« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011/06/21

〈ひかり〉と〈のぞみ〉のどちらが偉い?

新幹線の話。

〈ひかり〉は1964年に開業した東海道新幹線の特急列車。当初は最高速度210km/hで東京-新大阪間を4時間で結んだ。〈のぞみ〉は東海道・山陽新幹線の特急列車で、当初(1992年)の最高速度は270km/h。今では東京-新大阪間を2時間半で結ぶ。格で言えば〈のぞみ〉の方が〈ひかり〉よりも上である。速いだけでなく料金も高め。

しかし、営業最高速度300km/hの列車なら東北新幹線にもある。世界にはもっと速い営業速度の列車もある。だからJRも〈一番早い特急列車〉を目指してはいないだろう。

一方の〈ひかり〉。これは登場したとき夢の超特急ともてはやされた。名称も「世界で一番速い」を気取っている。未来はどんどん良くなると素朴に信じていた時代に、それ以上がないてっぺんの名前をつける神経は大したものだが(二昔前のテレビの商品名には「◯王」と最高位を強調したものがあり、後の製品はどうするんだろうと心配していたら、紆余曲折を経て現在は訳のわからないカタカナになっている。)、実は東海道新幹線は世界初の高速鉄道だったのだ。

以前にも書いたが、〈一番〉には2つの意味がある。書き換えられるものと書き換えられないものとだ。〈一番速い列車〉はいずれ書き換えられる。技術上の限界に達してもブレイクスルー(たとえばリニアモーターカー)で霞んでしまう。今どきプロペラ飛行機の最高速度に興味のある人はそう多くはあるまい。一方〈一番先に有人動力式飛行機を飛ばした〉ライト兄弟の名前はおそらく小学生も知っている。それに比べればジェット機の発明者さえ影が薄い。

当初「今どき蒸気機関車の最高速度に興味のある人はそう多くはあるまい。一方〈一番先に蒸気機関車を走らせた〉スチーブンソンの名前はおそらく小学生も知っている。それに比べれば電車の発明者さえ影が薄い。」にしようと思ったが、調べてみると蒸気機関車の発明者はトレビシック(←知らない人)と分かったので、前の記事につなげて飛行機を例に出した。

将来、教養レベルの歴史に残るのは〈ひかり〉であって〈のぞみ〉ではないだろう。もちろん〈のぞみ〉の開発者が目指していたのは〈飛行機に対抗できる列車〉であったはずで、快適性や利便性(たとえばwifiの導入)の向上が図られているのはありがたい。もし、〈世界一速い列車を目指します〉だったらどうなっていただろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/06/16

ガイガーカウンターミーティング0611 に行ってきた(続)

前回のエントリーは愚痴モード全開になってしまったので、反省しつつミーティングの紹介と感想。

まず全容はUStreamで見ることができる。

また関連ツイートはTogetterにまとめられている。ただし余計なツイートを多く含み大変冗長。

それから第三部で絶賛されていたのが野尻さんのブログ「東北紀行(1) ガイガーカウンターを持って福島へ」。

(2011/7/14 補足) 参加した人が分かりやすく漫画で紹介している。

おかざき真里「お母さんのためのGCM講座体験談」

「ガイガーカウンターミーティング」レポ


私なりに要点を纏めると以下の通り。

  • 放射線は、測定機のボタンを押せばそれで測れるわけではない

  • 測定機にはそれぞれ目的があって作られている(目的外に使用した値は信頼できない)

  • 微小線量を測るには不向きな測定機がある(実際より高い値を表示する→東京のように線量値の低いところで高めに出て心配のもと)

  • 東京電力の人間も放射線分析が分かっていない(38Cl騒動のお粗末:装置が表示する数字を右から左に発表)

  • Svを出すには放射線の種類が特定されている必要がある(γ線を前提に計算)

  • 1回測って数値に一喜一憂すべきではない(何度も測っていると〈読み〉が可能になる)


...いやいやいや、「だから素人が手を出すもんじゃない」は結論から除外。今回は素人でも紛いなりにも意味のある測定ができるようにするためのミーティング。(素人とは放射線測定の素人の意味。理学博士でも医学博士でも、その意味の素人はゴロゴロしている。)

正しく測るために


個人的な見解も交えて纏めると以下のようになる。

  • 取扱説明書をよく読み、そこに書かれている通りに使用する
    • 本マニュアルが外国語で、日本語の説明は紙1枚のような物は要注意

    • どこが検知部かを理解する

  • 測り方はいつも同じにする(自分で手順書を作ると良い)
    • 測定機の向きによって値がどう変わるかなど機械の特性を把握する

  • 放射線が少ないと分かっているところでどのような値を示すか確認しておく
    • 厚いコンクリート壁で囲まれた場所や地下は少ないと考えられる

  • 値は測定を始めてから時間を置いて読み取る(待ち時間は取説に書いてある筈だが、見つからない場合は数値が安定するまで待つ)

  • 複数回測って平均値を求める

  • 日を置いて測り直す(一喜一憂しない)
  • モードの切り換えスイッチが分からないものは、検知部をアルミ板(厚さ2mm程度)で覆って、値が変化するかをみる(変化しなければγ線測定モードなのでシーベルト換算して構わない)
  • 日時と測定場所や天候も併せて記録する
  • 測定値を折れ線グラフにまとめてみる
  • 公式発表や他の人の測定値と比べてみる

まぁ、ここで畳水練をしても意味ないわけだが(私自身も線量計は持っていない)。

それにしても野尻(猫)さん、使う言葉が一般向きじゃないし、β線とγ線をなんども言い間違えるのは、お疲れとはいえ困ったもの。しかしながら測定機を指して「この子」と呼ぶのは微笑ましい(?)

あと野尻(猫)さんの発言にしばしば出てくる「けっく」「けーいーけー」とはKEKすなわち高エネルギー加速器研究機構のこと。今回こちらから精密測定済みの線源が提供されたことで参加者の線量計を較正することができた。

また東京大学からは大量(300kg)の鉛ブロックが提供されたことで、環境放射線を遮断した状態を実現できた。(銀行で両替すると10円銅貨を塊でもらえるから代用になるかも。10万円で45kgと地金で買うより3倍ほど高いが、用が済んだらまた両替できるのが利点。もっとも最近は両替手数料を取られるのか...)

提案


前のエントリーにも書いたけれど、自分で線量計を持って計測するというのは、実は良い教育法かもしれない。他人の測定値と突き合わせれば
、そうひどい間違いもしないだろう。

前回は不満ばかり書いてしまったが、専門家の指導を受けられた今回の試みは非常に有意義であり、主催した八谷和彦さんの労を讃えたい。

次回はちゃんと測った場合と自己流で測った場合の値の違いを実感できるようブラインドでコンテスト(競技会)にしたらどうだろうか。規制を受けるほどではないけれどホットである(放射能がある)ことが分かっている茶葉とか汚泥焼却灰も持ち込んで(これらを市中で入手できる線量計で測っても何も出ないことを実感してもらう)。

それから模範的測定を実演してもらい、最後にもう一度(大きくズレてしまった人を中心に)測定して太鼓判を押してもらう。そうすれば地域・家庭に帰っても安心して測定できる。

またこの手の講習会の需要を考えれば、講師養成も真面目に考えるべきだろう。

印刷して配布できるレジュメの準備は必須。

はは、また要望という名の苦言がポロポロと。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2011/06/15

放射能の呪い

611ガイガーカウンターミーティングについて書こうとすると、どうも私は「分からないことに大騒ぎしてもしょうがないでしょ」的になってしまう。そこで、それはしばらく寝かせることにして、書きながら気がついた〈放射能の呪い〉について先に。

放射能の呪い〉とは、科学的な事実とは離れて、市民の間に定着してしまった放射能のイメージのこと。

放射能は魔法なのか


あまり詳しくはないけれど、映画を例に見てみよう。まずはアメリカ映画「放射能X」(1954)。これは核実験による放射線の影響で巨大化したアリが人間を襲うというパニック映画。巨大化したからってアリが人を襲うとは限らないんですけどね。それも放射能の影響?

続いて言わずと知れた「ゴジラ」(1954)およびそのシリーズ。これも核実験の影響を受けた生物が人間を襲うという設定。映画ごとに設定が異なるが、核実験による放射線の影響で巨大化し、かつ口から炎を吐くようになったという点は共通。口から出ている炎は放射線なのか放射性物質なのかはSFファンなら一度は論じたことがあるのでは? ちなみに当時は「放射能を吐く」と言われていたと記憶するが、activityを吐くというのは実に謎。もしかするとゴジラが吐いていたのはなのだろうか!? このように放射能は理屈の介入を許さない、摩訶不思議なマジックワードになっている。

わからない人のための解説:放射能とは放射線を出す性質のこと、放射線を出す物質(=放射能を持つ物質)が放射性物質、放射線とは放射性物質から出てくる電磁波や粒子線。この説明が円環を形成していることに気づいた人はえらい! 一般には放射能は放射線と放射性物質の両義で使われていた。しかし311東京電力原子力発電所事故以来、政府は放射能という言葉を使わず、正しく使い分けているようだ。

アメリカに戻って「戦慄!プルトニウム人間」(1957)およびその続編「巨人獣」(1958)。放射能Xやゴジラから一歩進み、〈放射能〉は人間に直接の悪さをするようになる。放射線を浴びた人間が巨大化して暴れだすのだ。

基本的なことだが、放射線を浴びて起きる突然変異は次世代以降にしか現れない。その点でもこれら〈巨大化〉はおかしい。

最後にちょっと変わったところで「美女と液体人間」(1958)。これは第五福竜丸事件をモチーフにしていると考えられるが、いま思うととんでもない差別映画。水爆実験で被曝した漁船員が、その影響で液体化し人間を襲うようになるという怪奇映画。最後は警察に追いつめられて皆殺しにされてしまう。漁船員は本来被害者であるのに、いつの間にか加害者、しかも化け物扱い。安部公房は、液体化させられてしまった漁船員の視点で作るべきだったと批判している(wikipediaにも「劇中に液体人間の視点からの描写はなく」とある)。それはともかくとして、この映画で放射能は怖いという思いを強くした人も多いのではないか。古い映画ではあるがテレビでも放映されていた。

以上4つはいずれも核実験による放射能汚染をモチーフにしている。核戦争に対する恐怖心を持たせたいという意図があったのかもしれない(たぶんそうだろう)が、正確さを犠牲にして恐怖ばかりを煽るこの手法が、結果として核に対する理解を妨げてしまったのではないだろうか? 

もちろん核兵器を〈強力な爆弾〉としか描かない脳天気な映画が溢れる中でよく頑張ったといえなくもないが。

最近はマジックワードの地位をDNAに奪われてしまったようだが、それでも新しいところでは、核兵器ではないけれどγ線(放射線の一種)によって人が怪物化してしまう「ハルク」(2003)がある。

映画ではないが、放射能が魔法と同等に扱われている例としてiMacやiBookにバンドルされていたゲームOtto Maticが挙げられる。このゲームには三角フラスコに入った緑色の液体を飲むと巨大化するという設定がある(レベル6)。解説を見るとDrink radioactive potions to grow to 50ft tall!(放射能を一服すると身長50フィート=約15mに巨大化)と。ちなみに巨大化するのは生物ではなくてロボット! 舞台設定が1957年なので取り入れたのかもしれないが...このおかしさは「南無阿弥陀仏を唱えると身体が大きくなって銃で撃たれても傷つかない」に等しい。

放射能の呪い


放射能の呪い〉、それは科学で扱うべきものが魔法の世界に送り込まれてしまった、つまり放射能にかけられた呪い。

そう考えると被曝者や被曝を疑われた東日本大震災避難民への不当な扱い、風評被害、奇想天外な様々な流言も理解できる。科学的につじつまの合わない行動をして平然としていられるのは科学の対象とは思っていないから。

この呪いを解くことはできるだろうか? 忌み嫌われた結核やハンセン病(これも相矛盾する〈遺伝と伝染〉が患者を差別するのに都合よく使い分けられていて、遺伝学や感染症学は出る幕がない...)への露骨な差別が影を潜めたのは、病気自体が制圧されて〈恐ろしさのリアリティ〉を失ったからだろう。残念ながら放射線障害はまだ出てもいない状態でこれだから、〈恐くない〉は無力だろう。

一所懸命に〈放射線ホルミシス仮説〉を強調している向きもあるが、パーティントン夫人のモップの観がある。セシウムなら◯◯温泉にある!と叫んだら、◯◯温泉に閑古鳥が鳴きかねない。(◯◯温泉は日本有数の名泉だが、影響が出ると悪いから敢えて名を伏す。なにしろ療養地として有名だったガラパリ(記事ではグアラパリ)も「フクシマより放射線量が多い」と報道されてから客足が遠のいてしまったそうだから。)

また強い放射線を不用意に浴びれば有害なのだから、〈恐くない〉は好ましくない。適切に用心し、かつ過剰には怖がらないバランスが要求される。

呪いは解けるか


いま恐れられているのは放射能ではなく、放射能に一見似てはいるが実は別物の〈呪われた放射能〉だというのが私の仮説。だから放射線についての知識を増しただけでは恐怖から解放されることはないのではないか。なにしろ現在の知識では〈よくは分からない〉ことも多々あるし。

知識の外部注入は説得であって、納得をもたらすとは限らない。

してみると、線量計を手にして継続してあちこちを測ってみるというのは、本当の放射能を理解する良い方法と言えるかもしれない。初めのうちこそ大騒ぎをするかもしれないが、何日か経てば落ち着くのではないか。危険を煽りたい人は〈正常性のバイアスだァ〉と言うかもしれないが。

「もし女子高生が線量計を手にしたら」はターゲットが異なりすぎるから、「ひとりでできるもん!(放射線測定編)」とか「はじめての線量測定」あるいは「できるかな(放射線測定編)」や「しまじろうと一緒に放射線測定」のようなビデオを作って、子供と一緒に見ていただくのが効果的か。最終的に無頓着なお父さんは子供からも叱られるわけだが。「お父さん、タバコからはα線が出てるよ!」とかね(子供がα線線源を検出できるようなら希望はある)。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2011/06/13

ガイガーカウンターミーティング0611 に行ってきた

東京電力原発事故による放射性物質汚染の広がりが人々の不安をかき立てている。公式発表とは別に、自ら線量計を買い求めて身の回りの放射線を測る人も増えてきているが、果たして正しく測定できているだろうか? そんな懸念の声も聞こえてくる。

放射線にはアルファ(α)、ベータ(β)、ガンマ(γ)の3種類があるということは知っている人でも、それぞれ測り方が異なることは知らないのでは? たとえばγ線のみを計測する機械(モード)にβ線が飛び込むと、シーベルト(Sv)換算値が多めに歪められてしまう。

とはいっても、もはや「素人は引っ込んでろ」は通用しにくい状況。なにしろ公式発表は低めに抑えられている、高い値は隠されているという陰謀論すらジワジワと広がっている。

(この陰謀論も稚拙というか素朴なもので、たとえばストロンチウム(Sr)検出の公表が遅いといきり立つけれど、90Srの分析法を見ると、土をすくってきて機械に入れたらすぐに値が出るというものではなく、面倒な抽出操作を加えた上に2週間以上放置という操作が必要なわけで、公表が遅いのは必然であって、ほとぼりがさめるのを待っているからというのは的外れとわかる。)

そこで、「はじめてのガイガーカウンター」のような啓発ビデオを作り、正しい測定法を周知させ、草の根測定を有意義なものにしようという動きが出てきた。そのひとつと思われるのがガイガーカウンターミーティング

(ガイガーカウンター(GC)とは、正確にはガイガー・ミュラーカウンター(GMC)というべきで、数ある放射線計測器の中の一形式。放射線の数は測るけれど種別や強さは問わないという特徴がある。市販の線量計にはGMCではない、別の原理を使ったものもあるが、今さらそれを言ってもペダンチックにしか聞こえないだろうからガマン。「星の彼方、ジェットの限り」はあり得ないという鉄腕アトムへの批判が非力...と思って調べると、なんと「宇宙空間ではロケットに切り替わり」という設定がぁぁぁ、wikipedia恐るべし。...ぉぃ、マッハ20すなわち6.8km/sじゃ遅すぎるぞ。)

第一部は線量計を持っている人対象で、放射能既知の線源(複数種)を測定して違いを見るのが目的。線量計を持っていないのでパス。ちなみに事前申し込み制

第二部は「ガイガーカウンターでのなるべく良い測り方講座」 という一般向け講習。事前申し込み不要だが有償(1000円)。ただし〈お父さんお母さん用割引〉では500円(小学生以下無料)、また線量計持参者は無料。

第三部は菊池誠×野尻美保子×野尻抱介の鼎談。事前申し込み不要だが有償(1000円)。

それとは別に簡易校正会やポスター展示も行われる。

午前中に錯覚美術館に寄ってから、時間的余裕を見て13時少し過ぎに会場へ到着。ところが予期せぬというか、予想以上の事態が待ち構えていた。人が多すぎて何がなにやら分からない。スタッフらしい人を捕まえて聞いてみると、第二部の受付はまだ始めていないという。廊下の隅で待っていたが14時を過ぎてもなんのアナウンスもない。オープンスペースに設置されたモニターでは隣部屋の第一部を映しているが、まるで終わる気配がない。と、廊下にいつの間にか行列ができはじめている。慌てて並んだが、しばらくすると線量計持参者優先という案内。1階(会場は地階)でも中継画像を見られるというので上がってみたら場所が分からない。戻ってスタッフらしい人に聞くがやはり分からない。しばらくしてスタッフに案内されて、1階の奥の奥にある部屋に案内してもらった。地階よりは空いている、という読みは当たったけれど、椅子が10脚もない状態で立ち見。予定時刻を30分ほど過ぎて漸く始まったけれど、今度はやれポインタがないのなんのと不手際の見本市状態。おまけに音声が途切れ途切れで聞くに堪えない。もしかしたら地階の中継は音がまともかも、と戻ってみると、それは当たったけれど、椅子は相変わらず満席で後ろで立ち見。展示会の人たちは中継におかまいなしに賑やかで実にストレスフル。さらにいらだたせるのは、今日日ご法度であろうハロゲンランプとおぼしきスポットライトが各所にあって眩しい、暑い。

でもまぁ、急ごしらえのボランティア企画だから、円滑な運営に積極的な協力ができないならせめて邪魔にならないようにとガマン。一番いけないのは、ただでさえアタフタしているスタッフを捕まえて怒鳴るなどして混乱に輪をかけること。また参加者同士のトラブルも迷惑行為。それでもさすがに隣で大声で立ち話をしている◯◯には「出て行け」と穏やかに言ったところ、思い当たるフシがあったのか恐縮して声を潜め1mほど移動してくれた。これは他の聴衆の役にも立ったかな。

払ってもいない1000円で客気取りは醜怪だが、主催者にも反省してもらいたい点がある。まず参加見込み人数の読み誤り。第一部は事前申し込み制なのだからこの状態は容易に予測できたはず。もちろん1階に別会場を確保するなど努力はされている。だが会場内での告知体制が不足していた。放送かわかりやすい掲示板を用意すべきというのが第二。第三に運営スタッフは(出展者と区別できる)腕章なり帽子なりゼッケンなりをつけて目立つべき。一番目立つべきは責任者。あと細かいことだけれど、ハッシュタグ(#611GC)は案内に載せてほしかった(面と向かって言わなくてもツイートすれば運営に、すぐにではなくても伝わる)。Wi-Fiが開放されていればもっと良かった(最近こればっかり)。

さて本題。当日の模様はUSTで見ることができる。しかし内容について触れだすとまた長くなりそうなので一旦クローズ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

錯覚美術館

先日のNIIオープンハウスで聞いた杉原厚吉教授講演「不可能立体と不可能モーション-錯覚から見えてくる「見る」ことの偉大さと危うさ-」で紹介された錯覚美術館へ、土曜日に外神田で開かれたガイガーカウンターミーティングに参加する前の時間を使って行ってきた。

外階段踊り場に出されている美術館の看板 on Twitpic

美術館と言ってもJST,CREST 「数学」領域、「計算錯覚学の構築」の成果を公表する明治大学の施設。運営費も研究費から出るため潤沢とは言えず、週に1日、土曜日だけの公開になっている。この5月にオープンしたばかりなので、googleストリートビューで建物を見ても気配すらない。

事前に杉原教授による見どころをチェックしていなかったため入り口ドアに仕掛けられたロゴなどは見落とした。

雨の日にもかかわらず、結構な入館者がいて、熱心に見ていた。断り書きは見当たらなかったけれど、確か撮影自由・触っても可というおおらかな方針(だったはず)。幸運にも杉原教授に解説をしていただいた。錯視を計算するというのが斬新。

たとえばツイッターで時折見かける、文字列による錯視。上の2行は右下がり、下の2行は右上がりに見える。もちろん実際には平行。

斜めに見える文字列

素人考えでは、〈十〉の横線は〈一〉の横線よりやや高く、また〈同〉の最上位横線は〈窓〉や〈会〉のそれよりもやや高いので、これらが右下がりの印象をもたらす。ところが錯視成分を計算により抽出し、元画像から消去すると同じ文字列にもかかわらず、今度は平行に見える。実に不思議。是非とも現物をご覧いただきたい(Zone F の文字列傾斜錯視)。

この錯視はデザイナー泣かせだそうだが、逆手にとって視覚効果に利用することもできるだろう。フォントを変えると効果がなくなることもあるらしい。

ハイブリッド画像(Zone C)も不思議だった。二つの画像を重ねあわせると別の画像になったり文字が浮き出てきたり。

女性の顔
猿の顔

2つを重ねる(途中)
文字が現れる:This is a secret message

いろいろな専門分野にかかわってくるけれども、そんなことは抜きにしても眼は案外アテにならないを実感するだけでも楽しめる。お薦めスポットの一つ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

NIIオープンハウス2011

国立情報学研究所の一般公開NIIオープンハウスへ2日に行ってきた。

国立情報学研究所の入り口。オープンハウスと書かれた横断幕。

お目当ては基調講演の「不可能立体と不可能モーション-錯覚から見えてくる「見る」ことの偉大さと危うさ-」と「ネット時代の世論形成」そして行き掛けの駄賃で市民講座「医療を支えるセンサーネット-健康を見守る最前線のセンサー技術とは?」

「不可能...」は錯視を利用してありえないような立体を作ること。そこに動きを加えることでありえなさを際立たせるのが立体モーション。

百聞は一見にしかずで代表作(第6回ベスト錯覚コンテスト優勝作)「何でも吸引四方向滑り台」(反重力滑り台)を見てほしい。種明かしをされてもなおありえない光景が眼前に展開される。

(このコンテストは、予選こそピアレビューによるが本選は観客の投票によるお祭りで、杉原厚吉教授は客受けを考えてコスプレでプレゼンするなど大いに楽しまれたそうだ。そんな受賞だがNature電子版に掲載されたために研究予算を取りやすかった、とやや誇張気味に語られた。ちなみに連続優勝を狙った第7回はあっさり予選落ち。)

これは図形をコンピュータに理解させる研究の副産物だという。理解度を試すためにいろいろな図形を見せる中に不可能立体の投影図を入れておいたところ、〈そのような立体は存在しない〉という結果が出ると思ったらあっさり受容する。調べてみると、人間は思い込みで投影からありえない立体を想像してしまうが、冷静なコンピュータは数学的条件を満たす立体を構築できていた。

過去にも奥行き不連続のトリックや曲面のトリックを使い、ペンローズの三角形のような不可能立体の3次元化は行われてはいた。反重力滑り台はそれらとは異なる原理で実現している。そして計算によって同じような不可能立体を作り出すことができる。

それらを実際に製作し、明治大学錯覚美術館としてこの5月から展示している。ただし土曜のみの開館。展示を見る際の注意は、片目で見ること! この制約はスケールを大きくすることで解消できるので、将来は不可能立体建築を実現したいと。

何でも吸引四方向滑り台は柱の長さを誤認させることで成立しているが、柱のないものも作れる。それを発展させたのが落ちないかまぼこ屋根

反重力滑り台のような不可能立体は、モーション(動画)なしにそのありえなさを理解するのは難しい。本筋からは離れるが、ビデオを簡単にネット(やローカルコンピュータ)で閲覧できるようになったことも影響しているのではないだろうか。

次が「ネット時代の世論形成」。小林哲郎助教は東日本大震災を切り口に、ネット上で社会的リアリティ(何を正しいと感じるか)がどのように形成されるかを分析。東電原発事故ではリアリティが共有されなかったと結論づける。その原因としては、ネットユーザーが〈こだまを聞くようなメディア環境〉にあったことを指摘する。

この〈自分の聞きたい情報だけを収集する〉傾向は、検索時代における〈タコツボ化〉として以前から指摘があり、それに対して佐々木俊尚は「それはあり得ない」とキュレーション論を展開しているが、正直納得しているわけではない(『キュレーションの時代』を読まないとならんな)。

ツイッターではフォローする相手によって自分の閲覧するタイムラインが決まるため、自分と似たような人ばかりフォローしていると、そのタイムラインはまさに〈こだまを聞く〉ようになってしまう。ポジティブフィードバックだ。しかし私自身がそうしているように、異なる見解の持ち主をフォローしている人も多いのではないだろうか。(半分は「わー、こんなバカ言ってるよ」と嘲笑し「それにひきかえ私は」と悦に入るためだが)

アメリカの有権者は、このこだまを好んで聞く傾向がより強いという(そういう環境にある)。社会がニッチなイシューで小さくまとまり分断化されると、全体としての意思決定が難しくなる。

とはいえ人はシングルイシューで生きるわけではない。ツイッターでもフォローの基準は、趣味・仕事・地域...と様々だ。そこにタコツボ化を防ぐブリッジの可能性がある...のだろう。

最後の市民講座までは時間があるので発表を見てまわる。「裸眼立体視ディスプレイの研究動向」ではいくつか方法があるということは分かった。気になるのは、元になるデータの作成方法(撮影方法)は共通なのだろうかということ。「言葉が表す「意味」とは何か?」はコンピュータに言葉を理解させる研究(だと思う)。「興味深い研究ですね」が意味するのは純粋な賞賛の場合もあるし、「難しくてワカリマセン」の場合もある。人間でさえ時には間違うのだから難しいだろう。論文のような素直なものなら、同じキーワードを使っていなくても近い研究を見つけ出すなどは比較的容易かもしれない。「協力的な社会を作り出す評判情報とは?」は実にキョウミブカイケンキュウデス。2つの意味において。(^^; またガイドブックには載っていないが、本の連想検索や自炊電子書籍のテキストと外部情報の自動関連付けなど興味深い研究もあった。

それにしても情報研の研究テーマは実に多彩。くらくらすること請け合い。

19時からの「医療を支えるセンサーネット」は、オープンハウスとは独立の市民講座の一環。

演壇前に陣取る文字通訳チームと大型スクリーン

なんと聴覚障害者のために「文字通訳」が用意されている。要約筆記ではなく、ほぼ話した通りのまま文字で表示される。

講師はうっかり医師だと思っていたら、そうではなかった(講師紹介をちゃんと読め)。どうりで喫煙を擁護するわけだ。さすがにそうは言ってもタバコは身体に悪いと認めていたが、肺がんの原因はタバコではない、大半は誤嚥だというのは本当だろうか。帰ってからググッてみたが、そんな話はとんと引っかからない。情報学研究所としてどう考えているのか、とねじ込もうかしら。

閑話休題。iPodやiPhone(あとアンドロイド携帯も)は〈いつも身につけているセンサー〉として機能する。これで血糖値や体重まで計測できたらさらに用途は広がるだろう(でもどうやって?)。

続きを読む "NIIオープンハウス2011"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2011/06/07

新しい?学部

「一文字の学部を考えるように言われた心理学者渡邊芳之(@ynabe39)さんが考えたら最終的にネタ化した」にまとめられているように、先日タイムラインに(既に散々放散多様化してはいるが)新しい学部名を考えるというツイートが流れてきた。

品位に関わるので詳細は書けないが、とあるツイートに触発されて、既存学部の文字を変える方向に独りスピンアウトした。(昔からこういう駄洒落系が得意)

140字では語りきれないので、元のツイートがふぁぼられていたのを記念して、追補を試みる。


いがくぶ


消化器専門の胃学部
入試は12年に1度の亥学部
訓詁学専門の遺学部
当たるも八卦当たらぬも八卦の易学部


かせいがくぶ


太陽系第四惑星を研究する火星学部
徹底した徴税を追究する苛政学部
川の浄化を研究する河清学部


きょうようがくぶ


カリキュラムが極めてハードな強要学部
独自のキャンパスを持たない共用学部


こうがくぶ


伝統分野をキッチリ勉強させる硬学部
学習院にある皇学部
修身を学ぶ孝学部
入口を学ぶ口学部
出口を学ぶ肛学部
社会主義理論の産業応用をめざす紅学部


しがくぶ


終末期医療を研究する死学部
文学部から独立した詩学部
メディア研究のかつての牙城、電子化に背を向ける紙学部


しょうがくぶ


エンターテインメントを研究するshow学部
整理統合される消学部
火薬を研究する硝学部


しんがくぶ


全員が大学院へ進む進学部
学費が高いのに留年が多い辛学部
偏差値40以下で入学したが見違えるようになって卒業する伸学部


のうがくぶ


みっちり勉強する濃学部
ぜんぜん勉強しないNo学部
高次神経系専門の脳学部
タコツボ化する嚢学部
炎症反応を研究する膿学部


ぶんがくぶ


研究領域を果てしなく細分化する分学部
口承文学に特化した聞学部


ほうがくぶ


コンピュータの原点は弾道計算だの砲学部
ハチを研究する蜂学部
行き場のない連中の吹き溜まり崩学部


やくがくぶ


お祓いを研究する厄学部
翻訳家を養成する訳学部
設置基準を満たさない約学部
高地での牧畜を研究するヤク学部


りがくぶ


陰謀論とは一線を画する裏学部
遊んでいても卒業できる離学部
里山を研究する里学部
鳥取大学と千葉大学が元祖を争う梨学部
消化器感染症研究の痢学部
公務員を目指す人のための吏学部


(こんなことしてる場合か?>自分)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »