2013/10/20

「アメーバ放射線」ってなんでしょう?

ツイッターで質問をもらった。「アメーバ放射線って何?」。放射能を持つアメーバか? しかしそんなものは聞いたことがない。そこで「誰が、どこで使った言葉ですか」と質問を返しつつ、とりあえず検索。

そうするといくつかのページがヒットするが、当該ページに行っても見つからない。ただ、アメーバブログの記事が多いことに気づく。そしてついに見つけた「アメーバ放射線」と載っているページ

このグルタチオンは、アメーバ放射線によって出た活性酸素を捕捉除去し、アメーバ毒物を抱合して解毒する。

「アメーバ放射線」のみならず「アメーバ毒物」なる謎の物質まで登場。

この記事は転載だというのでオリジナル(これは私の勘違いで、なんと転載元自体が転載記事で、その1行目「内科医による新時代の健康革命さんより転載」を転載元表示だと思ってしまった。結果として本当のオリジンに辿りつけたわけだが。)にいって正体判明。元記事は

放射線によって出た活性酸素を捕捉除去し、毒物を抱合して解毒する。

と、こちらでは普通に「放射線によって出た活性酸素を捕捉消去し、毒物を抱合して解毒する。」となっている。つまり箇条書きの頭についているアメーバブログのロゴ?がコピーの際に「アメーバ」というテキストに化けたということらしい。

ただ、不思議なのは普通にコピーペーストする分にはそのようなテキスト化は起きない。〈アメーバ〉の画像には「alt="アメーバ"」という属性が指定されているけれど(これはアクセシビリティの誤解で、こういう説明の必要がない画像はalt属性を空欄にするのが妥当)、どうすればこれがコピーされるのだろうか?

いずれにせよ、「アメーバ放射線」というものはアーチファクトであると結論が出た頃に、質問者から出所が届いた。最初の転載ブログであった(アメーバブログではなくてfc2ブログ)。この人達は自分のブログエントリーを読み直さないのであろうか? そりゃ、人間だから見落としはある。しかし2つのブログで起きているのを見ると、偶然の不注意とも思えない(実際にはもう1つあった)

そう思いながら前後の記事も見ると、なーんだ転載記事ばかり。なるほどブログタイトルに「の伝言」と冠している通りだ。もう1つのブログも転載が多い。ひょっとしてアフィリエイト専用ブログか? 並んでいる記事を見ていると暴言モードへのスイッチが入りそう。(-"-) こういう粗雑な〈キュレーション〉(もどき)が放射悩な人たちの情報源だとしたら、まともな判断は難しいだろうな。

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2012/08/14

感動の一枚が怪写真に化けるまで

ロンドンオリンピックのサッカー3位決定戦。負けてがっかりなところへ来て、浮かれた韓国選手が「独島は我が領土」なんてデモンストレーションしたものだから、頭に血がのぼった日本人は多かったようだ。

そこへ春・夏・秋・冬というブログに載った試合終了後に清掃する日本人応援団という写真が出回り始めた。Facebookを始めあちこちに紹介され、サッカーにあまり関心のない私のところにまでツイッターで伝わってきた。

しかし、日本人サポーターは日本での試合終了後と同じように、自分達の応援席を中心にしたスペースのゴミ拾いをして清掃している姿が外国人記者の目に止まり、その姿を写真に収められた。
ややもすれば、負けたことの腹いせにイスを壊したりモノを投げたりの暴挙に出るやもしないのに、冷静に清掃する・・・誇らしい姿じゃないか。

ふーん、と思いながら読んでいたが「外国人記者の目に止まり、その姿を写真に収められた」というところで引っかかった。つまり外国の(?)雑誌あるいは新聞に載った写真らしいのに、出所がどこにも書いてない。屈んでいる二人は大きな日章旗らしいものを羽織っているので、オリンピック会場というのはそうだろうけれど、本当にサッカー日韓戦後のスタジアムで撮った写真ですか?と問われると確答しかねる。

そこで、とりあえずブログのツイートボタンからは出所不明の写真であると指摘してから、出所を確認すべくgoogle画像検索にかけてみた。ところがヒットするのは日本語のページばかり(検索に言語指定はかけていない)。日付指定をして絞りこむと、どうやら初出は前記ブログ。変ではないか。

ネットには嘘がいっぱい


ツイッターというのはほんとうに嘘が沢山流れてくる。割合で見れば少ないのかもしれないが、とにかく総ツイートが膨大なので、結構な数の嘘が目に付く(情報の真贋を見極められない人ばかりフォローしてる、ということはない)。特に目を引く写真は要注意で、もっともらしい説明が付いていても、実は無関係な写真に適当なお話を付け加えただけというシロモノが結構多い(黒猫先生も具体的に注意している)。それが「シャレである」という認識が共有されているなら、やれ出所がどうのこうのというのは野暮であるけれど、糸柳事件を持ち出すまでもなく、〈お約束の冗談〉がいつの間にか〈本当の話〉として広がることは起こりうるし、担ぐ気まんまんで流されたらたまったものではない。

騙されているにもかかわらず、嘘を信じて、その筋の専門家に喧嘩を売っている痛々しい素人もそう珍しくはない。

オリンピックでは、石原慎太郎都知事が「銅メダルなんて誰でも取れる、金を取らなきゃメダルじゃない。金を取らないと日本に帰ってこられないようなもっと重たいものを課せばいい」とTVで発言したという8月6日付のツイートもあった(14日現在11,232RT)が、調べてみるとこれは2010年の冬季オリンピックの時の発言。ほんっとウカウカしていると騙される。

ホームページの時代から怪情報はあったけれど、掲示板、ブログ、ツイッターと手軽になるに従って、騙された人間が拡大再生産して爆発的に広がるようになってしまった。

この写真は本物か


で、冒頭の写真に戻る。少なくとも外国の新聞雑誌には載っていない写真らしい。もっとも撮影した外国人記者から直接もらい、記者の記事は没になった(あるいは紙誌面だけでネット版不掲載)という可能性も残るから、間接的に韓国の悪口を言うために「日本って素晴らしい」を捏造したと断定することはできない。しかしまぁ、なんか怪しい写真であることには違いない。そこで調査結果をツイート(このツイートに書いたURIは現在無効)して、美談を鵜呑みにはしてないよ、をアピール。

1日経って、今度は顔本でもこの写真を目にした。「みんなイイ話と思ってるみたいだけど、なんか怪しいよ」とコメントすべく、念のため再度画像検索をかけた。すると12日にこの写真を付してツイートしている人を発見。たしかにロンドンオリンピック男子サッカー三位決定戦後の写真と書いてある。しかしツイートに表示された現在地はパリ。(?_?)

この写真は本物だ


この人はTwilogに登録していなかったが、幸い直近200ツイートの中に残っていた。前後のツイートを読むと、オリンピック観戦後ユーロスターでパリに出てきて、ドゴール空港から帰国するらしい。矛盾するようなツイートは見当たらないので、あの写真はこの人が撮ったと判断。

そうするとおせっかいの虫が動き出し、御注進に及ぶべく、まず証拠固め。ひょっとしてもう気付かれているかもと思い、さらにツイートを追ってみると13日にこの写真を撮ったのは僕ですと。

そして件のブログ主も「伝聞をそのまま鵜呑みにしてしまいました。早速(本日14日午前中には)訂正して撮影者様のことも記載訂正いたします。」と詫びをいれている(14日8時)。え?と思ってエントリーを見直すと、末尾に追記がしてあった。こういう場合は「清掃している姿が外国人記者の目に止まり、その姿を(追記参照)写真に収められた。」のようにすべきだと思う。

引用では出所を明示する


間違いを書いたブログ主が最初にどこでこの写真を見たのかは不明だが、自分のブログで紹介するときに、引用のルールに従って出所を明示していれば(しようと努力していれば)、こういう間違いはしないで済んだろう。コメント欄でも転載元を明記した方が良いと注意されているのに、「ご指摘ありがとうございます。今後の参考にさせていただきます。」と他人事のよう(13日20時半)。その12時間後には冷や汗を流すことになる。

今回は撮影者の了解を得られたから良いものの、出所を示さず、あまつさえ間違えた説明(外国人記者が撮影)を付して掲載した行為は著作権法違反(十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金)に問われる行為だ。注意したい。

なお、引用絡みで言えば、韓国選手がかかげたボードに「竹島は我が領土」などと書いてあるわけがない。元が韓国語なので翻訳の問題もあるけれど、たとえるならば無実を訴える死刑囚が「不当判決の撤回を」と書いているのを「確定判決の撤回を」と書き直すようなもので、間違ってはいないけれど、それをやったら検察に肩入れしてると見られるだろう。おそらくブログ主は「竹島は日本固有領土に決まっている」と思っていて、ためらうことなく「竹島」と〈翻訳〉してしまったのであろうが。

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2009/03/29

ブロガーならずとも知っておきたい著作権の基礎

“不知はこれを罰する(違法だということを知らなくても違法な行為をすれば罪に問われる)”

事実とアイデアに著作権は無いが、表現にはある


著作権法の第二条で「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義されています。思想や感情そのものは対象になりません。「事実」も著作権法の対象外です。

よくある?勘違い

「写真家に私の肖像を撮ってもらいました。私が写っている写真だから、私が自由にできる。」

一般的には、たとえば「私」が撮影条件をいろいろ指示して写真家は「シャッターを押すだけ」という場合とかあらかじめ著作権をどうするかを決めていた場合とかを除けば、写真の著作権は撮影者にあります。

自分が写っているからといって、他人の著作物を勝手に複製したり改変したり自分の作品のように発表したりすることはできません。

自分用にコピーするのは自由ですが


著作権法は、個人が自分であるいは家族と楽しむための複製(コピー)を認めています。だからこそたとえば放送を自由に録音・録画できるわけです。

これは法律では「著作権の制限」という項目にまとめられています。制限、つまり「本来は権利があるんだけど」という例外規定ですから厳格です。自分用の複製であれば「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用」「その使用する者が複製」という条件があります(さらにコピープロテクトの解除などは違法だという例外の例外規定も)

家庭内ならOKといいますが、親族100人に配るのはどうかなんて問題(100人がダメなら50人は?25人は?とゼノンのパラドックスに)は、あとで説明する「告訴がなければ起訴できない」が解決します。「100人も親族が集まるなんておめでたいことだ」と喜んでくれる人もいれば、「会ったこともない遠縁までいるのはおかしい(告訴されたくなければ正当な使用料を払え)」という人がいてもおかしくない。

なお、個人用に複製したものでも、そのあとで「目的外使用」をすれば、普通の複製(つまり許可が必要だし無許可でするのは10年以下の懲役となる犯罪)となります。法律の条文には「複製物によつて当該著作物を公衆に提示」とありますから見せるだけでもダメ

営利/非営利は関係ない


「それで儲けてはいないからセーフ」と考える人がいます。著作権法で営利かそうでないかを考慮するのは特別な場合で、無断コピー(複製権侵害)は非営利であっても違法です。

納得できない人はこう考えてください。あなたが無料でコピーを公開しているために、本来は売れるはずのものが購入されず、著作権者の利益を害している、と。今は販売されていなくても、これから販売する計画があるかもしれません。

もっともこれは、金に換算しないと理解できない悲しい人のための比喩です。

守らなければいけない権利は著作権以外にもあります


法律が保護するのは著作権だけではありません。著作権法的には合法でも他の法律に引っかかる場合があるから注意しましょう。また刑事罰はなくても不法行為として差し止めや損害賠償の対象となることがあります。たとえば写真の著作権は撮影者にありますから、自分で撮った写真ならば著作権問題はクリアしています。しかし芸能人にはパブリシティ権というものがあるので、その写真を了解なくブログに載せることが不法行為となる場合があります。

冒頭に挙げた写真の例では一般人である「私」にも肖像権があります。したがって著作権者(写真家)もその写真をどんな風にでも自由に使える訳ではありません。撮影申込書に小さな字で何か書いてあるかもしれませんが、それでも「私」の名誉感情を害するような使い方は差し止め・賠償の対象となります。

「みんなもやってる」は子どもの屁理屈


いい大人が、いたずらを叱られた子どもみたいな言い訳をしないでほしいものです。

公道での自動車の運転だと、制限速度を愚直に守ることが渋滞や事故の原因となることがあります。しかし著作権法を遵守しても誰にも迷惑をかけません。

厳密にいえば、許諾請求を処理する事務能力がない人に大量の請求が届くと面倒くさくなって「全部拒否」となってしまう危険も、理論的には考えられますが。

あなたは「みんながやっている」ことならば、犯罪にも手を染める人間ですか? 著作権の侵害に窃盗罪よりも重たい刑が科せられるのをどう理解しますか?(もちろん被害の高額化が直接の理由でしょうが、無断複製は少なくともドロボーと同じ、場合によってはもっと悪い、というのが現代の考え方といえるでしょう。)

それに、本当に「みんな」がやっていることですか?

著作権法違反の起訴には告訴が必要ですが


著作権法違反を起訴するためには告訴、つまり被害者(著作権者)が検察に「犯人を処罰してくれ」と申し出ることが必要になっています(告訴を必要としない場合もある)。

これを「著作権者にばれなければ大丈夫」「軽微な侵害ならば問題にならない」などと解釈する人もいるようですけれど、そういうのを反社会的と言います。

たとえば強姦罪(単純強姦)も、起訴するには告訴を必要としますが、だからといって「無理矢理しても、金を渡すとかして半年間おとなしくさせておけばOK」と考えるのはまともな人間でないのと同じこと。「愛しているから許される」「結婚するつもりだから問題ない」なんてのも勝手な理屈に過ぎません。相手が怒ったら3年以上の懲役を覚悟しましょう。

守られるのはあなた


今までは「他人の権利」について説明してきました。しかし他人の権利をないがしろにする風潮が広まれば、その害はいずれあなたにも及んで来るかもしれません。他人の権利を尊重することは「あなたの権利」にとっても大切なのです。

また裁判に持ち込まれても勝つけれど、「それをやっちゃあおしまい」ということもあります。特に社会的な声望のある方は、その行為が恥ずかしくないかよく考えてください。自分の利益のためならグレーゾーンでも果敢に突入というのは、一つの個性ではありますが、失うものも大きいと思います。

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2009/01/20

Movable TypeはULがきかない?

身過ぎ世過ぎで臨時の働き口(2月末まで限定)をいただいた某所でブログの更新を仰せつかった。使っているのはMovable Type(バージョン不明)。もらったテキストを流し込んで「保存」ボタンを押すだけで良いのだが、そこはほれ、多少手を加えたくなる。

たとえば丸付き数字を使って項目を列挙してあれば、番号付きリストにする。

デフォルトがリッチテキストエディタで、ちゃんと番号付きリストボタンがある。丸付き数字を消し、1行ずつ独立させて、範囲指定してからボタンを押すとできあがり。ところが

「確認」ボタンを押して表示させると数字が消えて、ただの箇条書き。ソースを見る限りちゃんとマークアップされているのに、番号がでない。ただのリストにしても行頭のマークは表示されない。念のため公開してみたが、やはり数字は現れない。

マークアップが機能していないのかと思い、確認しようとstyleで文字色を指定すると、それは反映される。

リッチテキストエディタがいかれているのかと思い、解除してマークアップしたテキストを流し直してみたが、やはりダメ。

あまり時間もかけていられないので、元の通り本文中に丸付き数字で羅列した。ああ、なんという屈折した侮辱、つまり屈辱。

lint gatewayなどでチェックしたかったが、Another HTML-lint gateway非営利目的に限り自由使用可なので断念。

しかし、不思議なこともあるものだ。

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2009/01/05

ケツカッチン

人のつながりを大切にして年賀状は出しましょうと言われながらも、いろいろ理屈を付けて縮小してきたが、「年賀状を使ってビッグイシューの名を全国に広めよう」などと煽った手前、後悔より始め、もとい隗より始めよで大発行(当社比)することになった。

他人に宣言をすると物事は比較的進む。不言実行などと言っていると不言不実行になるから、退路を断つことが必要。もっとも本当に背水の陣になると命に関わるから大言壮語はほどほどに。

というわけでハガキの準備は順調に進んだ。25日には間に合わなかったけれど、27日には投函。ラベルではなくハガキに直接印字、フォントもMS明朝から変え、様の字を心持ち大きくするなど余裕綽々。

ところが「詳しくはウェブで」と書いた(うそ)、肝心のブログが、実は3月以来更新停止。

幸いにもmixiには日記を綴っていたので、そちらから大転載作戦敢行。公開日を過去に指定すると、その日に公開されたように見える。ラッキー(ただし、トラックバックは誤摩化せない)。

かくして連綿と書き継いで来たような体裁が仕上がった。しかし、この計画の実行遅延とケツカッチン(最終期限を設定した瀬戸際作戦)は、今年も基調となりそうである。

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2008/05/17

ブログサービスを選ぶ

ブログサービスを選ぶことを人から頼まれていた。

要件定義(必要な条件が揃っている)が済んでいれば探すだけだが、そこから始めなければならないため、「なんか忘れていそう」でなかなか進まない。

  • 無料であること
  • 携帯電話で読み書き可能
  • アクセス制御
  • スパム対策

と、ここまではありきたりだが、それだけでは不十分。


安定稼働
突然サービスが止まるのは論外としても、重くなって書き込めないような事があるのは困る。
広告
アダルトや消費者金融はお断り。
著作権
勝手に出版物にされるのも困る。

そもそもブログがベストなのかも定かではない。SNSも検討対象に。

しかし、もう一週間経つから、この土日には何らかのアクションを起こさんと怒られるなぁ。

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2007/12/24

12月の検索キーワードは「月田承一郎」

オープンスクールの実験」でご迷惑をかけていないか心配になったので11月24日(土) 〜 2007年12月23日(日)の検索キーワードを調べてみた。あらら6位にはいってる(実数は少ない)。

  1. 月田承一郎 4.2%
  2. 淵の森緑地 3.0%
  3. でんぐりでんぐり 2.8%
  4. 貧困ビジネス 2.4%
  5. 無期懲役 2.4%
  6. オープンスクール 2.1%
  7. 淵の森 1.9%
  8. 淵が森 1.8%
  9. ビッグイシュー 1.4%
  10. カルパイン 1.4%

それぞれの記事へのアクセスは、右下の検索窓をご利用ください。

トップが月田承一郎で、9位タイにカルパインとは、バイオ系を志したこともあるブログとしては満足すべき結果。まぁ、ドングリの背比べですが。

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2007/11/03

アクセス急増の余波

人の書いたエントリーをろくに読んでないことが明白なコメント、トラックバックが先月に急増したと思ったら、この記事が@niftyトップページ「旬の話題ブログ」コーナーに取り上げられたのが原因らしい。

アクセス急増でパブロフのイヌやロボットみたいな方々も呼び込んでしまったようだ。

大急ぎでゴミを掃除するとともに、本物のロボットにはご遠慮いただくために、急遽コメント登録にCAPTCHA(画像認証)を取り入れた。トラックバックにCAPTCHAは使えないので、こちらは承認後公開制に変更。ついでにコメントも承認後公開に。

さいわい、鉛よりも熱しやすく冷めやすかったらしく、未承認のコメント/トラックバックもほとんど溜まることなく、アクセスも通常レベルに戻った。

今年の目標のひとつは「年間100エントリー投稿」で、これは黄信号点灯中だが、アクセス数を目標にしていたら10年分は稼げたかもしれない。それくらい急増していた。

それにしても、山のような通知メールが届いているのを最初に見たときは、いったい何が起きたかとたいそう驚いた。

コメントのCAPTCHAは継続している(視覚障害の皆さん、ごめんなさい)が、コメントとトラックバックはすぐに公開するように設定を戻した。

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2006/12/17

コメント削除

トラックバックを4つ、コメントを1つ削除した。

基本的には内容に関連があれば拒まないし、内容的に関連が薄くても知己からのご挨拶なら残しておく方針(リンクがなければダメ、なんていうアクセス乞食とは一線を画す)だが、スパムトラックバックやスパムコメントを残しておくほどお人好しではない。

土・くらし・空港についた「JALのやることは何一つ気に入らない!!!」のコメントは、長文の上に斜め読みではなんら関係がないとも言い切れず、それ以上に2厨風のエキセントリックな臭いがして下手に消したら噛み付いてきそうなので、しばらく様子を見ていた。が、思いついてググってみれば案の定マルチコメント。他の被害者にならってサッサと消すことに決定。

それにしてもネジが2本外れた韓国人か、ネジが1本はずれた日本人のなりすましか知らないが、不愉快な内容だった。

spamTBは消費者金融いわゆるサラ金関係。当初は瞥見(チラ見)して「首が回らなくなりかけた人の役に立つかも」と残しておいたものの、読み直してみると新規カモ狙いのようにも見えたのでバッサリ削除。それにしても、どうやって嗅ぎ付けてきたのだろう。感心するやら寒心するやら。

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2006/09/02

『ウェブ・ユーザビリティルールブック』

ウェブ関係の仕事口を探していて薦められた本。初版2001年だが既に大手書店でもネットでも品切れ状態。アマゾンのマーケットプレイスにて購入。

ネット関係の書籍で5年も経つと大概は古くて役に立たない。もっとも『コンピュータネットワークの政治学』のような例外はある。この本は12年前の発行だが、7年前に読んだ時には十分役に立った(今はどうだろ?)。

本書も登場する主要ブラウザがIE(5.5?)とNN(6?)でFirefoxもOperaもSafariも出て来ないし、解像度は800×600を基準としているし、スタイルシートでレイアウト指定はしないと主張するしと、時代遅れな面はある。もっとも640×480も念頭に置けという注意は、携帯電話でフルブラウザの時代にはまた活きてくるから面白い。

では絶版が妥当な古書かというと、そうではない。今でも悪い例に挙げられたサイトは多い。自己満足な個人サイトはさておき、企業サイトにおいてもみすみす機会損失になる構成のサイトは目立つ。本書の存在価値はまだまだある。

内容はウェブサイトを作る上での常識、みたいなものが多い。というか、見られるサイトを作る上での常識集である。繰り返すが、この常識をわきまえていないサイトはまだまだある。手元に置く必要はないが、常に「このページのユーザビリティは」と意識するためにも一読する価値はある。知っているつもりでも見落としはあるものだから。

参考になったのはウェブライティングに関する事項。それまで薄々感じてはいたが意識化されていなかった「ウェブは可読性が低い」「ユーザは常に次のページを読みたがっている」「斜め読みされる」「概論より特定論、曖昧より明確、抽象より具体的な物を好む」という特徴が明記されていた。

なんとなくウェブは書籍に代わるものと位置づけていたが、なるほど書籍とは受け取られ方が違うのだ。書籍のように扱ってほしければ、現状では印刷を前提とする他はないようだ。

それとリンクの使い方も参考になる。一部のブログに導入されている自動テキストリンクが鬱陶しい訳だ。

参考になるだけに、画面上で読むとプリントアウトで読むより25%遅くなるのを「25%のスピードでしか読めない」と書く(p.143)ようなミスは惜しい。他にもp.162では図で囲む記事を間違えている(ブルームバーグではなく、外国為替の記事を囲む)といったミスがある。

また、当時はスタイルシート(CSS)の実装が不十分なブラウザが多かったのでやむを得ないが、レイアウトにはスタイルシートを使わない、は不満。まして「レイアウトはテーブルで制御すべき」は残念。

表組を使わなくても一行の長さは制御可能です。私はmaxwidthを使っていました。これだと高解像度でウィンドウを広くしても一定幅以上に広がらない反面、画面が狭ければ自動で縮小(折り返し)される。もっともIEは対応していませんが。

「コンテンツのタイトルなどに太字を使うのが一番効果的で一般的」(p.137)...それってH1の役目じゃないでしょうか。

blockquoteをインデント指定に使う(p.139)べきではありません。(これもCSSでレイアウト指定をしないを前提とした苦肉の策でしょうが。)

時代の変化に対応した改定版が望まれます。

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2006/08/17

不思議な符合

腕枕をして寝ると、腕の神経が圧迫されて麻痺してしまう事がある。ニフティ時代に、それを新婚症候群というと聞いた記憶があったので調べてみた。

googleで「腕枕+新婚症候群」
(なぜか「"新婚症候群"」で検索すると中文サイトばかり)

ありました。医学的には橈骨(とうこつ)神経麻痺というらしい。ただ、多くの人が「新婚旅行症候群」としていた。別名ハネムーン・シンドローム。帰ってきてからだって腕枕くらいするでしょうよ。

なお、過換気症候群を新婚旅行症候群に当てている病院サイトもあった。

さて本題。いくつかのサイトを見ているうちに、非常によく似た文章に突き当たった。はじめは同じ文を読んでいるかと思ったほど。

サイトA


ええっと。
新婚さんって、まあその、新婚じゃなくてもいいんですけど、まあラブラブな二人がいたとしてですね。
んで、彼氏が彼女に、腕枕をするわけですよ。ね。


サイトB

いきなりですが、ハネムーン症候群と言うものをご存知でしょうか?

簡単に説明すると、
新婚さんって、(新婚じゃなくてもいいんですけど)、まあラブラブな二人がいたとしてですね、

んで、彼氏が彼女に、腕枕をするわけですよ。

一行目は違うが、二行目からはほぼ同文。延々と引用はしないが、この後も非常によく似た表現が続く。落ち(未婚なのに新婚旅行症候群)まで同じ。多少順番が違っていたりするのがかえって奇異な感じ。前後の記事から読み取れる作者のプロフィールからして両エントリーが同一人の手による可能性は低い。

「まあラブラブな二人がいたとしてですね」を検索すると14万件、と思ったがフレーズ検索に切り替えると上記2件のみ。ということで他所に共通の祖先という可能性は低い(「朝日のまぶしい朝になると」も 2件)。どちらかが剽窃している(砕けた言い方をすれば「パクった」)。

日付的にはサイトAが若干早いけれど、ブログは記事の書き直しができるし、中には投稿日も設定できるものがあるので、どちらが先とは断定できない。

ただ、サイトAには腕枕に関する考察(?)が続いているし全体に文章量が多い。たぶんこちらが元祖と判断してトラックバックしておく。著作権についてのお説教はお任せ(ちなみに法律が改定されて、著作権侵害は最高刑が懲役5年と重罰化されました←で、共謀罪の対象になるという洒落にならない話)。

ところで発端は、寝る時に腕を頭にのせてしまい腕の感覚が全く無くなるというエントリー。頭を腕にではないかと思ったが、腕を頭にらしい。妙な話と思っていたが、サイトAへのトラックバック記事に「わたしは寝ながら3時間も腕を上げ続けていたのです。」「 目が覚めて見た腕は完全に血の気を失って真っ白。」という、これも経験しないとなんともシュールに思える記述。どうやらあるようですね。

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2006/05/30

Windows 1.0

勢いだけで良いですか」という記事のために「送信ボタンをクリックする前に、一回読み直せばこんな恥をさらす事はないのに」の具体例を探した。しかし、これはある意味「バカの代表」としての晒し者だから、慎重さを要する。一つには、いくらバカな事を書いているからといって、他を差し置いて「このバカを見よ」とすることが妥当かどうか。また強い思い込みで書いているものは逆恨みされる危険もある(トラックバックしなければ本人は気づかないだろうが、同類が集団的自衛権を発動するかも)。

そこでブログではないけれど、有名人の講演を例にした。「これは勢い余ってではなくて本質的なバカだろう」という批判はあるかもしれない。

ちなみに、この講演、ライブで聞いている。すぐに何か書いた記憶があったので探してみたらmixiの日記だった。より広範な問題指摘は既にしている人がいるけれど、せっかくなので公開。半年経つと「公には書きにくい」も弱まるのね。

19,20の両日、日経コミュニケーション創刊20周年記念フォーラムに行ってきた。あわせて14セッション。本来なら合間合間にまとめ、翌日にはレポートを提出するところ、あいにくと鼻風邪をひいてしまい...orz

金曜に残業してメモと記憶を整理したが、まぁ難しいこと書いても読んでもらえないもんね。

ところで公には書きにくいのが表題の件。2日目に「 企業を変えるネットワーク革新 〜21世紀をリードするための条件〜」というご大層な題の基調講演を行った大えw研一。一言でまとめると、「教師の言うことなんか聞くな」と言う親の言いつけに子供が従ったとご満悦のおぢさんによる無邪気な自慢話。(いやいや、結構邪気にまみれ、脂ギッシュだったという評価も)

アンケートには「大変わかりやすかった」が「あまり参考にならなかった」と回答しておいた。

わずかに参考になったのは...新入りに古参社員を教育させろ、というところくらい。

フレームワークを理解していなければ、(天才は別にして)それを超えることなどできないでしょうよ。

googleは適切なキーワードを入れられなければ求める情報を得ることはできない。

ヒットした記事も読まなければ身につかない。コピペで済むと思うなよ。

googleも間抜けではない。利用者が求める情報を提供しなければそっぽを向かれる(競合に敗れる)と言っている(情報提供側のSEOとは友好的緊張関係)。

iTMSのSはStoreの頭文字ってご存じ?

携帯電話からインターネットに入った人間はセキュリティ意識ぼろぼろだと思う。

参考記事:「楽天・ライブドアでさえ経営モデルは古い」−−大前研一氏
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20051020/223142/

「大前氏は,Windows OSのバージョン1が登場した1985年を「すべてのデジタル革命の起点」と位置付け」 ぉぃぉぃ 藻前はWindows1.0を使ったことがあるのかと問いつめたい。Windowsがなんとか使い物になるようになったのは3.1からというのが世間の評価だと思うが。

末尾に取り上げた記事は記者による要約だから講演を聴いていない人は「何をバカな...日経の記者も質が落ちた」と好意的な解釈も可能だったが、SAFTY JAPANは署名記事だから逃げも隠れもできない。

NASDAC (^^;


で、ゴキブリは一匹見たら...で他にもないかと探すとありました。NASDAC銘柄! 人をバカ呼ばわりする前に念のためgoogleで検索したら、予想通り「もしかして: NASDAQ」と御注進。そうですよねぇナスダックはNASDAQ。さらに念のためNASDAC銘柄で検索すると新語流行語大賞狙いか?とWindows1.0と合わせて指摘している記事発見(NetwereはNetWareの間違いですね)。ああ、最近はホットコーナー読みに行ってないな。読みに行ってないといえばがんばれ!ゲイツ君もご無沙汰(ここでも取り上げられている事は検索で見つけた癲声塵語で知った)。それはともかく、NASDACというゴキは結構多いようだ(すべて誤記とは断定できないが41,600件ヒット)。

ところでこのBG/AG(ビフォアゲイツ/アフターゲイツだって 弔鐘)について調べてみると、真に受けている人が結構いる事に驚く。もしかしたらこういう人たちにとってはWindows1.0というのは単なる比喩で、その実際はどうでも良いのかもしれない。そういう考え方はありえる。何か時代の区切りが必要だ、85年は区切りが良い、この年に何があった?そーだWindowsだ、程度なのだろう。そうするとWindows1.0なんて、というのはただのパソコンおたくがキャンキャン吠えているのと同じ? 勘違いから出発して正しい結論に辿り着く事もあるから、細かい事を気にしていたら大成できないと鷹揚に構えるべきか。

しかし、この恣意性には腐臭を感じる。これに関して大前を「実際に彼の「残り2割になる方法」というのは、...「実戦検証済み」の方法ばかりで、その意味で「勝ち組マニュアルライター」としては、最も良心的な作家の一人」「彼は還暦を過ぎた今も、まだ教師であるよりも生徒」「力のある人が老いる事を知らないというのは、実は結構な悲劇」と評しているのを見つけて、なんとなく納得。

マスコミなおもて往生す


さて編集者がついているプロの物書きですら、こういう間違いをしでかす(芸風なのかもしれないが)。これに関して、上野千鶴子が曽野綾子に対して「第二に、曽野さんの理論展開が、すこぶる粗雑で事実誤認を含んでいる事である」と指摘しながら「これを読んで、私はアゼンとした。それから、ちゃんとした編集者に巡りあえなかった彼女の不運に同情した。」と書いているのを思い出した(今は廃刊となった月刊Asahi Vol.1 No.6)。これは「現実の出版界にもゾッとするほど低劣なものはありますよ」と平野啓一郎が「新潮」の対談で述べていることに通じるだろう。

とすればブログにおいておや。だから「細かい事は気にしない。必要なのはリアルタイム性と勢い。」という意見もわかる。でも、悪いところまで真似する事はないと思う。ネット上で「私は初心者なので」を免罪符に繰り広げられる迷惑行為を知っている人なら、「初心者だからこそ」慎重にすべきという意見に賛成してくれると期待する。

後から直せるのがブログに限らずオンライン公開の利点ではあるけれど、それは公開前校正省略論を正当化しないだろう。

議論は活発であった方が良い。そのためには異論を歓迎し、自分とは違った見方考え方に寛容であるべきだ。しかしそれも「私はこう考える」と述べられていればこそ。「真実はこうだ」と嘘を書かれたら突っ込みたくなるのが人情。

枝葉末節には無闇に突っ込まないようにと自戒しつつ

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勢いだけで良いですか

久々にCNETで江島健太郎のblogを見たら「新潮」6月号に『ウェブ進化論』を著わした梅田望夫と作家の平野啓一郎の対談「ウェブ進化と人間の変容」が載っているというので買って来た。(A4判と思って探したのでなかなか見つからなかった。「新潮」ってA5判なのね。日本語で書いてあるけど。)

ワクワクしながら読み始めて、2ページ目でのけぞった。

ブログは書き始めて三年になるんですが、自分でやってみて痛感したのは、文章の推敲が足りなくても、少々誤字があっても良いから、リアルタイム性と勢いが必要だという事です。
(梅田発言 強調は引用者による)

半分、というよりは2/3はわかる。だからこうして、全体は後回しにして、この部分だけで一文ものしている訳だが、推敲が足りなくても、少々誤字があっても良いというのはどうだろう。

管見の範囲ではあるけれど、「送信ボタンをクリックする前に、一回読み直せばこんな恥をさらす事はないのに」という代物は実に多い。誤字脱字誤変換だけではない。前提となる事実関係が間違っていたら、そのご高説は砂上の楼閣ではないか。いや、一見枝葉末節の誤りでも「一匹見たら三十匹いると思え」で全体の信頼性が揺らぐ事がある。「付け焼き刃の知識」「知識を欠いている自覚が無い」「思いつきで書く」「思い込みが強い」「知的誠実さに欠ける」


論文誌への投稿ではないから、そんな厳密な事を要求している訳ではない。オンライン辞書やwikipediaグーグルテクノラティで確認する、あるいは自分の主張や認識をひっくり返すような事実がないかをチェックするだけだ。そんな手間さえ惜しむのは、自他ともに認める得意領域に止めておいた方が良い。(人は得意領域で大失敗するものだけど)

いやいや、梅田さんのブログにウソが多いといっている訳ではない。おそらく普段からよく考えている事に関しては、新しい刺激を受けてパパッと書いてもそうひどく外す事はないだろう。たとえ勘違いがあっても、新しいものが生み出されるような勘違い。

だが、世にあまたいるブロガーはそうではない。だからプロの技法を一般化してほしくない...というのが違和感の正体のようだ。

特に梅田さん自身が彼らがネットで正しいことを言えば、世の中はずいぶんよくなっていくのではないかと期待する「クラスの上から五人」「親戚中で一番敬意をもたれている人」には慎重に書いてほしい。この人たちが誤った事実認識に基づいて、あるいは思いつきを確かめもせずに、一時の感情に駆られて、影響力を行使したら恐ろしい事になる。

以上が1/3の不同意。そうは言ってもリアルタイム性と勢いは必要だな。六日の菖蒲じゃ勝負にならないし十日の菊は誰も聞かない。

読む気をそぐような誤字脱字誤変換は自動校正機能が発達すれば解決するだろう。いずれはサーバ側でチェックしてくれるようになるかもしれない。

内容のチェックは難しい。下手をすれば検閲になってしまう。これはたとえばキーワード自動リンクによって基本的な勘違いは防げるようになるかもしれない。下書き段階で言葉の意味やキーワードの解説を確認できれば、(ブログではないけれど)1985年を指してウィンドウズのバージョン1が公開されて、ビル・ゲイツが表舞台に登場したこの年こそが、ネットワーク時代の「紀元」にあたるみたいな恥ずかしい発言はしないだろう(Windows1.0がどんなものかの評判も知らないならIT史を語るなよ)。「情けは人のためならず」や「カーキ色」のように意味が変化しているものなら「私はこっちの意味で使っている」とリンク先を指定したり。

それでも親切な読者がついているのが一番かなぁ。

後は格付け。具体的な方法は思いつかないけれど、床屋政談は御自由に、但し隔離しておく事で影響を抑えるような。本人が「これはホンの思いつき」とマークしておくだけでも、真に受けられて独り歩きすることを防げる。検索の時代は、前後の欠けた1エントリーだけが注目される危険があるから(たとえば別フレームにエイプリルフール特集と書いてあっても見落とされる)。

ちぇっ、月曜中に登録しようとしてたのに。

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2006/04/01

憂愁の美を飾るニフティ

パソコン通信最後の日に記念エントリーを投稿したが、ココログのサーバが応答しない。延々待たされてから英語のエラーメッセージ。「保存」待機「中止」「保存」待機...を繰り返していたら...

多重登録されたエントリーの一覧

やってくれるね、ニフティ。

はじめに登録されている記事には、以下の追記が無いから、はじめの投稿は生きていた模様。




サーバの反応が激重で31日中には登録できないかもしれない...

Bad Gateway

The proxy server received an invalid response from an upstream server.

終わったのはパソ通だけではないようで。

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2006/01/12

FYIトラックバック、か

前のエントリーで擁護した言及無しトラックバックは、FYIトラックバックと呼べるだろう。但し、この場合のyouは、トラックバック(TB)先のブログ主限定ではなく、そこの読者が含まれる(「どっちが主だ」とは突っ込まないで)。

TBは読者のためでもある論は独り説かと暗澹たる思いでいたが、松永さんのエントリーへのTBを粘着にじっくりと見ていたら、同じ考えの人を発見して半分安堵(半分は己の独自性が下がったと)。

トラックバックを打つのは、読者のためである。(略)トラックバックを打つというのは、言及先の文書の読者に対してさらなる掘り下げを目にする機会を提供することであり、結局単方向リンクを張るのと同様の「よりよいコンテンツを提供するための活動」の一環にすぎない。

トラックバックの想定する受益者

また、「トラバ先のリンクは記事に入れるべき派」の中にも留保をつける人はいた。


何か間違っている記事に対し、親切で事実を教えてくださるようなトラバがつくことがありますが、こういうトラバによって私も何度も救われたことがあります。私はそういうトラバにリンクが無くても、感謝こそすれ、「リンクがねえよ!」と怒る事はありません。

そのトラバに愛はあるのかい?

先にリンク無しTB排除はスパマーとの軍拡競争を招く危険があると指摘したが、この方もこの記事のケースのような場合、例えリンクが入っていても、私はダメなトラバだと思います。言及リンク有りアフィリエイト馬鹿に否定的。それはそうでしょう。本当の敵は、言及リンクの有無で判別するものではないのですから。(いいTBの条件として「面白い記事なら、関連が薄くてもリンクがなくてもうれしい」(関連がありリンクされていればもっとうれしい)という 「トラックバック無党派」は見識だと思う。)

ちなみに今回は「あなたに同意」TBになります。でも多数派工作ではありません。

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2006/01/09

私は言及リンク文化圏情報非等価派(?)

トラックバックをめぐる4つの文化圏には賛否寄せられ盛り上がっている模様(こころなしか賛成が多いような...私も全面的に反対という訳ではない)。

なお、発端となったライブドアブログの「リンク無しトラックバック(TB)拒否」は選択制らしい。「リンク無しTBも無条件に受け入れるべき」派ではないから、これはこれで妥当な判断かと。

いくつかのエントリーをつまみ食いしたところ、
1)やはり「アクセスを奪う」論には批判がある
2)TBスパム(無関係TB)を擁護する人は見当たらない
3)読者の視点欠落の指摘もちらほら

1)については松永さん自身が補足説明をアップしている。だが、これを読むと、喧嘩を売る事はあるまいと私が敢えて公言しなかった皮肉、TBがなかった時代、この人はよそへリンクするたびに相互リンクの申し入れをしていたの?が冗談でなくなってしまう。

「アクセスが奪われる」というのは決して「自分のブログの読者が減る」という意味ではないということだ(これは文脈から理解していただけると思うが)。これは、あくまでも「一方通行の道筋が作られてしまう」という意味である。
「言及リンク文化圏」では、「一方通行ではなく、等価な相互通行」を作ることを求める。

一方的なリンクでは一方通行だから、「私からリンクしたからそっちからもリンクして」(相互リンク強要)は論理的帰結だ。(もちろんウェブの二つの文化圏の衝突【前編】無断リンク禁止問題にみるリンクする側・される側の論理からは、そうは思っていない事が読み取れる。そしてそれには異論はない。でも矛盾してない?)

なお、


言及リンクしないことは、自分のブログの読者に対して情報をたどるルートを示さない不親切なもの

については、既に書いたように、それもアリというのが私の立場。ただ、お前のところの読者には私のブログは読む価値があり、私のブログの読者には君のブログは読む価値が無い、と言われたら不愉快という気持ちはわかる。「価値」でなく「意味」とすると和らぐかな。

私が駄文をものするにあたり専門家のブログが役に立ったとする。当然、本文から言及リンクをする。しかしTBをかけようなんて厚かましい事は考えない(むろんあちらに対して何らかの新しいものの提供が可能と考えれば別)。もし、私が専門家のブログを見落として的外れな事を書いていたとする。それを偶然発見した専門家が、義侠心に駆られて「まず私のブログを読みたまえ」とTBをかけてくれたなら、感謝こそすれ、「なんでそっちの本文に私への言及リンクがないのか」などと逆切れはしない(「世間にはこんな勘違いもある」と馬鹿の代表にされたら、いくら事実とはいえ恥ずかしい)。双方は非等価なのだから読者が一方通行だって当然だ。

2)はまぁ当然だろう。私もまるっきり無関係なエントリーにTBをかけるのはどうかと思う。まして架空請求やワンクリック詐欺への誘引は論外。これはTBを削除するだけでは不十分で、サイト閉鎖に追い込むべき。とはいえ、これも疑問を呈したように、spamメールほどの実害があるか疑問。もちろん品位は下がるから我慢する必要はないが、ひっかかってクリックするような人っているのだろうか(絶無に決まってるとは言わないが)。

むしろ心配なのは、こちらへのリンクを含まないTBは拒絶なんて仕様が広まったら、軍拡競争を刺激、つまりスパマーはほぼ確実に自動取得したリンクを本文に貼付け、ついでに一覧に表示される冒頭部分を相手の引用にしてくるだろう。フェイクブログ(パクリブログ)を見ていればそのくらいは朝飯前のはず。すでにspamメールでも冒頭をニュースにして偽装してくるものが出ている。

3)の例としては「トラックバックは「受け手」の問題」など。世の中には、僕のように、その文化を二つ含んでいる人もいるとか「私のトラックバックポリシーは・・・」と書いたりしてもさ、訪れた人全員がそれを読むとは限らないわけじゃんとか嬉しい事が書いてある。

以上、言及したサイトには敬意を表してTBしません。(^^)

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トラックバックは読まれているのか?

一昨日のエントリーは、自分が「関連仲間文化圏」に押し込められ、無意味にトラックバック(TB)を乱発しているとの烙印を押されていたので反発が先に立ってしまい、「TBにはリンクが必要」派の意向を3/4尊重しつつも、1/4揶揄したのは大人気なかった。

ところで、そもそもTBした記事は読まれるのだろうか。どれほどの読者がTB元まで辿ってくるだろうか。TB先のブログ主は辿ってくるだろうし、TBはSEO(サーチエンジン最適化)効果もあるので、「TBしたらアクセスアップ」は頼りにならない。

なぜこういう疑問をもったか。TBをしても、それを辿ったアクセスが(少)なければ、そもそも「アクセスを奪うのはけしからん」という「言及リンク文化圏(異論もあるようなのでその一派)」の言いがかり懸念は意味がなくなってしまう。本当にビジターまでTBを辿ってきているのだろうか。

というのも、TBの一覧を見て「読む価値があるか」を判断できる場合はかなり少ない、という印象がある。一目でTBスパムとわかれば避ける。既に知っているブログからのTBなら判断できる。だが引用から始まるTBがずらずらと並んでいたら? あるいは内容との関連がわからない枕の羅列だったら? 数が少なければ一つ一つクリックもしよう(ところが管見の範囲では...リンクはしている、TB先に言及もしている、だが新しい発見や思考の発展系がある訳では無い、というものが多い...「筋の悪い」ブログばかり見ているからだろうか?)。

TBも数が多くなると辿ってもらえなくなるのでは無いだろうか。埋没せずに読んでもらうためにはエントリータイトルやリードに工夫が必要だ。メールの作法で散々「真っ先に結論を」と言われているが、ブログの多くは起承転結を意識して?前置きが長い。それが美学だという方は、「要約」を活用してほしい。

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2006/01/07

トラックバック文化考

知人の紹介でトラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突を期待して読んだ。ところが私は4つのいずれにも属さない。

「内容さえ関連していれば条件を満たしている」派ではあるが、トラックバック返しには批判的なので「関連仲間文化圏」からは遠い所にある。

「相手への言及(リンク)」をトラックバックの必要条件とはしない理由は勤務先アカウントのブログで書いたが、会社が倒産して近々閉鎖されるだろうから一部引用しておこう。真っ先にリンクをトラックバックへの必須条件としたはてなダイアリーへの批判。なお、原文では強調表示はない。

トラックバックspam対策として有効なのは認めるけれど、ガイド自身直前で「こちらの記事に関連した記事があります。(関連記事紹介)」をトラックバック要件に挙げている。これなら一方通行でも問題はないだろうに。それに個別に名指しにしたらトラックバック送信元の性格が限定されてしまうではないか。場合によっては送信先に恥をかかせてしまうかもしれない。

たとえばあるblog(blogA)にしょーもない勘違いというか質問が書かれていたとする。それに同情して、詳しい解説をしてあるblogBからトラックバックをすると、blogAを読んだ人はblogBに辿りつけて蒙を啓くことができる。ここまでは良い。blogBを読んでいる人にはblogAは意識されない。

ところがもしblogBからblogAへのリンクが必須条件になっていると、blogBを読んだ人には、blogAが「バカの例」として血祭りに上げられているように見えるだろう(同じ間違いをしているblogは他にもあるのに、よりによってblogAだけを名指しにするなんて!)。そして一般的な解説であったblogBは単なるblogAへの嫌がらせに成り下がってしまう。

blogAの内容がそれほど恥ずかしくない場合でも、blogBはblogAへの回答が主目的ではない。

blogBはblogAを書いた人のため(だけ)にトラックバックした訳ではない。blogAを読んだ人のためにトラックバックをしているのだ。そしてまたblogAにリンクをしないのも、blogAを書いた人の名誉のため(だけ)ではない。自分のブログを読んだ人に意味の無いリンクを提示しないためだ。

トラックバック返しには批判的なのも同じ理由。

しかし二番目の問題として、トラックバックのループが浮かんでくる。書いてる当人はあまり気にしていないようだが、後から読む側にとって、トラックバックを辿っていったら元に戻ってくると言うのは非常に腹立たしい。実際のところ、トラックバックスパムも相まって、議論が深まるどころか迷路に陥りそうになったことがある。まるである種のサイトの広告をクリックしたみたいだ(ぉぃぉぃ)。

常に考えるべきなのは読む側の利益、だと思う。読者あってのblogでしょ。以下もその立場で書いたもの

さて、この機会にblogへ情報処理技術者試験の問題を載せている人へ一言。「問題だけ」は止めてほしい。調べ物をしていて、そういう無内容なページがヒットすると、こう黒い情念がむらむらと。問題に続けて自分の回答を、オリジナル表現の根拠を添えて書き込んであれば、これは「引用による利用」で大手を振って公開できる。間違えていた場合は恥をかくかもしれないが、失敗を恐れていて前進はありえない。その緊張感を維持してしっかり考えたまえ。公明正大かつ勉強になる。どうか問題だけのblogは止めてくれ。

私が「4つの文化圏」の考察から除外されてしまった理由が見えてくる。あそこに登場する作者が考えるのは自分の都合だけ。だからトラックバックが「相手の記事からアクセスを奪ってくるもの」という、私にとっては不可解な考えが出てくる。コメントでアクセス至上主義みたいだと批判されて、アクセスが「一方通行」になるというか、不均衡になるのがよろしくないと感じると弁解しているが、それこそ「違う文化の人だなぁ」としか感じられない。

「アクセスを奪う」を正確に理解すれば、本来こちらに来るべきアクセスをよそへ誘導してしまうことで、トラックバックをされても自分へのアクセスは減ってはいないのだから、「奪う」とは言いがかりにしか思えない。相手のアクセスのおこぼれに与れないのは確かだが、それって権利として主張すべき事? 相互にアクセスを融通するって、下手したら上に書いたように読者をループに誘い込んでぐるぐる回すことになるんですけど。

とはいえ、マトリックスで4つに分類したのは議論を整理する上で有効だと思う。それにしてもspam文化圏からの「宣伝させろ」トラックバックに対してごあいさつ文化圏からの返礼が「トラックバックありがとうございま〜す」というのには笑った。

住み分けるのは摩擦を避ける方法にはなるが、たこ壷にはまる危険もある。「郷に入りては郷に従え」で、異文化圏を見て回る余裕も必要だろう。ネット上の争いで血が流れる事は無いとはいえ無用な文化摩擦は避けたいもの。そのためには自らの属する文化圏を明示(「リンクのないトラックバックお断り」など)するのは有効だろうが、そういう言明をしないという文化もあり得るな。これは空気読め(暗黙知)派とお知らせ読め(形式知)派の争い。まぁ、皆さん、自分が世界の中心にいるとは思い込まない事ですね(←これすら、「自分が中心と思えないようではダメ」という考えの人には受け入れられないだろうな。それ以前に「仕切るな」と石が飛んでくるかも)。


最後に禁じ手?を披露。ライブドアの仕様は知らないが、はてなの場合、トラックバック先URLをコメントアウト等で不可視にしていても受付けてもらえる。「知人の紹介で松永さんの【絵文録ことのは】掲載のトラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突を期待して読んだ。」とすれば目視確認でもすり抜けるだろう。これでおわかりのように、冒頭のリンクは一つに見えるけど実は2カ所向けなのだ。もっと悪戯して、正しいリンクは最初の一文字(あるいは半角スペース)だけ、残りは軒並み無関係サイトという手も考えたが、こちらが冗談と思っていても、世の中の人すべてが理解・同意してくれる訳ではないのでやめておく(真面目にリンクを辿ろうとする読者も混乱するだろうし...意図を見抜いてニヤリとする人ばかりでもない)。

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2005/06/05

comic life

日刊デジタルクリエイターズの1747号で神田敏晶さんが、Comic Lifeを絶賛し、「日本初!ComicLife セミナー」を開くというので思わず申し込んでしまった。会場が噂に聞くdotBARというのも一因。

しかしさしものデジクリの告知力も、comic lifeを日本に紹介した百式の面白いもの発見力も、前日告知という悪条件は跳ね返せなかったようで、なんと神田さんとマンツーマンセミナーとなりました。

半分は、勤務先のお仕事に使えるかも、という邪念もあったが、実際を見てみると、これは純粋に面白い。受講者一名もなんのその、講師は乗りに乗ってどんどんコミックを作っていく。そして簡単。簡単すぎる。あまりに進行が早いので、記録係の女性が悲鳴を上げていた。神田さんのblogには即製のコミックが次々と。なかにはこんなことしていいの?というものも。(^^;

ネコの写真に吹き出しを書き込んだ「ねこまんが」というものが売られているのをみたことがある。このソフトを使えば手軽に作れるだろう。そういえばかつて、アルバムに吹き出しを書き込むなんてよくやっていたものだ(教科書の挿絵にも...)。

それにしても、神田さんと私とで、興味の方向が微妙つうかかなりつうか、異なっていたのが面白い。

残念なことに、この少し前にウイルスに感染したらしく、翌日から頭痛発熱に悩まされ、ついには寝込んでしまって、いまだにインストールに至っていない。

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