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2017/08/14

霧ヶ峯ホテル無残

生化学若い研究者の会(生化若手の会)の夏の学校がかつて開かれていた季節になった(ちなみに今年は9月1日からで、開催地は滋賀県である...あ、もう参加受付は締め切られている)。そこで1986年、1988-1995年に会場として使われ、2010年10月に事業を停止し廃館となった長野県諏訪市の霧ヶ峯ホテルを訪ねてみた。

と言っても、これだけのためではなく(そこまで数奇者ではない)、ちゃんと諏訪市に用事を作って、その帰り道。

ホテル前に続く道への曲がり角に立っていた案内標識カーナビにはもう載ってないだろうと独り決めし(後で確かめたらまだ載っていた)、近くのホテルこわしみずをナビに設定、後続車に煽られながら九十九折りを登ると30分ほどで懐かしい景色が。そしてホテルへの案内標識がまだ残っていたので難なく到着した。

赤レンガの15階段の先にガラスドア4枚の玄関。上には「KIRIGAMINE HOTEL」と。ストリートビューで見たときには無事だった玄関扉は、ガラスが割られ、こじ開けられた様子も。階段もずいぶんと荒れている。

3階屋根の上にカモシカの絵と「霧ヶ峯ホテル」の文字通常の表記は「霧ヶ峰」だが、ホテルの看板は「霧ヶ峯」。カモシカがトレードマークで、確か剥製がロビー入口に立っていた。

玄関のドア4枚のうち2枚のガラスに大きな穴が開いている。 剥製の無事を確かめたかったが、階段に足をかけたら敷地内侵入になるので断念。開校時にはこの先のロビーに机を並べて参加受付をしていたっけ。

1階のガラス窓が半開きに。それにしても、人はなんで空き家に入りたがるのだろうか。探すと廃墟探索と称して不法侵入して撮影した動画(20分超)も見つかる(ホテル名は伏せてあるが、中を見れば分かる、特に畳敷きの大広間)。Googleで「霧ヶ峰ホテル」と検索すると「心霊」がサジェストされる始末。

1階の張り出し部分。窓のそばまで雑草が。ここは確か食堂。もっとも大広間の隣にも食堂風の洋広間があり、夜はそこがビアホールになったような記憶も。

砂利を敷いたホテル前の広場 ホテル前の駐車場。京都からの参加者が天下一品のおみやげラーメンを使って屋台を出したのがここ。プロフィール写真はそこで撮影されたもの。考えるといろいろ(こわくて書けない)問題があって、今やったら炎上必至であろう。緩い時代だったことに感謝。

昔の写真が見つかったら少し足そうと思う。

見つかった写真

HDDの中からいくつか画像が見つかったが、残念なことに鮮明なものはない。

大広間を埋めるように座り前を見ている参加者 畳敷きの客室で座卓の上に置かれたパソコン画面を覗き込む分科会参加者 畳敷きの客室で半円形に座り手元の資料を見る分科会参加者 畳敷きの和室で座卓に置かれたパソコンを使いデモンストレーションを行う遺伝研職員の女性

夏の学校はシンポジウムや特別講演といった畳敷きの大広間で行う全体企画とテーマ毎に設けられた分科会という客室などで開く小規模講義が昼間のメイン。写真は順に92年のシンポジウム、90年の某分科会、91年の某分科会、91年の某分科会(いずれもバイオフォーラムが中心になって企画)。なお、多くの分科会ではスライドを前に講師がしゃべる(当時の生化)学会発表形式であった。

食堂でのビアホールを片付けるスタッフと酔いつぶれている?歴さん テーブルの上を拭くスタッフ 90_067 談笑する参加者でロビーはいっぱい ロビーに置かれたピアノを弾く女性とその脇に立つ男性

夜になるとビアホールが設営され、講師として招聘した研究者を囲んでグラス片手に昼間の続き。それが閉まると客室に戻って延長戦。始まりが倹しい手弁当勉強会だった名残で、1990年代までは講師には往復の交通費と食事を含む宿泊代のみ、若手の会出身の講師は完全手弁当(つまり御礼奉公)という掟であった。そんな制約の中、在米の大野乾博士(その名を冠したオノログという学術用語もあるという)を招聘するという快挙を成し遂げたオーガナイザー(分科会主宰者)もいた(別の用事で来日されるのを利用し、東京から霧ヶ峰までの往復旅費で済ませた)。その後は緩和されて謝礼など出るようになったが、いずれにしても夜になると学生のために使われていた模様。

若者が集まって体験を共有し酒も入れば当然いい雰囲気にもなる。なお、分かる人には分かるかもしれないが、ピアノの脇に立っているHさんはしばらく前に他界された。

大広間の一角に陣取り、酒とパソコンを並べるバイオフォーラム会員6人 客室の電話を開け、鰐口クリップでモデムとの接続を試みる後ろ姿

今はなきニフティサーブのフォーラムの一つバイオフォーラム(FBIO)から大挙参加して便乗オフラインミーティングとしたこともあった。データ通信のできる携帯電話のなかった頃、どうやってネットに繋いだかというと、電話機を開けてコードを鰐口クリップで挟んだり待ち針を刺したり... 当時、電話機の多くはローゼットだった。

大広間に模造紙を貼って参加者数や会計の報告をするセンター事務局員

最終日前日(年によっては当日)には総会が開かれ新しい支部長らやセンター事務局が紹介されるほか、会計報告も行われる。

硝煙もうもうの駐車場

すべてのプログラムの終了した最終日の前夜には皆で花火を楽しんだ。

最終日、解散前に玄関前の階段で13人(内小児4人)が集まって記念撮影

玄関前でのバイオフォーラムメンバー記念撮影。小児は講師の家族。

バンの前にテーブルと椅子、明るい内からすでにご機嫌な参加者

駐車場にテント(タープ)を張り、テーブルとイスを置いて...

駐車場の先に草原、道路、草の生えた丘

客室(たぶん3階)からの眺め。半日ほどのエクスカーションも設けられていて、女神湖等へ繰り出す面々も。

大広間に敷き詰められた布団

参加者が想定より増え、大広間に布団を敷いて急ごしらえの客室に。手違いで遺伝研から来た女性がここに回され、急遽女性部屋を都合してもらうということがあった。

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