編集者の三つの仕事あるいは能力
私の最初の職業は雑誌編集者だが、世間で考える編集者とはだいぶ違った仕事をしていたように思う。
一口に編集者と言っても、雑誌と書籍とでは仕事が違う。書籍の中でも辞典編集はまた特殊な位置にあるだろう。
編集者の仕事の対象は3つあるといえる。
・原稿(原稿整理から出版まで)
・著者(発掘と育成)
・企画(何をどう出版するか)
理想は三船の才よろしく兼ね備えることだが、実際には得手不得手があるのではないだろうか。
原稿整理から出版まで
原稿そのものを対象とする、いわゆる編集作業である。基本中の基本であるが、やることは一様ではない。たとえば新聞であれば、字数と締切りが優先される。なにしろ紙面に空白を作ることは許されないのだから。それがたとえば教科書になると時間的には余裕があるが、まず検定に合格するための努力が求められる。大辞典の編集に携わっていた人間が日刊紙の編集部に行っても役に立たないし、その逆もまたしかり。
以前は手書きの原稿を文選・植字という過程を経て活版にしていたため、原稿整理は重要だった。コンピュータを使った原稿であればこの部分が大幅に簡略化され、電子書籍であれば著者が自分でできるから編集者は要らないという極論すらある。
たしかに用字用語の統一や誤字脱字衍字誤変換の修正ならばワードプロセッサソフトがやってのける(著者がその機能を使えるならば)。しかし内容の誤りは(今のところ)素通りだ。また表現の適正化も(やはり今のところは)人間頼り。これは岡目八目と言われるとおり、第三者(編集者)の目の方が頼りになる。
大幅な改稿や不足している内容の補筆となると、原稿整理の範疇ではなく、著者への働きかけになる(作家を旅館に缶詰にして原稿を受け取る、というのはどちらだろう)。
著者の発掘と育成
書き手を見出してくるのも編集者の大切な仕事。そして原石を磨いて宝石にするのはもっと大切な仕事(安部公房は『第四間氷期』の中で、「今のプラスチック・レンズははじめっからつややかだ。もはや艱難汝を玉にすといった時代ではない」と書いているが)。大家に定番を依頼する場合は別として、作品への介入も大なり小なり必要となる。世に送り出して読者や批評家の批判に晒す前に、予想できる問題点は編集者が指摘しておいた方が良い。
草稿(β版)を公開してフィードバックを受けて完成させる手法は、名誉毀損や業務妨害など不法行為(時には犯罪)につながる危険性を有する。事実関係や法務面のチェックをしてくれる編集者がいると安全性が向上するばかりでなく、賠償責任を分散することもできる。...売り上げと賠償額を天秤にかける編集者もいるようだ。
漫画を含む文芸の世界の編集者は、こちらが中心ではないだろうか(漫画や小説のファクトチェック、リーガルチェックってあるのだろうか?)。厳しく書き直しを迫る、それも一度や二度ではなく何度でも、という編集者も作家の回想には現れる。
ベテラン編集者が若手を育てることもあれば、若手編集者が新人作家と二人三脚で進めることもある。組み合わせとしては新人編集者が老作家に鍛えられるというのもあるが、ここでは触れない。
書き手を育てるといっても、全人的な陶冶をしようなどとしてはいけない。締切りを守らせることは重要ではあるが、最重要というわけではない。誤字脱字もないに越したことはないが、容易に修正できる。具体的な最重要事項はジャンルによって、また時代によって異なる。編集者自身がそれを理解していないといけないとはいえ、自分の劣化コピーを作っても仕方が無い。〈教える〉と〈育てる〉は違う。
企画
要するに「どんな本(雑誌)を出すか」の決定。このテーマ設定がズレていると後から挽回することは非常に難しい。
そしてほとんどの民間企業の場合は〈売れる本〉を目指さざるをえない。ここで「売れ行きは芳しくなくても良い本を」なんて気取ると会社が傾く。そういう贅沢をして良いのは赤字を補填してくれるバックが付いている会社に限る(ちなみにそういう会社は実在していて「今の時代に出すべき本を出す」と丁寧に本を作るという)。
売れ行きをもっとも気にするのは、結果がすぐに出てくる日刊紙・週刊誌の編集長だろうか。旬な話題、もうすぐ旬になる話題に対する嗅覚が求められる。同じテーマ(事象)でも雑誌によって色合いが異なって取り上げられるのは編集者の目の付け所が違うから。自分の好みを押し付けず、さりとて現状の後追いに陥らずというのは、かなり難しい。ただ、スパンの短いものは軌道修正も容易。単行本の場合、外れた場合の痛手は大きいだろう。下手の考え休むに似たりであるから、単行本もどんどん、数撃ちゃ当たるで出すという手はあるが、それを選ぶと企画の詰めが甘くなり自転車操業に陥りかねない。
電子出版時代の編集者
これについては以前、今度こそ来るか電子出版の時代(「電子書籍の衝撃」)というエントリーで「電子出版時代の出版人」として考察した。
それから考えはほとんど深まってはいないけれど、最近面白い話に遭遇した。雑誌の連載打ち切り通告を受けた漫画家が、幕張メッセで開かれたテーマ関連の展示会に個人出展して単行本化されたものと特別版を販売するなどし、連載は予定通り終了したものの単行本の増刷にこぎつけ、さらにその展示会のメインイメージキャラクターに採用された経緯を自ら漫画化している。つまり漫画のテーマは雑誌の読者(作者曰く“「漫画読み」の方”)の関心を引きはしなかったが、テーマに興味をもつ人に提示すればそれなりに売れるということ。これは作者の立場からのものなので、編集者や営業(販売局)には辛口の評価がされている。
そこではもっぱら売る方法(電子書籍のフリーマーケットも経験)が描かれている。電子出版時代に出版営業が変わるのは当然であるけれど、編集はどうなるのか。主要な作業は著者が行い、オペレーターになってしまうのか。逆だと思う。
原稿への介入が必要なことはすでに述べた。〈最初の読者〉として著者へ働きかける必要がある。
著者(の卵)を発掘し、育成することも編集者の重要な仕事であることに変わりはない。ブログやSNSに膨大なテキストや絵画が提供されているので、〈原石〉を発見するのは容易だろう。ただ、活字になることのありがたみは減少しているので、「書かせてやる」といっても乗ってこないかもしれない。ましてごちゃごちゃと指図をされたら反発する事も考えられる。「書きたい人より書かせたい人」だから、それを宥める編集者の役割は大きい。出版することの魅力、自費出版のようなブログとの違いを納得させられなければいけない。
企画に関しては変化が予想できる。組版から印刷製本の過程は電子化によって大幅に短縮する。改定も容易になることから〈出してから手直しして完成〉という手法が広まる可能性がある。無償バージョンアップできる書籍だ。それによって「小さく産んで、大きく育てる」の美名のもと、生煮え企画が跋扈するだろうか。案外それに反発して、古風と言われながらも完成品をだそうとする努力が受け入れられるかもしれない。綸言汗の如しという緊張感が良い結果をもたらすか。おそらく資本力のない零細は、とりあえずβ版で出すという方向に進むだろう。正統派大出版と棲み分けになるか、それとも激突になるか。注目したい。
| 固定リンク
コメント