最終講義を聴きに行く
世話になった先生が今春に定年を迎えられる。その最終講義があるというので聴きに行った。
JRのボックスシートに座り、読みかけのままだった『原発事故と放射線のリスク学』を開いていると、いつの間にか車窓の景色が変わり、「ああ、来たな」と思うとしばらくして終点に到着。駅は改装されて往時とはうって変わったモダンな佇まいだが、良くも悪くも個性が無くなっている。かつてはなかった南口までできていて、どちらにもバス停があるので迷ったが、とりあえず以前と同じ(こういうところは劇的には変えないだろう)と踏んで北口へ。駅前広場もあまりの変わり様に「はて、以前はどうなっていたのか」と考え込みそうになったが、バス停案内はしっかりしていたので難なく目的の停留所へ行けた。ああ、位置的には以前と同じだよ(やっぱり保守的だ)。時間的に余裕があればちょっと銀行まで寄って、と思っていたらバスが来たので乗車。なんと低床式。

いったん事務棟に入り、特に案内も出ていなかったので構内図で会場を確認すると棟が違うと分かったので外に出る。建物の角を曲がろうとすると、停まった自動車の中から見覚えのある人物が。既に退職されている前教授! 慌てて挨拶をし、聞けばやはり最終講義を聴きにいらしたと。会場のある建物に入ると職員(教員だったかもしれない)が気がついて案内してくれる。なんかお付きの人になった気分。
受付に行くと、記帳用とは別に予定聴講者のリストがあり、○を付けるだけで入れるようになっていたが、畏れ多いことに2番目に私の名前が。


お話は大学入学から始まるのだが、実質1枚目のスライドにいきなり大管法(大学の運営に関する臨時措置法の略称)が登場してびっくり。もっとびっくりしたのが、臨時措置法という名が示す通り「5年以内に廃止するものとされる」時限立法だったはずが、実際に廃止されたのは2001年(2004年の国立大学の法人化よりは先だが、実に30年以上!)だったということ。とはいえご本人は学生運動に加わることはなく、講義がないのを良い事に遊び暮らしていらしたらしい。それでも尊敬する先生を見つけられて学問に目覚め、博士課程のある東北大の大学院に進み、修士論文の核はピアレビューの雑誌に投稿した、というと聞こえはいいのだが、ご本人の弁によれば、論文の書き方なんて習ってないから既存のものを手本に切り貼り(確かに「持ってきては、貼りつけながら」と言われた)して投稿したところ査読者から罵倒(「こんな論文は見たことがない」「不届きである」)されたと。これを聞きながら「どこかで聞いたような話だな...あっ(ここでSTAPもといSTOP)」。なお、その論文は先輩の手を借りて修正し、再投稿の結果受理され、今日に至るも無事である。
この後も研究にまつわるいろいろな話が続き、感心したり笑ったりしていたのだが、私と経験が重なる部分に来ると、細部にこちらの記憶と異なる部分が散見されて、(この先生に限らず)今まで感心して聞いてきた話って、意外と不正確なものなのかもと(自分の記憶が正しいことを前提に)少々悲しい気分になった。まー、細かいことはいいんです。大切なのは、おや、こんな時刻に誰だろう。


この後さらに先生を囲んで食事会。時間の都合で端折られた部分も伺うことができた。なお、今日は主に在校生を対象としたもので、卒業生向けには改めて夏に開催されるという。その時は農園見学もセットだろうか。
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コメント
センチソーラーとか、撮られたら撮り返すとか、夜中なのにキレッキレですな。
愉快な時間を過ごされたようで何よりです。
投稿: 耳蔵 | 2015/02/22 08:41