訴えられた〈自炊〉代行業者
書籍をスキャナで読み込んで電子書籍を〈自作〉することを〈自炊〉と呼ぶ。
- 書籍雑誌の置き場所が足りない
- しかし捨てられない(また読みたい/使うかもしれない)
- とっておいても探し出すのに苦労する
電子化によって、上記の悩みは解決する。原理的にはかなり前から構想されてきていたが、スキャナの性能向上とコンピュータのディスク容量増加によって容易になった。
一方、携帯情報端末での閲読が実用的になったことから、「好きな場所で好きなときに読みたい」「全部を持ち歩きたい」が現実的になってきた(音楽ではiPodによってすでに実現している)。蔵書すべてをいつでも持ち歩けるというのは極めて画期的。「無人島へ行くのに一冊だけ持っていくとしたら」という質問は意味をなさなくなる(最高の一冊を選ぶという行為には意味は残る)。
もっともプリミティブな方法は雑誌または書籍をスキャナで読み込み、画像またはPDFファイルで保存・閲覧する。
しかし書籍のコピーをとったことがあれば分かるように、きれいにスキャンするのは意外に難しい。特にのど(本を閉じている側)に影や歪みが生じやすい。また数百ページを読み込むのに、機械のそばで開いてスキャンしてページをめくってを繰り返すのは重労働。
そこで書籍を解体してページをバラバラにし、ドキュメントフィーダ(原稿送り装置)を使って読み込む方法が開発された。そうすると必要な道具は、断裁機とスキャナ。Amazonの2011年売れ行き年間ランキングを見ると、文房具・オフィス用品のトップはなんと断裁機である。
しかし数が中途半端な場合、断裁機を買うほどでもないが、かといってカッターで切り裂くのも面倒というジレンマに陥る。また書籍にはセンチメンタルバリアがあって、初めの一刀を加えるのは敷居が高い。
スキャナも、大量高速処理機を購入すれば、自炊終了後は持て余してしまう。
そんな需要を見込んで登場したのが代行業。本を送りつけるとデータ化してディスクに入れて送り返してくれる(断裁した本の扱いは業者によって異なり、返却するところと返却せずに処分するところがある模様)。1冊100円程度なので、百冊の単位(個人蔵書としては並)であれば数万円で電子化できる。最大のメリットは書棚の整理効果。特に「どこにあるのかわからない」状態に陥っていた場合は顕著。
この自炊代行業者の登場は、最初は話題になったが、いつの間にか雨後のタケノコ、報道によればすでに約100社あるという。
その代行業者が作家から訴えられた。「私の本をスキャンするな」と。
法律の条文を見る限りでは作家側に理がある。書籍の多くは著作物である。著作物を複製するには原則として著作権者の許可がいる。著作権法ではいくつか例外を設けており、自炊行為そのものは私的使用のための複製(第三十条)として認められるものの、これは「その使用する者が複製することができる」という限定があるので、業者による複製行為(スキャン)は該当しない。
なお、以前考察したように、企業など法人においては私的使用のための複製は認められない。しかし「だから違法です」で終わらせるのは頭が悪すぎる。需要はあるのだから、法律を改正してでも、著作権者の権利を擁護しつつ合法化の道を探るべき。例に挙げた新聞の切り抜きは、別途料金を払うことで合法的に社内回覧が可能になる(たとえば朝日新聞の「企業・団体・官公庁などでの新聞記事の内部利用について」参照)。
電子化するために原本が断裁されているから複製ではないという意見もあるが、問題となっているのは中身であって本という物体ではないから無理がある。仮に読み込んだ本を破棄すれば、複製ではなくて移動という主張もなされるかもしれないが、おそらく法的には通用しない。なにしろ「コンピュータに表示させたら、その時点でメモリの中に複製されている」なんて議論がある世界なのだから。
だが疑問もある。
まず問題になるであろうと思わえるのが訴えの利益。前述したように、個人が自分で自分が買った本を解体して電子化することは法的に問題ない。書籍は正当に購入されており、著者には応分の利益が保証されている。たまたまスキャンするのが読む本人ではなく業者ということで、いったいどういう不利益が作家側に生じるだろうか。
代理人もそこは考えたようで、訴えは差し止めに絞ってある。賠償を求めるためには損害を証明しなければならないからだ。
しかし、である。本人には認められている行為を、業者が代行することでどんな不利益が生じるであろうか。これは「みんなやってる」という子供の言い訳とは話が違う。著作権法が私的複製に、家庭内かそれに準じる範囲とか本人が複製するとか公衆用の自動複製機器は使えないとか制限を設けているのは、借りてきて手軽に複製する行為が蔓延したら売上にも影響すると考えたからだろう。繰り返すが、自炊の対象はすでに購入されている。逆立ちしても売上に影響をおよぼすことはない。
売上への影響を懸念するなら、ブックオフなどの古書店の方がよほど影響がある。しかしそんなことを言い出したら、個人蔵書の学校への寄贈とかまで問題になってしまうではないか。それは文化の発展に寄与することを目的とする著作権法(の精神)に反する議論だと言いたい。
ある古本屋が最寄り駅に出した広告は「活かせ古本! 広がる文化!!」だった。子供には「
2番目の疑問は、実は自炊そのものが嫌いなんでしょ?という点。法律的に自炊そのものを問題にできないので、形式的な違反を突いてきた。そういう、浅ましいというか心卑しいというか、なんとも言えない不快感を覚える。
ついでにいえば、私的利用のための複製は「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器」を使ってはいけないのだ。つまりコンビニのコピー機で本や雑誌をコピーする行為は本来保護されない。ただし現在は著作権法附則第五条の二により経過措置が設けられている。法律というのは実状に合わせる必要もあるのだ。コンピュータに取り込んで利用するという発想のなかった時代の規定なのだから、現代的に「自己の所有物は自由」とか「原本を破棄する場合は自由」と条文を改めても良いと思う。なお、昔買ったCDをリッピングしてからリサイクルショップに売るのは自由(仮に問題があったとしても取り締まりは困難)という点も忘れないでほしい。
会見を報じた記事では自炊行為そのものへの嫌悪感も表明されている。
会見場に置かれた裁断済み書籍について、林さんは裁断された書籍について「本という物の尊厳がこんなに傷つけられることはとんでもないことだ」、武論尊さんは「作家から見ると裁断本を見るのは本当につらい。もっと本を愛してください」と話した。
「林さん」というのは林真理子。「ところがこういう業者がハイエナのようにやってきて不法なことをやっている」と感情的。こういう喧嘩腰の物言いは「(再販制度のために年間1億冊が裁断されていることに目をつむった)あさましいポジショントーク」という反応を呼び起こす。
また電子化したファイルがネット上で流通するおそれも指摘し、「依頼者が電子ファイルをどのように使うのか、業者はそれを確認する措置をとっていない」ことも問題視している。
これも代行業者とは無関係。個人が断裁機とスキャナを用意して、ブックオフから二束三文で書い集めて電子化して公開する方がダメージは大きいと思うが、それは代行業を提訴しても防げない。分かってるのだろうか。
断裁された書籍がオークションで売られているなど、作家側がカリカリするのにも理由はある。100円程度でそれらを購入し、家庭用スキャナで読み取ってから再度オークションに掛けられでもしたら新刊の実売に影響が出るかも、と考えるのは分かる。
しかし、いかにも取って付けた理由という感じがする。規制を要求するならオークション事業者が相手ではないだろうか。
それに、電子化して手元に置きたいと思うのは、あえていえば愛読者だ。一読したら(あるいは読みかけで)電子化もせず、したがって断裁もしないが、そのままブックオフへ売ってくれる方がありがたいのだろうか?(電子書籍化によっていわゆる絶版がなくなれば、古書店は歴史的使命を終えたと言えるだろう)
自炊というのはやってみると分かるが、手間はかかるし、出来栄えはいまいち(斜めになる/ゴミが写る/モアレが出る)だし、あくまで正規の電子版が出るまでのつなぎという感じ。それなのに、自炊の技術ばかりが進化していくというのは
法律の条文だけ見れば原告に理はあるが、とても不幸な形式主義の発露に見えてならない。
| 固定リンク
コメント