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2014/01/29

「原発安全神話」の嘘

かつて「原子力発電所の事故は起きない」と言われていた。いわゆる「安全神話」だ。実際に深刻な事故が起きた今「騙されていた」という人は多い。たとえば新聞一面に堂々と「3・11の原発災害で私たちは「原発は安全」という神話にだまされていたことを知った。」というコメントが掲載されている。本当だろうか?

2002年に「リスクと、どうつきあうか-原子力安全委員会は語りあいたい-」というパネル討論会が原子力安全委員会(当時)の主催で開かれた。そこでは「事故は起きない」という主張はなされなかった。

防災対策を重点的に充実すべき地域を決める際は「あえて技術的に起こり得ないような異常事態の発生を仮定」
当日もらってきたパンフレット「原子力安全委員会~安全確保に向けての積極的な取組み~」(2001年12月)を見ると、防災対策を重点的に充実すべき地域はあえて技術的に起こり得ないような異常事態の発生を仮定して決めると書いてある(p.16)。

緊急事態事象の例として「甚大な放射性物質の放出を示す事象」

(赤丸は引用者による)

またその15ページでは原子力緊急事態の例として甚大な放射性物質の放出を示す事象という説明がなされ、具体的には中性子吸収材(ホウ酸水)の注入によっても原子炉の運転停止ができないことが挙げられている(これはつまり制御できない臨界状態が継続している、いわゆる核暴走といわれる事態であろう)。ネットで確認できる例としては、2006年改訂の「原子力安全委員会:原子力安全の取組について」(PDF)の9ページに「甚大な放射性物質の放出を示す事象」が例示されている。

つまり国は原発事故は起こり得ますととっくに認めていたわけ。

その後発行された「原子力安全のひろば」の6巻(2004年春)には次のような〈反省〉がある。


科学技術を促進する立場にいる人、例えば政府や企業は無謬(むびゅう)主義の立場から、これまで「事故は絶対に起こらない」と言明することが多かった。逆に反対する立場の人は「ゼロリスク」を求めることが多かった。気持ちは理解するが、どちらもあり得ないことを主張しているわけで、これでは生産的な議論にならない。

考えてみれば、事故の可能性を認めたからこそオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)が設置されていたのだ(きっかけはJCO臨界事故)。また地元自治体には放射性ヨウ素による被曝の影響を抑える安定ヨウ素剤が住民用に用意されていた。絶対安全であれば、そんな備えはしなかっただろう(オフサイトセンター建設は公共事業になったかもしれないが、ヨウ素剤の備蓄が利権になるというのはかなり強引に感じる)。だから事前に大規模避難訓練ができなかったのは反対運動のせいだと言われるが、本当だろうかという疑問がわく。すでに原発があるなら「万々一に備えて」と言えば住民は協力したはずだ。旅客機に乗ってCAがライフベストの説明を始めても怒り出す人はいない。

もちろん福島のオフサイトセンターは機能しなかった。地震のために通信手段が限られ、食料・水・燃料が不足し、ついには放射能雲に追われるように逃げ出したというのだからお粗末極まりない。だが、その責任は国だけにあるのだろうか?

反対派の怠慢

かつて絶対安全論を逆手にとった東京に原発を!という主張があった。しかし、元が嫌がらせなので真面目に検討されることはなかった(すぐに取り組んで遠隔地にある老朽の福島第一原発を廃炉にして東京にミニ原発を作っていれば今般の災害は免れ得たのに!...その代わり立地は元の貧乏自治体に逆戻り...もっとも双葉町の「ポスト原発の町にとって人材の育成が重要であり...そのためには町立図書館の整備が必要」という取り組みは、もう原発は期待できないと分かれば成功していたかもしれない...この辺の事情は岩波書店がPDFで公開しているルポ「原発頼みは一炊の夢か──福島県双葉町が陥った財政難」参照...しかし事故の3か月前に掲載とはね。)

国が事故の可能性を認めたことで、生産的な議論になる契機はできていた。なぜ、避難訓練を始めとした事故対策の細部が詰められなかったのだろうか。一回大規模訓練をしていれば、20km圏全員避難の難しさは分かっただろう。そうすればより現実的な避難方法が検討されただろう。巨大地震との複合災害には思い至らなかったかもしれないが、台風や大雪だったらという想定の必要性には気づいたはずだ。

チェルノブイリ原発事故の汚染は国境を越えて広がった。広範な汚染を受けたスウェーデンは一時は大混乱に陥ったものの、その反省と対策を『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』にまとめている。3.11後に訳出された本書の解題にあるように「本書に見られるような危機意識と万全な災害対策が日本でもきちんと共有され、適切な準備がなされていれば、福島第一原発事故のあとの対応は異なったものになっただろう」ことは想像に難くない。なぜ、それができなかったのか。

原発推進側が「事故はありえます。でも、0になるよう努力します。」と〈譲歩〉したときに、反対派は「ならば、その万一が起きたときにどうすべきか、それにはいくらかかるか」で臨むべきであった。それならば費用対効果が算出できた。「その手を抜いたためにこの事故が起きたら損失額はいくら」と分かっていたら東京電力ももう少し違った対応をしていただろう。ところが「原子炉事故が起きたらこの世の終わり」的な定量性に欠ける煽りしかしてこなかったから相手にされなかったし、実際に事故が起きてからも現実的な対処ができなかった。

かくいう私も「絶対安全を取り下げたのなら、それは結構」で関心が薄れてしまったので偉そうなことは言えないのだが、2002年には「話し合いの道が開けた」と安堵したものだ。「あとは賢い人達にお任せして」と思ったら、推進派・反対派のどちらもあまり賢くはなかったという... お任せ民主主義はよろしくない。

ちなみに前掲書を読むと、スウェーデンは原発事故は今後も起こることを想定していることが分かる。仮に日本が原発を全廃したところで、近隣国が同調する可能性はない。かつての核実験と同じように、否、より大規模に強い放射能雲が押し寄せてくるかもしれない。その時に対応できるのだろうか?

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