« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »

2015/08/14

福島エクスカーション(2015年8月)

きっかけはこのツイートだった。

開沼さんを直接はフォローしていないので、誰かがリツイートしたものか、誰かのホームを見に行って見つけたのだろう。直感に従って申し込み。すぐに参加費振込みと予習の指示が来たので、未読であった『はじめての福島学』と『「フクシマ」論』を注文。これが届いてみると400ページを超える大著。それでも10日までには、と一所懸命読んでいくと、放射線についての勉強が大変だというところで、次のような記述があって力が抜けてしまった。

これまで「放射線がわかるQ&A」みたいな本が無数に出ていますが、どれが信頼できるいい本なのかわからないし、それを買ったところで読むのも大変そう。信頼できそうな詳しい人が「いい本だ」って言っている本は、辞書みたいな厚さだったり、

辞書みたいな厚さだったり! かかる壮絶な自己否定は(SNSでは珍しくもないけれど)なかなかお目にかかれるものではない。編集者はおかしいと思わなかったのか。

閑話休題。2冊を並行して読み進めたが、どうにも間に合いそうもないので『はじめての福島学』に集中し、往きの新幹線やまびこ203号の中で何とか396ページまで読むことができた(こうして直前まで読んだことが「試験」に好影響)

集合


醤油味のスープにメンマ、刻みネギ、ゆで卵、チャーシュー、焼き海苔の乗ったラーメン
予定通り集合時刻の25分前に駅についたので、構内の店で白河ラーメンを食す。それから集合場所の芭蕉像前に行くと、すでに暴力的になりつつあった太陽光を避け、少し離れた日陰に人が集まっている。名乗るとクリップボードに挟んだ資料を渡された。おお、太っ腹、と思ったらこのクリップボードは終了時に回収された(回収するなら先に言わないと、名前を書き込まれたりするよ)


バスの車体には「白河市」と書いてある手配された小型バスが着いたので乗り込む。車体には「白河市」とあるので市のバスだろうか。座席は1+2だったので、乗ってすぐの1列席に座った。

座った席は入り口を入ってすぐ右ここは前のシートがないので飲み物ホルダーも小物入れもないかわりに、砂かぶりの特等席(そのためか講義中、2回も指された)。予定時刻を過ぎても出発しないのでどうしたのかと思ったら、遅れている人がいるという。その人が駆け込んできて謝った時刻を見ると、どうやらやまびこ205号で着いたらしい。

バスは出発すると東北自動車道へ。矢吹ICからあぶくま高原道路、磐越自動車道を経て常盤自動車へ入り、いわき四倉ICで降りたようだが、その間ずっと大判スケッチブックを使った紙芝居型講義が続いていたので定かではない。道の駅よつくら港に着いたのがおよそ10時50分なので、約90分の講義だった次第(そういえば冒頭に主催者たるShirakawa Week実行委から挨拶があった)

フィールドワーク1(いわき-広野-楢葉)


出発前に新白河駅で用を済ませていたにもかかわらず、熱中症を警戒して水分を摂り過ぎたせいか、車中では早々に自然の呼声が突き上げてきた。平静を装いながら道の駅よつくら港のトイレに駆け込むとなんと清掃中! 幸いにも車イス用トイレ(正確には車イスでも使え、そうでない人も使えるトイレ)が空いていたので事なきを得る。

ここも東日本大震災の時は津波の直撃を受けて相当な被害があった。もっともひっくり返った自動車の写真くらいだと「水が来たのね」としか思わないが、改めて調べてみると流されてきた漁船が建物に衝突して破壊していったという。予習というのは大切です。

入口にかけられた「ようこそ!浜風商店街へ!」の横断幕
続いて立ち寄ったのが久之浜第一小学校の敷地に作られた浜風商店街。とりあえず500mLの清涼飲料水を購入したが、麦茶の接待が待っていた。

白い紙で地形や建物を再現したジオラマ商店街の中には被災時およびその後の写真と在りし日の街の姿を示すジオラマが展示されていた。こちらでは復興支援缶バッジを購入。久之浜地区では津波は免れた家屋も、その後に発生した火災により焼失してしまった。消防団が出動したものの、余震で退避している間に火が広がって、途中のホースが燃えてしまい消火活動が不可能に。「石巻の火災は有名だけど」という地元の方の言葉が耳に残る。

久之浜第一小学校のプレートが付いた石造りの門柱と浜風商店街の幟門柱には小学校のプレート。幟には「ようこそ 浜風商店街 みんなで前へ、未来へ!」とある。

バスに乗り込んだ犬型ゆるキャラ「しらかわん」ここでなぜか白河市のゆるキャラしらかわんが合流。しかもバスに乗り込んできた。これ、対向車とりわけ高さが同じ大型トラックやダンプの運転手はかなり驚いたのではないだろうか。

J-Village の入り口J-Villageで昼食。食後、帰る段になって気がついたが構内無断撮影禁止の貼り紙。こういうのは入ってきたときに見えるように貼ってほしい。

フィールドワーク2(楢葉)


線量計の表示を写真撮影バスの中でリアルタイム線量計2台と積算線量計1台が希望者に渡される。さっそく現時点での線量を記録(0.2μSv/hとのこと)。

沿道に植えられた桜の苗木とオーナーからのメッセージを記したプレート沿道にはふくしま浜街道・桜プロジェクトが植えた桜の苗木が。浜街道163kmに2万本の桜並木をつくろうという壮大な計画。このピンクのプレートはオーナーのメッセージを載せるもの。すでにオーナーになった人や支援者の顔ぶれを見ると、人によっては「一緒にやりたくない」と思うかもしれないが、小心さから自分の身だけは潔癖に保とうとし、小異にこだわってしまう愚は避けたいもの。

天神岬から海岸べりの更地天神岬から臨む。ここにもかつては住宅が建っていたという。手前に見え隠れしているのはサケの遡上する木戸川(これは『はじめての福島学』p.371に紹介されている)

フレコンバッグが整然と並べられた仮置き場津波で生じた瓦礫や除染廃棄物の仮置き場。ここで分別・減容が行われ、中間貯蔵施設へ運ばれる。すでにフレコンバッグの中には耐用年数を過ぎて破れ始めたものもあるらしい。なお、放射性廃棄物が山と積まれているけれど、自己遮蔽に加え、外周は放射能を持たない土を詰めたフレコンバッグを積んであるため、近づいてもそれほど被曝はしないとのこと。

手に持った線量計の表示を撮影線量チェックするも、値はさして上がらず(0.3μSv/hくらいだったか)。基本的に海から放射線が飛んで来ることは考えにくい。

海に向かった展望台
沖合20kmの地点に設置された浮体式洋上ウィンドファームを見るため展望台に上る。実証研究は今のところ順調らしいが、原発1サイトに匹敵する電力を生み出すのに風車が何基いるかを計算したら笑うしかなかった(最大出力時でさえそうで、しかも出力は文字通りの風まかせ)

20km先にあるという風力発電所は見えない晴れてはいるが、靄っているため見ることはできなかった。ここで数人が口裏を合わせ「見えますね。ほら、あそこ」と一芝居打ったら、もしかしたら全員「見える見える」となったかもしれないが、そういう危険な遊びはしない。

鉄筋三階建ての楢葉町役場次のフィールドは楢葉町役場のそばに設置された「ここなら商店街」。楢葉町という名前になんとなく懐かしさに似た感覚を覚えるのはなぜだろうか。大学の同級生の一人が確かこの町出身だが...30人全員の出身地を覚えているわけもない。

青地に赤い字で書かれた「ここなら商店街」の看板
商店街の名前は「食べるも!! 買うも!! ここなら」という意味らしい。楢葉町は避難指示解除準備区域なので日中は住民も帰還準備のために立ち入れる(宿泊は禁止)。商店街があるとないとでは大違い。

「レバニラ食べて 元気モリモリ」と書かれた武ちゃん食堂の看板
マンガ「いちえふ」の第十四話に紹介されている「武ちゃん食堂」がある(ああああ、6日はここで食事をすればよかったのだ!)。ニラレバ定食は文字通りの看板料理。

ソフトクリームを食べる開沼先生「いちえふ」によれば武ちゃん食堂のニラレバ炒め定食と並ぶ名物は、おらほ亭の柑橘ソフトクリームだそうだ。で、下調べをしてある人はちゃんと食べている。迷った私はとっさの判断(帰りの車中のおつまみに最適!)で「あぶり焼 小いわし」を購入。

ここまではお買物ツアー的な感じもあったが、この後いよいよ津波被災現場へ。

フィールドワーク3(富岡)


国道6号から海岸方向へ進むと、遠目には少し寂れた田舎町に見えたものが、実は津波によって破壊された家屋と分かってくる。一軒一軒を単独で見ればありふれた廃屋だが、それが続いている。バスを降りるとき、ここには慰霊碑や流されてきた小型トラックが突っ込んだままの家屋があると教えられた。トラックの突っ込んだ民家はすぐに見つかった。道路よりやや高いところにあり、東京の街中でこんなモノを目にしたら「現代芸術か?」と思うほど非現実的な光景。カメラを構えたところで鴨居の上に飾られた額縁が目に入った。仔細は読み取れないが「賞状」と書いてある。ここの住人は無事に避難できたのだろうか。戻ってきて変わり果てたわが家と、無事に残った賞状を見たときどんな思いをされただろうか。そんなことを思ったら撮影する気が失せてしまった。

海側一階部分が破壊されて斜めになったアパートが、そんな殊勝な気持ちも、目の前にある少し歪んだ印象をあたえる建物が津波で一階部分が押しつぶされて変形したのだと気づいたらどこへやら。海側の一階部分が中央に食い込み、二階がだるま落としのように落ちてきている。

モニタリングポストの表示は0.312μGy/h慰霊碑のそばにモニタリングポスト。囲いの柱に「富岡は負けない」というステッカー。

海側を見るとフレコンバッグが積んである海岸にはフレコンバッグがうず高く。

ヨークベニマルの正面入口ヨークベニマルTom・トム富岡店は地域の中核的な大規模小売店だったという。雑草が舗装を割って伸びているが、不思議なことに正面入口前のタイル貼りは草があまり生えていない。

ペットショップの前はタイルの隙間から草木が高さ1m近くまで草というよりは木に近いものも生えている。

ガラス戸越しに店内を覗く店内を覗き込むエクスカーション参加者一同(写っているのは約半数)。地元の人の目にはこういうように映っているのだろう。

駐車場に立てられたコーン駐車場には除染作業の企業体が朝礼をする場所を示すコーンが立てられていた。

国道脇に立てられた寿司屋のサインポール回転寿しアトム。食事中に地震に見舞われ、客が避難した時のままなのであろう。テーブルには皿が残っていた。アトムというのは原子のことである。原子力はatomic power。街の寿司屋が店名に取り入れたことからも「原子力 明るい未来のエネルギー」を素直に受け入れていたことが窺える。同様の例としてはアトム観光や原子力運送がある。40年間いい思いをさせておいて...メフィストフェレスか。

国道に面した柵には「エネルギー館」の看板。その奥に洋館風の建物。東京電力のPR施設「福島第二原子力発電所 エネルギー館」。時計が妙な時刻で止まっているのが気になる。ちなみに建物はエジソン、アインシュタイン、キュリー夫人の生家をモデルにしている。

芝生の庭には除染活動に使ったのだろうか、1000リットルは入りそうな黄色いポリタンクが放置されていたここに勤めていた人たちは原子力の伝道師という仕事を晴れがましく思っていたことだろう。原発は安全だし、日本の発展に欠くことはできないのだと。その信頼は無残にも身内によって打ち砕かれた(2Fは津波に耐えたけど)

バス移動(富岡-大熊-双葉-浪江)


ゲートが設けられ、マスクを着けヘルメットをかぶった警備員2人が守る枝道への入り口
帰還困難区域に入ると国道6号から脇に延びる道はすべて閉鎖されている。停車禁止の〈通りぬけ〉なので「原子力 明るい未来のエネルギー」のアーチ看板は一瞬見えただけ(動画を撮影するのが確実であろう)。じっくり見たければグーグルストリートビューがあるし、写真もネットにはたくさんある。

浪江町のローソンで休憩後、常磐道で帰途に。

テスト


福島エクスカーションは福島の現在を知る活動だが、参加者がガイドとなってその知見を広めていくことを期待して筆記試験を行い6割以上の正解で「初級ガイド」合格となる。バスの中で試験問題50問(『「フクシマ」論』をベースにした福島の歴史について25問と『はじめての福島学』に基づく福島の現状について25問)に挑戦。時間は30分。基本的には本に書かれていたことであるし、朝の講義でも触れた内容なので、そう難しくはないはずなのだが... どちらも2問ずつ間違えてしまった。解答を間違えるだけならともかく、参加者同士で解答用紙を交換して採点する際、正答なのに誤答扱いするミスを犯したのは申し訳ない(幸い、自己チェックで発見できたが)

ちなみに「福島の現状」問9の設問にある「体内の放射性カリウムの量と放射性カリムの量を」は「放射性セシウムの量を」の誤りだろう。といっても「はいはい、これはセシウムね」と解釈して答えたので、誤答になったことを正当化はできない。orz
(回収された問題用紙には「?」を朱書しておいた)

はなの舞


かくして全行程無事終了して新白河駅に帰着。解散後、次の新幹線(17:51)を逃すとその次は19時13分なので、ゆっくりと疲れを癒そうと駅前の海鮮居酒屋はなの舞へ移動。まずは弥右衛門を一杯。



続いて花泉、会津中将と福島の銘酒を飲み進む。実になみなみと注いでくれる。

いい気持ちになったところで電車の時刻。車中では酒の追加はせず、ここなら商店街のヴイチェーンで購入した「あぶり焼 小いわし」をかじりながら帰還。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/08/12

帰還困難区域を走り抜ける

いわき市まで行ったついでに、マンガ「いちえふ」を真似して常磐自動車道の最近開通した区間を走り、帰りは国道6号を使って帰還困難区域を通り抜けてきた。高尚な目的など微塵もない、好奇心に駆られた行為。

マンガ「いちえふ」の主人公が開通したばかりの常磐道を走るシーン。片側一車線の対面通行だが、本人は「うひょー、ピカピカ」と大喜び

出典:竜田一人「いちえふ」第十四話「(Get Your Kicks On)Route 6!」/週刊モーニング2/5号 p.110(2015)

この絵に描かれている通り、恐怖の対面通行(上下線ともそれなりの交通量)であり、また沿道の電光掲示板には空間線量が表示されている。この日の最高値は5.3μSv/hで、さすがにそれを目にしたときは軽い緊張を覚えた(役所から線量計を借りて自宅で測ったときは雨樋にたまった泥に近づけても0.06μSv/hだったので、普段の100倍近い値)

パーキングエリアの庭にサッカー選手の足形が2列に並べられている
ならはパーキングエリアは今年3月に開業したばかりの小奇麗なPAだが、飲料の自動販売機が1台とトイレ、それから喫煙室くらいしかない。もっとも屋外には「フットボールレリーフ」という、サッカー日本代表の足形を集めたものがあるので、好きな人にはたまらないかもしれない。中央にあったのはザッケローニ監督の足形。大きい。


常磐富岡インターチェンジから先は搭載している旧いカーナビにデータがなく、マンガと同じく「道なき道を突き進」む、「おー、これぞフロンティアスピリット!」なのだが、これ自体は何も常磐道まで行かなくても、最近開通した区間を走れば体験できる。しかし追体験というのは楽しいもの。

下りるインターチェンジを通り過ぎぬよう、「道の駅そうま(これが大間違いで、本来は「道の駅南相馬」とすべきであった)を目的地にセットしておいたところ、下道と偶然重なるのであろう、突然「300メートル先、右折です」などと案内されることが数度。もちろん無視して走行。

ナビがアテにならないので南相馬インターチェンジで降り、いくぶん空腹を覚えながら道の駅を目指す。当初の予定ではまず凍天を食すはずであったが、これがあるのは道の駅相馬。当然、道の駅そうまにはなく、しかもなぜか食堂の券売機にダンボールが貼りつけられていて「食べさせません」という強固な意志を感じたため、震災展示(津波でひしゃげた道路標識は圧巻)を見てから土産物(七味にんにくだが、材料の原産地は書いてない。ラベルに早池峰とあるから岩手県だったか?)を買って退散。その段階で、次に道の駅相馬があることを発見したが、やんぬるかな、行ってみると入り口は国道6号の下り線に面しており、上り線から入ることは絶望的(後で地図を確認すると手前の交差点で右折すれば入れた)。そこに凍天があるともしらず、「しゃーない、次」と通り過ぎることに。しかし6号を進み、小高地区までくると震災の傷跡がまだあり、食事処らしき建物が見えても営業していないものばかり。そしてあれよあれよという間に帰還困難区域になってしまい、営業している店はおろか、自販機さえない状況に。もちろん停車禁止。ここでは万が一にも事故を起こすわけにはいかないので、運転はより一層慎重に。そのため左右に広がる風景もちらちらと見るしかない。そこへもってきて疲労と空腹が重なってきたため、双葉駅への道に通じる道に掲げられた「原子力 明るい未来の エネルギー」の看板も第一原発への交差点も気がつかないで通り過ぎてしまった(「第二原発左折」の看板を見て「あれっ?」)

せめて「いちえふ」を諳んじられるほど読み込んでいけばこんなことはなかっただろうに。とはいえ「獣と衝突」の注意を呼びかける看板はちゃんと見つけられた。初めから「獣と」で作られたものもあれば、シールを貼ったもの(その下の字はたぶん「牛」)も。また「猪と衝突」というものあった。少数ながらまだ「牛と衝突」も健在。またところどころに立てられた「除染作業中」の幟に混じって、「除草作業中」の幟も。これに気づいたときは嬉しかったけれど、停車して写真を撮るわけにも行かず、頼みのドライブレコーダー映像は、帰宅したときには上書きされていてお見せできないのが残念。

帰還困難区域を出ると〈北限のコンビニ〉があったので、とりあえずパンと飲み物を購入して休憩。平日の午後であったが、結構混んでいた。道の駅ならははトイレしか使えないというので通過。「豚丼」と看板がチラリと見えたが、やってはいないだろうな。

このように得るもの少ない通りぬけであったが、後日の福島エクスカーションの良い予習となった。

アクアマリンふくしま


広野インターチェンジから常磐道に乗り、いわき湯本でいったん降りてアクアマリンふくしまへ。いわきの名所を紹介して、少しでも観光へ誘わなくてはという義務感よりは、「行って還ってだけでは、あまりに能がない」という焦燥感。前日、覗きに行った泉駅で「わくわく里山・縄文の里」オープンなんてチラシを持ってきた影響もある。

下調べをしてこなかったので1800円という入場料に狼狽し、さらに「閉館17時半ですがよろしいでしょうか」(着いたのは16時半ころ)という追い討ちをくうが、グッとこらえて入場券購入。入るとすぐに、右手が縄文の里、直進で本館という分岐。止せばいいのに縄文の里へ進む。遠回りになったけれど、カワウソに会えたので満足。

続いて本館へ。古生物学が終わるとエスカレーターでいきなり4階へ。「熱帯アジアの水辺」コーナーで思ったのは、生物の展示は生育環境を再現しなければならず、そうなると「水族館」「昆虫園」「植物園」といった区分けはあまり意味がなくなるのでは、ということ。とはいえ蚊とか虻とか蛭とかまで再現して欲しいとは思わない。

ゴマフアザラシは水の中を大きな目をぐりぐりしながら泳いでいたが、隣のトドの水槽は生き物の気配なし。もしや?と思って階段を登って水面の上(アクリルの前では高さ2mほどまで水)を見ると、案の定トドは陸上に寝転がっていた。トドというのは一部のツイッタラーの間ではToDo(やるべきこと)の隠語。

水産資源としての魚についての展示もあり、福島県の海産物の放射能汚染状況についての説明もあった。ここはじっくり見たかったので、機会があれば再訪したい。

17時を回るといよいよ閉館の音楽がかかりだす。三拍子だったら「別れのワルツ」、四拍子なら「蛍の光」だけど、どっちだったかな。寿司屋も閉まっていたし(これも後で調べたら15時まで、「食材がなくなった場合は、早めに閉店」)、諦めて早足で出口まで。途中、ショップ前スロープに震災の記録が展示されていた。地震と津波そして引き続く停電と燃料供給停止のため、多くの展示魚が死んでしまったという。飼育者としては痛恨であったことだろう。

ショップでの買い物ができなかったので、中郷SAで福島土産を購入。

一見したところ酪王カフェオレの1Lパックなのだが、実はパイというおちゃめな商品(偶然だが、道の駅そうまで購入した七味にんにくと同じ販売会社だった)。それと福島産ではないけれどおひたち しょうゆラングドシャという醤油スイーツに心惹かれてこれも購入。どちらも美味でした。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2015/08/08

献血ルーム巡り9(福島県・いわき出張所)

山梨、栃木、茨城と県内すべての献血ルームを制覇して、次の目標は福島県! ということで福島県赤十字血液センターいわき出張所へ行ってきた。さすがにこの距離になると日帰りは難しく思われたので、前泊することにした。ホテル予約はもちろんhotels4changeから。

前泊


5日の晩に宿泊したのはホテルルートインいわき泉駅前。本館の部屋に入って驚いたのが、バス・トイレがとてもゆったりとしていたこと。そして手すりが取り付けられ、段差もないユニバーサルデザインになっていたこと。これは顔本に写真をあげた。ただひとつの難点はフェイスタオルを干すところが見つけられなかったこと。

夕食は街でとろうと外へ出たが、駅前だというのにほんっとに店がない。21時前でもう真っ暗。来るときにある程度当たりをつけておいたので、幹線道路に向かっててくてく。戻って自動車を出した方がいいか、と弱気になったところでステーキのけんが営業しているのを発見。パクチーの載ったチキンステーキを頼み、勢いでパクチーサワーも注文。メインメニューを頼むとライス・サラダバー・スープが食べ放題、がこの店の特徴らしい。食べ終わって満足して会計をしようとすると、「フルーツも食べ放題ですけど」「いや、もう充分」「ポイントカードをお作りしますか」「こっちにはもう来ることないから」(福島ローカルだと思っていた)という会話。店を出てから気づいたが、「こんな店、もう来ねーよ」と受け取られたら悪いことをした。

ホテルに戻る途中で泉駅に立ち寄る。ここには20年前になるか、自動車で来て列車組をピックアップして仕事先へ向かったことがある。しかし駅は今世紀に入って改装されたそうで、面影は全くない。アクアマリンふくしまのチラシを貰った。

呼び水が注入されたせいで、ホテルの自販機で〈飲み物〉を補充。部屋の冷蔵庫が動作していないようなので温くならないようにすぐに飲み、10日の福島エクスカーションに備え『はじめての福島学』を100ページほど読んでから寝た。

いわき出張所


6日はアラームが鳴る前に目が覚めたので、開いたばかりの大浴場で汗を流す。ここは部屋着(甚平)のまま浴場へ行けるのがありがたい(たいていのホテルは浴衣で室外に出ることを制限)。朝食はバイキング形式なので和洋折衷で済ませ、毎度道に迷うため用心して8時に出発。下道だけでも行けるのだが、平日朝夕割引の回数を稼ぐため無理やり常磐自動車道を経由して福島県赤十字血液センターいわき出張所へ到着したのが9時前。幸い、ここは9時から受け付けてくれるので、10時に予約している旨を告げてさっさと手続き。

ここは来訪者用駐車スペースが18、手荷物用ロッカーも18用意されている。

問診

問診用のタッチパネルは入り口から入ってすぐのカウンターに。うーん、プライバシーに踏み込む質問に答えさせるにはちょっと難が(後ろに人が立つことはないけれど)。いつものようにサササッと答え、受付番号の書かれた紙テープを右手首に巻かれる。私は慣れているしなんとも思わないが、非人間的な扱いを受けたと感じる人もいるかな。

血圧は自動計測器で自己計測。値を控えようと思ったが、係の人が出力をさっさととってファイルに閉じてしまった。「先生の診察を受けてください」と奥へ案内される。医師は問診結果を見て「78回ですか...予防注射はいつされましたか」「去年の8月です」。会話はそれだけ。続いて事前検査の採血。針を抜いてからガーゼ付絆創膏を貼られるが、「しばらく手で押さえていてください」。え? 止血帯はなし? 結果は分析機にかけるので直ぐに出るが、他所では結果概略を教えてくれるのに、ここでは「血小板でお願いします。待合室でお待ちください」。まー、〈合格〉だからいいか。自販機からスポーツドリンクを選んで水分補給。この自販機にはホットアクエリアスはない。代わりに泡立ついちごオ・レとかコーンポタージュスープとか見慣れぬものが。

トイレ

トイレの壁に貼られた注意書きと非常呼び出しボタン成分献血はおよそ50分かかるので、事前にトイレに行っておくことが勧められる。トイレは廊下を挟んで採血室の向かい。「採血後は座位で」という注意書きは朝顔の前に立つと正面に。また「気分の優れない方は下のボタンを押して」ともあるのだが、このボタンは分かりにくい。なんでこんな黒い小さいボタンにしたのだろう。消防の非常ベルみたいに真っ赤だと気後れする心配はあるけれど(今までの例ではオレンジ色など、目立つけれど敷居の高さは感じさせない配色)、これは地味すぎて目立たないのではないだろうか。

個室の中の非常呼び出しボタン。配線が斜め。
個室もチェック。ペーパーホルダーの上、手の届きやすいところにあるけれど、やはり黒くて小さいボタン。ボタンの箱には「気分の悪くなった方」とあるのは不統一だし、配線もプロらしからぬ...

しかし遥々いわき市までトイレチェックって、まさに「福島にションベンしに行ってきた」つまりアメションならぬ福ションではないか。w

採血

採血室にはベッドが7台。眼を引くのがベッドもタオルもピンク色で統一されていること。これは不安を和らげるには効果的かもしれない。色といえば、ナースさんたちはみなパステルカラーのエプロンをしていた。赤系統と青系統の人がいたけれど、キャリアが違うのかな?

手袋(他所では紫色が多いが、ここは白色。材質はニトリル)は全員が着用していただけでなく、見ていると頻繁に外している。そして新しい手袋を着用するとまず消毒。着けっぱなしであちこち不衛生なところに触れば元の木阿弥なので、無菌操作が要求されるときに限って着用するのは合理的かもしれない(でも経費が心配)。あるルームのナースは手袋をつけたまま指先の感覚を確保するためか、人差し指先端(もちろん手袋の)をカットしていたが、あれは本末転倒だろう。

ベッドには靴を脱いで乗る。ヨード綿棒は個包装されていた。握り棒もレッグクロス運動の説明もない。テーブルの上にパウチされた紙があったので手にとってみると、震災以降、平日の献血が減少しているという献血のお願い。献血カードに次回献血可能日が印字されているから帰るときに予約して欲しいと。血小板の端境期(寿命が約4日なので日曜に採血した分は木曜で使えなくなる)に来たのは有意義だったとにんまり。でも、次回は他所へ行きます。機械のディスプレイで4サイクルの進み具合を見たり少しうとうとしたりしているうちに終了。針を抜くと手際よくガーゼ付絆創膏を貼り、ここでも止血バンドは使わず包帯を巻かれた。終了後の血圧は下が75で上が125とまずまずの値。他所では書類の入ったフォルダを自分で受付に持っていくことが多いが、ここでは手ぶらで帰された。

待合(休憩)室

待合室に戻ってしばし休憩。記念品は東北六県のご当地献血ちゃんイラスト入りのティッシュボックス。福島県は白虎隊!(献血する方じゃなくて輸血される立場じゃないの? しかし会津のプレゼンスは大きいのだな) さらにアイスクリーム自販機用コインも頂戴する。自販機は玄関を入った風除室(気閘)にあった。品揃えは水戸と同じ。ここではチョコナッツクランチを選択(これの全品制覇も目標に加えようか)

六種類の「けんけつちゃん」の描かれたティッシュボックス。右端の福島県けんけつちゃんは「白虎隊」と染めた旗を持っている。

予約をして行ったので更にナノックス/パスタ(バジリコ)/タフマン/ウェットティッシュの中から一つ選んでと言われ、タフマンを選択。しかし冷えていなかったので飲むのは後回し。

本棚には主にコミックス。「美味しんぼ」も置いてあった。棚の隅にあった『赤十字巡礼』が気になって手にとると、赤十字創設者アンリー・デュナンの伝記であった。序文により赤十字発足からノーベル平和賞受賞までの40年間に破産・失踪・困窮という波乱の人生を送ったことを知る。もう一冊『血液センター連盟のあゆみ』が気になって開いてみると、こちらは資料集のような感じでよく分からなかったが、どうも血液センターは日本赤十字のもとに統一的に設立されたものではなく、もともとは各地区で独自に発達してきたもののようだ(昔は遠距離で血液を融通することもできないから全国組織であるメリットはなかっただろう)

20分休憩して落ち着いたと判断したので辞去。こういう時ってなんと挨拶したら(挨拶を返したら)良いのかいつも迷う。「お世話様」も違うし「またねー」も嘘になるし。

このあとマンガ「いちえふ」で刺激を受けた常磐自動車道開通区間の走り初めと、国道6号で帰還困難区域の通りぬけを敢行した。


| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »