« 2016年10月 | トップページ | 2017年3月 »

2017/01/08

2017年を迎えて


差し出した年賀状。水族館のガラス越しに、上からトドが覗き込んでいる図。

トリ年じゃなくてトド年、という駄洒落は後から思いついた。差し迫ったToDoはないものの、備えある者に運命は牙を剥く、というわけで年賀状は「進捗どうですか」(ハガキに印刷したものは、フォントがMS明朝という痛恨のミス)。

2016年を振り返ると

1年を振り返ると、いろいろあったようなアッという間に過ぎたような。Twilogをみると2016年は11,729ツイート、月平均977も囀っていたことが分かる。さすがにそれをトレースするのは疲れるので、デジカメで撮った写真を広げてみた。

睦月

1月の出来事では、まず17日の「アクアマリンふくしま」への遠征。特急ひたち号の座席システムとか調べラボ(「たべらぼ」と読む)とかエピソード満載。ちなみに年賀状に採用したトドの画像はこの時に撮影したもの。

如月
車道の真ん中を昂然と歩く毛糸の帽子をかぶった男性
テーブルに並ぶプラスチックコップに注がれた黒ビールとずんぐりとしたビール瓶

2月には旧師Aからチケットを貰ってコピスみよしで開かれたザ・シンフォニエッタみよし第3回特別演奏会を聴きに行った。ホワイエで地ビールを飲んで地域貢献。

また「知らないではもったいない!!! 米を食べて、治す・予防する研究が進んでいる」という講演会聞きに行った。この年は他に「遺伝子組換えの現状と未来を考える」「遺伝子組換え問題の実情と日本」にも参加。前者はまだ研究者も呼んだ両論併記だったが、後者は「日本のGMO反対運動は世界の周回遅れ」だというガチの反対派を呼ぶというので、蓋然性の低い健康被害とは違う話が聞けるだろうと期待して知人も誘って赴いたところ、deleted for courtesy reasons(礼節上の理由により削除)

弥生

月刊「細胞工学」最終号表紙。「35年間 ありがとう ございました」と大きく縦書き 3月1日、「細胞工学」の最終号を購入(1日に買えるなんて、としんみり)。表紙の「35年間ありがとうございました」に衝撃を受ける。もうそんなに経っていたのね。

大教室の演壇脇でピンマイクの調整をする男性(Y教授)。最前列には小柄な男性(S元教授)が。

また市役所ホールで開かれた「所沢市民活動見本市」を抜けだして、卒業した大学で開かれている退官記念講演へ。実際に師事したS教授はだいぶ前に退官され、在学中には助手だったT博士も2015年に退官されており、この日の主役Y教授には指導されたことがないのだが、「酒を注ぐとき、飲み切るならラベルは下向きで構わない。上だったら“全部は飲まない”というサイン」という非常に大切(?)なことを教えていただいた(SDS-PAGEの話は、当時は笑い話で済んだけれど、今ではFFPと言われかねないので封印)。大学に着くとS元教授とバッタリ(T教授の最終講義の時もそうだった)。「君も勉強熱心だな」と誉められたけれど、別に勉強しようという殊勝な心掛けというわけではゴホンゴホン。先生は会場に入ると最前列へ、私は後ろの方でひっそりと。Y教授はというと、昔日の面影は残すものの白髪が増え、これが時間の作用というものか、と慨嘆。

県赤十字血液センターから「献血ご協力のお願い」というハガキが届き、追っかけるように電話がかかってきたので成分献血を予約。行ってみると20単位を採取できる新型(?)機械を導入したとかで、PC Premium Clubへの入会を依頼された。PCってのはPlatelet Concentrates:濃厚血小板のことかな?(まさかPenile cancerでもあるまい)。通常の血小板献血よりも体内に入るキレート剤(凝固防止剤)が多いそうで、カルシウム入りウエハースを渡された。これは初めての経験。ちなみに11月に献血ルーム・柿田川に行った際、時間がかかっても構わないかと妙な確認をされ、機械を準備するから少し待っててと渡されたのがこのウエハース。そこで「20単位?」と聞くとアッサリ認めた。どうやら数値が良かったらしい。

ビルの角に「三陸の台所 越喜来や」という墨書きの木の看板

月末にあぶく銭が手に入ったので、パーッと使ってしまおうということで、かねてより気になっていた越喜来やへ行き東北の海の幸を堪能。次は大塚にある「大塚みちのく」だ(といいつつ、とうとう年内には行かなかった)

卯月
献血ルームのドア前に掲げられた看板 ペットボトルのラベル。天然の微炭酸水と書いてある。

4月、献血ルーム巡りは群馬県に。太田献血ルームで400mL提供した帰りにPAで奥会津の「和みの炭酸水」を購入。

歩道に列を作って銀座熊本館への入館を待つ人々

面接(結果は不採用)で東京へ出たついでに、熊本地震被災者のために何かしようとアンテナショップ「銀座熊本館」に立ち寄るも、平日だというのに行列が店外まで伸びて入場規制がかかっていた。古着とか中途半端な物資を送るよりは被災地の産品を購入する方が支援になるという認識が広がったのなら慶賀。球磨焼酎セットその他を購入。

大きく「うみラボ」と写されたスライド

5回目のふくしまの話を聞こう。初回以来転々とする会場、今回は定員45名とこじんまり。お話はいわき海洋調べ隊うみラボ共同代表の小松理虔さんと兼松商店さんけい鮮魚店の松田幸子さん。

国道脇山側にできた高さ5メートルほどの雪の壁(でもその先には斜面の草地が見えている)

走ってみたいと思いつつ、毎年気がつくと時期が終わっている「雪の回廊」。今回は国道292号の志賀草津ルートの開通(4月22日)直後に行くことができた。生化若手の会の第25回夏の学校会場となった白樺荘、第27回の会場となったホテルニュー志賀の前を通り、グングンと登って峠からの眺望も堪能。が、残念ながら期待した光景は見られなかった(天候依存なのでやむを得ない)。この写真自体だいぶ盛っていて、実際は雪の壁は片側だけという有様。ニュースの写真を見ると(「続きを読む」をクリックすれば読める)、嘘にならぬよう苦労して撮影しているさまが忍ばれる。

皐月
水平線上にたなびく雲の上に出た朝日

5月、思い立って日の出を見に行った。「世界一大きなトイレ」にも立ち寄ったが、撮影を依頼できるご婦人を同伴しなかったので外から眺めるだけ。ただ、花で飾られた昔日の面影はないようだ。

水槽の中には水草と金魚

NEETなのでNII、というわけではないが情報学研究所のオープンハウスを覗きに行った。このとき見た水没コンピュータは、なぜか初夢に出てきた。

水無月
映画館のポスター

6月、ポレポレ東中野で映画「さとにきたらええやん」を見る。きっかけは忘れた。年末の映画会で上映するものを探していたからだろうか。プログラムを購入し、重江監督にサインをもらう際「地元での映画会の上映候補に提案します」と言ったところ、幸いにも12月の自主上映会として実現した。SHINGO 西成の音楽は癖になる。「心とフトコロが寒いときこそ胸をはれ(夏よりは年末向き)

聴覚や視覚に障害があっても映画を楽しめるように日本語字幕や音声ガイドを用意したノーボーダー上映会」というものを体験。会場に行った際「この街にはこんなにも障害者がいたのか」と驚く(はっきり言って、われながら不見識)

ガラス鉢に盛られたゴマと細切りしたハモの皮とキュウリを和えた物

月末に前述の deleted for courtesy reasons なシンポジウムを聞き、元FBIOの会員と連れ立ってお口直しに神保町の「なにわ」へ行ってハモ(の皮)を食す。飲み過ぎたせいか、終電で乗り過ごし、深夜に徒歩で1時間という失態。

翌日、かつて「核実験ができそうな」蕎麦屋とネットで紹介されて気になっていた朝霧高原の実紀亭に、「早く行かないとなくなるかも」と思って出かけたところ、なくなっていた。今でもGoogleSVでは看板が確認できるけれど、現地に行くとすっかり撤去されている。

文月

7月になって4月の400mL献血から3か月経ったので(本当は2か月経つと成分献血は可能だった)献血ルーム巡りを再開。まず高崎で七夕献血、翌月に前橋へ行って群馬県はコンプリート。高崎駅には郡山駅と同じ切り欠きホームがあるだけでなく0番線もあるという小さな発見を楽しむ。

展示中の触れるラブドール(ノースリーブを着た若い女性そっくりの人形)

新聞記事に触発されて神は局部に宿る」という展示会を見に行った。入場料を払うと受付の女性がにこやかに「テンガさんからです」と赤い小物を渡してくれて、嗚呼自分はZeitgeistから取り残されているなと実感。

葉月

8月、前橋で献血を終え、昼食をとるため市内へ。けやきウォークの前に貼り出されたユナイテッド・シネマ前橋で上映中の「シン・ゴジラ」のポスターを見る。その時は「ふーん」くらいだったが、だんだん気になり、とうとう9月になって観に行った。なるほどあれが噂の蒲田くんか、「まずは君が落ち着け」ってのはこういうシチュエーションだったのね、等と得心。

浜から見た「東洋のドーバー」と称される屏風ヶ浦の断崖

犬吠埼へ遠足。銚子電鉄のぬれ煎餅を焼く体験も。

月末、クラウドファンディングで一口乗ったユニバーサル映画館のプレ・オープニングイベントに招待される。当の映画館は20席のこじんまりとしたものなので、イベントは北とぴあのホールを借りて。そこで衝撃的にdeleted for courtesy reason な映画を見せられる。あまりにげんなりしたため続いて上映された「街の灯」にすら、「けっ、結局は金持ちの金頼みかよ」と八つ当たりする始末。それでもその後のダイバーシティトークショーは良かった。特に健常者も障害者も一緒に楽しむ運動会の話。

長月

訳あってiPhone6を購入し、0simと契約してAurasmaに取り組む。

神無月
広場の中央に組まれた櫓の上から見下ろすレスラーマスクの怪人(竜田一人さん)

調べラボ(繰り返しになるが「たべらぼ」と読む)の「木戸川の飲むイクラ」に参加できないので、フェスティバルFukushimaへ行き、竜田一人さんと握手。CDも購入。

月末にはオープンしたユニバーサル映画館シネマ・チュプキ・タバタで2回目の「さとにきたらええやん」鑑賞。

せっかくなので1年間有効な年間パスポートを購入し、続く「みんなの学校」も。ただし、次回更新できるかは不明。6回来れば元が取れるので、12月には「言論と公益を脅かすニセ科学問題」の後に「素晴らしき哉、人生!!」を観に来た(台詞の日本語字幕に日本語音声が重なり、さらに状況説明も重なるという賑やかさだが、古い洋画には吹替版がないのでやむを得ない)

久しぶりに東京大学本郷キャンパスを訪れ、三四郎池の周りを散策。いつの間にか医学部教育研究棟なんて高層棟ができていた(2002年の完成らしい)

霜月
キャンパス・イノベーションセンター東京の門柱に貼られた手書きの案内

バイオフォーラムからのスピンオフ(といってもいいよね?)ライフサイエンス辞書(通称LSD)プロジェクト」が初めてのユーザーミーティングを開くというので顔出し。当然のことながら、皆さん順調に齢を重ねている。ただ、金子さんはあんまり変わってないような。

販売用にテーブルに並べられた料理や飲物。後ろには売り子の女性。

知人が1日店長を務める復興バーで海の幸を味わい石巻への憧れを高める。

師走

映画「さとにきたらええやん」のバリアフリー上映会を開催。せっかく目が見えなくても楽しめるようにと音声ガイドも用意したけれど、午前の部(演奏会)では見かけた白杖の人も午後には来られなかった。プログラムはそこそこ売れたものの、入場者数は期待を下回り、これはたぶん宣伝不足のせいだろうと反省。映画自体は平成28年度文化庁映画賞を受賞するし、商業館ではアンコール上映が続き、そして多数の自主上映会が開かれる人気作。それが前売り500円で見られるのだからホールが満席になってもおかしくはなかったのに。

「欠如モデル」とそれへの批判を初めて聞いたときは「そういう考え方もあるのか」と感心したが、しばらく聞いているうちに「それって、人文系の自然科学系に対する欠如モデルなのでは?」という疑問が生じた。核になっているのが「お前らは分かってない」と「私たちの言うことを聞け」しかないように感じたからだ。いったん疑惑の念が浮かぶと「要するに欠如モデル批判って、自分の無知・無理解・不勉強を糊塗する屁理屈なんじゃないの?」という極論すら有力仮説に見えてくる(もちろん、こういう対立しか生まない罵倒は慎まなければいけない)。そんなことを漠然と思い出した日本学術会議公開シンポジウム「高レベル放射性廃棄物の処分をテーマとしたWeb上の討論型世論調査」

加賀の井と書かれた箱

糸魚川市の大火災に心を痛め、自分にできる支援は?と考えて焼失した加賀の井酒造の酒を買い求めた。ホームページからリンクはされていないが検索すると見つかる取扱店一覧を頼りに東武百貨店で購入。本音を言えば、もう少し安いのを買い求めたかったのだが... 奮発しただけあって美味だった。

板橋区議がホタル館の不正を追及して党を追われた問題を憂慮した人たちが言論と公益を脅かすニセ科学問題を開いた。こういう闘いは中間層の争奪戦なので、権威主義に基づいた罵倒・嘲笑は有害でしかないと改めて思った。それなのに、演者の天羽さんが「人格まで貶める批判はしない」とまとめているのに、翌日「根拠をもってインチキ、バカ、ロクデナシ、クソ、カルトと言おう」と言っている参加者を見つけてげんなり。インチキとカルトについては事実の証明ができれば公益性ありで免責可能だけど、バカ、ロクデナシ、クソはとっても危険。

念のため補足しておくと、本当のことを言っても名誉毀損罪は成立することがある。たとえば「あの人の父親は前科持ち」「あの人は父親の本当の子ではない。知っているのは母親だけ。」これらを公言すれば、それが真実であっても名誉毀損に当たることは理解できるだろう。法律の条文は「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず」なのだ(免責される特例はある)。名誉毀損が成立しないのは、社会的評価を低下させない、つまり指摘事実を社会が気にしなくなったとき(か、公共の利害に関する事実を公益目的で公にした場合)

新年ご挨拶(返信)

年賀ハガキというのは厄介な面があって、元日に相互同着なら問題はないものの「しまった、この人には送ってない」と慌てて出したり相手にそれをやらせたりで、結局フェードアウトの機会を失することが。一時期「メールで十分」とだいぶ減らしたけれど、ある程度減ると安定するようで、特別な付き合いがあるわけでもないがおよそ10通をいただく。この年末まで返事を引っ張るのもあれなので簡単に。1行目が相手のイニシャルと出会ったときの所属、2行目が来信(抜粋)、3行目がお返事というかコメント。

Kさん(元N高)
「お元気ですか」
まぁまぁ元気です。
Fさん(元生化若手)
「本年も変わらぬおつきあいの程」
2016年は元若手の集まりもなかったね(ってことは、2017年も「変わらぬ」で?)。
Iさん(元S社)
「今年もよろしく」
そろそろ定年じゃありません?
Fさん(元K中)
「元気かな?」
越喜来やへ行こうよ。
Oさん(元T大)
「たまには飲みたいものですね」
GT会も休会状態になって長いね(私が開催を知らないだけ?!)
Mさん(元生化若手)
「年長組でまた会いましょう。」
(いかん、MLに投稿していない)
Nさん(元N大)
「大学教員になりました」
おめでとう!(テニュアだといいけど)
Hさん(元I大)
「還暦です」
(これという理由もなく賀詞交換が続いているのはこの方の律儀さによるのだろう)
Nさん(元生化若手)
「今年は良い年にできればと思っております」
「も」じゃないのが辛い。
Iさん(元S社)
「種から育てた柿の木が七年目に初めて実をつけました」
月日の経つのが早く感じられるなら、次は梨の木を植えましょう。
Iさん(元O博士応援団)
「BIには月・水勤務しています。14年目に突入。」
(顔本でつながっていても賀状が届く、この人も律儀。)
Aさん(元T大)
「復興バーありがとうございました。またやりますよー」
今年は石巻へ行こう、と思う。
Tさん(元I大)
「時間があったら農園で一緒に作業は如何ですか?」
(そういえば昔、援農というのをやったなぁ)

回顧だから年末に上げる予定だったのに、新年挨拶にずれ込み、それももう松は取れちゃった。思えばずっとこうだった。さて来年のはじめにはどんなことを書くだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年10月 | トップページ | 2017年3月 »