「EMについて考える」
ジャパンスケプティクス公開討論会「EMを考える」を聞いてきた。討論会と言っても白熱議論ではなくて、3人の講演の後、1人加えて4人でパネル討論。
EMとは有用微生物(Effective Microorganisms)の略語で、元は農業用微生物資材。株式会社EM研究機構のサイトを見るとしっかりと™(トレードマーク)が付されていた。
EMとの付き合い
実はEMとは1990年代に、微生物による汚水処理や有機廃材の堆肥化に取り組んでいるときに出会っている。そのころは生ゴミを全部素晴らしい堆肥にするのでゴミ問題解決の最終手段みたいな触れ込みだったと記憶する。幸いにもほどなくして土壌肥料学会が「ほかと大差なし」と総括し、週刊誌もトリックを暴いて話を広げすぎだと批判したことで深入りしないで済んだ。
その後、経営者らに人気の(私が密かに「おやじのオウム真理教」と批判していた)コンサルタントから寵児のごとく推されていたが、個人的にはオワコン(終わったコンテンツ)認定。セラミックに焼き固めても効果があると言い出すに至っては、大喜利以外で触れたら××が伝染りそうで。
しかし西に口蹄疫禍があれば行って「口蹄疫に効く」、東に原発事故があれば「放射能を消せる」と今に至るもしぶとく生き残っているのを見るにつけ、(自分に何ができたかはひとまずおいて)頭を潰しておくべきだったという後悔の念を抱かざるをえない。
EMの主張を検証する
最初の講演は小波秀雄(京都女子大教授)による「EMとはなにか―その主張を検証する」。農業関連に始まり、健康と医療に関する効能、環境への効能、建築材料への応用が主張されている様が示される。常識があれば「なんにでも効く」には胡散臭さを感じるはずだが、開発者御自ら「EMの万能性」を謳って恥じるところがない。支持者も疑問を感じないようだ(下図の赤丸は引用者が付した)。
であるならば、「大沢崩れはもともと植生のないガレ場なので、EMを撒けば植物が生えて崩落が止まるなんてのはナンセンス。それができたらむしろ環境破壊。」などという理詰めの批判は効果がない。売り出し当初は農産物の増収が謳いだったのが、ゴミ処理、水処理、疾病治療...と風呂敷を広げていく過程をその当時のニュースと並べて追っていけば、耳目を集める効能を追っかけている様子が見えてくるのではないだろうか。収穫という形で効果が目に見える農業分野でEM熱が冷めているなら、それを示した方が説得力がある。「あなたは4匹目のドジョウ」だと。
初期の普及に農協(JA)が関わったのは婦人部の影響が大きいという指摘もあった。どうも生ゴミ処理が第一義。かつてのEM批判の中には「EMコンポストが良い肥料だというのは農業をやっていない人の意見」というのもあった。農協婦人部としてはゴミが片付き、ついでに肥料になるならくらいのつもりであったのかもしれないが、それが都会の人間の手にかかると「EMぼかしは素晴らしい肥料」に化けてしまう。ゴミ処理という自分の都合を覆い隠し、「あなた(農家)のためだから」と親切顔。2002年に都内某市で開かれた生ゴミと選定枝の資源化を巡るシンポジウムで、出席した農家が苦々しげに農地はゴミ捨て場ではないと発言したのが思い出される(家庭ゴミから作ったコンポストにはプラスチックなど未分別のゴミが多かったせいもある)。
それにしてもスーパーサイエンスハイスクールの中にもEMを肯定的に取り上げている学校があるというのには驚いた。その研究成果を学会で発表して質疑を受けたり、科学雑誌に投稿して査読を受けるまでやるならば良いではないか(そうやって本物の科学の厳しさを思い知れ、そこまでやらないならばSSHの看板を下ろせ)という意見もあるが、「重力波」とか「波動」とかを持ち出している時点で変だと勘づかないのは致命的にまずいだろう。これを正す簡単な方法はおそらく(大学)入試。入試の理科や国語でEMのおかしなところをとりあげるならば、予備校や熱心な高校は傾向と対策として疑似科学文書を正しく読み取る技術を指導するようになるだろう。簡単なものならば高校や私立中学の入試でも取り込める。と学校に丸投げして済む話でもない。学外でできることは題材として取り上げられるような文書を公表することで、これなら環境や微生物の専門家以外でも協力できる(ただし、その筋からの圧力への備えも必要)。国語の入試問題であれば理科よりも受験者は多いので、効果がより期待できる。社説やコラムが出題されることが自慢の新聞社もぜひここで名誉挽回を図ってもらいたい。
地方行政と教育に食い込むEM
2番目の演者は朝日新聞青森県版に「EM菌効果「疑問」検証せぬまま授業」という6段に及ぶ批判記事を掲載した長野剛記者。
全国紙といえども地方支局は人手不足。しかも新人社員の修業の場。「地方面って、写真が多いでしょ(埋草として手軽)」には会場から失笑。いきおい送られてくるイベント情報などに頼ってしまい、「川をきれいにする運動」などを無批判に記事にしがちらしい。そんな記事不足を逆手にとっての6段ぶちぬき記事(そういえば、弘前大学教授夫人殺し事件の再審をもたらしたのも、「白紙で新聞は出せませんよ」とデスクに追い立てられた記者が、労組事務所の掲示板で見かけた松山事件―これも後日、再審で無罪に―の署名を集める死刑囚の母の話を記事にしたのがきっかけの情報提供だった)。
意表を突かれたのは、取材の後半になってその意図(EM批判)を告げて続けたということ。記事をよく見れば「教師は、効果に疑義があると知り「生徒にはきちんと説明したい」と語る。」とあるので、騙し討ちにしたのではないと分かるのだが、オープンな人だなぁと感心。もっとも当の教師は真っ青になったそうである。質問タイムは押していたせいもあって指名されなかったため、後で個人的に質問をしたところ、指導していた教諭の担当科目は不明(イメージからすると国語とか芸術とかか。少なくとも理科ではなかった。)。また理科教諭の態度を聞くと、どうやら批判を口にはしていたらしい。想像するに、EM自体は県から配ってくるし〈培養〉に使う米の研ぎ汁は生徒が家庭から持参するしで費用が大してかからないこと、また課外活動であることから、積極的に反対するほどではないと判断したのだろうか(この点は長野記者自身「人が死ぬわけでもないし」と他の記事を押しのけて掲載するほど積極的ではなかったことに通じるような)。講演中もしきりに「前任から引き継いだ教師だけを責めるのは可哀想」と庇っていた。
長野記者は津の出身で大阪勤務の経験もあるせいか、関東者の耳目には〈いかにも関西人〉という感じのノリの良さで話されていた。あの調子で取材されたら寡黙と言われる青森の人は困るだろうな、と余計な心配をしていたが、これも終了後に会場で尋ねたところ、赴任先ではできるだけ現地の言葉を使うよう努力されたとか。
EMは水質を浄化できるか
3番目は底生生物の研究者である飯島明子(神田外語大学准教授)による「EMは水質を浄化できるか」。できるか、の話が出てくるかと期待したが、延々と続くのは水辺の生態系の話。どうなるのかと思ったが、レジュメを見たら末尾に「EMはどれにも寄与しないので不要です」とゴシックで書かれていて吹き出しかけた。
下水処理場や浄化槽の曝気槽と現実の水辺は違う。おかしな科学を振りかざす人はしばしば質量不変の法則を無視するが(無視するどころか生体内元素転換だなんて錬金術師みたいなことを言い出す人まで)、EMのような方法では富栄養化の原因の一つであるリンを取り除けないのは明白であるし、もう一つの悪玉であるチッ素の除去には硝化菌と脱窒菌の連携が必要で、その酸化と還元が交互に起きる環境は干潟あるいは渚が提供している。環境がなければ微生物だけあっても意味はない。
ちなみに諫早湾干拓地の調整池(例の堤防で仕切られた淡水域)にEMは投入されており、それが水門をあけさせないためだと比嘉照夫が発言したことに飯島さんはいたくお冠。なんの効果もないことは「諫早湾 ユスリカ」で動画検索をすれば分かるというのでやってみた。いやぁ、すごい。
ちなみにユスリカは富栄養化した水域で特に多く発生する。実は幼虫(アカムシ)が水中の有機物を食べて育ち、空中に飛び立つことで水の浄化に貢献しているというのも皮肉な話。鳥が食べて、死骸が水に戻らなければチッ素・リンも含めて除去できるのだが。
EMは手強い
最後のセッションは講演者3名+菊地誠(大阪大学教授)によるパネルディスカッション。最近、EM研究機構から大学総長宛に抗議文?が届いた菊池教授、EMを担ぐ人びとのしぶとさ、手強さを語る。たしかに土壌肥料学会がノーを突きつけて農業用微生物資材としては大したことはないと知られ、また『カルト資本主義』で科学というよりは信仰と指摘されてから20年近く、フィールドを変えながら勢力は衰えない(ただし、今も活発に見えるのは草の根の活動が可視化された効果もあるかもしれない。新聞の埋草記事もネットで全国から閲覧できるし、SNSでの告発も多い。ニセ科学の横行を知る人達の危機感をかきたてた「EMで放射能除染」にしても、福島県内で実際に行われた例は少なく、どうも県外向けの宣伝が主目的ではないかという疑いも。)。朝日新聞青森総局に乗り込んできたDNDの出口俊一は、あまりに弁が立つので感心した局長が経歴を尋ねると産経新聞の記者だったということも。ただのトンデモさんの集まりではない。
新聞の問題は重要で、長野さんが学校だか役所だかで「EMは効きますよ」という人から見せられた〈資料〉の大半は新聞記事の切り抜きだったという。また特に全国紙の中には「〈敵〉は政府と大企業」という意識があって、いいかえると新聞はその2つをチェックするのが第一の仕事と思っているから、市民団体や児童生徒がやってる〈環境保護活動〉が有効かどうかを疑おうという発想がない、と。人手不足の地方支局にいる経験不足の若手記者が〈狙われ〉やすいことは分かっているので取材の基本の徹底で臨みたいとおっしゃるが、どこまで期待できるだろうか。
単に「EMはだめ」「永久機関もだめ」とブラックリストと照合するやり方では新しいイカサマに引っかかる。組織的な対応が必要だ。最近のイグノーベル賞は「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる」まともな研究の受賞ばかり報道されるけれど、元はノーベル (Nobel [noubél] ) に、否定を表す接頭辞的にIgを加え、英語の形容詞 ignoble [ignóubl]「恥ずべき、不名誉な、不誠実な」にかけたもので、実際受賞者の一覧を見るとホメオパシーの研究家やUFO研究家、また独裁政治家や核実験を強行した政治家にも送られている。同じように恥ずべき科学記事を〈讃える〉賞を設け、(執筆した記者にではなく)社長や科学部長に贈呈すれば、社内教育に危機感を持ってくれるだろうか。新聞境界賞とか。
もっとも朝日新聞と毎日新聞のEM記事を数え上げてみると、毎日新聞は斗ヶ沢秀俊記者の努力にもかかわらず2013年になってもEMを肯定的に取り上げる記事が絶えないのに対し、朝日新聞はそれまで年10本以上掲載されていたのが2012年以降ぱったりと途絶えているそうで、これは記者のリテラシーが向上したというよりは、EM(研究機構)側のメディア戦略(=「朝日は敵」)があるのかもしれない。だとすれば(相対的に狙われる報道機関が出るとはいえ)働きかけを受けない報道機関が橋頭堡として機能することが期待できる。
最後に「水商売ウォッチング」を主宰し業者との裁判闘争の経験もあるapjさんから、業者らから訴訟攻撃を受けないための注意がなされた。主張するのは証明可能な事実に限定し、かつ名誉を毀損するような表現を慎むこと(ちなみに名誉毀損は真実の指摘でも成立するが、公益を図る目的であるなど条件を満たせば免責される)。あることないこと罵倒していると、身許を暴かれて提訴される危険があるのでご用心。
なお、ジャパンスケプティクスは変な人が誤解して入会しないように敷居を高くしたところ、会員の自然減を補えなくなっているとか。興味のある方はサイトを覗き、気に入ったら入会してください。早くも(ないか)本討論会の要約が載っている。
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