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2015/09/10

松川事件の現場を訪ねる(上)

せっかく福島市まで出かけるので、どこか立ち寄るべきところはないかと出発前に検討したところ、かの松川事件の現場が近いことに気がついた。

松川事件とは


松川事件は1949年8月17日に起きた列車転覆致死事件で、日本の代表的な冤罪事件である。下山事件(当時国鉄総裁の下山定則が行方不明となり、線路上で死体となって発見された)、三鷹事件(三鷹駅構内で無人の電車が暴走して民家に突っ込んで死傷者が出た)とならんで国鉄三大ミステリー事件と呼ばれる。

三鷹事件と同じく共産党員の犯行とされ、一審の福島地裁では起訴された20人全員が有罪判決(内5人が死刑)を受けた。しかし当初から強引な捜査(摘発の端緒は未成年者の別件逮捕で、自白した被告人は拷問を受けたと主張)への批判があり、自白と客観的な事実との食い違いも指摘された。また二審判決後に検察庁が被告人のアリバイを証明する証拠(諏訪メモ)を隠し持っていることが明らかになって破棄差戻しとなり、最終的には全員の無罪判決が確定した。この間、実に14年。

裁判批判


裁判中、報道が検察寄りであることを危惧した弁護人の働きかけで、法廷外でも被告人の無実を訴える運動(「松川運動」)が展開され、呼応した作家の一人、廣津和郎は雑誌「中央公論」で判決批判を連載した(後に書籍『松川裁判』にまとめられた)。同じころ、山口県で起きた強盗殺人事件(八海事件)の弁護人がカッパブックスから『裁判官』を出版して二審死刑判決を批判した。これは映画化されポスターに使われた台詞「まだ最高裁があるんだ」は流行語にもなった(後年、労働裁判で労組側に有利な判例が変更された結果、高裁で勝訴しても「また最高裁がある」という嘆きが聞かれたとか)。これらの動きに対して時の最高裁長官である田中耕太郎は「雑音に耳を貸すな」と訓示して影響を抑えようとした。

ところがその映画「真昼の暗黒」(1956)を見て、自分が起こした傷害致死事件の犯人として無関係の四人が裁判にかけられていることを苦にした犯人が凶気を携えて自首するという椿事が発生する(京都五番町事件)。しかも虚偽自白をした四人の少年は警察官から拷問を受けたと訴えていたから無罪にするだけでは済まない。ついには国会で取り上げられるまでになる。かくして「法廷外での裁判批判は有害な雑音」という裁判批判批判は影を潜める。

冤罪事件は後を絶たない


戦後の冤罪事件には、八海事件や仁保事件のように政治性のないものと、松川事件や三鷹事件のように共産党員の犯行とされたものとがある。九州で起きた駐在所爆破事件(菅生事件)では、起訴された共産党員は無関係どころか、ダイナマイトを仕掛けたのは現職の警察官であることが明らかになっている。その警官Tは身分を隠してシンパとして共産党員に近づき、現場近くへ誘いだしていたのだ。一方、有罪判決は覆っていないものの、白鳥事件は再審開始の条件を緩和した最高裁の白鳥決定にその名を残している。

冤罪事件は過去の話だろうか。今は科学捜査が発達しているから、自白に頼った無理な捜査はない? しかし弘前大学教授夫人殺害事件や足利事件では「最新の科学捜査」によって無実の人が犯人とされ服役している。足利事件の捜査は1990年代である。

そもそも松川事件で問題となった検察官による証拠隠しをなくすための「検察官手持ち証拠の原則開示制度」はいまだに導入されていない。

また松山事件(タイポではなく、宮城県内で起きた強盗殺人事件)で死刑の根拠となった証拠は警察が捏造したものであったが、これも昔の話と片付けることはできない。障害者郵便制度悪用事件で検察官が証拠のフロッピーディスクを改竄して被告人を陥れようとしたのは21世紀になってからの話である。

先日、ツイッター上で「無実の被告人が無罪とならなかったケースを教えて」と弁護士(専門は知財)に質問している人がいた。どんな回答を得たかは未確認だが、巧妙な罠だと思った。無実であるということを裁判以外で証明、というか納得してもらうのは非常に難しい(被告人や支援者が無実だといっただけで信じる人は少ないだろう)。一方で、誤った有罪判決が確定したのち再審で無罪になった場合でも「無罪になっている」と退けられる。循環論法である。もちろん死刑確定から再審開始まで30年近くかかった免田事件の例や、再審開始が決定したときには元被告人は死亡していた徳島ラジオ商殺し事件の例を知れば、「でも裁判で無罪になったでしょ」と嘯くには相当厚い面の皮を必要とする。しかし、そういう人間がいないとも言い切れないのが悲しい現状。

ちなみに大逆事件(幸徳秋水事件)のように、裁判所は頑なに誤りを認めないけれど、事件はでっち上げであり被告人の大半は無実とする説が定着している例はある。

福島大学松川資料室


というわけで、松川裁判そのものは52年前に全員無罪となったのであるが、これは薄氷を踏む様な勝利であって、めでたしめでたしで済ませるわけにはいかない。また真犯人は不明のままである。そして裁判に真相究明と犯人処罰を期待した人達にとって、無関係な人々を起訴したばっかりに主題が替わってしまったことは無念であっただろう。

というような理屈をつけて松川事件発生現場を見に行くことにしたが、詳しい位置がよく分からない。あれこれ調べていくと、慰霊塔や記念碑が複数あって場所もそれぞれ数百メートル離れているとか、道が狭いとか分かりにくいとか、あまり芳しくない情報が集まった。2001年に現場を尋ねた人の書いたものにある、松川駅前の交番で尋ねると「心得たとばかりに用意してあるコピーの地図(しかも蛍光ペンでルート入り)をくれ」るという情報は心強かったが、あいにくこちらは自動車で行くから、その手は使いにくい。

そうこうしているうちに現場近くに移転した福島大学が松川資料室を設置して事件の資料を収集しており、見学もできるということを把握した。現場への行き方も教えてもらえるだろうと期待し、「事前に下記問い合わせ先までご連絡ください」という指示に従って電話。8月27日の15時に附属図書館で待ち合わせることにした。経済経営学類棟ではなく附属図書館なのはなぜ?という謎は当日解明される。

長くなったのでに分割することにし、前半はここまで。

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