2013/10/19

「EMについて考える」

ジャパンスケプティクス公開討論会「EMを考える」を聞いてきた。討論会と言っても白熱議論ではなくて、3人の講演の後、1人加えて4人でパネル討論。

EMとは有用微生物(Effective Microorganisms)の略語で、元は農業用微生物資材。株式会社EM研究機構のサイトを見るとしっかりと™(トレードマーク)が付されていた。

EMとの付き合い


実はEMとは1990年代に、微生物による汚水処理や有機廃材の堆肥化に取り組んでいるときに出会っている。そのころは生ゴミを全部素晴らしい堆肥にするのでゴミ問題解決の最終手段みたいな触れ込みだったと記憶する。幸いにもほどなくして土壌肥料学会が「ほかと大差なし」と総括し、週刊誌もトリックを暴いて話を広げすぎだと批判したことで深入りしないで済んだ。

その後、経営者らに人気の(私が密かに「おやじのオウム真理教」と批判していた)コンサルタントから寵児のごとく推されていたが、個人的にはオワコン(終わったコンテンツ)認定。セラミックに焼き固めても効果があると言い出すに至っては、大喜利以外で触れたら××が伝染りそうで。

しかし西に口蹄疫禍があれば行って「口蹄疫に効く」、東に原発事故があれば「放射能を消せる」と今に至るもしぶとく生き残っているのを見るにつけ、(自分に何ができたかはひとまずおいて)頭を潰しておくべきだったという後悔の念を抱かざるをえない。

EMの主張を検証する


最初の講演は小波秀雄(京都女子大教授)による「EMとはなにか―その主張を検証する」。農業関連に始まり、健康と医療に関する効能、環境への効能、建築材料への応用が主張されている様が示される。常識があれば「なんにでも効く」には胡散臭さを感じるはずだが、開発者御自ら「EMの万能性」を謳って恥じるところがない。支持者も疑問を感じないようだ(下図の赤丸は引用者が付した)。

株式会社EM研究機構のサイトには「EMの万能性の再確認」という記事が。

であるならば、「大沢崩れはもともと植生のないガレ場なので、EMを撒けば植物が生えて崩落が止まるなんてのはナンセンス。それができたらむしろ環境破壊。」などという理詰めの批判は効果がない。売り出し当初は農産物の増収が謳いだったのが、ゴミ処理、水処理、疾病治療...と風呂敷を広げていく過程をその当時のニュースと並べて追っていけば、耳目を集める効能を追っかけている様子が見えてくるのではないだろうか。収穫という形で効果が目に見える農業分野でEM熱が冷めているなら、それを示した方が説得力がある。「あなたは4匹目のドジョウ」だと。

初期の普及に農協(JA)が関わったのは婦人部の影響が大きいという指摘もあった。どうも生ゴミ処理が第一義。かつてのEM批判の中には「EMコンポストが良い肥料だというのは農業をやっていない人の意見」というのもあった。農協婦人部としてはゴミが片付き、ついでに肥料になるならくらいのつもりであったのかもしれないが、それが都会の人間の手にかかると「EMぼかしは素晴らしい肥料」に化けてしまう。ゴミ処理という自分の都合を覆い隠し、「あなた(農家)のためだから」と親切顔。2002年に都内某市で開かれた生ゴミと選定枝の資源化を巡るシンポジウムで、出席した農家が苦々しげに農地はゴミ捨て場ではないと発言したのが思い出される(家庭ゴミから作ったコンポストにはプラスチックなど未分別のゴミが多かったせいもある)

それにしてもスーパーサイエンスハイスクールの中にもEMを肯定的に取り上げている学校があるというのには驚いた。その研究成果を学会で発表して質疑を受けたり、科学雑誌に投稿して査読を受けるまでやるならば良いではないか(そうやって本物の科学の厳しさを思い知れ、そこまでやらないならばSSHの看板を下ろせ)という意見もあるが、「重力波」とか「波動」とかを持ち出している時点で変だと勘づかないのは致命的にまずいだろう。これを正す簡単な方法はおそらく(大学)入試。入試の理科や国語でEMのおかしなところをとりあげるならば、予備校や熱心な高校は傾向と対策として疑似科学文書を正しく読み取る技術を指導するようになるだろう。簡単なものならば高校や私立中学の入試でも取り込める。と学校に丸投げして済む話でもない。学外でできることは題材として取り上げられるような文書を公表することで、これなら環境や微生物の専門家以外でも協力できる(ただし、その筋からの圧力への備えも必要)。国語の入試問題であれば理科よりも受験者は多いので、効果がより期待できる。社説やコラムが出題されることが自慢の新聞社もぜひここで名誉挽回を図ってもらいたい。

地方行政と教育に食い込むEM


2番目の演者は朝日新聞青森県版に「EM菌効果「疑問」検証せぬまま授業」という6段に及ぶ批判記事を掲載した長野剛記者。

全国紙といえども地方支局は人手不足。しかも新人社員の修業の場。「地方面って、写真が多いでしょ(埋草として手軽)」には会場から失笑。いきおい送られてくるイベント情報などに頼ってしまい、「川をきれいにする運動」などを無批判に記事にしがちらしい。そんな記事不足を逆手にとっての6段ぶちぬき記事(そういえば、弘前大学教授夫人殺し事件の再審をもたらしたのも、「白紙で新聞は出せませんよ」とデスクに追い立てられた記者が、労組事務所の掲示板で見かけた松山事件―これも後日、再審で無罪に―の署名を集める死刑囚の母の話を記事にしたのがきっかけの情報提供だった)

意表を突かれたのは、取材の後半になってその意図(EM批判)を告げて続けたということ。記事をよく見れば「教師は、効果に疑義があると知り「生徒にはきちんと説明したい」と語る。」とあるので、騙し討ちにしたのではないと分かるのだが、オープンな人だなぁと感心。もっとも当の教師は真っ青になったそうである。質問タイムは押していたせいもあって指名されなかったため、後で個人的に質問をしたところ、指導していた教諭の担当科目は不明(イメージからすると国語とか芸術とかか。少なくとも理科ではなかった。)。また理科教諭の態度を聞くと、どうやら批判を口にはしていたらしい。想像するに、EM自体は県から配ってくるし〈培養〉に使う米の研ぎ汁は生徒が家庭から持参するしで費用が大してかからないこと、また課外活動であることから、積極的に反対するほどではないと判断したのだろうか(この点は長野記者自身「人が死ぬわけでもないし」と他の記事を押しのけて掲載するほど積極的ではなかったことに通じるような)。講演中もしきりに「前任から引き継いだ教師だけを責めるのは可哀想」と庇っていた。

長野記者は津の出身で大阪勤務の経験もあるせいか、関東者の耳目には〈いかにも関西人〉という感じのノリの良さで話されていた。あの調子で取材されたら寡黙と言われる青森の人は困るだろうな、と余計な心配をしていたが、これも終了後に会場で尋ねたところ、赴任先ではできるだけ現地の言葉を使うよう努力されたとか。

EMは水質を浄化できるか


3番目は底生生物の研究者である飯島明子(神田外語大学准教授)による「EMは水質を浄化できるか」。できるか、の話が出てくるかと期待したが、延々と続くのは水辺の生態系の話。どうなるのかと思ったが、レジュメを見たら末尾に「EMはどれにも寄与しないので不要です」とゴシックで書かれていて吹き出しかけた。

下水処理場や浄化槽の曝気槽と現実の水辺は違う。おかしな科学を振りかざす人はしばしば質量不変の法則を無視するが(無視するどころか生体内元素転換だなんて錬金術師みたいなことを言い出す人まで)、EMのような方法では富栄養化の原因の一つであるリンを取り除けないのは明白であるし、もう一つの悪玉であるチッ素の除去には硝化菌と脱窒菌の連携が必要で、その酸化と還元が交互に起きる環境は干潟あるいは渚が提供している。環境がなければ微生物だけあっても意味はない。

ちなみに諫早湾干拓地の調整池(例の堤防で仕切られた淡水域)にEMは投入されており、それが水門をあけさせないためだと比嘉照夫が発言したことに飯島さんはいたくお冠。なんの効果もないことは「諫早湾 ユスリカ」で動画検索をすれば分かるというのでやってみた。いやぁ、すごい。

ちなみにユスリカは富栄養化した水域で特に多く発生する。実は幼虫(アカムシ)が水中の有機物を食べて育ち、空中に飛び立つことで水の浄化に貢献しているというのも皮肉な話。鳥が食べて、死骸が水に戻らなければチッ素・リンも含めて除去できるのだが。

EMは手強い


最後のセッションは講演者3名+菊地誠(大阪大学教授)によるパネルディスカッション。最近、EM研究機構から大学総長宛に抗議文?が届いた菊池教授、EMを担ぐ人びとのしぶとさ、手強さを語る。たしかに土壌肥料学会がノーを突きつけて農業用微生物資材としては大したことはないと知られ、また『カルト資本主義』で科学というよりは信仰と指摘されてから20年近く、フィールドを変えながら勢力は衰えない(ただし、今も活発に見えるのは草の根の活動が可視化された効果もあるかもしれない。新聞の埋草記事もネットで全国から閲覧できるし、SNSでの告発も多い。ニセ科学の横行を知る人達の危機感をかきたてた「EMで放射能除染」にしても、福島県内で実際に行われた例は少なく、どうも県外向けの宣伝が主目的ではないかという疑いも。)。朝日新聞青森総局に乗り込んできたDNDの出口俊一は、あまりに弁が立つので感心した局長が経歴を尋ねると産経新聞の記者だったということも。ただのトンデモさんの集まりではない。

新聞の問題は重要で、長野さんが学校だか役所だかで「EMは効きますよ」という人から見せられた〈資料〉の大半は新聞記事の切り抜きだったという。また特に全国紙の中には「〈敵〉は政府と大企業」という意識があって、いいかえると新聞はその2つをチェックするのが第一の仕事と思っているから、市民団体や児童生徒がやってる〈環境保護活動〉が有効かどうかを疑おうという発想がない、と。人手不足の地方支局にいる経験不足の若手記者が〈狙われ〉やすいことは分かっているので取材の基本の徹底で臨みたいとおっしゃるが、どこまで期待できるだろうか。

単に「EMはだめ」「永久機関もだめ」とブラックリストと照合するやり方では新しいイカサマに引っかかる。組織的な対応が必要だ。最近のイグノーベル賞は「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる」まともな研究の受賞ばかり報道されるけれど、元はノーベル (Nobel [noubél] ) に、否定を表す接頭辞的にIgを加え、英語の形容詞 ignoble [ignóubl]「恥ずべき、不名誉な、不誠実な」にかけたもので、実際受賞者の一覧を見るとホメオパシーの研究家やUFO研究家、また独裁政治家や核実験を強行した政治家にも送られている。同じように恥ずべき科学記事を〈讃える〉賞を設け、(執筆した記者にではなく)社長や科学部長に贈呈すれば、社内教育に危機感を持ってくれるだろうか。新聞境界賞とか。

もっとも朝日新聞と毎日新聞のEM記事を数え上げてみると、毎日新聞は斗ヶ沢秀俊記者の努力にもかかわらず2013年になってもEMを肯定的に取り上げる記事が絶えないのに対し、朝日新聞はそれまで年10本以上掲載されていたのが2012年以降ぱったりと途絶えているそうで、これは記者のリテラシーが向上したというよりは、EM(研究機構)側のメディア戦略(=「朝日は敵」)があるのかもしれない。だとすれば(相対的に狙われる報道機関が出るとはいえ)働きかけを受けない報道機関が橋頭堡として機能することが期待できる。

最後に「水商売ウォッチング」を主宰し業者との裁判闘争の経験もあるapjさんから、業者らから訴訟攻撃を受けないための注意がなされた。主張するのは証明可能な事実に限定し、かつ名誉を毀損するような表現を慎むこと(ちなみに名誉毀損は真実の指摘でも成立するが、公益を図る目的であるなど条件を満たせば免責される)。あることないこと罵倒していると、身許を暴かれて提訴される危険があるのでご用心。

なお、ジャパンスケプティクスは変な人が誤解して入会しないように敷居を高くしたところ、会員の自然減を補えなくなっているとか。興味のある方はサイトを覗き、気に入ったら入会してください。早くも(ないか)本討論会の要約が載っている。

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2012/11/30

彫塑「砲丸」の帰還

前のエントリーで、朝倉彫塑館の屋上にある彫塑「砲丸」は、建物が工事中にもかかわらず外から見えるようになっていることを紹介したが、調べてみるとこの秋まで撤去されていたことが分かった。

彫塑の名前を調べるために「朝倉彫塑館 屋上」で検索し、どうやらそれは「砲丸」らしいと分かったところで「朝倉文夫 砲丸」で検索しなおすと「工事進捗状況 平成24年7月から平成24年10月 - 台東区役所」というページが2番目に現れる。ところがこのページを見ようとすると、「■ページが見つかりません」となる。「平成22年12月6日にリニューアルしました。アドレス(URL)が変更されている場合があります。」とあるので、台東区のトップページへ戻りサイト内検索で「朝倉彫塑館」を探すと、またもや「■ページが見つかりません」となる。おかしいなと思いつつトップページの「文化・観光情報」から探そうとするが、分け入っても分け入っても...見つからない(後で逆引きしたところ「台東区立の文化施設・アートギャラリー」→「主な文化施設」→「朝倉彫塑館(休館中)」→「朝倉彫塑館ホームページ」と判明)

そういえば、朝倉彫塑館のホームページに「保存修復工事の状況について」という項目があったな、と思い出し、覗いてみるとありました「工事進捗状況 平成24年7月から平成24年10月」。「朝倉文夫氏が暮らしていた当時のように豚面の彫塑から上水を出すことができるかどうか」「損傷を防ぐために布でしっかりと包み、 重量400kgの「砲丸」をタワークレーンで吊り上げて屋上まで運びました。」というスニペットにあった文章もちゃんとある。(2つのURIを比較したところ、googleの検索結果が
http://www.city.taito.lg.jp/index/bunka_kanko/bunkashisetsu/
asakurachosokan_koji/asakura2012_7-10.htmlなのに対して実際のページは
http://www.city.taito.lg.jp/index/bunka_kanko/bunkashisetsu/
oshirase/asakurachosokan_koji/asakura2012_7-10.htmlで、10月以降にディレクトリ構造を変更したことが原因と分かる。)

彫塑「砲丸」をアトリエ棟屋上に戻す様子の組み写真

やっと本題。そこの記述によれば10月のはじめにアトリエ棟屋上に戻す作業が行われたとのこと。重量400kgということはブロンズか。クレーンで釣り上げた様子がまるで空を飛んでいるよう(3枚目の写真)。布の白と雲の白をうまくずらし、青空に浮く青銅色を際立たせて撮るとは見事。設置後の写真は、工事が終わり「足場が解体されてしまうと、この角度から彫塑を眺めることは出来なくなってしまうので、非常に貴重な写真です。」とのこと。

サイトリニューアルの際に埋もれてしまわないことを祈る。

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2012/03/30

「勘助のかなしみ」

26日に朝日新聞紙夕刊2面のコラム「窓 論説委員室から」に書かれた「勘助のかなしみ」という一文を読み、ほとんど泣きそうになってしまった。

NHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」のエピソードをこう取り上げる(有料だが朝日新聞デジタルで読める模様)。

勘助はひどいめにあわされた、あの子はやられて、ああなってしまったと思ってた。けど違った−−と。
「あの子は、やったんやな。あの子が、やったんや」
(原文では  部は傍点)

兵役から帰ってきた息子(後に再出征して戦死)が魂が抜けたようになっていた理由を、四半世紀後に母は突然さとる。

だが、慰めようにも息子は既に戦死している。代わりに詫びようにも誰も糾弾してくれない。文句を言おうにも誰を責めたら良いのだろうか? 気がついても何もできない。これは実に恐ろしいことだ。

余談になるが、この「あの子は」から「あの子が」の変化も胸に迫るものがある。


コラムは続けて戯曲「こんにちは、母さん」(永井愛)から、戦地から戻ったが戦争の話は一切しない夫の胸の内に妻が気づく場面が紹介される。

「ああ、この人は、実際に人を殺したんだ。しかも、子供を、子供を殺したことがある...」

愛する夫が加害者だったという暗転。苦しい経験を語らないのは自分が信頼されていないからか。目の前の夫は生きているけれど、死者よりも遠い... この妻の苦しみは誰が受け止めてくるのだろうか。

この戯曲は後にTVドラマ化されたようだが、番組紹介を見ても、それらしい様子は見られない。ただ、サイトに紹介のない第四回について、「鳥肌が立った」と感想を載せているブログがあるので、「延々と続くダイアローグ」の中に出るのでしょう。

どちらもファンクションフィクションではある。そこを衝いて「事実ではない」に持って行こうとする人がいるのではないかと気になって調べてみたが、幸いにもそういうエントリーは見当たらず、逆に共感する日記を発見して安堵した。

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2011/08/09

噛み合わない質疑

専門家が答える暮らしの放射線Q&Aというサイトがある。東電福島第一原子力発電所の事故で人々が抱いた放射線への疑問・不安に対して日本保健物理学会の会員を中心とした有志が答えている。

非常に精力的に回答されているのであるが、どうも空回りをしている観もある。

先日イベントの為に東京の下北沢に行ったのですが、西日本にある自宅に帰ってから友達に言われて心配になり、世田谷区内の町中の放射線量を調べたら、私が行った日は0.48μsvもありました。

その日は6時間ぐらい外に居たのですが私も関東の人達みたいに被ばくした可能性はありますか。

多分通った公園とかならもっと高いと思います。親や友達からは、放射能が溜まってるから髪を切れとか病院で検査して来いとまで言われたんですがその必要はありますか。

あと東京とかは観光やお金の為に情報を隠している可能性はありませんか。
ホットスポットと公表しているのは1都2県の田舎地域だけだけど、東京で計測してる人達のを調べたら、公園や学校以外でも、町で普通にホットスポットや福島ぐらいの凄い数値がどんどん出てます。

都が発表してるのと全然違うじゃないですか。はっきり言ってすごく腹が立ってるし本当のことを知ってたら東京なんて絶対行きませんでした。

この問いには3つの質問が含まれる。

1.私も関東の人達みたいに被ばくした可能性はありますか。
2.放射能が溜まってるから髪を切れとか病院で検査して来いとまで言われたんですがその必要はありますか。
3.東京とかは観光やお金の為に情報を隠している可能性はありませんか。
3-1.東京で計測してる人達のを調べたら、都が発表してるのと全然違う(東京都は意図的に低い数値を発表していないか)。

ところが回答はというと、
関東の人のように被ばくしたというのは行き過ぎた質問だ
関西の方が関東よりも、外部から受ける放射線量は1年間当たりおよそ0.3~0.5ミリシーベルトも高い
全食物から摂取する内部被ばく線量は1年で0.8 mSv程度と評価されている

そして「これらの量と比較した上で、危ないかどうかを判断して頂ければと思います」。これは「あなたは被曝の危険性を過大評価している」と言っているに等しい。

さらに続けて、聞きかじりではなく体系的な知識の習得を薦め、大学か専門学校の教科書レベルの専門書を読むか、聴講生などで大学で学び直せとまで書いている。

行間から回答者の苛立ちが伝わってくるけれど、おそらくこの〈回答〉では納得は得られないのではないかと危惧する。

まずもって、質問に答えていない

仮に私が回答者ならば、
私も関東の人達みたいに被ばくした可能性はありますか。
いいえ。西日本は一般的に関東よりも自然放射能が高いので、東京にいることで被曝量は低下したと推定されます。

放射能が溜まってるから髪を切れとか病院で検査して来いとまで言われたんですがその必要はありますか。
ありません。身体についた放射性のチリなどは洗髪・入浴などで落とすことができます。親御さんやお友達と一緒に、味噌汁で顔を洗うことをお薦めします。なお、側溝の泥などをなめたりした場合は内部被曝の可能性はありますが、泥をなめたのが東京滞在中に限られるのでしたら、野菜と水を多めに取る生活を続ければ放射性セシウムがあったとしてもじきに体外に排出されるでしょう。

東京とかは観光やお金の為に情報を隠している可能性はありませんか。
→東京都が公表している線量は実際に計ったものより意図的に低くされているということはないでしょう。そんなことをすると、仮に低線量被曝による健康への影響が発見された場合、実際よりも低い線量で影響が出たように見えてしまうからです。
逆に言うと、不正確な計測や何らかの思惑を持って実際よりも高い数値を公表する人たちは、「××ミリシーベルトまでは影響が出ない」という目安を作る際、その値を不当に上げてしまいかねない行為をしていると言えます。(本当は50mSvだから何の影響も見いだせなかったのに、「ホットスポットで100mSvだ」と騒いでいたために、「100mSvでも影響はない」という誤った結論に...もちろん国や国際機関は怪しい民間計測の数値を取り入れたりはしないでしょうが)
なお、公表されているのは普通空間線量といわれる、γ線の値です。これは気温を測定するときに風通しの良い日陰の温度計で計るのと似ています。日なたに置いた自動車の中やボンネットを計って「60℃だ、80℃だ」と騒いでも、その日の最高気温とはみなされません。


そもそも、この質問者は本当に被曝のことを心配しているのだろうか。本当に心配しているならば、被曝した場合、健康障害を防ぐにはどうしたら良いか?という質問にならないか。ところが質問者は、親や有人から「髪を切れ」「病院へ行け」という助言を受けながら、これに従いたくない風に見て取れる(「必要ありますか」と否定を期待するような聞き方)。

もう一度質問を見てみよう。最後の「本当のことを知ってたら東京なんて絶対行きませんでした」に尽きるようだ。「本当のこと」をどうやって知ったのか分からないが、とにかく質問者の中には怒りが渦巻いている。

こういう場合は、持ち出されている疑問もどきに回答しても納得される期待は薄い。質問に見えるのはただの思いつき。いわゆる〈でもでもだって病〉の疑いがある。

また放射線に対して漠とした不安は抱えているようだが、それを理詰めで否定されても気分は晴れない。

たぶん、「下北沢のイベントは楽しかったですか。行って良かったですね。」から始めないと通用しないのではないか。ほとんどカウンセリング。実に面倒臭い手がかかる

面倒臭いからここは、「少々神経過敏になられているようです。有馬温泉にでも行って静養されてはいかがでしょうか。」と答えるのがベストだろうか? (関西原子力懇談会のサイトにある温泉から放射線を見ると三朝温泉や池田鉱泉もいいかもしれない。東日本の人なら増富鉱泉で決まり。)

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2011/06/13

錯覚美術館

先日のNIIオープンハウスで聞いた杉原厚吉教授講演「不可能立体と不可能モーション-錯覚から見えてくる「見る」ことの偉大さと危うさ-」で紹介された錯覚美術館へ、土曜日に外神田で開かれたガイガーカウンターミーティングに参加する前の時間を使って行ってきた。

外階段踊り場に出されている美術館の看板 on Twitpic

美術館と言ってもJST,CREST 「数学」領域、「計算錯覚学の構築」の成果を公表する明治大学の施設。運営費も研究費から出るため潤沢とは言えず、週に1日、土曜日だけの公開になっている。この5月にオープンしたばかりなので、googleストリートビューで建物を見ても気配すらない。

事前に杉原教授による見どころをチェックしていなかったため入り口ドアに仕掛けられたロゴなどは見落とした。

雨の日にもかかわらず、結構な入館者がいて、熱心に見ていた。断り書きは見当たらなかったけれど、確か撮影自由・触っても可というおおらかな方針(だったはず)。幸運にも杉原教授に解説をしていただいた。錯視を計算するというのが斬新。

たとえばツイッターで時折見かける、文字列による錯視。上の2行は右下がり、下の2行は右上がりに見える。もちろん実際には平行。

斜めに見える文字列

素人考えでは、〈十〉の横線は〈一〉の横線よりやや高く、また〈同〉の最上位横線は〈窓〉や〈会〉のそれよりもやや高いので、これらが右下がりの印象をもたらす。ところが錯視成分を計算により抽出し、元画像から消去すると同じ文字列にもかかわらず、今度は平行に見える。実に不思議。是非とも現物をご覧いただきたい(Zone F の文字列傾斜錯視)。

この錯視はデザイナー泣かせだそうだが、逆手にとって視覚効果に利用することもできるだろう。フォントを変えると効果がなくなることもあるらしい。

ハイブリッド画像(Zone C)も不思議だった。二つの画像を重ねあわせると別の画像になったり文字が浮き出てきたり。

女性の顔
猿の顔

2つを重ねる(途中)
文字が現れる:This is a secret message

いろいろな専門分野にかかわってくるけれども、そんなことは抜きにしても眼は案外アテにならないを実感するだけでも楽しめる。お薦めスポットの一つ。

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NIIオープンハウス2011

国立情報学研究所の一般公開NIIオープンハウスへ2日に行ってきた。

国立情報学研究所の入り口。オープンハウスと書かれた横断幕。

お目当ては基調講演の「不可能立体と不可能モーション-錯覚から見えてくる「見る」ことの偉大さと危うさ-」と「ネット時代の世論形成」そして行き掛けの駄賃で市民講座「医療を支えるセンサーネット-健康を見守る最前線のセンサー技術とは?」

「不可能...」は錯視を利用してありえないような立体を作ること。そこに動きを加えることでありえなさを際立たせるのが立体モーション。

百聞は一見にしかずで代表作(第6回ベスト錯覚コンテスト優勝作)「何でも吸引四方向滑り台」(反重力滑り台)を見てほしい。種明かしをされてもなおありえない光景が眼前に展開される。

(このコンテストは、予選こそピアレビューによるが本選は観客の投票によるお祭りで、杉原厚吉教授は客受けを考えてコスプレでプレゼンするなど大いに楽しまれたそうだ。そんな受賞だがNature電子版に掲載されたために研究予算を取りやすかった、とやや誇張気味に語られた。ちなみに連続優勝を狙った第7回はあっさり予選落ち。)

これは図形をコンピュータに理解させる研究の副産物だという。理解度を試すためにいろいろな図形を見せる中に不可能立体の投影図を入れておいたところ、〈そのような立体は存在しない〉という結果が出ると思ったらあっさり受容する。調べてみると、人間は思い込みで投影からありえない立体を想像してしまうが、冷静なコンピュータは数学的条件を満たす立体を構築できていた。

過去にも奥行き不連続のトリックや曲面のトリックを使い、ペンローズの三角形のような不可能立体の3次元化は行われてはいた。反重力滑り台はそれらとは異なる原理で実現している。そして計算によって同じような不可能立体を作り出すことができる。

それらを実際に製作し、明治大学錯覚美術館としてこの5月から展示している。ただし土曜のみの開館。展示を見る際の注意は、片目で見ること! この制約はスケールを大きくすることで解消できるので、将来は不可能立体建築を実現したいと。

何でも吸引四方向滑り台は柱の長さを誤認させることで成立しているが、柱のないものも作れる。それを発展させたのが落ちないかまぼこ屋根

反重力滑り台のような不可能立体は、モーション(動画)なしにそのありえなさを理解するのは難しい。本筋からは離れるが、ビデオを簡単にネット(やローカルコンピュータ)で閲覧できるようになったことも影響しているのではないだろうか。

次が「ネット時代の世論形成」。小林哲郎助教は東日本大震災を切り口に、ネット上で社会的リアリティ(何を正しいと感じるか)がどのように形成されるかを分析。東電原発事故ではリアリティが共有されなかったと結論づける。その原因としては、ネットユーザーが〈こだまを聞くようなメディア環境〉にあったことを指摘する。

この〈自分の聞きたい情報だけを収集する〉傾向は、検索時代における〈タコツボ化〉として以前から指摘があり、それに対して佐々木俊尚は「それはあり得ない」とキュレーション論を展開しているが、正直納得しているわけではない(『キュレーションの時代』を読まないとならんな)。

ツイッターではフォローする相手によって自分の閲覧するタイムラインが決まるため、自分と似たような人ばかりフォローしていると、そのタイムラインはまさに〈こだまを聞く〉ようになってしまう。ポジティブフィードバックだ。しかし私自身がそうしているように、異なる見解の持ち主をフォローしている人も多いのではないだろうか。(半分は「わー、こんなバカ言ってるよ」と嘲笑し「それにひきかえ私は」と悦に入るためだが)

アメリカの有権者は、このこだまを好んで聞く傾向がより強いという(そういう環境にある)。社会がニッチなイシューで小さくまとまり分断化されると、全体としての意思決定が難しくなる。

とはいえ人はシングルイシューで生きるわけではない。ツイッターでもフォローの基準は、趣味・仕事・地域...と様々だ。そこにタコツボ化を防ぐブリッジの可能性がある...のだろう。

最後の市民講座までは時間があるので発表を見てまわる。「裸眼立体視ディスプレイの研究動向」ではいくつか方法があるということは分かった。気になるのは、元になるデータの作成方法(撮影方法)は共通なのだろうかということ。「言葉が表す「意味」とは何か?」はコンピュータに言葉を理解させる研究(だと思う)。「興味深い研究ですね」が意味するのは純粋な賞賛の場合もあるし、「難しくてワカリマセン」の場合もある。人間でさえ時には間違うのだから難しいだろう。論文のような素直なものなら、同じキーワードを使っていなくても近い研究を見つけ出すなどは比較的容易かもしれない。「協力的な社会を作り出す評判情報とは?」は実にキョウミブカイケンキュウデス。2つの意味において。(^^; またガイドブックには載っていないが、本の連想検索や自炊電子書籍のテキストと外部情報の自動関連付けなど興味深い研究もあった。

それにしても情報研の研究テーマは実に多彩。くらくらすること請け合い。

19時からの「医療を支えるセンサーネット」は、オープンハウスとは独立の市民講座の一環。

演壇前に陣取る文字通訳チームと大型スクリーン

なんと聴覚障害者のために「文字通訳」が用意されている。要約筆記ではなく、ほぼ話した通りのまま文字で表示される。

講師はうっかり医師だと思っていたら、そうではなかった(講師紹介をちゃんと読め)。どうりで喫煙を擁護するわけだ。さすがにそうは言ってもタバコは身体に悪いと認めていたが、肺がんの原因はタバコではない、大半は誤嚥だというのは本当だろうか。帰ってからググッてみたが、そんな話はとんと引っかからない。情報学研究所としてどう考えているのか、とねじ込もうかしら。

閑話休題。iPodやiPhone(あとアンドロイド携帯も)は〈いつも身につけているセンサー〉として機能する。これで血糖値や体重まで計測できたらさらに用途は広がるだろう(でもどうやって?)。

続きを読む "NIIオープンハウス2011"

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2010/10/10

Inbookにおける邂逅 愚かな学生への忠告

Inbookに『モリソン・ボイド 有機化学』から「愚かな学生」のエピソードを投稿した。

すると、前後した投稿と絶妙の組み合わせが誕生した。

愚かな学生の失敗談の下に「失敗したことが恥ずかしいんじゃない、そこから何も学ばないことが恥ずかしいんだ」


以前の悲しむべき経験からはほとんど何も学んていなかったので,」とセットになっていたら最高だったのになぁ!

ソーシャルメディアではこのような思いもかけぬ出会いが起きる。Twitterでは、「やっぱり小泉さんは分かりやすかった」「わかってたまるか、と思って書き続けています」というツイートがタイムライン上に並んで笑ってしまった(互いにそんなツイートと並んでいるとはご存じない)。

2つのツイート


ときどきツイートに通し番号を振って、少し長めの意見開陳を試みる人がいるけれど、見る人によってはその間に不似合いあるいは抱腹絶倒のツイートがまぶされてしまうしまうのだ。それがまた面白い。

板子一枚下は「わなびう」か「うんこなう」か。

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2010/09/26

Inbookを使う

Inbookというサービスがある。書籍の中からお気に入りの部分を140字抽出して共有するサービス。140字なのはツイッターと連動しているから。ツイッターからは書誌情報なども入れるため140字フルには使えないが、あとでログインして追加できる(初めから直接登録し、ツイッターに流すことも可能)。

ネット上に自分が読んで気に入った本のリストができる点ではメディアマーカーに似ているが、こちらには本の交換機能などはない。Inbookには次のような機能がある。


  • 1冊の本から何か所でも気に入った部分を140字抽出(引用と呼んでいる)できる


    • ツイッターから投稿できる


  • すでに引用されている箇所に拍手を送ることができる(拍手の多い箇所は上位3つまで表示される)

  • 引用箇所にコメントを付すことができる

  • 同じ本から引用をしている人のリストが見られる

  • 自分と同じ本を取り上げている人のツイッターアカウントと共通する本の数が分かる

つまり、同じ本が好きな人だけでなく、同じ場所が気に入っている人を見つける機能がある。

(メディアマーカーは利用を躊躇していたが、いま見たところ機能がだいぶ豊富になっているので、併用してみよう。)

なお、amazonで購入のボタンが押された場合はInbookの収入になると理解していたが、自分のアマゾンアフィリエイトIDを持っている場合は、それを登録して自分の収入にすることもできることが分かった。どういうビジネスモデルなのだろうか?

取り上げるのは気に入った箇所のみ


Inbookが想定している利用方法は気に入ったセリフを取り上げること。これはツイッターのリツイートと同じ。リツイートも気に入ったツイートをフォロワーに伝える機能。「バカ発見。みんなで石を投げよう」と晒し上げる機能ではない。これは結構重要な点で、バカなツイートを晒して弾劾しても世の中はそんなに良くならない。むしろこちらの性格が悪くなる。

一見迂遠であっても、良いものを広めていく方が王道なのだ。


“引用”の問題点


ところでInbookでは引用と読んでいるが、これは著作権法で複製権が制限される、つまりコピーが許される引用とは言い難い。

著作権法第32条が利用することができると定める引用には3つの条件がある。

  1. 公正な慣行に合致するもの
  2. 報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるもの
  3. 出所の明示

Inbookではアマゾンにリンクしており、ページも入力項目にあるので出所の明示はクリアしている。また1件が140字以内であるから丸ごとコピーの心配はなく、「ここが気に入っている」と好意的紹介であるうえにボタンひとつで元の書籍を購入できることから不当に権利を侵害する恐れも小さい。

問題は報道、批評、研究その他の引用の目的には該当しないこと。引用とはあくまで自分が書いた報道、批評、研究その他の主となる文章があって、それを補強するために行うものだから。名句を書き写して「その通り」と付け加えても引用にはならない。ただの複写だ。著作権が生きていれば、複写をするには著作権者の許可が必要になる。

ちなみに個人のブログに時折見受けられる、ニュースを書き写しただけのもの、1,2行の感想を書き加えただけのものも、引用としては保護されない。

この問題をクリアするには、ブログなどで感想や意見をものし、そことリンクすれば良い。

Inbookでは、レビューを書くのが苦手な人でも好きなセリフを引用するだけでみんなに本を紹介する事ができるとしているが、法律的には好ましくない。しかし本への親しみが増すなら、このくらいの触法は黙認しても構わないと思う。

気になる使い方


気になるのはInbookの使い方を理解していない、あるいは開設者や多くのユーザーとは異なる理解をしているような人の存在。軽いのはいちいち【引用】と入れている人。これは使える文字数を減らすだけで、自業自得だが、文字数をやりくりするためにかなを漢字に替えるなど引用が不正確になるのは困る。引用するためのレファレンスデータベースと考えれば一言一句正確に...孫引きをするのでなければ自分がそうすれば良いだけだが。何を考えているのか分からないのは本の内容を書かない人(Dr.コトーで検索してみてほしい)。わざわざ違反申告をするほどではないが...気に障る。

書誌情報はアマゾンのデータを使っているので間違いは起きにくいのだが、世の中には同名の書籍がある。私が経験した変わった例では、マーケットプレイス(古本)に出品している人がいて、同じ本のデータが2つあったため、ツイッターからの投稿がうまくいかないことがあった。ツイッターからは書名の代わりに13桁のISBNが使えるので、この方が確実。ただしISBNは出版社の自主管理なので重複もない訳ではないらしい。国会図書館が管理する全国書誌番号の方が確実だろう(調べるのは手間だけれど)。

Inbookのサイトで書名検索をして、ツイッターを使わずに直接登録する方法もある。著者と書名だけでなく出版社や発行年にも気を配る人には向いている。しかし旧版は載っていない。ページ数や文言が変わっていることがあるから注意が必要(基本的に新しく買った本だけ登録していれば間違いはないが)。

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2010/02/14

国境なき医師団へのリンクを追加

先日、国境なき医師団日本から、昨年した寄付への礼と寄付増額の依頼が届いた。2051人にはしかの予防注射ができました、できればもう307人分お願いします(外国為替による変動があります)、と。

残念ながら手元不如意で、月にわずか500円の増額要請にも応えられない(実に情けない!)。

そこで当ブログのサイドバーから「10の最も深刻な人道的危機2009年」へのリンクを追加した。GiveOneの上になったのはココログの仕様による。

余裕の浄財を国際的に活用したい、という方はご検討を。

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2010/01/11

GiveOneのバナー貼りました


昨年からの懸案事項、オンライン寄付サイトGiveOneのバナーをサイドバーに貼りました。


オンライン寄付サイト Give One

クレジットカードとネット銀行で手軽に寄付ができる。オーバーヘッドは10%取られるが、寄付文化定着のために応援したい。ちなみにいくつかの団体は寄付控除の対象。

もともとはビッグイシュー基金のプロジェクトが縁で登録し、そっちの成果物にはとてもガッカリしたものの、このサイト自体はいろいろと興味深い団体が対象となっていて紹介したいと思っていた。年は越したけれど、ようやく責を果たせて安堵(しかしココログって使いにくいねぇ...)。高木仁三郎市民科学基金もよろしく。

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2009/04/04

ダイアログ・イン・ザ・ダーク、目隠しとの違いは

ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)に行ってきた。

闇の中を、杖を頼りに歩き回るイベント。いろいろな環境が(人工的に)再現されている。

一見、視覚障害体験のようでもある。そういう側面は確かにある。だが目的は闇の中を安全に通り抜けることではない。視覚以外の感覚を研ぎすませて、見えないものを「発見」すること。その機会を増すためか、グループで行動する。ダイアログ(dialogue:対話)とは行動をともにするメンバーとの対話であった。

さて、6000円を払って予約をしたのに、「遅刻をしたら参加できません」と厳しいことを言うので、余裕をもって会場に行った。ら、1時間以上の待ち。(^^; ロビーに置いてあった資料を読んで過ごす。そこには光を遮断することの難しさが書かれてあった。特に仮設会場では相当厳しかったらしい。それを読んで、なぜそこまで闇にこだわるのか疑問に思った。

終わってみて、それは解消するどころか、強まった。参加者がアイマスク(目隠し)を着ければ済むことではないか。

闇の再現にこだわる結果、いくつもの不具合が起きている。遮光が大変という問題は地階の常設会場ならば解決できるが、それ以外にもたとえば
 屋内でしか行えない。
  そのため陽光や風を肌で感じることができない。
  再現された環境はすべて人工、きびしくいえば紛い物。
 会場の規模拡大は難しい。
 不注意な、あるいは悪意のある参加者が明かりを持ち込むと、すべてが台無しで、しかも全員に影響する。
 光を遮断するために演出が制限される(光の出る機械や現象を使えない)。
 参加者の安全をアテンド独りが担うことになる。
 即応的メンテナンスが難しい(やたら杖で叩いたり、よろけて寄りかかったりする参加者が状況を変えてしまっているかもしれない)。

もちろん闇を創出することにも利点はある。
 目を凝らしても何も見えない本当の暗闇は目隠しとは違うリアル感がある。
 こっそりズルができない。
 屋内なので安全設計、完全管理ができる。
 瞼を覆われる不自然な感触がない(直射日光の下、目隠しで完全な遮光をしようとすればかなり大掛かりなことに?)。

「シャルガフの経験則」や分子生物学の皮肉な定義で知られるシャルガフ(Erwin Chargaff)はこう言った。


我々は、自分が、無限の可能性をもった洞窟にいると感じています。ところが懐中電灯一本あればあなたは、御自分が物置小屋にいるに過ぎないことを発見されるかもしれませんよ。何を自分が見付けるか判っていたら、私はそれを見付けたいと思わないでしょう。


(『ヘラクレイトスの火』p.134 村上陽一郎 訳 岩波書店 1981)

暗闇は広大な空間に感じられても、実は狭い地下室だという雑念があった私は、杖を使って天井の高さまで計ってしまった(なるほど立派な研究者になり損なった訳だ)。だから「本当に広大な見えない空間」の実現を期待してしまう。小賢しい細工が意味をなさない空間。屋内では難しいだろう。といって廃坑などの利用はもっと難しい。となると、アイマスクがもっとも現実的。

そして太陽の光を目ではなく、肌で感じとる。「これで方角が分かる」とほくそえんでいると突然陰る。雲かもしれないし物影かもしれない。風が吹いて来る。風上の匂いが運ばれる。林、花畑、水辺...本物の香りだ。これらは季節によって、日によって千変万化。動物の群れと遭遇したらどうなるだろう。まさに「群盲、○を撫でる」だ(DIDは基本的に「種明かし」をしないようだから、後々「あの動物は何?」で盛り上がるだろう)。さらに築山に登るとか滑り台でおりるとか。もちろんアテンドは全盲のままで構わない。

保安上の問題は多々あろうが、せっかく「視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づ」かせておいて、あてがわれるのが紛い物ばかりというのは納得いかない(最後の飲み物は本物でしたが)。

保安と言えば、いつでも晴眼に戻れる目隠しの方が、非常時には安全だろう。暗闇の中で強い地震に遭い、頼りのアテンドは何かの下敷きで動けなくなる。ほうほうの体で明かりのある筈のエリアまで来たら、そこも停電で真っ暗、なんて考えたくもない(明かりになるものはロッカーに預けている)。

...見えない状態で起震車に乗るのもかなりエキサイティングな経験ね。完全な闇の創出にこだわらなければ、紛い物でも、それなりに面白い環境を作り出せる。硬い鉱物をぶつけて音で聞き分けるのはどうだろう。火花が出ても問題ない。


と文句を垂れてみたが、要するに素直に体験してくれば良かったのだ。はい、もういっぺん行ってきます。今回は全員が初参加ということで、お節介にもムードメーカーを買って出ようとしてしまったが、次回はおとなしく(と同じような反省を書いている人もいるので、やはり同じように出しゃばってしまうだろうか。いえ、役割意識が発露されなければ本質的には控えめな人間なんですけど)。それと、やたら杖で叩き回るのは止めよう。f(^^;

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2008/11/29

火星までの距離

28日の朝日新聞夕刊「ネットはいま」に「地球から火星までは、光の速さで進む電波でも10分前後の時間がかかる」とあった。

ん? 火星までは光速でおよそ3分、往復でも6分ではなかったか。

念のため調べてみた。

普段ならばwikipediaだが、今回は始まったばかりのYahoo!百科事典


すると「火星の接近」という小項目があり、「この大きな離心率のために、火星と地球の間の距離は大きく変化する。」「8月ごろに衝となれば、地球と火星の間はおよそ5600万キロメートルの「大接近」となる。反対に遠日点の方向にあたる2月ごろに衝となれば、1億キロメートル余りまでしか接近しない。」と書いてあった。

299,792km/秒は面倒なので30万km/secで計算すると、近い時はおよそ3分、遠い時で5分半で電波は到達する。

もっとも遠い時ならば往復11分。なるほどね。

なお、記事では火星そのものとの通信よりも惑星間を航行する探査機や宇宙船との通信を考慮しているようだった。

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2008/11/15

オンラインの家計簿サービス

オンラインの表計算あるいは家計簿サービスを探している。自分用ではなくて他人用。

条件は、無料だとかブラウザベースだとかいろいろあるが、最重要なのは「メールアドレスを登録しなくても利用できること」。だがそんなことが可能だろうか?

条件を少々緩めると、Yahoo!IDは持っているので、Yahoo!の(無料)サービスかYahoo!アドレスを連絡先として登録できるサービスとなる。

Yahoo!ウォレットに期待したが、どうやら考えていたのとは違うサービス。

Google ドキュメントは有望に見えたが、画面の日本語化が不十分。

オンライン家計簿サービスはどこまで信用してよいものやら...それに登録メールアドレスがそのままIDになるのは困る。

OnSheetは、世話役がユーザー登録をすれば、共有相手は登録をしなくても良いようだが、どんなもんだろう。とりあえず試してみるか。マザーズとはいえ上場会社系列の運営だから、アドレス収集のようなえげつないことはしていない、と信じたい。

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2008/08/11

サイエンスネット復刻

昔々、朝日新聞科学部が主宰していたパソコン通信「サイエンスネット」の復刻版ができたらしい。

http://サイエンスネット.jp/

もっとも朝日新聞社の仕事ではなく、サイエンスネット復刻委員会を名乗ってはいるが、実質はどうやら団藤保晴記者の個人仕事っぽい。

あれ、そうすると元記事の著作権はどうなるのだ? 規約はなくしてしまったが、通常は書き込んだ人に著作権があるし、仮に朝日新聞社に権利が移っていたとしても(20年前ならそういう規約も通用しただろう)、サイエンスネット復刻委員会が継承したとは書いてない。

今さら「あれは私の書き込みだから」と名乗り出る人はいない、いても証明は絶望的に困難と読んでいるのだろうか。

...ニフティの似たようなログを大量に保存しているけど、権利関係が面倒なので死蔵なのよね。

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2008/01/27

釣り過ぎ、遙洋子

マイミクの日記からリンクを辿っていて遙洋子のコラムに行き着いた。要旨は、東京人は互いに無関心すぎないかというもので、まぁ妥当なのだけれど、導入部がいけない。

まず、タクシーばかりを使っていたという浮世離れした経済感覚の披露。続いて東京駅での乗り換え話で「私は自信を持って「京葉線」にたどり着き「海浜幕張方面」と書かれたホームに降りた。」とあり、これで続きが見える。案の定、武蔵野線に乗ってしまい、と言うほとんど古典の展開だが、(誤乗に気づいている筈の周囲に)「見殺しされたような」とか車掌に訴えたとか書くものだから、そこに限定した批判コメントが殺到。数えた訳ではないが、半分近くはそうだったのではないだろうか。

批判する方もちょっと「木を見て森を見ず」という気がしなくもないが、
・所要時間30分と知っていながら1時間以上乗り続けた
・東京駅で声をかけた乗客が「わからない」と答えたのに、それ以上追究せず漫然と乗車した
・電車の行き先は番線ではなく車両の行き先表示で確認するもの
・ホームにも電光行き先表示板があるのにそれを見ていない
・車内(各ドアの上)にも行き先表示があったのではないか
・途中、車内アナウンスがあった筈
・松戸とか越谷とか浦和あたりで変だと気づかないか?
などなどからして、話を大袈裟にしているのでなければ、度を過ぎたうっかりの告白にしか思えない。粗忽者は頭をかいていれば許されるが、醜悪な開き直りをしたら袋だたきと相場が決まっている。

だから、やはり脚色だとは思う。でもやりすぎ。

繰り返すけれど、本旨(「“無関心”と“保身”は私たちの人間関係や社会に蔓延」しているが、「変だと思えば「変だ!」と騒ぐ」べきだ)は、その通りだと思う。にもかかわらず、枝葉末節への文句を押さえられないのは性(さが)だろうか。罪滅ぼしを兼ねてリンクしておく(なお、会員登録しないと続きが読めないのは日経の方針のせいなので御容赦)。

続きを読む "釣り過ぎ、遙洋子"

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2006/10/22

『バカにみえる日本語』

賢い人の目には映らない不思議な日本語、ではなくて、使うとバカだと思われる日本語。主に漢字の誤表記だが、慣用句の間違いもある。

収載例を列記した書籍の帯


もともとは誤字等の館というサイトで収集されていたもの。

収録数はウェブサイトの方が多いので、漫画を加えるなどの工夫がされている。しかし最初の漫画、4コマ目はやはり「落ち込んでる〜」でなければ(それも平がな表記で)。なんと言っても漫画界では最大級の知名度を持つ誤植だそうだから。

著者は冷静な分析を加えていて、決して大衆を高みから嘲笑している訳ではないのだが、人を笑わば穴二つなのだろうか、とんでもない間違いをしでかしている(上に載せた帯参照)。帯の差し替えは容易だから、これってプレミア付きになる?

それにしても誤植(誤記・誤変換)の指摘は恐ろしい。「誤植の話」と銘打った力作でさえ「パソコンが普及したおかげで,同音意義の変換ミスは増えた」などとやってしまうのだ。同音異義ですね。

「同音意義」と誤っている

話戻って、著者はおかしな表記を見つけると、その蔓延度をグーグル検索で調べている。私は一歩進めてサイトを限定し、つまり企業のサイト、学校のサイト、政府機関のサイトではどうかを調べてみた。方法はグーグルでsite:co.jp、site:ac.jp、site:go.jpとドメイン指定をかける。

役所関係でOCRに起因する(と考えられる)魯魚の誤りが多発していることは容易に想像できたので、典型的な同音異義語である「偏在(遍在の誤り)」を調べると..たとえば「どこにでも偏在する site:go.jp」の結果はこう。orz e-japan もうダメポ。あるいは「ユキビタス site:go.jp」だと56件。(ユーザの勘違いを吸収するために誤ったキーワード検索でもヒットするようにしている例もあると思われるが、「例外に漏れず」とか「精神誠意」になると言い訳にならない。)

こういう誤りは「画竜点睛を欠く」どころか、「一斑を見て全豹を卜す」で全体の信憑性さえ疑わしく思われかねない。サイト開設者は誤用ご用心あれ。

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2006/10/09

パソコンをなめるな

いえ、有害物質が出てるとか、不衛生だとか、まして感電するとかいうのではなくて。つまり「甘く見るな」と。

例によって「阿」師匠、夜中にSkypeメッセージで「お聞きしたいことがあります」と来た。何事かと尋ねると、面倒を見ていた院生(在中国)から「パソコンを使っていると二時間くらいで動かなくなる」という相談が来ているらしい。そして「このような症状はどういうことなのでしょうか」。

そんなおしえて下さいみたいに、PCの名称もOSの種類もバージョンもなんもなしに聞かれてもねぇ。思わず「私は占い師ではありません」と返そうと思うも、かろうじて抑えて「まー、いろいろ考えられます」。と打ち込みつつ、そういえばWindowsUpdateでおかしくなるという話があったなと記憶を手繰る。

私「でも、情報不足で判断できません」
と時間稼ぎをしながらググっていると

阿「カーソルで全然動かなくなるということのようです、操作不能」
理解不能 (-"-)

阿「それでスイッチを切ると翌日又使えるが二時間くらいで同じこと、それが何ヶ月か」
なんだよ、最近の出来事じゃないんだ。それならWindowsUpdateの線は消える(そもそもやってなさそうだし)。

OSはなに? 直前の操作に共通性は? おかしくなり始める前に何かしていない? と定型質問を繰り出しているうちに何かが内部でプチっと切れた。

私「この辺がわからないと占い師を呼ぶしかありません。」

メーカーサポートに連絡したら10万円ほどかかると言われたらしい。原因が分からないから相手も高めに言っているのだろう。安くなる分には文句をいう人は少ないから。

で、元の相談者は買換えに傾いているようだ。しかしうっかり「考えられるのは WindowsUpdateの副作用、ウイルス感染、熱暴走、アプリケーションのコンフリクト」と述べたら食いついてきた。熱暴走らしいと。ところがその後がすごい。

阿「本人は、あなたのいう熱暴走というか、冷却が働かないのではといっています
扇風機がだめになって熱が上がるため、自動的に停止になるというのですが」
なんだよ、扇風機って。部屋の扇風機が停まって室温が上がっていると言う事?

私「扇風機? もしかして内蔵の冷却ファンの事?」

阿「ヒーターというのですか、冷却装置です」
こっちの頭が熱暴走しそう。中学英語をやり直せー。

私「ヒーターと言うのは加温装置です。冷却の逆。」

しばしコンニャク問答を繰り返し
私「冷却装置は動いているのか、いないのか。憶測不要。事実のみを。」

結局、冷却ファンの状況はわからないらしい。ファンが全く回らなければ、しばらく使用したら熱暴走するだろう。これはファンの不具合。ファンが回りっ放しになってマシンが動作しなくなるなら、異常な発熱とか吸気口の目詰まりとか別の原因が考えられる。ここでとうとう抑えていた一言。

私「私は占い師ではないのですけれど。」

するとあちらも逆切れしたのか、そーですかわかりませんか、てな捨て台詞。

ムッとはしたものの、書きかけた「これだから素人は困る」は消して、「OSもわからないのでは推測のしようもありません。」

続けて
私「OS(名称とバージョン)
セキュリティアップデート(WindowsUpdate)の状況
異常の発生する状況
おかしくなりだした直前にした事(ソフトのインストールなど)
ウイルスチェックの有無
ハードウェア構成」
質問をする時はこれくらい用意しておいて。

私「熱暴走であれば、稼働時間よりは負荷のかかり方に影響を受けます。がんがん使っていようがただつけているだけだろうが2時間で停まるなら、それは熱暴走ではないでしょう。ちなみに熱暴走の場合は、ファンが回りっ放しになってから起こります。」

私「停まる時に使っているアプリケーションや操作に共通性があるかないかも重要な情報。」

私「中国だと、ボットネットも可能性高し。」
全然信用していない。

私「CPUの稼働率も要チェック。」
パフォーマンスの調べ方はどうだったっけかな。XPから離れてはや半年。9x系列で[Ctrl][Alt][Del]は別の結果をもたらすしなぁ。

私「周辺機器を全部外すだけで改善する例もあり。」

私「実はハードディスクの空き容量が不足しているだけだったりして。」
どんなアプリケーションを使って何をしているかわからないけど、作業領域が足りないとか、Meだったらリソース不足とか、とにかく可能性はいろいろ考えられるのよ。

これが午前2時。そのまま放っておいたら、朝9時にメッセージ。

阿「朝、あなたからのチャットを見て驚きました。あなたが最後に書いた、「実はハードディスク空き容量が不足しているだけだったりして」というところ。それそれ、それかも知れません。」
こうやって目先の結論に飛びつくのが素人の悪いところ。むろん勘が的中ということもあるにはあるが、行き当りばったりに思いつきを試していると設定を戻せなくなって行き倒ればったりになる危険がある。可能性を一つずつ潰して行くのが結局は早道なのよ。義経の糊作りと一緒。

既にこの時の私の心理は月をなめるなと言った清水勇希さんに近い状態。ところが

阿「それともう一つ、パソコンが固まる直前に必ずカチッカチッという音がするそうです」

おーまいが。「ピッ」と鳴ったらご用心(これはMacの話だが)が脳裏に浮かぶ。

私「非常に危険な兆候です。ディスク交換がすぐにできないなら、重要なデータだけでもバックアップするようお伝えください。」

たぶん、ことの深刻さは微塵も伝わっていないだろうが、失われるのは私のデータじゃないしぃ。:-p (私も「半径3mの親切な人」なのだろうか)

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2006/06/21

法令データ提供システム

法令のオンライン検索が民間出版社や有志団体によっていることを苦々しく思っていたが、日経IT Pro編集部のブックマーク公開によって政府が法令データ提供システムを稼働させていることを知った。

「官報で掲載された内容と異なる場合は、官報が優先します。」なんてエクスキューズはあるものの、全文検索(ある用語の載っている法令を検索)もあり、なかなか便利そう。

すみませんね、IC首相(当時)やタッチパネル大臣(当時)をかかえる政府のやることなんて、と色眼鏡で見ていて。

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カミツキガメは噛み付くのか?

野良カメ化したワニガメやカミツキガメがニュースになっている。身体はでかいし見るからに凶暴そうな顔つきで「指を喰いちぎる」なんて聞くとブルッてしまうけれど...

どこかで「実はおとなしい」「小枝を噛み切るテレビの映像はヤラセ」と読んだ記憶がある。

そこでググってみるが「凶暴」「指を噛み切る」「飛んで襲いかかる」のオンパレードなので、wikipediaをみると、ワニガメは「カミツキガメが攻撃性が強いのに対し、神経質な性質とされている。怒りやすいカミツキガメに対し、ワニガメはあまり怒らないため普段はカミツキガメ程の危険はないが、」という記述。ならカミツキガメは危険なのかというと「性格は凶暴だと一般に思われているが非常に臆病であり、水からあげない限りは非常におとなしい。(中略)空腹時や攻撃を受けたときなどには名前の通り噛み付く」と、こちらも記憶にそった解説。

ご丁寧にも「一般に指を食いちぎる・骨をも砕く等と報道されているが(中略)実際に噛まれた時にはたいがいの場合ネコに引っ獲かれた時とき程度の怪我(切り傷)で済む」と記されていた(「引っ掻かれた」「時程度」の誤りか)。

また野生のカミツキガメについて「体の大きさや陸上で追いつめられた際の反撃とその名前から「獰猛で危険な動物」と悪いイメージがあるが、元来は藻などを主食とす雑食で比較的おとなしい性格である。水中では素早く動ける為、追いかけても襲い掛かってくる事無く逃げて行く事からも好戦的で無い事がうかがえる。」という解説も見つかった(赤字部修正/下線は引用者による)。アウトドアのツアーガイドだから、実体験に基づいての記述だろう。「水中なら追いかけると逃げる」というところはリアリティを感じる(陸上で追いかけると怒るようだ)。


そういえば危険という説明は多々見るが、実際に「噛まれた」という話はほとんどない。見つかったのはソースが確かでない「湖で泳いでいた少年、カミツキガメに股間を噛まれる」というドイツ発の外電のみ(最近はbogusnewsとか航空機新聞みたいなネタサイトがあるのでうかうか引用できない...大丈夫だろうな)。その記事にも「普通は追い詰められない限りは人間を襲うことはないとされるカメだけに、地元警察はなぜ突然少年の股間に噛み付いたのか分からないと」とある。

とすると、役所のサイト含めたあの「危険!」「指を喰いちぎる!」はなんなのか?

見た目に加えて、動物の愛護及び管理に関する法律で危険動物(人の生命、身体又は財産に害を加えるおそれがある動物)に指定されていること、長命(約50年)で巨大化(最大で甲長80cm・体重80kg)するため飼育放棄される例が目立つことが原因だろう。

外来種なので野生化が生態系に影響を与えることも懸念されている。

しかし捨てガメをする無責任な飼い主への非難と動物の危険性は本来別個だ。危険性も、人畜に対するものと生態系に対するものとは自ずと別問題。「ケシカラン」を理論武装するために無理矢理仕立てた凶暴イメージのような気がする。ただの「大きいカメ」だと「竜宮城に連れて行ってくれるかも」なんて呑気な反応がでて卒倒するかもしれないから。

これは携帯電話の「危険性」にも似た話。満員電車や優先席付近等の指定場所で電源を切ることに異論はないが、それを超えて文字通り電波な電波恐怖症を唱えられると眉に唾。「迷惑」だけより反論しにくいからと「危険」を無理矢理持ち出すのは退廃だ。「買ってはいけない」的な難癖は、一部の事実誤認発覚で全体を否定されてしまう危険を抱える。

閑話休題。「凶暴なカミツキガメ」という誤認はホラーハウス社会の症状の一端ではないだろうか。暗澹たる思いにさせられるのは、そのホラーハウスの煽動を批判するブログでさえも、野生化? 産卵!の報道に幻惑されて「肉食獣を捨てるなよー」と書いてしまっていること。RSSフィードも登録して注目しているのに。

一つ一つ、自分が何を根拠にして論を立てているか常に気をつけていないとアッサリ足下をすくわれてしまいそう。論拠を認識していれば、君子豹変もできる。


ちなみに、mixiにあるワニガメ飼育愛好家のコミュニケーションを覗くと、飼っているのはまだ小さいのかもしれませんが、全体に「可愛い、可愛い」で、巷の反応とのギャップを感じます。噛まれたという体験談も見当たらず(ヒーターを噛み割られたという話はあった)。まぁ無頓着だから捨てガメをするという推論も可能ではありますが、マスコミがあまり恐い恐いとあおるので家族が反対して放棄という可能性だってありまして、やはり事実に基づかない報道は問題だと。

Snappingturtle

沖縄の公園で見かけた注意を呼びかける看板。どう気をつけろと?

ps
怒らせれば噛み付くということですから、不用心に手を出してケガをしても、当方としては責任を負いかねます。特に幼・小児が無邪気に突いたりしないようお気をつけ下さい。野外で発見したら刺激しないで警察か保健所に通報ですね。

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2006/06/04

握りさえすりゃじきに立つなり

bogusnews(ボーガスニュースと読む、意味は調べてね)という毎日がエイプリルフール、みたいなサイトがある。最初に見たのはWinnyネットワークに対抗して政府主導でエロコンテンツを流すという記事。

6月3日の記事は浜崎あゆみが神奈川県教委から国歌斉唱指導オブサーバに起用されたというもの。意味がよく分からなかったので調べてみると、コンサートで浜崎あゆみが座ったままの身体障害がある観客に対して「立って」「感じ悪い」と暴言を吐いたという噂話があることがわかった。

証拠とされる映像を見ると想像されたトゲトゲしさはなく、肝心の障害者も、また付き添いの母親に他の観客から罵声が飛んだという部分も映っていない(最重要部分なのに)。だからたぶんこれは作り話で、席に座っていたのは浜崎の知人、カウントダウンの盛り上がりに水を差さないでというつもりの発言だという説明が本当だろう。まことしやかに「白い服の男性が指差した方向に車椅子の女性がいた」と書かれたものも見つけたが、指の方向から見てこれも怪しい。

実はこれは2001年の大晦日のことらしい。なんでこんな古いネタを取り上げたのかというと、どうもこのアンチ浜崎伝説が息を吹き返しているようだ(あるいはダラダラと息長く?)。テクノラティで調べると最近になって取り上げているブログも見つかる。

で、そのいくつかを見ると、全体を読んだ訳ではないのでネタサイトではないと断言はできないのだが、どうも真に受けている人がいる模様(賢明にも「おかしい」と判断している人、「それはデマです」とコメントしているもいたが、「酷いですね。」と同調する人も)。真面目に「どんどん広めてください!!!!」と怒ってる人もいた。

公式サイトでしっかり否定しておけばよいのに、反論も二次情報ばかりで... 「人の噂も75日」「金持ち喧嘩せず」は通用しない時代だと思う。

bogusnewsは学校行事における国歌斉唱時の起立強制を茶化しているだけだろうが、「浜崎の暴言」を真に受ける人がいるかもしれないので念のためトラックバックしておこう。

(ちなみに本題は「麿もまださしたる老いの身ならねば、握りさえすりゃじきに立つなり」からとった。「立たぬなら、立たせてみよう」では永く天下を治めることはできませぬぞ>教育委員会)

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2006/05/30

Windows 1.0

勢いだけで良いですか」という記事のために「送信ボタンをクリックする前に、一回読み直せばこんな恥をさらす事はないのに」の具体例を探した。しかし、これはある意味「バカの代表」としての晒し者だから、慎重さを要する。一つには、いくらバカな事を書いているからといって、他を差し置いて「このバカを見よ」とすることが妥当かどうか。また強い思い込みで書いているものは逆恨みされる危険もある(トラックバックしなければ本人は気づかないだろうが、同類が集団的自衛権を発動するかも)。

そこでブログではないけれど、有名人の講演を例にした。「これは勢い余ってではなくて本質的なバカだろう」という批判はあるかもしれない。

ちなみに、この講演、ライブで聞いている。すぐに何か書いた記憶があったので探してみたらmixiの日記だった。より広範な問題指摘は既にしている人がいるけれど、せっかくなので公開。半年経つと「公には書きにくい」も弱まるのね。

19,20の両日、日経コミュニケーション創刊20周年記念フォーラムに行ってきた。あわせて14セッション。本来なら合間合間にまとめ、翌日にはレポートを提出するところ、あいにくと鼻風邪をひいてしまい...orz

金曜に残業してメモと記憶を整理したが、まぁ難しいこと書いても読んでもらえないもんね。

ところで公には書きにくいのが表題の件。2日目に「 企業を変えるネットワーク革新 〜21世紀をリードするための条件〜」というご大層な題の基調講演を行った大えw研一。一言でまとめると、「教師の言うことなんか聞くな」と言う親の言いつけに子供が従ったとご満悦のおぢさんによる無邪気な自慢話。(いやいや、結構邪気にまみれ、脂ギッシュだったという評価も)

アンケートには「大変わかりやすかった」が「あまり参考にならなかった」と回答しておいた。

わずかに参考になったのは...新入りに古参社員を教育させろ、というところくらい。

フレームワークを理解していなければ、(天才は別にして)それを超えることなどできないでしょうよ。

googleは適切なキーワードを入れられなければ求める情報を得ることはできない。

ヒットした記事も読まなければ身につかない。コピペで済むと思うなよ。

googleも間抜けではない。利用者が求める情報を提供しなければそっぽを向かれる(競合に敗れる)と言っている(情報提供側のSEOとは友好的緊張関係)。

iTMSのSはStoreの頭文字ってご存じ?

携帯電話からインターネットに入った人間はセキュリティ意識ぼろぼろだと思う。

参考記事:「楽天・ライブドアでさえ経営モデルは古い」−−大前研一氏
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20051020/223142/

「大前氏は,Windows OSのバージョン1が登場した1985年を「すべてのデジタル革命の起点」と位置付け」 ぉぃぉぃ 藻前はWindows1.0を使ったことがあるのかと問いつめたい。Windowsがなんとか使い物になるようになったのは3.1からというのが世間の評価だと思うが。

末尾に取り上げた記事は記者による要約だから講演を聴いていない人は「何をバカな...日経の記者も質が落ちた」と好意的な解釈も可能だったが、SAFTY JAPANは署名記事だから逃げも隠れもできない。

NASDAC (^^;


で、ゴキブリは一匹見たら...で他にもないかと探すとありました。NASDAC銘柄! 人をバカ呼ばわりする前に念のためgoogleで検索したら、予想通り「もしかして: NASDAQ」と御注進。そうですよねぇナスダックはNASDAQ。さらに念のためNASDAC銘柄で検索すると新語流行語大賞狙いか?とWindows1.0と合わせて指摘している記事発見(NetwereはNetWareの間違いですね)。ああ、最近はホットコーナー読みに行ってないな。読みに行ってないといえばがんばれ!ゲイツ君もご無沙汰(ここでも取り上げられている事は検索で見つけた癲声塵語で知った)。それはともかく、NASDACというゴキは結構多いようだ(すべて誤記とは断定できないが41,600件ヒット)。

ところでこのBG/AG(ビフォアゲイツ/アフターゲイツだって 弔鐘)について調べてみると、真に受けている人が結構いる事に驚く。もしかしたらこういう人たちにとってはWindows1.0というのは単なる比喩で、その実際はどうでも良いのかもしれない。そういう考え方はありえる。何か時代の区切りが必要だ、85年は区切りが良い、この年に何があった?そーだWindowsだ、程度なのだろう。そうするとWindows1.0なんて、というのはただのパソコンおたくがキャンキャン吠えているのと同じ? 勘違いから出発して正しい結論に辿り着く事もあるから、細かい事を気にしていたら大成できないと鷹揚に構えるべきか。

しかし、この恣意性には腐臭を感じる。これに関して大前を「実際に彼の「残り2割になる方法」というのは、...「実戦検証済み」の方法ばかりで、その意味で「勝ち組マニュアルライター」としては、最も良心的な作家の一人」「彼は還暦を過ぎた今も、まだ教師であるよりも生徒」「力のある人が老いる事を知らないというのは、実は結構な悲劇」と評しているのを見つけて、なんとなく納得。

マスコミなおもて往生す


さて編集者がついているプロの物書きですら、こういう間違いをしでかす(芸風なのかもしれないが)。これに関して、上野千鶴子が曽野綾子に対して「第二に、曽野さんの理論展開が、すこぶる粗雑で事実誤認を含んでいる事である」と指摘しながら「これを読んで、私はアゼンとした。それから、ちゃんとした編集者に巡りあえなかった彼女の不運に同情した。」と書いているのを思い出した(今は廃刊となった月刊Asahi Vol.1 No.6)。これは「現実の出版界にもゾッとするほど低劣なものはありますよ」と平野啓一郎が「新潮」の対談で述べていることに通じるだろう。

とすればブログにおいておや。だから「細かい事は気にしない。必要なのはリアルタイム性と勢い。」という意見もわかる。でも、悪いところまで真似する事はないと思う。ネット上で「私は初心者なので」を免罪符に繰り広げられる迷惑行為を知っている人なら、「初心者だからこそ」慎重にすべきという意見に賛成してくれると期待する。

後から直せるのがブログに限らずオンライン公開の利点ではあるけれど、それは公開前校正省略論を正当化しないだろう。

議論は活発であった方が良い。そのためには異論を歓迎し、自分とは違った見方考え方に寛容であるべきだ。しかしそれも「私はこう考える」と述べられていればこそ。「真実はこうだ」と嘘を書かれたら突っ込みたくなるのが人情。

枝葉末節には無闇に突っ込まないようにと自戒しつつ

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2006/03/12

再生できない動画

シンポジウム「バイオリソースとライフサイエンス研究最前線」で見せてもらったナルコレプシーのゼブラフィッシュの動画をもう一度見たくなり、記憶を辿ってスタンフォード大学のサイトを探し、それらしいページを見つけた(画面の構成は会場で見たのと異なるような...)。

ところがゼブラフィッシュの動画を再生できない。イヌのは再生できるからブラウザやプラグインの問題ではなさそうだ。そこでファイルの一覧取得を試みた。幸いなことに.htaccess で表示規制はされていなかった。

ファイルの一覧:fish.aviは554K

見ると問題のfish.aviだけが異様にファイルサイズが小さい。全部で3分の動画が554Kということはあるまい。どうやらファイル自体に問題がありそうだ。

仕方がないのでナルコレプシーのダックスフントの映像でがまんする。撫でられて喜びのあまり脱力してしまっていた(ナルコレプシーの特徴の一つカタプレキシー)。ちなみに件の動画は刺激されて興奮気味に水槽の中を泳ぎ回ってから突然底に沈んでしまうゼブラフィッシュ。鰓が動いているので生きていることはわかる。

(他所にもあるかもと思い立ってgoogleでfish.aviを検索したらモンティパイソンの「おさかなダンス」と「スペイン宗教裁判」の載ったページがヒットした。w )

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2006/02/26

ルール&マナー検定2006

インターネットにおけるルール&マナー検定2006上期が始まっていたのでやってみた。94点。

あなたは、インターネットについて職場や教育現場で指導的な役割を担う人として必要なルールとマナーの知識を身につけています。
本当のことを言ってもお世辞にはならないぞ。:-p どちらかというと「こども版(ふりがななし)」を連続5回クリアした方が実際的な気がする(つまり大人版はややマニアックな出題が散見される...オトナの問題はこども版ではあつかってくれないだろうが;クレジット決済など)

それにしてもさすがに百問回答はくたびれる。43分で片付けるのも無謀といえば無謀だが(1問平均26秒)。

間違えたのは「ルール」で5問(正答率83%)、「安全利用」で1問(正答率96%)。


サイバーモールの責任
忠実屋ペットショップ事件を逆に理解していた(原則としてモールの責任は問えないが、テナントとモールが同一体と誤認されても仕方がない態様の場合は有責)。
児童買春防止法
児童ポルノも持っているだけなら(今は)お咎め無しなんだ。
SOHOビジネス勧誘とクーリングオフ
通販にクーリングオフは適用されないという理解は合っていたが、SOHOビジネスの勧誘は通販ではなく業務提供誘引販売取引っていうんだ。だからクーリングオフは適用される。
契約の成立時点
平成13年に成立した「電子契約法」で到達主義、つまりpopサーバに届いた時点で未読であっても契約成立に変更。(って、その前は発信主義だからいずれにしても間違ってら)
e-文書法のメリット
データの改ざんが容易って、ぉぃぉぃ、電子署名は義務づけられていないのかい。しかし媒体の劣化などは問題だね。物理的劣化以前に読み出す機械がなくなりそう。
メールフィルタリングソフト
ケアレスミス(「間違ったものを選べ」だよ)。選択肢を見たら答えられると豪語している人もいるが、こういう罠があるからね。

例年間違えていた薬の個人輸入問題はクリアできた(けど忘れた)。

さて90点以上はインターネット利用アドバイザー試験を受けることができる、とあるがなんだかんだで20,000円近くかかる。それだけの価値はあるのだろうか? わ、15,750円は論文審査と面接の費用で、合格するとさらに講習料10,500円が必要なんだ。

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2006/01/30

とっても愉快なサイト

ニュースを読んでいたら物騒なタイトル

気に入らないサイトを"攻撃"できるWebサイト

はじめはレンタルボットネットのようなものかと思ったが、記事を読むとどうも感じが違う。yahoo!uk は「Best Innovative Web Site」賞を授与したという。

で、覗いてみた。

やってみた

godalmighty

大笑い。モンティパイソンを思い出しますね。指の先からは雷光が発せられ、罪人を焼きます。


Dog poop の犬の顔も良いが、なんといってもFried Eggsが愉快。平和的なFlower Powerはビートルズ的?

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2005/08/07

猫の経穴・経絡模型

テレビ東京の「出没!アド街ック天国」で紹介されていた猫の経穴・経絡模型を見に行こうと思っていたが、あまりの暑さに断念。まぁ、心が動いて買ってしまうことを恐れたせいもあるが。ネコのための指圧本『にゃんこの指圧』で拮抗阻害をかけてしまおうか。

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2005/06/05

comic life

日刊デジタルクリエイターズの1747号で神田敏晶さんが、Comic Lifeを絶賛し、「日本初!ComicLife セミナー」を開くというので思わず申し込んでしまった。会場が噂に聞くdotBARというのも一因。

しかしさしものデジクリの告知力も、comic lifeを日本に紹介した百式の面白いもの発見力も、前日告知という悪条件は跳ね返せなかったようで、なんと神田さんとマンツーマンセミナーとなりました。

半分は、勤務先のお仕事に使えるかも、という邪念もあったが、実際を見てみると、これは純粋に面白い。受講者一名もなんのその、講師は乗りに乗ってどんどんコミックを作っていく。そして簡単。簡単すぎる。あまりに進行が早いので、記録係の女性が悲鳴を上げていた。神田さんのblogには即製のコミックが次々と。なかにはこんなことしていいの?というものも。(^^;

ネコの写真に吹き出しを書き込んだ「ねこまんが」というものが売られているのをみたことがある。このソフトを使えば手軽に作れるだろう。そういえばかつて、アルバムに吹き出しを書き込むなんてよくやっていたものだ(教科書の挿絵にも...)。

それにしても、神田さんと私とで、興味の方向が微妙つうかかなりつうか、異なっていたのが面白い。

残念なことに、この少し前にウイルスに感染したらしく、翌日から頭痛発熱に悩まされ、ついには寝込んでしまって、いまだにインストールに至っていない。

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