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2013/01/21

「生活のことばで科学と社会をつなぐ」

きっかけは黒猫先生のツイートだった。

このところデブ症になりかかっているという反省があったので、速攻申し込み。14日に郡山で聞いた話の整理もできていないうちに良いのかという気もするが、前進あるのみ。

話題提供者は福島県が行っている甲状腺検査で住民と医師とのつなぎ役を務める松井史郎(福島県立医科大学特命教授、甲状腺検査プロジェクト広報・コミュニケーション担当責任者)、南相馬市住民の高村美晴(花と希望を育てる会代表、NPO法人実践まちづくり会員)そして南相馬市で地域住民の健康管理に奮闘中の遠藤清次(南相馬市絆診療所院長)。

随所で「これはオフレコ」という断りもあったので、詳しい内容については主催者からの公表に譲ることにして、個人的な印象をまとめておく。

ミドルメディアとはマスメディアの対立概念で、「顔が見える距離(ミドルレンジ)」でコミュニケーションを行う媒体という意味らしい。ここには従来のサイエンスコミュニケーションが3.11以降の混乱の中で全く役に立たなかったという反省があるようだ。

科学コミュニケーションの担い手として、私は「街のインテリ(物知り)」の復活を提唱したい。横丁のご隠居は新しいことには弱いし、時どき知ったかぶりをするのでよろしくない。だが市井には他にも「学校(中学・高校)の先生」とか「大学生のお兄さん・お姉さん」がいるわけで、いきなり高い敷居の向こうの専門家にアクセスする必要はない。これに関しては演者からも「保健婦、教師」がミドルメディアの担い手候補として挙げられていた。

ただし、何かの機会に早野教授が慨嘆されていたが、2011年の夏に物理学徒の集まりに出た際、原子力問題について家族や親戚から質問されたかを調べたところ、まったく当てにされていなかったという現実がある(正確には原子力関係の知識皆無で「お前ら家族から質問されなかったのか」という展開だったかも)。大学院生というのは既に雲の上なのか?

また本来ならば門外漢の誤解を正す役割をはたすべき中学教師が誤解の先頭を突っ走るという悲しい現実もある。(一方で、塾講師の奮闘が知られている。これはなんなのか。影の薄い高校教師の存在と共に追究すべき課題があるように思う。)

ミドルメディエーターは専門家ではない。だから時には間違うこともあるだろう。間違えないように専門家がサポートするとともに、間違えてしまった場合に過度の責任追及で萎縮しないような方策が必要。特に〈許容範囲の単純化〉が糾弾されないようにしないと、結局「そうもいえるがこうもいえる」の保身的留保だらけで聞いている方は「やっぱりワカラナイ」になってしまう。

そういえば以前、ツイッター上で「科学コミュニケーターは中立を標榜するから嫌われる」というやりとりをした。その時に民事訴訟における代理人(弁護士)のように、双方が自分側のコミュニケーターを立てれば話し合いはうまくいくのではないかという提案をした。これはコミュニケーター同士は共通の言葉を持っているというのが前提で、どこぞの教員のように「相手にするのは時間の無駄判定」をされるようなのは論外である。

ところで福島県の甲状腺検査結果通知の混乱を見ると、有名な禁じ手である戦力の逐次投入をやってしまった観がある。もちろん混乱を収拾するためにリソースを割いたのは正しいのだが、松井が言うように初めからやっておけ

これは流言対応でもよく見られる。「まさかこんな与太話が広がるとは」という甘い見通しで放置あるいはからかっていたところ、予想外に広がってしまい、根絶困難に陥る。たとえば2013年になってもまだ雪が降ると「空間線量が上がっている」と騒がれる。それはビスマス!なのだが、隅々にまで浸透させることを怠った結果がこれ。

最後にアンケートに回答しておこう。
【シンポジウムの感想】
大変興味深かった。
特に高村さんの被災体験を聞いて、危険煽りの罪深さを再確認した。いまだに揶揄されることのある「直ちに健康に影響はない」も、落ち着いて考えれば、将来起こるかもしれない何かしらの健康被害と今避難することの影響とを比較衡量することができたのに、「すぐ逃げて」「福島はもうダメ」の合唱になってしまったのはなぜだろうか(「なにがダメなの」に答えられないのに)。

また「外に答えを求めてはいけない」という指摘は重要。14日に郡山で福島のエートスによる報告会を聞いて、チェルノブイリ事故で汚染されたノルウェーやベラルーシの人があまり悲観的でないことに軽い驚きを覚えたが、「自分には何もできない」という無力感が「もうどうしようもない」という悲観主義の温床なのではないだろうか。

【ミドルメディアプロジェクトの展開についての意見】
専門家と門外漢の橋渡し役として保健婦と教師が挙げられていたが、これは有望。気軽に相談できる〈街のインテリ(物知り)〉を養成すべき。ただ、現実には学校教師が流言の発生源になっていることもあるので道は遠い(さらに専門性の高い町医者の中にも変なことをいう人ががが)。

「○○小学生新聞」のような児童・生徒向けの新聞があるのだから「○○教諭新聞」で、「街のインテリが心得ておくべき教養」を提供してはどうか。勉強熱心な人は池上彰の番組を見ているだろうから、それの新聞版があれば購読するのではないか。あるいは新聞記事にレーティングをし、☆なら小中学生でも理解できる、☆☆なら高校卒業程度、★なら社会人3年目程度みたいに。

マスコミの科学記事レベルはしばしば問題になり、そのたびに専門家は記者の不勉強をなじるけれど、新聞記者に科学のイロハと最新知識を理解させるのと、理学博士を新聞記者にするのとどちらが容易だろうか。専門科学記者を雇う余裕はないというかもしれないが、理系の学生をアルバイトとして雇用し、記事のファクトチェックや記者の相談相手に当たらせるくらいならできるだろう。その交流の中からマスコミを志望する学生が出てくるかもしれない(一般記者として養成)。また研究者になってもマスコミの空気を理解していれば、分かりやすい発表をするだろう。

【サイエンスと社会のコミュニケーションについて、感じている課題】
大阪大の菊池誠教授が提唱・開催している「5時間勉強会」は「顔が見える距離での説明」の実現例であると思う。しかし、これも甲状腺検査結果の説明会と同じで、とても手が足りない。解決策は2つあって、1つは講師(を務められるメディエーター)を養成し、カスケード的に開催数を増やす。もう1つはネットを利用して物理的な距離を埋めたりタイムシフトで相談したり。しかし決定打ではない。

ネットのおかげで専門家と接触できたり、情報を共有できたりする反面、当事者でもない外野が介入しやすくなってしまっている。とはいえ外野を完全シャットアウトすれば、それは迷える子羊救済の道をも閉ざしてしまう。緩い会員制の元で交通整理できないだろうか。

しかも野尻先生が指摘されたように、時間をかけている余裕はない。

【プロジェクトに関わりたいか】
関わりたい。

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