第20回理学部公開講演会「理学が拓く未来」 に行ってきた
東京大学理学部の公開講演会「理学が拓く未来」を聞いてきた。
第二部は早野龍五教授と塚谷裕一教授による講演。初めは高校で習ったような内容だし、非常に分かりやすい話し方なのでふんふんと聞いていた早野教授の反物質のお話、どうやら難しさは飛び飛びの値を取るらしく、気がついたときには五里霧中。難しすぎる話で脳が過熱しないようにと意識がシャットダウンしてしまった。
気を取り直して聞く塚谷教授のお話。シロイヌナズナの属名はなんだったかなーとかUPバイオロジーはなくなったんだーなどと考え事をしているうちに危うく置いて行かれるところであった(ちなみにシロイヌナズナの属名はArabidopsis )。
第三部がパネルディスカッション。自然科学系の学部は数あれど、ほとんどが基礎と応用を兼ねている。ひとり理学部だけが基礎研究一本槍というのは、冒頭に指摘されるまで気づかなかった。「こんなに役に立ちます」で研究費を取ってくるのが一番難しい。
ただ、学生というか受験生の意識は「基礎研究か応用研究か」なんてところにはないのではないか。どちらかというと受験科目とか偏差値とかが学部選びに重視される。実際、同じ大学の複数の学部に受験することは珍しくないはず。
一方教員の方も、「理学博士だから工学部には就職しない」みたいな贅沢は言ってられないはず。また新しい領域に取り組む場合は外から人を集めざるを得ず、「理学博士以外はお断り」とも言ってはいられないだろう。
とはいえ、「朱に交われば赤くなる」で、理学部にいれば〈理学部的発想〉は身につく。それは「科学は役に立ちます」とは少し離れたものなのかもしれない。(東京大文学部を出た人から聞かされた記憶がある、文学部の存在意義は役に立たないところにある、に通底するような)
そうすると「(すぐには)役に立たない基礎研究の意義は?」「研究費を負担してもらう納税者にどう納得してもらうか?」が理学部と大学院理学研究科の存在に関わる課題となる。
これについて早野教授は小柴教授(ノーベル物理学賞受賞者)の「(ニュートリノ研究が社会の役に立つことは)ないね」発言をひいてみたり、冷戦華やかなりし頃アメリカの研究者が上院で、その研究は国防に役立つのかと問われ「国防に直接関係はしないが、この研究はアメリカを守るに価する国にする」と切り返した例を紹介したり、あるいはGPSは量子力学と特殊相対性理論と一般相対性理論の3つがそろわなければ実用化できなかったという例を引いたりして、役に立つにしても時間がかかる(量子力学からGPSまで約100年)と説明。これは最後の発言「基礎研究は打率が低い」に集約できるだろう。(私は「歩留まりが低い」という言い方を好む。)打率は低いけれど、時おり場外ホームランも出る、ということであろう。
(ソロの場外本塁打よりは走者一掃のヒットの方が価値がある、ってのは実学的発想なのだろう)
また、理学は世界観を変えるという主張もあった。たしかに「因果律が存在しない」「事象は確率的に起きる」「粒子であると同時に波である」などなどそれまでの常識がひっくり返るような発見があった。しかし、これ物理を専攻したのではない人、つまりほとんどの人にとって今でも (?_?) のままではないだろうか。その証拠に原子核の崩壊だの半減期だのは、いまもって理解されているとは言いがたい。
私達を変えたのは携帯電話やGPSであって、量子力学や相対性理論ではない、と言えないだろうか。
このへんのモヤモヤは塚谷教授の講演にも感じた。生物の多様性が大事って、本当に思っている人はどれくらいいるのだろうか。ありふれた魚と思っていたメダカが絶滅危惧種と聞いてセンチメンタルな気分に浸っているだけではないのか。その証拠に天然痘ウイルスの絶滅には誰も異議を唱えないではないか、といったら乱暴だろうか(さすがに乱暴ですね)。しかし、クマがお腹を空かしているからとよその山から運んできたドングリを撒いたり、川に訳のわからない微生物資材を流したり、メダカの池に間違えてアメリカメダカ(カダヤシ:メダカ減少の原因の一つと考えられる)を放流したりと、遺伝的多様性を無視した〈自然保護活動〉が盛んではないか。
舞文曲筆して暴言を続けるならば、ビッグバンとペイオフの区別がついていない人は2番目の多数派であると思う。最大多数派は「どっちも知らない」。
もっとも世界70億人の世界観が変わる必要はない。1億人が物理学を深く理解していれば現代文明は維持できるだろう(生物学者のほとんどは量子力学を理解していなくてもやっていけるだろうし、化学者の大半も相対性理論のお世話になることはない...よね?)。
どうも納税者の理解を得るのは難しそうな雲行き...と思っていたところ、学生向け企画のはずなのに若い参加者が少ないのはどうしたことかというフロアの嘆きに塚谷教授が、幅広い年代に関心を持ってもらえていると逆転の発想で分析。税金もたくさん納めていらっしゃるようだ、には会場に笑いが。
物理系の院生が集う〈夏の学校〉で、抜き打ちに原発関係のテストをしたら惨憺たる結果だったなど、他にも興味深い話は多々あったけれど、それらは公式のまとめに期待して筆を置く。
(「科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である。」については『科学者とあたま』を全部読んでから改めて触れたい。)
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