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2012/03/30

「勘助のかなしみ」

26日に朝日新聞紙夕刊2面のコラム「窓 論説委員室から」に書かれた「勘助のかなしみ」という一文を読み、ほとんど泣きそうになってしまった。

NHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」のエピソードをこう取り上げる(有料だが朝日新聞デジタルで読める模様)。

勘助はひどいめにあわされた、あの子はやられて、ああなってしまったと思ってた。けど違った−−と。
「あの子は、やったんやな。あの子が、やったんや」
(原文では  部は傍点)

兵役から帰ってきた息子(後に再出征して戦死)が魂が抜けたようになっていた理由を、四半世紀後に母は突然さとる。

だが、慰めようにも息子は既に戦死している。代わりに詫びようにも誰も糾弾してくれない。文句を言おうにも誰を責めたら良いのだろうか? 気がついても何もできない。これは実に恐ろしいことだ。

余談になるが、この「あの子は」から「あの子が」の変化も胸に迫るものがある。


コラムは続けて戯曲「こんにちは、母さん」(永井愛)から、戦地から戻ったが戦争の話は一切しない夫の胸の内に妻が気づく場面が紹介される。

「ああ、この人は、実際に人を殺したんだ。しかも、子供を、子供を殺したことがある...」

愛する夫が加害者だったという暗転。苦しい経験を語らないのは自分が信頼されていないからか。目の前の夫は生きているけれど、死者よりも遠い... この妻の苦しみは誰が受け止めてくるのだろうか。

この戯曲は後にTVドラマ化されたようだが、番組紹介を見ても、それらしい様子は見られない。ただ、サイトに紹介のない第四回について、「鳥肌が立った」と感想を載せているブログがあるので、「延々と続くダイアローグ」の中に出るのでしょう。

どちらもファンクションフィクションではある。そこを衝いて「事実ではない」に持って行こうとする人がいるのではないかと気になって調べてみたが、幸いにもそういうエントリーは見当たらず、逆に共感する日記を発見して安堵した。

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2012/03/26

エタノールで良いのか

飲むアルコールならエタノールに限りますが、そういう話ではなくて。

ツイッターで、放射性セシウムで汚染された米の使い道についてさえずっていたら、「がんばれ、東日本の米作り!③ 米のバイオエタノール化の現状と展望」というシンポジウムを教えていただいたので聞いてきた。

基調講演「コメ・イネのバイオエタノール化の現状と展望 被災地におけるバイオエタノール生産」
横山伸也(東京大学名誉教授・鳥取環境大学教授)

話題提供「新潟におけるバイオ燃料地域利用モデル実証事業の成果と課題」
中澤靖彦(JA全農 営農販売企画部長)

話題提供「多収穫イネ栽培のLCA解析」
芋生憲司(東京大学大学院農学生命科学研究科・教授)

話題提供「苫小牧市でのバイオ燃料プロジェクトの取り組みについて」
大﨑威司(オエノンホールディングス㈱ 苫小牧事業開発室 GM)

話題提供「北海道水田・畑作農業の現状とバイオエタノール事業の取り組み」
浅野正昭(北海道農業協同組合中央会 農業対策部次長)

総合討論 

各講演で使われたスライドは「イネイネ・日本」研究会の会員専用ページで公開されるという。

エタノールの弱点


聞きに行く前から感じていたエタノールの弱点は次の2つ。

熱量が小さい
 1gで約27000Jと、ガソリンの44000Jに比べて7割以下。
既存のガソリンエンジンに単独では使えない
 熱量が小さい上に腐食性がある。そのためガソリンに3-10%混合するにとどまっている。

そうするとブタノールやバイオディーゼル燃料の方が有望ではないかと考えていた。無改造または簡単な改造で既存車に使用でき、完全代替も可能(実際にはそうそう簡単ではないようだが)。

汚染された農地


東京電力の原子力発電所事故により放出された放射性セシウムにより農地や水源が汚染されたため、出荷できない米が積み上がっている。また今後生産しても規制値を超えてしまい出荷可能な米が収穫できないと予想される農地ができてしまった。

除染すると言っても、汚染されているのは農業に重要な表土部分。削りとってしまえば土作りからやり直しだし、大量の汚染土の処分法も決まっていないから現実的とは言えない(反転法でも土作りの問題は残る)。また化学的にセシウムを分離する方法は、経済性まで含めた有効性以前の問題として、土壌の栄養分や微生物相を破壊してしまうことが懸念される。

なお、微生物によって放射能の減衰を早めることはできない。ひょっとすると菌体内に蓄積するものはあるかもしれないが、菌を回収しなければ意味はないし、回収すれば低レベル放射性廃棄物ではすまないだろう。素人には扱えまい。また土質を大きく変える可能性がある。「微生物で除染」をうたう業者は疑ってかかるべき。

それで、「ナタネでも植えて、油を売りながら放射能の減衰を待つしか無いか」などと考えていた(「油を売る」はバイオディーゼル燃料を念頭において)。

ところがである。話は聞いてみないと分からない。シンポジウムでは複数の演者が「農家は米を作りたい」と強調していた(理由はあえて詮索しない)。そして田圃は耕作しなければ荒廃するとも。

放射能汚染米の用途としてのバイオエタノール


汚染農地で米を作り続ければ汚染米が蓄積される。闇流通を防ぐために国が買い上げるにしても、埋却あるいは焼却するための米生産では農家もやる気が出ないだろう。帝政ロシアでは政治囚を苦しませるために、穴を掘らせて埋めさせる繰り返しという作業をさせたと聞くが、人間は意味のない仕事に耐えられない。

放射能が十分に減るまで倉庫保管という手もあるが、その頃には他所は検出限界下の米ばかりで、規制値未満とはいえ検出されるような米に買い手はつかないだろう。そもそもそんな古古古古古米を誰が食べるだろうか。(食糧難でも来ていれば別)

そこで出てきたのがバイオエタノール。蒸留して得たエタノールに放射性セシウムが入ることは理論上ありえない。とすれば汚染米の用途としてエタノール製造は有望...か?

転換効率とかエタノールの需要とかを考えると、乾燥粉砕して石炭火力発電所の燃料にするのがもっとも効率が高いかも、という考えも浮かんだ。

バイオエタノールの現状


シンポジウムでは先行事例として新潟のグリーンガソリン北海道におけるイネエタノール事業が紹介された。

結論から言うと、エタノールだけでは商売にならない。15000kl(年間)のエタノールの他に籾殻や蒸留後の発酵液まで販売し、それでも経営は苦しいという。しかも汚染米を使えば、普通なら家畜飼料として販売できる蒸留した後の発酵液(DGS)に放射能が残留する可能性があり、この販売は難しい。(どうやら酒粕は絞らず、もろみのまま蒸留するようだ。)

より根本的な問題として、放射能汚染が収束した後のプラントはどうするのか?を考えなければいけない。農家はそのまま燃料用米の栽培を続けるか? 事故が収束すれば補助金投入は正当化できないが自立可能か? 燃料化プラントをたたんだら雇用されていた人たちはどうする? 食用米栽培のノウハウは失われていないか? そしてこれは国家的なエネルギー戦略とも関係する。

言い換えれば、技術の問題ではなくて政治の問題なのだ。総合討論において五十嵐泰夫(東京大学大学院農学生命科学研究科)教授は「国はビジョンと希望を農家に示さなければならない」と端的なまとめを行った。(このビジョンこそが戦後農政にもっとも欠けていたものではないかと考えると、いささか暗い気持ちになる。)

会場には福島から来た人もいて、「たとえ放射能が検出されなくても、福島の米は売れない」と窮状を訴えた。口に入れないものなら受け入れられるかも...とは実に屈辱的な話だ。農家が誇りを持って取り組めるような対策をとらなければならない。簡単にいえば、高値で売れる作物が必要。

バイオ燃料の可能性


原子力発電を断念し、なおかつ化石燃料の消費を削減しようとすればいきおい再生可能エネルギーに頼らざるをえない。その中では太陽光発電ではなくバイオ燃料が有力だと考えている。

理由は、栽培技術は成熟している;火力発電も枯れた技術である;コンバインドサイクルや熱電併給により効率が高くなる;内燃機関の燃料として用途が多彩;蓄積できる、など。

トラクターやコンバインが動かなければ日本の農業は立ちいかなくなろう。そもそもトラックが動かなければ流通がアウトになる。太陽光でトラックが動くか? 昼間しか走れないぞ(バッテリーを使えば夜でも走れるが)

植物体を乾燥させて固体燃料として用いる場合は、火力発電に限定されるが、それでも太陽エネルギーを昼夜を問わず利用できるわけで、太陽光発電より扱いやすいだろう。

液体燃料にしない例としては、サツマイモを乾燥させて燃料にするという構想もある。だがこれは、農家が稲作に執着していると普及させづらいだろう。なぜ、農家は米を作りたがるのだろうか?

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2012/03/11

シマウマ症候群/医学生症候群(用語解説)

ありふれた症状を重篤な疾患と関連付けてしまうこと。

「ウマの蹄音を聞いて、シマウマが歩いていると考える」に由来。アフリカならいざしらず、この言葉ができたであろう欧州においては、パッカパッカという足音がしたら、それはウマが歩いていると考えるのが普通。それをシマウマかもと考えてしまう。

以前は医学教育を受けている学生に多く見られたらしい。それで「医学生症候群」とも(googleではこちらの方がヒットする)。近年はメルクマニュアル医学百科最新のようなウェブやブログ、『家庭の医学』のような書籍、あるいは健康をテーマにしたテレビ番組を見て、「この病気にかかっているかも」と怯える一般人も多いようだ。

もっともジェロームの小説『ボートの三人男』(1889年)の冒頭にも、この描写がある。図書館でふと医学書を紐解いたばかりに、ありとあらゆる病気(ただし、膝蓋粘液腫は除く)にかかっている気になってしまった主人公は、その足で医者へ赴く。話を聞いた医者が処方したのは、ステーキを食って酒を飲み、ぐっすりと寝ろというもの。これによって主人公は〈健康〉を取り戻す。

手漕ぎボート中心だったテムズ川に登場したスチームランチに対し、あの傍若無人な汽笛の音をきけば陪審員も「正当防衛による殺人」と認めるだろうなどと前半では罵倒するのだが、後半になってボートを牽引してもらうと掌返し。これら主人公の態度は現代の日本人にも通じるというか、近代の大衆の典型かもしれない。道具立てが図書館からインターネットに変わっただけで、行動の本質は同じ。

患者側がかかると「小騒動 - #私は家庭の医学で不安になりました」でも指摘されているように、ヒポコンデリー(心気症)である。

映画などには、新人医師がありふれた疾患で大騒ぎするシーンがある。題名は忘れたが、社会奉仕で田舎での診療を命じられた若い医師がドクターヘリを呼ぼうとしたのを町医者が押しとどめ、簡単な施術であっさりと治してしまうとか。

ただし、希少な疾患というのは、珍しいとは言え実在するわけで、それゆえに見過ごされる危険も大きい。20世紀後半、イギリスで天然痘の小流行があった際、多くの医師は見逃してしまい、天然痘と診断できたのは過去に天然痘患者を診察した経験のあった老医師だったという話がある。

『続 推理する医学』には「シマウマのひずめの音」という一章が設けられ、重症筋無力症にかかった女性が、そうと診断されるまでの経過を描いている。多くの医師はありふれた疾患として扱ったが、最後の医師が「これはウマではなくてシマウマ」と看破して患者は救われる(wikipediaによれば「適切な治療によって80%は軽快・寛解し、日常生活に戻れる」、つまり診断が大切)。

だが、こういう話を読むと、また素人は「私は重症筋無力症かも」と思いこみかねないなぁ。

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『続推理する医学』はさすがに古本しかない。

ただし『推理する医学2』として改装版が出ている。

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良心は人をカウボーイにする(用語解説)

出典はサキの「ラティスラブ」。英国伯爵夫人のドラ息子が急にメキシコ辺りへ出奔した。それを聞いた男爵夫人が驚いて「なぜ?」と聞くと「イギリスの諺にあるわね。『良心は人をカウボーイにする』って。」と澄ましている。

正しくはシェイクスピアの戯曲『リチャード三世』からで、カウボーイではなくてカワード(coward)、つまり「良心は人を臆病者にする」。

男爵夫人が、彼に良心があるなんて知らなかったと皮肉を言うと、ほかの人の良心に責められるからなのよ、と泰然自若な伯爵夫人。

息子が逐電したのに落ち着いている事情は冒頭に説明されている。「彼は家中のブラックシープ(厄介者)だった。ただし家族一同かなりブラックがかった一家である。」

それだけの話なのだが、この勘違いが面白く、ついついシェイクスピアの代わりに引用してしまう。


なお、「ラティスラブ」は『ザ・ベスト・オブ・サキ(1)』に収められている。


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2012/03/07

正しくこわがる(用語解説)

「こわい」というのは感情の問題なので、正しいも正しくないもないのであるが、「こわがる」というのは行動の問題なので正誤が存在する。

たとえば山の中でヒグマとばったり遭遇したとする。心臓バクバクで背中に冷や汗となるのは無理もない。だがそこで、一目散に逃げだそうものなら命はない! それは誤った行動。あれば熊スプレーを構えながら、ゆっくりゆっくりと後ずさるのが正しい怖がり方。(もっと正しいのはいきなり遭遇しないよう、鈴を鳴らすなどしながら歩くこと。)

冬山(クマは穴の中で冬眠しているから遭遇する危険はない)に、「穴持たずのクマと遭遇したら危険だから」と鉄製の甲冑を着て登ったらどうなるだろうか。過剰な装備は役に立たないどころか、遭難の危険を増すだけであろう。これも誤ったこわがり方。

恐いと感じる対象を遠ざけたり減じたりする行動は正しいが、危険を招き寄せるような行動は間違っている。

ちなみに「正しくこわがる」とは、寺田寅彦(夏目漱石の弟子で『吾輩は猫である』に登場する水島寒月のモデル)の随筆「小爆発二件」に出てくる言葉。

信州・浅間山が小爆発に遭遇した寺田は「一度浅間の爆発を実見したいと思っていた念願がこれで偶然に遂げられたわけである。」と喜びつつ、「万一火口の近くにでもいたら直径一メートルもあるようなまっかに焼けた石が落下して来て数分時間内に生命をうしなったことは確実であろう。」と自戒している。そして帰京しようと沓掛駅で汽車を待っていたとき、下山してきた学生に駅員が様子を聞いているそばを、4人連れの登山者が山へ向かうのを見る。「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」とさも請け合ったように言う学生。

 ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。

終わりの伏字は戦前の検閲のため。

寺田の目には、大丈夫大丈夫と山へ登っていく人々が「こわがらな過ぎ」に見えたのであろう。今の言葉で言えば〈正常性のバイアス〉。しかしここで「こわがれ、こわがれ」と行き過ぎないところがさすが。

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2012/03/05

チェリャビンスク-65、TMI、チェルノブイリそして福島第一原発

大規模な核事故は4つ知られている。

1957年にチェリャビンスク-65で起きた、高レベル放射性廃棄物タンクの爆発事故(キシュテム事故;「ウラルの核惨事」として知られる)、1979年にスリーマイル島(TMI)原子力発電所2号炉で起きた炉心溶融事故、1986年にチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた爆発事故そして2011年に福島第一原子力発電所で起きた爆発事故。(1999年のJCO臨界事故は国内で初めて死者が出た原子力関係の事故で、被曝者数も667名に上ったが、放射性物質の拡散は起こしていない。)

キシュテム事故は冷戦時代のソ連で起きたため、長い間秘密にされていて、西側諸国が概要を知ったのは1976年に亡命科学者が科学誌に投稿してから。ソビエト連邦崩壊前夜の1989年にグラスノスチ(情報公開)により全容が明らかになる前は話に尾鰭がつき、核爆発が起きたかのようにも語られた。恥ずかしながら私も、断片的な情報を又又聞きして荒涼たる原子野を想像していた。

周辺の住民10,000人が40~500mSv被曝したと考えられており、7,852人について1987年(事故後30年)まで健康調査が行われたが、明確な被曝の影響は見出されていないという。

TMI事故は当時としては最高レベルの原発事故で、直前に公開された映画「チャイナ・シンドローム」で懸念されていた冷却材喪失→炉心溶融が現実に起きたため大きな衝撃を持って受け止められた。

ちなみにチャイナ・シンドロームとは、熔融した核燃料の塊が核反応を継続しながら地中にのめり込み、ついには地球の反対側にある中国に到達するという比喩。岩盤を熔かしながらの落下なら抵抗が大きくて地球の反対側まで達しないし、そもそもアメリカの反対側は中国ではなくてインド洋だ。

周辺住民の大規模避難が行われ、「とてつもない大事故が起きた」と怯えたものだが、事故そのものによる死傷者は0。早期に収束し、炉心溶融が確認されたのがだいぶ後だったこともあり、不謹慎ながら「大山鳴動して...」という印象がある。むしろ避難する住民の中にショットガンを構えた男性が写っていたのが記憶に残る。

チェルノブイリ原発事故もソビエト連邦時代に起きたため、当初は公表されず、西ヨーロッパの放射能汚染で明らかになったという経緯から「今度こそ...」と慄いたのを覚えている。そのころは(も)放射線に対してはろくな知識がなく、被曝といえば広島と長崎の核被害や、そこから想を得たであろう『渚にて』の描写しか知らないから、「文明の終わり」「国は自殺用薬剤を配るかも」とまで考えた。

シュートの小説『渚にて』では、第三次世界大戦で6000発を超える核兵器が使用されて北半球は放射能汚染で全滅、南半球にも徐々に汚染は広まり、もはやこれまでとオーストラリア政府は毒薬を配布し市民は思い思いの方法で安楽死する。映画の終盤では、同盟国を頼って来豪していた米原潜が公海で自沈するために出港し、無人の街は静まり返る。数日前に教会が開いた宗教集会で広場に掲げられた横断幕「きょうだいよ、時間はまだある」(今こそ悔い改めよ)が虚しくはためくラスト。ちなみに愛娘に毒を注射し夫婦で毒を仰ぐ若き海軍士官を演じるのは「サイコ」の印象が強すぎるアンソニー・パーキンス。

「核の冬」(核戦争で舞い上がった塵埃が大気圏上層を覆い、日光が遮られて氷河期が到来するというシナリオ)以前は、核の脅威といえば熱線と爆風そして放射能だった。それも10年後にがんによる死亡が1%増えるなんて生易しいものではなくて、髪が抜け、激しい下痢と嘔吐で悶えながら死ぬ。これは絵本『風が吹くとき』にも生々しく描かれている。ただ、これはシーベルト単位(マイクロでもミリでもなくシーベルト、つまり1000ミリシーベルト、100万マイクロシーベルト単位)での被曝の場合の話。チェルノブイリ原発事故では消火にあたった原発作業員や消防士には見られたが、周辺住民はそこまで被曝していないのでこのような急性の確定的影響は出ていない。

東電福島第一原発事故は次から次へと建屋が爆発するものだから「3度目の正直か」と緊張した。しかし、今度は前2回と異なり比較的身近だったので、妙なカタストロフィー願望には左右されずに推移を見守り、「福島は大変だが、現段階では自分がいる首都圏は大丈夫」という結論に落ち着いている。福島県内にしても、毛が抜けて紫斑が現れ鼻血が出るような線量からは程遠い。こういう核戦争型放射能汚染の感覚では原発災害に対処できないのだが、逆に言うと原発事故では核戦争のような被曝は心配しなくて良いのかもしれない(実際、なんだかんだ言って、福一には作業員がとどまれている。もちろん総員退避が必要になる重大汚染が起きる可能性はあるけれど、避難中の住民がバタバタ倒れるような事態というのは想像の中だけで済みそうだ...←しっかりした数的根拠があるわけではない。)

これは正常性のバイアスだろうか。余震などで福一の制御ができなくなって、再度放射能雲に襲われても「この程度の線量率なら大丈夫」、急性症状が出始めても「ビールを飲んでいれば大丈夫」と、「エリック・ザ・バイキング」のKing Arnulfみたいに呑気に構えているかもしれない。そうは言っても今できることはそう多くはない。県外協力者として福島エートスの活動を支えること、首都圏においては〈今日明日にも血を吐いて死ぬかのように怯えている人〉を落ち着かせるのが優先課題と考えている。

「酒を飲んでいると放射能に耐えられる」は、前記『渚にて』でも紹介されているエピソード。広島市でも被爆後「この世の終わりが来た」と隠していた酒を持ち出して痛飲した人には放射線障害が出なかったという伝説がある。これらをもとに放医研で研究が行われ、動物実験レベルであるがエタノールやビールの保護作用が報告されているが、ピアレビューの雑誌に掲載されていないという批判もある。

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いやなたとえだが、列車の転覆のような大事故が起きて多数の死傷者を救出しようと人々が駆けつけてごった返している中で、僅かな擦り傷しかないのに「血が出てる! 破傷風になるかもしれない! 病院へ連れて行って!」と大騒ぎするのは邪魔でしかない。こういう人が図々しく救急車に乗り込めば、助かるはずの生命が助からなくなりかねない。緑のトリアージタグでおとなしく待っているべきなのだ。ケガをしたのが子供でも基本は同じ。判定はできないが、判定に沿って人を誘導するくらいならできる。

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