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2012/12/15

総選挙への心得

明日16日は総選挙である。首長選の場合、「コレラとペストの選択」あるいは「火焙りか絞首刑かの選択」という事態に陥りがちであるが、幸いなことに総選挙はもう少し現実的な解がある。

まず小選挙区。
1)現政権を、積極か消極かを問わず支持する場合は、与党候補に投票する
2)現政権を支持しない場合は野党候補に投票する
2-1)複数の野党候補が立候補していて、政策で区別が付く場合は支持できる政策を提示している野党候補に投票する
2-2)政策では丙丁つけがたい、あるいはどうせ政策なんて選挙が終われば弊履みたいなものと思える場合は有力候補に票を集中させる(一本化)
2-3)一本化ができない場合、つまり団栗の背競べというか拮抗している場合は、年齢が若い、女性である、変なことを言ったりやったりしていない、で選別する

党は支持したいけれど、コイツは支持できない」だと悩む。その場合は、わざわざ入れなくても当選しそうな場合は棄権あるいは二番目に支持できる党候補へ、接戦の場合は涙を飲んで糞候補に投票する。ただし、情勢分析はアナウンス効果でひっくり返ったりもするので要注意。

支持する党が選挙区に候補を立てていない場合は、連立を組む(組むと予想される)党の候補に投票するのも一法だし、最有力候補かその対抗に投票するのも現実的(本命が気に入れば本命へ、気に入らなければ対抗へ)。

次に比例代表区。なぜブロック制なんて訳の分からない制度になっているのか、という怒りはさておき、ここでも現政権を消極的でも支持できる場合は与党へ、そうでないならば野党へが第一ステップ。

但し今回のように政権交代が予想される場合は、次の政権を支持できるかどうかでも考えた方が良い。次の政権を支持できる人は無問題だが、今の政権も予想される次の政権も満足できないという人は、次の政権に対する最大野党の育成に気を配るべき。

もちろん比例代表制の精神は二大政党制を理想とはしないので、弱小政党に投じるのも構わないというか、それが本義。

小選挙区と比例代表区で投票先をかえることも検討に価する。特に積極的な支持政党(しかしそこは伸びそうもない)がある人は、比例代表区はそこで構わないけれど、小選挙区においては戦略的に振る舞った方が賢明ではないだろうか(比例区復活は見据えつつも)

忘れてならないのは、自分が誰に投票したかを次の選挙まで覚えておくこと。それと、投票行動が選挙結果に結びついたもののその後の政治動向が意に染まぬ方向に進んでも「騙された」などとは口走らないこと。

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2012/12/10

三宝寺池探索

知人がFacebookに「11/27石神井公園散歩」という写真10枚をアップした。その中に「どこの山の湖?」といいたくなる写真があり、タイトルは「三宝寺池」。記憶とはだいぶ違うので、「違う写真を投稿してしまった」というコメントに場所を間違えたのかと思って突っ込むと、場所は間違いないという。そこで6日に石神井公園駅そばの男女共同参画センターえーるで開かれる「放射線のおさらい寺子屋」へ行くついでに石神井公園へ寄ってきた。

結論から言うと、たしかにその景色は三宝寺池のものだった。まぁ、自分でもせっかく写真も撮ったのでここに披露(Facebookに載せたのとは違う写真を中心に選択)。


街中のボート池には見えない石神井池
ここは駅から歩いて行くと、道路際に池が突然現れる。ボート乗り場から反時計回りに歩き出すと、街中のボート池には見えない光景が広がる。


ゴミ箱にはカラスに荒らされないよう網がかかっている
池畔のゴミ箱にはカラスよけの網がかかっている(もっとも次のゴミ箱にはなかったが)。

中の島にかかる橋の上から西方向を見る 公園案内図 公園には石神井池と三宝寺池の2つがあり、間は公道が通っているのだが、それを失念し、中の島まで来たところで「この先が三宝寺池」と勘違いしてしまった(そこの景色が記憶の中の三宝寺池とよく似ていたせいもある)。ところが橋を渡ったところで案内図を見たら、まだまだ先。このとき13:22。「えーる」には14時に行かないとならないので少し急ぐ。
藤棚と水路 池にかかる木製通路 信号を渡ると三宝寺池側。なんとなく懐かしさを覚える藤棚や水路があるけれど、ここの記憶ではない。
池から上がったカモ 警戒する風でもなくカモが水から上がってきていたが、近づくとさすがに逃げていく。なぁ、人の行く先へ逃げるなよ。
三宝寺池周辺図 紅葉の先に沼沢植物群落
知人撮影の写真に似た風景 木道に入り沼沢植物群落の前を過ぎ、水神社までくるとようやく目指す風景が見えてきた。
縦にした写真 島崎敏樹の本に、水鏡を使った「ありえない世界」の写真が載っていた。水面に写った景色は線対称で〈不自然〉だから、縦にすると不気味とあったけれどどうだろう。
来た方向を振り返ると紅葉が

ほぼ同じ構図
人が撮った写真を元に、撮影地点を探すというのはなかなか難しい。それらしいところを見つけるたびに写真を撮って比較する。しかし一面では「街中の池をあんな風に撮るとは詐欺写真。素直に撮ればもっとショボくなる。」を実証したい気持ちもあり、上手に撮りたいという気持ちと葛藤。

手前に泉、池の北側で高くそびえる樹木 紅葉のトンネル ようやくそれらしいところを見つけ、安心したらもう13:43。ところがそういう時に限って〈絵になる〉景色が目の前に。またほとんどをフルオートで撮ってきたので、「マニュアルで撮りたい」という生意気な欲求が頭をもたげ、時間を浪費。それでも紅葉を収めることができた。
少し潰れた「まるで桃パン」 公園を急いで出て「えーる」に向かう途中でローソンを見かけたので、「ちょっと遅れます」とメールを打ってから入店して福島県産桃「あかつき」のジャムを使用した「とっておき宣言 まるで桃パン」を購入。袋には大きく「食べて応援しよう」。この売上の一部は福島県・宮城県・岩手県の生徒を対象にした奨学制度「夢を応援基金」に寄付される。

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2012/12/04

火焙りか絞首刑か(用語解説)

中世に吹き荒れた魔女裁判を支えたのは被告人の自白。「自分は魔女である」に加え、「魔女の集会にはあの人も来ていた」と〈共犯者〉を告発する虚偽の自白もするものだから芋づる式というよりは指数関数的に〈魔女〉容疑者が増えていった。

捜査段階では過酷な拷問がある。ちなみに激しい拷問にも耐えて自白をしないのは魔法によって身を守っていると判断され、つまり魔女の認定を受ける。拷問中に死んでしまうことも珍しくないので、「無駄な否認を貫くより、嘘の自白をして拷問を避けた方が得」という判断が広まる。

尋問官も拷問には消極的な様子を見せ、マニュアルによれば責具を見せながらの説得から始まるという。ストックホルム症候群と似た状況になるのかもしれない。

しかし、そういう追い詰められた状況から解放されても自白は撤回されなかった。処刑台の上から、集まった群衆に向かって「私は無実だ」という劇的な告発も起きなかった。なぜか。拷問室に送り返されたり、絞首刑の予定を火焙りに変更されたりしたから。

一口に火焙りと言っても、魔女裁判のそれはかなり厳しい。八百屋お七ならば熱気を吸い込んだ途端に失神し、短時間のうちに煙で窒息死したであろうが、中世ヨーロッパではゆっくりと燃える生木が使用され、とろ火で焙られるため窒息することも失神することもできず半分焼け落ちた死刑囚が「薪を足してください」と懇願する有様だったという(公平のために付け加えれば点火の前に〈お慈悲の一突き〉などで死なせてもらった例もあるようだ)

ちなみにヨーロッパ人には絞首刑というのは相当嫌な刑罰らしく、法定刑は絞首刑の罪人が「お慈悲により打首」という判決をもらうと涙を流して喜んだという記録があるらしい。この「お慈悲により打首」は『ある首斬り役人の日記』にしばしば登場する。その絞首刑の方が良いというのだから、火焙りがどれほど恐ろしかったか推測できる。

そういうわけで、選挙などで支持できる候補者がいなくて最悪よりは次悪を選択させられるような状況を「火焙りか絞首刑か」と表現するわけだけれど、上述した背景を知らないと思われる人には奇矯過激な妄言に聞こえるようだ。

またフランス共産党がド・ゴール派と社会党を「コレラとペスト」(どちらかを選んだ方がマシということはない)と評したという話も底にある。

しかしまー、実際には、たとえばヒトラーとムッソリーニの選択であれば、反ユダヤ主義から距離をおくようになったムッソリーニの方がマシとも言えるし、ヒトラーとスターリンの選択であれば、〈アーリア人〉と認めれば冷遇はしなかったヒトラーの方がマシ(同じ理由でスターリンの方がマシとも言いうる)と言えなくもないし、スターリンとポルポ....と違いを見つけようと思えばなんとかなることが多い。

こういう究極の選択からは程遠いとは言え、「守旧派大ボス vs. 箸にも棒にもかからぬ極右泡沫候補」なんて選挙を設定されると、投票することに何か意味があるのかと悩んでしまう。ボスが進めようとしている政策に反対だからといって、時代錯誤な差別政策を掲げる泡沫に投票して支持を表明して良いのか? そうなると思いつくのは白票や無効覚悟の他事記載であるけれど、それも「最善がなければ次善」派の皆さんは「自己満足だ」として許してくれない。

なによりも恐ろしいのは、カウンターのつもりで投票した候補が当選してしまうこと。心情的には青島幸男を支持したいし、泡沫とは言えず、都市博とそれに付随する開発は止めて正解だったと思うので例にしたくはないのだけれど、95年の選挙結果が諸手を上げて歓迎すべきものかというと躊躇いを覚えてしまう。青島ならまだ良いけれど、赤尾敏だったらどーすんのよ。中規模の自治体首長選では誰もが驚く番狂わせは起こりやすいし、議員選なら冗談から困ったは頻繁に起きているはず。たぶん、どんな選挙でも有効票と投ずべきという人は、自分の投票結果に後悔したことがない幸せな人なのだろう。忘れてしまっているのかもしれないが。

なお、意中の候補がいなければ擁立すれば良いではないか、なんなら自ら立候補を、というのは正論である。だが、誰も異を唱えられない正論(「お父さん、お母さんを大切にしょう」とか)をことさらに主張する人間には用心しなければならない。「郷原は徳の賊なり

しかし、今度の選挙どうしましょうかねぇ...


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2012/12/03

「タウリン1000mg」と「末端価格3億円」

別に栄養ドリンクに恨みがあるわけではないが、「タウリン1000mg」は「わぁー、たくさん入っている」という誤認を狙っているのではないかと思う。これは一人説ではなく、たとえば「8217マイクロシーベルト」という報道に「タウリン1000mg的な表現」という批判がなされている(ミリシーベルトを使えば8.2に収まるから)。

ほかの成分が概ねmgで表示されているのだから極端な数値にならないなら単位を揃えるのはそれなりに合理的だし、もしかすると表示には約束事があるのかもしれない。数字を盛る気なら成分も「100mℓ中」ではなく「1ℓ中」にしてそれぞれ10倍にもできるわけだから。

数字には、こうした錯誤を誘発するトリックを仕込ませやすいので注意が必要。濃度(比率)と絶対量も錯誤を招きやすい。NHKで放送された「けったいな人々」というドラマに、家出をして食い詰め、動物園の前で客向けに動物用の餌を売る商売を始めた男が登場する。舅に見つかって帰るよう諭され「この商売は利益率十割」と強がってみたものの「十割と言っても十銭」と論破される。干し椎茸から放射性セシウムが見つかったと騒いで、1kgを水に戻したらどれだけの量になる? 1回で食べきれるか?と反問された人はいないだろうか。

しかし基準値100Bq/kgそのものに疑義を呈する人にはあまり効果がない。この感覚の差はほとんど絶望的に大きい。1Bq(ベクレル)がどれほど小さな値かは、おそらくアボガドロ定数をすぐに思い出せない人には理解しづらいのだろう。そして、どんなに小さくても被曝は被曝という主張はさておき、「100ベクレルなんてとんでもない」という感覚の影に「マイクロシーベルト毎時は一桁でも大騒ぎしている」ことが影響していないだろうか。

※ 冗談と思われるかもしれないが、そのような主張をする人は実在する。

シーベルトもベクレルも放射能の単位という理解なら、一方が1でも大騒ぎ、他方は100でも大丈夫というのは矛盾して見えても当然。だが、もともと全く別の事象を観測するための単位なので桁は違ってもおかしくはないのだ。これをどう理解してもらえるだろうか?

そんな話を旧知と話しているときに思いついたのが大麻や覚せい剤押収のニュースに出てくる「末端価格でX億円」という表現。これは警察発表をそのまま使っているらしい(野菜などの盗難被害は出荷価格なのに、麻薬等はなぜ〈小売価格〉なのかという質問への回答が、「億円」と聞けば「すごく大量」と感じないだろうか。

これを数量で発表してもピンとは来ないだろうし、薬価で表したら(ヘロインのように薬価のないものもあるが)コソ泥も赤面するような金額になってしまうだろう。違法薬物の脅威、特に非合法組織の関与の危険性を喧伝するためとは思うが、現場ではそのような貴重品扱いはされていないのではないだろうか(ニュースから計算すると1gあたり79000円相当が現在の相場らしいが、これは金価格の16倍以上)

ともあれ、騙す意図がなくても、数字というのはこのように錯覚を起こさせることがあるから注意したい。

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アボガドロ定数(用語解説)

科学的な説明は『理化学辞典』やwikipediaを見てもらうこととし、ここでは感覚的に把握できる説明をしたい。なにしろ正統的説明ときたら、次のような調子で、いきなり1モルときては第二センテンスに進めない人が輩出してしまうだろうから。

物質1モル中に含まれるその物質を構成する粒子(原子、分子、イオン、ラジカル、電子など)の数に相当する。(日本大百科全書

そもそも原子と分子の区別も、健全な市民にとってはどうでもよいことらしいということを最近知った。いや、知っているという人だって単原子分子とかイオン結晶とか金属とかを持ち出して、これは分子?それとも原子?と聞いたらしどろもどろになるのではないか。

大胆に言うと、アボガドロ定数とは原子分子の世界と日常世界がどれほど隔たっているかを示す数字。12グラムの炭素(炭)の中にある炭素原子の数と同じで、602,213,670,000,000,000,000,000(これを6.022×1023と書く)。

この数は18gの水の中にある水分子の数とも同じだし58.5gの食塩中の塩素原子の数とも同じ。そしてまた342.3gの砂糖の中にあるスクロース(=砂糖)分子の数とも等しい。高校理科の知識が残っている人はこのへんで「原子量または分子量の値にグラムを付けると、その中に含まれる原子または分子の数はいつも同じ」を思い出されただろうか。それがアボガドロ定数

いろもの物理学者さんが「アボガドロ数を実感する」というページを作っている。10倍ズームを23回行うとはどういう事か実感できましょう。

さて、1ベクレル(Bq)という値は1秒間に1つの原子が崩壊しているということ。100Bqなら100個。100Bqの放射能を持つ物質内では1分間に6000個、1時間に360,000個、1日では8,640,000個の原子が崩壊し、それだけ放射線が出てくるわけだけれど、864万も!と騒ぐ前に、それが原子の数としてはとてもとても少ないということに気づいてもらいたい。864万という数はアボガドロ定数に比べると1/100,000,000,000,000,000。放射性セシウムは137グラムで1モル(すなわちセシウム137原子が6.022×1023個)なので、864万個というのは137ミリグラムの100万分の1のそのまた100万分の1のさらに100分の1くらい。それが1kgの中にあるわけで、どれほど希薄か想像できるだろうか。

なお、膨大に思えるアボガドロ定数ではあるけれど、ホメオパシーで100倍希釈を12回繰り返すと10012=1024、つまり1/1,000,000,000,000,000,000,000,000倍に希釈されるので、最後の希釈液には1原子(分子)も残っていない蓋然性が高い(このことはホメオパシーを推進する側も認めている)。

一方、最強の毒物群に数えあげられる細菌毒素の中には、その1分子が入っただけで1つの細胞が死んでしまうほど強力なものがある。しかし、これは通常の毒物とは異なる機構によっている。

放射性元素の場合、1原子が放射線を発する機会は原則として1回だけなので、生体の中でいつまでも悪さをし続けるということはない(セシウムの場合、β線とγ線を1回出して終わり)。

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