G)は十億倍、メガ(M)は百万倍、キロ(k)は千倍、ヘクト(h)は百倍、デカ(da)は十倍、デシ(d)は十分の一、センチ(c)は百分の一、ミリ(m)は千分の一を表すなんてのは常識だと思っていた。ところがmBq(ミリベクレル)をメートルベクレルか?としたり顔で述べつつ「勉強した方がいい」と他人に説教する自称原発事故の専門家がいたのが現実。

用語に対するイメージの違い

汚染という言葉がある。『やさしく言いかえよう介護のことば』ではなぜかたいそう忌み嫌われており「人の行為に対して使うのは不適切」とまで。そして「汚れ・汚れる」で良いではないかと主張されるのだが、どうであろうか。たとえばノロウイルス感染により嘔吐したとする。吐いた物をチリ紙で拭き取ってから水拭きすれば「汚れ」はなくなる。しかしウイルスによる汚染は残っており、次の感染源となりうる。逆に吐瀉物をざっと取り除いてから次亜塩素酸塩水を噴霧すれば、それで汚染はなくなる(だろう←現場を知らない机上論)。極端な話、後片付け=汚れを取るのは資格のない職員でもできる。

また疾病の中には血液はもとより唾液や汗、尿にもウイルスが出るものがある。ゴム手袋をして介護するなど汚物扱いと憤慨されるかもしれない。しかし、これを怠れば他の利用者にも感染が広がりかねない。そういう被介護者はキャリアとかポジティブとか呼ばれるであろうが、分かりやすく「ウイルスで汚れた人」と言うべきだろうか? そんなことをすれば体液に濃厚に接しなければ安全な人に対しても、素人は「隔離してください」と言い出すだろう。逆に感染に弱い人も、それと分からないような符丁でスタッフ間に共有されていると思うが、こちらを「病弱」等と呼ぶことはやさしい言葉だろうか。

医療・福祉とは離れるが、植物組織培養とか微生物培養とかは専門学校でも学ぶ基礎的な実験操作であり、そこでは汚染を理解することは重要(理解していないと実験がパーになる)。そして嫌というほど思い知らされるのが、「最大の汚染源は人間」ということ。ちなみに応用微生物学では培養している菌に雑菌が交じる汚染を忌み嫌うが、その菌が床に溢れようが手に付いていようがあまり気にしない。口に入っても平気だろう。一方、医学部の細菌学では、何しろ扱うのが病原微生物であるから、一番気にする汚染は扱っている菌が外に漏れること。汚染対策の意識は向きが全く逆。応微の人間がいつものように結核菌を扱ったらバイオハザード必至だそうだ。

閑話休題。もう一つ、具体例は忘れたが、遠藤さんと参加者(の一部)との間に「それは違う」という緊張感が走ったことがあった。

テスト学


そういえば、ピントがズレているなぁと思ったのは試験問題の量についても。1題1分とか、そういう短い時間で解かなければならないと憤慨されていた。医療・福祉の知識ではなく、日本語の能力で選抜するような試験はおかしいというのはその通り。ただ、良い試験問題というのは満点が出ないようにするものとも聞く。つまり全問解答は不可能にしてある可能性がある。0点が続出するのは出題に不備があるというのは納得してもらえるだろう。同様に全員が100点を取るテストというのも問題がある。易しすぎるのだ。平均点を中心に得点分布がベル型曲線を描くのが良いらしいが、これは自信がない。

また「正しいものを選べ」と「間違ったものを選べ」が交互に出るのはクイズ的と非難されていたが、これは出題パターンを記憶して意味を考えずに解答する受験生を弾くテクニックだと思う(が、自信はない)

それで次回テーマとして、話の中で出てきたテスト学会を希望しておいた。

感想


多種多様な参加者がいて発展性がうかがえる会であった。次の予定が入っていたこともあり、懇親会は失礼してしまったが、次の機会があれば出席したいものだ。

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2016/06/11

水没コンピュータ

今年も国立情報学研究所(NII)のオープンハウスへ行ってきた。2日間開催されていたが、両日行く元気はなく28日(土)のみ。

参加登録をすると2次元バーコードの参加証が送られてくる。昨年まではこれを印刷して持参していたが、今年はiPod touchで撮影し、その画像を提示した。あっさり通過。以前、飛行機に乗るのに携帯電話に受信したメールのバーコードをかざしたが読み取られず、念のため持参したプリントアウトで事なきを得た経験があったけれど、今回は杞憂。

ガイドブック(PDFでも提供されている)をもらう。昨年までのA4判からほぼ半分のコンパクトサイズになり扱いやすくなったが、アンケート用紙がはみ出すのが邪魔。まずは2階の一橋講堂へ行って「NII研究100連発」。

NII研究100連発


NIIの研究者10人が1人7分30秒の持ち時間の中で、それぞれ10件の研究成果を発表する「NII研究100連発」。これはニコニコ生放送で生中継された(プレミアム会員ならばタイムシフト視聴可能)ほか、現在はyoutubeでも見ることができる(しかしこの動画は明らかに途中から始まっている)

450秒で10件なので、平均すると1件45秒のプレゼンテーション。なんだか「全英プルースト要約選手権」(プルーストの長編「失われた時を求めて」を15秒で要約するというモンティ・パイソンのスケッチ)みたい。

100も聞いて覚えていられるはずもなく、今すぐに思い出せるのは、かつてAIは画像認識が苦手だったが、今はディープラーニングによってそこそこの成績を収めるようになってきたという話(では何が不得手かというと、会場では「ほほぉ」と思ったのに、もう忘れている。調べてみるとどうも「意味の理解」らしい)。追い追い動画を確認しておこう。そういえば会場で「あ、これは去年のポスター会場で聞いた」ってプレゼンもあった。

水没コンピュータ


昨年までは中会議室にポスターセッションが詰め込まれていたが、今年はポスターは廊下・講堂前ロビーで、中会議室は半分が「デモ・体験コーナー」になっていた。


「直接自然水冷却PC」「浸水耐久試験中」とラベルの貼られた水槽の中で剥き出しの基板が水に沈められている
水槽の中には水草と金魚
で、足を踏み入れてすぐに目に入ったのがデモB10の「水と光をつかった未来のコンピュータの建築学」(鯉渕研究室)で展示されていた水没コンピュータ。水の中で動かせるコンピュータと言っても、水中で操作できるパソコンを目指しているわけではない。見ての通り電子部品を着けた基盤部分を水漬けにするのが目標。その目的は冷却。高価な特殊冷媒ではなく普通の水が使えることを強調するために水槽には金魚と水草が入れてあった(初日はイモリも入れていたそうだが、夜のうちに脱走してしまったという)


種明かしをすると、チップやメモリなどを組み上げたボードを防水性材料で丸ごとコーティングしてしまう。当然、部品の交換は無理(その気になればやってやれないことはないかもしれないが、費用対効果が悪い)で、故障したらボード毎交換となる。これはグーグルの「マシンは消耗品」という考え方(『アップル、グーグル、マイクロソフト』に書いてあったように思うが手元にないので確認できない)と同じだろう。実際、動画中の質疑で(部品交換はできないと答え、質問者がエコじゃないと不満げなのに対し)「でもデータセンターなんてみんなそんな感じじゃないですか」と答えている。

映像から人の顔を識別


会場では本屋さんコーナーが設けられていた。素見で手にとったら面白そうな本やゲームが沢山。さんざん迷って『IDの秘密』と『おしゃべりなコンピュータ』を購入。ひと休みしようとNII Cafe のテーブルに座ったところ、ちょうど戸山高校とのワークショップ「映像から人の顔を識別してみよう!!」をやっていて、気を回したスタッフが端末を持ってきてくれたので参加。


まず配布された資料に載っている三人の首相経験者(小泉・鳩山・福田康夫)の写真を専用アプリで読み取って映像アーカイブを検索。小泉・福田の二人についてはうまくいったけれど、なぜか鳩山の顔を検索しても別人しかヒットしない(資料を作る段階でチェックしなかったのかなぁ? それとも「こういうことも起きる」という見本?)。それからスクリーンに投影された人物映像を読み取って検索するデモンストレーション。概ねうまくいくのだけれど、緒方貞子(国連難民高等弁務官)の検索結果に堀江貴文がヒットしてしまうのは、まぁなんと申しますか(あんまり面白かったので結果のいくつかは写真撮影してきた)


今はまだ映像の解析だけのようだが、いずれは「怒っている人」「喜んでいる人」を映像アーカイブから抽出することもできるようになるだろう(研究の目的に「赤ちゃんのように目から入ってくる情報の意味を理解して学習」と書かれている)。たとえば国葬で弔問客の中から悲しんでいない人間を見つけ出す、なんて恐ろしいこともできるようになるのだろうか。もっとも問題になるのはその次のアクションであって、「やっぱり不人気だったなぁ」と諦めるとか「功績が理解されていないからもっと周知しよう」とかなら、それほど恐くはない...と言い切れるかな?

アンケート


スタンプラリーには参加せず、アンケートを提出して記念品としてフリクションペン(去年もこれだったっけ)をもらって退去。


アンケートでは、ポスターの前に立ち止まると説明を申し出る積極性と、中会議場内の通路が例年より広かったことを肯定的に評価。興味を持った展示には上記に加えD08「人工頭脳プロジェクト ―東大入試に迫るコンピュータから見えてくるもの―」を記入(「東
ロボくん」はどうやって問題文を読み込むのかと質問したところ、機械可読形式に変換して人が入力しているという答えに軽く失望)

餃子と鱧


帰りは神保町駅に向かい、神田すずらんまつりでビールを飲んで餃子を食い、ついでに和亭『なにわ』にも足を運んではしご酒。来週(5月30日)から鱧(ハモ)料理が始まるとのこと。夏である。

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2016/02/28

『決してマネしないでください。』の続編を望む

月刊「細胞工学」の3月号(2月22日発売予定)を買いに三省堂書店まで出かけたが、未入荷だったので『決してマネしないでください。』第3巻だけ買って帰ったのが23日。いそいそと封を切って読み始めてから話がつながらないので第2巻を未読であることに気づく。慌てて電子書籍をダウンロードして読んだら、また第1巻を読みたくなって、結局第3巻に進んだのは24日。

結論を先に言うと、3巻ともとても面白い。舞台は工科医大。高科教授の下に集まる面々(と言っても研究室メンバーは2人だけで、中心は教授が主宰する怪しいサークルのメンバー)が繰り広げる活劇。聞けば作者の意図は学習マンガで、なるほど状況設定は似ている『動物のお医者さん』に比べると解説が詳しい(もうひとつ『もやしもん』とも似ているようだけれど、こちらは何故か未読)。末尾には参考文献も揚げられている。そしてとにかくもったいないほど(学術もギャグも)ネタが詰め込まれている。

雑誌連載は終了しており、したがって単行本もこれが最終巻になる蓋然性が高い(帯には「堂々完結!...したらクレームの嵐!」とも)ので、読者アンケートの質問5「続編が発売されたら購入しますか?」には「購入する」に丸をつけて返送しておいた。出版社では未だに紙版の売れ行きと読者ハガキが重視され、電子版の販売数は考慮されてていないという噂もあるので、紙版を購入して正解だった。

ちなみにアンケートには以下のように回答した。


購入するきっかけは?(複数回答可)
「モアイ」の1話試し読み、『日本人の知らない日本語』の著者の新作だったため

マンガ本編で一番面白かったものは?(1つ)
ムリ(1つに絞り込めないという意図)

オマケで、面白かったものは?(複数回答可)
描き下ろし4コマ、決マネコボれ話、ニュートリノ解説、描き下ろし前日譚、描き下ろしおまけマンガ、インタビュー記事、あとがきマンガ実験動画そのものは面白いのだが、解説は字が小さくて読みづらかったので選択せず、また「素数大富豪」も発想は面白いと思ったものの実際にやろうという気はないので除外)

続編が発売されたら購入しますか?
購入する

感想、蛇蔵氏へのメッセージ
よくぞあれだけのネタを詰め込んだものと感嘆。頭おかしい(ほめてます)としか言いようがありません。なお、キラキラ女子が苦手というゾンビちゃんがふりふりのスカート(鹿コスはパンツ)等の、余韻というには大きすぎる謎が残っているので、是非続きを希望。スピンオフも歓迎。


モアイで試し読みしたのはQ15のお笑いロボコンだったように記憶するが、今は別の3話が読める。)

細かいことを言えば、いくつか気になるところはある。もっとも調べてみると問題はない、たとえば工科医大なのになぜ理学部があるのか? と思ったら東京工業大学にも理学部はあるといったケースも。また飯島さんが構えている消火器のノズルは泡消火器っぽいと思ったら、強化液消火器の中にはレバー操作で噴射するものもあった(レバー操作するのは粉末式とガス式だけかと思っていた)とか。

飯島さんは普段パンツスタイルなのに、表紙ではスカートなのは読者サービスだろうか(これは第1巻でも)。掃除機ホバークラフトにはAC電源が必要なのに、どうやって給電したの?という疑問は(ケーブル延ばしたっていいんだから)「堅いこと言わない」。

しかしヨウ素の蒸気を発生させるのに注意が「蒸気を吸い込まないよう」だけというのは疑問(p.17)。パソコンや精密機器のある部屋ではやらない方が良い。なべの材質も指定していないし(アルミだと腐食するから琺瑯引き推奨か)、使用するうがい薬の量を指定するのは必須。

監修者が厳しくチェックした後の漏れをこのように探すというのも(歪んだ)楽しみ方かもしれない。エタノールの蒸留は空冷じゃ無理だから水冷だ(第1巻Q2)とか。


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2015/09/15

われわれは詐欺団だ。お前達はカモられる。抵抗は無意味だ。

会津若松市で献血を済ませた後、ツイッター経由でお誘いを受けた猪苗代サイエンスカフェ主催の心理学カフェ「怪しい情報に騙されないための思考法」に参加すべく郡山市へ向かった。時間的に余裕がなかったため、途中でソースカツ丼を食べるというプランは放棄。にもかかわらず駐車場探しに手間取り数分遅刻してしまった(そしてお約束通り、終わってから外に出てみると、案内通り眼の前にコインパーキングが...ストリートビューでの確認をしていなかった)こくちーずでは「参加2名」となっていてどうなるかと心配していたが、直接申し込まれたのか、そこそこの入りだった。初参加を検討した人が怯えてしまうから、水増しする必要はないけれど、正確な人数にまでは増やしておいた方が良い。

騙されるのが正常


講師は菊池聡。「菊池先生のサイエンスカフェに行った」というと「大阪大のキクマコ先生」と思われがちだが、こちらは信州大学人文学部の教授で、研究分野は認知心理学。県内では精力的にオレオレ詐欺などの特殊詐欺被害を防ぐための活動をされているようだ。

そして国や自治体による啓発活動が後手後手に回っているのは、手口を覚えて防衛するという手段に偏っているためと指摘。それはそれで役には立っているけれど、新しい手口の前には為す術もない(昔のコンピュータウイルス対策のいたちごっこが同じ轍を踏んでいたことを思い出した)

また、知識があれば防げるという思考は、「騙された人は無知」「あれだけ気をつけろとテレビでも言ってたのに覚えてないの?」果ては「認知症なんじゃないの?」という犠牲者非難に向かいやすい。財産を奪われた上に身内からも責められて抑鬱状態に陥り、中には自殺してしまう人までいて、二重の被害になっている。

ここで聴衆へ質問。「皆さんは、自分は騙され易いと思いますか、それとも騙されないと思いますか」。自信家ほど簡単に騙されるという知識があるので、不正直に「騙されるかも」で手を挙げたが、会場には「騙されません」と自信満々の人も。もちろん「そういう人ほど騙され易い」と話は進む。

「まともな判断力があれば騙されない」というのは思い込みで、人間の認知機構は現実をありのままにではなく、かなり解釈で補いながら、手間を省いて認識している。だから、その隙を突かれるとコロっと騙される。ということを理解させるために100円硬貨を記憶で描かせ(ふだん使っているのに図柄をほとんど覚えていないことに愕然とする)たり、各種の錯視図を見せたり。チェッカーシャドウ錯視は比較的有名だと思っていたが、初見の人には信じられないらしく、手を変え品を変えて「AとBのタイルは同じ色」と説明しても納得されない様子はなかなか楽しかった(フォトショップのような画像編集ソフトでRGB値を示すか、カラータイルの現物で示さないと納得されないかも)

錯視の研究は世界的に進んでいて、東京には錯覚美術館というものもある。「抵抗しても無駄です。あなたの視覚計算済み。」と掲げられているように、理論的に錯視が作り出されている。席上、この美術館の存在をちょっと紹介したが、翌日カフェ主催者から15年の12月で閉館となってしまうという指摘。ああ、金の切れ目が縁の切れ目なのか。以前に行ったことはあるが、閉館前に表敬訪問しておこう。

2つの図形を重ねながらずらしていく参加者(組写真)
閑話休題。ジャストロー錯視では、初めに「同じ大きさに見えますね」と言われたので、実は上の図形が大きいだろうと思っていたら、大きく見えるのが錯視という凝ったデモンストレーション(気付くのに時間がかかった)。得心のいかない参加者は休憩時間に自分で図形を重ねていたが、2つの図形は(ほぼ)同じ大きさですから!

要するに「私は大丈夫」というのは酔っぱらいの「おれは酔ってない、ヒック」と同じくらい当てにならない。

エピソードの力


このように人の目というのは当てにならないものなのであるが、「この目で見たのだから」という自信はなかなか強いものがある。懐疑論者の中にすら「自分で確かめるまでは信じない」という人もいる。あんたはカッパーフィールドや引田天功(2代目)のイリュージョンを見たら瞬間移動や空中浮遊を信じるのかと(菊池教授はマジシャンのナポレオンズと組んで詐欺防止講習会を行ったこともあるとか)


盲目の物理学者が、臨終の床で聖職者から「神を信じますか」と問われ、「私は盲目なので、手で触れられるものしか信じません」と答えたとかいう話が好き。

「この目で見た」「私が経験した」は本人に対してのみならず、なぜか他人に対しても影響力がある。と、ここで怪しげな開運商品の広告がぞろぞろ。私に言わせれば、そもそもそんな経験談の主が実在するかからして怪しげなのだが、千歩譲ってそれを認めるにしても、商品購入との因果関係の証明にはならないというお話。ある程度数が売れれば、購入者の中には幸運に恵まれたと思えるような経験をする人も出るだろう。時には購入者自身が幸運に恵まれたと思えるような経験をするかもしれない。自動車を運転していて、交差点で停止する前に赤信号が青に変わればその程度でも「ラッキー!」と思えるものだし。

四分割表


エピソード主義というのは、三た論法すなわち「買った」「いい事があった」だから「効いた」に支えられているという(私が初めて三た論法という言葉を聞いたのはたぶんブルーバックスで出されていた佐久間昭の本、『薬の効用』かな? で、その当時は日本の医薬品業界が二重盲検法によらず「使った」「治った」だから「効いた」という怪しげな臨床試験に蝕まれていたそうだ)。実際には使わなくても治る例はある(書籍編集者が、医師に「本のミスと違って医術のミスは人命に関わるから大変ですね」と言ったところ、「患者の身体と違い、本の間違いは自然になおることはないから大変ですね」と返されたという話がある)、し、中には使わない方が治癒率が高いことだってあるかもしれない。

連続した起きる事象の間に因果関係を認めるのは得てして誤謬であるが、生存には有利に働き(危険を確認するまで行動しないよりは、以前の例と照合して危険発生と判断して回避行動をとった方が生き残りやすいだろう)、それゆえその認知システムは進化的に保存されてきたのだろう。また例外的な事象は強く印象に残る(「マーフィーの法則」は概ねこれ)こともエピソード主義を支える。商業報道は「犬が人を噛んでもニュースにならないが」なので、珍しいことがあれば取り上げる。しかし視聴者・読者はそれを恒常的な出来事と捉えがち(本来なら取り上げたところで地域面で終わりそうな雨乞い祭りの開催が、最中に雨が降りだしたために全国面に載ってしまった例が紹介された)

エピソード主義にだまされないためには、「した/しない」「変化があった/なかった」という2×2の四分割表で検証しなければならない。「やったら変わった」だけを見ていると、「雨が降るまで続ける雨乞い」は効果があることになってしまう。しかし、いつもいつもそうやって考えるのは大変なのだ。だが、せめてお金や健康に関わる事案の判断には「本当にそうだろうか?」と四分割表に当てはめて考えたいもの。

ちなみに怪しげな開運商品の一部(パワーストーンとか幸運を呼ぶ指輪とか)は青少年向け雑誌の定番広告。ある高校での出前授業で、これらの広告に掲載されている経験談はなんら効能の証明にはなっていないことを理解させてから、「受験雑誌に載っている合格体験記も似たようなもの」とやって、あとで進路指導の教諭から苦言を呈されたらしい(笑)。ただ、1つの体験記を鵜呑みにする生徒もいないだろう。いくつかの体験記から自分にあった(都合が良いとも言う)勉強法や生活習慣を見つけ出すのが悪いこととは思えない。むしろ人の成功体験を参照もせず、勉強も自己流(あるいは勉強しないことを正当化)という方がよろしくない気がする。

催眠商法


という説明を終えて、先生はにこやかに「さぁ、どうですか。もう騙されないという自信はつきましたか。」と問うてくる。その手は食わないぞと構えていると、今日話した内容はこれらの本にまとめていますと自著を2冊紹介し、まだ在庫がたくさんと笑わせる。参加者が書名をメモしたり、中にはスマホを使ってAmazonに注文したりするのを確認してから、急に険しい顔になり、「いま、この本を買おうと思った人は催眠商法にひっかかるおそれがあります」と警告。参りました。

かくして参加者は騙しの手口のみならず、その基本原理と対処法(の一部)を学んだ訳であるが、どうであろうか、たしかに騙されにくくはなったけれど、もう騙されないと言い切れるだろうか。

たとえば急かされたら判断を誤るだろう。急かされたら危険という知識はあっても、金額が小さいと「ま、いっか」とならないだろうか。6桁を超える詐欺に目を奪われがちだが、10万人のうっかりさんを相手に1000円ずつ掠め取る方がおそらく簡単だろう。ちなみにそれで8桁である。「出し子」「受け子」を雇う場合はある程度まとまった金額を詐取しないと上納金で赤字になるが、ワンクリック詐欺の類だとどうだろう。

また今回の私が典型だが、知識があるとそれで判断してしまう(「長さが同じ見えるものを示されて長さを問われたら、実は異なる」というように)。マスを騙す場合には常道に従うだろうが、特定個人を狙う(標的攻撃、ピンポイント攻撃)場合は思考特性を吟味してくるだろう。そうなったらたぶん持ちこたえられない。

たとえば「うまい話には裏がある」という原理だけで判断していると、「信じなかったために儲け損なった」「乗った連中は正当に儲かっている」という経験を何回か繰り返されてから、「仮に損をしてもこれくらいだから、洒落だと思って参加して」と誘われたら、「儲かるとは思ってないよ」と言いながら手を出してしまうだろう。

詐欺師共は冷徹だ。儲かると分かれば恥も外聞も捨てて攻めてくる。一方のこちら側は心理的に隙だらけな上に、「儲かりたい」「いい人だと思われたい」といった認知を歪める欲望に取り憑かれている。「悪徳商法にだまされない若者を育てるための教育基金詐欺」なんて手の込んだ話が来たら、「騙される人が減るといいですねー」なんて優越感に浸りながら一口乗ってしまうかもしれない。そして「その基金は詐欺」という指摘があっても耳を塞ぎ、あるいは反論してしまうだろう。

幸い今のところはオーダーメイド詐欺の標的にはなっていないと思うけれど...

われわれは詐欺団だ。
お前たちの財産をわれわれに同化する。
抵抗は無意味だ。

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2015/08/14

福島エクスカーション(2015年8月)

きっかけはこのツイートだった。

開沼さんを直接はフォローしていないので、誰かがリツイートしたものか、誰かのホームを見に行って見つけたのだろう。直感に従って申し込み。すぐに参加費振込みと予習の指示が来たので、未読であった『はじめての福島学』と『「フクシマ」論』を注文。これが届いてみると400ページを超える大著。それでも10日までには、と一所懸命読んでいくと、放射線についての勉強が大変だというところで、次のような記述があって力が抜けてしまった。

これまで「放射線がわかるQ&A」みたいな本が無数に出ていますが、どれが信頼できるいい本なのかわからないし、それを買ったところで読むのも大変そう。信頼できそうな詳しい人が「いい本だ」って言っている本は、辞書みたいな厚さだったり、

辞書みたいな厚さだったり! かかる壮絶な自己否定は(SNSでは珍しくもないけれど)なかなかお目にかかれるものではない。編集者はおかしいと思わなかったのか。

閑話休題。2冊を並行して読み進めたが、どうにも間に合いそうもないので『はじめての福島学』に集中し、往きの新幹線やまびこ203号の中で何とか396ページまで読むことができた(こうして直前まで読んだことが「試験」に好影響)

集合


醤油味のスープにメンマ、刻みネギ、ゆで卵、チャーシュー、焼き海苔の乗ったラーメン
予定通り集合時刻の25分前に駅についたので、構内の店で白河ラーメンを食す。それから集合場所の芭蕉像前に行くと、すでに暴力的になりつつあった太陽光を避け、少し離れた日陰に人が集まっている。名乗るとクリップボードに挟んだ資料を渡された。おお、太っ腹、と思ったらこのクリップボードは終了時に回収された(回収するなら先に言わないと、名前を書き込まれたりするよ)


バスの車体には「白河市」と書いてある手配された小型バスが着いたので乗り込む。車体には「白河市」とあるので市のバスだろうか。座席は1+2だったので、乗ってすぐの1列席に座った。

座った席は入り口を入ってすぐ右ここは前のシートがないので飲み物ホルダーも小物入れもないかわりに、砂かぶりの特等席(そのためか講義中、2回も指された)。予定時刻を過ぎても出発しないのでどうしたのかと思ったら、遅れている人がいるという。その人が駆け込んできて謝った時刻を見ると、どうやらやまびこ205号で着いたらしい。

バスは出発すると東北自動車道へ。矢吹ICからあぶくま高原道路、磐越自動車道を経て常盤自動車へ入り、いわき四倉ICで降りたようだが、その間ずっと大判スケッチブックを使った紙芝居型講義が続いていたので定かではない。道の駅よつくら港に着いたのがおよそ10時50分なので、約90分の講義だった次第(そういえば冒頭に主催者たるShirakawa Week実行委から挨拶があった)

フィールドワーク1(いわき-広野-楢葉)


出発前に新白河駅で用を済ませていたにもかかわらず、熱中症を警戒して水分を摂り過ぎたせいか、車中では早々に自然の呼声が突き上げてきた。平静を装いながら道の駅よつくら港のトイレに駆け込むとなんと清掃中! 幸いにも車イス用トイレ(正確には車イスでも使え、そうでない人も使えるトイレ)が空いていたので事なきを得る。

ここも東日本大震災の時は津波の直撃を受けて相当な被害があった。もっともひっくり返った自動車の写真くらいだと「水が来たのね」としか思わないが、改めて調べてみると流されてきた漁船が建物に衝突して破壊していったという。予習というのは大切です。

入口にかけられた「ようこそ!浜風商店街へ!」の横断幕
続いて立ち寄ったのが久之浜第一小学校の敷地に作られた浜風商店街。とりあえず500mLの清涼飲料水を購入したが、麦茶の接待が待っていた。

白い紙で地形や建物を再現したジオラマ商店街の中には被災時およびその後の写真と在りし日の街の姿を示すジオラマが展示されていた。こちらでは復興支援缶バッジを購入。久之浜地区では津波は免れた家屋も、その後に発生した火災により焼失してしまった。消防団が出動したものの、余震で退避している間に火が広がって、途中のホースが燃えてしまい消火活動が不可能に。「石巻の火災は有名だけど」という地元の方の言葉が耳に残る。

久之浜第一小学校のプレートが付いた石造りの門柱と浜風商店街の幟門柱には小学校のプレート。幟には「ようこそ 浜風商店街 みんなで前へ、未来へ!」とある。

バスに乗り込んだ犬型ゆるキャラ「しらかわん」ここでなぜか白河市のゆるキャラしらかわんが合流。しかもバスに乗り込んできた。これ、対向車とりわけ高さが同じ大型トラックやダンプの運転手はかなり驚いたのではないだろうか。

J-Village の入り口J-Villageで昼食。食後、帰る段になって気がついたが構内無断撮影禁止の貼り紙。こういうのは入ってきたときに見えるように貼ってほしい。

フィールドワーク2(楢葉)


線量計の表示を写真撮影バスの中でリアルタイム線量計2台と積算線量計1台が希望者に渡される。さっそく現時点での線量を記録(0.2μSv/hとのこと)。

沿道に植えられた桜の苗木とオーナーからのメッセージを記したプレート沿道にはふくしま浜街道・桜プロジェクトが植えた桜の苗木が。浜街道163kmに2万本の桜並木をつくろうという壮大な計画。このピンクのプレートはオーナーのメッセージを載せるもの。すでにオーナーになった人や支援者の顔ぶれを見ると、人によっては「一緒にやりたくない」と思うかもしれないが、小心さから自分の身だけは潔癖に保とうとし、小異にこだわってしまう愚は避けたいもの。

天神岬から海岸べりの更地天神岬から臨む。ここにもかつては住宅が建っていたという。手前に見え隠れしているのはサケの遡上する木戸川(これは『はじめての福島学』p.371に紹介されている)

フレコンバッグが整然と並べられた仮置き場津波で生じた瓦礫や除染廃棄物の仮置き場。ここで分別・減容が行われ、中間貯蔵施設へ運ばれる。すでにフレコンバッグの中には耐用年数を過ぎて破れ始めたものもあるらしい。なお、放射性廃棄物が山と積まれているけれど、自己遮蔽に加え、外周は放射能を持たない土を詰めたフレコンバッグを積んであるため、近づいてもそれほど被曝はしないとのこと。

手に持った線量計の表示を撮影線量チェックするも、値はさして上がらず(0.3μSv/hくらいだったか)。基本的に海から放射線が飛んで来ることは考えにくい。

海に向かった展望台
沖合20kmの地点に設置された浮体式洋上ウィンドファームを見るため展望台に上る。実証研究は今のところ順調らしいが、原発1サイトに匹敵する電力を生み出すのに風車が何基いるかを計算したら笑うしかなかった(最大出力時でさえそうで、しかも出力は文字通りの風まかせ)

20km先にあるという風力発電所は見えない晴れてはいるが、靄っているため見ることはできなかった。ここで数人が口裏を合わせ「見えますね。ほら、あそこ」と一芝居打ったら、もしかしたら全員「見える見える」となったかもしれないが、そういう危険な遊びはしない。

鉄筋三階建ての楢葉町役場次のフィールドは楢葉町役場のそばに設置された「ここなら商店街」。楢葉町という名前になんとなく懐かしさに似た感覚を覚えるのはなぜだろうか。大学の同級生の一人が確かこの町出身だが...30人全員の出身地を覚えているわけもない。

青地に赤い字で書かれた「ここなら商店街」の看板
商店街の名前は「食べるも!! 買うも!! ここなら」という意味らしい。楢葉町は避難指示解除準備区域なので日中は住民も帰還準備のために立ち入れる(宿泊は禁止)。商店街があるとないとでは大違い。

「レバニラ食べて 元気モリモリ」と書かれた武ちゃん食堂の看板
マンガ「いちえふ」の第十四話に紹介されている「武ちゃん食堂」がある(ああああ、6日はここで食事をすればよかったのだ!)。ニラレバ定食は文字通りの看板料理。

ソフトクリームを食べる開沼先生「いちえふ」によれば武ちゃん食堂のニラレバ炒め定食と並ぶ名物は、おらほ亭の柑橘ソフトクリームだそうだ。で、下調べをしてある人はちゃんと食べている。迷った私はとっさの判断(帰りの車中のおつまみに最適!)で「あぶり焼 小いわし」を購入。

ここまではお買物ツアー的な感じもあったが、この後いよいよ津波被災現場へ。

フィールドワーク3(富岡)


国道6号から海岸方向へ進むと、遠目には少し寂れた田舎町に見えたものが、実は津波によって破壊された家屋と分かってくる。一軒一軒を単独で見ればありふれた廃屋だが、それが続いている。バスを降りるとき、ここには慰霊碑や流されてきた小型トラックが突っ込んだままの家屋があると教えられた。トラックの突っ込んだ民家はすぐに見つかった。道路よりやや高いところにあり、東京の街中でこんなモノを目にしたら「現代芸術か?」と思うほど非現実的な光景。カメラを構えたところで鴨居の上に飾られた額縁が目に入った。仔細は読み取れないが「賞状」と書いてある。ここの住人は無事に避難できたのだろうか。戻ってきて変わり果てたわが家と、無事に残った賞状を見たときどんな思いをされただろうか。そんなことを思ったら撮影する気が失せてしまった。

海側一階部分が破壊されて斜めになったアパートが、そんな殊勝な気持ちも、目の前にある少し歪んだ印象をあたえる建物が津波で一階部分が押しつぶされて変形したのだと気づいたらどこへやら。海側の一階部分が中央に食い込み、二階がだるま落としのように落ちてきている。

モニタリングポストの表示は0.312μGy/h慰霊碑のそばにモニタリングポスト。囲いの柱に「富岡は負けない」というステッカー。

海側を見るとフレコンバッグが積んである海岸にはフレコンバッグがうず高く。

ヨークベニマルの正面入口ヨークベニマルTom・トム富岡店は地域の中核的な大規模小売店だったという。雑草が舗装を割って伸びているが、不思議なことに正面入口前のタイル貼りは草があまり生えていない。

ペットショップの前はタイルの隙間から草木が高さ1m近くまで草というよりは木に近いものも生えている。

ガラス戸越しに店内を覗く店内を覗き込むエクスカーション参加者一同(写っているのは約半数)。地元の人の目にはこういうように映っているのだろう。

駐車場に立てられたコーン駐車場には除染作業の企業体が朝礼をする場所を示すコーンが立てられていた。

国道脇に立てられた寿司屋のサインポール回転寿しアトム。食事中に地震に見舞われ、客が避難した時のままなのであろう。テーブルには皿が残っていた。アトムというのは原子のことである。原子力はatomic power。街の寿司屋が店名に取り入れたことからも「原子力 明るい未来のエネルギー」を素直に受け入れていたことが窺える。同様の例としてはアトム観光や原子力運送がある。40年間いい思いをさせておいて...メフィストフェレスか。

国道に面した柵には「エネルギー館」の看板。その奥に洋館風の建物。東京電力のPR施設「福島第二原子力発電所 エネルギー館」。時計が妙な時刻で止まっているのが気になる。ちなみに建物はエジソン、アインシュタイン、キュリー夫人の生家をモデルにしている。

芝生の庭には除染活動に使ったのだろうか、1000リットルは入りそうな黄色いポリタンクが放置されていたここに勤めていた人たちは原子力の伝道師という仕事を晴れがましく思っていたことだろう。原発は安全だし、日本の発展に欠くことはできないのだと。その信頼は無残にも身内によって打ち砕かれた(2Fは津波に耐えたけど)

バス移動(富岡-大熊-双葉-浪江)


ゲートが設けられ、マスクを着けヘルメットをかぶった警備員2人が守る枝道への入り口
帰還困難区域に入ると国道6号から脇に延びる道はすべて閉鎖されている。停車禁止の〈通りぬけ〉なので「原子力 明るい未来のエネルギー」のアーチ看板は一瞬見えただけ(動画を撮影するのが確実であろう)。じっくり見たければグーグルストリートビューがあるし、写真もネットにはたくさんある。

浪江町のローソンで休憩後、常磐道で帰途に。

テスト


福島エクスカーションは福島の現在を知る活動だが、参加者がガイドとなってその知見を広めていくことを期待して筆記試験を行い6割以上の正解で「初級ガイド」合格となる。バスの中で試験問題50問(『「フクシマ」論』をベースにした福島の歴史について25問と『はじめての福島学』に基づく福島の現状について25問)に挑戦。時間は30分。基本的には本に書かれていたことであるし、朝の講義でも触れた内容なので、そう難しくはないはずなのだが... どちらも2問ずつ間違えてしまった。解答を間違えるだけならともかく、参加者同士で解答用紙を交換して採点する際、正答なのに誤答扱いするミスを犯したのは申し訳ない(幸い、自己チェックで発見できたが)

ちなみに「福島の現状」問9の設問にある「体内の放射性カリウムの量と放射性カリムの量を」は「放射性セシウムの量を」の誤りだろう。といっても「はいはい、これはセシウムね」と解釈して答えたので、誤答になったことを正当化はできない。orz
(回収された問題用紙には「?」を朱書しておいた)

はなの舞


かくして全行程無事終了して新白河駅に帰着。解散後、次の新幹線(17:51)を逃すとその次は19時13分なので、ゆっくりと疲れを癒そうと駅前の海鮮居酒屋はなの舞へ移動。まずは弥右衛門を一杯。



続いて花泉、会津中将と福島の銘酒を飲み進む。実になみなみと注いでくれる。

いい気持ちになったところで電車の時刻。車中では酒の追加はせず、ここなら商店街のヴイチェーンで購入した「あぶり焼 小いわし」をかじりながら帰還。


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2015/02/22

最終講義を聴きに行く

世話になった先生が今春に定年を迎えられる。その最終講義があるというので聴きに行った。

JRのボックスシートに座り、読みかけのままだった『原発事故と放射線のリスク学』を開いていると、いつの間にか車窓の景色が変わり、「ああ、来たな」と思うとしばらくして終点に到着。駅は改装されて往時とはうって変わったモダンな佇まいだが、良くも悪くも個性が無くなっている。かつてはなかった南口までできていて、どちらにもバス停があるので迷ったが、とりあえず以前と同じ(こういうところは劇的には変えないだろう)と踏んで北口へ。駅前広場もあまりの変わり様に「はて、以前はどうなっていたのか」と考え込みそうになったが、バス停案内はしっかりしていたので難なく目的の停留所へ行けた。ああ、位置的には以前と同じだよ(やっぱり保守的だ)。時間的に余裕があればちょっと銀行まで寄って、と思っていたらバスが来たので乗車。なんと低床式。

農地の中に並ぶ太陽光パネル市街地を抜け、国道を進むと異様な光景が。あれは太陽電池パネルではないか。しかしメガソーラーというにはかなり足りない。そうね、キロソーラーかヘクトソーラー(もしかしたらセンチソーラー...うん、情緒的な太陽光発電はこう呼ぶことにしよう)
反対車線のバス停留所目的地の名を冠したバス停はこの次だが、通は手前で降りる。本部が移動したの知ってるもんね(でも会場は次のバス停の方が近かった...)
車道との間に植え込みと並木のある歩道いかにもキャンパス前といった趣の並木歩道。前を行くお二人も大学に入っていったけれど、最終講義とは関係ない方だった。
道路を挟んだ向かい側には高いネットが張られている旧研究棟は取り壊されて、フェンスがあるところを見ると運動場になっているのであろう。
いったん事務棟に入り、特に案内も出ていなかったので構内図で会場を確認すると棟が違うと分かったので外に出る。建物の角を曲がろうとすると、停まった自動車の中から見覚えのある人物が。既に退職されている前教授! 慌てて挨拶をし、聞けばやはり最終講義を聴きにいらしたと。会場のある建物に入ると職員(教員だったかもしれない)が気がついて案内してくれる。なんかお付きの人になった気分。
受付に行くと、記帳用とは別に予定聴講者のリストがあり、○を付けるだけで入れるようになっていたが、畏れ多いことに2番目に私の名前が。
階段教室で後方の席の卒業生二人と懇談される前教授卒業生と懇談される前教授。
講演者席でハンカチで口元を拭い緊張の様子の教授 開始前、緊張の面持ちの教授。なんか、このお二人相貌が似てきたような。頭蓋骨を並べてもそっくりなんじゃないだろうか(おい)
お話は大学入学から始まるのだが、実質1枚目のスライドにいきなり大管法(大学の運営に関する臨時措置法の略称)が登場してびっくり。もっとびっくりしたのが、臨時措置法という名が示す通り「5年以内に廃止するものとされる」時限立法だったはずが、実際に廃止されたのは2001年(2004年の国立大学の法人化よりは先だが、実に30年以上!)だったということ。とはいえご本人は学生運動に加わることはなく、講義がないのを良い事に遊び暮らしていらしたらしい。それでも尊敬する先生を見つけられて学問に目覚め、博士課程のある東北大の大学院に進み、修士論文の核はピアレビューの雑誌に投稿した、というと聞こえはいいのだが、ご本人の弁によれば、論文の書き方なんて習ってないから既存のものを手本に切り貼り(確かに「持ってきては、貼りつけながら」と言われた)して投稿したところ査読者から罵倒(「こんな論文は見たことがない」「不届きである」)されたと。これを聞きながら「どこかで聞いたような話だな...あっ(ここでSTAPもといSTOP」。なお、その論文は先輩の手を借りて修正し、再投稿の結果受理され、今日に至るも無事である。
この後も研究にまつわるいろいろな話が続き、感心したり笑ったりしていたのだが、私と経験が重なる部分に来ると、細部にこちらの記憶と異なる部分が散見されて、(この先生に限らず)今まで感心して聞いてきた話って、意外と不正確なものなのかもと(自分の記憶が正しいことを前提に)少々悲しい気分になった。まー、細かいことはいいんです。大切なのは、おや、こんな時刻に誰だろう。
教室前方で先生を囲んで記念撮影。熱弁が終わったのは予定を過ぎて午後5時。続いて学生やご家族から花束が贈られ(大講座制というシステムのためか、よその研究室からも頂戴していた)、最後に聴衆を交えた記念撮影...なのだが、最近の学生さんはシャイなのだろうか、なかなか前に出てこない。退官した教員や古い卒業生ばかりが集まって、仕方が無いので教室後方で見ている学生を呼びつけて並ばせる。それでも中央には出てこない。普通は最後に指導を受けた学生が囲むものだと思うけど。
撮影する学生三人 お約束で「撮られたら撮り返す」。デジカメの良いところで、懇親会が終わる頃には土産としてプリントが手渡された(いかん、「寸志」を用意し損ねていた。卒業生は菓子折りとか持ってきているし、肩身狭っ)
この後さらに先生を囲んで食事会。時間の都合で端折られた部分も伺うことができた。なお、今日は主に在校生を対象としたもので、卒業生向けには改めて夏に開催されるという。その時は農園見学もセットだろうか。

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2015/02/08

「これぞ「放射能ってなに」」への批判と自己批判

前回記事「これぞ「放射能ってなに」」は、途中で「オレら、お勉強したいんじゃないのよ。ベクレルがなんだ、原子がなんだとか、そんなお勉強がオレらに必要なわけじゃない。オレらに必要なのは、これで測って、それからどうするか。」という(別の人に向けられた)批判を目にして大幅に改稿したものだけど、それでもお勉強臭さが抜けきらず、なにより冗長で、「本当に中学卒業程度を念頭においてます?」と問い詰められると頭を下げるしか無い。

今までにいただいた批判に自己批判を加えて中間集計すると以下のようになる。
・長い
 反省してます。

・図を入れるべき
 反省しています。

・本文にない言葉が見出しに使われている
 反省しています。

・「まとめると以下の通り」から各章へハイパーリンクを張ると読みやすい
 (要するに長いから全部は読まない、ということですね、ごもっとも)次回から取り入れます。

・自然放射能について触れていない
 おしまいの方に申し訳程度にカリウム40について触れてますが(「よく例に出されるカリウム40は、半減期から考えて現在の8倍近くあったはず」)... いわゆる文系の人でも放射線年代測定は知っているだろうから、そこを緒に触れるべきだったか。しかしまた長くなりそう。

・福島県民の被曝状況について触れていない
 国や県の調査結果を端から信用しない人もいるので、できるだけ公式発表に依拠しないようにと思いまして。

・チェルノブイリハートは放射能と関係ないことに触れていない
 「ない」を説明するのは困難ですから。ちなみに映画「チェルノブイリハート」に対して、USA大統領科学顧問を務めた(この肩書だけで陰謀論好きの人たちは疑ってかかるだろう)ムラーは否定的に評価している。

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2015/02/04

これぞ「放射能ってなに」

以前のエントリーで「反原発出前授業:放射能ってなに」を批判した。いろいろ問題はあるが、なんといっても肝心の「放射能ってなに」があまり語られていないところが特に不満だった。

そこで、批判ばかりしていても仕方がないと、中学卒業程度の知識の持ち主を念頭においた「放射能ってなに」を自分でも書いてみることにした。なお、以前にも「原子力問題を理解するためのクイズ」という一連のエントリーを挙げているので、そちらも見てほしい。

門外漢が放射能に関心を持ったのは2011年の東京電力原発事故の影響が大きいと思われるので、通常の「フランスの科学者アンリ・ベクレルが、1896年、ウラン化合物を...」という歴史は割愛し、核災害に対する放射線防護を中心に述べていく。彼の功績を讃えて放射能の単位がベクレルになったとか、ストーリーで追うのも楽しいとは思うけれど、残念ながら手に余る(なにしろ誤って伝えられた話とか都合よく歪められた話とかを鵜呑みにしたら格好の突込みどころとなってしまう)

まとめると以下の通り。
・放射線からの身の護り方と放射性物質からの身の護り方とは違う
・今回の事故で現在気にする必要がある放射性物質は放射性セシウムだけで、そこから出る放射線はベータ(β)線とガンマ(γ)線
・放射性セシウム原子は、一度放射線を出せばそれっきり(放射能がなくなる)
・ベクレルは放射能の単位で直接計測できる
・シーベルトは被曝の影響を考えるのに使う、計算して出した推定値で、外部被曝でも内部被曝でも使える共通の尺度
・放射線から身を守るには浴びる時間を短くし、遮り(遮蔽)、距離をあける
・放射線の害の一つは、強い放射線で細胞が死んでしまうことにより起きると考えられている(確定的影響)
・被曝症状として一般に思い浮かべられる出血は1シーベルト(1000ミリシーベルト)以上、下痢は6シーベルト(6000ミリシーベルト)以上の被曝で起きる
・確定的影響の出ない弱い放射線でも、がんや遺伝障害が起きることはある(確率的影響)
・放射線でがんになるのは「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の結果
・遺伝子の異常で子孫に伝わるのは生殖細胞に起きたものだけ
・妊婦が通常の放射線検査(数ミリシーベルト)を受けても胎児に影響はない
・放射能を眼に見えるようにすれば、いたずらに怯えずに済む

放射能、放射線、放射性物質


まずは押さえておきたい基本のキ。

放射能とは放射線を出す能力
放射能を持つ(放射線を出す)物質を放射性物質と呼ぶ
放射線とは放射性物質から出てくる光に似たエネルギーの流れ

この3つは「ゴジラは水爆の放射能で〜」と語っている分には区別する必要はなかった。しかし、原子力発電所が爆発し、広範な放射能汚染に見舞われた現在、放射線放射性物質はきちんと区別する必要がある。なぜなら放射線と放射性物質とでは防護の仕方が異なるから。

一般に放射防護服と思われているアノ白い服(商品名タイベック)は、放射性物質の付着は防げるけれども、放射線(とりわけガンマ線)を防ぐ機能はない。たとえば住宅の屋根が汚染されて、そこからの放射が問題になる場合はタイベックを着ても全面マスクをつけても全く無意味だが、寝室を2階から1階に移すだけで被曝線量を大幅に減らすことができる。

あるいは学校の校庭が汚染された場合、汚染された土が埃となって舞うなら放射性物質としての対策が必要で、そうでないなら放射線としての対策が有効。郡山市立橘小学校ではペットボトルに水を詰めて並べることで教室の線量を1/3に下げることに成功している。ひとしなみに「放射能恐い」では有効な対策は立てにくい。

放射線の特徴と放射能の特徴


一口に放射線といってもいろいろな種類があり、その性質もそれぞれ異なる。しかし原発事故による放射能汚染で気にする必要があるのはアルファ(α)線、ベータ(β)線、ガンマ(γ)線の3つ。そのうち今般の事故で問題になるのはβ線とγ線(α線を出す物質は幸いにもあまり飛散しなかった)。β線は、人体への影響が強いけれど、透過力は弱い。突き抜ける力は弱いので遠くまでは届かず、届いたものも皮膚で吸収されてしまうため、外から来る場合はあまり心配する必要はないけれど、身体の中から出てくる場合(これが内部被曝)は脅威。γ線は、レントゲン検査に使うX線のように大抵のものを突き抜けて届くけれど、人体への影響は比較的弱い。壁や服も通り抜けてしまうので外部被曝は主にγ線による。

原子核が自然に壊れて放射線が出てくるのが放射能の正体(壊れやすい原子核を持つものを放射性同位体とか放射性元素と呼び、自然には壊れないものを安定同位体と呼ぶ)。放射性ヨウ素や放射性セシウムは、放射線を1回出すと放射能を持たない安定同位体に変わる(厳密に言うと、β線を出してからγ線が出る2段階だが、ほぼ同時に起こるので1回に数える)。ウランやラジウムが放射能を持たない鉛に落ち着くまで何回も放射線を出すのと異なり、ヨウ素もセシウムも1回きりで安全になる(それぞれキセノン131、バリウム137という放射能を持たない安定同位体になる)

放射性物質の原子の原子核(以後、原子(核)とする)がいつ壊れるか(=いつ放射線を出すか)は予測できない。ただ原子の種類ごとに「壊れやすさ」は決まっていて、それを時間で表したのが半減期。半減期を過ぎると半数の原子(核)が壊れており、放射線が出て行ったぶん放射能も減って半分になる。放射性ヨウ素の半減期は約8日なので、8日で半分、16日経つとそのまた半分で1/4、24日で1/8、32日で1/16となる。16日で0になるわけではないので注意。

半減期8日の放射性ヨウ素(ヨウ素131)の原子が64個あったとする。8日経つ間に32個の原子(核)が壊れて放射線を出す。仮に一定の間隔で放射線が出ると仮定するとガイガーカウンターが6時間に1回「ピッ」となる計算。実際にはガイガーカウンターがあるのとは反対側や上下左右に飛んでいった放射線は検出できないので、もっと少ない(食品検査のようにベクレルを測るときは検出部を試料の中に埋め込む)。半減期約30年の放射性セシウム(セシウム137)ではどうか。64個では8日間に「ピッ」と鳴るのは1回かせいぜい2回、おそらく1回も鳴らない(つまり放射線は出ていない)。量を考えるのが大事。

放射性物質の半減期はそれぞれ決まっていて、人為的に短くしたり長くしたりはできない。強い放射線を当てて別の原子(核)に変えてしまえば半減期の長さも変わる(そうやって核のゴミを無害化しようという研究はある)が、微生物とかナノ純銀とか米の研ぎ汁とかではエネルギーが弱すぎて原子(核)の変換は不可能 。

ベクレルとシーベルト


次に放射線の害について記そうと思ったが、身の回りに存在するようになった以上は定量的に捉えなければ意味が無いので、先に単位について説明、と思ったけれど、何度書き直しても微に入り細を穿つ記述となって「中学卒業程度の知識で理解できる」という趣旨に沿わなくなる。そこで単位で悩んでいる人は、以前に「ベクレルとシーベルト(用語解説)」というエントリーを上げたので、そちらを参照してもらえるとありがたい(いま見直すと細かいミスがあって、「これはマズい」という1か所は直したところ)。こちらでは触れないグレイ(Gy)についての説明もある。

大雑把にいえば放射能を考えるときはベクレル(Bq)、放射線の影響を考えるときはシーベルト(Sv)という単位を使う(一般の人が気にするのは実効線量なので、同じシーベルトを使っているが8倍から100倍大きな数字で出される等価線量の値で驚かないこと。ベクレルは「1キログラム当たり何ベクレルか(Bq/kg)」と「全部で何ベクレルか」とを分けて考える。1000Bq/kgだ! 基準の10倍だ!といっても、その物が1グラムしかないのなら全部で1Bqなのでそんなに心配する必要はない(エアコンのフィルターに埃が1kgもついているようなら、放射能よりも電気代の心配をした方が良い、それと掃除に対する無関心ぶりにも)。シーベルトも同様に、「時間当たり何シーベルトか(Sv/時のほかにSv/年の場合も)」と「積算量で何シーベルトか」を分けて考える。積算とは、0.01mSv/時で1時間被曝したなら0.01mSv、10時間なら0.1mSvということ。

なお、放射性ヨウ素と放射性セシウムでは同じ値のベクレルでも意味するところは異なる。ヨウ素131で100Bqは8日後には50Bqにまで下がっているけれど、セシウム137の100Bqは8日経っても(ほぼ)100Bq、1年経ってもほぼ100Bq。それにセシウム137から出るγ線の方が強い。したがってある時点で同じベクレル数でもセシウム137の方が強く被曝することになる(外部被曝の場合)。一方、シーベルトは一生のうちのいろいろな被曝(自然被曝、医療被曝、職業被曝など)を合算するために組み立てた数値なのでヨウ素であろうがセシウムであろうが、また外部被曝であろうが内部被曝であろうが、1シーベルトの影響はどれも同じ

も一つ大事なこと。シーベルトは直接測定できる値ではなくて、計算して出した推定値。だから計算の前提が合っていないと(空間線量測定装置を地面に置くといった不適切な計測操作など)不正確な値が出るし、「この内臓への影響はもっと重視しよう」となれば計算の仕方が変わってくる(計算に使う組織荷重係数はマニュアルの発行年によって変動している)

なお、ベクレルは時間経過によってしか減少しないが、シーベルトは測定する場所によって変動しやすい(離れれば減少する)。除染の効果を調べるのならシーベルトを使うのが妥当だが、一時期話題になった「放射能を減らす技術」の場合はベクレルで論じた方が正確。

補:数字の大小について

ところで「1年間に1ミリシーベルト(mSv)」の印象が強いので、「食べ物の基準は100ベクレル(Bq/kgだから、そのものを1kg食べなければ100Bqにはならないのだが)」が不当だと感じている人がいるかもしれない。セシウム137を100Bq(Bq/kgではなくてBqそのもの)口から体内に入れると1年間で0.0013mSv被曝すると考えられている(尿などに排出されるので1年後には3Bq程度になっている)ので、その100倍量を口に入れてもまだ0.13mSvである。たとえば基準値ギリギリの米(実際には確実に下回っている物しか出荷しないためギリギリのものが食卓にのぼることはない)を100kg食べても0.13mSvである(日本の一般家庭の平均米消費量は1人当り年間60kgを下回っている)

ベクレルは桁が大きくなりがちなのでしばしば100万ベクレルをメガベクレル(MBq)、十億ベクレルをギガベクレル(GBq)にして桁を小さくする。放射性物質を扱い慣れた人が〈素のベクレル〉を恐れないのはそのせい。一方シーベルトは小数点の後に0が何個も続くので、こちらは千分の一をミリシーベルト(mSv)、百万分の一をマイクロシーベルト(μSv)にして扱う。μSvでは見た目大きな数字になるので、慌てないで単位を確認しましょう(1mSv=1000μSv)

放射線から身を護るのは時間・遮蔽・距離の三原則


時速100kmで走っている自動車でも、6分でガス欠を起こしたら走れたのは10kmで、それは時速20kmの自転車で1時間頑張って走った距離より短い。速度を線量率(Sv/時)、距離を被曝量(Sv)と考えると、被曝する時間を短くすることが防護に有効と分かるだろう。理想的には0なのだが、0.000001秒でも浴びたら人生真っ暗というわけではない(そんな短時間で影響が出るのは360,000,000Sv/hr、毎時三億六千万シーベルト以上の放射線)。放射線を浴びる時間を短くするのが第一。

そばに強い放射能を持つ物(放射性物質、放射線源)があっても、遮蔽がしっかりしていれば心配はない。実際、事故前にも原子炉の中には強い放射能を持つ物体が大量にあったわけだけれど、外に出ないよう密封され、厚い鋼鉄とコンクリートによって放射線も遮られていたので近隣住民は平穏に暮らすことができていた。遮蔽には2種類あって、放射性物質が漏れてこないようにすることと放射線が出てこないようにすること。

放射性物質が液体や気体の場合(固体でも飛び散りやすい微粉末の場合)は密閉が必要になる。なお物体の状態は時間と共に変わることがある。ラジウム(キュリー夫妻が発見したことで有名な天然の放射性元素)は、それ自体が放射線を出すばかりでなく放射線を出した後にできるラドン(常温で気体の元素)も放射能を持つので、遮蔽を完全にするには密封する必要がある。放射能を持った埃やガスを吸わないようマスク(大きな埃ならガーゼマスクで済むが、ガスの場合は吸収缶を使ったガスマスク)を着用するのも一種の遮蔽。 なお、繰り返しになるがお馴染みの白い防護服は放射線(ガンマ線)を遮蔽できない。放射性物質が身体に付かないよう遮断しているだけである(たとえ外側が汚染されても、用が済んで脱ぎ捨てれば被曝時間も短く抑えることができる)

放射線の遮蔽しやすさは、放射線の種類による。今般の原発事故で問題になるのはベータ(β)線とガンマ(γ)線。ただし、β線は透過力が弱いため、厚さ1ミリメートル程度のアルミ板で遮られてしまうし、水中なら1センチメートル未満、プラスチックなら1センチメートル、空気中でも数十センチメートルしか進めない(放射性セシウムからのβ線は決まった強さでは出ないので透過力には幅がある)。問題はγ線で、放射性セシウムから出るものを遮断するには厚さ数センチメートルの鉛が必要(より高密度のタングステンなら薄くできるが、遮蔽効果は質量に比例するので軽くすることはできない)。空気中なら数百メートル飛ぶ。原子炉作業員が着るタイベックでも防げないのであるから、民間人の一般服では遮蔽効果はない。2011年の夏に福島県下の児童が炎暑の中を長袖長ズボンで登下校する姿がテレビに映されたが、周辺から降り注いだγ線に対しては役に立たず、汗で土埃(放射性セシウムで汚染されていただろう)が肌につきやすくなっただけと思われる。毎日洗濯していれば土埃対策にはなっただろうが。

三番目の防護方法は距離をとること。君子危うきに近寄らず。放射線源から遠く離れれば間に空気やら樹木やら建物が入って遮蔽効果が発揮されるけれども、実は真空中であって間に遮るものが何もなくても距離をとると放射線は弱くなる。γ線は電磁波の一種で、性質は光とよく似ている。電球から離れればそれだけ暗くなるのは日常経験する通り。電球からの距離が2倍になれば、明るさは1/4になる。γ線も同じで、放射線源から離れれば距離の二乗に反比例する(つまり弱くなる)。だからといって電球の表面に密着したら明るさ無限大になるかというと、そんな事はない(明るさ無限ということはエネルギー無限ということで、エネルギー問題解決!?)

内部被曝が恐ろしいと言われる理由の一つは、外部被曝であれば近付いている時間を短くしたり(時間)、安全な建物に隠れたり(遮蔽)、放射線源から遠ざかったり(距離)することで低減できるのに、身体の中から来る放射線にはどれも使えないことによる。

ちなみに放射性物質が体内に入ってしまった場合は、その物質の性質に応じて特定の組織に集中しないようにしたり、体外への排出を促したりすることで防御する。放射性ヨウ素(ヨウ素131)を吸ったときは、放射能のないヨウ素(安定ヨウ素)を服用して甲状腺への集中を妨害する。放射性セシウムの場合はセシウムと結合するプルシアンブルーという物質を服用して血液中から腸内に出てきたセシウムの再吸収を防ぎ、便と共に排出させる(体重1キログラム当たり千ベクレルというような汚染の場合に有効)

なお、一般的に放射性物質の毒性は放射能だけ考えれば良い。放射線量で大したことがないと証明されると「いや、セシウムの化学毒性が」「バリウムは有毒元素」と論点を変えて頑張ろうとする人がいるけれど、化学毒性が出るほどの放射性セシウムを摂取したら、放射線障害で死んでしまう。

放射線はなぜ怖い?


放射線のいったい何が悪さをするのか? 放射線が当たると分子が壊れる。細胞の中にある小器官を形作る分子や遺伝子(DNA分子)が直接壊されることもあるし、細胞内にあった水分子が壊されてフリーラジカルという酸化性の強い分子になり、それが細胞内小器官やDNAを壊すこともある。大量の放射線が当たって細胞内の小器官がズタボロにされれば、その細胞は死ぬ。そこまでいかなくても、細胞の設計図であるDNAが壊されてしまうと細胞は増殖できなくなって、寿命が尽きると死ぬ一方になる(異常を察知して細胞の自爆装置が働くこともある)。たくさんの細胞が死んで補充がされなければ、その組織は機能を全うできなくなり障害が現れる。出血を止める、病原体を制圧する、栄養を吸収する、身体と外界の境界を作るといった働きをしている細胞が不足すれば、小さな傷でも血が止まらなくなり、ウイルスや細菌や原虫その他が跋扈し、栄養状態が悪くなり、体表面から血漿が大量に失われ、最悪の場合、死に至る。

細胞の中には放射線の影響を受けやすいものと受けにくいものとがある。分裂準備中の細胞は放射線にとりわけ弱い。そのため細胞が盛んに分裂増殖する胎児や小児は放射線の影響を受けやすい。また成人では骨髄細胞、腸の内側の細胞、毛根細胞、表皮細胞、生殖細胞が影響を受けやすい(といっても、ほんの少しでも被曝したらアウトというわけではなく、たとえば妊婦が通常の放射線検査を受けても胎児に影響はない

被曝症状として誰もが思い浮かべる全身からの出血、貧血、感染症、下血、嘔吐、脱毛は確定的影響と呼ばれ、それぞれ発症する実効線量がおよそ決まっている。短時間に1Sv以上被曝すると骨髄細胞に影響が出て、出血が止まらない、感染症に対して無防備になるといった症状が出る。骨髄移植など適切な治療を受けないと1か月ほどで死亡する。6Sv以上被曝するとそれに加えて下血(血便の下痢)が始まる。この場合、高度な治療を受けても約半数は死亡する。(メルクマニュアルによる)

逆にいえば、ある線量より低ければ確定的影響は出ない。この線量を閾値(いきち/しきいち)と呼ぶ。

一方、確定的影響の出ないような弱い放射線でも、被曝するとロシアンルーレットを回したように、確率的影響が現れることがある。具体的には固形がんと白血病そして遺伝的影響で、被曝線量が下がれば発生する率も低下し、下限100mSv(累積線量)からは線量増加に比例して確率も上がることが知られている。それより低線量では他の発がん要因の影響もあって、はっきりとした比例関係は認められないが、防護の原則として安全側に立つために、0mSvまでは小さいながらもがんになる蓋然性はあるという閾値なし直線仮説(LNT仮説)が採用されている。

このLNT仮説は「放射線管理の目的のためにのみ用いるべきであり、すでに起こったわずかな線量の被曝についてのリスクを評価するために用いるのは適切ではない」とICRP(国際放射線防護委員会)は注意を促している。たとえるならば、公道で制限速度を5ポイントばかり超過したとして、それだけのために事故が起きることはほとんど無いけれど、それでも取り締まりの対象にするよ、ということか。

では、低線量の放射線を浴びたとして、どれだけがん(白血病や脳腫瘍のような癌の定義に当てはまらない悪性新生物と癌の総称としてひらがなで書いたがんが使われる)が増えるのかというと、累積1Svの被曝でがんによる生涯死亡リスクが5%上昇するというのが広く受け入れられた見解。

放射線によるがん


放射線を浴びるとなぜがんになる(ことがある)のか。

がんは、発がん物質によってできると思う人もいるかもしれないが、本質的には遺伝子に起きた異常が原因でできる(発がん物質は遺伝子を傷つける)。しかし、「放射線は遺伝子を傷つける、だから放射線を浴びるとがんになる」には飛躍がある。

人体の細胞は、一部の例外を除き同じ遺伝情報を持っている。爪の垢から皮膚の細胞一つを取り出し、上手に増やせば原理的には元と同じ人間ができあがる(クローン人間)。逆にいえば、細胞の中の遺伝情報のほとんどは一生眠ったまま(垢になって落ちる皮膚の細胞にも心臓や肝臓になるための情報がある)。その眠った遺伝子に傷がついたところでなんの影響も現れない(「眠っていろ」という指令を受け取る部分が壊れると話は別)。また細胞には長短はあれど寿命がある。もう分裂することのなくなった細胞の遺伝子にどんな傷がつこうと、その異常は細胞の死と共に消え去る(「分裂しなくて良い」や「もう死ね」という指令を出したり受け取ったりする部分が壊れると話は別)。結局、がんに結びつくDNA(狭義の遺伝子に当てはまらない部分もあるのでDNAと言い換える)の傷(異常)というのは、かなり限られたものになる。比喩的にいえば、アクセルが開いたまま戻らなくなる異常か、ブレーキが掛からなくなる異常が細胞に起きたとき、暴走するがんに向かって進み始める。それ以外の、たとえば室内灯が点きっぱなしとか窓が開かないとかの故障が暴走に直結することはないし、冷却系や電源系の異常なら走行不能になって(=細胞が死んで)、やはり暴走には至らない。

そういうやばい所をうまい具合に傷つけられた細胞ががん細胞になるわけだが、放射線がDNAの特定の領域を狙い撃ちできるとは考えにくい。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるで、たまたまがん化した細胞があって、それが増えてがんになると考えるのが相当(努力はしたけれど偉くなれなかった人が教訓話に登場しないのと同じ)

そしてまた、がん細胞も1個や2個、いや100個や200個あってもがんにはならない(一説には、がん細胞は毎日5000個うまれている。それは免疫機構ががん細胞を排除するから。

「タバコを吸い続けて30年経つけど、肺がんにはならない」と豪語する人がいるのは、タバコに発がん性がないからではなくて、煙の中の発がん物質が肺の細胞のDNAを傷つけても、それが必ずしもがん化に結びつくものではないこと、またがん化した細胞は免疫機構から攻撃されること、そしてがんはある程度の大きさにならないと症状が出ないことによる(解剖して顕微鏡で調べなければ分からないような小さながんのまま他の原因で亡くなれば、普通はがん患者とは呼ばないだろう)

放射線による遺伝障害


放射線によるDNA損傷が子孫に受け継がれ、先天性の異常として現れることはある。ただし、それは異常が生殖細胞(女性なら卵子、男性なら精子)に生じた場合のみ。たとえば100mSvを超える被曝によってリンパ球の染色体異常が起きるが、これは子孫には伝わらない(「獲得形質は遺伝しない」:親ネズミの尻尾を切っても産まれてくる子ネズミの尻尾の長さは正常なのと同じ)

精子は思春期以後に毎日新しく分裂によってできてくるので、精原細胞などが放射線の影響を受けると多数の精子に影響が出る(「親ガメこけたら皆こけた」)が、卵子の元になる卵母細胞は誕生時には数が揃っているので、生後に浴びた放射線の影響が拡大することはない。

また遺伝子は両親に由来する2つが1組になっているので、1つが働かなくなっても影響が現れるとは限らない(ただし間違った働き方をするようになると片方だけでも異常は出てくる)。実のところ、健康な人もそのような隠された異常を複数持っていると考えられている(たとえば後述の紫外線によるDNA損傷の修復能力を欠く遺伝病は、日本では113人に1人が保因者と推定されており、保因者同士の間に生まれた子は1/4の確率で発病する)。もちろん無駄にリスクを増やすことは避けた方が好ましいけれど、少しばかりの被曝を気に病みすぎるのは別の面で不健康を招きかねない。

なお、広島市と長崎市における被爆者の健康調査から、親の放射線被曝との関連性のある被爆二世の疾病はないものと考えられている。もしかすると詳細な調査によって今後なにかしら見つかるかもしれないが、それは70年かけてもはっきりとは見えて来ない現象であり、また両市で降り注いだ放射線は急性障害で人がばたばた死ぬほどの高線量であったことに注意。

補:遺伝子の修復能力について

放射線以外でもDNAを傷つけるものはある。身近なものでは太陽光に含まれる紫外線。紫外線によるDNA損傷を直す能力の欠けた遺伝病患者は日光に当たるとひどい日焼けを起こし、10歳以下でも皮膚がんを発症する(進行の穏やかなタイプもある)。放射線と紫外線とではDNAにつく傷の種類は異なるけれど、生体にはDNAを護る機構が備わっているということ。ちなみに生物が地球上に現れた三十数億年前の自然放射能は現在よりずっと高かったと考えられる(よく例に出されるカリウム40は、半減期から考えて現在の8倍近くあったはず)。そのなかで生物は進化してきた。

放射線による先天性障害


母親の胎内にいる時期に被曝すると、発生異常が起きて障害児が生まれることがある。有名なのは原爆小頭症。これも妊娠中に少しでも被曝したら、というものではなくて、特定の時期にある線量以上の被曝をすると生じるということが分かっている。前述の通り、現在では妊婦が通常の放射線検査を受けても胎児に影響はないとされている(今でも妊娠中のX線は危険と思われているのは、1967年にICRPから出された「10日ルール」の印象が強くて、その後の新しい知識に置き換わらないのだろうという指摘がある)

2011年3月の事故発生当時に妊娠していた胎児については、先天性異常の発生率は全国平均と差がないという調査結果が出ている(原発事故など無くても3%程度は先天性疾患を持った子は生まれるので、「お待たせしました」とはしゃぐフリージャーナリストや、ショッキングな医学写真を並べて脅かす素人ブログに騙されないように)

なお、人工妊娠中絶は母体保護法に定められた理由がなければ行えず、手術後は理由とともに都道府県知事に届け出なければならない。したがって「放射能のために障害児になっているかも」という心配だけで中絶を行おうとしても医師に断られる。また近年は麻酔薬の管理が厳しくなっているので、闇中絶も困難。少なくとも堅気の人には無理であろう。「障害児は中絶されたから調査で見つからない」は無理筋。

放射能の〈神話〉


と、駆け足で見てきたがいかがであったろうか。

日本人にとって放射能の恐ろしさは広島市と長崎市に投下された原子爆弾、水爆実験で被爆した第五福竜丸そしてJCO臨界事故によって印象づけられていることだろう(原発問題に関心のある人ならチェルノブイリ事故も)。これらは悲劇であることに間違いはないが、「原爆許すまじ」の悲願の元、脅威がいささか誇張されてきた気配もある。

それでも核兵器については、まだ国民的合意があった(少数ながら核武装論者がいることは承知している)。問題は原子力発電。夢のエネルギーと歓迎された原子力がいったいいつから忌避されだしただろう。そして政争の道具となり、賛成であれ反対であれ、誰が何を言っても背後の思想性を勘ぐられるようになって議論が難しくなった。

学校教育で放射能が扱われなかったのは実に残念なこと。もし小中学校に校正された線量計が数台ずつ配置され、教師や児童生徒が測定に習熟していたら、汚染地域に向かって避難するような事態は避けられただろうし、患者が残る病院に戻ろうとした医師が足止めを食うこともなかったのではないだろうか。これは80年代には提唱されていたのだ(当時はまだ米ソ核戦争の脅威が現実的だった)

もちろん、いざ実施しようとすれば「子供に放射能を扱わせるなんて!」と非難の声が上がり、理科の教師といえども同僚の誤解(誤解ではなく安全だと分かっていても反対する教師はいるだろう)を解くことはできず、まして父母の納得を得ることは難しかっただろうことは想像に難くない(文部省や教育委員会に父母の納得を得ようなんて甲斐性があったとも思えない)。かえすがえすも「事故は起きません」で押し通そうとし「だから放射能教育は必要ない」となったことが悔やまれる(「ソ連の原爆が落ちるかも」とか「事故は起きるかもしれませんし、原発を停めても放射能は消えません」で放射能への民間防衛を進めていれば...なお、JCO臨界事故を経て原子力安全委員会は「事故は起きるかもしれません」に方針を変えていたのに、「では具体的な避難訓練を」と前向きに対応できなかったことも痛恨の極み...)。それでもまだカリ肥料とか夜光塗料とか無難な教材はあったと思うのだが(ちなみにチェルノブイリ事故で汚染されたベラルーシの学校では、生徒たちは食材の放射能測定法を学習している)

サーベイメーターという、放射能を可視化する道具を使いこなせれば、見えないお化けに怯えるのとは違った対処が可能になる。ご質問をお待ちします。

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2014/12/16

「放射能ってなに」批判

youtubeに「セミナー: 放射能ってなに?」という動画がある。北海道で高校教師が開いている一連の原発出前授業の一つで、2012年の12月に開かれたものの記録。その内容があまりにお粗末ではないかという批判があり、枚挙しようとした人が「あまりの膨大さに整理がつかなくなってしまいました」とSOS。観てみると、70分ほどの動画で「膨大というほどのことはないのでは?」と思ったのが大間違い、「口を開けば間違い」が大袈裟でなく思えるほど問題発言が多い。そこで逐一指摘することを試みた。

実は放射能のことはあまり語っていない


この講師、本業は社会科の教師で、自分が理解したことを非専門家に共有したいというその志は買いたい。ところがどうもじっくりと勉強はせず、知識のつまみ食いをしてしまった模様。バックグラウンドがないためであろう、知識を総合することができていない。

それでも同僚教師(理科)からの意見等もある程度取り入れており、開き直った群馬の教師(同僚に質問すれば確認できるような間違いをいつまでも言い続ける不思議な人)ほど凝り固まってはいないようだ。

そのためか、前半でチェックの入った点が後半では正しく語られているようなこともあり、誤りとしてまとめるのに苦慮する。当初、逐次ツイートで済まそうとしたものを、こうしてエントリーにまとめたのもそのせい。

さて、全体を聞き終わった感想を3つに纏めると、
1)肝心の「放射能ってなに」についてはあまり語られていない
2)理化学的な誤りもさることながら、さまざまな事実認識の誤りが目立つ
3)受け狙いが滑っているためばかりでなく、軽薄・無責任という印象をうける

では、順を追って指摘してみよう。なお、タグを付与して整理を試みたが、うまくいっていない。また諸単位を仮名書きしたり記号にしたりと不統一で面目ない。


ここが変だよ、出前授業


行頭の数字は開始からの時間。たとえば0706は開始後7分6秒の映像(厳密ではない)


0655 「日本は地震大国で津波大国」
【原発事故】女川原発、福島第二原発、東海第二原発は津波に耐えている(改善の余地はあるとは言え「日本に原発は不向き」は短絡的)

そもそも原発が海岸近くに作られている理由を理解していないのではないか。だから世間ではしばしば原発を象徴させるのに巨大な冷却塔を使ってしまう。あれは大陸の川沿いに作られた原発に必要な設備で、日本の原発にはない。

0815 「ものすごい量の放射能が今もフクイチからは漏れている」
【要確認】「今」とは2012年12月。異常な量の放射性物質は放出されていないのではないか? 核反応は止まっているから、気体状の放射性物質はとっくの昔に飛んでしまい、今残っているのは不揮発性(固体)のもので、塵埃として舞うことはあっても「どんどん漏れている」というのは疑問。汚染冷却水の話と混同しているのか?

0945 「石油石炭を燃やす、天然ガスを燃やす」
【重箱の隅】火力発電の燃料を挙げるのに「石油石炭天然ガス」という語順からして、ひょっとして火発の主流は石油だと思っているのかも。石油ショック(73年および79年)を受けて石油を燃やす火発は新設されず、火力の燃料は石炭と天然ガスが主力になっている。1960年代に義務教育を受けている人は「石油を燃やす火力発電が電力の柱」という知識がアップデートされないままになっている可能性がある(当然、原子力発電の比率もご存じないだろう)

1102 「核分裂で何千度」
【大袈裟】原爆ならば正しいが、原発の場合、そこまで温度は上げない(沸騰水型で約300℃)。と思ったらペレットの中心は千数百度に達するらしい。しかし何千度ということはない。この先生は全般的に数字が大雑把な上にスケール(桁の感覚)がおかしい。

1214 「原爆と原発は基本的には同じ」
【こじつけ】これが通るならば、「焼夷弾と火力発電は基本的には同じ」「100メートル走とマラソンは基本的には同じ」「フーリガンとサポーターは基本的に同じ」も通ってしまう。

核分裂エネルギーを利用するのは同じだが、原子炉用核燃料を使って核爆発を起こすことはできない。だからこそ核兵器の拡散を心配することなくUSAは原子力発電を広めてきた米朝枠組み合意では北朝鮮に対してさえ提供しようとした)。「濃縮すれば可能」という理屈に従えば市販の風邪薬も麻薬や覚醒剤として取り締まらなければならなくなる(運動選手が試合前に服用するとドーピングを疑われ失格することがあるけれど、所持までは規制されない)。ちなみに風邪薬からの麻薬成分抽出よりも、核燃料から兵器級核物質を濃縮する方がずっとずっとずっと困難。

1258 「なぜ核発電としなかったのか」
【こじつけ】「原子爆弾」に「原子力発電」と言っている。確かに「核」を忌避する傾向は世間にあった(NMRをMRIと言い換えたなど)ものの、核兵器のイメージを隠すために原子力発電と呼んだというのは牽強付会であろう。音では「ゲンパツ」の方がよほど「ゲンバク」に近い(立地では「ゲンデン」と呼んでいるという話もあるが)。ちなみに英語でもatomic power plantという言葉はある模様。

[補]この出前授業の4か月ほど前に「核と原子力の使い分けは云々」と主張した元新聞記者がいたが、「それは無意味」と窘められていた。水爆が開発されて、ひとまとめにする用語が必要になったとき、日本語では原水爆という便利な言葉で対応できたが、英語ではnuclear bombとなったのだろうというはなるほどと思わせる。

1500 「もっと小さい単位はあります。分子陽子中性子」
【言い間違い?】分子は原子の集まった物(単原子分子を除く)で「もっと小さい」ということはない。「電子」の聞き間違いではないかとなんども聞き返してしまった。
なお、「物の最小単位」は分子の方が適切であろう。「水の分子」「砂糖の分子」「ケラチンの分子」はあっても「水の原子」は存在しない。続く発言からも原子と分子、原子と元素といった基本的な概念を理解していない疑いがある。

1510 「百なん種類の原子」
【物理化学】原子と元素の区別が付いていない。同位元素は元素としては同一だが、原子としては別種。たとえばセシウム134の原子はセシウム137の原子と異なる。原子の種類はゆうに3000種類を超える。

1558 「このワンピースを組み合わせていろんなものができる」
【物理化学】原子の説明としてレゴブロックのワンピースを挙げている。どうも分子という概念が欠落している疑い。

1610 「百なん種類ある原子の中に割れる原子ってのもあるんです、20種類くらい」「われわれを作っている原子は割れない原子」
【物理化学】「割れる」というのを核分裂に限定しても、鉄より重い元素(生体元素でいえば銅、亜鉛)は核分裂するので、20という数も生体構成元素は割れないというのも誤り。

1645 「ピカッと光ってますよね。これがいわゆるピカドンのピカなんです」
【物理化学】原子核が分裂する図を指しての説明だが、一個の原子核の分裂で光は出ない。これは詳しい説明が必要かなぁ? 面倒臭いなぁ。

1713 「核分裂生成物、中に閉じ込められていたものがパーンと出てくる」
【不適切な比喩】原子核が割れると、その破片はそれぞれ新しい原子核になるということを理解していない疑い。ウラン原子の中にセシウム原子やヨウ素原子が閉じ込められていたわけではない。

1805 「一瞬にやる」
【不適切な比喩】原爆に限定しない核分裂の連鎖反応の説明だが、2つおかしい。まず臨界量でなければ連鎖反応は途中で自然終息する。そうでなければ原爆は組み立てた途端に爆発してしまう。次に原子炉の中での核分裂の連鎖(臨界状態)は長く持続する。個々の反応はたしかに一瞬で起きるが、中性子の数と速度を調整することで全体としてはじわじわ進む。核爆発、すなわちまとまった量の核物質を一瞬に核分裂させるのと混同してはいけない。1830付近で原子炉は別と説明しているのに、原発と原爆は同じと錯覚させることを狙っていないか?

連鎖反応が持続しにくいのは、核分裂で飛び出した中性子が速過ぎるため。そのため原子炉では減速材というものを用い、原爆では中性子が飛んでいった先にもウラン235(またはプルトニウム239)原子があるような高密度状態で連鎖反応を維持する。

1825 「1個のピカは小さいけれど、これが何億何千とバーンと割れると」
【数量感】核爆発の説明なのだが、原子の数を論じるときのスケール感がおかしい。広島に落とされたリトルボーイで核分裂したウランの量は約1kgと推定されているが、これは約4モルである。つまり24×1023個の原子(核)が分裂した。これを命数法で表すなら「千垓」である(垓は万京であり京は万兆そして兆は万億である)。億の単位で考えることがいかに桁がずれているか分かるだろう。これは巨大タンカーの輸送量を油滴の数で考えるのよりもズレている(油滴はミリグラムの単位なので十万トンでも乖離はたったの百兆)。この数量感の欠落はベクレルを論じるときに致命的となる。

1832 「(原子炉では)これをゆっくりやるんです。減速材というのを間に入れて」

[補]【物理化学】減速材は核反応をゆっくりと進めるためのものではない。核分裂で発生した中性子の速度を落とすものだし、そもそもそれは核反応を持続させるため。JCO臨界事故では減速材の役割を果たしていた冷却水を抜くことで沈殿槽内で起きていた核分裂の連鎖反応を終息させている。一方、原子炉の中には減速材を用いない高速炉というものも存在する(高速中性子を使うから高速炉)

数秒後の「1個ぶつけて1個出す」に目を奪われて、18日の改稿まで気付かなかった。校正の実務においては「間違いを見つけて赤字を入れたら、その前後で見落としをしやすい」と言われているが、まさかこうまで集中してデタラメを垂れ流されているとは思わなかった。

1840 「1個ぶつけて1個出す」
【物理化学】減速材の働きは中性子の速度を落として原子核に吸収されやすくすること。核分裂で出てくる中性子の数を減らすわけではない。比喩ばかり読んで原理で考えないとこうなるのではないかと言いたくなる。

[補]「原子炉では核反応をゆっくり進めるために減速材を入れている」という間違いを発見したので、そちらに説明を追加した。なお、原子炉で中性子の数を抑制するのは制御棒。

1849 「制御しないで一気にやると原爆」
【こじつけ】原子炉では制御棒を抜いて出力全開にしても爆発などせず、連鎖反応は全体として〈ゆっくり〉と進む。そもそも核燃料の密度が違うことを理解していないのか?

1855 「チェルノブイリ原発事故は原爆と同じことが」
【こじつけ】チェルノブイリ事故では爆発は起きたが、それはいわゆる核爆発ではない。

[補]読み直していて気付いたが、原子力過剰忌避派の皆さんは、どうも核爆発というものの威力を誤解(強い言葉を使えば「舐めきっている」)のではないだろうか。3号機の爆発は核爆発ではないかという主張もそう(そもそも爆発が起きた際、異常な中性子線・ガンマ線は検出されていない。「核兵器は恐い」という割には不思議な現象である。恐れる対象のことを正しく理解せずに身を守ることができるだろうか。

1911 「すべての原発は原爆のようになる可能性がある」
【こじつけ】可能性はない。ウラン燃料はウラン濃度が低すぎる(爆発するには235Uが最低70%は必要と言われるが原子炉用燃料では4%以下)。またプルトニウムを核爆発させるには高度な爆縮技術(国家として核兵器開発に取り組んでいるイランは製造に費用はかかるが爆縮不要のウラン原爆を選択した)が必要。

1930 「これが世に言われる放射能」
【物理化学】放射能と放射性物質の混同。核分裂生成物は「世に言われる死の灰」。生成物は文字通り作られたものであり「ウランの中に閉じ込められていた」訳ではない。

1950 「放射能は他のものからは出てこない」
【物理化学】核分裂生成物が出てくるのは原発と原爆だが、「放射能」と言った以上は天然の放射性元素、たとえば炭素14やカリウム40を忘れてもらっては困るし、空からは宇宙線が降ってきている。概念が混乱していると言わざるをえない。

2054 「放射性物質はウランの原子核の中に閉じ込められていた粒粒(つぶつぶ)なんです」
【不適切な比喩】放射性物質も量が多くなれば眼に見えるようになる。どうも割れた原子核の破片がそのまま新しい原子核になるということが分かっていない? そもそもウラン自体が放射性物質なのだが(誤解が無いように書いておくと、その放射能は別に〈閉じ込められていた〉セシウムやヨウ素に由来するわけではない)

2136 「1秒間に1本の線を出すのが1ベクレル」
【物理化学】1ベクレルの定義は「1秒間に1個の原子核崩壊が起きる」(1個の核崩壊から放射線を2本だす場合もある)なので間違い。聞き齧りにありがちな、基礎的な用語の自己流解釈。教師の使命はこのような一知半解を矯正することではないのか。

2200 スライド「1秒間に100本の放射線=100ベクレル」
【重箱の隅】ベクレルの自己流解釈で間違い(だけど、実際には1秒換算で100本のγ線があったら100ベクレルとするだろうから「重箱の隅つつき的指摘」に格下げ)

2232 「福島産の桃があって100ベクレル」
【基準】基準値の「ベクレル」とはBq/kgである。桃の実は大きめのもので300グラム程度。これも単位を自己流に解釈し大袈裟に反応している。

2234 「100本も出たら恐い」
【放射線防護】100ベクレルだから1秒間に100本の放射線が出ている、と大袈裟に怖がっているが、全方向に対して100本である(平面の場合は「360度」というけれど、立体空間の場合はなんというのだろう?)。さらに距離の二乗に比例してヒットする放射線は減る。さらに後述するように、一本の放射線が生体に及ぼす影響はとても小さい。100Bq/kgの桃は外部被曝線源としてはもちろん、内部被曝線源としても到底心配する必要のない(ただし、毎日毎日10kgを1年間も食べ続ければ健康に影響が出かねない...肥満とか)物。

2335 「100以下でも(数値を)書いてくれれば」
【基準】基準値の意味も測定の実際も知らないようだ。1年間食べ続けても1mSvに達しないように定められたのが基準値。ちなみにチェルノブイリ事故後、汚染された輸入食材を弾くための基準は370Bq/kgだった(輸入食材ばかり食べはしないから)。また同じサンプルでもくり返し測ると値は変動する(放射能が弱い場合は特に)。だから現場では「百をぎりぎり下回ったからOK」みたいに杜撰なことはしていない。さらにいえば(この講演のあった2012年末でどうであったかは不明だが)検体の多くは検出限界以下であった(たとえば2012年8月の検査結果(PDF)を見ると、福島市のモモから5Bq/kg検出されているが、郡山市のモモは検出限界下(<3.1)である)。99の物が混じっているかのようにいうのは下劣な印象操作...と言いたいところだが、確かめもせず口から出任せで言ったのならばただの愚劣

2417 「つかむこともできない」
【重箱の隅】新生児ができる数少ない行動のひとつが「つかむ」(把握反射)。

2450 「放射性物質の能力は生まれた時がピーク」
【物理化学】放射線と放射性物質と放射能を区別しなさいと同僚の理科教師にツッコミを受けたとのことで「放射性物質の能力」という言い方をしているが、なるほどベクレルは時間経過と共に小さくなっていく。しかし一つ一つの原子核から出てくる放射線の強さは終始不変である。その数が減っているということを理解していないようだ。繰り返し「放射性物質は粒粒」と言っているのに、放射性物質の原子と言わないところからして、1個のセシウム137原子は放射線を出してバリウム137に変わったらそれでおしまい(もう放射線は出さない=放射能はなくなるということも理解していないのではないだろうか。

2628 「セシウムは半分になるのに30年もかかる」
【重箱の隅】セシウム134(半減期2年)とセシウム137(半減期30年)を区別していない。

2644 「広島も長崎も50年60年経って人住んでんじゃん」
【放射線防護】高校生の疑問として引用しているが、広島市も長崎市も被爆直後から継続して人は住んでいる。50年経って戻ってきたわけではない。そして当時「75年は草木も生えぬ」とまことしやかに噂され、放射能の害に無知だったわけではない(75年云々自体は誤った知識ではあるが)

2710 「数万トンです」
【数量感】核燃料の量と核分裂生成物の量を混同、と思ったがウランの量は一基当たり69-94トンなので、まったくのデタラメ

2719 「広島長崎の何十倍何百倍という量があそこに」
【数量感】広島の場合、核分裂したウランの量は手で持てるくらい(推定1kg)と言っていた。その千倍が「数万トン」? 確かに原爆の核物質はキログラム単位で、原発はトン単位である(4基合計しても400トン未満)が原子炉の核分裂生成物の大半は格納容器内(4号機では燃料プール内)にとどまっていると考えられる(建屋内がすぐに死んでしまうような高線量だと嬉々として語っているが、それこそ全部が外に出たわけではない証拠)。いかにこの社会科教師の数量の感覚がおかしいかが分かる。

2736 「福島はまだやっている」
【原発事故】1Fの核分裂はとっくの昔に止まっている。3月11日、地震と同時に制御棒が入って核反応は停止。この人は何を言っているのだ。しかも広島と長崎の核被害は大したことないとでも言いたげである。

[補]福島の被害を強調するために広島・長崎の被害を軽視するような倒錯は実に唾棄すべきことである。一方で、福島の被害を過剰に言い立てる勢力に対抗するため、そして希望を持ってもらいたいがために、つい「汚染は大したことはない」みたいな論調に自分が陥りがちなことには注意している。避難を余儀なくされている方がここを読んで、もし不快に思われたなら、とても申し訳なく思う。


腹が立ってきたのでさっさと進めよう。

2758 「プルトニウムは半分になるのに24,000年」
【放射線防護】半減期の長さがそのまま放射性物質の恐ろしさならばウラン235は7億年、238は44億年と上には上がある。ウラン238は劣化ウラン弾として剥き出しで戦車に積み込まれている。ビスマス209は半減期が (1.9 ± 0.2)×1019年(≒ 1700京〜2100京年)と極めて長いが、あまりにも長い(=重量当たりの放射能が弱い)ために放射能を持たないと思われてきたほど。半減期が長いから恐いわけではない。

2852 「放射性物質、粒粒には」
【不適切な比喩】放射性物質も放射能を持つということを除けば普通の物質と同じということを理解していないようだ。しきりに「粒粒」と言うが、原子と言わないところを見ると(「ウランの中に閉じ込められている」と合わせて考えると)PM2.5のような微粒子と思っている節もある。なお放射性の貴ガス(ラドンやキセノン)は常温では文字通り気体であり粒粒とは言えない(ガスも原子レベルでは確かに「粒粒」ではあるが、そういうレベルの粒粒ではないように思う)

2912 「放射線は粒粒」
【重箱の隅】ガンマ線やエックス線も光子ではあるけれど、あれは電磁波の一種であり、粒子放射線の中には含めないのが一般的だろう(wikipediaには「含むという説もある」と書かれているが)

3106 「放射線は身体を突き抜ける」
【放射線防護】エックス線を例にしてきた勢いで踏み越したのかもしれないが、代表的な放射線の中でもα線とβ線は身体を突き抜けない。というか、後段で本人も「α線β線は紙1枚で遮っちゃう」と言っている(ご丁寧なことにβ線の透過力を間違えている)

3212 「私はピストルと弾丸という喩えを使っている」
【不適切な比喩】放射線は弾丸で、突き抜けるから恐いと説明しているが、テニスボールと弾丸の違いは運動エネルギー。また防護三原則「遮蔽・距離・時間」に照らして、1km先から撃ったピストルの弾なら当たっても「いてぇなぁ」で済む。

3250 「放射線も身体を突き抜けるんです、ピストルの弾のように」
【不適切な比喩】突き抜けた放射線は無害。有害なのはエネルギーを渡してしまい、突き抜けない放射線。

3257 「(放射線の)当たり所が悪ければ命に関わる」
【数量感】放射線は原子より小さいから突き抜けるのではなかったか(この後3456で「細胞遺伝子の間をすり抜ける」と説明)。大きな弾丸と異なり、放射線は突き抜ける際に組織も遺伝子も破壊しない(破壊するのは吸収された放射線)。そして放射線の粒子サイズ(10-15m)と細胞のサイズ(10-5m)を比較すれば、実に百億分の一であるから、一本の放射線の破壊力も推して知るべし。

[補]これが納得できない人は痛くない注射針のことを調べてほしい。

3410 「遺伝子情報」
【重箱の隅】 この場合は遺伝情報で良いと思う。「遺伝子情報」といったら、「遺伝子に関する情報」であって、「遺伝子に書きこまれている情報」ではない。またその情報を担っているのは〈レール〉の方であって〈枕木〉ではない。

3449 「電子遺伝子の間を通り抜ける」
【言い間違い?】遺伝子の構造が分かっていない? 遺伝子は一塊の単位。またヌクレオチドは遺伝子ではない。

3535 「全く同じ遺伝子情報が入っているそうです」
【重箱の隅】DNAの二重鎖は互いに相補鎖なので情報は異なる(し、相補鎖は遺伝情報を持たない場合も)

3640 「なんでかっていうと遺伝子がちゃんと記憶しているから」
【重箱の隅】傷が治るのはDNAの「バックアップデータ」とは無関係。傷が治るのは遺伝子の修復ではなくて細胞の複製。この人は切り傷や火傷が遺伝子レベルの損傷だと思っているのか?

3654 「1ベクレルはいいけれど100ベクレル以上はダメ」
【放射線防護】ベクレルとシーベルトを混同している可能性。100Bq/kgは、1年間食べ続けることを前提。「100本の放射線に当たる」から規制している訳ではない。

[補]なお、散々言われていることではあるが、人体は自然放射能を6000ベクレル前後もっており、毎秒数千発の放射線を内部被曝している。それが自然発がんの原因の一つかもしれないが、6000ベクレルが一時的に6100ベクレル(当該の農産物を1kg食べた場合)になったとして、どれくらい影響があるだろうか?

3712 「100本も飛んできたら避けようがない」
【放射線防護】ヒトの細胞は約37兆個あり、それは原子よりはるかに大きい(直径でおよそ一万倍。遺伝子に当たる確率はかなり低い上に、細胞には遺伝子の傷を治す能力がある。電離放射線ではないが紫外線も遺伝子を傷つける。普通に生活していると紫外線を浴びてDNAはズタズタになるが、それでも皮膚がんになる人はとても少ない(色素性乾皮症(XP)という、紫外線によるDNA損傷を修復する能力を欠く遺伝病があり、その患者は少し陽に当たってもひどい日焼けを起こし、皮膚がんになりやすい。それを見ると、いかにDNAの損傷と修復が頻繁に起きているかが理解できるだろう。)

3728 「何箇所も切られたら修復できない、失敗する」
【医学生物学】分裂を止めたG0期の細胞であれば、DNAを相当切られても修復できる。造血細胞や腸細胞あるいは毛根細胞が放射線に弱いのは分裂が盛んで修復が間に合わないことがあるから。それでも影響が出てくるのは実効線量で2Sv辺りから。なお修復が間に合わない場合は自爆プログラムが作動して細胞は静かに死んでいく(この細胞死を司る遺伝子が損傷を受けたような場合はがん化の恐れあり)

3735 「放射能の怖さは遺伝子を傷つける」
【医学生物学】紫外線も遺伝子を傷つける。そしてヒトはそれに適応進化してきた。また自然界には多くの変異原(遺伝子を傷つけ突然変異を誘発する物質でそれらの中には発がん性を持つものも多い)がある。微弱な放射線はそれらに比べて頭抜けて強力な遺伝子損傷作用があるわけではない(調べるのが億劫なので「微弱とはどれくらいか」とは突っ込まないでほしいが、目安として1Sv以下?)

3750 「壊れたままコピーされる」
【医学生物学】修復が間に合わない場合はプログラム細胞死によって排除される。修復や細胞死を司る遺伝子が傷つくと大変だが、さてあれは一つだったかな?

[補]遺伝子が傷ついたら、その細胞は必ずがんになるわけではない。一部の例外を除き、すべての細胞は同じ遺伝子を共有しているが、たとえば神経になった細胞では筋肉で発現する遺伝子は眠ったままなので、そこが傷ついても影響は小さい。また〈ただある〉だけで、一生読み取られることのないDNA領域(そもそも情報を担っていないかもしれないので遺伝子とは言いがたい)も多数存在するから、そこが傷ついてもおそらく無問題。生存に必要な重要な遺伝子が傷ついてしまった場合、その細胞はがんにもならず死んでいく。さらに遺伝子にはdominant/recessiveという性質がある(日本語訳は優性/劣性だが、誤解が多いので中国で使われているという顕性/潜性で覚えてほしい)。recessiveな遺伝子が壊されても影響は出てこない。遺伝への影響が心配と思った人は生殖細胞と体細胞の違いを勉強してほしい(それゆえ生殖器の被曝には要注意)

3848 「シーベルトは何本殴られたか」
【放射線防護】「どれだけ殴られたか」の単位はグレイ(Gy)。γ線の場合はGy=Svと考えて間違いはないが、α線の場合は1Gy=20Sv。パンチがズシンと響くのが(紙1枚で遮られる)α線。

4016 「一般人の年間被曝許容限度量は1ミリシーベルト以内」
【放射線防護】1mSvは一般人で許容される年間過剰被曝線量。つまり自然放射線はバックグラウンドとして除く。居住地によってバックグラウンド線量は異なり、たとえばブラジルのグァラパリの自然放射線量(年間0.9~28mGyで平均で5.5mGy)は福島市の線量(2014年12月13日のから算出した年間1.9mSv)より高いけれど、さらに+1mSvまで許容する余裕がある(γ線の場合はmGy=mSvと考えて良い)。これは奇妙に思われるかもしれないが、医療被曝のように被曝リスクを上回る利益がある場合は1mSvに束縛されないし、また職業被曝の限度は5年間に100mSv(特定の1年間に50mSv)である。つまり安全と危険の境界を示す絶対的な区分ではない。あくまで、公衆被曝の追加限度1mSvとは、普段の生活よりもリスクを高めるのはこれくらいまでという目安に過ぎない。なお、現在は緊急作業の場合、職業被曝は年間250mSv(5年間でも250mSv)に引き上げられている。

4045 「CTは気をつけてください」
【放射線防護】CTによる被曝量は確かに単純X線撮影よりも高い。ではなぜCTが許されているかに触れていない。また職業被曝が別であることも説明できていない。知識が本人の中で統合されていないようだ。

4340 「地上で計れよ」
【重箱の隅】高いところの方が広い範囲の放射線を拾うのだが。測定条件の統一ということに考えが及ばないらしい。

[補]もともと高所での測定は、核実験によるフォールアウトを測定する目的だったという。福島県内のモニタリングポストはおそらく高さ1mで統一されているだろう。この人達は測定器を直置きしてβ線込みで高い値が出ないと満足できないのだろうか。そうだとしたら検温のとき体温計をこすって「熱あり」にしようとした小学生並み。

4402 「裸ではいったら」
【放射線防護】いわゆる防護服に対する誤解。放射線を防ぐ機能はほとんどない(防げるのはα線くらいか)。タイベックの機能は放射性物質を身体に付着させないこと、そして外部に持ち出さないこと。放射線と放射性物質を混同して「放射能を防ぐ服」と思っていることからくる誤解。

4452 「作業時間は一人15分から30分くらしかできない、それ以上いたらヤバイ」
【放射線防護】作業現場においては計画線量の75%に達したら撤収するため時間的制限がきつい。計画線量は健康障害が起きるには程遠い線量(平常時は年間20mSvが目安)。これについては、たとえば『いちえふ』を読むことをおすすめする。

4536 「絶対に放射能は漏れませんと」
【こじつけ】JCO事故のあと絶対安全論は引っ込められている。でなければオフサイトセンターなんてものが建設されるわけがない。こういうのを藁人形論法という

4740 「福島です、北関東です。年間で20ミリシーベルト、100ミリシーベルトっていう汚染地帯が」
【要確認】北関東に年間100mSvの地帯があるか?

4756 「確実にがんにかかる確率が上がる」
【言い間違い?】意味不明。確実とは100%であって、0.5%上昇では確実ではない。

4950 「がんにならないんだって読んじゃう」
【重箱の隅】そんなふうに読むというのは邪推ではないか。これもいるかどうか分からない想定上の人物を持ち出して非難する藁人形論法。

5107 「95なら安全ですか」
【測定】基準値は安全側にマージンを取って設定されているし、測定現場では95なんて出ていない。

5250 「ブチッと切ったらアウト」
【医学生物学】「放射線によりDNAがブチッと切れたが修復が間に合わず、プログラム細胞死(アポトーシス)もすり抜け、その変異ががん化に関係し、細胞の異常増殖が免疫系の監視をすり抜けたらがんになる」が正しい。それも検診で早期に発見できれば治療される。

5300 「できるだけ低くすることが放射線の場合は大事」
【放射線防護】ではなぜ、子供も含めた一般公衆に年間1mSvの無意味な追加被曝を許容するのか? この単純化された議論では、意味がある場合(たとえばCTなどの医療被曝)はさらに被曝しても構わないとしているのも説明できない。

5320 「放射性物質そのものを身体の中に入れてしまうんですよ。すっごいちっちゃいんですよ。小さい粒粒、埃より小さいんです。」
【不適切な比喩】またしても「放射性物質は粒粒」。放出当初のプルームは雲とか霧とか言われて確かに小さな粒子だったが、ほどなくして不溶性のものは会合したり土壌粒子に吸着されたりして大きくなっている。

5331 「今も少し飛んできているかも」
【数量感】どの程度「少し」なのか。2012年末であっても観測網に引っかかるような量は飛んでいない。

5344 「雨降ったらドーンと上がる」
【物理化学】これはおそらくビスマス(「雨です・ビスマス・降ってます」)。11年の夏には(一部とは言え)一般にも知られていた現象。

5414 「α線β線は紙1枚で遮っちゃう」
【放射線防護】β線は紙1枚で遮蔽は無理。

5458 「雨といっても、空中に浮いているのが雨で当たったら染み込むかもしれない」
【放射線防護】飲まない限り雨水が体に染み込むことはない。「放射能雨に当たってハゲる」は外部被曝(の脅威を誇張したものであろう)

5610 「ヨウ素は甲状腺、だから甲状腺がんになるんですけど、ここ、リンパって言うんですか、ここに入っちゃう」
【重箱の隅】甲状腺とリンパ節は全く別物。

5622 「似ているんです、成分が」
【重箱の隅】ストロンチウムの成分って何?

5650 「われわれは細胞はどんどん死んでくだけです」
【重箱の隅】年寄りの細胞は増えないというのは間違い。たとえば年寄りでも垢が出るのは表皮の細胞が入れ替わっているから。

5700 「彼らはどんどん吸収しちゃう」
【放射線防護】子供は放射線に対する感受性が高いというのは正しい。一方で子供はセシウムをどんどん排出する。生物学的半減期は子供の方が短い。

5750 「チェルノブイリハートという映画は是非見てほしい」
【要確認】チェルノブイリハートの話はどこまで本当か。「この映画は、科学的な研究を目的としたものではありません」という批判もある。

5923 「もう永久に住めないかもしれません」
【大袈裟】何を根拠に「永久」というのか。

10040 「200km以上離れているのにかなりの高濃度地帯、これホットスポットというのですけれど」
【要確認】「かなりの高濃度」とは。ホットスポットと呼ばれるところは相対的には高濃度であるが、そこに居住した場合の被曝線量は?

10135 「やられちゃいました私たちも終わりです」
【大袈裟】プルームが来たからと言って安易に「終わり」と口走るような人間を信用してはいけない(しかも北海道である)。軽薄の極み。正座させて「終わっているか?」と問いつめたい。

10320 「福島のコメは安いから」
【要確認】学校給食に福島産米を使う理由として本当に教委がそう答えたのか?

10500 「もうすぐ原発はゆっくりと止まっていきます」
【重箱の隅】原発が1-2年に1度、運転を停めて定期検査に入ることを知らないようだ。しかも、この直前には大飯原発が再稼動している。

10534 「福島の放射能は何万年も残る」
【大袈裟】炉外に出てしまった放射性物質についてなら間違い。どこまで下がったら許容するかによるけれど、長くても数百年(十分に長いことは認めるけれど、万年に比べれば百分の一である)

10539 「子供たちは原発の電気の利益を享受しない」
【重箱の隅】それは原発を無駄に停めてるからだ、というのはさておき、化学資源としての石油・石炭を享受している(石油・石炭は燃料以外の使い道も大きい)

10555 「原発をゼロにして死ぬのが大人の責任」
【物理化学】原発をゼロにしても借金(放射能)は減らない。

10610 「今度の選挙は」
【重箱の隅】2012年総選挙の民意は卒原発を掲げた日本未来の党を否定(61議席→9議席)。

10649 「核廃棄物の行方とエネルギーの行方をしっかり考えること」
【こじつけ】いくら考えても既にある核廃棄物の放射能は自然減よりも減らすことは不可能(高速炉に入れて〈燃焼〉させると半減期が短くなるという研究はあるが)。そして安全に管理する方法があるなら原発を止める理由の一つはなくなる。

10656 「福島の子供たちをあそこから早く救って」
【大袈裟】「福島」とはどこか。広い福島県全域か? 

10708 「すでに甲状腺がんになったという子供」
【医学生物学】甲状腺がんが「発見された」が正しい。従来やられてこなかった検査をすれば自然発生のがんが発見されても不思議はない。またチェルノブイリ(事故後4年)より早く病気が出てくるとする根拠不明。

10712 「間違いないんじゃないか」
【重箱の隅】これは「たぶん絶対」並に矛盾している。口頭だからやむを得ないともいえるが。

10719 「福島の子供を北海道に疎開」
【大袈裟】ヨウ素による被曝は既に無くなっているから疎開は無意味。セシウムについては、ホールボディーカウンター(WBC)の結果を見ると、低レベルの汚染さえ子供からは見つかっていない。

10744 「子供たちは新陳代謝が早い」
【自爆】これは正しい。しかしそれまでの主張(避難が必要)を自らひっくり返してしまっている。

10756 「最終日は辛い」
【こじつけ】子供たちが帰るのを嫌がっているの? 大人の勝手な思い込みではないのか。


意味のある「じゃあ、どうする?」が決定的に欠けている。

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2014/02/24

真に画期的なものは裏通りでは売られていない

KEKの黒猫先生(最近は白猫の写真も多用されているが)が経口の成長ホルモン剤にお怒りのツイートをしていた。

ペプチドホルモンとか酵素のような機能性タンパク質を口から摂取しても胃腸で消化されてしまうし吸収されることもないということは「酵素補説」でも述べた(ただし、そこでも触れたように「タンパク質がそのまま吸収されることはない」については若干の例外事象もある)

これは基本中の基本なので、インチキ健康食品などに騙されないようしっかりと覚えてほしい。タンパク質(ペプチド)は口から飲んでも消化されてしまう。だから酵素やタンパク質性のホルモンを口から飲んでも効かない

しかし口から飲むインスリン製剤の話も聞いたことはある。もちろん真っ当な筋からである。で、「インスリン 経口」で検索するとそういう研究が進められていることが分かる。イノベーションというのは不可能(と思われていたこと)を可能にすることなので、「そんなの無理」と決め付ける前に最新情報を調べてみるのは悪くない。

かつてウイルスメール対策として一時「知らない人から送られてきたメール」や「外国語のメール」が危ないという注意が広まったことがある。ほどなくして日本語のなりすましメールが広がって全く無意味に。無意味どころか「知り合いからだったから」「日本語だったから」と迂闊に開いて感染する例が出て、むしろ有害な〈対処法〉となってしまった。おまけに覚えやすいようにと単純化して注意を広めたセキュリティ担当者への信頼が低下してしまうという副作用まで。だから覚えやすいスローガン(標語)というのは要注意。覚え易いという点では優秀でも、内容が間違っていたり陳腐化しやすかったりすれば、それは悪いスローガン。「四本脚はいい、二本脚は悪い」

「口から摂ったタンパク質(酵素・ホルモン)は栄養素以上のものにはならない」というのを教条的に覚えても実害はほとんど無いだろう。医師から「新しいいい薬が出ましたよ」と言われて「このインチキめ! 次はホメオパシーか」と激昂したら問題だけど、さすがに厚労省が承認した薬品にケチを付ける頓痴気は...いるか orz。ノバルティスのおかげで保険承認薬の権威も揺らいじゃったし。

というわけで、「難しいことを考えるのは苦手」と思い込んでいる人にもすぐ分かる標語はないだろうかと悩んでいて思いついた。真に画期的なものは裏通りでは売られていない(もちろん画期的な製品もコモデティ化すれば裏通りでも売られるようにはなる)

EMとかナノ純銀とかで放射能をなくせるなら、高レベル放射性廃棄物の問題も一気解決ではないか。世界中で売れるから特許をとれば大儲け。生産が間に合わないならライセンス供与をすれば良い。あるいは儲けを放棄して技術公開しても世界の恩人と讃えられることまちがいなし。しかし、これがあるから安心して原発を増設しましょうと言わないのは(言っているのかもしれないが、真に受ける人はほとんどいないのは)、それなりの理由があるのだろう。信じて買うのは、こう言ってはなんだが、騙され易い人たちばかり。

子供向けの読み物とか映画には、お屋敷の屋根裏部屋で発見された古い書物に、世間の人がまだ知らない真理が書かれている、みたいな設定があるけれど、現実にはそういう事はまず無い(歴史的事件の当事者の日記とかだとそういう事はあるかもしれない)。投資のど素人のくせに「絶対儲かる」お得な話が舞い込んでくるなんて信じていると身ぐるみ剥がれてしまう。同じように、「世界の大発明」は特許によって守られ識者のお墨付きとなってから凡人の前に登場すると心得よう。


なお、発端となったと見られるニュース(2011年5月)を見ると、成長ホルモンそのものではなく「成長ホルモンを刺激するプログラム」(として作動する何か)を販売していたらしい。「身長が伸びる」と効能をうたったことで薬事法違反(記事では「無許可販売」となっているが、おそらく無承認無許可医薬品の販売)。中身(原価は1600円)に成長ホルモンが含まれていたら、別の罪状(医薬品の無許可販売)も加わったかも。

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2013/10/19

「EMについて考える」

ジャパンスケプティクス公開討論会「EMを考える」を聞いてきた。討論会と言っても白熱議論ではなくて、3人の講演の後、1人加えて4人でパネル討論。

EMとは有用微生物(Effective Microorganisms)の略語で、元は農業用微生物資材。株式会社EM研究機構のサイトを見るとしっかりと™(トレードマーク)が付されていた。

EMとの付き合い


実はEMとは1990年代に、微生物による汚水処理や有機廃材の堆肥化に取り組んでいるときに出会っている。そのころは生ゴミを全部素晴らしい堆肥にするのでゴミ問題解決の最終手段みたいな触れ込みだったと記憶する。幸いにもほどなくして土壌肥料学会が「ほかと大差なし」と総括し、週刊誌もトリックを暴いて話を広げすぎだと批判したことで深入りしないで済んだ。

その後、経営者らに人気の(私が密かに「おやじのオウム真理教」と批判していた)コンサルタントから寵児のごとく推されていたが、個人的にはオワコン(終わったコンテンツ)認定。セラミックに焼き固めても効果があると言い出すに至っては、大喜利以外で触れたら××が伝染りそうで。

しかし西に口蹄疫禍があれば行って「口蹄疫に効く」、東に原発事故があれば「放射能を消せる」と今に至るもしぶとく生き残っているのを見るにつけ、(自分に何ができたかはひとまずおいて)頭を潰しておくべきだったという後悔の念を抱かざるをえない。

EMの主張を検証する


最初の講演は小波秀雄(京都女子大教授)による「EMとはなにか―その主張を検証する」。農業関連に始まり、健康と医療に関する効能、環境への効能、建築材料への応用が主張されている様が示される。常識があれば「なんにでも効く」には胡散臭さを感じるはずだが、開発者御自ら「EMの万能性」を謳って恥じるところがない。支持者も疑問を感じないようだ(下図の赤丸は引用者が付した)。

株式会社EM研究機構のサイトには「EMの万能性の再確認」という記事が。

であるならば、「大沢崩れはもともと植生のないガレ場なので、EMを撒けば植物が生えて崩落が止まるなんてのはナンセンス。それができたらむしろ環境破壊。」などという理詰めの批判は効果がない。売り出し当初は農産物の増収が謳いだったのが、ゴミ処理、水処理、疾病治療...と風呂敷を広げていく過程をその当時のニュースと並べて追っていけば、耳目を集める効能を追っかけている様子が見えてくるのではないだろうか。収穫という形で効果が目に見える農業分野でEM熱が冷めているなら、それを示した方が説得力がある。「あなたは4匹目のドジョウ」だと。

初期の普及に農協(JA)が関わったのは婦人部の影響が大きいという指摘もあった。どうも生ゴミ処理が第一義。かつてのEM批判の中には「EMコンポストが良い肥料だというのは農業をやっていない人の意見」というのもあった。農協婦人部としてはゴミが片付き、ついでに肥料になるならくらいのつもりであったのかもしれないが、それが都会の人間の手にかかると「EMぼかしは素晴らしい肥料」に化けてしまう。ゴミ処理という自分の都合を覆い隠し、「あなた(農家)のためだから」と親切顔。2002年に都内某市で開かれた生ゴミと選定枝の資源化を巡るシンポジウムで、出席した農家が苦々しげに農地はゴミ捨て場ではないと発言したのが思い出される(家庭ゴミから作ったコンポストにはプラスチックなど未分別のゴミが多かったせいもある)

それにしてもスーパーサイエンスハイスクールの中にもEMを肯定的に取り上げている学校があるというのには驚いた。その研究成果を学会で発表して質疑を受けたり、科学雑誌に投稿して査読を受けるまでやるならば良いではないか(そうやって本物の科学の厳しさを思い知れ、そこまでやらないならばSSHの看板を下ろせ)という意見もあるが、「重力波」とか「波動」とかを持ち出している時点で変だと勘づかないのは致命的にまずいだろう。これを正す簡単な方法はおそらく(大学)入試。入試の理科や国語でEMのおかしなところをとりあげるならば、予備校や熱心な高校は傾向と対策として疑似科学文書を正しく読み取る技術を指導するようになるだろう。簡単なものならば高校や私立中学の入試でも取り込める。と学校に丸投げして済む話でもない。学外でできることは題材として取り上げられるような文書を公表することで、これなら環境や微生物の専門家以外でも協力できる(ただし、その筋からの圧力への備えも必要)。国語の入試問題であれば理科よりも受験者は多いので、効果がより期待できる。社説やコラムが出題されることが自慢の新聞社もぜひここで名誉挽回を図ってもらいたい。

地方行政と教育に食い込むEM


2番目の演者は朝日新聞青森県版に「EM菌効果「疑問」検証せぬまま授業」という6段に及ぶ批判記事を掲載した長野剛記者。

全国紙といえども地方支局は人手不足。しかも新人社員の修業の場。「地方面って、写真が多いでしょ(埋草として手軽)」には会場から失笑。いきおい送られてくるイベント情報などに頼ってしまい、「川をきれいにする運動」などを無批判に記事にしがちらしい。そんな記事不足を逆手にとっての6段ぶちぬき記事(そういえば、弘前大学教授夫人殺し事件の再審をもたらしたのも、「白紙で新聞は出せませんよ」とデスクに追い立てられた記者が、労組事務所の掲示板で見かけた松山事件―これも後日、再審で無罪に―の署名を集める死刑囚の母の話を記事にしたのがきっかけの情報提供だった)

意表を突かれたのは、取材の後半になってその意図(EM批判)を告げて続けたということ。記事をよく見れば「教師は、効果に疑義があると知り「生徒にはきちんと説明したい」と語る。」とあるので、騙し討ちにしたのではないと分かるのだが、オープンな人だなぁと感心。もっとも当の教師は真っ青になったそうである。質問タイムは押していたせいもあって指名されなかったため、後で個人的に質問をしたところ、指導していた教諭の担当科目は不明(イメージからすると国語とか芸術とかか。少なくとも理科ではなかった。)。また理科教諭の態度を聞くと、どうやら批判を口にはしていたらしい。想像するに、EM自体は県から配ってくるし〈培養〉に使う米の研ぎ汁は生徒が家庭から持参するしで費用が大してかからないこと、また課外活動であることから、積極的に反対するほどではないと判断したのだろうか(この点は長野記者自身「人が死ぬわけでもないし」と他の記事を押しのけて掲載するほど積極的ではなかったことに通じるような)。講演中もしきりに「前任から引き継いだ教師だけを責めるのは可哀想」と庇っていた。

長野記者は津の出身で大阪勤務の経験もあるせいか、関東者の耳目には〈いかにも関西人〉という感じのノリの良さで話されていた。あの調子で取材されたら寡黙と言われる青森の人は困るだろうな、と余計な心配をしていたが、これも終了後に会場で尋ねたところ、赴任先ではできるだけ現地の言葉を使うよう努力されたとか。

EMは水質を浄化できるか


3番目は底生生物の研究者である飯島明子(神田外語大学准教授)による「EMは水質を浄化できるか」。できるか、の話が出てくるかと期待したが、延々と続くのは水辺の生態系の話。どうなるのかと思ったが、レジュメを見たら末尾に「EMはどれにも寄与しないので不要です」とゴシックで書かれていて吹き出しかけた。

下水処理場や浄化槽の曝気槽と現実の水辺は違う。おかしな科学を振りかざす人はしばしば質量不変の法則を無視するが(無視するどころか生体内元素転換だなんて錬金術師みたいなことを言い出す人まで)、EMのような方法では富栄養化の原因の一つであるリンを取り除けないのは明白であるし、もう一つの悪玉であるチッ素の除去には硝化菌と脱窒菌の連携が必要で、その酸化と還元が交互に起きる環境は干潟あるいは渚が提供している。環境がなければ微生物だけあっても意味はない。

ちなみに諫早湾干拓地の調整池(例の堤防で仕切られた淡水域)にEMは投入されており、それが水門をあけさせないためだと比嘉照夫が発言したことに飯島さんはいたくお冠。なんの効果もないことは「諫早湾 ユスリカ」で動画検索をすれば分かるというのでやってみた。いやぁ、すごい。

ちなみにユスリカは富栄養化した水域で特に多く発生する。実は幼虫(アカムシ)が水中の有機物を食べて育ち、空中に飛び立つことで水の浄化に貢献しているというのも皮肉な話。鳥が食べて、死骸が水に戻らなければチッ素・リンも含めて除去できるのだが。

EMは手強い


最後のセッションは講演者3名+菊地誠(大阪大学教授)によるパネルディスカッション。最近、EM研究機構から大学総長宛に抗議文?が届いた菊池教授、EMを担ぐ人びとのしぶとさ、手強さを語る。たしかに土壌肥料学会がノーを突きつけて農業用微生物資材としては大したことはないと知られ、また『カルト資本主義』で科学というよりは信仰と指摘されてから20年近く、フィールドを変えながら勢力は衰えない(ただし、今も活発に見えるのは草の根の活動が可視化された効果もあるかもしれない。新聞の埋草記事もネットで全国から閲覧できるし、SNSでの告発も多い。ニセ科学の横行を知る人達の危機感をかきたてた「EMで放射能除染」にしても、福島県内で実際に行われた例は少なく、どうも県外向けの宣伝が主目的ではないかという疑いも。)。朝日新聞青森総局に乗り込んできたDNDの出口俊一は、あまりに弁が立つので感心した局長が経歴を尋ねると産経新聞の記者だったということも。ただのトンデモさんの集まりではない。

新聞の問題は重要で、長野さんが学校だか役所だかで「EMは効きますよ」という人から見せられた〈資料〉の大半は新聞記事の切り抜きだったという。また特に全国紙の中には「〈敵〉は政府と大企業」という意識があって、いいかえると新聞はその2つをチェックするのが第一の仕事と思っているから、市民団体や児童生徒がやってる〈環境保護活動〉が有効かどうかを疑おうという発想がない、と。人手不足の地方支局にいる経験不足の若手記者が〈狙われ〉やすいことは分かっているので取材の基本の徹底で臨みたいとおっしゃるが、どこまで期待できるだろうか。

単に「EMはだめ」「永久機関もだめ」とブラックリストと照合するやり方では新しいイカサマに引っかかる。組織的な対応が必要だ。最近のイグノーベル賞は「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる」まともな研究の受賞ばかり報道されるけれど、元はノーベル (Nobel [noubél] ) に、否定を表す接頭辞的にIgを加え、英語の形容詞 ignoble [ignóubl]「恥ずべき、不名誉な、不誠実な」にかけたもので、実際受賞者の一覧を見るとホメオパシーの研究家やUFO研究家、また独裁政治家や核実験を強行した政治家にも送られている。同じように恥ずべき科学記事を〈讃える〉賞を設け、(執筆した記者にではなく)社長や科学部長に贈呈すれば、社内教育に危機感を持ってくれるだろうか。新聞境界賞とか。

もっとも朝日新聞と毎日新聞のEM記事を数え上げてみると、毎日新聞は斗ヶ沢秀俊記者の努力にもかかわらず2013年になってもEMを肯定的に取り上げる記事が絶えないのに対し、朝日新聞はそれまで年10本以上掲載されていたのが2012年以降ぱったりと途絶えているそうで、これは記者のリテラシーが向上したというよりは、EM(研究機構)側のメディア戦略(=「朝日は敵」)があるのかもしれない。だとすれば(相対的に狙われる報道機関が出るとはいえ)働きかけを受けない報道機関が橋頭堡として機能することが期待できる。

最後に「水商売ウォッチング」を主宰し業者との裁判闘争の経験もあるapjさんから、業者らから訴訟攻撃を受けないための注意がなされた。主張するのは証明可能な事実に限定し、かつ名誉を毀損するような表現を慎むこと(ちなみに名誉毀損は真実の指摘でも成立するが、公益を図る目的であるなど条件を満たせば免責される)。あることないこと罵倒していると、身許を暴かれて提訴される危険があるのでご用心。

なお、ジャパンスケプティクスは変な人が誤解して入会しないように敷居を高くしたところ、会員の自然減を補えなくなっているとか。興味のある方はサイトを覗き、気に入ったら入会してください。早くも(ないか)本討論会の要約が載っている。

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2013/06/23

酵素補説

togetterに「はたらけ!酵素ちゃん ~酵素物語 その6~」という素晴らしいまとめがあります。酵素学の門外漢である主婦が、「酵素飲料」とか「酵素ダイエット」とかのあやしい酵素にだまされないための解説絵本を書こうと思い立った。

ラフを一読して、「ここは押さえておいてほしい」と思った点をいくつか。

酵素には種類がたくさんある


酵素の相手は、基本的に一酵素につき一種類。デンプンを消化する酵素はタンパク質を消化できない(基質特異性)。また同じ反応を司る酵素にも〈兄弟〉がいて、性質に違いがある(ある酵素はアルカリ性でよく働き、別の酵素は同じ反応を中性でより促進する)。生息環境の異なる生物(たとえば大腸菌とヒト)間で酵素が異なることは容易に想像できるが、同じ生物種の体内でも働き方が異なる酵素が存在することがある(イソ酵素/アイソザイム)。

酵素ダイエットとか酵素飲料とかにコロッと ***Deleted for the Courtesy Reasons*** な人は、おそらくここを理解していない。細菌飲料といえば分かるだろうか。乳酸菌飲料なら人体に有益だけれども、大腸菌飲料とかコレラ菌飲料を飲みたいとは思わないはずだ。ましてや「お腹で活き活き」を謳っているならば!(医学史では有名なお話の一つに、コレラの原因を巡る論争がある。コッホが発見した「コレラ菌」はコレラの原因ではないとするペッテンコッファーは培養コレラ菌を飲むという人体実験を行った。彼自身は下痢だけで済んだが、弟子の中には危うく死にかけた者もいる。)

酵素は基本的に6種類


前のエントリーでEC番号(酵素番号)を説明するとき割愛してしまったのだが、酵素は司る反応によって大きく6つに分類される。

酸化還元酵素
基質(酵素が働きかける相手)を酸化したり還元したり。例としては酒を代謝するアルコールデヒドロゲナーゼ。

転移酵素
基質の構造の一部を別の基質へ移す。例としてはリン酸基を移すキナーゼ。

加水分解酵素
水と反応させながら化学結合を切って基質を分解する。例としては消化酵素のペプシン。

脱離酵素
脱離反応や付加反応をと言ってもピンと来ないでしょうなぁ。別名は除去付加酵素。例も適当な酵素が思い浮かばない。

異性化酵素
分子内の反応を進める。例としてはアミノ酸のL体をD体にかえるラセマーゼ。
合成酵素
ATP(アデノシン三リン酸)を使って複数の基質を結合する。例としては切れたDNAを修復するDNAリガーゼ。

上記のまとめで登場する「ロミエット」が登場するのは、脱離酵素(リアーゼ)と合成酵素(シンテターゼ)が媒介する反応。これが〈結婚〉させる反応。〈重婚〉になるのを防ぎたいなら(ytambeさんが挙げている)グルクロン酸抱合は好例。

〈離婚〉に相当するのは加水分解酵素。〈変身〉は酸化還元、転移、異性化か。

酵素は基質と結合する


絵解きする場合に描く必要はないけれど、酵素は基質とくっつくことで反応を進めるということは頭に入れておいた方が良い。ここを押さえていると基質特異性とかKm値とか酵素の阻害とかも理解しやすい(と思う)

酵素は壊れる


酵素は触媒であり、触媒は化学反応の前後で変化しないと定義されている。つまり反応が進んでも酵素が比例して減ることはない。

とはいえ酵素のほとんどはタンパク質なので、徐々に壊れていくし、熱や極端なpH、泡などによって構造が崩れ(変性)、機能しなくなってしまう。食事などで外から与えられた酵素が働かないと考えられるのは、次の理由による。


  1. 調理の過程で壊れる(加熱でも壊れるし、泡立てるとそれだけでタンパク質は構造が崩れる。また細胞が壊れると掃除屋である分解酵素群の封印が解かれ、目的とする酵素も破壊されてしまう)

  2. 胃酸で変性してしまう

  3. 胃や腸で消化されてしまう

  4. 目的の場所に到達しない(胃腸での変性や消化を免れてもタンパク質がそのまま吸収されることは少ない。また血中に入ったところで目的の組織や細胞内に選択的に入る可能性は極めて低い。)

さらに細胞内には変性したタンパク質(酵素)を元に戻す機能があり、またpHも安定しているので細胞外よりも酵素は壊れにくい。その点でも外部から加えた酵素は分が悪い。

なお、微生物の中には高温の温泉や低温高圧の深海底のような極端な環境で生育するものがいて、それらが利用する酵素には高温や強酸性/強アルカリ性でも壊れずに働くものがある。また普通の酵素は働かない低温で作用するものもある。しかし、これらは普通の食材には含まれていないだろう。

酵素は働く時と場所が決まっている


前にも触れたように、酵素(群)は生体内の至る所で働いている。何かを作る酵素がいれば、それを壊す酵素もいる。それらが勝手に働けば、生命は維持できない。たとえば急性膵炎は、小腸に分泌されてから働くべき消化酵素が、働くべきでない膵臓内で勝手に働き出して膵臓自身を消化してしまうために起きる。

また多くの場合、酵素が司る反応は複数が協調的に進んでいる。たとえばタンパク質の合成を考えると、1)DNAの読み取りとRNAの合成、2)RNAの読み取り、3)アミノ酸の結合、4)折りたたみと輸送、がシンクロしていなければ、原料が不足したり中間産物が溢れたりしてうまくいかない。「食べ過ぎたから消化酵素を飲む」で済むような単純な例は少ないのである。

合成されたばかりのタンパク質は、アミノ酸がつながっただけのヒモなので、そのままでは働かない。しかるべき構造に折りたたまれて初めて機能するようになる。またタンパク質の中には金属イオンやタンパク質以外の低分子(補酵素)と結合することで機能するようになるものもある。鉄はヘモグロビンに必要であるし、ビタミンB群は補酵素として機能している。

なお、酵素の働きを制御する方法としては、使うときに合成し用が済んだら分解するほかに、ストッパー(インヒビター/阻害剤)を外したり付けたりする、完成一歩手前の状態(プロザイム/前駆酵素/前酵素)で蓄積しておいて、短時間で一斉に完成させるなどのやり方がある。

前述の急性膵炎は、スタンバってる消化酵素(の前酵素)に誤った「それ、ここで働け」という合図が送られてしまうことで起きる。

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2013/06/17

時間が短い「語彙・読解力検定」

朝日新聞とベネッセが主催する「語彙・読解力検定」を受検した。前回は時間が足りなくて読解の最終問題が手付かずという醜態を演じたので、今回は時間配分に特に気をつけ、どんどん飛ばすことで対応した。

それでも時間との戦いで、読解は問題文を精読していたらとても間に合いそうもないので、先に設問を読み、問われている周辺を斜め読みという受検テクニック依存に終始してしまった。もっとも語彙問題もえらくハイレベルで、まるで歯が立たない問題がいくつかあったが、そこでは「とにかく記入」という入試の基礎は発動せず、潔く無回答で通した(合格することが目的の入試とは異なり、この検定は自分の実力を知るのが目的なので、偶然による嵩上げを図っても意味が無い)

限られた時間内に書かれていることを読み取る読解力というものが求められる世界もあるだろうが、そういう正解を探すのだけが読解力だというのには疑問を感じる。なぜなら文章というものは書き手の意図から解き放たれているのだ。

分かりやすい例を挙げるなら、詐欺商法の勧誘文を読ませた場合、書き手が訴求したい「これは安全で確実に儲かります」を読み取るようではアウトで、勧誘文内の矛盾や外部世界(法律や経済状況)との齟齬を見つけ出せなければならない。「私はあなたをカモだと思っています」もまた正しい読み取りなのだ。

国語の試験問題ではしばしば「この時の作者(あるいは登場人物)の気持ちを述べよ」的な出題が槍玉にあがるけれど、実際の設問はどうなのだろうか。ひょっとしたら「作者の気持ちはどうだったと考えるか」ではないだろうか。さらにいえば校内テストであれば「授業ではどうだったと考えられると話したか覚えていますか」であり、入試ならば「どうだったと答える受験生が受け入れられると思いますか」と考えれば、なんの無理もない。

マークシートの場合、「正解はウ(3.)が多い」というような本質とは離れた得点テクニックが生まれるが、それはやむを得まい。しかし試験時間に関しては延長を要望したい。語彙と読解を分けて、間に休憩を挟めば各1時間(=現状+40分)は確保できるだろう。時間配分のような試験テクニックを語彙力・読解力に含めてほしくない。

それと、帰宅して落ち着いてから考えるとなんとなく理解できたが、あの段落を入れ替えた文章を読ませて正しい順番にさせる問題には悩まされた。おそらく段落番号を正しい順番に並べるのが正解なのだろうが、各段落が何番目になるかで答えた例もあるはず(私がそうだ)。マークシートの場合、典型的誤答例がどれだけあるのかを調べるのは簡単なはずなので、ぜひチェックしてほしい。別に正解にしろとは言わないけれど、質問の読解力を確かめるのは反則だと思う。正統的出題であれば、いくつかの順序例を示して正しいものを選択させるからだ。

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2012/11/12

元素検定2012

塀に穴があいていれば覗きたくなる。検定があれば受けてみたくなる。ましてそれが無料ならば。

という訳で、元素検定2級を受けてみた。

同好会が主催するテストで、別に何の権威もない、純粋な遊び心(関連商品も出しているので純粋と言い切るには若干のためらいも覚えるが)による検定。

1級(元素マニアレベル)から3級(中学生~一般教養レベル)までのランクがあり、1級は2級合格者でないと受検できないというわけで、2級(理系高校生レベル)を選択した。この検定はサイエンスアゴラ2012の催しの一環で、ガイドには「子ども向け」と明示されていたのでややショック。しかし、会場で出会ったサイエンスカフェ水戸の人(4月の講演会で司会を務めていただいた)からセッションに誘われ「その時間は元素検定で」と断ると「あなたもですか!」と嘆かれたので、たぶん大人も来るだろうと気を取り直す。

実際、会場に来てみると子供連れがほとんどとは言え大人もいるので安堵。しかし、3人いるという1級受検者(=2級合格者)のうち1人が隣席の小学生と知って再び動揺。

なにせこちとらの元素の知識といえば、中学・高校で習ったことと、後は『元素とは何か』くらいで、当然周期表は103番で止まっている。こんな浦島太郎状態のぶっつけ本番で大丈夫だろうか。

いざ30分間の検定が始まってみると、前半こそ鼻歌気分で解けたものの、後半は悪戦苦闘。時計なしという大胆な受検態度を悔やみながら解くことになった。だから103番より後は知らないってー(泣 特別展「元素のふしぎ」でちゃんと――「用途はない」を喜ぶだけでなく――見てくれば良かった。)

88点 2級合格 おめでとうございます!

2級と3級はマークシート式のため、即日結果が知らされる。6問を間違えたものの合格で面目を施せたかな。直前に理研仁科加速器センターの出展(ちなみに大きな核図表と手提げバッグを頂戴しました)原子核の地図「核図表」を作ろう!で丁寧な説明――なにしろ立体核図表の前で説明しているうちに「こちらから見た方が分かりやすい」と裏手に案内してくれる――を聞いていたので解けた問題もあり、実に薄氷。

問題は持ち帰りできたけれど不許複製と明示されているので、間違えた問題の概要だけ列記しておくと(著作権が保護するのは表現であって内容ではない)
・ヒトの必須微量元素
・イオン化した原子のサイズ
・金属の耐酸性
・宝石に色をつける元素
・名前の付いている最も原子番号の大きな元素
・現在の元素記号の考案者

こうして見ると物性に偏ること無く出題されていることが分る。(「一家に1枚周期表」からも出題されていたので鼻白んだが、これが文部科学省が発行したものとは知らず、邪推したことをお詫びします。)

出題への疑問


なお、疑問のある出題もあった。問31は「もっとも陽イオンになりやすい原子は、次のうちどれでしょう?」と聞いている。この質問では「全元素のうちでもっとも陽イオンになりやすいもの」と受け取れるが、選択肢の中にそれはない。「次の中で」は先に来なければおかしいし、そうでなければ「該当なし」が必要。実際、問32では「次の金属元素の中でもっとも多く人体に含まれるものは」と聞いているし、問18や問25では該当なしという選択肢も存在している(「そんな元素はない」「そのような元素はない」の混在は気になる)

また「もっとも多い」も、この手の問題では注意が必要。重量を聞いているのか原子数を聞いているのか分からない。たとえば「人体を構成する元素で一番多いのは」はどうであろうか。原子数から言えば水素だが、重量では酸素になってしまう。

それと、終了後に1級の問題を見せてもらったところ、問題例に載っていたのと同じに思える出題があった。勘違いかもしれないが、気になる。

そうはいっても、こういう楽しいイベントを無償で公開してくれるのは嬉しいこと。中高生の姿(サイエンスアゴラ2012全体では目立ったのに)が少ないようにも感じたので、掘り起こしてもらいたい。

1級受検? さて、どうしましょうか。

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2012/02/20

あるロー生の試練(君は立派な法律家になれる だろう)

光市母子殺害事件の最高裁判決が出た。この事件についての感想は5年前に書いた通り。

人生を諦めた者に運命は過酷だ。あの世から正木ひろしを呼び寄せても勝ち目はあるまい。いや、真相はわからないが。

つまり、「下手に争うと情状が悪くなるので、ひたすら〈悪うございました〉で頭を下げ続けろ」という一審の弁護方針が裏目に出て、検事上告に対して口頭弁論が開かれる(=原判決破棄確定で死刑の可能性大に)という土壇場での大ピンチ。上告審をはじめに担当した弁護人はまさかの事態に愕然とし、かくなるうえは尋常の弁論では勝てないと安田弁護士に依頼したようだ。この弁護士と一二審の弁護人が同一かは知らない。

主張の当否は判断できないけれど、使える理屈は総動員して被告人を守るのは弁護人の責務だと納得していた。しかしそれが大量懲戒請求事件に発展したことはご存じの通り。

ちなみに弁護人というものは被告人が「私は死刑になって当然です」と言い張っても、なにか有利な事情はないかと探し「どうか温情を」と弁論するもの。昔、国選弁護人が「弁護の余地がない極悪人」みたいな答弁(?)をしたため死刑が確定した元被告人がその弁護士を訴えて賠償金を勝ちとったことすらある。依頼人のために誠意を尽くす義務があるというわけ。

ところが、そうした事情を知らないまま、あるロースクール生が最高裁判決のニュースに気ままなツイートをした。元が削除されているので残された断片から推測すると、殺意はなかったと言い出したことを揶揄したらしい。

で、銛を持ってダイビング中の弁護士の目に止まった。その後のツイートを見ると複数の弁護士から同様のお小言を頂戴したらしい。晒すつもりはないので、検索されないようやや文言を変えると、君は裁判の経過を理解していない、と。確認できただけで3人の弁護士にお詫びのツイートをしているし、相手を特定せず「事実関係を誤って把握していた」と陳謝。

素人であればともかく、法科大学院生がこれでは困るからね。先輩たちが法曹のレベル維持にかける努力に敬礼。(と、法曹でもないくせにえらそーな一言)

一方で、死刑賛成派からも妙なお叱りを受けていた。その一つが18歳1月は少年ではないというお怒り。しかし、これは変だ。変だと思って調べたら、案の定、少年法でいう少年とは二十歳に満たない者。だいたい少年だからこそ、今までずーっと匿名報道だったわけで、人間怒ると理性がぶっ飛ぶ見本のような話。

とにかく本人はひたすら恐縮しているし、具体的な反省もしているので、これは掩護しておいた。もしかしたら「逆らわず頭を下げておけ」という一審の弁護方針の怖さを体感できたのではないだろうか。

青年よ、失敗は誰かが尻拭いしてくれるうちに大いに経験しておくと良いのだよ。今、取り寄せた判決文を汗をかきながら読んだ経験は、君の慎重さを大いに鍛えたことだろう。立派な法律家になっておくれ(もしかしたら10年後に世話になるかもしれない)。

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2011/12/10

『麦わら帽子』を使った国語の問題

先日、ある出版社の求人に応募したところ、課題が送られてきた。「提出後二週間経っても音沙汰がなかったら諦めろ」という意味の添え書きがあり、提出してから二週間が経過したから不採用のようだ。

課題は三つあり、そのうちの一つは今江祥智の「麦わら帽子」を使って問題を作れというもの。対象は中学受験を予定している小学校五年生。もちろん解答と出題意図も要求されている。

「麦わら帽子」は光村図書の中学一年用の教科書に採用されていたらしい。

以下の問題を作って提出した。今から思えば出題文をググって、いくつかヒットする教材研究を研究して、手堅い4題+個性的1題で臨めば良かった。

一番の失点(出す前から分かっていた)は、「マキの言いたいことばは、ぐっしょりぬれた麦わら帽子をだきしめる、か細い腕が語っていた......」を無視したこと。ここは「言いたいことばは何ですか?」と出題しなければ嘘だろう。しかし手元のメモには「ありきたりすぎる」と傲慢な一言。

提出した問題と解答および出題意図


問一

マキが島に残った理由としてもっともふさわしいものを記号で選んで答えなさい。

 ア 貝がらひろいよりカモメと遊ぶほうが面白そうだから
 イ カモメを捕まえて帰れば自慢できるから
 ウ 兄ちゃとけんかをしたから
 エ 飛べないカモメが心配だったから
 オ 麦わら帽子をかぶれるならどこでもかまわなかったから

【解答】エ
【解説】「おまえの傷のことを心配してのこってやったのに」とあるのでエが正解。ア、イは的外れ。ウは島に残ると言いはったのが先なので逆。大きな無人島に行く動機がない点はあっているが主たる理由はカモメにある。
【出題意図】明示的に書かれていることを読み取れるかを見る(難易度低)。

問二

傍線「小島は海に、おぼれはじめる」とありますが、島は沈むことはあってもおぼれることはありません。ここは大変さを強調するためにわざと「おぼれる(=死ぬ)」ということばをつかっています。同じように、わざと正確ではない強いことばを使っているところを文中から書き出しなさい。(15字)

【解答】日のあつさがあたまを燃やした。
【解説】「あたまを燃やした」は、本当に燃焼しているわけではないが、その熱さを直感できる。一方「か細い腕が語って」は「おぼれる」「燃える」に比べると地味で感覚的な訴えが弱い。
【出題意図】比喩と題意を理解しているかを見る(難易度高)。当初は「山が怒る」のような表現を作らせようと考えたが、それではあまりに易しいし、奇抜な答案(「答案用紙が解答を拒んだ」)が出た際に採点が難しいので、文中からの探索型にした。

問三

マキとカモメを小舟に引き上げた兄ちゃが口をきけなかった理由は「うっかり忘れて」しまった後ろめたさ以外にもあります。それが分かるところを文中から書きだしなさい。(15文字以内)

【解答】舟をまっすぐにとばせてくる
【解説】舟は通常「とばす」とは表現しない。これは島の場所が分からなくなり焦っていた兄ちゃたちが、カモメに気づいて必死に漕いできたことを示している。口がきけなかった理由には疲労も考えられるが、それ以上に恐怖(おぼれさせてしまったか)とその反動としての安堵が大きいと考えられる。
【出題意図】舟に対する「まっすぐにとばせて」という特異な表現に気付けば易しい(難易度中)。理由(恐怖と安堵)を書かせるのは5年生には重すぎると判断して割愛。

問四

マキが麦わら帽子を浜で「おおいばり」でかぶって歩いた理由としてもっともふさわしいものを選び記号で答えなさい。

 ア カモメを助けたことをとくいに思っているから
 イ 自分が大人びて見えるから
 ウ カモメがおとなしく入った帽子をかぶっているから
 エ カモメが犬みたいにつきまとって飛ぶから
 オ 形がくずれ、色もおちて古びた漁村の海辺でかぶるのに似合いになったから

【解答】エ(カモメが犬みたいにつきまとって飛ぶ帽子だから)
【解説】「それがとくいだったのだ」とあるので「それ」つまりエが正解。マキがもう少し大人であれば「冒険の勲章」として形のくずれた帽子自体を誇らしく思うだろうが、まだ早いからアではない(カモメが慕ってこなければただの残念な帽子)。イは往きの舟での話(なお初めの「おおいばり」は後の「おおいばり」とは異なり、「誰にも文句は言わせない」という意味)。ウはもっともふさわしいとは言えない。オはひねりすぎ。
【出題意図】もらったときはおしゃれだから気に入っていた帽子が、形がくずれ色落ちしても気に入っている理由を理解できるか(難易度中)。マキの年齢が推測でき「犬みたいにつきまとって飛ぶカモメ」が助けたカモメと分かれば易しい。

問五

兄ちゃは大人の付き添いなしで舟を出すことが許される大人びた少年ですが、ウニ取りにむちゅうになってマキのことを忘れてしまうような子どもっぽいところもあります。兄ちゃの子どもっぽさが現れているところをもうひとつ書きなさい。(30字以内)

【解答】しぶい顔で兄ちゃはふくれ、マキをのこして舟を出した。/勝手にすっとええわと言ってマキをのこして舟を出した。
【解説】マキをのこして舟を出したところがそうだが、それだけでは不十分。大人ならばたとえば「帰りに迎えに寄るから」と穏やかに別れられる。感情的になって兄としてマキを守らなければならない立場を忘れてしまったことが重要。
【出題意図】日常生活体験だけでは「勝手にしろ」が許されないことは理解しづらい。しかし受験生は兄ちゃと同年代であるから、事件の責任が兄ちゃにあることを読み取れてよい(兄ちゃは「口がきけず」「まぶしくて見ることができな」いことで責任を感じたと分かる)。得点差が出ることを意図して出題(難易度高)。

作ったけれど提出しなかった問題


小島は「岩山の先っちょだけのこして」いるはずなのに「海が、おへそまであがって」きたのはどうしてか、は一読した時点で気になった。「作者の勘違い」以外に合理的な解答も一つ思いついたけれど、どう考えても小学生相手の国語の問題ではないので割愛した。

複数回出てくる「まぶしい」「おおいばり」の意味の違いを問うのも止めた(問四に吸収)。

頻出する「......」は説明の省略と場面転換の二通りの使い方があるので、それを問うことも考えた。

石原千秋の『秘伝中学入試国語読解法秘伝』に知恵を借りて、「この話を要約したらどれが正解か」も考えたが、正解以外の選択肢で遊んでいるうちに正解を作れなくなってしまった。www

動物を助けて恩返しされる話
あぶない目にあってきょうだいの仲が良くなる話
兄の注意を聞かないとあぶないという話
もらった帽子がぶかぶかになってしまった話
カモメを守るためにお気に入りの帽子をダメにしたけれど平気な話

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2011/10/31

第20回理学部公開講演会「理学が拓く未来」 に行ってきた

東京大学理学部の公開講演会「理学が拓く未来」を聞いてきた。

一階の聴衆。頭髪の様子からして平均年齢は高そう。聴衆の平均年齢は高そうだ。

金具を使わずに紙が綴じられている。配布資料はホチキスを使っていないエコ仕様?(メーカーによれば、ホチキスの針は外さなくても紙の再生に影響はない
演壇で歌うソプラノ歌手 第一部は20回を記念してのコンサート。歌手は伴奏が電子ピアノだったことへ遠慮がちに不満を述べていた(あとで思い出したが、5年前にはスタインウェイがあったはず)。またさりげなく、ソプラノ歌手への喝采はブラボー(bravo)でなくブラバー(brava)だと教育的指導も。

第二部は早野龍五教授と塚谷裕一教授による講演。初めは高校で習ったような内容だし、非常に分かりやすい話し方なのでふんふんと聞いていた早野教授の反物質のお話、どうやら難しさは飛び飛びの値を取るらしく、気がついたときには五里霧中。難しすぎる話で脳が過熱しないようにと意識がシャットダウンしてしまった。

気を取り直して聞く塚谷教授のお話。シロイヌナズナの属名はなんだったかなーとかUPバイオロジーはなくなったんだーなどと考え事をしているうちに危うく置いて行かれるところであった(ちなみにシロイヌナズナの属名はArabidopsis )

第三部がパネルディスカッション。自然科学系の学部は数あれど、ほとんどが基礎と応用を兼ねている。ひとり理学部だけが基礎研究一本槍というのは、冒頭に指摘されるまで気づかなかった。「こんなに役に立ちます」で研究費を取ってくるのが一番難しい。

ただ、学生というか受験生の意識は「基礎研究か応用研究か」なんてところにはないのではないか。どちらかというと受験科目とか偏差値とかが学部選びに重視される。実際、同じ大学の複数の学部に受験することは珍しくないはず。

一方教員の方も、「理学博士だから工学部には就職しない」みたいな贅沢は言ってられないはず。また新しい領域に取り組む場合は外から人を集めざるを得ず、「理学博士以外はお断り」とも言ってはいられないだろう。

とはいえ、「朱に交われば赤くなる」で、理学部にいれば〈理学部的発想〉は身につく。それは「科学は役に立ちます」とは少し離れたものなのかもしれない。(東京大文学部を出た人から聞かされた記憶がある、文学部の存在意義は役に立たないところにある、に通底するような)

壇上に並ぶ6人のパネリストと司会そうすると「(すぐには)役に立たない基礎研究の意義は?」「研究費を負担してもらう納税者にどう納得してもらうか?」が理学部と大学院理学研究科の存在に関わる課題となる。

これについて早野教授は小柴教授(ノーベル物理学賞受賞者)の「(ニュートリノ研究が社会の役に立つことは)ないね」発言をひいてみたり、冷戦華やかなりし頃アメリカの研究者が上院で、その研究は国防に役立つのかと問われ「国防に直接関係はしないが、この研究はアメリカを守るに価する国にする」と切り返した例を紹介したり、あるいはGPSは量子力学と特殊相対性理論と一般相対性理論の3つがそろわなければ実用化できなかったという例を引いたりして、役に立つにしても時間がかかる(量子力学からGPSまで約100年)と説明。これは最後の発言「基礎研究は打率が低い」に集約できるだろう。(私は「歩留まりが低い」という言い方を好む。)打率は低いけれど、時おり場外ホームランも出る、ということであろう。

(ソロの場外本塁打よりは走者一掃のヒットの方が価値がある、ってのは実学的発想なのだろう)

また、理学は世界観を変えるという主張もあった。たしかに「因果律が存在しない」「事象は確率的に起きる」「粒子であると同時に波である」などなどそれまでの常識がひっくり返るような発見があった。しかし、これ物理を専攻したのではない人、つまりほとんどの人にとって今でも (?_?) のままではないだろうか。その証拠に原子核の崩壊だの半減期だのは、いまもって理解されているとは言いがたい。

私達を変えたのは携帯電話やGPSであって、量子力学や相対性理論ではない、と言えないだろうか。

このへんのモヤモヤは塚谷教授の講演にも感じた。生物の多様性が大事って、本当に思っている人はどれくらいいるのだろうか。ありふれた魚と思っていたメダカが絶滅危惧種と聞いてセンチメンタルな気分に浸っているだけではないのか。その証拠に天然痘ウイルスの絶滅には誰も異議を唱えないではないか、といったら乱暴だろうか(さすがに乱暴ですね)。しかし、クマがお腹を空かしているからとよその山から運んできたドングリを撒いたり、川に訳のわからない微生物資材を流したり、メダカの池に間違えてアメリカメダカ(カダヤシ:メダカ減少の原因の一つと考えられる)を放流したりと、遺伝的多様性を無視した〈自然保護活動〉が盛んではないか。

舞文曲筆して暴言を続けるならば、ビッグバンとペイオフの区別がついていない人は2番目の多数派であると思う。最大多数派は「どっちも知らない」。

もっとも世界70億人の世界観が変わる必要はない。1億人が物理学を深く理解していれば現代文明は維持できるだろう(生物学者のほとんどは量子力学を理解していなくてもやっていけるだろうし、化学者の大半も相対性理論のお世話になることはない...よね?)

どうも納税者の理解を得るのは難しそうな雲行き...と思っていたところ、学生向け企画のはずなのに若い参加者が少ないのはどうしたことかというフロアの嘆きに塚谷教授が、幅広い年代に関心を持ってもらえていると逆転の発想で分析。税金もたくさん納めていらっしゃるようだ、には会場に笑いが。

物理系の院生が集う〈夏の学校〉で、抜き打ちに原発関係のテストをしたら惨憺たる結果だったなど、他にも興味深い話は多々あったけれど、それらは公式のまとめに期待して筆を置く。

(「科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である。」については『科学者とあたま』を全部読んでから改めて触れたい。)

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2011/06/13

錯覚美術館

先日のNIIオープンハウスで聞いた杉原厚吉教授講演「不可能立体と不可能モーション-錯覚から見えてくる「見る」ことの偉大さと危うさ-」で紹介された錯覚美術館へ、土曜日に外神田で開かれたガイガーカウンターミーティングに参加する前の時間を使って行ってきた。

外階段踊り場に出されている美術館の看板 on Twitpic

美術館と言ってもJST,CREST 「数学」領域、「計算錯覚学の構築」の成果を公表する明治大学の施設。運営費も研究費から出るため潤沢とは言えず、週に1日、土曜日だけの公開になっている。この5月にオープンしたばかりなので、googleストリートビューで建物を見ても気配すらない。

事前に杉原教授による見どころをチェックしていなかったため入り口ドアに仕掛けられたロゴなどは見落とした。

雨の日にもかかわらず、結構な入館者がいて、熱心に見ていた。断り書きは見当たらなかったけれど、確か撮影自由・触っても可というおおらかな方針(だったはず)。幸運にも杉原教授に解説をしていただいた。錯視を計算するというのが斬新。

たとえばツイッターで時折見かける、文字列による錯視。上の2行は右下がり、下の2行は右上がりに見える。もちろん実際には平行。

斜めに見える文字列

素人考えでは、〈十〉の横線は〈一〉の横線よりやや高く、また〈同〉の最上位横線は〈窓〉や〈会〉のそれよりもやや高いので、これらが右下がりの印象をもたらす。ところが錯視成分を計算により抽出し、元画像から消去すると同じ文字列にもかかわらず、今度は平行に見える。実に不思議。是非とも現物をご覧いただきたい(Zone F の文字列傾斜錯視)。

この錯視はデザイナー泣かせだそうだが、逆手にとって視覚効果に利用することもできるだろう。フォントを変えると効果がなくなることもあるらしい。

ハイブリッド画像(Zone C)も不思議だった。二つの画像を重ねあわせると別の画像になったり文字が浮き出てきたり。

女性の顔
猿の顔

2つを重ねる(途中)
文字が現れる:This is a secret message

いろいろな専門分野にかかわってくるけれども、そんなことは抜きにしても眼は案外アテにならないを実感するだけでも楽しめる。お薦めスポットの一つ。

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NIIオープンハウス2011

国立情報学研究所の一般公開NIIオープンハウスへ2日に行ってきた。

国立情報学研究所の入り口。オープンハウスと書かれた横断幕。

お目当ては基調講演の「不可能立体と不可能モーション-錯覚から見えてくる「見る」ことの偉大さと危うさ-」と「ネット時代の世論形成」そして行き掛けの駄賃で市民講座「医療を支えるセンサーネット-健康を見守る最前線のセンサー技術とは?」

「不可能...」は錯視を利用してありえないような立体を作ること。そこに動きを加えることでありえなさを際立たせるのが立体モーション。

百聞は一見にしかずで代表作(第6回ベスト錯覚コンテスト優勝作)「何でも吸引四方向滑り台」(反重力滑り台)を見てほしい。種明かしをされてもなおありえない光景が眼前に展開される。

(このコンテストは、予選こそピアレビューによるが本選は観客の投票によるお祭りで、杉原厚吉教授は客受けを考えてコスプレでプレゼンするなど大いに楽しまれたそうだ。そんな受賞だがNature電子版に掲載されたために研究予算を取りやすかった、とやや誇張気味に語られた。ちなみに連続優勝を狙った第7回はあっさり予選落ち。)

これは図形をコンピュータに理解させる研究の副産物だという。理解度を試すためにいろいろな図形を見せる中に不可能立体の投影図を入れておいたところ、〈そのような立体は存在しない〉という結果が出ると思ったらあっさり受容する。調べてみると、人間は思い込みで投影からありえない立体を想像してしまうが、冷静なコンピュータは数学的条件を満たす立体を構築できていた。

過去にも奥行き不連続のトリックや曲面のトリックを使い、ペンローズの三角形のような不可能立体の3次元化は行われてはいた。反重力滑り台はそれらとは異なる原理で実現している。そして計算によって同じような不可能立体を作り出すことができる。

それらを実際に製作し、明治大学錯覚美術館としてこの5月から展示している。ただし土曜のみの開館。展示を見る際の注意は、片目で見ること! この制約はスケールを大きくすることで解消できるので、将来は不可能立体建築を実現したいと。

何でも吸引四方向滑り台は柱の長さを誤認させることで成立しているが、柱のないものも作れる。それを発展させたのが落ちないかまぼこ屋根

反重力滑り台のような不可能立体は、モーション(動画)なしにそのありえなさを理解するのは難しい。本筋からは離れるが、ビデオを簡単にネット(やローカルコンピュータ)で閲覧できるようになったことも影響しているのではないだろうか。

次が「ネット時代の世論形成」。小林哲郎助教は東日本大震災を切り口に、ネット上で社会的リアリティ(何を正しいと感じるか)がどのように形成されるかを分析。東電原発事故ではリアリティが共有されなかったと結論づける。その原因としては、ネットユーザーが〈こだまを聞くようなメディア環境〉にあったことを指摘する。

この〈自分の聞きたい情報だけを収集する〉傾向は、検索時代における〈タコツボ化〉として以前から指摘があり、それに対して佐々木俊尚は「それはあり得ない」とキュレーション論を展開しているが、正直納得しているわけではない(『キュレーションの時代』を読まないとならんな)。

ツイッターではフォローする相手によって自分の閲覧するタイムラインが決まるため、自分と似たような人ばかりフォローしていると、そのタイムラインはまさに〈こだまを聞く〉ようになってしまう。ポジティブフィードバックだ。しかし私自身がそうしているように、異なる見解の持ち主をフォローしている人も多いのではないだろうか。(半分は「わー、こんなバカ言ってるよ」と嘲笑し「それにひきかえ私は」と悦に入るためだが)

アメリカの有権者は、このこだまを好んで聞く傾向がより強いという(そういう環境にある)。社会がニッチなイシューで小さくまとまり分断化されると、全体としての意思決定が難しくなる。

とはいえ人はシングルイシューで生きるわけではない。ツイッターでもフォローの基準は、趣味・仕事・地域...と様々だ。そこにタコツボ化を防ぐブリッジの可能性がある...のだろう。

最後の市民講座までは時間があるので発表を見てまわる。「裸眼立体視ディスプレイの研究動向」ではいくつか方法があるということは分かった。気になるのは、元になるデータの作成方法(撮影方法)は共通なのだろうかということ。「言葉が表す「意味」とは何か?」はコンピュータに言葉を理解させる研究(だと思う)。「興味深い研究ですね」が意味するのは純粋な賞賛の場合もあるし、「難しくてワカリマセン」の場合もある。人間でさえ時には間違うのだから難しいだろう。論文のような素直なものなら、同じキーワードを使っていなくても近い研究を見つけ出すなどは比較的容易かもしれない。「協力的な社会を作り出す評判情報とは?」は実にキョウミブカイケンキュウデス。2つの意味において。(^^; またガイドブックには載っていないが、本の連想検索や自炊電子書籍のテキストと外部情報の自動関連付けなど興味深い研究もあった。

それにしても情報研の研究テーマは実に多彩。くらくらすること請け合い。

19時からの「医療を支えるセンサーネット」は、オープンハウスとは独立の市民講座の一環。

演壇前に陣取る文字通訳チームと大型スクリーン

なんと聴覚障害者のために「文字通訳」が用意されている。要約筆記ではなく、ほぼ話した通りのまま文字で表示される。

講師はうっかり医師だと思っていたら、そうではなかった(講師紹介をちゃんと読め)。どうりで喫煙を擁護するわけだ。さすがにそうは言ってもタバコは身体に悪いと認めていたが、肺がんの原因はタバコではない、大半は誤嚥だというのは本当だろうか。帰ってからググッてみたが、そんな話はとんと引っかからない。情報学研究所としてどう考えているのか、とねじ込もうかしら。

閑話休題。iPodやiPhone(あとアンドロイド携帯も)は〈いつも身につけているセンサー〉として機能する。これで血糖値や体重まで計測できたらさらに用途は広がるだろう(でもどうやって?)。

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2011/05/09

被災地に届け「動物のお医者さん」

ツイッターをぼぉーっと眺めていたらこんなツイートがあった。


動物のお医者さんはすべての大学院生必読の書。あれさえ読めば「うちの先生はでたらめだけど、漆原教授よりはましだ」と思えるはず RT @Mihoko_Nojiri: 動物のお医者さんねたという指摘が多数。最近動物のお医者さんはうちのトイレに設置されています。(時々入れ替える)

「動物のお医者さん」は根強い人気がある。きっかけは覚えていないが(おそらくNIFTY絡みだろう)私も読んでいたし、しばしば話題に取り入れていた。だが買いそろえた全12巻は、被災地の子供たちに漫画を送ろうキャンペーンに賛同して寄付してしまった。

動物のお医者さん全12冊

「花とゆめ」連載時には女子高生に獣医志望熱をもたらした名作である。しかし連載終了からすでに20年近いので、2003年にTVドラマ化されたとはいえ知られざる名作になっているのではないかと危惧していた。そこでこの機会に子供たちの目に触れる場への提供を思い立った次第。(と思ったら、花とゆめCOMICS品切れは勘違いのようで、まだ新品を購入可能らしい)

理系女子がネタを提供しており(巻末掲載の協力者名の中には知った名前も)、獣医学部に限らないキャンパスライフが描かれているので、被災した中高生の進路の道標になることを期待したい。

もっともあの作品を本当に楽しめるのは研究室に入って以降だと思う。

なお、冒頭のツイートに登場する漆原教授は豪快でしばしば傍迷惑な人ではあるが、「気合を必要とする治療」の名手であるし、陰湿さとは無縁な人なので、実在する教員の中にはもっとひどい人がいるだろう。

「いまどきのこども」6冊と「シニカルヒステリーアワー」8冊

玖保キリコの「いまどきのこども」と「シニカルヒステリーアワー」もあわせて寄付した。

被災地の子供たちに漫画を送ろうキャンペーンは終了しており、報告用特設ブログによれば4月末までに集まった6万冊余のコミック・絵本などを数次にわたって届けているとのこと(第一便135箱11,672冊は公益社団法人シビックフォースが運び、第二便113箱10,196冊はユナイテッドアース預け)。

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2011/02/12

「科学コミュニケーション Inside Nature」を聞く

MEBIOSオープンセミナー「科学コミュニケーション Inside Nature」に参加した(1月28日)。


第一部はScientific Communication。懸念した通り初めの演者の言う事(英語)はほとんど聞き取れない。スライドも理解できない。それでも我慢して眺めていたら、あとのフロアからの質問(日本語)で急に合点のいった箇所もあった。

スライドの誤字:光学であるべきところが後学に。

二番目の演者はNatureでただ一人の日本人編集者。スライドの誤字(なかなか味わい深い:この時点では撮影制限は告知されていなかった)は無視して謹聴。仕事探しのところは失業者としては身につまされる。論文を送るときに付けるカバーレターは非公式文書だから、「多少」大袈裟にアピールしても構わないと心強い助言。履歴書の時にも言えるよな。

Nature Japanサイトにも求人欄があるけれど、数は少ないし研究職ばかり。博士号取得者等を非研究領域で活用するような求人を開拓してもらいたいと思った。

第二部はInside Nature。演者は才媛という言葉がぴったりの感じ。またもや英語講演だけどスライドがもっぱらテキストだったのである程度(当社比)は理解できた。内容は「ネイチャーができるまで」。カバーレターについて、その重要性を指摘しつつ、アブストラクトの繰り返しとoversellはいけませんと釘をさす。

査読に回す(10-15%?)か突き返すかまでは担当編集者が独りで決めるというのは軽い驚き。アピール(異議申立て)が来て初めて上級編集者の判断を仰ぐらしい。権限と責任が明確なのは英米流。

第三部は質疑応答。いろいろな立場からの質問があった。最後に、誰も質問をしないのにNatureとScienceはどう違うかが説明された。「商業誌だから独立性がある」 うむ、奥が深い。

紙媒体での発行に固執していたのはなんとも。物理的制約で価値ある論文を載せられないのは本末転倒だろう。逆に「ろくな論文が来なかったから今週号は薄いぞ」も電子媒体なら簡単(冊子はページ数が16の倍数であることが望ましい)。むろん定期購読者には何らかの手当が必要だけど。

4時間のまとめとしてはかなり貧弱だけど、忘れないうちに書き留めた。

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「授業法と評価法」を聴講

6日の日曜日に先生の学校【集中講義】授業法と評価法へ参加した。

講師はツイッターの@jai_anこと芦田宏直先生。

案内では「5時間がっつり集中講義で学びます」とあったが、予想通り延長戦もとい補講となって終わったのは21時を回っていた。

内容については、聴講して感動した編集者が本にまとめると言っていますし、ツダられたものがトゥギャッターにまとめられているので省略。

この先生をツイッターでフォローし始めたのは2010年の4月頃。ツイートだけ見るとなんとも高飛車な感じの人だが、我慢して読んでいると筋は通っている。

そして東京都庁で開かれた講演会「twitter微分論からtwitter身体論へ」をUSTで見て評価が変わった。面白い。

そして8月に夏期「哲学」特別講義を聞いて、確信に変わった。

残念ながら、肉声に触れない人には伝わりにくいようではある。これは単なるネット弁慶、オンラインで態度のデカイ奴は会ってみるとおとなしい、というのとは違う。まるでジャイアン(「ドラえもん」に出てくるガキ大将)と言われるツイートだって、注意して読めばとても温かな気配りのあることが分かるのだが。

それを私は優しいけれども甘くない人と読み取った。

板書する芦田先生

今回の講義中にもそれはうかがえた。話しながら次第に涙声になり、ほとんど嗚咽のようになりながら、それでも板書を止めない姿にはもらい泣きしそうになってしまった。ツイッターでの「アホか」の芦田先生しか知らない人はもったいない。

以下、備忘録。「」の使い方がおかしいと叱られるかもしれないが。

『学問のすすめ』(福沢諭吉)を読む。青空文庫に収められているが、現代語訳の方が理解が確かになるだろう。
「グランドデザインが重要」
「教育目標を共有して議論する」
「作成した試験問題に教師の力量が現れる」
「家庭科の習熟度を測定できるペーパーテストを開発できるのが家庭科教師」
「どんな境遇にあっても、一流を目指しうるというためにこそ、〈教員資格〉は存在する」
「学校は最後のセーフティネット」
社会の役に立つとは無縁なのが学校の意義
「ブレーキが効く理屈を知らないままブレーキパッドを交換できたとしても自動車整備士としては不十分」
「ペーパーテストでは測れないものの重要性をいう人は、それをどうやって測ろうというのか」
「マークシートは最も反身分制的な試験(受験生の出自階級を反映しにくい)」
家族とは反社会的な存在
「ハイパーメリトクラシーは教師の責任逃れ」

いかん、どんどん増えてくるので打ち止め。

「相手(児童・生徒・学生)がバカ」で済むなら教師は楽な商売。バカな相手に分からせるのが教師の職分。同様のことは他の分野でも言えることで、「○○がバカ」と口に出そうになったら、そのバカをどうにかするのが自分の務めと思い出そう。(どうにかするとは穴を掘って埋める、ではない)

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2011/02/08

「オープンアクセス、サイバースカラシップ下での学術コミュニケーションの総合的研究」の報告を聞く

先日のMEBIOS オープンセミナー「Inside Nature」で案内をもらった「オープンアクセス、サイバースカラシップ下での学術コミュニケーションの総合的研究」研究成果報告会に行ってみた。

以下は個人的な関心に基づくメモ。延々4時間に及ぶ大発表会なので内容紹介はほんの一部です。

最初に海外学術雑誌に発表した日本人は誰なのか


上田修一 (慶應義塾大学文学部)

質問の一番手が「面白い研究だが、どういう意義が?」と厳しい追及。それに対して、西洋の科学を日本が受容する過程が明らかになると。なるほど。また冒頭では外国誌に投稿することに批判があることへの疑問を表明されていた。

日本における電子ジャーナルの発行状況


時実象一 (愛知大学文学部)

1958年にオンライン雑誌?
発表要綱とは別にパワーポイントのスライドが配布された。「オンラインのみの新規雑誌数」というグラフで、1958年にすでに一誌あることになっているが、ARPANETさえ存在しない時代にどんな「オンライン雑誌」があったのだろう。

また「電子化」の定義を聞き漏らしてしまった。ネット経由で見られれば画像データでも電子ジャーナルと言えると思うが、データベースとして考えると全文検索の対象とならないのは心許ない。実際CiNiiでも画像形式のPDFをよく目にする。

MEDLINE収録の日本の医学系雑誌の電子化状況とインパクトの変化


林和弘 (日本化学会、科学技術政策研究所)

癌学会や生化学会の論文誌がMEDLINEではEnglandの雑誌となっているのは興味深い。生化学会は会員に国内誌(JB)への投稿を呼びかけていたと思うが、あにはからんや。
なお、「プラットフォーム」という用語があったが、これがよく分からない。おそらく検索と一体となった提供システムなのだろうが、ファイル形式は何を採用しているのだろう。何が心配と言って、何年か経ってコンピュータシステムがガラっと変わったら読めなくなるというのが一番困る(電子書籍でも遠からず問題になるだろう)。PDFやHTMLならそうそう「絶滅」することはないと思うが。

オープンアクセスの進展と電子ジャーナルの利用統計


加藤信哉 (東北大学附属図書館)

学術書・学術雑誌がネット経由で閲覧可能になれば、図書館が蔵書することは意味をなさなくなる。極端なことをいえば、国立国会図書館一つがあれば足りる(外国図書・外国雑誌はアメリカ議会図書館任せ?)。もちろんそれはだいぶ先の話ではあるが、個々の図書館が個別に蔵書の充実を図る必要は低下するであろう。

ただし、検索というのは適切な検索語を思いつかない場合にはまったく役に立たない。だからおそらく司書の役割は検索支援や検索代行になるのではないだろうか。いまでも図書館にはレファレンスサービスというものがある。

ところで「タイトルレベルでの利用統計ではなく、論文レベルの利用統計が求められている」の意味が分からなかった。このタイトルというのは雑誌名のことか?

大学図書館の提供雑誌が研究者の引用行動へ及ぼす影響


横井慶子 (慶應義塾大学大学院)

非常にそそられるタイトルであったが、結論は「変化は確認できたが、その変化に影響を及ぼす要因が大学図書館の提供雑誌であるかという点までは明らかにはできなかった」と肩透かし。

この発表を聞きながら、文学研究への揶揄−−文学研究とは百年前の今では忘れ去られた作家に対して、同時代のやはり忘れ去られた作家が与えた影響を調べること−−を想起したけれど、そうバカにしたものではないかもしれない。影響の具体的内容にあまり意味はないにしても、何を媒介にしたとかどのように受容したかとかの解明は、現在でも価値を見いだせる。

遺伝の3法則がメンデルの死後16年(発表から35年)にして再発見されたようなことがもっと頻繁に起きるかもしれない。文献調査はますます重要に。それから前々から言われていることだが、ネガティブデータの共有も重要に(前にやった人が失敗したからと言って、端から諦める必要はないが、同じ失敗を繰り返すのは賢くない)。

生物医学分野においてオープンアクセスはどこまで進んだのか:2005年、2007年、2009年のデータの比較から


森岡倫子 (国立音楽大学附属図書館)

音大の図書館員がなぜ生物医学分野を対象に? という疑問は別の人が質問していた。国立(くにたち)音大を国立(こくりつ)と勘違いされたのはご愛嬌。ちなみに国立とは国分寺と立川の間にできたからという安易な命名(一橋大の学生をそれでからかったら悔しそうな顔をしていたものだ)。それはともかく、理由の一つに、職を得ないことには研究を続けられないという深刻な事情がうかがわれた(これは聞き違いかもしれないが)。もう一つは、生物医学分野はオープンアクセスが進んでいて研究しやすいという事情もあるらしい。ここで手法を確立できれば他分野でも分析可能、と。

医学分野の学術文献検索サービスPubMedから抽出した論文を対象に、1.制約なしの全文公開(Open Access)、2.登録など制限付き、3.有料全文(購読電子ジャーナル)、0.電子的全文を発見できないの4つに分類して、その割合の変化を見た研究。2005年には27%だったOAが2009年には50%に達していたという。その増加は主に「発見できない」と「有料全文」の減少(それぞれ19.8→5.0、53.2→44.0)によっている。

ただ、思うにこの調査方法では、いつOAになったのかは分からないのではないだろうか。つまり最新号は購読者限定(有償)で、次号が出たら無償公開という形態は把握できない。そこを無視して、時代の趨勢はオープンアクセス、有償購読は古いなどと主張されると、特に商業出版社は困るだろう。いや、工夫すれば商業出版社でも無償公開は可能だけど(著者から掲載料を徴収するなど)。ちなみに、この「古くなったら無償公開」は有料メールマガジンで実施しているところがある。

オープンアクセス実現手段の新機軸:すべてはPubMedのもとに


三根慎二 (三重大学人文学部)

無償公開(オープンアクセス)されている学術論文の所在情報を提供する無料論文提供サイトの紹介。取り上げられていたのはFind ArticlesThe Free LibraryHighBeam ResearchnovoseekPubgetMedscape

操作性の統一や関連文献の提示が期待できるだろう。また「この論文に興味を持った人は以下の論文も」というレコメンデーションも、洗練されたものがあるならば今までの文献調査とは違った展開を期待できる。

面白いのは自身でのアーカイブはHTMLが多いこと、またほとんど(?)の例で図表がカットされていること。

オープンアクセス化の進む医学論文が一般市民に読まれる可能性はあるのか


酒井由紀子 (慶應義塾大学信濃町メディアセンター)

これも興味深い発表。インフォームドコンセントの導入やEBM(根拠に基づいた医療)の普及などにより、患者やその家族が医学情報を求めるようになってきた。今のところ「医者・病院の評判」以外は医師に直接尋ねることが多いが、インターネットで情報を探す人も増えてきた。調査結果で意外だったのは、「有償の英語論文でも読みたい」という人も含め56.1%が医学論文を読みたいと思っていること。もっとも実際に読むかどうかは別の話だろうが。

いわゆる医学論文(原著論文)は、切り離したテーマについての研究だから、それだけ読んでも患者が求めるようなことは書いてないことが多いと思う。たとえばある薬をマウスに与えたら、ある検査値がこれだけ変わったという論文があったとする。その薬はヒトでも同じ効果があるのか?副作用はないのか?そもそもその検査値が下がれば病気は治るのか?(血糖値が下がっても糖尿病網膜症は治らない等) 患者が知りたい情報は医学論文よりは医学総説にあると思う。

仮に原著論文に知りたい情報があった場合でも、それを見つけるのは素人には難しすぎる。また反論が出されて事実上意味のない論文になっていてもそれが分からない(もっとも取り下げられていれば分かるのは紙ベースの文献調査にはないオンラインサーチの利点)。さらに間違った論文に必ず反論が出ているとは限らない。だから後追いのない古い論文を信じるのは考えもの。オンラインジャーナルなどでは最新のCI(どれだけ引用されたか)を提供してくれるのだろうか。できれば自家引用を除いた数値がほしいもの。

しかし、非専門家にもこれだけ知りたい需要があるのなら、レファレスサービスや翻訳・解題サービスは商業的にも成立するのではないだろうか。聞きながらそんなことを考えた。

医学・医療情報源としての「一般雑誌」:10年の変化とその位置づけ


國本千裕 (駿河台大学メディア情報学部非常勤講師)

情報源としての地位は低下しているものの、質の高い医学・医療情報が雑誌にはあるという。しかしそれを見つけ出すのは難しい。

学術雑誌のIFやCIに相当するような、雑誌や掲載記事の質を評価する指標があれば、と思った。

医学ジャーナリストと言っても、医師資格を持った人から、単に自称しているだけの人までいる。もちろん医学教育を受けていなくても良質の医療ジャーナリストになることは可能なので、筆者の経歴だけで記事の良否を判定することはできない。たとえば単行本への収録率とか、その本の売れ行きは評価の指標にならないだろうか。しかし『脳内革命』も一時的とはいえよく売れたからなぁ。

情報源としての雑誌の地位低下を考えれば、ウェブサイトの情報源としての評価はより重要だ。病名で検索すれば怪しげな代替療法が上位にヒットする事もあるだろう。ホメオパシーのように、それにすがって標準医療を拒否したために、悪化させてしまうことも十分にあり得る。そのような悲劇を避けるために、「この雑誌/記事/サイト/エントリーの信用度はこれくらいです」が大まかにでも分かるようにできないだろうか。別にウソつき認定をする必要はない。いいものにだけマークを提供すれば良いのだ。

"e-science"とは何か


松林麻実子 (筑波大学大学院図書館情報メディア研究科)

DNAらせん構造に関するデータアーカイブというのは謎だが、医学生物学系ではだいぶ前からデータバンクが整備され、CSPすなわちクローニング(Cloning)して配列を決めて(Sequencing)論文にする(Publishing)は二流の仕事扱いだった。もちろん制限酵素が自家製で、ゲルのラダーを目視していた時代には花形だったけれど。

そういえば20世紀のことになるが、DDBJの人が、データベースではありません、データバンクですと強調していたものだ。データをただ保管するのではなく、活用しますという自負。

そういう世界に馴染んでいたので、天文学分野でデータの共有が進んでいないというのは驚き。SETI@Homeのイメージがあったからなおさら。原因の一つが機器(メーカー?)によってデータの形状が違うため、というのは納得。配列データはなんのかんの言っても所詮は一次元、最後はテキストデータに還元できる。そういえば生物学系でもイメージングデータの互換性が問題になったことがあったような...

もう一つの障害要因としてデータの提供を渋る天文台があるという。レジュメでは「無償提供することに難色を示す」とあったが、有償ならば問題はないのだろうか。論文抜き刷りを請求したら代金を請求されるような印象をうける。そもそもデータの代金の内訳はなんだろうか。もしデータ取得にかかった経費を負担してもらったら、もうデータの所有権を主張することはできなくならないだろうか。これ次の「データはだれのものか」につながる問題。

日本の研究者にとって「情報共有」が意味すること:e-Scienceに向けての予備的調査結果


倉田敬子 (慶應義塾大学文学部)

まさに「データはだれのものか」。研究代表者による、e-Scienceあるいはcyberinfrastructureの実態を明らかにするための研究者の意識調査。

データを「出し惜しむ」理由として、すぐ思いつく「競争相手に知られたくない」の他に知財絡みでの権利防衛術としての原則非公開もあるらしい。また共同研究の場合は全体の合意が必要で、この場合は一番厳しい基準に揃えざるを得まい。

それ以前の問題として、標準的なデータ形式にして入力する費用の問題もあげられている。

論文誌が投稿受理の条件としてデータの公開を求めることにも、面白くないという感情を抱くらしい。つまり「データは自分のもの」意識。この裏返しで、人のデータは信用できないという意識もあるらしい。必ず追試をする、と。研究によっては、たとえば試料が希少な場合、すごい無駄が生じるような。

公的な研究費を使って得たデータは公のものと決められないだろうか。期限を設けて原則公開とすれば、優先権を保護しつつ死蔵も避けられる。費用は研究費に組み込みで。

ところで第2表にあったIT技術ってなんだろう。普通TはTechnologyなんだけど。IC技術(Information and Communication Technology)なら分からないでもない。

ビックサイエンスも謎。スラングで「中身を伴った大きさ」という意味があるらしいけど。あと雄性性器もビックというらしい...

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2011/01/21

知的財産管理技能士には合格

昨年、受講した知的財産検定準二級を知的財産管理技能士二級にする特例講習の結果が届いた。

合格である。

ま、3択25問の易しい試験ではあったが。

講師のメールアドレスが分かっていたのでご報告。すかさず返信をいただいた。

知財の専門家は権利を守ることが多いと思う。むろん私も権利は尊重するけれど、尊重しつつも手軽に、できればタダで利用したいという側に立ちたい。だって、今はデタラメすぎた昔の反動で、疑似著作権が振りかざされて、正当な著作物を利用して文化の発展に寄与する権利がないがしろにされつつあるから。

そもそも一時のデタラメだって、「無断引用禁止」なんて麗々しく奥付に印刷するような権利の濫用が招来したといえなくもない。

公平にいえばどちらも知的財産権への無知無理解から来るものなんだけど。

さて、これで生化学とICTと知財、それぞれについて公的資格を取得できたわけだが、三種の神器として機能させるには、どうしたらよいだろうか。

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2010/12/06

知的財産管理技能検定2級特例講習へ

制度変更にあわせて、いま持っている知的財産検定準二級を知的財産管理技能士二級にする特例講習を受けてきた。4コマの講習の後は修了試験。これに合格しないと受講料と受験料は無駄になる。

講師は弁理士だが工業所有権もとい産業財産権だけでなく著作権法や民法まで解説してくれた。陽気で親切な感じの方。

正答率ランキングは特許・実用新案がB、意匠・商標がC、著作権がS、民法・不正競争防止法・独占禁止法等がS。Sは90%以上。

思い返せば6年前に受けた知的財産検定は「意匠・商標」の成績が悪くて「準」が付いてしまった。その穴さえ塞げれば大丈夫と思う反面、その後の法改正がジークフリートの葉になる可能性も。と思っていたら、違法コンテンツのダウンロード非合法化がしっかり出題されました。これ、講義でもいっぺん飛ばされて、ごめん言い忘れてた、と後から説明された項目。...印象づけるためのテクニックだったのかなぁ? そういえば冒頭で、知財関係の話にご無沙汰の人もいるでしょう、と東京地区最後の特例講習参加者の実態を見透かしたようなこともおっしゃっていた。

1コマ目は特許、実用新案。2コマ目は意匠と登録商標。苦手意識があったけれど、まぁまぁ常識的な話。3コマ目は著作権、不正競争防止法、民法、独占禁止法はては種苗法まで。もっとも民法については契約の定義と自力救済の禁止だけ。で、契約の定義はしっかり出題された。また権利の保護期間が出るたびに「特許は出願から20年、実用新案は出願から10年...」と繰り返され、おかげで助かった人は多かったのでは。もっとも数値は覚えなくてもいいと言われましたが、種苗法の保護期間はひっかけに出ましたぞ(25/30年なのに10年と)。4コマ目はおさらい。

実務的な話が随所に織り込まれていて、たとえば商標権侵害に問われたら使用実績を調べて不使用取消審判を請求するという対抗法があるなど、面白かった。特にロゴでは事業部門が勝手に(知財部門に連絡せずに)改変している場合があって、ご本尊は使用実績がないということがあるらしい。特許を押さえて国家の保護を受けるか営業秘密として自ら守る(不正な侵害に対しては国家の保護を受けられるが立証責任が重い)かの選択の話は、試験の第一問から出てきた。こうしてみると試験対策講習とは銘打たず、実際、三択ではウに正解が多い傾向があったけれどここ最近はそうでもないというアドバイス?くらいしかなかったけれど(あ、「誰の得になるか」が鍵になるとかも言っていたか)、オールエレメントルールなど強調されていたことはよく出題されていた。(ちなみに私がウを選択したのは11問あって、なるほど偏っている。)

あと、ここには書かないほうが良いであろう楽しい話も。

試験そのものは50分で25題とゆったりしたもの。しかも3択だから4択よりも検討時間を長く取れる。15分ほどで一通り終わってしまった。もっとも見直したら変更したくなったものもあったけれど。全問解答できたし、自信もあるけれど、傾斜配点がなく1問4点だとミスの影響が大きい。知財検定は50%で合格だったようだけど、これはどうなることやら。

仮に合格したとして、一級受験には実務経験を積まなければならないし、受験資格は3年しか持たないし、そもそもすごく難しいらしいし。どうしましょ。

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2010/11/23

世間話では使えない「暴力装置」だが

遅ればせながら「自衛隊は暴力装置」について述べてみる。

1.国家は暴力装置を必要とする
堯舜を理想とする人なら暴力装置を必要としない国家を模索するかもしれないが、現実問題としては難しい。だからある防衛大臣経験者も「警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と述べている(発言当時は農水相)。
今回「とんでもない!」という大合唱が湧き上がったが、ある法学者は「自衛隊は国家の暴力装置に決まってるだろう」と書き、ある政治学者は「「国家」が、社会的装置として、企業その他の社会集団と区別できるのは、「一定の地域・住民」に対し「正統的暴力」を独占している、という点にあります。これは、ウェーバー以来、政治学では、最も通常の定義です。」に始まる連続ツイートで解説をしている。
つまり「自衛隊は暴力装置」というのは正統的な見解である、というのが第一。

2.非難の声を上げた人は何に怒っているのか
にもかかわらず、国会も新聞テレビも非難の声一色。ネットでも非難派は多く、wikipediaの関連項目は悪意のある言葉として使用されたという印象を与えようとするかのように頻繁に編集されている。
非難の理由の一つは、「暴力装置」という言葉を政治学用語ではなく一般語として捉え「国を守る自衛隊員に対して失礼」というもの。事の成り行きに気づいた人たちが遅ればせながら上述のように政治学の常識だと解説をすると、そんな難しいこと知りません、私は失礼だと思いました的にシフトはするが、非難の矛先を収めはしない。居酒屋や理髪店での世間話ならそれは通じるけれど、今回は国会答弁。 国会は国民全体を反映するものだから、いわゆる教養に欠ける議員が少しくらいいるのは仕方が無い(むしろ義務教育を終えただけで働いてきた人々の声を感覚レベルで理解できる議員は必要)。しかし参議院とはいえ予算委員会は国会審議の晴れ舞台であろう。各党選りすぐりのエース級を送り込む場の筈だ。国会法が国家公務員の最高と定める給与額(現在1,297,000円)を受け取る職業政治家が使う言葉を日常感覚だけで批判するのは不適切だろう。
「旧土人保護法」のように、非難に価する言葉もあるが、法律の名前を口にした者を非難するのは的外れ(同法は廃止されている)。
つまり不快に思う気持ちは理解できるが、それは庶民の会話においてのみ成立する。これが第二。

3.坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
国会で政治学の常識を述べたことを非難するのは難しいと気付いたのか、仙谷の意図は違うと言いだす人もいる。悪罵として使ったというわけだ。
文脈を見てみよう。予算委員会で取り上げられたのは自衛隊関連行事の来賓に政治的発言を控えるよう求めた防衛事務次官通達。公務員に政治的中立が求められるのは選挙への影響(干渉)が理由だ。だが自衛隊が政治的中立を破った場合、影響は選挙にとどまらない。サルは木から落ちてもサルだが、議員は選挙に落ちればただの人というけれど、自衛隊が武器を持って政権交代を迫ったら、政府要人は良くて囚人、悪くすると死人になってしまうのだ。佐藤優は尖閣沖ビデオの流出に関して、機関砲を持つ組織(海上保安庁)の職員に下剋上を認めてはならないと述べているが、自衛隊が持つのは機関砲どころではない。
もちろんほとんどの自衛隊員は法と法に基づく命令に忠実だろう。そう簡単に部隊ごと動いて2.26事件のようになるとは今のところ考えにくい。40年前、三島由紀夫は自衛隊員を集めさせて蹶起を促す演説をしたが、逆に野次られて腹を切った(因果関係は不詳)。だが戦闘機乗りが「憂国の志」に取り憑かれたら? 後先考えずに官邸へ空対地ミサイルを撃ちこむことは絶対にないと言い切れるだろうか? 大掛かりな武器を持ち出す必要もない。自衛隊には狙撃やら爆破工作やらのプロが揃っている。一人でも十分なのに数人で「天誅(=要人暗殺)」を画策されたらSPでは防ぎきれまい。
殷鑑遠からず。今年33人の鉱山労働者の救出で湧いたチリは、37年前、自由選挙によって選出された大統領が、大統領府で反乱軍と銃撃戦の末に殺された国でもあるのだ(Wikipediaの記事(2010年10月13日 (水) 11:42)によれば、政権発足直前には軍の政治的中立を主張してクーデターの依頼を拒否した陸軍総司令官が暗殺されている)。仙谷由人はこの時27歳。「思はず知らずイツか掌が首に廻つてゐた」(山崎今朝弥)のではあるまいか。
自衛隊の政治的中立の重要性が分かっていれば、悪口を言って挑発するようなマネをするわけがない。
つまり、暴力装置である自衛隊の政治的中立を守るため外部から煽らせないというのはスジが通っており、思わず知らず罵ったと見るのは無理がある。これが第三。

4.反知性主義の台頭?
日常感覚からは「え?」と思えるにしても、正統な政治学用語である「暴力装置」の使用に対して取り消しと謝罪を求めての大騒ぎは、特に「暴力装置」という言葉を知っている人からすると異様な眺めであった。ちなみに私は政経が専門ではないが、それでも「軍と警察は暴力装置」という論にまったく疑問は感じなかった(ただし、マックス・ウェーバーの名前はすぐには出てこなかったので、Yahoo!百科事典で確認はしたけれど)。

新聞ではようやく22日に朝日紙の投書欄で「政治学のイロハ」という指摘が取り上げられたのを確認できたが、それまでは自衛官に失礼論に加え、出典はレーニンだとか「かつて自衛隊を違憲と批判する立場から使用されてきた経緯がある」とか唖然とするような記事ばかり。ふだん「マスゴミが」などと言っている人も、自分が信じたい記事はすぐ信じるようだ。

これらに対して反知性主義の表れではないかという憂慮の声がある。

学術用語を日常語で解釈して非難し、政治的に立ちまわる危険を天皇機関説事件を振り返って諌める人は「(重要なのは)『威勢の良さだけが取り柄の馬鹿』どもをどう啓蒙するか」「馬鹿にちゃんと「お前馬鹿だろう」って言わないと、機関説論争で美濃部をファナティックな民間馬鹿に売った当時の学者や知識人となんら変わらないよ。」とも述べている。

残念ながら、この声が肝心の「馬鹿」(「」付きであることに注意)に届くとは思えない。馬鹿と言われて我が身を冷静に顧みられる人は、学識の多寡とは関係なくインテリだ。インテリは少数派。カッとなって殴りかかろうとする人、「人にバカっていう方がバカ」と返して気のきいたことを言ったつもりになる人、いじける人、金持ち喧嘩せずとばかりに聞き流す人、これで大部分ではないだろうか。

「職業としての政治」が一般教養と言えるかというと微妙だし。

反知性主義という確固たるものではなく、自尊心の問題「わたしをバカにするな」であると思う。手を焼いた人達の間では、半ば冗談で、これはもう池上(彰)さんに登場してもらうしかないのではという声さえ聞こえる。反知性主義なら池上さんは逆効果だが、彼がにこやかにスタジオの「おバカ引き受け役」に解説するのを聞けば、すんなり受け入れることだろう。

つまり、納得してもらうためには自尊心を傷つけない配慮が必要。これが第四。

ところで解せないのは国会議員の反応。あれは知らないというよりは、知っていて、あるいは突込みどころではないことを承知の上で騒いでいたのだと思いたい。なにしろ予算委員というのは国会議員の中でも選りすぐりだ。そんなウェーバーも知らないバカの集まりなワケがないだろう。それが危険な火遊びであるのは天皇機関説事件以降の歴史を見れば明らかなのだが、さすがにそこまで賢くはなかったか。

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2010/10/09

*年ぶりの夏の学校(3)

いつのまにか一月以上経ってしまった。生化学若い研究者の会(生化若手の会)主催の第50回夏の学校の記録最終章。

記念企画後半


最終日の午前中はOGOBを招いての記念企画後半「情報過多な時代のオリジナルな研究とは?」。途中休憩で顔を会わせたPhDはタイトルと内容が違いすぎる!と憤っていたけれど、後半はなんとなくそういう流れになった。いろいろと含蓄のあるお話を伺えたが、ここで中途半端に紹介することは避け、本家からの要約を待とう。
Alternative Careers in Scienceの前書き


活動報告/表彰/閉校式


支部の栄枯盛衰には目を見張るものがある。北海道支部や東北支部が復活したのは喜ばしい。また青息吐息とはいえ中四国支部が存続していたのも立派。一方で名門?大阪支部が消滅(休止?)していたのには驚いた。名古屋支部さえ一時は活動を停止していたらしい。

だいたい活動の縮小衰退期というのは残る人間の負担が増し、そのために後継者候補が退いてしまうという悪循環に陥り容易には抜け出せないものなのだ。だから他支部とか他団体の協力を得て軌道に乗せなおす必要がある。電子ネットワークの普及で、遠隔地との連絡は格段に楽になっているので、盛り立てていってほしい。低リスクな企画としては、他支部のイベント(講演会)のネット中継なんてのもあり。

さて、前日と打って変わってスーツ姿の稲垣先生を訝っていたところ、メルク賞の授賞式が始まった。その他にも優秀なポスター発表を表彰するなど、ほめる運営が目立っていた。これはほめる覆面調査と同じ良い傾向。(OBOG特別賞まであったのに審査に参加しないですみません。)

3つのロゴ案を示した投票用紙

また3案あった生化若手の会ロゴの投票結果は1案と3案が同数で決まらない、と発表。投票していなかったので慌てて3案に一票を投じる(だって1案は新しい高齢運転者標識みたいだから)。

なお、「蛋白質核酸酵素」の休刊で掲載の場を失った「キュベット」は羊土社の「実験医学」に場を提供していただいた由。

全体の感想


私の夏の学校経験は3期に分けられる。初期は一般参加者。ただし幸か不幸か指図をする先輩がいなかった(多くの参加者は先輩につれられてくるし、いきなりスタッフという人もいたようだ)。慣れてくると主体的に参加する気になって、企画者(オーガナイザー)や運営スタッフになる。これが中期。しかし「若手の会」だからいつまでも居座るわけにはいかない。適当なところでバトンタッチして後期へ。人によっては講師として参加するようになり、普通は「えらくなったね」と言われるのであるが、中にはいつまでも足を洗えないみたいに言われてしまう人も...(やはり後輩はいつまでたっても頼りなく見えるんですかね。) ちなみに以前は「卒業生」の講師はお礼奉公扱いで謝礼なしという時期もあったが、全体に金回りがよくなった上に、世代が離れてくると会の方からは言い出しにくくなり、自主返納に移行した模様。

今回が初めての参加だったらどう感じただろうか? まず申し込みが楽になった。前回までの様子もウェブで見られるし、検索をすれば参加者の感想なんかも読むことができる。伝手のない人間が初めて参加するときは、それこそ何を着ていくかから悩むものだ。情報公開の姿勢は評価できる。

また途中からの参加だったのでよくは分からないが、初日の夜の討論会で翌日の参加セッションごとの顔合わせをするなど、全体を有機的に関連づける工夫がされていると感じた。名簿をざっと見たところ部屋割りも所属を散らすようにされたようで、これも交流を進める上で良い工夫。もしかすると実行されていたかもしれないが、初回参加者も目立つようにしておくと「誰も知り合いがいなくて独りぽっち」を回避できる(これをやられると悪印象が強くなるので要注意)。

スタッフがそろいのTシャツを着ていて、非常に分かりやすかった。前回書いたように、急遽食事の追加をお願いできたのもスタッフが識別できたから(無理言ってすみませんでした)。

全体的に見て手際は良かったけれど、あえて難を挙げれば2つ。
記念写真の撮影がもたついた
講師の先生が所在無さげに立たれていたことがあった(招聘したオーガナイザーは気を配るべき)

なお来年はUstreamなどを利用し、現地には来られなかった人にもハイライトを参照できるようにすると、宣伝になるし記録にもなる。夜の部は....映さない方が良いでしょう。「遊んでばっかり」という誤解を招きかねませんから。(^^;

参加者は発表に集中すべきだからtsudaるのは推奨できないが、ハッシュタグを設定しておくとツイートを集計するのに便利。#swngとか#swng51とか。「分科会Cは延長戦に突入」「懇親会中だけど××についての討論会をやってます」など使い方はいろいろ。tsudaるスタッフを決めておいても良い。

とまれ実行委員の皆さん、ご苦労様。

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2010/10/07

*年ぶりの夏の学校(2)

生化学若い研究者の会(生化若手の会)主催の夏の学校へ久しぶりに参加したのは50年記念企画の一つ「1Q89 その時年長組が動いた」に登場する年長組に所属していたから(なんと要旨集本文にも名前が載っていた)。

夏の学校に初めて参加した年の秋、何かの学術集会が開かれていた現在の明治安田生命ホールで声をかけてきたのが元センター長の養王田さん(今回の企画では代表としてイントロを担当)。で、なんだかんだの神保町で深入りし、夏の学校シンポジウム企画に首を突っ込み、とうとう名古屋で開かれた四支部連絡会に並び大名で遠征したのは前回書いた通り。

この第29回夏の学校では第27回に引き続いてシンポジウムの企画に携わったうえに、単独で分科会をオーガナイズするという、若さって素晴らしいと言いたくなるような関与をした。すでに年長組と呼ばれていたけどね。(分科会にはNIFTY-Serveに開いたばかりのバイオフォーラム(FBIO)からメンバーを集め、オフラインミーティングを兼ねた。)

さて、年長組4人のうち3人、さらにその流れを汲むOBOG数名(傍目には同じようなものだろうが年長組とは一線を画したいらしい)で久しぶりに集まる口実に使った訳で、さらに同期がいたら同窓会にしようという算段をしていたのだが、50回記念なので草創期のOBらも参加している。名簿を見たら、とても大きな顔などしていられないことが分かる。と思っているうちに先生方から声をかけられ冷や汗三斗。

シンポジウム


さて2日目(私にすれば参加1日目)の午後はシンポジウムー科学の関心を社会へ。偉い先生が講演をして、壇上で講師同士が話し合うだけのシンポジウムではなく、聴衆をグループ分けして議論させ発表もさせるというなかなかインタラクティブな趣向。そしてこのグループで前日すでに予備討議をしていた!(この辺りは手際よいと感心した) 途中からだからと遠慮して黙っていたらただの「変なおじさん」になってしまうので、積極的に混ぜっ返していたら、とうとう「あなた何者?」と詰問されてしまった。と、そこへ折よく稲垣さん(第24回夏の学校校長)が「お久しぶり〜」と声をかけてきてくださったので「あ、OBなんだ」と納得(?)してもらえた。翌日の授賞式になって知ったが、稲垣教授はメルク賞の選考委員長だった。

私が顰蹙承知で突っ込んだのは、ディスカッションタイムに、与えられたテーマの「理想の科学コミュニケーション」そっちのけで、「pure science の研究費を税金で賄うことは正当化できるのか」にご執心の参加者がいたから。昨年の事業仕分けを見て、「基礎研究は大事」というお題目が力を失っていると感じたのだろう。そのこと自体は好ましいのだが、「眼に見える社会還元のないのに税金で支えてもらえるのか」と悩むようになるとちょっと不健康。そんなことを言ったら文学部の連中なんざ、ほとんど失職だ。ま、文芸産業を支えられるような学科は生き残るかもしれないが。

「この研究もいずれは社会の役に立つ(かもしれません)」というのはあざといと感じたのであろう、彼らがいったん辿り着いたのは「研究者は生きた教材として科学的なものの見方・考え方を社会に示す」というもの。それによって呪術思考や感情論に社会が毒されるのを防げる。それは確かに立派な役割だ。学術会議や日本医学会、日本薬学会、日本薬剤師会、日本獣医学会などがホメオパシー批判を公にしたのは記憶に新しいところ。だが、それは基礎研究者でなくても果たせる役割でもある。余人を持って替え難い役割でないと納得できないようだった。

ちょうど講師から、日本の科学政策は「機体と燃料とパイロットがいれば飛行機は飛ぶ」という発想で進められてきたが、それはおかしいという提起がされたところだったので、基礎研究者は整備士かもしれないし管制官かもしれない(華々しく空を飛ばなくたって構わない)と言っても納得してくれない。ま、初めに「虎(科学者)を野に放ったら危険だから、囲いの中で飼育しておく必要がある」論を展開したのがまずかったか。orz

「虎を野に放った」は、内田吐夢監督の映画「宮本武蔵 巌流島の決斗」で、武蔵にリジェクトを告げた柳生但馬守宗矩が、衝立てに描かれた絵を見て吐く台詞。但馬守としては武蔵を取り立てたかったのだが、吉岡一門が大将に担ぎ上げたとはいえ一乗寺の決闘で少年を斬ったことが咎められて叶わない。断っておいて絵を描いてくれというのも妙な話だが、あなた剣だけじゃなくて絵もうまいんだって、と?おねだり。描き終えた武蔵は黙って辞去。残された絵を見て唸る但馬の守。

ちなみにこの映画、学生のころ、師匠宅に入り浸っていた暮にテレビ放映されたのを、若い頃に映画館で観たという師匠の解説付きで見た。感銘を受けたシーンらしく、解説をしながら「覚えているもんだなぁ」と感心されていた(テレビが普及していないから映画館がその代わりでいろいろ観たらしい)。この師匠の前ではそういう経験をしていない自分がなんとなく劣化コピーのような気がしてくる。劣化とはいえ、教えられた異色の西部劇「リバティ・バランスを射った男」を覚えていて、後日深夜に放送されていたのを見られたのは収穫。あと小説では「忠直卿行状記」も、師匠の講談を聞かなければ読むことはなかったであろう。

閑話休題。で、拡散したロシアの核科学者を引き合いに、国が面倒をみないと勝手に奉公先を変えてしまう危険性が歯止めになると説いた訳だが、どうも核技術は実学と思っているらしくて、基礎科学とは話が違うとにべもない。そうかなぁ。理論物理学者だって核技術者のまねごとはできると思うよ。本当に核兵器を作る必要はない訳で、「よそで作るぞ、いいの?」と雇い主を恫喝できれば十分なんだし。それにちゃんとした科学官僚ならば、核爆発装置を作るのとミサイルに搭載可能な小型核爆弾を作るのとでは別の話で、唐人の寝言のようなことを言っている理論屋が決定的な助言をしかねない可能性というより危険性を理解するだろう。

タスマニア効果論や多様性(あるいは保険研究)論であれば納得してくれただろうか。

なお、全体的な印象であるが、科学コミュニケーションが「蒙昧な民を善導する」的にはなってなかったのは素晴らしい。AKB48にならってSCI48を結成するなどという冗談みたいな科学コミュニケーションプランさえ。生真面目な人は不謹慎だと怒るかもしれないし、真面目な人は大衆を馬鹿にしていると怒るかもしれない。しかし「学生がマンガを読むから先生の専門書が出せる」というあるブログの指摘もあるわけで(もっともコミックと専門書の両方を出している会社って講談社の他にあるの?)、広く浅いスポンサーに科学をアピールするのは案外現実的かもしれない。白衣は着ていても、中身は同世代と同じ若者だ。

また研究を、プロダクツで考えずサービスとして考えると前出ブログの「1600円のCD-ROMで出来る内容を、通信教育にして6カ月に分けると6万円。もっとお金を取りたいなら大学を立てるとトータルで100万円くらい取れる立てるは原文のまま)」も皮肉と受け取るべきではないことが分かる(ちなみに座学では研究行為を学ぶことはできないから実習は必須だし、既知の結論を確認するような実験を重ねるよりも未知の課題への取り組みを経験した方が教育的)。

なお、わがテーブルは課題を離れた議論をしていたが、前日の討議を元に一人の院生がそつなく発表文をまとめてくれていた。

このセッションでは、与えられたブラックボックスの内容を、開けないで推測するという楽しいグループワークも行われた。

記念企画前半


夜になってから到着するつもりで4日は夕食も予約していなかったが、せっかくなので追加料金を払って皆と一緒に食べることにした。やっと宿泊部屋に荷物を放り込み、寝る布団を確認してから食堂へ。OBOGは同じテーブルに集められ、お先にお酒をいただいた。私が初めて参加した当時の支部長(いきなり電話をして「夏の学校というのに参加したいんですが」と申し込んだ)やその次の支部長など懐かしい方々とも再会。

語る養王田さん

講演会場(実は体育館)に戻り前方テーブルに陣取る。まず年長組(当時)を代表して、今は東京農工大の教授に収まっている養王田さんがイントロ。彼は生化学会大会で発表前日に飲み明かし、ハイになったまま口演に臨み予鈴がなるまでイントロを語ってしまったことがあるけれど、今回は全部イントロでも問題ない。さて、それによると当初助手層によって始められた生化若手の会は徐々に若年齢化し、80年代後半には博士課程後期1年生(D1)から博士課程前期/修士課程2年(M2)が主力となって運営されていた。そこに既に院を修了して勤めだしていた三品・養王田らが「年長組」と称して再参加したのは、若手の会が掲げる2つの目標のうちの1つ、研究教育環境の改善、その中心となっていたオーバードクター問題がとりあえず解決に向かいだしたように見え(この辺の評価は難しいので私は踏み込まない)会が目標を見失いかけていたから。そこで日本の研究環境を客観的に見るために欧米との比較を企画した云々。

続いて登場した、今はミシガン大学に席を置く三品さん29回夏の学校シンポジウムを中心とする夏の学校裏話と、USAでの研究経験や大学院の状況を披露。会場はアルコールが入って半分懇親会状態なためか、某女子大はある年に大量参加して多いに盛り上げてくれたけれど翌年になると急に減って、活性の強さと半減期の短さから32Pと呼ばれたという話もあまり受けなかったみたい。物持ちの良い彼は当時のスライド(リバーサルフィルム)をデジタル化してパワーポイントで持ってきた。その中には当時の有名人を使ったポスターを改変したものがあったが、なぜか登場する3人のうち2人は去年今年で「時の人」になっていた(一人は今年の参院選に民主党から立候補、一人は去年、覚醒剤事件でムショ族候補に)。ちなみにそのポスターは日赤のもので、入手するために400ml献血をする、文字通り身体を張った努力がなされたのだ。

三番目は要旨集には載っていない長野さん。彼女は自ら研究を行う博士課程には進まずに研究支援体制を作るべく科学技術庁(当時)に入った(そして第32回夏の学校では年長組とともにシンポジウム「研究成功のカギを探る —プロジェクトのひ・み・つ—」を企画)。どうやら今回の参加目的には学生のリクルートもあったらしく、職務経歴の中にさらりと「1年間育休」を入れたキャリアパス示していた。その甲斐あってか講演後には話を聞きにくる学生も。

懇親会中にポスター発表の続きが始まる

コップを手に集まる聴衆

会場となった体育館には前日行われたポスターセッションのポスターが貼ったままになっていたが、年長組のテーブルではなぜかそれを持ってきて、いきなり続きのディスカッションが始まる。

硝煙もうもうの駐車場

22時になるといったん懇親会は中断して、駐車場での花火大会に。ちなみに海老茶色のシャツはスタッフの目印。

そのあと食堂に移って懇親会の続き。なぜか持ち込まれたタンカレー(新宿のHには養王田さんのボトルがあり、そこで飲むと私はたいてい潰される...何度経験しても学習できない)の影響を強く受けたため、記憶があるうちに部屋に引き揚げることにした。

懇親会で科学行政のやりがいを学生に説く?長野さん

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2010/09/23

タスマニア効果と研究者人口

科学研究費を税金で賄うことは正当だろうか。特になんの役に立つのか分からない基礎研究に注ぎ込むことは妥当なのだろうか。

余裕のある時代なら「食客三千人」とばかり当座の役に立ちそうもなくても才能があれば養っていけたし、研究者の方も「何かの役に立てようなどと考えるのは邪道」と澄ましていられた。しかし景気が悪くなり、研究資金を何年で回収できるかを問われるようになると、基礎研究は分が悪い。

その逆風は研究者も感じているらしく、いろいろと「役に立ちます」をアピールしようとする。たしかに素人には唐人の寝言のような数学の研究が暗号システムにつながりオンラインバンキングを支えているといった例はある。しかし、どの研究も社会の役に立つと言うのは度がすぎたフィクションだろう。まして科学研究予算の削減は、いずれ地球の破滅をもたらすなんて恫喝は止めた方が良い。逆効果だ。

それでは役に立つ研究を選抜して、税金からの研究費はそこに集中すべきか。選に漏れた研究は、独自に投資家を募ればよいのか。それは好ましくないと考える。なぜか。

タスマニア効果


ツイッターのタイムラインでだと思うが「タスマニア効果」なる言葉を知った。

リンク先のタスマニア効果と宇宙植民地化によると、それは以下の通り。


  • SF作家チャールズ・ストロスは現代の技術文明を維持するのに必要な人口は最低1億人と見積もった

  • 計算の根拠は航空産業だけを維持するのにも50万人が必要、という推計の積み重ね

  • ジョージ・ワシントン大学のHenry Farrellは、この計算を元にタスマニア効果を考察

  • タスマニア人は、ヨーロッパ人が訪れたとき人間社会の記録史上において最も単純な道具しか持っていなかった

  • これはタスマニアの人口が少なかったため

  • 人口がある水準以下になると、前の世代からの技術の学習の不完全性が技術の衰退となって現れる

もちろん仮説の域は出ていない。

航空機産業を維持するのに50万人必要と言われてもにわかには理解できない。だが、よく考えてみよう。木と布の複葉機ならいざ知らず、軽合金製のジェット機を運用しようとすれば必要な基盤は...
ボーキサイトの採掘と運搬
アルミニウムの精錬
銅鉄その他金属の精錬
超超ジュラルミンの製造
炭素繊維の製造
各種プラスチックの製造

機体製造の素材だけでこれだけが必要。しかもこれらを動かすためにはさらに発送電システムや輸送システムも必要だ。

さらには教育システムが必須。次世代に知識や技能を継承できなければ50年もしないうちにシステムは機能しなくなってしまう。たとえばネジを作れなくなっただけで飛行機は作れなくなる。一子相伝であれば、ぼんくらが一人いただけで断絶だ。逆に師匠のデッドコピーであれば発展の余地がない。すべてをお見通しの神様を頼れない以上は、ある程度の失敗を織り込んだ試行錯誤で臨むしかない。つまり教育の歩留まりは100%にはならないし、なってはいけない。だから学び手は必要数に対して余剰でなければならない。

そしてこれらに従事する人間は裸で霞を食い土の上に寝る訳ではないから、衣食住を提供する人員も必要になる。

というわけで、なるほど相当の人数が必要だと言うことが実感できる。その人数を割り込むと縮小再生産に陥る。そして技術の劣化がある程度進んだところで安定化するが、中には文明崩壊にまで進むこともあるだろう。肝心なのは総人口ではなくて、ある分野に従事する人口。「モノになりそうな基礎研究」をする人の周りに「海のものとも山のものともしれない」研究をする人がいて研究者人口を維持しなければ、モノになりそうな研究をする層が薄くなってしまう。

これが役に立つ(と思われる)研究を選抜して、税金からの研究費はそこに集中するのが好ましくないと考える理由。もちろん小さな政府のもとで科学研究は民間主導となれば話は少し変わるが、民間が短期間での高率の投資回収ばかりを望めば、遠からず危機的状況に陥るだろう(ただし民間の方が長期的な利益に敏感であるという期待も持てる:多数の有権者よりも、少数の株主の方が同意を得やすいから)。

なお飼育、もとい扶養している研究者を研究プロジェクトの中に割り振るならば、一見タスマニア効果の陥穽を逃れられるように見える。また大きな研究の方向を指し示すことも大切。だが人は全知全能ではないことを知るべきだ。「あそび(ゆとり)」が大切。近視眼的な管理では次世代研究の萌芽を摘んでしまう危険がある。

そもそも将来何が役に立つかなど誰にも分かりはしないのではないだろうか。

と言っても開き直りと受け取られては困る。誠心誠意、と言うと語弊があるけれど各研究の予算要求説明には理解してもらうためのギリギリの努力を尽くすべきだとは思う。


スケールメリット


ところで航空産業だけを維持するのにも50万人が必要であった。飛行機を飛ばすための燃料を、そのためだけに製造したらどうなるだろうか。ジェット燃料というのは灯油の一種であるが、石油(原油)からはそのほかに石油ガス、ガソリン、軽油、重油、アスファルトが取れる。その全部が利用できれば採掘精製費用は均等に分担できるが、灯油しか使わないとなれば、そこで全費用を負担しなければならず、つまり相当高いものになる。ちなみにガソリンはガソリンエンジンが普及するまでは使い道がなかった。仮にガソリン自動車をすべて電気自動車や水素自動車に置き換えたところで、ガソリンがだぶつくだけで、灯油軽油重油等の需要が減らなければ石油(原油)消費量に変わりはない。発電や水素製造のためには石油需要が増すかもしれない。だから二酸化炭素生成量の削減には役立つかもしれないが、石油資源の節約にはたぶん役に立たない。

閑話休題。つまり石油ガスからアスファルトまで使い尽くすようなシステムがないと、ジェット燃料は高い物になる。これは電力や輸送システムにもいえること。いわゆるスケールメリット。航空産業専用にすると、よほどガンガン飛ばさないと高くつく(無駄が出る)のだ。日本で牛肉が高いのは、可食部が限られているからとも。あ、また話がずれる。

オーパーツを超古代文明の証拠と考えることの無理


軌道修正の振りをしてさらに逸脱。世の中にはオーパーツというものがあるらしい。エジプトの遺跡に見られる象形文字(ヒエログリフ)の中にはまるで現代のヘリコプターや戦車、そして、戦闘機のようなものがあるというのだ。で、それをもってエジプトには現代に匹敵する高度技術を持った先史文明が存在したのではないかと考える人がいるそうだ。

だが、ヘリコプターはそれだけがあっても役には立たない。たとえば燃料はどうするのか? まさにタスマニア効果が論じてきた問題だ。裾野なしに高度技術が単独で存在することはあり得ないのだ。ヘリコプターや戦車がタイムスリップしてきたという解釈の方がまだ矛盾が少ない(実際にはそんな無理をしなくても、十分に合理的な説明ができるらしい)。

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2010/09/12

*年ぶりの夏の学校(1)

生化学若い研究者の会(生化若手の会)主催の夏の学校へ久しぶりに参加した。研究者ではないし、もう若くもない※のになぜかというと、今回がなんと50回目の節目と言うことでOGOBにもお声がかかったから。

※ 生化若手の会の定義では「自分が若手だと思っていたら若手」だが、それにも当てはまらない。

当初は4日夜の特別企画から参加のつもりでいたが、4日朝のサイエンティフィックフォーラムに岩田想先生が講演されることに気づき、予定を急遽変更。しかし宿泊は4日の晩しか予約していない。そこで新宿6時半発の高速バスを使うことにした。予約した乗車券は発車の30分前までに引き取らなければならないので、29日に芦田宏直の夏期「哲学」特別講義へ行く途中で案内所に寄って購入しておく。そのとき発車場である35番乗り場そばではビッグイシューを売っていたが、さすがに土曜の早朝は立っていない。しかし街には人がたくさん。

1列目という眺望抜群の席に座って2時間余り。無事、白百合台バス停に到着。前を行く青年も学校参加者かもしれないが、一般宿泊客もいるらしいので声はかけない。

箱根高原ホテルの看板

受付を済ませ、荷物を持ったまま「2.生命科学を革新する技術」会場へ。お目当ての岩田先生は第29回夏の学校の事務局長。それまでの四支部持ち回りから共同開催に変更され、校長が事務局長になった最初の学校。共同というと聞こえが良いけれど、「関東にお願い」となることを恐れた彼は、名古屋で開かれた会議に少人数で臨むようなことはせず、愛車シティに男5人を詰めて乗り込んだ(さらにもう1台出したかもしれない)。この名古屋遠征には2度同伴した(並び大名)。会議のことはほとんど覚えていないけれど、帰途、前照灯のランプが切れるとかハイトバランスのガスが抜けるとか、いろいろ大変だったのは覚えている。特に後者は最後の会議を終え、「名古屋まで来たからには味噌カツでも」と食事を終えて戻ってみると「なんか車が傾いてない?」。これが日曜の夕方。幸い開いていたホンダ販売店に飛び込むと「走れないことはない」とか。用心しいしい(そうでなくても満員で重い)東京まで帰ってきた。途中、サービスエリアで隣に停車中のシーマを見て「あっちと交換シティ」「交換シーマせんか」なんて苦しいギャグも出る。「高速道路で沿道にその手のホテルのネオンサインが目立ちだしたらインターチェンジが近い」というM博士の蘊蓄も確認しながらの夜間走行だった(一同あまりに感心するので「妻の発見だ」と打ち消しに必死)。あー、なんかどうでもよい話に逸れている。あのときの閉校式についてはいずれまた(功をねぎらうべきスタッフが各支部に分散したためメモを用意して臨んだものの...)。

さて最初の講演はGEヘルスケアジャパンの梶原大介さん。しばらく業界から遠ざかっていて、新しい会社かと思っていたら、昔は横河メディカルシステムで、アマシャムとファルマシア バイオテクが合併してできたアマシャム バイオサイエンスを買収している名門(つまりSephadexはいまGEヘルスケアジャパンの製品)。協賛会社にも名を連ねていて、ここが出した『生化夜話』という書籍(メールマガジン掲載の1-15話をまとめたもの:非売品)は太っ腹にも夏の学校参加者全員に配られた。

それはともかく講演は標識を使わずに物理化学的な変化の観測で分子間相互作用を解析する技術のお話。今回は、SPR(Surface Plasmon Resonance)について。印象的だったのは、「SPRができます、ではなくてSPRでこういうことができますをアピールしていきたい」(技術提供会社の矜持)と、「ペーパーはまだ出ていませんが、カタログはあります」(そういう時代なんだ)。

今回は触れられなかったけれど、カロリメトリーでも相互作用を直接測定できるとは驚き。もちろんマイクロスケールなのだが、比熱の大きな水系でない方(たとえば液体アンモニア)がより精密に測定できないかな、と素人妄想。もちろん質問するほどの勇気の持ち合わせはない。

次の岩田さん「50回記念というから歴史を語るのかと思ったらテクニカルセッションなんですね」と。昔であればスライドの用意があるから演題変更は大変だが、今はノートパソコンに全部入っているから問題ない。ちょっとした今浦島の気分。膜タンパク質の構造解析のお話を拝聴する。シトクロム酸化酵素の騒ぎには触れない。見た目にきれいな結晶が採れてもX線回折には向かないと言う話、大昔に某雑誌で読んではいたがなぜかは分からなかった。その理由をきれいに説明されて納得(こうやって抱え込んでいた疑問が全部解決したら、死んでしまうんじゃないだろうか)。後半、QOL(生活の質)をあげる薬の需要についても言及。ここでもプロペシアが出てきたから、使ってみようかな。あ、献血できなくなるんだ。

アグレッシブな人だから高血圧と聞いても驚かないが、心筋梗塞を患っていたとはびっくり。幸いにも発作を起こした時の訪問先が医学部で、素早い処置でことなきを得たとか。

三番目の楠見明弘先生まで来ると、何しろこの日は5時起きで朝食抜きだったので、アカデミックな興奮でも集中力の維持が難しくなってくる。それでもmeso scaleすなわち μmとnmの間はブラウン運動の支配を受ける変わった世界ということが朧げながら理解できた。

今回の夏の学校は、参加者をあらかじめ参加セッションごとに小グループとし研究紹介やテーマ討論をさせている(これは午後のシンポジウムでも活用された)。このフォーラムでは4グループができており、それぞれに前日の討論も踏まえて「なにを、どんな手法で解くか」(だったと思う)を発表させた。それを講師三人が審査して2つを表彰。そのうちの一つに「〜を20年かけて」というのがあった。遠大な構想は立派だけれど、「20年やったけれどダメでした」では話にならない。ロードマップを描き、10年目には〜まで、5年目には〜までと小刻みに目標を立てた方が良いと思った。先日いただいたある本にあった目標はデイリーに落とせ(毎日の目標を立ててクリア)の影響か。

回答したアンケートアンケートには「機械の写真を載せた方が具体的なイメージを持てるのでは」としょうもないサジェスチョン。

昼食は予約していなかったので外へ食べに出る。覚悟した通りの観光地価格。住民のいるところまで行けばコンビニくらいあるだろうと思っていたが、下調べ不足が露呈。

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2008/12/03

元教授?

届いたばかりの「生化学」をぼーっと眺めていたら「アトモスフィア」の筆者は菊池韶彦さん。ところが所属を見ると「元名古屋大学医学部病態制御研究施設医真菌研究部門教授」と。え?「元」。

まだお辞めになる歳ではなかったはずだが...と思って名古屋大学のサイトに行ってみる。

するとまだ教授として名前が載っている。もっとも2006年4月現在ではあるけれど。

ちなみに研究室名は分子標的治療学となっている。あの「元」がかかるのは「教授」にではなくて「医真菌研究部門」だったのだろうか?

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2008/07/22

漢字漢語研究会(2)

日本語学会の掲示板で見つけた第96回漢字漢語研究会に出席してきた。

お目当ては桐生さんの「医療の現場における漢語専門用語の問題点」(当日の演題は「医療の現場における専門用語の問題点—漢語専門用語を例に 」)。

国語研究所の病院の言葉を分かりやすくする提案の調査が紹介された。

発表を聞いているうちに、新聞記事やウェブサイトを読んでいる時には見落としていたことに気がついた。患者と医療従事者が口頭でコミュニケートしている時の問題だ! もちろん病院ウェブの文言に応用はきくけれど、基本はオーラル。難しい字が読めないという問題ではなく、音で聞いて字が浮かばない/別の字を思い浮かべるために理解できないという問題。

そういえば、父に胃がんが見つかり、切除しようと開腹したら「開けてびっくり玉手箱」、なす術もなくそのまま縫合した時のこと。執刀医も予想外の事態に狼狽したらしく、家族への説明も専門用語使いまくり。「よんけーのいがんです」と言われて、訳が分からず「4K」とメモしたのを覚えている。同時に出て来たスキルスという言葉は知っていたので説明は求めなかったが、今あらためて「4型の胃がん」を調べると実に絶望的であることが分かる。

閑話休題。口頭の場合は同音異義語が問題になるだろう。「化学療法」が通じにくいのは「科学療法」と誤認しているためという可能性はないだろうか。「こうげんびょう」と聞いて、膠原病を想起できる一般人がどれほどいるだろう。光源とか高原を思い浮かべるのが一般的だろう。中にはコーゲン病と思っている人もいるかもしれない。まず字で書いて示すのが第一の取り組みだと思う。
文字の場合は、難読字と字面による誤解が問題になる。塞栓や譫妄はおバカ芸人ならずとも読めない人は多いだろうし、糖尿病を甘く見る人が多い(実際には進行すると失明したり手足の切断が必要になったりする恐い病気)のは、発表にもあったように、日常語的な解釈で分かった気になるからだろう。ただウェブの場合は、用語解説へのハイパーリンクという必殺技が使える(解説を読まない人もいるから、言い換えや概念説明も必要)。

医療現場で対面の場合、通じているかいないかは、少し注意を払えば分かるけれど、ウェブページの場合は臨機応変な調節ができない。

フロアからの意見で面白かったのは、造語パターンの影響。省略形は難易度が高いのではないかと。古い翻訳語も現代人には通じにくかろう。

同じ国語研の「外来語の言い換え」は評判が芳しくない印象があるけれど、この病院の言葉を分かりやすくする提案は有意義なので、是非滑らないでほしいと願う。

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漢字漢語研究会(1)

日本語学会の掲示板で見つけた第96回漢字漢語研究会に出席してきた。

お目当ては桐生さんの「医療の現場における漢語専門用語の問題点」(当日の演題は「医療の現場における専門用語の問題点—漢語専門用語を例に 」)。

この25日で契約を打ち切られてしまうけれど、ここしばらくとあるウェブ製作会社でウェブページの日本語の改善に取り組んでいた。きっかけは噴飯ものの誤変換(内臓電池、脅威的な価格、など)だったが、調べていくうちに専門語・業界用語も理解度を阻害する要因として浮かび上がって来た。とはいえ「難しい語」をどう定義するかが課題に。そんな時、読売新聞に「患者に通じない736語」という記事が載った。これだ!と思って国語研のサイトに飛んだものの(2008年3月時点で)何も情報がない。しかしアンテナの感度は上げておくべきもの。ほどなくして日本語学会の学会情報掲示板で「医療の現場における漢語専門用語の問題点」という発表を見つける。発表者は国語研の人。「どなたでも参加できます。」とあるのを幸いに早速申し込む。

世にある研究会の中には、参加自由を標榜しながらも実状は決まったメンバーだけというものがある。それでもアカデミックな世界は基本的に異邦人歓待だと割り切って図々しく乗り込んでみた。ただ仁義として質問なり意見なりは必ずすると決めて。

会場は早稲田大学社会科学部。早稲田大学のサイトを見ても所在地が判然としない。社会科学部はサブドメインを持っているのだが、学部所在地の記載を見つけられない。学部案内を読んでいくと14号館に移ったと書いてあるが、これでは学外者には通じない。施設案内は「準備中」。学部案内をダウンロードしてみても所在地は見つからない。

大学のサイトに戻って調べ直す。交通アクセスを見ると主立ったキャンパスは6つ。おそらく早稲田・戸山・大久保のいずれかであろう。苛々しながら探すうちに「インフォメーションスクエア」を発見。そこで尋ねることにして「 場所はこちらから」(いわゆる click here syndromeだ)をクリックすると早稲田キャンパスのキャンパス内案内図にリンクしていた(キャンパス内案内図は交通アクセスのページの最下部にひっそりとリストがあった)。もしやと思って探すと社会科学部も載っていた。やれやれ。

要するにユーザビリティに問題があるということ>早稲田サイト

さて最近の大学は学外者の入構に対してうるさいところが多いのだが、早稲田は実にオープン。道を歩いているといつの間にか構内に入れてしまう。会場は14号館の10階。やたら学生に対する注意の貼紙(「静粛」「ホールをサークル活動の練習に使うな」等)は多いものの、誰何されることなくエスカレーターに乗れた。ところが6階でエスカレーターがなくなる。エレベーターもあったが、わずか4階なので階段で登る。10階まで来ると、なんと「関係者以外立ち入り禁止」の高札。フロア案内図を見ると会場となる部屋は建物の対角線上。用心して8階まで戻り(9階にも高札)、反対側の階段を使って10階まで上がると、やはり「関係者以外立ち入り禁止」。しかも「イスラム人口問題研究会」の貼紙はあるが「漢字漢語研究会」の案内はない。だが幸いにも1060号室は目と鼻の先。思い切って入室すると、会場係の学生さんがいて一安心。聞けば社会科学での開催は初めてらしい。

なんか余談が長くなってしまったので、本論は別項で。

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2007/12/02

カルパインとCANP

勤め先のブログに原稿を書くことになった。テーマは言葉(に関係する会社のサービス)。

筆が進まないので「その他」カテゴリで暖機運転をしている。その一環として「言葉は仲間(敵味方)を識別するもの」で一連の記事を書いた。もっとも分かりやすいのは政治や宗教の分野だが、あまり具体的に書くと地雷を踏む可能性がある。

そこで多少は勝手の分かる自然科学に題材をとることにした。真っ先に思い浮かんだのはカルパインとCANP。両者は同じものなのだが、独立して研究を進めたグループがそれぞれに命名したため、ながらく一物二名の状態が続いた(実際には派生する言葉にも続々と別名——カルパスタチンとCANPインヒビターとか——が)。

もっとも、この辺の事情も当事者からすれば面白おかしく書かれたくはないだろうし、なにより事実関係の間違いがあっては失礼になる。

そこで、まず軽くググッて見たが、意外にも一般的なカルパインの説明は少ない。wikipediaにさえない(誰か書いてください)。そんな中で見つけたのが臨床研(東京都臨床医学総合研究所)の酵素機能制御研究部門のページ(フレーム構造になっているのでトップページから「研究内容(より専門的)」をクリック)。

当時の鈴木研ではカルパインのことをCANP、calcium activated neutral proteaseと呼んでおり、商売敵であった京都大学の故・村地孝先生(Murachi Awardの所以の先生です)のつけた「カルパイン」という名称は、戦時中の日本の「ベースボール」のようにタブーとなっていました。そのいきさつについては、涙無しでは読めない鈴木先生の幻の名著「カルシウム依存性プロテアーゼ研究の動向:第一回 研究の幕開け−東西問題のはじめ」及び「第二回 カルパインの構造決定と東西問題」(細胞工学Vol. 10 (1991), No. 7, pp545-551及びNo. 9, pp719-727)に詳しく書かれています(興味のある方は是非ともお読みください!)。結局、東西ドイツの統一あいなった1990年の翌年の、ミュンヘンで開催された国際プロテオリシス学会(ICOP)において、「カルパイン」という名前に統一されました。名付け親の村地孝先生は、その直前に急逝されてしまいました。

これぞ探していた記述。熾烈な競争があったこと、相手陣営の用語はタブーだったこと、現在はカルパインに統一されたことが要領よくまとめられている。

そして、村地先生への追悼企画として掲載された「カルシウム依存性プロテアーゼ研究の動向」がこのように評価されているのが我がことのように嬉しかった(村地先生は月刊「細胞工学」の編集顧問)。

学生時代、「蛋白質核酸酵素」を拾い読みしていた私はCANPしか知らず、体を表す良い名前と思っていたが、ほかでもない「あの」カルシウム依存性中性プロテアーゼを指すには、固有の名前が必要だったのだろう(カルパイン以外にそういう酵素があるかは知らない)。「パイナップルビジネス」とか「ペリサイエンス」とか、実に造語の巧みな方だった。

うーん、一般受けしない話になりそうだ。やはりiLinkとFirewireにしておこうか。いや、フロッピーディスクとフロッピーディスケットにしようか。

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2007/04/14

世紀を越えた名誉回復、そして汚名挽回

中学生の時だ。教師が、われわれ生徒の無教養と言うか不勉強を腹に据えかねて、国語の教科書に載った長文、『八丈実記』を著した近藤富蔵の伝記と記憶する、を一人ずつ順に音読させたことがある。つっかえたり読み間違えたりしたら即交代。どういう順番かは忘れたが、とにかく私まで回ってきた。長いと言っても20ページもある筈がないから、平均して半ページも続かなかったのだろう。門内の生徒、習いたる教科書も読めず、だ。

実は前日、ストッパーの密命を受けていた。とはいえ、下読みくらいはしただろうが、総ルビの虎の巻を用意した訳でもなく、半ばぶっつけ本番。

弁士中止の声もなく、淡々と読み進む。サドンデスなので、読む方もそうだが、聞いている方も緊張しただろう。瞬く間に最長不倒記録の連続更新になる。

何ページかは忘れた。とにかく文句は言われない程度に読み続け、疲れも感じてきたころ、「漁舟」という単語が出てきた。一瞬躊躇して「ぎょしゅう」と読んだところで、「ハイご苦労さん」。お褒めの言葉は賜ったけれど、まぁ間違えたわけだ。

そんなことを、調べものの最中に舟艇という語を見つけて突然思い出した。あれは正しくはなんと読むものなのだろう? 世紀を越えた疑問の解答は一瞬にして出た。オンライン辞典には「ぎょしゅう」と。

念のため、漢和中辞典と広辞苑にもあたってみたが、やはり「ぎょしゅう」で正しい。なんか力が抜けた。

かくして世紀を越えて名誉回復はなった。

だが、漢和辞典も広辞苑も、当時から家にあったもの。あの日、帰ってすぐに確かめれば、翌日には職員室にねじ込めたのに。詰めの甘い性格を再確認することになってしまった。これぞ、文字通りの汚名挽回。

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2006/11/27

岡山訪問

所用で岡山に行ってきた(10/11,12)。

新幹線「のぞみ」に乗るのは初めてではないが、昼間は初めてというのを失念していた。油断して窓外の流れる景色を見ていたら気分が悪くなってしまった。帰りは通路側を取ることにしよう(念願かなって、帰路は新大阪まで通路側、それから同じ列車でB席(三列中央)だった)。

東京は雨だったが、岡山は曇り。翌日には快晴で、長傘は見事にお荷物。

雨の上がった岡山駅前

岡山市民会館で遠藤邦基と田中克彦の講演を聴く。偉い人が読み間違いをすると、おべんちゃらがそれを正しいものとして広め後世に残ってしまう話を聞くと、昔も今も人間って変わらないものだと改めて思う。古典を読むには批判的視点が大切だ。いま「聖書じゃないんだから」と書こうとしたが、実は聖書こそ筆写ミスの宝庫らしい。

閑話休題。田中克彦は名前くらいしか知らなかったが、現物は予想とだいぶ違った。日本の大学が「Brotstudium(飯の種になる学問)」ばかりに走って崩壊する、と大層悲観的。それもこれも勉強嫌いが政治家になって、その政治家が大学教育をいじるから、と首大学を作った障子破り都知事閣下などを引き合いに弾劾するが、実務を進める官僚は勉強一筋...あ、文部官僚は別格か(某官僚から個人的に聞いた話なので具体的には書けないが、旧文部省の感覚って、ほかの霞ヶ関の人間から見ても異次元世界のものらしい)。

教育の「恐ろしさ」は、かつて神州は不滅でB29は竹槍で落とせると信じた軍国少年(1934年生)なので骨身に染みているのだろう。

過日、田中の訳した『ノモンハンの戦い』(岩波文庫)を読んだ(不覚にも国境を巡る小競り合い程度にしか認識していなかったが、大規模な戦闘だったとしって驚く)。従軍作家の見聞記である第二部は興味深い。もし日本軍があの大敗をしっかり総括していれば、第二次世界大戦の悲劇は避けられたかもしれない。ま、そうだと今でも徴兵制や特高が残っていたかもしれないので、歴史を変えてやろうとは思わないが(歴史に「もし」はないとは言え、大日本帝国が賢く欧米との対立を避けていたら、核兵器は開発されなかったかも...うーん複雑な気持ち)。

講演内容とは関係のないことだが、市民会館の椅子の傷み具合から地方経済の疲弊が見えたような気がする。街に少しはお金を落としてくるべきだったな。

市民会館の傷んだ椅子

翌日は岡山大学へ。岡山大学と言えば糟谷孝幸(1969年、機動隊員に撲殺される)という人もいるだろうが、私は『思想としての風俗』で紹介されていた、関西全共闘最後の砦を見たかった。「パルチザン前史」にも描かれていた、時計台を占拠した学生が圧倒的な警察力の前に敢えなく落城する刹那、最後に歌ったのが「仰げば尊し」だった−−今こそ別れめ、いざさらば−−という伝説の大学。

だが、大学にある時計台は図書館のもので、どうも様子が違う。

岡山大学付属図書館の時計塔


帰ってきてから調べてみると、どうやら件の時計台は大阪市立大学だったらしい。あれぇ、記憶って当てにならない。

もっとも調べているうちに、「パルチザン前史」での歌声は、現地の録音はヘリコプターの轟音ばかりで、人の耳には聞こえた学生の歌声が入っていないため、別に録音した歌声を重ねあわせたものという文章も発見。これは映画を見た時に、ヘリコプターの音に比べて歌声が不自然に感じられたことに符合する。え、それこそ作られた記憶だろって? うむむ


岡山駅のホームで見かけた四国学院大学の学生募集看板。私がこの大学について知っていることはただ一つ、傑作アホ映画サマータイムマシンブルースロケ地だったということ。おーおー、あの時計塔も描かれているね。

四国学院大学の広告

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2006/07/20

論文の著作権

mixiで「学術論文の複製権は学会に譲渡される」という書き込み。そんなことがあるものかと「編集著作権では」と書くと「いえ、この通り」と実例を示された。

驚いて所属学会の規定を調べてみた。以前は編集著作権と書いていたと記憶する日本生化学会は投稿規定お取り寄せなので日本農芸化学会の規定を見ると化学と生物BBB (Bioscience, Biotechnology, and Biochemistry)掲載論文の著作権は日本農芸化学会に属する.と明記してあった。知らないうちに世の中変わったらしい(前から?)。

そこで商業誌はどうだろうかと、天下のnatureの規定を見ると、これまた著者に著作権の譲渡をお願いすることはありませんが、代わりに論文の独占的な使用権はNature Publishing Group がもつことを認めていだくようサインをお願いしております。ただし、著者は自分の論文のPDFを自身や所属機関のウエブサイトに掲載することができます。と違いのわからないお願いが。

できるだけ多くの人に読んでもらいたい学術論文は誰に著作権があっても不都合はないけれど、ちょっと意外な感(著作者人格権は譲渡できない)。将来偉くなって、論文集を出そうなんてなると投稿先の許可が必要になる訳ね。リトラクトした場合はどうなるのだろう。:-p

それにしても学会誌の奥付にある複写についての注意書きは整合性があるようなないような(「著作権者」なんて書かずに「本会」と書いても良さそうな)。

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2006/04/29

午後19時って

朝の7時まで夜を徹してやろうというのかしら。

東大-産総研-理研連携によるバイオインフォマティクス教育インフラストラクチャー

日時:平成18年5月8日(月)午前10時15分〜午後19時30分

http://www.cb.k.u-tokyo.ac.jp/coe/event/2006/0508/

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2006/04/27

大胆! 捏造データで特許出願


研究上の不正行為に関して「捏造・改竄と盗用は本質的に異なる。前者は虚偽だから事実によって覆される。論文稼ぎには使えるが、ロイヤルティを取って世界にお披露目したら一発で化けの皮がはがれてしまう。」と書いたが、なんとなんと捏造データで特許出願をした猛者がいた。

8通りやったことになっている実験のうち5通りはやっていないことが確実。本人は「発明の価値をさらに上げるため(実験していないデータについて)予測可能な値として書いてしまった。」とコメント。発明の価値を上げるためとはどういう意味? 結果に違いはないけれど見栄え良く細工したというのとも違うようだ。

NEDOの研究助成が目的だった? 助成金をもらえれば結果を出す自信があったのだろうか。

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2006/02/28

シンポ「バイオリソースとライフサイエンス研究最前線」

クバプロから案内メールが届いた。

http://www2.convention.co.jp/nbrp/20060309.html

面白そうなので申し込む。どのアドレスに届いたメールかわからないのでアドレスの登録は適当に選択し、SSLの証明書が古いようだが構わず送信。

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科学者の論文捏造事件の背景とその防止策(裏報告)

セミナー「科学者の論文捏造事件の背景とその防止策」への参加報告を、mixiの某コミュに載せたものに大幅加筆して公式?ブログに載せた。

そちらでは省いたやばめの内容をこちらに移しておこう。

まずは黒川せんせのアジテーション。資料として配られた新聞記事では抑えてあるが、東京大・文科省批判をたっぷり。ご自身が東京大出なのに、と思って経歴を見たら医学部卒業が63年、67年まで院生となれば、ははぁアノ世代ですね。69年にペンシルバニア大に移ったのは戦後処理の国替え?

協和発酵のブルーノート(研究日誌)。頑丈な作り故に、かつては折檻にも使われたとか。(^^;

しかし研究ノートへの第三者サインで科挙の採点方法を思い出すとは、私の脳もまだ衰えてはいないようだ。いや、いよいよ引き出しの境が緩み出した?

むかーし、週刊誌アエラが「国立大学は頭脳の棺桶」と、国立大学の窮状を取り上げて、それで事態は(ある程度)改善したと思っていた。出身大学も久しぶりに訪ねたらきれいに改築されていたし。ところがまたまた窮乏化が進んでいたらしい。独法化で、それまで大目に見られていた?消防法・労働基準法その他諸々の法規制に対応するため研究費を削っているという話には、自業自得の面はあるとはいえ涙を禁じ得なかった。

最近は論文発表よりも特許申請が重視されるという傾向らしいが、それならば捏造・改竄は抑制される? 誰も見向きもしない鼻糞特許がインチキの吹き溜まりに? そういえば「出す事に意義がある」的投稿誌から論文を丸ごとコピーし、自分の論文としてこれまた同様のマイナー誌に投稿したら受理されたという事件もあったな(「サイエンティストゲーム」かその続編)。

この日は職安の説明会をすっぽかして参加したのだから、もう少し求職活動をしてくるべきであった。orz

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2006/02/26

ルール&マナー検定2006

インターネットにおけるルール&マナー検定2006上期が始まっていたのでやってみた。94点。

あなたは、インターネットについて職場や教育現場で指導的な役割を担う人として必要なルールとマナーの知識を身につけています。
本当のことを言ってもお世辞にはならないぞ。:-p どちらかというと「こども版(ふりがななし)」を連続5回クリアした方が実際的な気がする(つまり大人版はややマニアックな出題が散見される...オトナの問題はこども版ではあつかってくれないだろうが;クレジット決済など)

それにしてもさすがに百問回答はくたびれる。43分で片付けるのも無謀といえば無謀だが(1問平均26秒)。

間違えたのは「ルール」で5問(正答率83%)、「安全利用」で1問(正答率96%)。


サイバーモールの責任
忠実屋ペットショップ事件を逆に理解していた(原則としてモールの責任は問えないが、テナントとモールが同一体と誤認されても仕方がない態様の場合は有責)。
児童買春防止法
児童ポルノも持っているだけなら(今は)お咎め無しなんだ。
SOHOビジネス勧誘とクーリングオフ
通販にクーリングオフは適用されないという理解は合っていたが、SOHOビジネスの勧誘は通販ではなく業務提供誘引販売取引っていうんだ。だからクーリングオフは適用される。
契約の成立時点
平成13年に成立した「電子契約法」で到達主義、つまりpopサーバに届いた時点で未読であっても契約成立に変更。(って、その前は発信主義だからいずれにしても間違ってら)
e-文書法のメリット
データの改ざんが容易って、ぉぃぉぃ、電子署名は義務づけられていないのかい。しかし媒体の劣化などは問題だね。物理的劣化以前に読み出す機械がなくなりそう。
メールフィルタリングソフト
ケアレスミス(「間違ったものを選べ」だよ)。選択肢を見たら答えられると豪語している人もいるが、こういう罠があるからね。

例年間違えていた薬の個人輸入問題はクリアできた(けど忘れた)。

さて90点以上はインターネット利用アドバイザー試験を受けることができる、とあるがなんだかんだで20,000円近くかかる。それだけの価値はあるのだろうか? わ、15,750円は論文審査と面接の費用で、合格するとさらに講習料10,500円が必要なんだ。

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2006/01/16

昆虫の図鑑、青臭い恋愛小説、心と遺伝子(+同性愛)を聴いてきた

ジュンク堂トークセッション「昆虫の図鑑、青臭い恋愛小説、心と遺伝子(+同性愛)」を聴いてきた。企画は台場にある日本科学未来館らしい。

前半は演者である山元大輔教授が何をしているのか、という行動遺伝学の紹介。これがうけて、終了後の質問も大半が同性愛の遺伝子に集中。少しは本の質問もしましょうよ。

遺伝決定論は忌み嫌う人がいるし、虫の話をしているのにヒトのことだと誤解して怒り出す人もいるから少し心配だったが、軽妙に、慎重にさばいていたのはお見事。

少女^h^h^h^hショウジョウバエの性行動変異の話はもっと聞きたかった。特にsatori変異の脳の話は、聞き違いとは思うが合点がいかない(脳が雌化しても雄を追いかけるようにはなるまい)。また性行動異常で不妊になる変異系統の維持は大変だろう(「禁欲主義は遺伝しない」)。

さて、本のお話。ご自宅と研究室の書棚の写真を示しながら読書遍歴の紹介。実にいろいろな本をお読みになる。しかし「本はためない」主義で、引っ越しの度に処分するというのに、高校以前の本も残されている。どういう淘汰圧に耐えたのか、は興味深い。これについて「いろいろな本を読まれているが、共通点は?」という質問があったけれど、一つの共通点を求めるのは無駄だろう。読み手の心の琴線にしても一本とは限らない。

むしろ読み手の精神状況によって読みたい本が変わるのではないか。実験がうまくいってアイデアが次々湧いてくるような時はあまり本は読まないだろうし、論文が受理されて一段落という時と、行き詰まってしまいグラントの心配がのしかかっている時とでは、読みたい本は自ずと異なると思う。その辺りが意識化できれば、逆に手にとる本によって意識を変える事ができたりして。

また読書は個人的な営みと思われているが、友人等の影響が意外に大きい事を再認識した。

最後にお薦めの本の紹介。
いち・たす・いち」(中田力)
ヒトゲノムとあなた」(柳澤桂子)
まだあったかな? 柳澤さんは何となく避けていたけれど、ああ誉めるのなら読んでみようか、という気になった。これも他人の影響の重要性の証左?

後は雑感。
・やはりコーヒーやお茶ではなく、ビールか焼酎を前に聞くのがふさわしいと思う。(欲を言えば日本酒と天ソバか何かの台抜き関東だと天抜き?で)
・書棚の写真はプロに撮らせなさい。せめて撮影術を伝授して(ストロボが反射して書名が見えない)。
・一日は24時間、一週間は7日と平等に与えられている筈なのに...時間にも人によって濃淡がある。
・恋愛小説を読んだり、女性誌に連載を持ったりすることで脳が刺激されているだろうな(参考「男性なら、無作為に女性誌を買ってみよう」)
・生物系の人はSF嫌い、という事はないと思う。たとえば遺伝研にSF好きの人がいるのを知っている。
・研究室の机に載っているのはG4cubeだろうか。液晶モニタの前に小型ノートPC(Let's note?)がタンデムになっているのがカコイイ。
・館内放送で女性が「昆虫の図鑑、青臭い恋愛小説、心と遺伝子、同性愛」と繰り返していたのはなんとも。

終了後は即席のサイン会。並べて販売されていたうちから「男と女はなぜ惹きあうのか—「フェロモン」学入門」(+「ミーサイマガジン9」)を購入。先生、私の事は覚えていてくださいました。

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2004/12/19

戸板に載せて受験

転んで骨を折った師匠は、実は18日に大学院入学試験が控えていた。博士後期課程なので面接主体とはいえ、寝たきりの身には辛い。当初は病室から電話で面接という案も出たが、結局「大学まで来てもらわないと」という事務方の意見が通った。あ、そう。「構内までくればなんとか」とおっしゃるなら、車椅子なんて言わず、ストレッチャーで寝たまま行きましょう。そっちを担当している筆子が福祉タクシーを手配して乗り込み、本来の会場は3階なのに特別に1階で面接を行ってもらった。早く着いたら開始時間を繰り上げてもいただいたし、確かに配慮は感じられた。そうだよね、普通なら「残念でした。また今度」なのだから。

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