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2012/05/05

読まれなかった挨拶文

さる4月28日に東京で「ふくしまの話を聞こう」という講演会を開いた。

主催団体の「福島おうえん勉強会」の代表とひょんなことから知己となり、なりゆきで開催スタッフに加わっていたのだが、なんとその代表が開催案内直前に緊急入院してしまった。延期か強行か。残されたスタッフは後者を選択。だがTwitterやmixiでの交信こそあったものの、互いに面識のほとんどない20人弱のスタッフでうまく進められるだろうか。烏合の衆にならぬよう論点整理を買ってでたところ、代表代行に祭り上げられた。もとよりそれは想定の範囲内。「代表というのは、なにかあったときに頭を下げるのが最大のお仕事」と割り切り、「善きに計らえ」でどんどん進めてもらった。

(正直なところ、決め台詞「今に見ておれ。俺は知らんぞ。」が使えないのは大変だった。)

それでも「主催者からのご挨拶」は自分でやらなければならない。いくつかのピースはできあがったものの、根本的なところの理解不足があって相互にうまくつながらない。焦っているうちにその日を迎えた。と、そこへ「建物の閉館時刻があり終演から撤収まで余裕が無いので時間厳守で進行を」と設営・撤収チームから要望。加えて、開会挨拶の時間が進行表に入ってないことが判明。斧鉞を振るうどころか、大幅に割愛して済ませた。

しかし、講演者を含めたランチミーティングでミッシングリンクを発見したこともあり、ここに「こんな風に読みたかった」を載せる。

本日は「ふくしまの話を聞こう」に多数ご参加いただきありがとうございます。代表のナカイが本会の準備中に健康を害し、入院せざるを得なくなったため、臨時代行を務めます細川がご挨拶を申し上げます。なお、ナカイは快方に向かっており、現在はリハビリに専念しておりますのでご安心ください。

主催の福島おうえん勉強会は、もともと放射能汚染の健康への影響を心配する人、特にお母さんを念頭に、〈正しい科学知識〉をゴリゴリと注入するのではなく、不安な気持ちを受け入れて、納得のいくように放射能について知る、そのための小さな勉強会から始まりました。

立派な肩書きの先生の「それほど心配することはない」という講演を聞いても、なんとなく腑に落ちない。かといって「もう大変です」という講演を聞いても、では今日からどうするかというと、なかなか避難までには踏み切れない。家族は話を聞いてくれないし、ご近所やPTAとはそういう話をする雰囲気ではない...そんなモヤモヤとした気持ちを整理する場が必要なのではないか。そして、この空隙を怪しい放射線防御ビジネスにつけ込まれているのではないか。そういう危機感をいだいています。

元々は膝詰め・車座を意図した勉強会ですが、さすがに福島から講師を招くとなると小規模集会では無理があり、このように大規模なものになりました。本日はエライ先生の講演ではありません。福島在住の市井の人が何を考え、どう行動しているかのお話です。それでも聞いて「そうそう、その通り」とはならないでしょう。人の話を鵜呑みにするのではなく、ご自身の中で消化していただきたく思います。

さて去年の3月、地震と津波の恐怖もさめやらぬうちに、原子炉建屋が次々と爆発し、放射性物質が広がるという大事故が発生しました。私たちがイメージする放射能汚染は核戦争によるそれでした。広島・長崎の悲劇です。井伏鱒二の『黒い雨』やブリッグズの『風が吹くとき』の世界です。毛が抜けて鼻血が出て死に至る。



以下の文字が小さい段落はいったん用意したものの、こういう刺激的なものいいは良くないと撤回を決めた部分。



実際、ネットでは「子供の鼻血が」「下痢が」という噂が飛び交いました。最近はこれらは影を潜め、「就寝中に足がつる」に変わったようですが、放射線による鼻血や下痢は数Sv以上の被曝で起きる症状であり、もし本当に被曝症状で鼻血が出たのなら、適切な治療を施さなければ8〜50日の間に死亡してしまいます。下痢の場合はもっと深刻で、現代医学では手の施しようがありません。線量や治療にもよりますが3〜10日のうちに死に至ります(数週間生存し続ける場合もあります)。


今から25年ほど前に『東京に原発を』という本が出ました。書いたのは広瀬隆で、昨春来マスコミに出ずっぱりですから、ご存じの方も多いでしょう。原発は遠くに作るよりも都心に作った方が送電ロスもないし今は海に捨てている熱も有効利用できるし合理的。でも事故が起きたら怖いよね、という本で、後半に東海二号炉が事故を起こしたらシミュレーションがあり、放射能雲が東京に届いて人がバタバタ倒れると描写されていました。

実際はどうだったでしょうか。「鼻血が、下痢が」という噂はありましたが、被曝でそれらの症状が出たのならば、集中治療を受けなければ死んでしまいます。「700人死んだ」「1500人死んだ」という噂もありますが、それだけの人が死んで隠し通せるわけがありません。そういう事故ではなかったのです。現に福島第一原発には今なお多くの作業員が働いています。

「放射能が来る!」と騒ぎになった去年の3月。千葉市の熊谷市長は冷静に言いました。放射能は風に乗って順番にくるのです。茨城県の人たちが落ち着いているのに千葉市民がおろおろしてどうするのですか、と。その後放射能は確かに来ましたが、それは測定装置でのみ観測されるものでした。汚染が明らかになってから「食べ物の味がおかしい」という人も現れましたが、これは大方気のせいでしょう。「直ちに影響はない」の言葉尻を捉えて、「秋には...」「年明けには...」「1年経ったら...」と待ってみたものの、何も起きていません。先天性障害、それ自体は珍しくはないものですが、を持った子の誕生を「お待たせしました」と報じようとしたジャーナリストがいましたが、予告だけで終わっています。

東京は大丈夫、汚染はそれほどではない。それが分かって余裕ができたからというのも失礼な話ですが、落ち着いて見回して気がつくのは「それでは汚染された福島で人々はどうしているのだろう?」。まだ東京は大変だと思っている人にとっても、福島に住んでいる人の経験は自分の心配を相対化する良い指標となるでしょう。福島県は約200万人が住み、この1年間におよそ12,000人が転出しました。99%以上の人は事故後もとどまり続けているのです。東京からも避難しようという人にとっては理解しがたいかもしれません。「福島県民は騙されている」「放射能測定値は不正操作」「福島県では、放射能という言葉を耳にしなくなっている」という主張を目にされた方も多いでしょう。今もとどまる人たちはどのような生活をし、何を考えているのか、現地の声をお聴きください。

なお、はじめに申し上げましたように、本講演会の準備中に主宰のナカイが倒れるという事態が発生しました。講師が決まり会場は押さえていたものの、まだ告知をしていない段階。中枢を失って空中分解の危機でした。しかし誰ともなしに「やりましょう」と声が出て、mixiを連絡場所として互いに面識もない者同士が協力して開催にこぎつけました。えてして「専門家と一般市民」という図式を描いてしまいますが、〈一般市民〉もそれぞれ某かの〈専門〉を持っています。その専門性を持ち寄って成立したのが本日の講演会です。「こういう講演会を聞きたい」「あの先生の話を聞きたい」という方は、ぜひご自分から動いてみてください。世界は変わります。

最後の、「実は大変だったのよ」は、スタッフ慰労のためにぜひ入れたかったのだが、「不手際があっても見逃して」という言い訳に聞こえそうだったこともあって割愛し、懇親会の席上で披露した、と思う。実は緊張の糸が切れたところに、「飲んで応援」とばかりに福島のお酒が流れこんで記憶が曖昧。スタッフのツイートを見て「ああ、しゃべったんだ」状態。


さて、職探しに本腰を入れなければ。

補足


入院した代表とはしばらく意思疎通が難しかった。後日見舞いに行ったスタッフの一人が臨時代行の了解を取り付けてきたが、細かい指示があったわけではなく「任せた」に近い状態。〈偽綸旨〉の疑惑は出ないにしても、正統性の保証されない代表代行なので、あまり勝手なことは言わない方が良いという抑制もあった。

起草段階でミッシングリンクとなったのは志向した〈小さな勉強会〉と現実に開いた〈大きな講演会〉の齟齬。代表は「講演会を聞いた後の小さな勉強会」を考えていたと当日のミーティングで聞いて膝を叩いた。あと現実問題として、小集会にいちいち福島から来てもらうのも大変。

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