2011/10/31

第20回理学部公開講演会「理学が拓く未来」 に行ってきた

東京大学理学部の公開講演会「理学が拓く未来」を聞いてきた。

一階の聴衆。頭髪の様子からして平均年齢は高そう。聴衆の平均年齢は高そうだ。

金具を使わずに紙が綴じられている。配布資料はホチキスを使っていないエコ仕様?(メーカーによれば、ホチキスの針は外さなくても紙の再生に影響はない
演壇で歌うソプラノ歌手 第一部は20回を記念してのコンサート。歌手は伴奏が電子ピアノだったことへ遠慮がちに不満を述べていた(あとで思い出したが、5年前にはスタインウェイがあったはず)。またさりげなく、ソプラノ歌手への喝采はブラボー(bravo)でなくブラバー(brava)だと教育的指導も。

第二部は早野龍五教授と塚谷裕一教授による講演。初めは高校で習ったような内容だし、非常に分かりやすい話し方なのでふんふんと聞いていた早野教授の反物質のお話、どうやら難しさは飛び飛びの値を取るらしく、気がついたときには五里霧中。難しすぎる話で脳が過熱しないようにと意識がシャットダウンしてしまった。

気を取り直して聞く塚谷教授のお話。シロイヌナズナの属名はなんだったかなーとかUPバイオロジーはなくなったんだーなどと考え事をしているうちに危うく置いて行かれるところであった(ちなみにシロイヌナズナの属名はArabidopsis )

第三部がパネルディスカッション。自然科学系の学部は数あれど、ほとんどが基礎と応用を兼ねている。ひとり理学部だけが基礎研究一本槍というのは、冒頭に指摘されるまで気づかなかった。「こんなに役に立ちます」で研究費を取ってくるのが一番難しい。

ただ、学生というか受験生の意識は「基礎研究か応用研究か」なんてところにはないのではないか。どちらかというと受験科目とか偏差値とかが学部選びに重視される。実際、同じ大学の複数の学部に受験することは珍しくないはず。

一方教員の方も、「理学博士だから工学部には就職しない」みたいな贅沢は言ってられないはず。また新しい領域に取り組む場合は外から人を集めざるを得ず、「理学博士以外はお断り」とも言ってはいられないだろう。

とはいえ、「朱に交われば赤くなる」で、理学部にいれば〈理学部的発想〉は身につく。それは「科学は役に立ちます」とは少し離れたものなのかもしれない。(東京大文学部を出た人から聞かされた記憶がある、文学部の存在意義は役に立たないところにある、に通底するような)

壇上に並ぶ6人のパネリストと司会そうすると「(すぐには)役に立たない基礎研究の意義は?」「研究費を負担してもらう納税者にどう納得してもらうか?」が理学部と大学院理学研究科の存在に関わる課題となる。

これについて早野教授は小柴教授(ノーベル物理学賞受賞者)の「(ニュートリノ研究が社会の役に立つことは)ないね」発言をひいてみたり、冷戦華やかなりし頃アメリカの研究者が上院で、その研究は国防に役立つのかと問われ「国防に直接関係はしないが、この研究はアメリカを守るに価する国にする」と切り返した例を紹介したり、あるいはGPSは量子力学と特殊相対性理論と一般相対性理論の3つがそろわなければ実用化できなかったという例を引いたりして、役に立つにしても時間がかかる(量子力学からGPSまで約100年)と説明。これは最後の発言「基礎研究は打率が低い」に集約できるだろう。(私は「歩留まりが低い」という言い方を好む。)打率は低いけれど、時おり場外ホームランも出る、ということであろう。

(ソロの場外本塁打よりは走者一掃のヒットの方が価値がある、ってのは実学的発想なのだろう)

また、理学は世界観を変えるという主張もあった。たしかに「因果律が存在しない」「事象は確率的に起きる」「粒子であると同時に波である」などなどそれまでの常識がひっくり返るような発見があった。しかし、これ物理を専攻したのではない人、つまりほとんどの人にとって今でも (?_?) のままではないだろうか。その証拠に原子核の崩壊だの半減期だのは、いまもって理解されているとは言いがたい。

私達を変えたのは携帯電話やGPSであって、量子力学や相対性理論ではない、と言えないだろうか。

このへんのモヤモヤは塚谷教授の講演にも感じた。生物の多様性が大事って、本当に思っている人はどれくらいいるのだろうか。ありふれた魚と思っていたメダカが絶滅危惧種と聞いてセンチメンタルな気分に浸っているだけではないのか。その証拠に天然痘ウイルスの絶滅には誰も異議を唱えないではないか、といったら乱暴だろうか(さすがに乱暴ですね)。しかし、クマがお腹を空かしているからとよその山から運んできたドングリを撒いたり、川に訳のわからない微生物資材を流したり、メダカの池に間違えてアメリカメダカ(カダヤシ:メダカ減少の原因の一つと考えられる)を放流したりと、遺伝的多様性を無視した〈自然保護活動〉が盛んではないか。

舞文曲筆して暴言を続けるならば、ビッグバンとペイオフの区別がついていない人は2番目の多数派であると思う。最大多数派は「どっちも知らない」。

もっとも世界70億人の世界観が変わる必要はない。1億人が物理学を深く理解していれば現代文明は維持できるだろう(生物学者のほとんどは量子力学を理解していなくてもやっていけるだろうし、化学者の大半も相対性理論のお世話になることはない...よね?)

どうも納税者の理解を得るのは難しそうな雲行き...と思っていたところ、学生向け企画のはずなのに若い参加者が少ないのはどうしたことかというフロアの嘆きに塚谷教授が、幅広い年代に関心を持ってもらえていると逆転の発想で分析。税金もたくさん納めていらっしゃるようだ、には会場に笑いが。

物理系の院生が集う〈夏の学校〉で、抜き打ちに原発関係のテストをしたら惨憺たる結果だったなど、他にも興味深い話は多々あったけれど、それらは公式のまとめに期待して筆を置く。

(「科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である。」については『科学者とあたま』を全部読んでから改めて触れたい。)

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2011/07/28

フルートは木管楽器ですが

ひょんなことから日本クラシック音楽コンクールの関東地区予選を見(聴き)に行った。

ところが主催者のウェブには開催日と会場の情報しかない。そこで会場のウェブを見ると、なんとコンクールについての情報は全くない。わずかに催物カレンダーに「利用有」とあるだけ。いやなことに進入禁止のようなマーク赤い円に右上から左下へ赤い斜線の記号が付いている。ソースを見るとsold.gif。

そんなこんなで当日を迎えてしまった。それまでに入場は無料らしいこと、来場者はほとんど参加者の関係者、会場には受付もなくて出入り自由らしい、といったことの調べは付いていたが、いかんせん何時から始まるのかが分からない。そこで主催者に電話をしてみたが、誰も出ない。会場となるホールに電話をしてやっと13時からと判明した。(電話をするならもっと早くに!)

コンクール自体についても何も知らなかったので少々調べてみると、「難易度の高い曲を選び、短い時間でピーアールしなくてはならないコンクール」(PRではなくてアピールではないか?)、「デュティユーのソナタなんかをどうだまいったかとばかりに弾く人が多数いらっしゃいます。無調の現代曲を弾くとやっぱり評価が出やすくなりますから。」(Yahoo!知恵袋)とのこと。

というわけでドキドキしながら会場へ向かう。日暮里駅からすっかり立派になった京成線に乗って青砥駅で下車。乗ったのは成田空港行きだが、降車ホームと出口との間にはもう一本ホームがあって、そこは羽田空港行き電車が来るという。間違える人はいるんじゃないかな(羽田空港駅の電車案内も相当シュールらしいが)。

かつしかシンフォニーヒルズ

会場に着く。予想通りなんの案内表示もない。ホール前ロビーにはいかにも出場者という一組。普通なら受付となる辺りに進行表が貼ってあった。ホールに入ってみると、用意はできているが誰もいない。これはなかなか見ることのできない光景。ビビって一度は出てしまったが、ロビーには出場者や関係者が増えてきたので入り直し、こんなこともあろうかと持参した新書を読むことにした。
部門・部・参加番号・開始時刻・終了時刻の書かれた進行表

定刻になると館内放送があって、最初の参加者が3人組で登場(伴奏と譜めくり)。演奏するのはマリンバ。知らない曲なのでよくは分からないが、たぶん上手いのではないだろうか。終演後、率先して拍手をする人がいたので追随。むかし、ジェネセルワークショップに参加したところ、ある座長が演者への拍手を要請し、この習慣を学会発表にも広めたいと話していたのを思い出す。打楽器部門はこの一人で終了。伴奏のピアニストは知人の誰かに似ているような気がしたけれど思い出せない。

次がフルート部門。さらに細かく小学校高学年・中学・高校・大学・一般と部に分けられている。放送を聞くと男女も分けられているようだが、これは聞き違いかもしれない。声楽ならともかく、楽器を男女別にする意味が分からない。

最初は小学生だが、素人耳には「えっ」と思うほどそつがない。ただ、次の中学生もそうだったが、息継ぎの音が響く。そういえばカザルスホールであったアマチュア音楽フェスティバルでも、息継ぎ音の大きい人がいた。ゴールウェイならどうだろう。チェロ奏者のカザルスは演奏中に唸りだして、録音にもはっきり残っているけど、これはまぁ別の話。

可愛いお嬢さんがハァハァ喘ぐのを見るのは、などとアホなことを考えているうちにどんどん進行。知らない曲ばかりで、たまにモーツァルトが出てくるとほっとする。Yahoo!知恵袋で例に出されていたデュティユーのソナタも演奏された。バルトークを連想させるなかなか趣きのある曲。この機会がなければ一生聴くことはなかっただろうと思う。ありがたやありがたや。

ところでフルートという楽器、今は金属製だけれど、もとは木製で、それで木管楽器に分類されている。ところがフルート部門の次は木管楽器部門だという。どういうことだ? あらためてこのコンクールの部門分類を見ると、ピアノ、ヴァイオリン、弦楽器、フルート、木管楽器、金管楽器、声楽、打楽器となっている。なるほどヴァイオリンが弦楽器から分離されているように、フルートも木管と分けているようだ。たぶんどちらも奏者が多くて、一緒にやるとその他の弦楽器(チェロ、ビオラ、コントラバス、ギター、アルペジオーネ?)や木管楽器(クラリネット、オーボエなど)が割を食うのかな。この予選会でもフルート9人に対して、その他木管は総勢で5人だった。これも会場に行かなければ気付かなかったであろう。

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2010/05/08

18禁 ショパン

4日から5日かけて、東京オペラシティコンサートホールで開かれた横山幸雄のショパン・ピアノソロ 全166曲コンサートを聴いてきた。

朝9時から始まり終演は25時という、なんともすごいコンサートだ。いくらショパン生誕200年記念の年とはいっても、ふだんなら「ふーん、すごいね」ですませてしまうのだが、今回はなぜか通し券を購入していた。魔がさしたとしか思えない。

深夜にかかるため第四部は「18歳未満お断り」というのはいいのだが、チケットにも「公共交通手段は無い場合があります」と書かれているように帰りの足が問題。結局、会場の近くのホテルを予約した。ネットカフェやカプセルホテルで十分だったかもしれないが。

まるで耐久レースのような166曲演奏、しかも総暗譜とは際物企画のようにも思えたものの、ベートーベンのピアノ協奏曲全5曲連続演奏の経験を読んで、なんとなく納得できた。ランナーズハイにも似た感覚があるようだ。ある種の憑依を期待しているのかもしれない。

実際、終盤になると音の響きが変わってきた。華麗と言う言葉しか思いつかないけれど、とにかく響き渡る。ほかの聴衆は大喜びで、最後はスタンディングオベーションだったけれど、個人的にはちょっと響かせすぎに感じた。もとの曲からしてそうだったのかもしれないが、いささか鼻白む思いで「アマデウス」のローゼンベルク伯爵の台詞「音符が多すぎる!」を思い出してしまった。ピアニストの名誉のために付け加えておくと、終盤でも静かな曲は静かに弾いていたし、最後の幻想ポロネーズもオーバーアクションではなかったが。

「あれ、こういう曲だっけ?」というところがあったとはいえ、集中して全部というのは、聴く側にとっても得難い経験であった。惜しむらくは、曲についての予習が不足していたこと>自分 (軍隊ポロネーズを聴きながら、mixiの「灰とダイヤモンド」コミュで間違ったことを書いたかなどと心配するのは誉められたことではない)

なお24時間以内でもっとも多い曲数を1人で弾いたアーティストとしてギネス記録の認定を受けたけれど、これはいわば余興であって、多く弾けば良いという話ではない。多くの曲をちゃんと芸術的に演奏したことが素晴らしいのだ(加えて構成を考え楽譜を吟味した点も)。数とか時間ばかりを取り上げるのははしゃぎ過ぎだし演奏家に対して失礼だろう。カウントダウン的な場内放送も興ざめだった。


なお、演奏家の模様はTOKYO FMで生中継されたほか、5月11日フジテレビ「めざましテレビ」で特集されるとのこと。

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2008/11/08

ボロディンのピアノトリオ?

やるべきことに手がつかない一日だ。

昔NHK-FMの「午後のリサイタル」という番組で使われたテーマ曲が気になっていた。哀愁に満ちたメロディーで、全体を聞きたいのだが、テーマ曲なのでいつも途中で切られてしまい、欲求不満。ピアノトリオあるいはピアノカルテットらしいということしか分からない。

先ほどたまたまWQXRを聞いていたら、懐かしいメロディーが流れて来るではないか。注意深く聞いていると、終了後に「ボロディン」と言ったようだ。なるほど、ボロディンね。曲のイメージは一致する。

(続きも聞けたのだからこれで満足しても良いのだが。)

正確な曲名を知り、可能ならば購入しようとして調べだすと... 検索では「ボロディン弦楽四重奏団」が大量にヒットしてしまうため、ボロディン作曲のものが埋もれてしまう。-"ボロディン弦楽四重奏団"とnot検索をしても「ボロディン・トリオ」を除けない。困ったものだ。

wikipediaで「ボロディン」を見てもそれらしい曲は載っていない。

それでもいろいろ探してみると「ボロディン:ピアノ三重奏曲ニ長調」のCDが見つかった。これかなぁ? すでに品切れなので購入して確認はできない。


ちなみに1994年頃、月-金の15:40-16:00に放送していた番組。(なんでそんな時刻に聞けたんだ?)

もしかしたら「FMリサイタル」かもしれない。

というのも、「午後のリサイタルのテーマ曲であるピアノ四重?奏は林光の作曲」という情報があるから。もっともその人(林本人に確認し、楽譜も貰ったと言う)は「30年以上も昔」と書いているので、長寿番組ひしめくNHK-FMでも別番組かもと思った次第。

なお、林のその曲はCDなどにはなっていないとか。

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2007/03/31

しばしも休まず

大学は化学系だったので、研究室にはガラス細工の場所があった。入ったばかりの4年生(卒業後は僧侶になる修行にはいった異色の人物)が、そこでフイゴを踏みながら「しばしも休まず♪」と歌って院生を喜ばせたことがあった。

そんなことを、NHKの「みんなの童謡」を聞きながら思い出した。あれ、歌詞が違わないか? ところが調べてみると、違っていたのはこちらの記憶で、正しい歌詞は放送通り「しばしも休まずつち打つ響き。飛び散る火花よ、はしる湯玉」(当初は「しばしもやまずに」だったがそれとは別の話)。

余談になるが三番の「刀はうたねど」は、大日本帝国が崩壊して軍備を廃棄したのとは無関係で(そういう説明を聞いた記憶もあった)、少なくとも1933年にはこの歌詞。尋常小学唱歌(四)に発表されたのは12年とのことなので、ワシントン軍縮条約(22年)も無関係。

こういったことがわかるのも歌詞を載せているサイトがあるからで、もし著作権が云々されて公開されていなければ、あやふやな記憶を正す機会は狭められてしまう(もっと困るのは不正確な異説の乱立)。

ちなみに「村の鍛冶屋」は作詞者・作曲者ともに不明とのことなので、公表後50年は経過しているもののひょっとすると著作権は継続しているかもしれない。JASRACは著作権は消滅したという態度で仲介はしてくれないから、「私が作詞しました」という老人や「49年前に物故した親の作品」という人が出たら大変だなぁ。

著作権を、著作者の死亡70年後まで保護しよう(現行は50年)という動きがあるが、権利を主張するからには義務も全うしてほしいもの。著作権法はその目的に「文化の発展に寄与すること」を挙げているのだから、「権利者が分からない」「どこに許諾を求めたら良いか分からない」という状況は法の趣旨にもとる。権利の上に眠るものは保護されないのだから、死後70年間しっかり権利関係を明らかにし、許諾申請も滞りなく処理してもらいましょう。(誰がその費用を負担するのかな。)

なお、現行法でも「相当期間にわたり公衆に提供され、若しくは提示されている事実が明らかである著作物は、」「相当な努力を払つてもその著作権者と連絡することができないとき」に限って、お役所に供託金を納めれば利用できるそうですけど...商用ならともかく面倒な話。かくてOrphan Worksが増えて行くのでしょうか。ミッキー功なりて、万骨枯る。

続きを読む "しばしも休まず"

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2005/11/05

情けないぞ?NHK

3日の夜、ぼーっとNHK総合テレビを見ていたらとんでもないテロップが。

静かに寝むる
女は静かに寝むる
(河島 英五「酒と泪と男と女」)

これは「眠る」でしょう、普通。生放送中に大物歌手が歌詞を間違えた途端にテロップを消した技術力があるNHKなのに、なんという初歩的な... (大物というだけではダメで、別のファクターも必要?)

それともオリジナルが「寝むる」なのでしょうか。そう思って「酒と泪と男と女 寝むる 眠る」で検索をかけると、

「眠る」と書くべきところを「寝むる」と書くところが、河島」
というブログ記事を発見。でも「河島英語である。」なんて書いてあるので信憑性減。

もっとも2001年の紅白歌合戦では「眠る」だったことが批判されているらしいので、やはりミスではなくて原典忠実路線で合っている?

それでも教育的な配慮から、眠るに直す(歌詞中のポルシェをクルマと言い換えさせたという天下のNHKなのだ)か、せめて「寝むる」と、「普通の用法じゃありませんよ〜」を強調すべきでは無いだろうか。

それにしても、検索してみるとなんの疑問ももたずに「寝むる」と書いている人の多いこと(平然と「寝むる」と「眠る」を混在させている人も)。心配になって辞書を引いてしまいました(「寝むる」は大辞泉にも大辞林にも載ってません)。

こういう混乱は、原典にすぐ当たれるようにしてあればかなり防げる。複製権を盾にネットでは検索できないようにしてあるのでしょうが、間違った複製の多発でかえって同一性保持権がぼろぼろに。複製権と同一性保持権、無理に比較したら人格権である後者の方が重要だと思いますがね。複製権が切れた時に紛い物コピーだらけという状態が、果たして好ましいことなのか。


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2005/06/18

spam a lot!

今年のトニー賞、日本の新聞は宮本亜門が受賞を逃した、を見出しに持ってきたせいで、記事を読まず、したがって何が選ばれたのか知りませんでした。

と、12日の「芸術劇場」(NHK教育)を観るともなしに流していると、不意に聞き覚えのある音楽が。

Bravely bold Sir Robin rode forth from Camelot.♪

おお、モンティパイソンの映画「モンティパイソンとホーリーグレイル(MONTY PYTHON AND HOLY GRAIL)」をもとにした「スパマロット」がミュージカル部門最優秀作品賞に選ばれたというのだ。画面にはエリック・アイドルが。この人は歳をとってもあまり容貌が変わらない。ジョン・クリーズ(ハリー・ポッターにでている)がすっかり老けてしまったのとは大違い。

「ホーリーグレイル」は、今では伝説のコメディ集団「モンティパイソンズ」がアーサー王伝説を徹底的におちょくった映画。

ちなみに迷惑メールのことをspamというが、これはスパイスの利いたランチョンミートの缶詰(ホーメル社のSPAM:大文字)をネタにしたモンティパイソンのスキットが元。(お堅いBBCの放送の中でspermと連呼するための偽装ではないかと推測している。)

ミュージカルのタイトルspamalotはアーサー王の居城Camelotとa lot of spamの両方にかけているのだろう。

トニー賞授賞式の模様は18日、NHK-BS2で19:30から放送されます。たぶんスパマロットの触りも放送されるのではないかと期待。

またネット上を探してみるとThe Ballad of Brave Sir Robinなどを聞くことができます。

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2005/01/23

Salling Clicker

2ちゃんねるの「正直iPodがこれほどの物だと思わなかった人→ 」というスレを眺めていたら、 Bluetooth でマックをリモート操作する SallingClicker というソフトがあるという。おお、これは使えそう。

実は私もiPod登場時「ふーん」と思った口(その頃、突発性難聴で聴力を失っていたこともありますが)。それで「恥ずかしながら私も先見の明のない一人」と思って読み始めたら、その謙虚さに天が感じるものがあって?いいことを発見した。v(^^)

私の携帯電話はbluetooth対応だし、それようにBT対応のclieも持っている。寝床にいながらにしてBTイアホンでiTunesを使えるな(今日も、遠隔操作ができないので面倒臭がってシャッフルにしておいたら、ブルックナーの次にアイヌの歌と言う凄まじい事態に)。

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