正しくこわがる(用語解説)
「こわい」というのは感情の問題なので、正しいも正しくないもないのであるが、「こわがる」というのは行動の問題なので正誤が存在する。
たとえば山の中でヒグマとばったり遭遇したとする。心臓バクバクで背中に冷や汗となるのは無理もない。だがそこで、一目散に逃げだそうものなら命はない! それは誤った行動。あれば熊スプレーを構えながら、ゆっくりゆっくりと後ずさるのが正しい怖がり方。(もっと正しいのはいきなり遭遇しないよう、鈴を鳴らすなどしながら歩くこと。)
冬山(クマは穴の中で冬眠しているから遭遇する危険はない)に、「穴持たずのクマと遭遇したら危険だから」と鉄製の甲冑を着て登ったらどうなるだろうか。過剰な装備は役に立たないどころか、遭難の危険を増すだけであろう。これも誤ったこわがり方。
恐いと感じる対象を遠ざけたり減じたりする行動は正しいが、危険を招き寄せるような行動は間違っている。
ちなみに「正しくこわがる」とは、寺田寅彦(夏目漱石の弟子で『吾輩は猫である』に登場する水島寒月のモデル)の随筆「小爆発二件」に出てくる言葉。
信州・浅間山が小爆発に遭遇した寺田は「一度浅間の爆発を実見したいと思っていた念願がこれで偶然に遂げられたわけである。」と喜びつつ、「万一火口の近くにでもいたら直径一メートルもあるようなまっかに焼けた石が落下して来て数分時間内に生命をうしなったことは確実であろう。」と自戒している。そして帰京しようと沓掛駅で汽車を待っていたとき、下山してきた学生に駅員が様子を聞いているそばを、4人連れの登山者が山へ向かうのを見る。「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」とさも請け合ったように言う学生。
ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。
終わりの伏字は戦前の検閲のため。
寺田の目には、大丈夫大丈夫と山へ登っていく人々が「こわがらな過ぎ」に見えたのであろう。今の言葉で言えば〈正常性のバイアス〉。しかしここで「こわがれ、こわがれ」と行き過ぎないところがさすが。
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