« 下久保ダムフラッシュ放流 | トップページ | キニーネは劇薬か? »

2014/10/07

雑木林幻想に落とし穴?

「平地林の落ち葉を堆肥に利用する循環型農業が300年以上続く三富新田」の世界農業遺産認定を目指す運動が埼玉県で進められている埼玉新聞。とりわけ熱心なのが三芳町。一方、隣接する所沢市は冷淡だという。世界遺産に指定されたら転業も土地売却もままならなくなるかららしい。この辺りは自然遺産などでも問題になるところ。

ところで何がそんなに素晴らしいのかといえば、循環型農業だという(ほかにも土壌の保水性を高めた構成も売りらしい)。間伐材を薪炭として利用し、その灰や落葉堆肥を畑に利用する。雑木林は適度な人的介入により極相林(常緑広葉樹林)へ遷移することなく、いつまでも落葉広葉樹林の状態を保ち続ける云々。

埼玉県議会は平成11年(1999年)に採択した意見書の中で「これまで農地と雑木林は、落ち葉を堆肥として利用するという循環型農業が維持される中で一体となって保全されてきた」と述べているし、三芳町が作成した「平地林が支える循環型農法」(PDF)にも、「萌芽更新、ヤマ掃き等により平地林を適正管理し、落ち葉から堆肥を作り、耕作地へ施肥、耕作に適した土を作る。その畑で育った農作物の恵み(収益等)により再び平地林の管理をする。この持続可能な循環型農法が300 年以上続けられている。」と書かれている。

おかしくないだろうか?

物質収支を見ると、雑木林からは出る一方ではないだろうか。炭素は光合成によって大気中から取り込まれるので良いとして、植物の三大栄養素、窒素(N)、リン(P)、カリ(K)は、農産物の形で畑からもどんどん取り去られている(だからこそ農地には施肥が必要になるわけ)。木灰はカリウム肥料だ。窒素とリンは一般に下肥として供給されるし、金肥(購入肥料)として魚粕や油粕あるいは化学肥料も投入されることもある。しかし雑木林に肥料をまくという話は寡聞にして知らない。

「樹木に肥料は要らない」という話もあるようだが、それは成長しきってからの話だろう。落葉・落果が根元で分解し吸収されるなら肥料は要らない。だが萌芽再生のためには肥料は必須。そうでないならば質量不変の法則が破られたことになってしまうが、もちろんそんなことはありえない。

とはいえ、この農法が破綻せずに300年以上続いてきたということは、なんらかの還流があったのだろう。たとえばタヌキやイノシシといった野生生物が外部(農地を含む)で食餌を得て雑木林内で脱糞・放尿し、あるいは死亡すれば窒素とリンの還流になる。野鳥でも同様。

そうだとすると、その意識してこなかった物質還流のルートを保持しないで〈循環農業〉を継続しようとすると破綻必至に思えるのだが、どうだろう。

前掲の三芳町作成の資料には「その畑で育った農作物の恵み(収益等)により再び平地林の管理」とあるので、雑木林に金肥を施すこともありかもしれないが、化学肥料をまくなら畑に直接の方が効率が良いわけだし、「堆肥の原料となる落ち葉を確保するために購入した腐葉土を雑木林に投入」では目的と手段が逆転してしまう。

日曜日に冷やかしに行った講演会「なぜ街の緑が必要なのか」を聞いていて、そんな疑問を持ったわけだが、質疑はなんか政治的な話題で盛り上がっているうちに時間切れとなってしまったので講師に質問することはできなかった。

|

« 下久保ダムフラッシュ放流 | トップページ | キニーネは劇薬か? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 雑木林幻想に落とし穴?:

« 下久保ダムフラッシュ放流 | トップページ | キニーネは劇薬か? »