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2013/01/16

26年目のベラルーシ

14日に郡山まで行ってきた。目的は福島のエートスが主催する「お話会@郡山市労働福祉会館」に参加するため。代表の安東量子さんがチェルノブイリ事故から26年経ったノルウェーとベラルーシを視察した報告会。

実は2月に安東さんを東京にお呼びして同じ題目で講演をお願いしているグループに属しているのだが、どうも個人的な予定と重なりそうな雲行き。そこで不義理をしても話の内容についていけるように、不義理をしなくて済めば予習になるという目論見で脚を延ばした。

なお、視察中の現地からのツイートがまとめられている。

郡山へ


雪に覆われた郡山駅前

前日の新年会でうっかり深酒してしまったけれど、どうにか起きて在来線を乗り継いで郡山につくと、なんと銀世界。思わず「おいっバカ猫!郡山には雪が積もらないだと?」と罵り言葉が。ところが北国のさらさら雪だったことが災いし、無謀にも予定通り会場まで徒歩で向かってしまった。人通りがないのか歩道は真っ白。こういうときに商店の顧客観が表に出る。除雪をしている店としていない店は一目瞭然。「食事は前の歩道を除雪をしている店で」と思ったが、なぜか食堂系は除雪をしていない。一軒、見事なまでに雪を除けた蕎麦屋があったけれど、なんと閉まっている(営業していないのに除雪するとは!)。そうこうしているうちに歩行速度低下の影響が時間に現れだし、やむなく前を除雪をしてある自販機から買ったコーヒーで済ませることに。労働福祉会館の前を気づかずに通り過ぎるなどの事象はあったものの開演前に無事たどり着いた。

2階会議室はまだ人もまばら。受付らしい受付もなかったのでそのまま入り、挨拶をして着席。田人饅頭が2個ずつ配られた。

ノルウェーの事故対応


1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の影響は遠くスウェーデン・ノルウェーにまで及んだ。そもそも事故が発覚したのはスウェーデンのフォッシュマルク原発敷地内での異常放射能の検出が端緒だった(『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』p.169)。そして放射能雲(プルーム)が通り過ぎた後に局所的な汚染(ホットスポット)が残されたのだが、当初それは見過ごされていたらしい。やがて地元保健所(?)の職員が気付き、測定器を調達して調べ始め汚染の実態が明らかになったという。

幸いなことに線量は避難が必要になるほど高くはなく、食品汚染に絞って対策を立てられた。観光と牧畜が二大産業という土地であるが、観光業に影響は出なかったというのが日本からすると不思議。また測定体制が整い、出荷される肉が安全と分かると普通に取引されたというのも羨ましい。

斜面に広がる放牧地の除染は非現実的であったため、家畜への取り込み防止が第一の防衛線になっている。セシウムを吸着するプルシアンブルー(PB)を餌などに混ぜることで放射性セシウムの吸収を抑制する。PB混入のためのコストアップは政府が補償。第二の防衛線は出荷前の生体測定。600Bq/kg超は生きたままの測定で発見できるので、その場合は畜舎に入れて清浄な餌を与えるとみるみる下がっていく。再測定して基準を下回ったら出荷するという合理的対応(日本の場合、屠殺しないと測定できないため、再チャレンジが不可能...という以前に基準値以下でも買い控えが)

ホールボディカウンタ(WBC)で測ると住民はよその10倍も汚染されているという。しかし汚染された土地を放棄するという発想はないらしい。視察団は自慢の缶詰工場も案内されたが、これは放射能とは関係がない。つまり土地の誇りを見て行けということ。それくらい故郷と歴史を大切にする人々らしい。文字通り降って湧いた災難だけに、文句をいう相手が眼前になく、実際的な対処をするしかなかったという事情もあるようだ(目の前の化学工場の不始末などなら補償金を貰って転業というのもあったかもしれない)

対処可能であることが「できることはした」という自信につながるのだろうか。

なお、PBは(そしてアップルペクチンも)体内の「とても高い」放射性セシウム濃度を下げる効果しかないとのこと。これは市販の解熱剤が39℃とか40℃の高熱を37℃台に下げることはできても37℃を35℃に下げる力はないのに似ているように思った(体温を通常より下げるのは人工冬眠薬という別のタイプ)

ベラルーシの事故対応


ベラルーシ(年配の方には白ロシアといった方が通じるだろうか)はチェルノブイリ原発のあるウクライナに隣接する国で、放射能汚染をまともに受けた(原発は国境から16kmに位置する)。原発に近いゴメリ州は甲状腺がんが多発した。

汚染は今なお深刻ではあるが住民は絶望しておらず、日本人のイメージするチェルノブイリ事故被災地とは異なるというのが安東評。

放射能よりも問題なのは(避難による)人口減で、工場が維持できなくなり、産業の衰退が人口流出を招く悪循環に陥った。仕事がなければ人は生活できない。

それでも避難住民には帰村の動きがあるという。戻ってきた住民に理由を聞いてみると「理由はない」と。突っ込んで質問すると、どうも「何も起きないから」ということらしい。これは出生率にも現れていて、事故後低下したものの5年後に最大の上昇率を示したという。

事故当時、小さなパニック騒ぎは散発したけれど、いずれも遠隔地で、原発近くは泰然としていたというのも興味深い。

学校には放射線安全クラブがあり、子供たち(見たところ小学生くらいに相当)が農産物の放射能を測定している。ただし、その測り方はかなりアバウトで「おいおい、それでいいのか」と言いたくなるほど(会場で動画が映された際にどよめきが)。なにしろ洗っていないジャガイモを包丁でざく切りしただけで測定している。日本であればおろして容器に隙間なく詰めてからだよね。

また放射能マップが教室にも貼り出されていて、汚染状況が可視化されている。

市場に出すための検査がない家庭菜園の作物が住民の汚染源になっている。しかも食材の種類が少ないので同じものを食べがちで希釈が期待できない。経済的に苦しい家庭は家庭菜園に頼るので汚染が高くなりがち。親が放射能に無関心だと子供の内部被曝が多い。子供の基準は20Bq/kgで、これは「とても低い値」というのが現地の捉え方とのこと。基準値そのものを疑う風潮もないらしい。

一般住民の場合は問題はもっぱら内部被曝であるが、林業従事者の場合は外部被曝も軽視できない。しかし広大な森林を除染するわけにも行かず、結局立ち入り制限するしかない。そうすると野生動物が増え、食物連鎖の頂点に立つオオカミも増える。そのオオカミが媒介する狂犬病が脅威になっているというのも「風が吹けば桶屋が儲かる」的に見えるけれど深刻な現実。

郡山に金を落とす


被災地の復興には産業が立ち直って雇用が回復するのが一番だが、よそ者が来て金を使う(いわゆる「金を落とす」)ことも役に立つ。ということで、まず駅まではタクシーを利用(ただし相乗りで、しかも篤志家が「ここは任せて」と全額出してくださった;感謝)。それから駅ビルのうどん屋で奮発して鍋焼きうどんを注文。ところが腹が膨れると頭に血が回らなくなる。なにか土産物を、と思っても値段・重量を考慮すると決められなくなってエキナカをうろうろ。事前に薦められていた「うまくて生姜ねぇ!!」を見つけられなかったせいもある。店頭で「ありがとう 県警」という日本酒を見たら感極まって、そのまま出てきてしまった(ぉぃ)。結局、書店に行って『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』を購入して土産がわりに。

帰りの車中で読むつもりなら在来線を使えばよいものの、降り止まぬ雪に危機感を覚え新幹線を利用。まったく考えていることと行動とが一致しない一日であった。積もった雪の中を歩いたせいかなぁ。

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