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2011/08/10

ひろしま忌2011

また8月6日がやってきた。原爆の図丸木美術館が存続の危機といわれた2005年に友の会に入会して以来、開館記念日ひろしま忌には努めて訪問するようにしている。

しかし今回はいつになく気が重かった。今年の開館記念日に既にうっすらと感じていた反核運動へのもやもやが、より明瞭になる予感があったから。

もっとも丸木美術館は反原爆の老舗ではあるが、埼玉の奥地までいかがわしいにわか反原発がわざわざ来ることはそう多くはあるまいという期待もあった。(それだけの行動力があれば信頼できるという見方もあるけれど、行動力抜群が仇になっている勘違い正義漢というのも実在するのだ。)

かき氷屋のテント

結論から言うと、例年よりやや賑やかになった感じはあるものの、いつもどおりの老人集会(失礼!)で安堵した。とはいえ若いボランティは以前から居たはずだが、今回はずいぶんと目についた。そして、燈籠の並べ方一つにしても統率が取れていないというか指揮系統の不在を感じさせられたけれど、小規模な美術館行事運営であるうちは大きな問題にはなるまい。揃いのシャツに号令一下のキビキビとした行動というのは、頼もしさもある反面ある種の危うさを感じさせる。

広島忌の集いでは、その学生ボランティアの一人が発言をした(主催者曰く「年寄りばかりという批判があったから」)。ツイッターにも紹介したが、彼女は要旨次のような話をした。

自分は貧乏学生なので、服とか欲しい物があってもすぐに買うことはできない。
そこで買いたいものがあると、封筒にその名を書き、日々100円200円とミニ貯金をして購入資金にしている。
お金が欲しいからと言って犯罪に走るようなことはしない。(ほとんどの若者も同じだ)
しかるに分別あるはずの大人が「電気が足りないから原発は必要」とはなんたることか。

生活感の裏付けがある意見には説得力を感じる。このリアリティの前には「在宅で人工呼吸器を使っている人は」とか「クーラーを控えて熱中症に」とかは影が薄い。なんといっても無い袖は振れないのだ。どうしても振りたいから振袖姿の娘さんを襲撃する、というのは人の道に反している。

犯罪に手を染めないにしても、ヤミ金融から高利で借金をすれば待っているのは破滅。原発というのは高レベル放射性廃棄物という金利を抱えた闇金のようなもの。金利のややましな合法消費者金融が、借り手が破綻しないように年収の1/3以上の累積貸付をしなくなったのに「だってお金は必要」「面倒な手続きなしですぐにお金を渡してくれる」ってな理屈で闇金に手を出すと痛い目にあう。(深刻な事態になる前に当座は状況が好転したように見えるのも怖いところ。)

とはいえ、私は脱原発についてはやや悲観的。「原爆も原発も同じ」には、スローガンとしてはともかく、無理なものを感じる。戦争における毒ガス使用の禁止は国際的な合意に至ったけれど、毒ガス研究から派生した有機リン剤の廃絶は難しい。おお、反原発の人は反農薬の闘士でもあることが多いな。これは火に油を注いだか。

それなら核戦争の準備として始まったインターネットはどうか? モルヒネは根絶されるべき悪魔の薬なのか? ロンドンを空襲したV2の末裔たるロケット開発は止めるべきか? 航空機の発達も軍事と密接不可分だが、これも悪魔の技術なのか? この季節、お世話になることの多い虫除け(ディート)は戦争の副産物だが何か?

昔、原子核と細胞核にかけて、「核兵器も遺伝子操作も、核に手をつけるのはイクナイ」ととくとくと語った人がいるが、即座に「伝統的育種も細胞核に手が加わっている」と突っ込みを受けていた(そもそも合法夫婦の間で行われる受精自体がヒトの生殖細胞に対する遺伝子注入に他ならないではないか!)。比喩は気がきいていればいるほど、ずっこけた時のみっともなさは大きい。

(放っておけば自然に起きることもあるウランの核分裂連鎖反応に比べ、原子核に別の原子核をぶつけて新しい原子を作る加速器のほうがよほど自然の摂理に反しているが、これに対しての批判は寡聞にして知らない。)

原爆被害を受けた日本だからこそ、原発に希望を見たというのは、理屈としても感情としても筋が通っているように思う。弟を死なせたニトログリセリンを安全なダイナマイトとして制御することに成功したノーベルのように。(それが戦争目的で使われたことに悩んでノーベル賞を、とはよく聞く話だが、ニトログリセリンって爆弾として使われるもの?と思って調べたら使われたらしい。)

中庭に並べられた灯篭
てなことを考えていると大変居心地が悪いのだが、幸いなことに集いは早々と終わり灯篭流しへ。

水面にアプローチできる手前の水路は流れがほとんどない
都幾川は今年も灯篭流しに冷淡。本流は雨の影響で深くて流れが早いのに、前日にボランティアが草を刈って作った場所は水位が下がってほとんど流れがなかった。

流れに浮かべられた灯篭

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2011/08/09

噛み合わない質疑

専門家が答える暮らしの放射線Q&Aというサイトがある。東電福島第一原子力発電所の事故で人々が抱いた放射線への疑問・不安に対して日本保健物理学会の会員を中心とした有志が答えている。

非常に精力的に回答されているのであるが、どうも空回りをしている観もある。

先日イベントの為に東京の下北沢に行ったのですが、西日本にある自宅に帰ってから友達に言われて心配になり、世田谷区内の町中の放射線量を調べたら、私が行った日は0.48μsvもありました。

その日は6時間ぐらい外に居たのですが私も関東の人達みたいに被ばくした可能性はありますか。

多分通った公園とかならもっと高いと思います。親や友達からは、放射能が溜まってるから髪を切れとか病院で検査して来いとまで言われたんですがその必要はありますか。

あと東京とかは観光やお金の為に情報を隠している可能性はありませんか。
ホットスポットと公表しているのは1都2県の田舎地域だけだけど、東京で計測してる人達のを調べたら、公園や学校以外でも、町で普通にホットスポットや福島ぐらいの凄い数値がどんどん出てます。

都が発表してるのと全然違うじゃないですか。はっきり言ってすごく腹が立ってるし本当のことを知ってたら東京なんて絶対行きませんでした。

この問いには3つの質問が含まれる。

1.私も関東の人達みたいに被ばくした可能性はありますか。
2.放射能が溜まってるから髪を切れとか病院で検査して来いとまで言われたんですがその必要はありますか。
3.東京とかは観光やお金の為に情報を隠している可能性はありませんか。
3-1.東京で計測してる人達のを調べたら、都が発表してるのと全然違う(東京都は意図的に低い数値を発表していないか)。

ところが回答はというと、
関東の人のように被ばくしたというのは行き過ぎた質問だ
関西の方が関東よりも、外部から受ける放射線量は1年間当たりおよそ0.3~0.5ミリシーベルトも高い
全食物から摂取する内部被ばく線量は1年で0.8 mSv程度と評価されている

そして「これらの量と比較した上で、危ないかどうかを判断して頂ければと思います」。これは「あなたは被曝の危険性を過大評価している」と言っているに等しい。

さらに続けて、聞きかじりではなく体系的な知識の習得を薦め、大学か専門学校の教科書レベルの専門書を読むか、聴講生などで大学で学び直せとまで書いている。

行間から回答者の苛立ちが伝わってくるけれど、おそらくこの〈回答〉では納得は得られないのではないかと危惧する。

まずもって、質問に答えていない

仮に私が回答者ならば、
私も関東の人達みたいに被ばくした可能性はありますか。
いいえ。西日本は一般的に関東よりも自然放射能が高いので、東京にいることで被曝量は低下したと推定されます。

放射能が溜まってるから髪を切れとか病院で検査して来いとまで言われたんですがその必要はありますか。
ありません。身体についた放射性のチリなどは洗髪・入浴などで落とすことができます。親御さんやお友達と一緒に、味噌汁で顔を洗うことをお薦めします。なお、側溝の泥などをなめたりした場合は内部被曝の可能性はありますが、泥をなめたのが東京滞在中に限られるのでしたら、野菜と水を多めに取る生活を続ければ放射性セシウムがあったとしてもじきに体外に排出されるでしょう。

東京とかは観光やお金の為に情報を隠している可能性はありませんか。
→東京都が公表している線量は実際に計ったものより意図的に低くされているということはないでしょう。そんなことをすると、仮に低線量被曝による健康への影響が発見された場合、実際よりも低い線量で影響が出たように見えてしまうからです。
逆に言うと、不正確な計測や何らかの思惑を持って実際よりも高い数値を公表する人たちは、「××ミリシーベルトまでは影響が出ない」という目安を作る際、その値を不当に上げてしまいかねない行為をしていると言えます。(本当は50mSvだから何の影響も見いだせなかったのに、「ホットスポットで100mSvだ」と騒いでいたために、「100mSvでも影響はない」という誤った結論に...もちろん国や国際機関は怪しい民間計測の数値を取り入れたりはしないでしょうが)
なお、公表されているのは普通空間線量といわれる、γ線の値です。これは気温を測定するときに風通しの良い日陰の温度計で計るのと似ています。日なたに置いた自動車の中やボンネットを計って「60℃だ、80℃だ」と騒いでも、その日の最高気温とはみなされません。


そもそも、この質問者は本当に被曝のことを心配しているのだろうか。本当に心配しているならば、被曝した場合、健康障害を防ぐにはどうしたら良いか?という質問にならないか。ところが質問者は、親や有人から「髪を切れ」「病院へ行け」という助言を受けながら、これに従いたくない風に見て取れる(「必要ありますか」と否定を期待するような聞き方)。

もう一度質問を見てみよう。最後の「本当のことを知ってたら東京なんて絶対行きませんでした」に尽きるようだ。「本当のこと」をどうやって知ったのか分からないが、とにかく質問者の中には怒りが渦巻いている。

こういう場合は、持ち出されている疑問もどきに回答しても納得される期待は薄い。質問に見えるのはただの思いつき。いわゆる〈でもでもだって病〉の疑いがある。

また放射線に対して漠とした不安は抱えているようだが、それを理詰めで否定されても気分は晴れない。

たぶん、「下北沢のイベントは楽しかったですか。行って良かったですね。」から始めないと通用しないのではないか。ほとんどカウンセリング。実に面倒臭い手がかかる

面倒臭いからここは、「少々神経過敏になられているようです。有馬温泉にでも行って静養されてはいかがでしょうか。」と答えるのがベストだろうか? (関西原子力懇談会のサイトにある温泉から放射線を見ると三朝温泉や池田鉱泉もいいかもしれない。東日本の人なら増富鉱泉で決まり。)

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2011/08/02

「僕と日本が震えた日」(第2話)のオチに苦笑

先日開かれたガイガーカウンターミーティングを紹介したおかざき真里さんの漫画「お母さんのためのGCM講座体験談」の中に「内容は鈴木みそ先生の漫画で」というセリフがある。それがルポ漫画「放射線の正しい測り方」。おかざきさんやいまいみほさんの作品が「こういう会に行ってきました」(これはこれで大切)なのに対して、放射線測定の方法について詳しく解説している。ちなみに3つの漫画に描かれる野尻美保子さんは同一人物とは思えないほど異なっているが、ご本人の談によれば鈴木画が一番似ているとか。(私はいまい画の方が感じが出ていると思う。おかざき画は...)

さて、その鈴木みそさんは東日本大震災を題材に「僕と日本が震えた日」という漫画を描かれ、第2話までがWebコミックとして公開されている。

その第2話は出版業界の受けた震災の影響。紙が足りなくなった(石巻にあった製紙工場が被災した)とは聞いていたが、インクの不足も深刻だったらしい(元編集者としてぞっとしたのは、電力使用制限令の影響で、印刷機の運転がシビアになり「1ページでも遅れたら雑誌ごとまとめて後回し」という状況になっていることで、締切りが48時間も早くなるには、思わず出版界に戻っていないことを感謝してしまったり)。また委託していた商品が流されたり水をかぶったりで売り物にならなくなってしまったのも深刻な事態(ここで委託販売制度の解説が入り、佐々木俊尚が『電子書籍の衝撃』などで「本のニセ金化」と呼んだ自転車操業も描かれている)。

それが全部流されてしまった! これを「神様の万引き」と絶妙な比喩で表現。それに対して電子出版が希望の種という展開が用意される。たしかに電子出版なら、どこかにデータが残っていればアッという間に〈増刷〉できる。端末1台で無制限に書籍を読むこともできる。紙に縛られていた出版が、紙が流れたことを奇貨として電子出版に...と調子よく話が進むわけではない。続きは是非comicリュウのサイトで読んでほしい(紙版も出るようなので購入してもらえるとなお良い)。最後のページは(笑いすぎて)涙なくしては見てられない。

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