「勘助のかなしみ」
26日に朝日新聞紙夕刊2面のコラム「窓 論説委員室から」に書かれた「勘助のかなしみ」という一文を読み、ほとんど泣きそうになってしまった。
NHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」のエピソードをこう取り上げる(有料だが朝日新聞デジタルで読める模様)。
勘助はひどいめにあわされた、あの子はやられて、ああなってしまったと思ってた。けど違った−−と。(原文では 部は傍点)
「あの子は、やったんやな。あの子が、やったんや」
兵役から帰ってきた息子(後に再出征して戦死)が魂が抜けたようになっていた理由を、四半世紀後に母は突然さとる。
だが、慰めようにも息子は既に戦死している。代わりに詫びようにも誰も糾弾してくれない。文句を言おうにも誰を責めたら良いのだろうか? 気がついても何もできない。これは実に恐ろしいことだ。
余談になるが、この「あの子は」から「あの子が」の変化も胸に迫るものがある。
コラムは続けて戯曲「こんにちは、母さん」(永井愛)から、戦地から戻ったが戦争の話は一切しない夫の胸の内に妻が気づく場面が紹介される。
「ああ、この人は、実際に人を殺したんだ。しかも、子供を、子供を殺したことがある...」
愛する夫が加害者だったという暗転。苦しい経験を語らないのは自分が信頼されていないからか。目の前の夫は生きているけれど、死者よりも遠い... この妻の苦しみは誰が受け止めてくるのだろうか。
この戯曲は後にTVドラマ化されたようだが、番組紹介を見ても、それらしい様子は見られない。ただ、サイトに紹介のない第四回について、「鳥肌が立った」と感想を載せているブログがあるので、「延々と続くダイアローグ」の中に出るのでしょう。
どちらもファンクションフィクションではある。そこを衝いて「事実ではない」に持って行こうとする人がいるのではないかと気になって調べてみたが、幸いにもそういうエントリーは見当たらず、逆に共感する日記を発見して安堵した。
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コメント
初めまして。
拙ブログにトラックバックありがとうございます。私も、あの記事を読んだときは泣きそうになりました。同じように感じている人がいるとは、うれしいです。
投稿: 酔流亭 | 2012/03/30 15:09