福島エクスカーション(2015年8月)
きっかけはこのツイートだった。
8月10日、「福島エクスカーション」を開催。私が丸一日ガイドします。
「一度福島の被災地域の実態を見てみたかった」「行く機会がなかった」「復興のために何ができるのか考えたい」といった思いをお持ちの方、ぜひご参加下さい。詳細はこちらhttps://t.co/ecpMGgza9c
— 開沼博 『はじめての福島学』3刷出来! (@kainumahiroshi) 2015, 7月 30
開沼さんを直接はフォローしていないので、誰かがリツイートしたものか、誰かのホームを見に行って見つけたのだろう。直感に従って申し込み。すぐに参加費振込みと予習の指示が来たので、未読であった『はじめての福島学』と『「フクシマ」論
』を注文。これが届いてみると400ページを超える大著。それでも10日までには、と一所懸命読んでいくと、放射線についての勉強が大変だというところで、次のような記述があって力が抜けてしまった。
これまで「放射線がわかるQ&A」みたいな本が無数に出ていますが、どれが信頼できるいい本なのかわからないし、それを買ったところで読むのも大変そう。信頼できそうな詳しい人が「いい本だ」って言っている本は、辞書みたいな厚さだったり、
辞書みたいな厚さだったり! かかる壮絶な自己否定は(SNSでは珍しくもないけれど)なかなかお目にかかれるものではない。編集者はおかしいと思わなかったのか。
閑話休題。2冊を並行して読み進めたが、どうにも間に合いそうもないので『はじめての福島学』に集中し、往きの新幹線やまびこ203号の中で何とか396ページまで読むことができた(こうして直前まで読んだことが「試験」に好影響)。
集合
予定通り集合時刻の25分前に駅についたので、構内の店で白河ラーメンを食す。それから集合場所の芭蕉像前に行くと、すでに暴力的になりつつあった太陽光を避け、少し離れた日陰に人が集まっている。名乗るとクリップボードに挟んだ資料を渡された。おお、太っ腹、と思ったらこのクリップボードは終了時に回収された(回収するなら先に言わないと、名前を書き込まれたりするよ)。
手配された小型バスが着いたので乗り込む。車体には「白河市」とあるので市のバスだろうか。座席は1+2だったので、乗ってすぐの1列席に座った。
ここは前のシートがないので飲み物ホルダーも小物入れもないかわりに、砂かぶりの特等席(そのためか講義中、2回も指された)。予定時刻を過ぎても出発しないのでどうしたのかと思ったら、遅れている人がいるという。その人が駆け込んできて謝った時刻を見ると、どうやらやまびこ205号で着いたらしい。
バスは出発すると東北自動車道へ。矢吹ICからあぶくま高原道路、磐越自動車道を経て常盤自動車へ入り、いわき四倉ICで降りたようだが、その間ずっと大判スケッチブックを使った紙芝居型講義が続いていたので定かではない。道の駅よつくら港に着いたのがおよそ10時50分なので、約90分の講義だった次第(そういえば冒頭に主催者たるShirakawa Week実行委から挨拶があった)。
フィールドワーク1(いわき-広野-楢葉)
出発前に新白河駅で用を済ませていたにもかかわらず、熱中症を警戒して水分を摂り過ぎたせいか、車中では早々に自然の呼声が突き上げてきた。平静を装いながら道の駅よつくら港のトイレに駆け込むとなんと清掃中! 幸いにも車イス用トイレ(正確には車イスでも使え、そうでない人も使えるトイレ)が空いていたので事なきを得る。
ここも東日本大震災の時は津波の直撃を受けて相当な被害があった。もっともひっくり返った自動車の写真くらいだと「水が来たのね」としか思わないが、改めて調べてみると流されてきた漁船が建物に衝突して破壊していったという。予習というのは大切です。
続いて立ち寄ったのが久之浜第一小学校の敷地に作られた浜風商店街。とりあえず500mLの清涼飲料水を購入したが、麦茶の接待が待っていた。
商店街の中には被災時およびその後の写真と在りし日の街の姿を示すジオラマが展示されていた。こちらでは復興支援缶バッジを購入。久之浜地区では津波は免れた家屋も、その後に発生した火災により焼失してしまった。消防団が出動したものの、余震で退避している間に火が広がって、途中のホースが燃えてしまい消火活動が不可能に。「石巻の火災は有名だけど」という地元の方の言葉が耳に残る。
門柱には小学校のプレート。幟には「ようこそ 浜風商店街 みんなで前へ、未来へ!」とある。
ここでなぜか白河市のゆるキャラしらかわんが合流。しかもバスに乗り込んできた。これ、対向車とりわけ高さが同じ大型トラックやダンプの運転手はかなり驚いたのではないだろうか。
J-Villageで昼食。食後、帰る段になって気がついたが構内無断撮影禁止の貼り紙。こういうのは入ってきたときに見えるように貼ってほしい。
フィールドワーク2(楢葉)
バスの中でリアルタイム線量計2台と積算線量計1台が希望者に渡される。さっそく現時点での線量を記録(0.2μSv/hとのこと)。
沿道にはふくしま浜街道・桜プロジェクトが植えた桜の苗木が。浜街道163kmに2万本の桜並木をつくろうという壮大な計画。このピンクのプレートはオーナーのメッセージを載せるもの。すでにオーナーになった人や支援者の顔ぶれを見ると、人によっては「一緒にやりたくない」と思うかもしれないが、小心さから自分の身だけは潔癖に保とうとし、小異にこだわってしまう愚は避けたいもの。
天神岬から臨む。ここにもかつては住宅が建っていたという。手前に見え隠れしているのはサケの遡上する木戸川(これは『はじめての福島学』p.371に紹介されている)。
津波で生じた瓦礫や除染廃棄物の仮置き場。ここで分別・減容が行われ、中間貯蔵施設へ運ばれる。すでにフレコンバッグの中には耐用年数を過ぎて破れ始めたものもあるらしい。なお、放射性廃棄物が山と積まれているけれど、自己遮蔽に加え、外周は放射能を持たない土を詰めたフレコンバッグを積んであるため、近づいてもそれほど被曝はしないとのこと。
線量チェックするも、値はさして上がらず(0.3μSv/hくらいだったか)。基本的に海から放射線が飛んで来ることは考えにくい。
沖合20kmの地点に設置された浮体式洋上ウィンドファームを見るため展望台に上る。実証研究は今のところ順調らしいが、原発1サイトに匹敵する電力を生み出すのに風車が何基いるかを計算したら笑うしかなかった(最大出力時でさえそうで、しかも出力は文字通りの風まかせ)。
晴れてはいるが、靄っているため見ることはできなかった。ここで数人が口裏を合わせ「見えますね。ほら、あそこ」と一芝居打ったら、もしかしたら全員「見える見える」となったかもしれないが、そういう危険な遊びはしない。
次のフィールドは楢葉町役場のそばに設置された「ここなら商店街」。楢葉町という名前になんとなく懐かしさに似た感覚を覚えるのはなぜだろうか。大学の同級生の一人が確かこの町出身だが...30人全員の出身地を覚えているわけもない。
商店街の名前は「食べるも!! 買うも!! ここなら」という意味らしい。楢葉町は避難指示解除準備区域なので日中は住民も帰還準備のために立ち入れる(宿泊は禁止)。商店街があるとないとでは大違い。
マンガ「いちえふ」の第十四話に紹介されている「武ちゃん食堂」がある(ああああ、6日はここで食事をすればよかったのだ!)。ニラレバ定食は文字通りの看板料理。
「いちえふ」によれば武ちゃん食堂のニラレバ炒め定食と並ぶ名物は、おらほ亭の柑橘ソフトクリームだそうだ。で、下調べをしてある人はちゃんと食べている。迷った私はとっさの判断(帰りの車中のおつまみに最適!)で「あぶり焼 小いわし」を購入。
ここまではお買物ツアー的な感じもあったが、この後いよいよ津波被災現場へ。
フィールドワーク3(富岡)
国道6号から海岸方向へ進むと、遠目には少し寂れた田舎町に見えたものが、実は津波によって破壊された家屋と分かってくる。一軒一軒を単独で見ればありふれた廃屋だが、それが続いている。バスを降りるとき、ここには慰霊碑や流されてきた小型トラックが突っ込んだままの家屋があると教えられた。トラックの突っ込んだ民家はすぐに見つかった。道路よりやや高いところにあり、東京の街中でこんなモノを目にしたら「現代芸術か?」と思うほど非現実的な光景。カメラを構えたところで鴨居の上に飾られた額縁が目に入った。仔細は読み取れないが「賞状」と書いてある。ここの住人は無事に避難できたのだろうか。戻ってきて変わり果てたわが家と、無事に残った賞状を見たときどんな思いをされただろうか。そんなことを思ったら撮影する気が失せてしまった。
が、そんな殊勝な気持ちも、目の前にある少し歪んだ印象をあたえる建物が津波で一階部分が押しつぶされて変形したのだと気づいたらどこへやら。海側の一階部分が中央に食い込み、二階がだるま落としのように落ちてきている。
慰霊碑のそばにモニタリングポスト。囲いの柱に「富岡は負けない」というステッカー。
海岸にはフレコンバッグがうず高く。
ヨークベニマルTom・トム富岡店は地域の中核的な大規模小売店だったという。雑草が舗装を割って伸びているが、不思議なことに正面入口前のタイル貼りは草があまり生えていない。
草というよりは木に近いものも生えている。
店内を覗き込むエクスカーション参加者一同(写っているのは約半数)。地元の人の目にはこういうように映っているのだろう。
駐車場には除染作業の企業体が朝礼をする場所を示すコーンが立てられていた。
回転寿しアトム。食事中に地震に見舞われ、客が避難した時のままなのであろう。テーブルには皿が残っていた。アトムというのは原子のことである。原子力はatomic power。街の寿司屋が店名に取り入れたことからも「原子力 明るい未来のエネルギー」を素直に受け入れていたことが窺える。同様の例としてはアトム観光や原子力運送がある。40年間いい思いをさせておいて...メフィストフェレスか。
東京電力のPR施設「福島第二原子力発電所 エネルギー館」。時計が妙な時刻で止まっているのが気になる。ちなみに建物はエジソン、アインシュタイン、キュリー夫人の生家をモデルにしている。
ここに勤めていた人たちは原子力の伝道師という仕事を晴れがましく思っていたことだろう。原発は安全だし、日本の発展に欠くことはできないのだと。その信頼は無残にも身内によって打ち砕かれた(2Fは津波に耐えたけど)。
バス移動(富岡-大熊-双葉-浪江)
帰還困難区域に入ると国道6号から脇に延びる道はすべて閉鎖されている。停車禁止の〈通りぬけ〉なので「原子力 明るい未来のエネルギー」のアーチ看板は一瞬見えただけ(動画を撮影するのが確実であろう)。じっくり見たければグーグルストリートビューがあるし、写真もネットにはたくさんある。
浪江町のローソンで休憩後、常磐道で帰途に。
テスト
福島エクスカーションは福島の現在を知る活動だが、参加者がガイドとなってその知見を広めていくことを期待して筆記試験を行い6割以上の正解で「初級ガイド」合格となる。バスの中で試験問題50問(『「フクシマ」論』をベースにした福島の歴史について25問と『はじめての福島学』に基づく福島の現状について25問)に挑戦。時間は30分。基本的には本に書かれていたことであるし、朝の講義でも触れた内容なので、そう難しくはないはずなのだが... どちらも2問ずつ間違えてしまった。解答を間違えるだけならともかく、参加者同士で解答用紙を交換して採点する際、正答なのに誤答扱いするミスを犯したのは申し訳ない(幸い、自己チェックで発見できたが)。
ちなみに「福島の現状」問9の設問にある「体内の放射性カリウムの量と放射性カリムの量を」は「放射性セシウムの量を」の誤りだろう。といっても「はいはい、これはセシウムね」と解釈して答えたので、誤答になったことを正当化はできない。orz
(回収された問題用紙には「?」を朱書しておいた)
はなの舞
かくして全行程無事終了して新白河駅に帰着。解散後、次の新幹線(17:51)を逃すとその次は19時13分なので、ゆっくりと疲れを癒そうと駅前の海鮮居酒屋はなの舞へ移動。まずは弥右衛門を一杯。
終わったらこれ。 pic.twitter.com/qt24WdXHBM
— 細川啓%求職中 (@hosokattawa) 2015, 8月 10
続いて花泉、会津中将と福島の銘酒を飲み進む。実になみなみと注いでくれる。
なみなみ過ぎる会津中将。 pic.twitter.com/jjITKLuMjC
— 細川啓%求職中 (@hosokattawa) 2015, 8月 10
いい気持ちになったところで電車の時刻。車中では酒の追加はせず、ここなら商店街のヴイチェーンで購入した「あぶり焼 小いわし」をかじりながら帰還。
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