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2014/11/03

「いいね!」を押すような読書

以前のエントリーで言及した、Facebookで「いいね!」をつけるような読書について、菅谷さんのインタビュー記事が公開されている。

USAの教師は9歳の少女(の母親)に対して、その読書が「登場人物や場面が自分の考え方や境遇と近いことに共通項を見いだして読んだり、内容に共感するだけにとどまって」おり、こういう読み方をしていると(読書という)「せっかくの新しい学びの機会を生かせない」と注意する。それでは「世界が広がらないですし、学びが限られてしまう」とも。

なぜ、そのような読書が必要なのか。

人間は道具や機械によって肉体的限界を超えた仕事をこなせるようになった。それによって飢餓を免れ、文明を発達させてこられた。もちろん「2001年宇宙の旅」の冒頭に描かれたように、争いが取っ組み合いから大規模な殺し合いにエスカレートするといった副作用もあったけれど、現代人は機械を概ね使いこなしている。

コンピュータの発達によって、頭脳労働においても似た変化が起きている。馬車や人力車が自動車に取って代わられた時に「機械に人間の仕事を奪われる」と嘆いた人は少数だった。車夫や馬喰は運転手や整備工に、それが無理でも道路工夫といった「新しい技術がもたらした新しい仕事」に就くことができたけれど、馬に新しい仕事が与えられることはなかった(「渚にて」に描かれたような石油枯渇時代が来れば話は別だろうが)。そして「車にその役目を追われた馬の運命こそが、今後我々が辿ることになる運命そのもの」という危機感が広がりつつあるのが現代。『コンピュータが仕事を奪う』というそのものズバリのタイトルの書もある。

かつては「コンピュータにはできない、人間にしかできない仕事がある」と素朴に信じられてきた。しかし残念ながらその領域はどんどん狭まっているようだ。ちなみのこの著者は「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトを率いている。このロボットが代ゼミ模試に挑戦し、「国公立大学4校を含む470余りの大学で「合格率80%以上」を示すA判定」を受けている。まだ偏差値47なので平均以下ではあるが、〈ロボット以下〉の受験生も多数いる状況。今はまだ「だーから私大ブンケーは」と偏見を頼りに安穏としている人も、そう遠くないうちに「代ゼミ模試で人間の能力は測れない」などと言い出すようになるだろう。

訓練を積んだ専門家でなければ難しいと思われていた病理診断でコンピュータのほうが人間の精度を超えたという話もある。まだコンピュータは直接関与はしていないが、データ分析を駆使することで杜氏のいない日本酒造りに成功した酒蔵もある。

現在の高給取りの仕事ほど、熱心にコンピュータへの置き換えが研究されるだろう。24時間週7日、休まず働きミスも少なく、そのうえ賃金を要求しないわけだから(なんといっても忠実である、良くも悪くも)

「これはコンピュータにはできないから」という仕事も安心はできない。コンピュータに仕事を奪われ、他に特技もない人間があふれるようになれば、そういう仕事でも確実に賃金は下がる(Amazonが運営するメカニカルタルクは「人間には簡単だがコンピュータには難しい作業」による小遣い稼ぎをクラウドで斡旋している)

このような未来がユートピアになるかディストピアになるかは、ひとえに政治の力にかかってくる。無定見に人間の仕事を奪っていけば、あふれる失業者や低賃金労働者によって社会は不安定化するだろう。かといって人間の仕事を守るためにコンピュータを規制すれば、貪欲にコンピュータ化を進めた国に経済的に支配されてしまうだろう。打ち壊し運動は敗北する。

そして、民主主義社会においては、賢明な政治家が活躍するためには有権者もまた(それなりに)賢明であることが要求される。もしあなたに政治的な指導者になるつもりがなかったとしても、こうした問題を知らなかったら、選挙で投票するときに、どうやって賢明な選択ができるでしょうかというわけである。

好物をつまみ食いするような読書だけでは賢い有権者になるのは難しい。もちろん、それは子供に限った話ではない。

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