霧ヶ峯ホテル無残
生化学若い研究者の会(生化若手の会)の夏の学校がかつて開かれていた季節になった(ちなみに今年は9月1日からで、開催地は滋賀県である...あ、もう参加受付は締め切られている)。そこで1986年、1988-1995年に会場として使われ、2010年10月に事業を停止し廃館となった長野県諏訪市の霧ヶ峯ホテルを訪ねてみた。
と言っても、これだけのためではなく(そこまで数奇者ではない)、ちゃんと諏訪市に用事を作って、その帰り道。
カーナビにはもう載ってないだろうと独り決めし(後で確かめたらまだ載っていた)、近くのホテルこわしみずをナビに設定、後続車に煽られながら九十九折りを登ると30分ほどで懐かしい景色が。そしてホテルへの案内標識がまだ残っていたので難なく到着した。
ストリートビューで見たときには無事だった玄関扉は、ガラスが割られ、こじ開けられた様子も。階段もずいぶんと荒れている。
通常の表記は「霧ヶ峰」だが、ホテルの看板は「霧ヶ峯」。カモシカがトレードマークで、確か剥製がロビー入口に立っていた。
剥製の無事を確かめたかったが、階段に足をかけたら敷地内侵入になるので断念。開校時にはこの先のロビーに机を並べて参加受付をしていたっけ。
それにしても、人はなんで空き家に入りたがるのだろうか。探すと廃墟探索と称して不法侵入して撮影した動画(20分超)も見つかる(ホテル名は伏せてあるが、中を見れば分かる、特に畳敷きの大広間)。Googleで「霧ヶ峰ホテル」と検索すると「心霊」がサジェストされる始末。
ここは確か食堂。もっとも大広間の隣にも食堂風の洋広間があり、夜はそこがビアホールになったような記憶も。
ホテル前の駐車場。京都からの参加者が天下一品のおみやげラーメンを使って屋台を出したのがここ。プロフィール写真はそこで撮影されたもの。考えるといろいろ(こわくて書けない)問題があって、今やったら炎上必至であろう。緩い時代だったことに感謝。
昔の写真が見つかったら少し足そうと思う。
見つかった写真
HDDの中からいくつか画像が見つかったが、残念なことに鮮明なものはない。




夏の学校はシンポジウムや特別講演といった畳敷きの大広間で行う全体企画とテーマ毎に設けられた分科会という客室などで開く小規模講義が昼間のメイン。写真は順に92年のシンポジウム、90年の某分科会、91年の某分科会、91年の某分科会(いずれもバイオフォーラムが中心になって企画)。なお、多くの分科会ではスライドを前に講師がしゃべる(当時の生化)学会発表形式であった。





夜になるとビアホールが設営され、講師として招聘した研究者を囲んでグラス片手に昼間の続き。それが閉まると客室に戻って延長戦。始まりが倹しい手弁当勉強会だった名残で、1990年代までは講師には往復の交通費と食事を含む宿泊代のみ、若手の会出身の講師は完全手弁当(つまり御礼奉公)という掟であった。そんな制約の中、在米の大野乾博士(その名を冠したオノログという学術用語もあるという)を招聘するという快挙を成し遂げたオーガナイザー(分科会主宰者)もいた(別の用事で来日されるのを利用し、東京から霧ヶ峰までの往復旅費で済ませた)。その後は緩和されて謝礼など出るようになったが、いずれにしても夜になると学生のために使われていた模様。
若者が集まって体験を共有し酒も入れば当然いい雰囲気にもなる。なお、分かる人には分かるかもしれないが、ピアノの脇に立っているHさんはしばらく前に他界された。
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