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2012/02/20

電源を切っていても携帯電話は鳴る

以前、入院していたときに、病院内だからと電源を落としておいた携帯電話がいつの間にかついていることに気がついた。それも1度や2度ではないのだ。その原因はアラーム(目覚まし機能)。アラームは電源を落としていても動作するのだ(昼休みの仮眠用に振動だけにしていたので起動に気付かなかった)。幸い、周囲には誤動作するような機器もなく、また着信もなかったので「へぇ、そうなんだ」で済ませてしまった。

だが最近になって、そのことがあまり知られていないことに気がついた。たとえば、このブログは、大上段に「アップルの設計思想が間違い」と決めつけている。日本の国産携帯電話(いわゆるガラケー)も同じ仕様ですが。読者コメントも「競合他社の仕様を無視するアップル的な唯我独尊」「電源切るのが常識」などと的外れなものばかり。中に「iPhoneも電源をOFFすれば、アラームは鳴りません」というコメントもあるが、本当だろうか? 

繰り返しておく。携帯電話のアラーム(目覚まし)は電源を切っていても鳴る。これは限られた機種の話ではない(ただし、電源が切ってある場合は起動しないように設定できる機種もある)。コンサートホールなどでの注意は「マナーモードか電源を切って」が多いと思うが、これは「アラームを解除して」を加えるか「バッテリーを外して」とするべきであろう。バッテリーを外すと時計がずれてしまい、自動補正できない機種では困ったことになるが(終演後に時報を流す?)。

ところで緊急速報メールは、マナーモードにしていても鳴動するのがデフォルト(初期設定)らしいが、これは電源を落としていた場合はどうなのだろう。アラームと違って実験するわけにはいかないので未解決の疑問。生命に関わりかねないのだから、電源オフでも鳴らした方が良いと思うのだが。

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ここがおかしい、ベクレルの説明

ベクレルとシーベルト(用語解説)で取り上げたベクレルの説明のおかしなところを説明する。


内部被曝ベクレルは

ベクレルは被曝の単位ではない。また被曝の単位シーベルトは内部と外部を分けない(そのための単位)。
(ベクレルは)細胞を傷つける放射回数の単位

ベクレルは放射能の単位だが、1つの原子(原子核)が放射能を出すのは原則として1回だけ。放射線を出して違う元素の原子核になり、それがまた放射線を出すことはあるが、1つの原子(原子核)がいつまでも放射線を出し続けるわけではない。

生体への影響を見るのに使うのはシーベルトだが、細胞が何個傷ついたかを数えているわけではない。

1日に体のどこかの細胞が 何年も攻撃され続け 壊れる

放射性物質による〈攻撃〉は何年も続くわけではない。原則「ハチの一刺し」と同じで、1回放射線を出すとそれでおしまい。セシウムは2回出す代わりに、なかなか刺さないという性質を持つ(逆にヨウ素131は気が短くてすぐ刺すので1週間ほどで放射能を持つ原子が半減してしまう)。

放射線による細胞への障害は修復される。大量に被曝すると個体死に至るのは、修復や他の細胞によるカバーが間に合わなくなるため。また被曝した細胞ががん細胞に変化しても、免疫系がその増殖を抑えている。かりに治療が必要ながんになっても、それは放射線以外の原因によるがんと違いはなく、同じように治療可能。

惑わされぬよう!騙されぬよう!余計な被曝はしないよう!

「騙されぬよう」とは何の話か? 誰が、どう騙そうとしているのか。「政府や御用学者が、安全と思わせて危険な物を食べさせようとしている」という主張は、政府も同調している学者も危険だとは考えておらず、したがって騙すという意図が存在しないので成り立たない。「政府の主張は間違っている」ということは自由だが、「騙そうとしている」は故意の存在を証明できるまで控えておくのが身のため。

余計な被曝はしないよう!というのは唯一の正しい主張。ただし、過剰に被曝を避けようとして反対側に落し穴がないかには注意が必要。

1ベクレル×1日86400秒=1日 86,400 bq/d

ベクレルに時間をかけたり日数で割ったりするのは意味不明。たとえば半減期が2.5分の核種であれば、最初の測定時に100Bqあったとしても、3分後に測ったときには50Bqを下回っている。180秒で積算するのはナンセンス。セシウムの場合は半減期が長いのでバカバカしさが目立たないだけ。算数のできない子が、問題文に出てきた数字を適当に計算して〈答え〉を出しているのと似ている。

ベクレルの記号はBqと大文字で書く。これは人名に由来する単位に共通。先人に対する尊敬の念がないからこういう書き方が平気でできる、というのは牽制。

/dは「1日当たり」という意味なので、「1日.../d」というのは重複表現。こういうことを平然と書けるのは、自分が何を書いているのか理解していないからではないだろうか。


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あるロー生の試練(君は立派な法律家になれる だろう)

光市母子殺害事件の最高裁判決が出た。この事件についての感想は5年前に書いた通り。

人生を諦めた者に運命は過酷だ。あの世から正木ひろしを呼び寄せても勝ち目はあるまい。いや、真相はわからないが。

つまり、「下手に争うと情状が悪くなるので、ひたすら〈悪うございました〉で頭を下げ続けろ」という一審の弁護方針が裏目に出て、検事上告に対して口頭弁論が開かれる(=原判決破棄確定で死刑の可能性大に)という土壇場での大ピンチ。上告審をはじめに担当した弁護人はまさかの事態に愕然とし、かくなるうえは尋常の弁論では勝てないと安田弁護士に依頼したようだ。この弁護士と一二審の弁護人が同一かは知らない。

主張の当否は判断できないけれど、使える理屈は総動員して被告人を守るのは弁護人の責務だと納得していた。しかしそれが大量懲戒請求事件に発展したことはご存じの通り。

ちなみに弁護人というものは被告人が「私は死刑になって当然です」と言い張っても、なにか有利な事情はないかと探し「どうか温情を」と弁論するもの。昔、国選弁護人が「弁護の余地がない極悪人」みたいな答弁(?)をしたため死刑が確定した元被告人がその弁護士を訴えて賠償金を勝ちとったことすらある。依頼人のために誠意を尽くす義務があるというわけ。

ところが、そうした事情を知らないまま、あるロースクール生が最高裁判決のニュースに気ままなツイートをした。元が削除されているので残された断片から推測すると、殺意はなかったと言い出したことを揶揄したらしい。

で、銛を持ってダイビング中の弁護士の目に止まった。その後のツイートを見ると複数の弁護士から同様のお小言を頂戴したらしい。晒すつもりはないので、検索されないようやや文言を変えると、君は裁判の経過を理解していない、と。確認できただけで3人の弁護士にお詫びのツイートをしているし、相手を特定せず「事実関係を誤って把握していた」と陳謝。

素人であればともかく、法科大学院生がこれでは困るからね。先輩たちが法曹のレベル維持にかける努力に敬礼。(と、法曹でもないくせにえらそーな一言)

一方で、死刑賛成派からも妙なお叱りを受けていた。その一つが18歳1月は少年ではないというお怒り。しかし、これは変だ。変だと思って調べたら、案の定、少年法でいう少年とは二十歳に満たない者。だいたい少年だからこそ、今までずーっと匿名報道だったわけで、人間怒ると理性がぶっ飛ぶ見本のような話。

とにかく本人はひたすら恐縮しているし、具体的な反省もしているので、これは掩護しておいた。もしかしたら「逆らわず頭を下げておけ」という一審の弁護方針の怖さを体感できたのではないだろうか。

青年よ、失敗は誰かが尻拭いしてくれるうちに大いに経験しておくと良いのだよ。今、取り寄せた判決文を汗をかきながら読んだ経験は、君の慎重さを大いに鍛えたことだろう。立派な法律家になっておくれ(もしかしたら10年後に世話になるかもしれない)。

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放射能についての勉強会(2月11日/東京・練馬)

東京電力の福島第一原発事故による放射能汚染は、全国に不安の影を落とした。現段階では、事故直後に覚悟した多数の人命損失を伴う悲劇的大惨事は免れ、また不満タラタラの人はいるようなものの冷温停止状態となって現地は避難解除に向かっている。

しかし広まってしまった放射性物質による汚染に対しては、まだ安心できない人は多い。そして、そういう人に理詰めで説明をしても、なかなか届かないようだ。(実際、稲わらロールや砕石などで〈想定外〉が繰り返されもした。)

KEKの野尻教授らが精力的に進めてきた、放射能を自分たちで正しく測る活動は効果を上げ、線量計を地面に置くような頓珍漢や、雨や雪のたびに観測される天然放射能で大騒ぎする人は減ってきた。

しかしこのガイガーカウンターミーティングを開くには、適当な強さの放射能を持つ標準試料(線源)や校正済み線量計、ときには鉛ブロックが必要で、勢い大規模開催とならざるを得ない。ベクミルなどを使う場合も「全部検出限界以下」では実感がわかないだろう(その実例が無料配信中の鈴木みそ作「僕と日本が震えた日」第5話に)。

今、より必要なのは大規模講習会に出る余裕のない人を対象にした小規模集会ではないか、という声がツイッター上で上がりだした。ひとつには危険を過剰に強調する側がこまめな講演会で賛同者を広げていることへの危機感もあるようだ。今ひとつ真剣さの感じられない政府と、どう見ても煽りすぎの危険強調派の間にあって、適切な警戒感を保つのはなかなか難しいこと。そこで協力することにした。

TMIやチェルノブイリ事故の時、「文明の終わりか」と慄いた経験がある私は、固唾を飲んで事故の推移を見守る反面、初夏の頃には「峠を越えた」という印象を持っていた。それで、どちらかというと「怖い怖いと思っている人と直に対面して、生の声に耳を傾けよう」という目的で準備会に参加した。ところが、何を勘違いされたか、科学的助言役を期待されてしまい、焦っている。

第一回は2月11日に開かれた。いろいろな質問をいただいたので、2,3紹介してみよう。

ヨウ素131とでんぷんを青くするヨウ素は同じ物?


小学校の理科でやった「ヨウ素でんぷん反応」。うがい薬以外でヨウ素なんて言葉が日常生活に出るとしたらこれくらいかもしれない。今なら梅毒には抗生物質ですもんね(ぉぃ)。

おずおずと切り出されたこの質問に対する答えは「その通り」。うがい薬や消毒液に入っているヨウ素と原発から出てきた放射性のヨウ素は化学的には全く同じ。ただ、放射能の有無など物理的性質に若干の差があるだけ。ある程度の量があれば、でんぷん液を紫色に染めることができる。とはいえ、ヨウ素(単体)は他の元素と化合物を作りやすい。化学反応をしてヨウ化物イオンになってしまうとでんぷんとは反応しない。また濃厚なプルーム(放射能雲)が来れば別かもしれないが、200Bq/kgくらいの濃度ではでんぷん液が目に見えて青くなることはないと思われる(ヨウ素でんぷん反応の感度を調べたが分からなかった)。したがって水道水にでんぷん液を垂らしたり、でんぷん紙を軒先にぶら下げたりして放射能を測ろうというのは現実的とは思えない。そもそも原発の外に出た放射性ヨウ素はあらかた消えてしまっており、新たな爆発でもない限りヨウ素を心配することはない。

ちなみに高校時代、化学の教師が大気汚染の研究をしており、オキシダントがヨウ化物を酸化してヨウ素にする性質を利用して大気中の濃度を測っていた。そのヨウ素の量(濃度)を測定するのに吸光度計を使っており、「なぜでんぷんで呈色させないのだろうか」と不思議に思ったのを覚えている。質問はしたはずだが、答えは覚えていない。定量性の問題かもしれないが、あるいは感度が問題だったのかもしれない。まだ存命なので聞いてみようかな...ヨウ素でんぷん反応の感度が分かるかもしれないし。

外部被曝と内部被曝の違い


どちらの影響もシーベルトで同列に評価できる。以上。

内部被曝の方が影響が大きいというのはある意味で正しいのだけれど、シーベルト(Sv)を算出する際にそれはすでに織り込み済み。1000ベクレル(Bq)のセシウム137があったとする。この値はしばらくの間変わらない。そして十分遠くにあるか、遮蔽されていれば0シーベルトと評価される。むき出しで近くまで来るとガンマ線が当たるようになりXシーベルト、飲み込んでしまうとベータ線の影響も受けるのでYシーベルト(Y>X)となる。

舞い上がる土埃の危険性


さすがに毎日おびただしい放射能が降ってくると怯えている人は来なかったけれど、昨年降った放射能が付いている土が春風で舞い、それを吸うのではと心配している方は多かった。関東地方は風塵といって視界が悪くなることも珍しくないし。

この話が出たときは、深く考えることもなくあっさりと否定してしまった。良くない態度なのだが、どうしてだろう。

土埃が舞うのは今に始まったことではない。その昔はマスクなんてなかった。だが、肺に泥がたまって死んだ人間はいない。厳密に言えば塵肺症という病気はあるのだが、土埃で真っ白になって遊んだ子供が呼吸困難で死んだりはしない。なぜか。彼らの鼻くそを見れば分かる。土埃は鼻でトラップされ、翌日までには排除されている。さらにヒトの気管支は内面が粘液で潤されている上に、線毛というものが生えていて、これが常に外に向かって波打っている。だからたいがいの埃は呼吸の途中で取り除かれてしまう。煙くらい粒子が細かくなると肺の奥まで入ってしまうが、入ったものが全部沈着するわけではない(もしそうであれば冗談に言う「タバコは吸ってもいいが、煙は吐くな」そのもので、喫煙者がこれほど嫌われることはなかっただろう)
だから、鼻くそを食べたり痰を飲み込んだりする癖がなければ、土埃と共に入ったセシウムは体内にとどまらない。飲み込んでしまったら? セシウムは土に強く吸着しているらしいし、そう大した量にもならないと思うので、怯える必要はないとは思うが、「手洗いとうがいは励行」「鼻水は紙でちゃんとかむ」「鼻くそは食べない」「痰は紙に吐く」をしつけておくことは放射能と無関係に有意義である。

生体の異物排除機構を説明したら、皆さんがあまりに晴れやかな顔をされたので驚いてしまった。ちょっと楽観的過ぎたかと心配になるくらい。自分たちが土埃の中で遊んで元気に育ってきたという経験と共鳴したのだろうか。こういう説明が大切だ。


なお、マスクの着用にも2つ注意をしておきたい。マスクは鼻と口を覆わなければ意味が無い。また花粉やウイルスもそうだが、汚染物質はマスク(表面)にたまる。毎日同じマスクをしていくのは防除として有効性に劣る(マスクが線源になる)し、不適切に取り扱えば1日かけて集めた汚染物質を室内にまき散らすことにもなる。こんなことは常識だと思いたいが、ガンマ線を長袖で防ごうとしたとんちきからして、あながち杞憂とは言い切れない。

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カーソル事件(用語解説)

後に『知の欺瞞』にまとめられた、ソーカルによる醜聞暴露ではない

2012年1月に東京で降雪が見られた際、雨や雪で空中の天然放射能が集められて空間線量が上昇するありふれた出来事を「大変! 放射能が高くなってる!!」と懲りもせずに騒いだ人達がいた。

その際、「振り切れるほどのピークがありますよね?」と示されたのが、カーソル(グラフ上の位置を特定するための補助線のようなもの)であったという笑い話。

顛末はtogetter上にまとめられている。

それだけならば、「ああ、勘違いでした。f(^^; 」で済む話なのだが、勘違いの主は一向に反省することなく、線量が高くなったのはビスマスのせいと言うがそのビスマスは原発由来ではないのかとか訳の分からないことを言い続けたため、とうとうカーソルさんという渾名を奉られてしまった。

その壊れっぷりは次のツイート(内容自体は他人のウェブからの引用だが自分のオリジナルのように振舞っている)にもよく現れている。

”ミリ” という単位は毒劇物法の "毒物" の概念規定とされています。  投与した動物の半数が24時間以内に死ぬか、あるいは48時間以内に半数が死ねば毒物としての扱いとなってます。この単位が ”ミリ” です。毒性が発揮される単位として ”ミリ” が使われるのです。

この人はミリメートルとかミリバール(今はヘクトパスカルを使うけれど)とか聞いたことがないのだろうか。それにSI接頭辞を単位だなんて...もっともkgやkmを〈キロ〉ということがあるから、ミリを重さの単位と思い込んでいても囃し立てるのは傲慢か。

ちなみに上記の毒物の定義は誤り。いい加減な人というのは底なしにいい加減なのだろうかとため息が出てくる。

この一連の騒ぎの一部または全部をさしてカーソル事件と呼ぶ。しかし、この分では第二次カーソル事件、第三次カーソル事件...と続きそうである。



こちらは「ソーカル事件」について知りたい人向け。
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2012/02/12

ベクレルとシーベルト(用語解説)

東京電力の原発事故(2011)から間もなく1年が経つ。ところがツイッター界隈ではいまだに次のような誤解が流布されている。

内部被曝ベクレルは 細胞を傷つける放射回数の単位
1日に体のどこかの細胞が 何年も攻撃され続け 壊れる
惑わされぬよう!騙されぬよう!余計な被曝はしないよう!

1ベクレル1秒間に放射能放射線が細胞を傷つける放射数
1ベクレル×1日86400秒=1日 86,400 bq/d
100ベクレル×86,400=1日 8,640,000 bq/d

この短い文章の中に、ざっと見ただけで実に5つもの間違いがある(ベクレルはBqであってbqではないといった形式的なものも含めるが、「内部被曝ベクレル」「放射能放射線」という謎の用語は無視)。

とりわけ見過ごせないのは、ベクレルは細胞を傷つける単位という点。生体への影響度を示す単位はシーベルト!

ベクレル(Bq)とシーベルト(Sv)の説明は、ネットにいくらでも見つけられるが、正統的なところで『理化学辞典』(岩波書店 4版)に当たると、次のように書かれている。

ベクレル[becquerel]放射能のSI単位で,記号はBqで,A.H.ベクレルにちなむ.毎秒の崩壊数が1個であるときの放射能の量を1 Bqと定義する.

シーベルトについては、電離放射線の線量当量のSI単位とそっけないので、線量当量を見ると次のように説明されている。


放射線の生物学的効果を共通の尺度で表す量で,吸収線量と修正係数の積で定義される。


まとめると、ベクレルは放射能の強さの単位で、その放射能が生体にどれだけ影響を与えるかはシーベルトを単位として考える。それゆえに内部被曝も外部被曝もシーベルトで尺度を統一して危険性を考えることができる


ベクレル→シーベルトは、体内に入るベクレル数に核種ごとに異なる係数をかけることで計算できる。〈陰膳方式〉で一食分が測定された場合は別だが、食材のベクレル数は1kgごとになっているから、実際に食べるグラム数への換算が必要。もっとも政府による規制値は、その点も考慮されている。

だが、この単純なことがなかなか理解されない。NHKの才媛、小野文恵アナですら2011年暮れの放送(「ニュース深読み」)で、ベクレルとシーベルトの違いが分からないと発言したらしいから無理も無いのか(よく分かっていない視聴者への「分かってないのはあなただけじゃない」というサービス発言かもしれないが)

そこで、いくつかの比喩を考えてみた。ただし、比喩はあくまでもたとえであって、ある面の理解を促す一方で、誤解も招来する可能性も持っている。その点に注意して読んでもらいたい。

「地震におけるマグニチュードと震度」説


上記「ニュース深読み」で出てきた説明。実はこれ自体、誤解の多い単位なのであまり筋が良いとは思えないのだが、大震災の後で理解が進み「ストン」と落ちるかもしれない。

ベクレルはマグニチュード、シーベルトは震度

一つの地震でも、場所によって震度は様々。震源からの距離が大きければ震度は小さいという一般則は、「線源から離れればシーベルトは下がる」の理解を助けるだろう。

地面すれすれに線量計を近づけて「大変大変」と騒ぐのは、そこに長時間寝っ転がるのでなければあまり意味が無い。ちなみに震災前(2010年)に玉川温泉で線量を測った人のブログを読むと、放射能を期待して岩盤浴に来た人は2.2μSv/h超の値を示されて満足した由(その後、7μSv/h超を計測してブログ主も喜んでいる)。

これの難点は、核種による違い(アルファ線もガンマ線も、1秒間に1つの原子核が壊れて出てくるなら同じく1Bqなのであるが、生体への影響は月とスッポン)を理解しにくいこと。

「電球と明るさ」説


電球の明るさ(W)は同じでも、その電球で照らされたある場所の明るさ(lx)は、電球からの距離によって異なるという比喩。

ベクレルはワット(またはルーメン:白熱電球と蛍光灯は消費電力では比較できない)、シーベルトは明るさ(ルクス)

だが、これはシーベルトではなくてグレイの説明に向いている。また「マグニチュードと震度」と同じく核種の違いを理解しづらい。電灯の明るさをルーメンではなくて出力(W)で考えると、同じベクレルでも影響が違うのは、同じワット数でも蛍光灯と白熱電球とLEDとで明るさが違うようなものと説明できるが、かえって混乱を招くような...

「お酒と酩酊具合」説


実はこれがお気に入り。

ベクレルは瓶に入っている酒の量、グレイは飲んだ量、シーベルトは酩酊具合

酒は飲まなければ酔わない。しっかりと栓をしたウイスキー瓶なら子供が触っても問題ない(落として割るなどの心配はあるが)。同様に、厳重に遮蔽してあればギガベクレルだろうがヨタベクレルだろうが怖くはない。実際、いま騒いでいるのをはるかに上回る放射能が原子炉の中に封じ込められ、われわれは安穏と電気を貪ってこれたのだ。

酒をどれだけ飲んだかに相当するのがグレイ。しかし同じ量でもビールとウイスキーでは酔い方が異なるように、放射線によって影響が異なる。そこで出てくるのがシーベルト。グレイの値に放射線荷重係数を掛けて出す。ガンマ線は1だが、当たれば体への影響が大きいα線は20。つまりガンマ線やベータ線はビールで、アルファ線はウイスキー。ちなみにJCOの臨界事故で2人を死なせた中性子線は焼酎みたいなもの(エネルギーによって5-20)。

なお、全身被曝(実効線量)と局所被曝(等価線量)がどちらもシーベルトを使うので混乱しやすい。2011年3月に福島第一原発で作業員が3シーベルト被曝したが、これは等価線量で、生命に別状はない。

また同じエタノール量でも飲み方によって酔い方は異なる。一升の日本酒を一気飲みすれば生命に関わるが、10年かけてペロペロ舐めたのなら、事実上酔わないだろう。シーベルト(Sv)とシーベルト毎時(Sv/h)はどちらも「シーベルト」と言われることが多いと思うが、区別したい。「全身に10シーベルト被曝したら助からない」のシーベルトは一気飲みの方。


これをいうと、「ごく少量の酒なら酔わないにかこつけて、NLTLNT仮説に反対する気だな」とお怒りになる方が出てくるかもしれない。防御の姿勢として「微量の放射線でも悪影響があると仮定して対処する」のは正しいと思います。また、酒の影響というのは自覚とは別にあって、それを調べる試験で少量の酒を飲んだ剣道の達人が大学の剣道部員にぼろ負けして男泣きしたとか、運転シミュレータなどで反応時間を調べたら「大丈夫」という自覚とは裏腹に対応は遅れっぱなしだっとか、そんな話は結構あります。ちなみに一晩寝て、覚めたつもりでも酒が残っていることはありますから、運転をされる方はご用心。旅客機の乗務員規定は12時間前から禁酒だそうです。

難点は、同じベクレルでも影響が異なることが納得できる反面、「エタノールに相当するものは何?」「ワインを蒸留したらブランデーになるみたいに、放射能が強くなることはある?」という誤解を招くかもしれないこと(比喩の本質的欠陥)。また市民測定が始まった当初、ベータ線を測定した値がガンマ線としてシーベルト換算されて高い値になったことが理解しにくくなる(組織への影響度ではなくて、検知管の感度を考慮して補正計算するため)。


酒に強い人がいるように、放射線にも強い人はいるか? というのは、興味深いテーマではあるが、比喩で考えるのは入り口までにしておくのが賢明であろう。もちろんたとえば遺伝子の修復機能の高い人というのはたぶんいる。この人達が放射線の確率的影響を平均よりも受けにくいと考えるのは合理的。逆の、修復機能の弱い人は確実に存在していて、重い例では日光に含まれる紫外線によるDNAの切断を修復できず、少しの日光でもひどい日焼けを起こす病気がある(色素性乾皮症)。この病気を知ると、いかに遺伝子の修復機構というものが凄いか実感できるであろう。なくなって初めてそのありがたさがよく分かる。なお、気の弱い人、食事および就寝前には画像検索しないことを強く推奨。


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2012/02/09

引用(用語解説)

自己の作品中に、別の作品を利用すること。

他人の創作物を引用することは、形式的には複製権等の侵害になるけれども、創作における引用の重要性から、著作権法は第五款 著作権の制限において、「私的使用のための複製」「図書館等における複製」に続けて、第32条で次のように引用を認めている。

第三十二条  公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2  国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。

ポイントは以下の通り。
第32条の条件を満たせば、他人の著作物を無断で複製できる。
条件としては、引用されるのが公表された著作物であること、引用が公正な慣行に合致すること、そして目的上正当な範囲内であること。

なお、同法第48条には、引用の場合は「著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならない。」とあるので、出所(出典)を明らかにしなければいけない。


この著作権法上の引用を狭義の引用と称し、広義の引用なるものが存在するかのように主張するものもいるが、それは無断複製/違法複製である。

引用にまつわる誤解



×引用には許可が必要

引用は無断で行うものなので、「無断引用禁止」はナンセンスである。

×引用は一言一句正確でなければならない

正確に利用すべきなのは当然であるが、状況に応じて外語を国語に翻訳する、漢字をカナに変えるなど変更は認められる(第43条および公正な慣行)。

パソコン通信時代に見られた「改行位置変更しました」はほとんどの場合、意味はない。

切り貼り細工によって主張されていないことが主張されているように見せかける行為は、著作権の侵害よりは名誉毀損で訴えた方が確実であろう。なぜならば、著作物の読み取り方を強制することはできないから。

△引用は全体の半分まで

「引用は全体の半分以下に収める」という巷説は、引用部分が主になってはいけないという主従関係説(最高裁判例)と、図書館における利用者への複製は「公表された著作物の一部分(発行後相当期間を経過した定期刊行物に掲載された個々の著作物にあつては、その全部)」に限るという規定(第31条)を混同した疑いが強い。

そもそも判例はマッド・アマノを被告とするいわゆるパロディ写真事件であって、判決文の中に「半分以下」などとは書いていない。画像の場合、単純なハメコミ合成なら面積で計算しようと思えばできるかもしれないが、〈半分〉の定義が厄介。テキストの中にただ一点ある画像が引用だった場合はどう考えるのか?

×引用する側も著作物でなければならない

現行法には「利用することができる」とあるだけで、旧法(明治三十二年三月四日 法律第三十九号)のように「自己の著作物中に」とは定められていない。

×私信も引用できる

公表されていない私信の著作権は制限されない。手紙を引用する場合は著作権者(ほとんどの場合は発信者)の許可が必要になる。学術論文の文献に「personal communication」(私信)というものがあるが、これを認めている雑誌でも規定には許可を得ることが定められているはず。

×手のかかった作品は許諾を取るべき

そのような慣例をもつ業界もあるかもしれないが、裁判所では通用しない。ただ、〈業界の秩序〉を乱したことに対して、村八分的な報復が行われることは考えられる。なお、この村八分も、個々が契約の自由を行使した結果に留まるうちはまだしも、示し合わせての排除だと、場合によっては独占禁止法等に抵触することもあるだろうから要注意。消費者の自発的ボイコットであれば問題はない。

著作権法第32条とは関係の無い引用


著作物でないもの、著作権が消滅した著作物を引用する場合は、上記の規定は関係しない。ただし歴史上の人物の著作を自作として発表するような行為には、著作権とは別の面で、強い非難が寄せられると考えた方が良い。著作物ではないデータも、剽窃すれば強い非難を浴びる。研究論文でこれを行うと、国によっては公的研究費の差し止めや返還といった処分を受けることもある。マッシュアップと称して他人のデータを利用する場合は注意が必要。

孫引き


出典に直接当たらず、引用しているものを引用することを孫引きという(曾孫引き、玄孫引きなども孫引きで統一)。学生がやりがちなのは、書籍の文献欄に書かれていた出所を、そのまま自分の卒論に文献として書き写してしまう行為。

孫引きには2つの面から問題があり、論文執筆においてはご法度とされることが多い(分野によっては孫引きと明記することで許容)

第一に、端的に言って「見ていない資料を見たように書く」わけであるから、これは捏造(Fabrication)である。捏造(Fabrication)・改竄(Falsification)・盗用(Plagiarism)のいわゆるFFPは研究者にとって命取りになる。素人が権威(と思っている)の研究を引き出して口角泡を飛ばしている場合もこれが多い。とはいえ、ニュートンの原著を読まなくても古典力学は論じられるわけで、そこは表現次第。

科学論文は引用された回数で評価されるが、ある時期、世界で最も引用された論文(=世界一優れた論文)はSDS-PAGEの原報だったという笑い話もある。ローリー法やサザンブロッティング法の原報もよく引かれたであろうが、今なら『生化学実験法』や『細胞工学実験プロトコール』で済ませられる。(マキサムギルバート法の原報が最後に引用されたのはいつだろう?)

第二に、功利的に考えても孫引きには危険が伴う。第一引用者が誤解しているかもしれないし、出典を間違えているかもしれない。俗謡に「親亀こけたら...皆こけた」とある通り。また、こういう例も考えられる。Aが測定をして10という結果を得た。Aは10では不足と考えて「10しかない」と論文に書く。Bはその結果を引用しつつも、5もあれば十分という考えから「Aの測定では10もあった」と書く。これはセーフ。しかしCがAの論文を見ないで「Aは10もあることを見出した」と書くと、Aから「そんなことは書いていない!」とねじ込まれる可能性がある。

基本的には原典に当たること。

ツイッターの場合


ツイッターでは公正な慣行についての合意はまだ形成途上ではないだろうか。そこで若干の考察を行う。

ツイッターには1ツイートが140字までという制限がある。そのため、ツイート中に引用をする場合、出所を明示するスペースが足りなくなることが多いと考えられる。この場合、当該ツイートでは引用であることを示し、前後のツイートで出所を明示するというのが現実的解決ではないかと思う。ハッシュタグを併用すればひとまとまりとして表示することも容易。

なお、1ツイートがまるまる引用である場合に、引用符(「」や“”)の使用などで引用であることを明示しないと、本人のオリジナルであるという誤解を招く。

またツイート自体も著作物になりうるので、ツイートを引用する場合も出所の明示が必要になる。幸い、各ツイートには固有のURIが付与されている。ツイートに引用する場合は、公式リツイートや返信を使うとオリジナルツイートを容易に特定できる。一方、QTとも呼ばれる非公式リツイートは、(クライアントアプリによっては)元のツイートとのリンクが切れてしまうことがある。さらにQTでは引用部分の編集が可能で、字数調整などが可能になる反面、意図を歪めるような悪質な操作ができてしまうという問題を抱える。実際に改竄が行われた事例も報告されている。良い子は真似をしてはいけません。

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