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2013/10/20

弘前大学教授夫人殺害事件

いくつかのエントリーで言及しているがまとまった記事にしていなかったので簡単に。

1949年8月に青森県弘前市で起きた殺人事件とその裁判。現場近くに住む男性の有罪判決がいったん確定したものの、22年後に真犯人が名乗りでたことで再審(やり直し裁判)が開かれ、無罪判決が出された。

真犯人Tは公訴時効が成立したことに背中を押されて名乗りでたのであるが、現在殺人罪の公訴時効は廃止されており、今後このような救済が行われる可能性はほとんど無い。

犯人として逮捕・起訴された那須隆は一貫して無実を主張し、一審判決は無罪であったが、古畑種基による、那須のシャツについていた血痕の血液型は被害者のものと高い確率で一致するという鑑定をもとに懲役15年の有罪判決が確定し下獄した。

古畑はこの血液鑑定について『法医学の話』(1958年、岩波新書)で一章を割いて解説している。同書は再審無罪判決の後に絶版となり、週刊誌は「岩波書店も上告棄却」と取り上げた。しかしながら、押収時に撮影されたシャツの写真には血痕は認められず、遺体から採取された被害者の血液が後から付けられたのではないかという疑惑が指摘されており(同様の疑惑は、やはり再審無罪判決が出た宮城県の松山事件でも)、そうだとすれば古畑鑑定は正しかったことになる。

1971年になって真犯人Tが名乗り出て、紆余曲折を経て1977年に再審無罪判決が出される。なお、wikipediaでは第二次請求で再審が始まったように書かれているが、棄却決定に対する異議申立てで再審が開始した。この異議審を担当した三浦裁判長(後出のTの冤罪を救った裁判官でもある)らがそのまま再審を担当して無罪判決に至った。

Tは那須と顔馴染みで、警察の追及が自分には向けられないことに安堵する反面、無実の那須が下獄したことを苦にしていた。しかし死刑への恐怖(那須は死刑を求刑されていた)から名乗り出ることはなかった。犯行後も荒んだ生活をしていたTはしばしば事件を起こし、時には無実の罪で起訴される(これには無罪判決が出た)こともあるほどで、娑婆と刑務所を往復する生活に。1970年に三島由紀夫が防衛庁で割腹自殺をする三島事件が起きたときは刑務所の病舎に収容されていた。刑務所の中では比較的自由な病舎では服役囚たちが三島事件をきっかけに「男らしさ」を巡って談義を始める。そこでTは殺人を犯していると告白するが豆泥棒の強がりと相手にされない。ただ、談義をリードした親分肌のMは「身代わりで服役した人がいる」を聞き逃さなかった...この経過はTの告白を聞いた読売新聞記者の井上安正による『真犯人はつくられた』(1977年、自由国民社)に詳細に描かれている。同書は入手困難であるが同じ著者による『冤罪の軌跡』(新潮新書)がある(内容は足利事件再審無罪判決を受けて新たに書き下ろされた模様)。「なか見!検索」で冒頭を見ると、Mが弘前市の那須宅を71年に訪ねるシーンから始まる。
「驚かないでください。真犯人が名乗り出ました。」
(『真犯人はつくられた』によれば、応対に出た那須の母は「大学の人ですか」と問い、否定されると「それじゃTでねごすか」と言ってMを驚かせた。)

このMが井上記者に接触したのは、彼が埋草で書いた松山事件の記事(息子の無実を訴えて街頭で署名運動を続ける死刑囚の母を中心に第二次再審請求の解説)を見てのことらしい。井上記者は入念な取材を経て「私が真犯人」という記事を執筆し、後に菊池寛賞(第25回)を受賞する。

再審請求を担当したのは仙台駅前に事務所を開いていた元検事の弁護士(いわゆるヤメ検)。思想犯追及の経験もあるという老弁護士はTを徹底的に〈取り調べ〉て那須の冤罪を信じたという。ドラマであればこれで大団円であるが、現実には無罪確定までさらに数年を要する。無罪判決を得た那須は不当な拘束に対する刑事補償を受け取ったものの、不当な逮捕起訴判決であったという国家賠償請求は退けられた。

京都五番町事件と八海事件

本件のような有罪確定後ではないが、真犯人が名乗りでることで係争中の被告人の無実が明らかになった例に京都五番町事件(1955年)がある。無実であるにもかかわらず犯行の自白があったことで、拷問あるいは自白の強要があったのではないかと国会でも取り上げられた。

自ら訴追されると分かっているのに犯人が凶器を持って出頭してきたきっかけは、映画「真昼の暗黒」を観たためであった。それは1951年に起きた八海事件の裁判を批判するもので、無実を訴える被告人が死刑判決後に面会に来た母に向かって叫んだ「まだ最高裁があるんだ!」は流行語にもなった(ちなみに後年、いったんは労働側に有利となった労働事件の判例が次々と覆された時期に「また最高裁がある」という嘆きが関係者から漏れたとか)。この映画を観て無実の罪に問われた人に同情した犯人が、自分が起こした事件のために起訴された少年らを救う気になった。

「真昼の暗黒」は正木ひろしの著書『裁判官』(1955年、光文社)を原作としたもので、正木による法廷外での裁判批判は、松川事件の法廷外闘争と併せて「雑音」と時の最高裁長官から非難されていた。しかし、この五番町事件以降、こうした反・裁判批判は衰退したと言われる。

(全然「簡単」じゃねーや)

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