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2011/02/15

(電子)書籍がタダになる可能性

先に、電子書籍になって書籍が安くなると言っても、せいぜい半分だろうというエントリーを書いた。本体価格1000円の本を例に、まず印税が100円(10%)かかり、仮に制作作業をすべて作家本人がやったとしても(この場合、作家の取り分は実質減少する)、さらに配信や決済の費用が必要だから当面は半額という推定。すると「1/10になる」と主張していた方からメールが来た。私信なので無断公表ははばかられるが、ご都合主義的にねじ曲げたと思われないために、あえて原文を示すと次のとおり。

作家の村上龍が起業した電子書籍会社では、著者の取り分は40%だそうです。取り分の四割が100円だとすると、電子書籍の定価は250円ということになります。

1000円の本を例に出した議論へのコメントだから、紙版なら1000円と考えてよいだろう。現行の印税10%とも平仄が合う。250円は、小学生でも分かるように1000円の1/4。事実上1/10説の撤回か。「いや、それでも細川の言う半分よりは安くなる」と言いたいのかも知れないが、先に1/10を唱えたのはそちら。数値を出したらそこが標的になるって、30mの大浪事件で痛い目にあったはずなのに、もうお忘れか。この先、それで痛い目に会うことはないだろうが、閻魔様の前で「私が犯した罪は三つです」なんて言い切って「本当か」と閻魔様が浄玻璃鏡を持ち出したら舌抜かれますよ。

ちなみに村上龍が相手にするのは、そこそこ売れる作家だろう。部数が出れば単価を抑えてもペイできる。前回も指摘したように最終的に問題になるのは金額であって%ではない。利益率100%でも年商100万円では会社は立ち行かない。

また「結論」と「補足」で分析したように、本によっては相当安くなることも考えられる。

ただ、そのときは触れなかった価格決定要因が2つある。一つは広告(書籍の民放化)。もうひとつはフリーミアム方式。

現状でも雑誌の価格は広告費によってかなり安くなっている。なかにはフリーペーパー(フリーマガジン)なんてものもある。書籍には自社広告以外載せられないという慣行(?)が電子書籍に持ち込まれなければ、製作費をカバーするくらい可能になるかもしれない。実際、ある技術書で「広告ではない、参考資料である」という理屈でメーカーから製品情報を寄せていただいたことがある。

電子書籍に載せた広告は、購入行動に移るまでの障壁が低いので、紙に載せるより強気に価格設定可能。しかも電子書籍端末がオンラインであれば随時差し替えることまでできる。また効果測定ができるので、基本料金+実績、つまり電子書籍一冊一冊がアフィリエイトサイトになることも考えられる。これは決済情報とひもづけるとプライバシー侵害になりかねないが、逆に一部の消費行動のプライバシーを買い取る(値引販売)ことで、書籍購入者ごとに異なる広告を載せて広告商品の購入率向上を図ることができるようになるかもしれない。版元ではなく書店(取次)が広告を管理するわけだ。(書店のレジで本と一緒に広告を袋に入れるのと同じ) 版元には広告費としては入らなくても、卸値を上げる形で還元可能(本の中に広告を入れるには版元の協力が必要)。

フリーミアムにはいろいろな形態がありえる。第一章だけあるいはダイジェスト版や機能制限版を無料または安価で頒布し、全部を読むには正規料金を取る方法。本体は無料で質問権を有償にする方法(参考書など)。ダウンロード後一定期間で読めなくなり、再度読むにはキー購入が必要になる方法。フリーミアムとはちょっと違うが、読んで価値があると思った方からお代をいただく投げ銭方式もある。宗教書は無料で配って献金を受け付ければ、非課税収益になる、なんて邪なことを考えてはいけません。(理由は忘れたけれど、値段をつけないと流通上?不利益があり、1円とか10円とかの値付けをするものがあったけれど、あれはなんだったか。)

画像データをPDFにして印刷不可にしたものはもっとも簡単な機能制限版。

これらを導入すれば普通に印税を払って、特に手抜きをしない電子書籍も非常に安く、ひょっとすると無料で頒布されるようになるかもしれない。

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2011/02/12

葬儀三件

暮れから葬儀が相次いだ。

1 祖母


最初は祖母。

12月1日に倒れ、知らせを受けた叔父らが集まった5日には上機嫌であったそうだが、7日に息を引き取った。白寿だしかかりつけ医は昨春から長くはないという診立てだったので、あの猛暑を乗り切っただけでも大したもの。直前までデイケアに元気に通っていたのだから大往生と言ってよいだろう。

連れはもとより知人も皆鬼籍に入っているので葬儀は身内だけで、と思っていたら思いがけず多くの方にご会葬いただいた(主に母の関係と介護関係)。ありがたい限り。

2 知人父君


続いて暮れに、しばらく疎遠にしていたがmixiやら生化若手の会の第50回夏の学校やらでコンタクトが復活していた知人の父君が亡くなられた。だいぶ前に病が篤いと聞いていたので正直なところ驚いた。

故人と面識はなかったものの「賑やかなのが好きだった」と聞いて参列を決意。通夜には間に合わなかったけれど、告別式に出席した。会場はわかり易い場所にある...ので油断して地図を持たずに行ったところ、見事に道を一本間違えて迷子になった。駆け込んだ時には読経が始まっていて大いに反省。

施主(喪主)は挨拶の途中、経過のくだりで絶句してしまった。4年近い闘病生活を経ても受容しきれなかったのだろう。

式場前のホールには写真などが飾られていた。故人は警察官で、かなりの要職にあったらしい。印象的だったのは、制服姿の若い男性が目を泣き腫らしていたこと。義理で手伝いに来たというのとは明らかに違う。面倒を見てもらった部下の方だろうか。

葬儀が済むまでは気が張り詰めているものだが、その後に疲れがどっと出る。夫人が後を追うように逝ったという某教授のことも思い出し、年が開け、松が取れてから寒中見舞いのハガキを差し上げた。

3 なにわマスター


予想外だったのは大衆割烹なにわのマスター。1月23日、祖母の納骨のために出かけようとしたときに携帯電話が鳴った。近々入院されると聞き、見舞いに伺うと伝えてあったので、その連絡かと思ったらまさかの訃報。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)で病状が進行しているとは聞いていたが、体力のあるうちに胃ろうの手術を済ませているので栄養補給に問題はない。後は本人が否定的な人工呼吸器装着が山場と考え、翻意を促す準備を始めたところであったのに。

お店のウェブを預かっていたので、納骨を済ませると急いで戻って臨時休業と葬儀の案内を掲載。CSSを使って全部のページに黒枠をつける。外部CSSはスタイルの一括変更が可能なので取り入れていたが、まさかこんなことで役に立とうとは。

祭壇

斎場は戸田葬祭場。もしかしたら、これは埼玉大学工学部の木原拡さん(生化若手夏の学校にUSAから大野乾博士を呼んだ伝説のオーガナイザー)の葬儀があったところか? あれはまだ秀潤社に勤めていた頃で、伝田さんからの連絡も会社で受けような記憶が。夏だったなぁ。今度は道をしっかり確認し、地図も持って浮間舟渡駅から歩き、無事に開式30分前に到着した。御宗旨は曹洞宗。焼香台は三列だが式場の外にまで行列ができていた。後から来た知人2人と西台駅前で痛飲(後日この3人にひとりを加えて追善鍋会を開いた...が手違いでスッポンが手配されておらず鮟鱇鍋に)。

翌日、快晴の下、告別式に。受付には芝落語会の青木さん。式場に入ると着物姿の桂平治師匠がいらっしゃった。平日の昼にもかかわらず、一般会葬者も40人は来ていただろうか(お嬢様のブログによれば参列者は250人とのこと)。

初七日法要も併せて済ませ、一般会葬者は出棺をお見送りして、となるはずが、この斎場は火葬場併設。棺は式場からステージ後ろの業務用エレベータで下に降り、霊柩車に載って構内を一周?してからご到着。見送るつもりがお迎えである。そのまま火葬炉の前までお付き合いしてしまった。
火葬場
荒川土手に登り、火葬場の煙突を仰いで最後のおわかれ。
斎場脇を流れる荒川の土手からの風景

日をおいて調べてみるとマスター逝去についてブログなどで取り上げていただいていた。トラックバックを受け付けているところへは葬儀報告の記事からかけた。


桂平治・1がつのおしごと予定

なにわ亭落語会でお世話になった桂平治師匠の日録。訃報は25日に届いたらしい。

喜味こいしさん、小ノ澤勇さんの訃報

お店を紙面に取り上げてくださった毎日新聞の記者の方。もったいなくも喜味こいし師匠と並べていただいた。

なにわのご主人が天国に召されました

店主のお気に入りサイトにも登場の中山企画 中山祐輔様の動画ブログ。

「神保町・なにわ [雑記]」
お客様のブログ。

去年の落語会に来られた方からはツイッターでお悔みをいただいた。

かくして日蓮宗・天台宗・曹洞宗のお経を続けてありがたく頂戴した日々は一区切り。

「科学コミュニケーション Inside Nature」を聞く

MEBIOSオープンセミナー「科学コミュニケーション Inside Nature」に参加した(1月28日)。


第一部はScientific Communication。懸念した通り初めの演者の言う事(英語)はほとんど聞き取れない。スライドも理解できない。それでも我慢して眺めていたら、あとのフロアからの質問(日本語)で急に合点のいった箇所もあった。

スライドの誤字:光学であるべきところが後学に。

二番目の演者はNatureでただ一人の日本人編集者。スライドの誤字(なかなか味わい深い:この時点では撮影制限は告知されていなかった)は無視して謹聴。仕事探しのところは失業者としては身につまされる。論文を送るときに付けるカバーレターは非公式文書だから、「多少」大袈裟にアピールしても構わないと心強い助言。履歴書の時にも言えるよな。

Nature Japanサイトにも求人欄があるけれど、数は少ないし研究職ばかり。博士号取得者等を非研究領域で活用するような求人を開拓してもらいたいと思った。

第二部はInside Nature。演者は才媛という言葉がぴったりの感じ。またもや英語講演だけどスライドがもっぱらテキストだったのである程度(当社比)は理解できた。内容は「ネイチャーができるまで」。カバーレターについて、その重要性を指摘しつつ、アブストラクトの繰り返しとoversellはいけませんと釘をさす。

査読に回す(10-15%?)か突き返すかまでは担当編集者が独りで決めるというのは軽い驚き。アピール(異議申立て)が来て初めて上級編集者の判断を仰ぐらしい。権限と責任が明確なのは英米流。

第三部は質疑応答。いろいろな立場からの質問があった。最後に、誰も質問をしないのにNatureとScienceはどう違うかが説明された。「商業誌だから独立性がある」 うむ、奥が深い。

紙媒体での発行に固執していたのはなんとも。物理的制約で価値ある論文を載せられないのは本末転倒だろう。逆に「ろくな論文が来なかったから今週号は薄いぞ」も電子媒体なら簡単(冊子はページ数が16の倍数であることが望ましい)。むろん定期購読者には何らかの手当が必要だけど。

4時間のまとめとしてはかなり貧弱だけど、忘れないうちに書き留めた。

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「授業法と評価法」を聴講

6日の日曜日に先生の学校【集中講義】授業法と評価法へ参加した。

講師はツイッターの@jai_anこと芦田宏直先生。

案内では「5時間がっつり集中講義で学びます」とあったが、予想通り延長戦もとい補講となって終わったのは21時を回っていた。

内容については、聴講して感動した編集者が本にまとめると言っていますし、ツダられたものがトゥギャッターにまとめられているので省略。

この先生をツイッターでフォローし始めたのは2010年の4月頃。ツイートだけ見るとなんとも高飛車な感じの人だが、我慢して読んでいると筋は通っている。

そして東京都庁で開かれた講演会「twitter微分論からtwitter身体論へ」をUSTで見て評価が変わった。面白い。

そして8月に夏期「哲学」特別講義を聞いて、確信に変わった。

残念ながら、肉声に触れない人には伝わりにくいようではある。これは単なるネット弁慶、オンラインで態度のデカイ奴は会ってみるとおとなしい、というのとは違う。まるでジャイアン(「ドラえもん」に出てくるガキ大将)と言われるツイートだって、注意して読めばとても温かな気配りのあることが分かるのだが。

それを私は優しいけれども甘くない人と読み取った。

板書する芦田先生

今回の講義中にもそれはうかがえた。話しながら次第に涙声になり、ほとんど嗚咽のようになりながら、それでも板書を止めない姿にはもらい泣きしそうになってしまった。ツイッターでの「アホか」の芦田先生しか知らない人はもったいない。

以下、備忘録。「」の使い方がおかしいと叱られるかもしれないが。

『学問のすすめ』(福沢諭吉)を読む。青空文庫に収められているが、現代語訳の方が理解が確かになるだろう。
「グランドデザインが重要」
「教育目標を共有して議論する」
「作成した試験問題に教師の力量が現れる」
「家庭科の習熟度を測定できるペーパーテストを開発できるのが家庭科教師」
「どんな境遇にあっても、一流を目指しうるというためにこそ、〈教員資格〉は存在する」
「学校は最後のセーフティネット」
社会の役に立つとは無縁なのが学校の意義
「ブレーキが効く理屈を知らないままブレーキパッドを交換できたとしても自動車整備士としては不十分」
「ペーパーテストでは測れないものの重要性をいう人は、それをどうやって測ろうというのか」
「マークシートは最も反身分制的な試験(受験生の出自階級を反映しにくい)」
家族とは反社会的な存在
「ハイパーメリトクラシーは教師の責任逃れ」

いかん、どんどん増えてくるので打ち止め。

「相手(児童・生徒・学生)がバカ」で済むなら教師は楽な商売。バカな相手に分からせるのが教師の職分。同様のことは他の分野でも言えることで、「○○がバカ」と口に出そうになったら、そのバカをどうにかするのが自分の務めと思い出そう。(どうにかするとは穴を掘って埋める、ではない)

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2011/02/11

タンタルかカンタルか

電熱線は別名ニクロム線といわれる。ニッケルとクロムの合金だからだ。ところが実際の電熱器に使われるのはニクロム線ではない、と昔何かで読んだ記憶がある。理由は値段が高いから。だから家庭用の電気コンロに使われているのはタンタル線、というのが私の記憶。

悲しいかな、そのころの私は本に書いてあることは正しいと信じていて、特に裏付けを取ることもなくそのまま覚えた。

時は流れて...普通ならニクロム線と書くところ、衒学趣味でタンタル線と書いた。アップしてから「本当にタンタルか?」という疑問が湧いた。そこでググルと意外なことが。

いわゆるレアメタルの一であり、産業的にきわめて重要な物質である。近年、価格高騰が著しい。(wikipedia 2011年1月14日 (金) 13:27の記事

タンタルは安いから代替品に、という前提が崩れる。そして用途を見ても電熱線とは書いていない。どういうことだ? 歳月が事情を変えたのか? そこでニクロムの項目を見る。

電気抵抗が大きいため、発熱素子として、電気ストーブなどによく使われる。 (wikipedia 2011年1月16日 (日) 13:28 の記事

どこにも高いから廉価品はタンタル線で代用するなんて書いていない。それよりも「主な電熱合金」の表に、ニッケルを使わない鉄クロム合金が載っており、本文の説明によれば耐酸化雰囲気特性、耐クリープ性でニクロムより劣る、この合金の名前はカンタル(!)。

Yahoo!百科事典(内容は小学館の日本大百科全書)でニクロムを調べると、「これに鉄を20%程度加え、低価格としたもの(ただし耐熱性はやや劣る)もある」という記述。カンタルは低価格のようだ。ああ、カンタルをタンタルと読み間違えるか、覚え間違るかしていたのだろうか?

この事典にはなぜか「ニクロム線」という項目もあり、書いてあることはニクロムとだいたい同じだが、「電熱」という項目へのリンクがしてある。やや長めの記事を流し読みしていくと、末尾に「赤外線の熱源はニクロム線、タンタル線などを用いたヒーターや、赤外線電球を用いる。」とある! おお、やはりタンタルで良いのか!

で、そこをクリックしてタンタルの記事を見ると...電熱線としての用途には触れられていない。

謎である。

「タンタル 電熱」でググると発熱体として使用しているという記述は見つかるものの、どうも特殊用途のよう。

結局、私が読んだ本になんと書いてあったかは不明なれど、安価な電熱線は、ニッケル含量を減らして代わりに鉄を加えた合金(カンタル)というのが正しいようです。ちなみに電熱材料を扱う会社でその名もカンタルがありました。

本件、なにかご存じの方がいらっしゃいましたらコメントいただけると幸いです。

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2011/02/08

「オープンアクセス、サイバースカラシップ下での学術コミュニケーションの総合的研究」の報告を聞く

先日のMEBIOS オープンセミナー「Inside Nature」で案内をもらった「オープンアクセス、サイバースカラシップ下での学術コミュニケーションの総合的研究」研究成果報告会に行ってみた。

以下は個人的な関心に基づくメモ。延々4時間に及ぶ大発表会なので内容紹介はほんの一部です。

最初に海外学術雑誌に発表した日本人は誰なのか


上田修一 (慶應義塾大学文学部)

質問の一番手が「面白い研究だが、どういう意義が?」と厳しい追及。それに対して、西洋の科学を日本が受容する過程が明らかになると。なるほど。また冒頭では外国誌に投稿することに批判があることへの疑問を表明されていた。

日本における電子ジャーナルの発行状況


時実象一 (愛知大学文学部)

1958年にオンライン雑誌?
発表要綱とは別にパワーポイントのスライドが配布された。「オンラインのみの新規雑誌数」というグラフで、1958年にすでに一誌あることになっているが、ARPANETさえ存在しない時代にどんな「オンライン雑誌」があったのだろう。

また「電子化」の定義を聞き漏らしてしまった。ネット経由で見られれば画像データでも電子ジャーナルと言えると思うが、データベースとして考えると全文検索の対象とならないのは心許ない。実際CiNiiでも画像形式のPDFをよく目にする。

MEDLINE収録の日本の医学系雑誌の電子化状況とインパクトの変化


林和弘 (日本化学会、科学技術政策研究所)

癌学会や生化学会の論文誌がMEDLINEではEnglandの雑誌となっているのは興味深い。生化学会は会員に国内誌(JB)への投稿を呼びかけていたと思うが、あにはからんや。
なお、「プラットフォーム」という用語があったが、これがよく分からない。おそらく検索と一体となった提供システムなのだろうが、ファイル形式は何を採用しているのだろう。何が心配と言って、何年か経ってコンピュータシステムがガラっと変わったら読めなくなるというのが一番困る(電子書籍でも遠からず問題になるだろう)。PDFやHTMLならそうそう「絶滅」することはないと思うが。

オープンアクセスの進展と電子ジャーナルの利用統計


加藤信哉 (東北大学附属図書館)

学術書・学術雑誌がネット経由で閲覧可能になれば、図書館が蔵書することは意味をなさなくなる。極端なことをいえば、国立国会図書館一つがあれば足りる(外国図書・外国雑誌はアメリカ議会図書館任せ?)。もちろんそれはだいぶ先の話ではあるが、個々の図書館が個別に蔵書の充実を図る必要は低下するであろう。

ただし、検索というのは適切な検索語を思いつかない場合にはまったく役に立たない。だからおそらく司書の役割は検索支援や検索代行になるのではないだろうか。いまでも図書館にはレファレンスサービスというものがある。

ところで「タイトルレベルでの利用統計ではなく、論文レベルの利用統計が求められている」の意味が分からなかった。このタイトルというのは雑誌名のことか?

大学図書館の提供雑誌が研究者の引用行動へ及ぼす影響


横井慶子 (慶應義塾大学大学院)

非常にそそられるタイトルであったが、結論は「変化は確認できたが、その変化に影響を及ぼす要因が大学図書館の提供雑誌であるかという点までは明らかにはできなかった」と肩透かし。

この発表を聞きながら、文学研究への揶揄−−文学研究とは百年前の今では忘れ去られた作家に対して、同時代のやはり忘れ去られた作家が与えた影響を調べること−−を想起したけれど、そうバカにしたものではないかもしれない。影響の具体的内容にあまり意味はないにしても、何を媒介にしたとかどのように受容したかとかの解明は、現在でも価値を見いだせる。

遺伝の3法則がメンデルの死後16年(発表から35年)にして再発見されたようなことがもっと頻繁に起きるかもしれない。文献調査はますます重要に。それから前々から言われていることだが、ネガティブデータの共有も重要に(前にやった人が失敗したからと言って、端から諦める必要はないが、同じ失敗を繰り返すのは賢くない)。

生物医学分野においてオープンアクセスはどこまで進んだのか:2005年、2007年、2009年のデータの比較から


森岡倫子 (国立音楽大学附属図書館)

音大の図書館員がなぜ生物医学分野を対象に? という疑問は別の人が質問していた。国立(くにたち)音大を国立(こくりつ)と勘違いされたのはご愛嬌。ちなみに国立とは国分寺と立川の間にできたからという安易な命名(一橋大の学生をそれでからかったら悔しそうな顔をしていたものだ)。それはともかく、理由の一つに、職を得ないことには研究を続けられないという深刻な事情がうかがわれた(これは聞き違いかもしれないが)。もう一つは、生物医学分野はオープンアクセスが進んでいて研究しやすいという事情もあるらしい。ここで手法を確立できれば他分野でも分析可能、と。

医学分野の学術文献検索サービスPubMedから抽出した論文を対象に、1.制約なしの全文公開(Open Access)、2.登録など制限付き、3.有料全文(購読電子ジャーナル)、0.電子的全文を発見できないの4つに分類して、その割合の変化を見た研究。2005年には27%だったOAが2009年には50%に達していたという。その増加は主に「発見できない」と「有料全文」の減少(それぞれ19.8→5.0、53.2→44.0)によっている。

ただ、思うにこの調査方法では、いつOAになったのかは分からないのではないだろうか。つまり最新号は購読者限定(有償)で、次号が出たら無償公開という形態は把握できない。そこを無視して、時代の趨勢はオープンアクセス、有償購読は古いなどと主張されると、特に商業出版社は困るだろう。いや、工夫すれば商業出版社でも無償公開は可能だけど(著者から掲載料を徴収するなど)。ちなみに、この「古くなったら無償公開」は有料メールマガジンで実施しているところがある。

オープンアクセス実現手段の新機軸:すべてはPubMedのもとに


三根慎二 (三重大学人文学部)

無償公開(オープンアクセス)されている学術論文の所在情報を提供する無料論文提供サイトの紹介。取り上げられていたのはFind ArticlesThe Free LibraryHighBeam ResearchnovoseekPubgetMedscape

操作性の統一や関連文献の提示が期待できるだろう。また「この論文に興味を持った人は以下の論文も」というレコメンデーションも、洗練されたものがあるならば今までの文献調査とは違った展開を期待できる。

面白いのは自身でのアーカイブはHTMLが多いこと、またほとんど(?)の例で図表がカットされていること。

オープンアクセス化の進む医学論文が一般市民に読まれる可能性はあるのか


酒井由紀子 (慶應義塾大学信濃町メディアセンター)

これも興味深い発表。インフォームドコンセントの導入やEBM(根拠に基づいた医療)の普及などにより、患者やその家族が医学情報を求めるようになってきた。今のところ「医者・病院の評判」以外は医師に直接尋ねることが多いが、インターネットで情報を探す人も増えてきた。調査結果で意外だったのは、「有償の英語論文でも読みたい」という人も含め56.1%が医学論文を読みたいと思っていること。もっとも実際に読むかどうかは別の話だろうが。

いわゆる医学論文(原著論文)は、切り離したテーマについての研究だから、それだけ読んでも患者が求めるようなことは書いてないことが多いと思う。たとえばある薬をマウスに与えたら、ある検査値がこれだけ変わったという論文があったとする。その薬はヒトでも同じ効果があるのか?副作用はないのか?そもそもその検査値が下がれば病気は治るのか?(血糖値が下がっても糖尿病網膜症は治らない等) 患者が知りたい情報は医学論文よりは医学総説にあると思う。

仮に原著論文に知りたい情報があった場合でも、それを見つけるのは素人には難しすぎる。また反論が出されて事実上意味のない論文になっていてもそれが分からない(もっとも取り下げられていれば分かるのは紙ベースの文献調査にはないオンラインサーチの利点)。さらに間違った論文に必ず反論が出ているとは限らない。だから後追いのない古い論文を信じるのは考えもの。オンラインジャーナルなどでは最新のCI(どれだけ引用されたか)を提供してくれるのだろうか。できれば自家引用を除いた数値がほしいもの。

しかし、非専門家にもこれだけ知りたい需要があるのなら、レファレスサービスや翻訳・解題サービスは商業的にも成立するのではないだろうか。聞きながらそんなことを考えた。

医学・医療情報源としての「一般雑誌」:10年の変化とその位置づけ


國本千裕 (駿河台大学メディア情報学部非常勤講師)

情報源としての地位は低下しているものの、質の高い医学・医療情報が雑誌にはあるという。しかしそれを見つけ出すのは難しい。

学術雑誌のIFやCIに相当するような、雑誌や掲載記事の質を評価する指標があれば、と思った。

医学ジャーナリストと言っても、医師資格を持った人から、単に自称しているだけの人までいる。もちろん医学教育を受けていなくても良質の医療ジャーナリストになることは可能なので、筆者の経歴だけで記事の良否を判定することはできない。たとえば単行本への収録率とか、その本の売れ行きは評価の指標にならないだろうか。しかし『脳内革命』も一時的とはいえよく売れたからなぁ。

情報源としての雑誌の地位低下を考えれば、ウェブサイトの情報源としての評価はより重要だ。病名で検索すれば怪しげな代替療法が上位にヒットする事もあるだろう。ホメオパシーのように、それにすがって標準医療を拒否したために、悪化させてしまうことも十分にあり得る。そのような悲劇を避けるために、「この雑誌/記事/サイト/エントリーの信用度はこれくらいです」が大まかにでも分かるようにできないだろうか。別にウソつき認定をする必要はない。いいものにだけマークを提供すれば良いのだ。

"e-science"とは何か


松林麻実子 (筑波大学大学院図書館情報メディア研究科)

DNAらせん構造に関するデータアーカイブというのは謎だが、医学生物学系ではだいぶ前からデータバンクが整備され、CSPすなわちクローニング(Cloning)して配列を決めて(Sequencing)論文にする(Publishing)は二流の仕事扱いだった。もちろん制限酵素が自家製で、ゲルのラダーを目視していた時代には花形だったけれど。

そういえば20世紀のことになるが、DDBJの人が、データベースではありません、データバンクですと強調していたものだ。データをただ保管するのではなく、活用しますという自負。

そういう世界に馴染んでいたので、天文学分野でデータの共有が進んでいないというのは驚き。SETI@Homeのイメージがあったからなおさら。原因の一つが機器(メーカー?)によってデータの形状が違うため、というのは納得。配列データはなんのかんの言っても所詮は一次元、最後はテキストデータに還元できる。そういえば生物学系でもイメージングデータの互換性が問題になったことがあったような...

もう一つの障害要因としてデータの提供を渋る天文台があるという。レジュメでは「無償提供することに難色を示す」とあったが、有償ならば問題はないのだろうか。論文抜き刷りを請求したら代金を請求されるような印象をうける。そもそもデータの代金の内訳はなんだろうか。もしデータ取得にかかった経費を負担してもらったら、もうデータの所有権を主張することはできなくならないだろうか。これ次の「データはだれのものか」につながる問題。

日本の研究者にとって「情報共有」が意味すること:e-Scienceに向けての予備的調査結果


倉田敬子 (慶應義塾大学文学部)

まさに「データはだれのものか」。研究代表者による、e-Scienceあるいはcyberinfrastructureの実態を明らかにするための研究者の意識調査。

データを「出し惜しむ」理由として、すぐ思いつく「競争相手に知られたくない」の他に知財絡みでの権利防衛術としての原則非公開もあるらしい。また共同研究の場合は全体の合意が必要で、この場合は一番厳しい基準に揃えざるを得まい。

それ以前の問題として、標準的なデータ形式にして入力する費用の問題もあげられている。

論文誌が投稿受理の条件としてデータの公開を求めることにも、面白くないという感情を抱くらしい。つまり「データは自分のもの」意識。この裏返しで、人のデータは信用できないという意識もあるらしい。必ず追試をする、と。研究によっては、たとえば試料が希少な場合、すごい無駄が生じるような。

公的な研究費を使って得たデータは公のものと決められないだろうか。期限を設けて原則公開とすれば、優先権を保護しつつ死蔵も避けられる。費用は研究費に組み込みで。

ところで第2表にあったIT技術ってなんだろう。普通TはTechnologyなんだけど。IC技術(Information and Communication Technology)なら分からないでもない。

ビックサイエンスも謎。スラングで「中身を伴った大きさ」という意味があるらしいけど。あと雄性性器もビックというらしい...

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2011/02/04

ガス銃メモ

このツイートに「水平撃ち禁止なんて、どこにもコンセンサスはないでしょ」というリプライ(コメント)が付いたので、パパっと調べたことをメモ。

警察が暴徒鎮圧に使う催涙弾は、「催涙ガス器具」と総称され、いわゆるガス弾はガス筒、ガス銃はガス筒発射器と呼ばれる。つまり武器ではないという扱い。しかし火薬を使うこともあり、実務では武器に準じた取り扱いがされている。

すなわち管理責任者を置いて施錠して保管すること、使用は相当な理由のある場合に限られ、また機動隊では部隊指揮官の命令によること、さらに相手方に危害を与えるおそれのある方法での使用は原則禁止であり、使用した場合は警察庁長官に対して報告しなければならない(催涙ガス器具の使用および取扱いに関する訓令 PDF)。

実際、エジプトの例でも分かるように、「ガス弾」の直撃を受けた場合は、最悪死亡することもある。ガスの散布ではなく筒(ガス弾)の直撃による効果を意図した使用は、正当防衛のような場合を除いては許されない(同第3条2項)。

日本でも過去、催涙ガス筒を直撃させる使い方が問題になったことがある。69年の東京大学封鎖解除の際、多数の重傷者が出て国会で取り上げられた。ガス銃で狙撃したのではないかと追及する議員に、そのような命令はないし、そもそも構造上いわゆる水平撃ちは不可能と政府は答弁している。

つまり政府としては、実際にやったかどうかは別にして、ガス銃もとい筒発射器を物理的な破壊手段として用いるのは良くないという認識でいたようだ。なお、封鎖解除では建物内から抵抗する学生を狙う場合、水平にする必要はない。また改良型では水平撃ちは可能になっている。

77年の成田空港建設反対運動では、救護所の防衛隊員が頭を直撃されて死亡した(東山事件)。政府は国会で水平撃ちを否定したが、はっきりと証拠映像・証拠写真が残っており、国家賠償請求訴訟でも「反対派による投石(同士討ち)説」は退けられガス弾直撃が死因と認められた。

ちなみに私は請求を退けた千葉地裁判決が維持されたと勘違いしていた。なるほど、航空科学振興財団の歴史伝承委員会がガス弾直撃説を認めていたわけだ。なお撃った警官は不起訴で付審判請求も退けられたはず(こちらは斎藤銀次郎・松倉豊治の投石説を採用)。

話は戻るが、東山事件の際、ガス銃は斜め45度で撃ち上げるものであり、水平撃ちは禁止されているという説が流れた。水平撃ちが「危害を与えるおそれのある方法」で原則禁止なのは間違いないが、45度で撃ち上げるべしという通達類は見つけることができなかった(ネット検索の限界)。

これは、45度での投射が最大飛距離ということから生じた伝説かもしれない。なお、45度が最大になるのは地表から発射する場合で、立射の場合は40度前後になる。ちなみに警察の運動会には、ガス弾もといガス筒の着地点の正確さを競う競技があるらしい。

もちろん家族や来賓も来ている運動会会場で催涙ガスが出たら大変だから、おそらく模擬弾を使うのであろう。模擬弾はプラスチックの塊で、ガスは出ない。その代わり直撃した際は紙製のP弾などよりもダメージが大きい。報道や国会質疑では「新型ガス弾」と呼ばれていたが、ガスの出ない、現場では破壊専用の弾頭だ。東山薫の頭蓋骨を砕いたのはこの模擬弾と考えられている。

まとめ:いわゆるガス銃(催涙ガス銃)は、本来は催涙ガスを撒くためのもので、建前としては弾頭の破壊(殺傷)力は利用しない。ましてガスの出ない模擬弾を現場で使用することはありえない。しかし実際には規制は形骸化しており、小銃的な使い方をされる。それでも日本ではそれは不法行為と認められることはある。

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