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2015/09/15

われわれは詐欺団だ。お前達はカモられる。抵抗は無意味だ。

会津若松市で献血を済ませた後、ツイッター経由でお誘いを受けた猪苗代サイエンスカフェ主催の心理学カフェ「怪しい情報に騙されないための思考法」に参加すべく郡山市へ向かった。時間的に余裕がなかったため、途中でソースカツ丼を食べるというプランは放棄。にもかかわらず駐車場探しに手間取り数分遅刻してしまった(そしてお約束通り、終わってから外に出てみると、案内通り眼の前にコインパーキングが...ストリートビューでの確認をしていなかった)こくちーずでは「参加2名」となっていてどうなるかと心配していたが、直接申し込まれたのか、そこそこの入りだった。初参加を検討した人が怯えてしまうから、水増しする必要はないけれど、正確な人数にまでは増やしておいた方が良い。

騙されるのが正常


講師は菊池聡。「菊池先生のサイエンスカフェに行った」というと「大阪大のキクマコ先生」と思われがちだが、こちらは信州大学人文学部の教授で、研究分野は認知心理学。県内では精力的にオレオレ詐欺などの特殊詐欺被害を防ぐための活動をされているようだ。

そして国や自治体による啓発活動が後手後手に回っているのは、手口を覚えて防衛するという手段に偏っているためと指摘。それはそれで役には立っているけれど、新しい手口の前には為す術もない(昔のコンピュータウイルス対策のいたちごっこが同じ轍を踏んでいたことを思い出した)

また、知識があれば防げるという思考は、「騙された人は無知」「あれだけ気をつけろとテレビでも言ってたのに覚えてないの?」果ては「認知症なんじゃないの?」という犠牲者非難に向かいやすい。財産を奪われた上に身内からも責められて抑鬱状態に陥り、中には自殺してしまう人までいて、二重の被害になっている。

ここで聴衆へ質問。「皆さんは、自分は騙され易いと思いますか、それとも騙されないと思いますか」。自信家ほど簡単に騙されるという知識があるので、不正直に「騙されるかも」で手を挙げたが、会場には「騙されません」と自信満々の人も。もちろん「そういう人ほど騙され易い」と話は進む。

「まともな判断力があれば騙されない」というのは思い込みで、人間の認知機構は現実をありのままにではなく、かなり解釈で補いながら、手間を省いて認識している。だから、その隙を突かれるとコロっと騙される。ということを理解させるために100円硬貨を記憶で描かせ(ふだん使っているのに図柄をほとんど覚えていないことに愕然とする)たり、各種の錯視図を見せたり。チェッカーシャドウ錯視は比較的有名だと思っていたが、初見の人には信じられないらしく、手を変え品を変えて「AとBのタイルは同じ色」と説明しても納得されない様子はなかなか楽しかった(フォトショップのような画像編集ソフトでRGB値を示すか、カラータイルの現物で示さないと納得されないかも)

錯視の研究は世界的に進んでいて、東京には錯覚美術館というものもある。「抵抗しても無駄です。あなたの視覚計算済み。」と掲げられているように、理論的に錯視が作り出されている。席上、この美術館の存在をちょっと紹介したが、翌日カフェ主催者から15年の12月で閉館となってしまうという指摘。ああ、金の切れ目が縁の切れ目なのか。以前に行ったことはあるが、閉館前に表敬訪問しておこう。

2つの図形を重ねながらずらしていく参加者(組写真)
閑話休題。ジャストロー錯視では、初めに「同じ大きさに見えますね」と言われたので、実は上の図形が大きいだろうと思っていたら、大きく見えるのが錯視という凝ったデモンストレーション(気付くのに時間がかかった)。得心のいかない参加者は休憩時間に自分で図形を重ねていたが、2つの図形は(ほぼ)同じ大きさですから!

要するに「私は大丈夫」というのは酔っぱらいの「おれは酔ってない、ヒック」と同じくらい当てにならない。

エピソードの力


このように人の目というのは当てにならないものなのであるが、「この目で見たのだから」という自信はなかなか強いものがある。懐疑論者の中にすら「自分で確かめるまでは信じない」という人もいる。あんたはカッパーフィールドや引田天功(2代目)のイリュージョンを見たら瞬間移動や空中浮遊を信じるのかと(菊池教授はマジシャンのナポレオンズと組んで詐欺防止講習会を行ったこともあるとか)


盲目の物理学者が、臨終の床で聖職者から「神を信じますか」と問われ、「私は盲目なので、手で触れられるものしか信じません」と答えたとかいう話が好き。

「この目で見た」「私が経験した」は本人に対してのみならず、なぜか他人に対しても影響力がある。と、ここで怪しげな開運商品の広告がぞろぞろ。私に言わせれば、そもそもそんな経験談の主が実在するかからして怪しげなのだが、千歩譲ってそれを認めるにしても、商品購入との因果関係の証明にはならないというお話。ある程度数が売れれば、購入者の中には幸運に恵まれたと思えるような経験をする人も出るだろう。時には購入者自身が幸運に恵まれたと思えるような経験をするかもしれない。自動車を運転していて、交差点で停止する前に赤信号が青に変わればその程度でも「ラッキー!」と思えるものだし。

四分割表


エピソード主義というのは、三た論法すなわち「買った」「いい事があった」だから「効いた」に支えられているという(私が初めて三た論法という言葉を聞いたのはたぶんブルーバックスで出されていた佐久間昭の本、『薬の効用』かな? で、その当時は日本の医薬品業界が二重盲検法によらず「使った」「治った」だから「効いた」という怪しげな臨床試験に蝕まれていたそうだ)。実際には使わなくても治る例はある(書籍編集者が、医師に「本のミスと違って医術のミスは人命に関わるから大変ですね」と言ったところ、「患者の身体と違い、本の間違いは自然になおることはないから大変ですね」と返されたという話がある)、し、中には使わない方が治癒率が高いことだってあるかもしれない。

連続した起きる事象の間に因果関係を認めるのは得てして誤謬であるが、生存には有利に働き(危険を確認するまで行動しないよりは、以前の例と照合して危険発生と判断して回避行動をとった方が生き残りやすいだろう)、それゆえその認知システムは進化的に保存されてきたのだろう。また例外的な事象は強く印象に残る(「マーフィーの法則」は概ねこれ)こともエピソード主義を支える。商業報道は「犬が人を噛んでもニュースにならないが」なので、珍しいことがあれば取り上げる。しかし視聴者・読者はそれを恒常的な出来事と捉えがち(本来なら取り上げたところで地域面で終わりそうな雨乞い祭りの開催が、最中に雨が降りだしたために全国面に載ってしまった例が紹介された)

エピソード主義にだまされないためには、「した/しない」「変化があった/なかった」という2×2の四分割表で検証しなければならない。「やったら変わった」だけを見ていると、「雨が降るまで続ける雨乞い」は効果があることになってしまう。しかし、いつもいつもそうやって考えるのは大変なのだ。だが、せめてお金や健康に関わる事案の判断には「本当にそうだろうか?」と四分割表に当てはめて考えたいもの。

ちなみに怪しげな開運商品の一部(パワーストーンとか幸運を呼ぶ指輪とか)は青少年向け雑誌の定番広告。ある高校での出前授業で、これらの広告に掲載されている経験談はなんら効能の証明にはなっていないことを理解させてから、「受験雑誌に載っている合格体験記も似たようなもの」とやって、あとで進路指導の教諭から苦言を呈されたらしい(笑)。ただ、1つの体験記を鵜呑みにする生徒もいないだろう。いくつかの体験記から自分にあった(都合が良いとも言う)勉強法や生活習慣を見つけ出すのが悪いこととは思えない。むしろ人の成功体験を参照もせず、勉強も自己流(あるいは勉強しないことを正当化)という方がよろしくない気がする。

催眠商法


という説明を終えて、先生はにこやかに「さぁ、どうですか。もう騙されないという自信はつきましたか。」と問うてくる。その手は食わないぞと構えていると、今日話した内容はこれらの本にまとめていますと自著を2冊紹介し、まだ在庫がたくさんと笑わせる。参加者が書名をメモしたり、中にはスマホを使ってAmazonに注文したりするのを確認してから、急に険しい顔になり、「いま、この本を買おうと思った人は催眠商法にひっかかるおそれがあります」と警告。参りました。

かくして参加者は騙しの手口のみならず、その基本原理と対処法(の一部)を学んだ訳であるが、どうであろうか、たしかに騙されにくくはなったけれど、もう騙されないと言い切れるだろうか。

たとえば急かされたら判断を誤るだろう。急かされたら危険という知識はあっても、金額が小さいと「ま、いっか」とならないだろうか。6桁を超える詐欺に目を奪われがちだが、10万人のうっかりさんを相手に1000円ずつ掠め取る方がおそらく簡単だろう。ちなみにそれで8桁である。「出し子」「受け子」を雇う場合はある程度まとまった金額を詐取しないと上納金で赤字になるが、ワンクリック詐欺の類だとどうだろう。

また今回の私が典型だが、知識があるとそれで判断してしまう(「長さが同じ見えるものを示されて長さを問われたら、実は異なる」というように)。マスを騙す場合には常道に従うだろうが、特定個人を狙う(標的攻撃、ピンポイント攻撃)場合は思考特性を吟味してくるだろう。そうなったらたぶん持ちこたえられない。

たとえば「うまい話には裏がある」という原理だけで判断していると、「信じなかったために儲け損なった」「乗った連中は正当に儲かっている」という経験を何回か繰り返されてから、「仮に損をしてもこれくらいだから、洒落だと思って参加して」と誘われたら、「儲かるとは思ってないよ」と言いながら手を出してしまうだろう。

詐欺師共は冷徹だ。儲かると分かれば恥も外聞も捨てて攻めてくる。一方のこちら側は心理的に隙だらけな上に、「儲かりたい」「いい人だと思われたい」といった認知を歪める欲望に取り憑かれている。「悪徳商法にだまされない若者を育てるための教育基金詐欺」なんて手の込んだ話が来たら、「騙される人が減るといいですねー」なんて優越感に浸りながら一口乗ってしまうかもしれない。そして「その基金は詐欺」という指摘があっても耳を塞ぎ、あるいは反論してしまうだろう。

幸い今のところはオーダーメイド詐欺の標的にはなっていないと思うけれど...

われわれは詐欺団だ。
お前たちの財産をわれわれに同化する。
抵抗は無意味だ。



「われわれは」で始まり「無意味だ」で終わるこの3行は、映画/ドラマ「スタートレック」に登場する侵略的な異星人ボーグの決め台詞「われわれはボーグだ」(We are the Borg)、「お前達は同化される」(You will be assimilated)、「抵抗は無意味だ」(Resistance is futile) 」のパロディ。「お前達の生物的特性をわれわれに同化する」(We will add your biological dictinctivess to our own)というのもあるとか。

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