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2014/10/24

ゲーム「Otto_Matic」異聞

iBook等にバンドルされていたOtto Maticというゲームがある。BugdomやNanosaurを出していたPangea Softwareの製品。人型ロボットを操作して、異星からの侵略者と戦いながら誘拐された民間人を救出していくという筋書きらしいのだが、舞台がそもそも異世界で、そこからさらに空飛ぶ円盤に誘拐されるという謎設定。まー、細かいことは置いておこう。

これがiPhone用アプリとしても販売されている。懐かしいので購入してプレイしてみた。MacOS版とはいくらかの違い(たとえばLevel 4では空飛ぶエイ?が登場しない)はあるようだが、基本的には同じゲーム。

しばらく遊んでいるうちに、バグというか裏技というか、いくつかの発見があった。たとえばチェックポイントで状態をセーブしてからゲームを一旦終了し、would you like to restore that game now?でyesを選択すると、すでに救出した(あるいは誘拐されてしまった)人間がまたフィールドをふらふらしているので、それを救出してポイント(4000点/人)を加算できること。Level6で登場する緑色の三角フラスコ(以前触れたようにメーカーサイトには「Drink radioactive potions to grow to 50ft tall!」とある)を使って巨大化すると、パンチ力・飛行力だけでなく銃の性能も向上すること。

で、それを使って遊んでみたのが、この復讐の図。

丘の上で3体の植物型モンスターが燃えながら悶えている

Level 6とLevel 7(この動画のプレイヤーはえらく下手くそだけど、モンスターの厄介さがよくわかる)に登場する、おそらくハエジゴクに想を得た植物型モンスター。いきなり襲いかかってくる上にダメージが大きく、さらには通常の武器では歯が立たないので、実に忌々しい存在だった。それが「もしかして」とやってみたら、大正解。ちなみにiPhoneアプリでは第二ステージにこのモンスターはいない。


いったんLevel 10 までクリアしてしまうと、またLevel 1に戻ってハイスコアに挑戦したり、「洞窟物語」のように制限プレイに挑戦したりしたくなる、魅力あふれるゲームである(得点0でクリアする試みはLevel 9で頓挫)

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2014/10/16

「みどりの日」の茶番

国民の祝日について書いていて思い出した。

現在(2014年)「みどりの日」は5月4日になっている。だが、これは2007年からの話で、2006年までは4月29日(現在の「昭和の日」)が「みどりの日」であった。なぜ「みどりの日」が「昭和の日」になったのか。1988年まで4月29日は「天皇誕生日」であったのだが、昭和天皇が亡くなって「天皇誕生日」が12月に移ってしまったため、休日を残すために「みどりの日」が設けられたのだ(当時から「昭和記念日」のようにする動きはあったようだが、明治節の例はあるものの大正天皇の場合は祝日でなくしてしまっていた先例を考慮したか、あるいは根強い戦争責任論に遠慮したのか)。生物学者でもあった昭和天皇に(やや強引に)に結びつけたのが新しい祝日「みどりの日」。それが「昭和の日」制定にともなって5月4日に移ったわけだが、では以前の4日はどうなっていたのか。それがなんと無冠の「国民の休日」。3日(憲法記念日)と5日(こどもの日)に挟まれた、以前は平日で5月のゴールデンウイークをしばしば「飛石連休」にしていた。それが85年から87年は土日がうまく挟まって三ないし四連休が続いていたところ、88年は閏年のため1日から完全な飛石となってしまうため、「やっぱり休みは連続しないとね」と86年に休日になることが確定した。

さて表題の「茶番」である。別に上記の事情をくさそうというわけではない。5月4日が祝日になれば3-5日は休み確定で、それと土日がうまく組み合わさると大連休になる。4月29日が金曜日なら、30日は土曜で、1日は日曜で休み。1日おいて3日から三連休。6日は金曜なので出て7,8日はまた休み。2日か6日を何とかしたいと考えるのが人情であろう。まともな会社員であれば有給休暇を取得する(もっと計算高ければ前後にずらして混雑を避ける)。もしかすると「みどりの日」制定以前の、しばしば飛石となった時代の話だったかもしれないのだが、ある高等学校は休みにする開校記念日を、5月の上旬なのだが、毎年のように変更していた。もちろん飛石の間を埋めるように、である(おそらく2日にしたり4日にしたりしていたのだろう)。教師にしても生徒にしても、休みと授業が交互では曜日の感覚もおかしくなってしまうだろうし、どうせ遠出はできまいと宿題でも出されたら可哀想、と考えたかどうかは聞いてないので想像するしかないのだが、とにかく連休になるよう開校記念日を移動させていた。話の分かる校長である。しかし教育委員会(の事務方)はそれに気付いて咎め立てた。記念日を不定にするとは何事だ(「不逞の輩め」と言いはしなかっただろう)というわけである。結局、ある年から開校記念日は固定し、土日と重なった場合でも代休はなしとなった由。

開校記念日といっても、実のある記念行事ができるわけでもないだろうに、「休む口実」と割り切れないものなのだろうか。まったく***Deleted for the Courtesy Reasons*** というものは。

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2014/10/15

ハッピーマンデーと曜日固定の時間割

ハッピーマンデーは国民の祝日の一部を月曜日に移行する制度で、導入以前にも祝日と日曜が重なった場合は「その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする」(振替休日)という規定はあったものの、週休二日制が浸透したため祝日と土曜日が重なった場合に「1日損をした」気分になっていたのがこれによって(一部)解消された。

児童生徒や勤め人には概して好評ではあるが、三連休を増やすことでの経済効果を期待したものなので、「祝日の記念日としての意識が薄れる」という原理主義的批判に弱い(移動祝日は珍しくないという反論もある)。実際、旧紀元節などは対象にならず、あるいはいったん月曜に固定された海の日が日付固定に戻されるということもある。

それとは別に学校関係者の間にも怨嗟の声があるようである。月曜日に授業のある科目は時間数が足りなくなるからだという。聞けば、最近の大学は祝日でも講義をするらしい。休んでしまうと時間数が足らず単位を出せないからだとか。補講をすれば良いではないか、というのは事情を知らない部外者の浅知恵らしく、非常勤講師は(契約した日でなければ)補講はできない。臨時にお願いしたくても掛け持ちの関係で都合が付けにくい。非常勤講師を便利使いしてきたツケを払っていると言ったら辛辣だろうか。特に年明け以降は入試のために春までほとんど授業ができない私立大学は時間数カツカツらしい。かつては6月末から9月まで夏休みで、学生の親から苦情が出た大学があった(伝聞)なんて、今の学生には信じてもらえないだろう。

にしてもである。なんとも知恵の足りない感が否めない。学生の本分は勉学であるとはいえ、国民の祝日を休ませないというのはどうなのか。曜日固定の時間割ではなく日付固定の時間割を組む、というのは掛け持ち非常勤講師に依存した学校(高校以下でも非正規教員が増加しているらしいが非常勤依存にまでなっているのか? 教育への投資をけちる社会に未来はあるのか?)では難しいとはいえ、可能な学校は検討したのだろうか。「月、火、水...」に替えて「1の日、2の日、3の日...」で組むのだ。まさか「7つまでは覚えられるけれど、10は覚えきれない」ということはあるまい。あるいは月曜の講義は補講可能な常勤教員で固めるというのは? まさか学科に常勤教員が4人いない(最初の変換で「4人以内」となって、これも合ってるな、と苦笑)ということもあるまい。もっとも素人が思いつくことはたいてい検討済みで棄却されていることは多い。

祝日に開講していることもそうだが、夏休みなど長期休暇が短くなっているとか、大学は以前とは様変わりしているようだ。学校というのは、誰もが経験しているだけに気楽に論評されるけれど、個人的経験に依拠することが多い分(そして思い出は美化される分も加えて)的外れなものも多いことだろう。

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コンデジの生き延びる道

スマートホンのカメラ性能が向上して、コンパクトデジカメ(コンデジ)の売り上げが落ち込んでいるという。写真に凝る人はデジタル一眼へ進み、手軽さを重視する人はスマホに行くのだから、〈中途半端〉なコンデジが存在意義を問われるのは当然だ。

J-Phoneの写メールのイメージでいる人は驚くだろうが、携帯電話機のカメラは本当に性能が良くなった。しかも本業が通信であるから、撮った写真のSNSなどへの投稿もお手のもの。

もうコンデジは絶滅するしか無いのだろうか?

コンデジの優越性


ここであえて「コンデジは死なず、消え去りもしない」論を唱えてみたい。

とはいえデジタル一眼と張り合うのは賢明ではないだろう。コンデジの一番のメリットはコンパクトさなのだから、ミラーレスのようにレンズが嵩張っては困る(目的は、いつも持ち歩けて、思い立ったらすぐ撮れることとする)

そこで競争相手はスマートホンということになるが、まず、素直にスマホに負けている点を認めよう。厚さと重量では負けている。液晶ファインダーでも見劣りする。パソコンやプリンターとの連携が前提になっているという点でも弱い。

かつては光学ズームであるとかシーンに合わせた撮影モードが優位性であったけれど、画素数が増えてデジタルズームでも問題なくなり、撮影シーン選択どころか撮影後のレタッチもすぐできるスマホに軍配があがる。赤目軽減ストロボも、普通に撮ってからレタッチする方が撮られる側にとっては嬉しい。

わずかに防水や耐衝撃性で一部のコンデジが気を吐くけれど、すべてが防水というわけではないし、逆に一部のスマホは防水機能を持っている。

さぁ、本当にコンデジには優位性がないのかと思ったら、ありました。それはシャッター音。コンデジを構えれば誰でも「写真を撮っている」と分かる。ところがスマホの場合は写真や動画を撮っているのか、別の機能を使っているのか傍目には分かりづらい。それでその小ささもあって盗撮に使われた。そのためコンデジにはシャッター音を消す機能があるけれど、スマホのシャッター音は(正当な設定変更では)消すことができない。どんな状況であってもカシャッと鳴る。

余談になるけれど、パナソニックにはD-snapというカメラカメラしていないデジカメがあって、動画にも対応しているので胸ポケットに入れてレンズ部分だけ出した状態ならいろいろとコッソリ撮影できそうだったけれど、いつの間にかそのタイプはなくなっていた。

さて最近は美術館などでもさばけたところが増えてきて、ストロボを焚くなど他の観覧者に迷惑を掛けることがなければ撮影可というところが出てきた。あるいは講演会や発表会で演者・主催者が録音や撮影を認めているものもある。そういう寛大な状況であっても、あの(おそらく故意に)耳障りなシャッター音が鳴り響いたらどうなるだろうか。早晩「撮影お断り」になってしまわないだろうか(私が主催者なら、「ストロボとシャッター音お断り」と条件をつける)。その点、コンデジは静かに撮影ができる。

もっとも今春の日本農学会シンポジウムで、前列に座ったお二人がしきりにシャッター音を響かせて映されたスライドを撮っていた。会場のあちこちでもシャッター音がしていたので「しょーがねーなー」とやや諦め気味に講演を聞いていたが、休憩時間に明るくなって一人の手元を見たらなんとコンデジ。よっぽどぶん殴ってやろうかと思ったが、グッと抑えて「シャッター音を止めていただけませんか」と申し入れたら「アッ」てな反応を示された。機能があっても活かされなければ意味が無い。撮影可の講演会などを主催する際は、「シャッター音をオフに」の案内を忘れないようお願いしたい(これは電源を落としていても鳴り出すアラームのオフより迷惑になる蓋然性が高いから重要)

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2014/10/07

キニーネは劇薬か?

専門外の人は毒薬・劇薬と毒物・劇物を区別しない(区別できない)ことが多いように思う。毒薬・劇薬というのは薬事法で決められるもので、簡単にいえば毒性による医薬品の分類。一方、毒物・劇物というのは毒物及び劇物取締法で定められているもので、その定義は「この法律で「毒物」とは、別表第一に掲げる物であつて、医薬品及び医薬部外品以外のものをいう」(同法第二条)である。「医薬品及び医薬部外品以外のもの」がポイント。ちなみに毒薬の定義は「毒性が強いものとして厚生労働大臣が薬事・食品衛生審議会の意見を聴いて指定する医薬品(以下「毒薬」という。)」(薬事法第四十四条)。

同じ物質でも医薬品であれば毒薬(劇薬)、医薬品以外であれば毒物(劇物)になる。たとえば塩酸(濃度10%超)は、医薬品として販売されるものは劇薬であり、それ以外の洗浄用などは劇物となる。今()で濃度について注記したが、危険性がなくなるまで希釈したら毒薬(毒物)ではなくなる。リン酸ジヒドロコデインという物質は、麻薬でありかつ劇薬であるけれど、1日に使う量の中に50mg以下しか含まれないシロップ剤は普通薬、つまり薬局薬店で匿名で購入できる(その手軽さのため未成年者による乱用が問題になったこともある)。トイレの洗浄剤には塩酸、自動車用鉛バッテリーには硫酸、インクジェットプリンタのインクには苛性カリ、マッチの頭薬には塩素酸カリなどと、単品であれば劇物になる物質が使われているけれど、希釈されているため製品は法規制を受けない。もし「毒性があるならどんな濃度でも規制しなければいけない」となったら、カフェイン(劇薬)を含むからコーヒーも茶も購入するたびに身分証を提示しなければならなくなるし、飲用規制の意味を持たせるために1日に飲んだ量を記帳しなければならなくなってしまうかもしれない(それを簡単に行うスマートホン用アプリが販売されたりして)

ここまでを整理すると。


  • 毒薬・劇薬、毒物・劇物はそれぞれ別の法律によって定義されている
  • 成分単体としては規制を受ける物質でも、製品中の含有量が少なければ普通物扱いになることがある

毒という言葉は日常的には比喩として用いられることがあり、それが厳密な定義を必要とする法律上の理解との齟齬を生んでいるのかもしれない。


キニーネは劇薬か


光り輝く飲み物というtogetterまとめ(紫外線を当てると蛍光が見える飲み物を列挙した楽しい読み物)を読んでいたら「日本国内じゃキニーネは劇物指定」という記述があった。すかさず「キニーネは劇物ではないでしょう。」とコメントしたところ(ストリキニーネと混同してない?と助け舟を出したのに)、「劇薬の様ですね」と斜め上のコメント。

そこであらためて薬事法施行規則の別表第三に載っていないことを指摘。ダメ押しでファイザー株式会社の製品詳細の「規制区分」には「処方せん医薬品」としか記載されていないことも書き加える(他の薬品で、劇薬であればここに記述されることを確認済み)

その人はこれで納得されたようだが、気になって「キニーネ 劇薬」で検索すると1670件ヒットした。最初のページを見るとほとんどが「トニックウォーターには本来キニーネを入れるのだが、日本では劇薬指定なので云々」というもの。どうも「親亀コケたら皆コケた」の観。wikipediaにも2011年4月13日 (水) 12:43時点における版から「日本では、劇薬に指定されている。」という記述が唐突に。しかし巷に広がったのはこれより前のようなので、wikipediaは患者0号ではない模様。

これに限らず昔の飲み物には恐ろしげなエピソードがけっこうあります。かつてのコカコーラにはコカインが入っていた、というのが有名どころでしょうか。
などと書いているブログもあるが(「これ」とはキニーネの話)、それを言ったらコーヒーはどうなるのだ、と。カフェインは劇薬だ。すまし汁はどうなるのだ、食塩も大量に摂れば死ぬことがある。DHMOはどうなるのだ...


コカ茶はコカインを含むために日本では規制対象だが、南米では普通に販売されている。工場で作られた(らしい)ティーバッグになっていて普通の商店で売っていたので問題はないと勘違いした(事実の錯誤)日本人が土産に持ち帰り、税関でも見過ごされ、それをもらって話の種にと飲んでからアワワとなったことがある。といっても薬が効いてきたわけではなくて、「なんてことないねー」と笑ってから、調べてみたら非合法と知って「警察に知られたら検挙される、アワワのワ」という次第。ちなみにもう公訴時効です。

毒薬・劇薬は人体に有用だから医薬品


毒薬・劇薬と聞くと「恐い」と拒否感を顕にする人がいる。健全な反応ではあるけれど、「物」ではなくて「薬」となっている点に思いを馳せてほしい(毒物・劇物も人体にこそ使用しないけれど、有用な物質なので使用を前提に法律で規制されている)

子宮頚がんワクチンが劇薬であることを問題視する人もいるらしいが、ワクチンはすべて劇薬指定。致死量の観点からは(ワクチンを打ちすぎて死んだという話は寡聞にして知らないので)普通薬でも構わないような気がするけれど、おそらく使用量と過剰投与で副作用の出る量との差が小さいなどの理由があるのだろう(「おおむね以下の基準」という点に注意)。あるいは多人数に接種するので、副作用の現れる率が普通医薬品並であっても発症が不可避という視点だろうか(これは公衆の放射線防護にも通じるような)

毒物・劇物の指定は結構恣意的


恣意的だなどというと叱られるかもしれない(辞書的な意味で「恣意的」が正しいかは実は微妙)が、大学の実験室で3年生(専門課程に入ったばかりで素人同然)にも使わせていたようなありふれた物質が、悪用された事件(傷害目的で給湯ポットに混入された)の続発をきっかけに毒物指定されたことがある(毒物及び劇物取締法の別表第一に記載されていないので変だなと思ったら、別表第一第二十八号の規定で毒物及び劇物指定令で指定されていた...政令のほうが法律よりは機動性があるからね)。正常性のバイアスと言われるだろうけど、釈然としない。
なお、毒性が強くても産業上使用されることない物質は毒物にも劇物にも指定されない。それは規制する意味が無いから(それに対して、免疫系は存在しない物質にも対応する、というのが大野乾博士の講演の掴みだったな...と意味のない知識の披露)。また新規物質の場合、指定が間に合わないことがある。罰則のある法律なので、罪刑法定主義の立場から曖昧な指定は許されない。これは危険ドラッグ取り締まりでも問題になっている通り。

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雑木林幻想に落とし穴?

「平地林の落ち葉を堆肥に利用する循環型農業が300年以上続く三富新田」の世界農業遺産認定を目指す運動が埼玉県で進められている埼玉新聞。とりわけ熱心なのが三芳町。一方、隣接する所沢市は冷淡だという。世界遺産に指定されたら転業も土地売却もままならなくなるかららしい。この辺りは自然遺産などでも問題になるところ。

ところで何がそんなに素晴らしいのかといえば、循環型農業だという(ほかにも土壌の保水性を高めた構成も売りらしい)。間伐材を薪炭として利用し、その灰や落葉堆肥を畑に利用する。雑木林は適度な人的介入により極相林(常緑広葉樹林)へ遷移することなく、いつまでも落葉広葉樹林の状態を保ち続ける云々。

埼玉県議会は平成11年(1999年)に採択した意見書の中で「これまで農地と雑木林は、落ち葉を堆肥として利用するという循環型農業が維持される中で一体となって保全されてきた」と述べているし、三芳町が作成した「平地林が支える循環型農法」(PDF)にも、「萌芽更新、ヤマ掃き等により平地林を適正管理し、落ち葉から堆肥を作り、耕作地へ施肥、耕作に適した土を作る。その畑で育った農作物の恵み(収益等)により再び平地林の管理をする。この持続可能な循環型農法が300 年以上続けられている。」と書かれている。

おかしくないだろうか?

物質収支を見ると、雑木林からは出る一方ではないだろうか。炭素は光合成によって大気中から取り込まれるので良いとして、植物の三大栄養素、窒素(N)、リン(P)、カリ(K)は、農産物の形で畑からもどんどん取り去られている(だからこそ農地には施肥が必要になるわけ)。木灰はカリウム肥料だ。窒素とリンは一般に下肥として供給されるし、金肥(購入肥料)として魚粕や油粕あるいは化学肥料も投入されることもある。しかし雑木林に肥料をまくという話は寡聞にして知らない。

「樹木に肥料は要らない」という話もあるようだが、それは成長しきってからの話だろう。落葉・落果が根元で分解し吸収されるなら肥料は要らない。だが萌芽再生のためには肥料は必須。そうでないならば質量不変の法則が破られたことになってしまうが、もちろんそんなことはありえない。

とはいえ、この農法が破綻せずに300年以上続いてきたということは、なんらかの還流があったのだろう。たとえばタヌキやイノシシといった野生生物が外部(農地を含む)で食餌を得て雑木林内で脱糞・放尿し、あるいは死亡すれば窒素とリンの還流になる。野鳥でも同様。

そうだとすると、その意識してこなかった物質還流のルートを保持しないで〈循環農業〉を継続しようとすると破綻必至に思えるのだが、どうだろう。

前掲の三芳町作成の資料には「その畑で育った農作物の恵み(収益等)により再び平地林の管理」とあるので、雑木林に金肥を施すこともありかもしれないが、化学肥料をまくなら畑に直接の方が効率が良いわけだし、「堆肥の原料となる落ち葉を確保するために購入した腐葉土を雑木林に投入」では目的と手段が逆転してしまう。

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