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2012/09/30

十一代目 桂文治襲名披露興行に行く

桂文治襲名披露興行が新宿・末広亭で始まっている。気がつけば最終日は30日(そのあと、浅草演芸ホール、池袋演芸場、国立演芸場と続く)。27日には札止め(満員)になったと聞き、土日の混雑を考えると今日しかない、と28日に行ってきた。平日に行けるのは失業者の数少ない特権。

先月のお練りの際にいただいた割引券を使って節約。1枚で3人まで割引価格だけど、平日だし急に思い立ったこともあって単独使用。いや、友達がいないわけではないのだが。

用心して早めに行ったため、まだ昼の部の途中だった(昼夜入替なし)。桂幸丸の落語の次は桧山うめ吉の俗曲。かわいい声でとぼけたこと(一部、歌詞の意味が分からないまま唄うところがありますが皆様もお分かりにならないでしょうから気にしないで)を言っていたが、あとで調べたら結構なキャリアの持ち主らしい。昼の部最後は三遊亭遊吉の「源平盛衰記」。これは偶然か。私が最初に桂平治(現 文治)の落語を聴いたのが、「親子酒」とこの「源平盛衰記」。なにわ亭落語会という私設寄席での時間をたっぷりとった大熱演で、すっかり魅了された。その後、独演会「十代目桂文治十八番」でこれを演じ、平成21年度(第64回)文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞を受賞された。そして凱旋公演?で再び演じていただいたのが2010年2月。闘病中の席亭にとって最後の落語会になった思い出の噺。


昼の部が終わっても立つ人は少ない。夜の部は、桂宮治の落語、鏡味味千代の太神楽、桂右團治の落語、瀧川鯉朝の落語。その次はプログラムではぴろきのギタレレ漫談となっていたがコントD51のコントで、続いて三遊亭笑遊の落語、柳家蝠丸の落語、北見伸とスティファニーニよる奇術、桂米助の落語、三遊亭小遊三の落語と来て、中入りを挟んで口上。

舞台奥に張られた幕も取り替えられて三枚目。司会進行は柳家蝠丸。下手から桂米助、笑福亭福笑、桂文治、三遊亭小遊三、桂歌丸と並ぶ。先日、「笑点」でも口上は放送されていたが、直に見る方が面白い(古典芸能にライブという言葉は似合わない)。先代文治と笑福亭福笑の因縁話が披露されたり、突っ込み待ちで話を大きくしたりと、もうそれ自体がひとつの演芸。その間、文治はずっと黙ったままニコニコと。まさに「漫画に描かれたお日様」(歌丸)のような笑顔。この口上は一見の価値がある。

江戸家まねき猫の物まねで秋を感じてから歌丸と福笑の落語(「紙入れ」「宿屋ばばぁ」)で笑い、ボンボンブラザーズの客を巻き込んだ曲芸にハラハラするといよいよ文治登場。お練りの際にも感じたけれど、この人の声はほんとうによく通り、細かいところまで聞き取りやすい。そして尻餅をたっぷりと魅せてくださった。

手元にはまだ3館共通入場券が1枚あるので、また行こうと思う。

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2012/09/17

名誉毀損(用語解説)

引用」と並んで誤解が多いと思われるのが「名誉毀損」という用語。知識を整理してみた。

人の名誉を傷つけるようなことを言ったり書いたりすると責任を問われる。責任の追及には刑事と民事の2種類があり、国家(検察)が乗り出してくるのが名誉毀損罪(刑法第230条)。

刑事事件としての名誉毀損



公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。


理解のポイントは、1)公然と 2)事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、 3)その事実の有無にかかわらず、の3つ。

一対一で、他に聞いている人がいなければ何を言っても名誉毀損罪は成立しない。ただし、その時はたまたま他の人に知られなかっただけ、の場合は成立する。また〈放送局〉と仇名のある噂話好きに耳打ちした場合も、たとえ1人に対してであっても、それは容易に広まるわけで、名誉毀損罪は成立する。

事実の摘示がなければ名誉毀損罪にはならない。公衆の面前で「バカ」「恥知らず」と罵倒しても、それだけでは名誉毀損罪にはならない。事実の摘示、たとえば「中学で国語の成績が1だった」「病気の奥さんの代わりに愛人をパーティーに連れて行った」などが必要。なお事実の摘示がない場合、侮辱罪(刑法第231条)にはなりうる。

おそらく一番誤解が多いであろうのが3番目。たとえ本当のことであっても、言ってはいけないことがある。たとえば「彼女は私生児だ」「彼の親は前科者だ」。本当であるならばなおさら、これらを吹聴する行為が咎められるということは理解されよう。なお、本人に責任がある「彼女は父無し子を産んだ」「彼は刑務所帰りだ」も公然と指摘すれば罪に問われる。

一方、歯止めは2つ。まず、この罪は「告訴がなければ公訴を提起することができない。」(刑法第232条)。いわゆる親告罪である(「公訴の提起」とは起訴のこと)。人によって名誉の侵害の受け止め方が違うからであろう。告訴(被害者が検察庁に処罰を求める手続き)が必要なので、被害者かその代理人が積極的に動く必要がある。

また、指摘したのが公共の利害に関する事実についてであり、かつ、その目的が専ら公益を図ることであった場合、真実であることの証明があれば罰せられない。公共の利害に関する事実については特に、起訴されていない犯罪行為が明示されている(検察にしたら、公然と告発するのではなく、そっと告訴告発してもらいたいだろうが)。また公務員または公選の公務員の候補者が対象の場合は、真実であれば罰せられない(公務員としての資質に関係の無い事実であれば、真実であっても処罰されるらしい)

刑法の条文にはないけれど、重要な判例がある。それは、真実ではなかったが真実であると信じる相当の理由がある場合は罰せられないというもの。ただし、これは公共の利害に関する事実について、目的が専ら公益を図ることであった場合限定なので、軽弾みな真似はしないように。

民事事件としての名誉毀損


人の社会的評価を低下させた場合は、不法行為として損害賠償を請求される。また名誉回復のための方策(たとえば謝罪広告)を命じられることもある。

免責については刑事と同じで、公共性・公益性・真実性がそろえば成立しない。真実ではなかったけれど、真実と誤認したことに相当の理由が認められれば成立しないのも同じ。

裁判を起こすというのは一般に敷居の高い行為であるし、公の場で名誉毀損行為が再現されるという難点があるため、いわゆる泣き寝入りになりがちであるが、諦める前に打つ手はある。

正統的な手段は、弁護士を通して抗議文を送る。訴訟を起こすよりも安く済むし、ある程度はこれで解決できる。

弁護士の心当たりがない、費用が負担できないという場合は、無料の法律相談を利用する。といっても、街の物知りとか顔役に依頼するのではない。法テラスはそのための組織。勝訴の見込みがあれば弁護士の紹介や訴訟費用の立替もしてくれる。また弁護士会や行政が主催する法律相談会もある。ADR(裁判外紛争解決手続)という裁判とは別の手続きもあり、費用が少なくて済む。

少額訴訟の場合は簡易裁判所に、代理人(弁護士)を立てずに本人訴訟を提起するという手もある。これも簡易裁判所に行けば相談に乗ってくれる。

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2012/09/15

強化した履歴書の「趣味・特技」欄

lifehacer.jpに「履歴書は手書き? 印刷でOK? 採用担当はこんなところまでチェックしています」という記事があり、そこに「5.趣味・特技欄を軽視しない」とあった。

たとえば一輪車の曲芸と書いておけば必ず質問されます。そんな特技ないよ!という方でも、単なる「読書」等で済まさずに、自分のこだわっている分野などを書いておくと、その質問を契機に、面接の場が和みます。

個人的な体験から、「少しかじったくらいで趣味などと言ってはいけない」と考えているので、自作履歴書の場合、「趣味・特技」欄は空白にしていた(と書いてから、このブログのカテゴリに「趣味」とあるのを発見し、慌てて修正)が、引き続く連戦連敗に自信を失いかけているので、考えを変えてみた。

手始めに某社、普通に考えたら逆鱗に触れて門前払いになるようなカバーレターを添えて某求人サイトからエントリーした、が「フォームから申し込んだ後、履歴書を送れ」と奇妙な手順を指示しているので、そこへ送る履歴書に腕を奮ってみた。ちなみに職種は編集。


校正と校閲
新聞・雑誌・書籍・ネットを読んでいる時でも用字用語、数字、事実関係等を気にします。「いつも心に赤ペンを」

(説明:まさか募集要項もチェックされているとは気づくまい。)

ツイッター
言葉を間違えて使っている人はいないか、だけでなく悩みをもつ人を見つけては小さな親切を施します。

(説明:「銛を持ってのダイブ」をするほどの豪胆さは持ち合わせていないが、「〜するにはどうしたらよいのだろう?」的なツイートを見つけると(内容にもよるが)調べて、答えが見つかったら返信して悦に入っている。それに対する返事が来なくても、自分の知識が増強あるいは更新されているので満足。調べてみると昔仕入れた知識は陳腐化していることは多いので、このような確認は重要。「人は得意分野で間違える」)

地口と洒落
よく「誰がうまいことを言えといった」と怒られます。

(説明:これは次の項目への伏線でもある。)

酒落
酒は飲むというより飲まれるタイプ。

(説明:洒と酒の字は手書きでは間違えられることの多い「魯魚の誤り」。それに引っ掛けている。なお、酒が入ると駄洒落が止まらなくなる。)

落語
十一代目 桂文治の俄ファンです。

(説明:旬の話題を入れて話の接ぎ穂にしようという魂胆。ただし、年季の入った落語好きと遭遇することを勘案して「俄(にわか)」と謙遜。)

ブラームスとシューベルト
あとベートーベンなども少々(聴くだけ)。

(説明:少し毛色の違うものを混ぜて厚みを感じさせる。)

バイクツーリング
オアフ島でハーレーに乗ったのが思い出です(最近はご無沙汰)。

(説明:身体的なものも入れておかないと文弱に見えてしまう。)

いま見直してみると「地口」は除いて縦に「洒落」と「酒落」を並べるべきであった。

さて、ご利益は出るであろうか?

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2012/09/14

趣味

私には高校時代から世話になっている恩師Aがいる。そのA師にはまた、高校時代に薫陶を受けた師匠Gがいる。

社会人となった筆子どもがA師を連れて、その故郷(正確には、幼少期から少年時代までを過ごされた疎開先)へ遊びに行った際、G師宅を訪ねた。既に引退されていたG師は「いまは何をしていらっしゃいますか」との問に、毎朝モーツァルトのピアノ協奏曲(27曲ある)を、ピアニスト・指揮者・オーケストラの組み合わせを変えながらレコードで聴き、その感想をノートに書いている、とそのノートを見せてくださった。手帳サイズのノートは既に数冊分あり、十行ほどの感想が万年筆で毎日書いてあった。笑いながら「ま、趣味みたいなもんです」と。

辞去した後で、顔を見合わせ「趣味かぁ」と嘆息する門人と筆子。以来、軽々しく「趣味は」と口にすることは慎んでいる。

先日、とある面接で「ご趣味は?」と問われ、上記エピソードを披露したけれど、ほとんど感銘を与えることはできなかったようだ。もちろん不合格。

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2012/09/05

反原発の知人への返信

1日に「放射線情報を正しく理解するための基礎講座」を聞いた後で、知人からのメールに次のような返信をした。

反原発派の端くれとして微妙なのですが、つまり「今回の事故は当初悲観したほどひどくはなかった」ということなのですね。いまでも避難を強いられている方々には申し訳ないけれど、広瀬隆が昔『東京に原発を』で書いた、人がばたばた倒れるの目の当たりにして「大変なことが起きた」と慄くような事態ではなかった。
以前、映画「アレクセイと泉」を観た時は、政府の避難勧告を無視して汚染された村に住み続ける住民を「無謀な」と思ったものだ。泉だけは汚染されていないと言っても「百年前の水が湧き出る」なんてのは事実の裏付けがない伝承であって、翌年から汚染水が湧き出すかもしれないじゃないかと憤ったりもした。原爆の図 丸木美術館の展示にも、汚染された村での生活を選択する住民を描いた作品群があり、たしかに天秤の一方には〈故郷を喪うことによる精神的打撃〉があると理解したものの、もう一方に載る〈放射能の危険〉を重視していたので、腑に落ちない思いをしたことを記憶している。

多くの人がそうであろうが、私の放射能への恐怖感は広島・長崎に代表される核攻撃の事例で形成されている。ところが瞬時にエネルギー(放射線)を放出し放射性物質を広範囲にばらまく核兵器と、じわじわ反応型の原子力発電所とでは様相が異なる。これについては以前の記事に書いた。

といっても、原発事故は恐くはない、と楽観しているわけではない。


これはいろいろな幸運が重なった結果であって、〈次回〉もそんな僥倖に恵まれる保証はないわけですが。

言霊の幸わう国で「次回」などと口に出したら非難轟々だろう。だが、世界はもちろん日本に限っても脱原発には悲観的なので、次の事故はいずれ起きる。それが10年後か50年後かは分からないが。

そしてその時には緊急停止に成功しないかもしれない。複数の原発が連鎖的に制御不能に陥るかもしれない。風が大量の放射能雲を大都会へ運んでくるかもしれない。水源地帯が汚染されるかもしれない。収穫直前の作物が高濃度の90Srで汚染されるかもしれない(ストロンチウム90の検出には2週間かかる)。...

しかし、今回は緊急停止に成功し、事故を起こしたのは東京電力1F(福島第一原子力発電所)に限られ、風は放射能雲の多くを海へと運び、多くの農地は作付け準備中であり、そして陸地の90Sr汚染は少なかった。住民の被曝線量は低く、毛が抜けて吐いて死ぬようなことが起きないのはもちろん、白内障でさえ起きそうにない。なによりも汚染源である1Fで多くの作業員が働いている。彼らが将来がんに罹って死ぬ可能性はいくばくか高くなってはいるけれども。

で、本来なら「ああ、良かった」と安堵すべき(繰り返しますが、これは遠隔地の勝手な安堵)ところ、なぜか健康被害が出ないと納得しない人達が蠢き始めた。福島県からの避難援助くらいなら構わないけれど、避難しない人を攻撃する、東京も危ないと煽る、瓦礫処理を妨害する...とどんどん素っ頓狂で有害な行動が目立ちだした。

懲りていないように見える原発業界の監視も必要なのに、とんだ二重対峙です。共産党を警戒していたら、反共が看板のヒトラーとかムッソリーニとかの変な連中が台頭してきたみたいな。


「反原発をファシスト呼ばわりした」と誤読して非難されるかもしれないが、文章をちゃんと読めば分かるように反原発勢力がファッショであるとは書いていない。書いてはいないが、「ヒトラーと対抗するために手を結んだら相手がスターリンだった」という比喩にしなかった理由はご賢察の通り。

あと、このメールの相手のような年齢の方に「二重対峙」なんて用語を持ち出すとピクッとされるかと心配したが、今のところ看過されている。

特に小さい子を抱えた母親たちの怯え方は想像以上で、東京から沖縄に避難する、沖縄で青森からの雪の搬入に反対する、親の情緒不安定は子供に悪影響必至で、ちょっと座視できない。(中略)「放射能を帯びた土埃を吸い込んだって、痰や鼻クソで出ていくでしょ」と説明したらとても晴れやかな顔をしていたのが印象的。理屈で判断する手がかりを得たら、不安に振り回されずに済むようになった。セシウムが検出された食品の話でも、「干し椎茸を1kgも一度には食べない」と気づくと、実際の被曝量を考えることができる。

あと気づいたのは、意外なほど「量の概念」が共有されていないこと。きくまこさんの「5時間講義」では冒頭延々と指数とSI接頭辞が解説されるのはそのせい。


「5時間講義」については、翌2日に荻窪で開かれIWJが中継したものよりも以前に録画したもの推奨されている。

ベクレル(Bq/kg)とミリシーベルト(mSv/y)は似たような桁(1以上100以下)で出てくるので等価に感じている人が多いみたいだが、セシウム137(137Cs)を10,000Bqを経口摂取しても(預託)実効線量は0.13mSvにしかならない。外部被曝の場合は1mの距離に100万Bqの137Csがあっても、1日に0.0019mSvしか被曝しない(原子力資料情報室の説明)。これは年間でも0.7mSvに満たない線量で、避けるべき無駄な被曝の基準1mSv/yを下回っている。それなのにエアコンの埃から7万ベクレル!と大騒ぎする人がいる。100万Bqでも0.7mSv/yなのだよ。その1/10以下(実際には134Csも検出され、これは137CSよりも強い比放射能を持つけれどここでの結果には影響しない)。しかも7万Bqがそこにあったのではなくて、7万Bq/kgのセシウム(134+137)。エアコンのフィルターに埃を1kgもためたら、放射能は関係なくそっちの方が問題(フィルターごと測定と訳のわからないことが書いてある)。実際の埃の量はせいぜい数グラムであろう。なら放射性セシウムの絶対量は? 計算するのもバカらしい。

こうして放射線による被害がなさそうだと知られてくると、今度は化学毒性を持ち出してくる。前の記事にも書いたように、量的にお話にならない。化学毒性が問題になるほど放射性セシウムを摂取したら、その前に放射線障害で死んでいる。

メールをくれた知人からは、旧知の反原発仲間との討論会を提起された。「ぼくらが、きちんと討論できないようだったら、日本全体での総意形成など不可能と考えます。」

うーん、重たい。

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2012/09/04

「放射線情報を正しく理解するための基礎講座」を聞く

1日に練馬区で開かれた「放射線情報を正しく理解するための基礎講座」を聞いてきた。これは「ふくしまの話を聞こう」で知己を得た女性が区に掛けあって、練馬区教育委員会委託子供安全学習講座として開催したもの。

子供安全学習講座だから、素直に考えれば放射能の危険からどう身を守るかの話になるはずだが、既に東京都内は数値的にも感覚的にも放射能の危険はほとんどない。都市濃縮のような厄介な問題は残っているとはいえ、それは個人で注意するよりは行政がまとめて対処した方がよい問題。

そこでこの講座では視点を変え、放射能への不安に便乗した怪しい商売から身を守る事を主眼に、震災以前からニセ科学問題に取り組んできた菊池誠大阪大学教授をお招きした(と理解した)。

差し入れの酪王カフェオレを手にする菊池先生

差し入れの酪王カフェオレを手にするきくまここと菊池誠先生。

こちらとしては怪しい商品を列挙してなで斬り、を期待したが、「浜の真砂は尽きるとも、ペテンの種は尽きまじ」だし、〈オレオレ詐欺〉の進化を見ても詐欺師の方が一枚上手で、個別の商品名を覚えて対処しようとしても覚えきれるわけがない。それよりも原理が分かっていれば、科学的におかしなものは新種が登場しても見分けられるということで、物理化学の基礎の基礎から話は始まった。

これは翌2日に荻窪で別団体主催の放射能基礎講座、別名「5時間コース勉強会」の実質ダイジェスト版で、好評のSI接頭辞解説は省略して「原子と分子」からスタート。

カリ肥料の袋とガイガー管

ガイガー管の出力をスピーカーにつなげたもの。カリ肥料からの放射線を検出するデモ。

全体的に見れば高校までの理科(物理・化学)で習ったことでカバーできる内容なのだが、学校で習ったことというのは意外に忘れているものである。忘れているから習った記憶すらない。逆に覚えているとことは「知ってて当然」に思えてしまうから退屈に思えてしまう、でナメているといつの間にか置いてけぼり。

このパートを主観を交えて要約すると、次のようになる。


  • 元素の種類は原子核内の陽子の数で決まる

  • 原子核の周りには陽子の数に見合った電子が存在し、最外縁の電子が化学反応に関与している

  • 原子核の大きさは、原子の1万分の1以下

  • 原子核内の陽子と中性子は核力(強い相互作用)という極めて短い距離でだけ作用する力でまとまっている

  • したがって核反応と化学反応とは、場所(原子の中心/原子の外縁)も主役(陽子・中性子/電子)も働く力(核力/電磁力)も異なり、放射性元素の性質を化学(生物)反応で変えることはできない

学校で習う原子の構造が、原子核と原子の大きさがせいぜい1:50で描かれ、原子核は原子の奥深くに鎮座していることを理解させないのが良くない。原子核を直径1mmで描いたら、原子は最低でも直径10mにしなければならないのだ。

続いて、陽子と中性子のバランスが崩れた原子核は不安定で崩壊するという話。お得意の合コン抜け出しモデルは、お堅い区の主催ということに遠慮して披露されず、ちょっと不完全燃焼気味。後ろで見ていると、137Cs→137mBa→137という崩壊図が一斉にメモされ、ああ、これも新鮮なのだなと感心。さらに驚いたのは「γ線って有害なんですか」というフロアからの質問(質問は随時受け付ける形式を採用)。γ線は光子という説明のせいもあるのだろうが、放射線のイメージも人によってずいぶんと違うことを実感した。ここまでで45分。

半減期


半減期は説明が難しい。従来は「放射能が半分になる時間」と説明されることが多かったと思うが、今回出てきたのは〈神のサイコロ〉。これはアインシュタインが量子力学を批判した言葉(神はサイコロを振らない)由来。各原子について神がサイコロを振る。当りが出たらその原子の核は崩壊する。6面体サイコロの場合、3回振るまでに当り(たとえば1)が出る確率は125/216で約1/2となる。8面や12面のサイコロならもう少し多く振らないといけない。それが核種ごとの半減期の違い。

サイコロを振る頻度で悩む人がいるかもしれないが、それは1秒に1回でも1秒に100回でも構わない。この説明の秀逸なところは「放射能(原子)が半分に」だと行き詰まる「最後の1個はどうなるの?」をイメージできること。「当たり」が出るまで振り続けるだけの話。その頃には平均すると1秒に1個の崩壊も無くなって、つまり1ベクレルを切るようになっている。

100面体のサイコロとか長短様々な半減期(短いのはミリ秒とかマイクロ秒だし、長いのは1024年)を網羅するのが理解できないという人は複数のサイコロを振ってピンゾロ(1がそろう)とか、大きなルーレットを考えても結構。

このあと、ヨウ素131は半減期(8日)を過ぎるごとに半分になっていくので、1か月で1/14、半年で1/5,931,000になるから昨年3月に出た分はもう消えていて心配する必要はない、被曝の単位のシーベルトには3種類あるから混同に注意などといったよく知られた話がされたが、会場の反応は初めて聞いたみたいで、議論の前提となる知識の共有の難しさが垣間見られた。

感想


大切なのは物事を定量的に考えること。桁(オーダー)に注意しながら数字を見て、その意味を考えていけば、勘違いのかなりは防げる。落ち着いてみればイカサマ商売を見破るのもそう難しいことではない。イカサマ商売は恐怖を煽り冷静な判断をさせないように仕向けてくる。放射能は恐いと怯えた人は、自分がどれくらい被曝できるかを考えなかった。過去の事故の線量と現状の線量を比較しなかった。ベクレルとシーベルトは桁が違う(セシウム137で内部被曝の場合10,000ベクレルで0.13ミリシーベルト)のに同列に見て0ベクレルを指向してしまった。人体は何もなくてもカリウムや炭素からの6000ベクレル程度の放射能があるとの指摘に「ごまかし」と耳を塞いでしまった。ちなみに福島の現状は、チェルノブイリよりはるかに良い。

もう一つは対照の重要性。実験において対照(コントロール)が必須であるのと同様、観察においても「2011年3月以前はどうだったか」を忘れてはいけない。実際、ネットで騒がれる「自然界に異変が!」は、にわか観察家の勘違い。「殺人犯の9割以上は、犯行前24時間以内に米の飯を食べていた」になんの意味があるだろうか。

講義そのものよりは、講義がどう聞かれるかに興味があったので、もっぱら聴衆の様子ばかりを見ていたが、延々と続く基礎の話に皆さん熱心に聞き入っていた。誘った知人はいたく感心していて、自分でも勉強会を開催しそうな勢いだった(菊池先生曰く人が集まればいきます、と)。

受付担当の女性たち

運営はきくまこファン?の女性たち。


補:バリウムの影響


フロアの中に、危険があって欲しいと願っているような方がいた。持ち出す懸念が次々否定される中で食い下がったのが、放射性セシウムが崩壊してできるバリウムの化学毒性。たしかにバリウムには毒性がある。胃の造影に使う硫酸バリウムは不溶性なので無害だが、炭酸バリウムは胃酸で溶けるため毒重石という名前が付いているほど。だが、帰ってきてから調べると半数致死量(LD50)はラットで118~800 mg/kg。水道水の要検討項目目標値が0.7mg/l。高バリウム濃度の水を飲用する地域住民の調査から0.21 mg/kg 体重/日では影響がないことが分かっている。TDI(耐容一日摂取量)は20 μg/kg 体重/日で、体重60kgの大人なら1.2ミリグラム/日。一方、1ベクレルのセシウム137は0.3ピコグラム=10兆分の3グラム。ピコというのはミリの10億分の1(1mg=1000ug=1,000,000ng=1,000,000,000pg)。1ミリシーベルト被曝するには約77,000ベクレルのセシウム137が必要で、質量でいうと23ナノグラム。逆に言えば、セシウムやバリウムの化学毒性が現れるような量であれば、先に放射線障害が現れるということ(これは会場で菊池先生も指摘)。量を考えるのが大切。

質量換算単位をナノグラムに
揃えると
1日に摂取して影響の出ない
バリウムの量
20マイクログラム/kg体重1200マイクログラム1,200,000
1mSv被曝するセシウム137の量77,000ベクレル23ナノグラム23
10Sv被曝するセシウム137の量770,000,000ベクレル230,000ナノグラム230,000
※実効線量で10Sv被曝すれば高い確率で死亡します。

サリドマイド事件が起きたとき、まだ薬害と認識されていない時期に、息子の上肢欠損を原爆の影響だと思い込んでしまった人がいた(母が被爆者)。後に誤りに気づき、被害児家族を組織して救済対策を進めたけれど、一時的にせよ世間を欺いてしまったことに自責の念を持ち続けたらしい。動機の純粋性は主張の妥当性を担保しない。

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