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2010/12/31

iPadの利用シーン妄想

秋の終わりにこんなことを考えていた。(電子出版≠電子書籍参照)

もしかすると誰かの役に立つかもしれないと考えて公表。


iPadの利用シーン

ホテル客室のテレビ代わり
iPadを客へ貸し出す。
地デジ対応の買い替え費用に苦しんでいるホテルにすればテレビより安いiPadの方が導入しやすい。

ホテル設備や観光の案内端末にもなる。紹介した観光施設や商店からは紹介料を取ることができる。

提供できる製品例としては、コンシェルジュアプリ(設備案内、サービスオーダーシステム、観光案内)


美術館でのガイド
観覧客へ貸し出す。持ち込みにも対応。DSで前例がある。

人気の作品は前に人だかりがして、なかなか見ることができない。待つ間にiPadで解説や見所を確認する。古い絵画では作品の損傷を恐れて照明を落としているが、端末上で「作者が見たのと同じ」状態を確認できる。

提供できる製品例としてはガイドアプリ(作品解説(音声)、作品データ提供、館内案内)

観光ガイド
観光客へ貸し出す。持ち込みにも対応。

ユビキタス観光ガイドの端末として、また地図端末としても。

提供できる製品としては地図アプリ、案内アプリ(名所、食事、土産、交通:オフィシャルとスポンサー提供と)

展示会ガイド
参加者へ貸し出し。持ち込みにも対応。

ブースごとのアンケート回答に利用すると、入力が楽な上に集計もリアルタイムに進められる。持ち込みiPadの場合はカタログのダウンロードも。

提供できる製品例としてはブースごとの案内/アンケート/抽選/タイムテーブル/ルート表示アプリ

学会
参加者へ貸し出し。持ち込みにも対応。

ポスターの代わりに参加者がiPadを見ながら発表を聞く(もっとも発表者の手元にも何かないとやりづらい)。

提供できる製品例としてはルート表示アプリ(あらかじめ聞きたい発表を選んでおくと「次はどこへ行く」を指示する)、ツイッターアプリ(「いま面白いセッションはどこ?」の情報収集など)

児童用情報端末
家庭または学校で使用する。母艦であるコンピュータを介したネット接続にすることで、一括フィルタリングを実施できる。

PCよりは汚れなどに強いという印象がある。

提供できる製品例としては学校用は教育アプリ。家庭用は「?」

課題

貸出端末の場合は持ち逃げ防止が重要。ホテルでは身元確認で対応できるが、その他の場合、転売可能な状態なら500円くらいのデポジットでは抑止になりにくい。「よそでは使えない」か「常に位置情報を発信」で。手軽な方法としては小っ恥ずかしいくらいのカラーリングとか名前の刻印

よそでは使えなくする方策としては、シンクライアント化。これによって管理も楽になる。学校で使用する場合、卒業時に記念で渡してしまうのでなければ、年度末にストレージをきれいにする作業が必要になるが、シンクライアントなら端末側での作業は不要になる(現状でも端末側に削除機能はないが、1台ずつiTunesに接続して同期...は数が多いと大変)。

また展示会で貸し出すとなると、大規模なものでは数千台が必要になるので、シンクライアント化でいくらかでも価格を下げられれば障壁は低くなる。

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「寝る20分前に暖房を切る」の罠

家庭における省エネの一つに、「寝る(または外出する)20分前に暖房を切り、余熱で過ごす」というのがある。

たまに真面目に従って痛い目にあった。

昨夜、暖房を切り、雑用を済ませてさぁ引き上げようとした刹那Skypeの呼び出しが鳴った。そして延々54分、もっぱら聞き役。

途中で異変に気づいた。さ、寒い。

有線のイヤホンをつけているので動けない.... 指先が、やがて手先まで冷たくなり、膝が震え出す。しかし相手は話し止めない。

肉体的苦痛を我慢していると機嫌が悪くなる。

話の内容自体もあれだったが、不必要に突慳貪になってしまった。

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2010/12/28

企画展「全生病院」を歩く

26日に国立ハンセン病資料館(わ、URIが変わって以前のリンクは全部404エラーだ)の2010年秋季企画展“「全生(ぜんせい)病院」を歩く—写された20世紀前半の療養所—”に行ってみた。9月に開催を知り、まだ先のことと思っていたらもう最終日!

同資料館は入館無料だが、入館者カード(調査票)へ住所や性別年代、来館回数、来館目的の記入を求められる。「なにで知ったか」欄は思い出せなかったので空欄のまま。企画展目的と告げると近道の階段を教えてもらった(常設展へは建物奥の階段を使って上がる)。

国立療養所「多磨全生園(たまぜんしょうえん)」の前身は、1909年創立の連合府県立「全生病院」です。そこはハンセン病患者を隔離した場所であり、「土塁(どるい)・堀」「板塀(いたべい)」「垣根」等の遮蔽物(しゃへいぶつ)で囲われていました。そしてその外側に暮らす人々は、ほとんど足を踏み入れることのない場所でした。百年の時がたち、今では「全生病院」の時代を語れる建物や風景はほとんど失われています。本展では、療養所の設立以来の写真や構内図を利用して、「全生病院」を視覚的に復元したいと考えています。
(企画展説明)

病院設立から100年の間に、改築や拡張のため療養所に改組される以前の様子が分からなくなっている全生園だが、多数(約12,000点)残されていた古い写真(ガラス乾板)を基に往時を再現しようというもの。同館の資料館だよりの69号は本企画を一面で取り上げている。

写真というものは説明次第で印象が大きく変わる。昔の正門の写真には簡単に請願巡査が立っていると記されている。請願巡査とは町村や私人からの請願(要請)によって配置された警察官で、この制度は費用を請願側が負担したため用心棒的な性格が出て、1938年に廃止された。警備員ではなく警官が配置されたのはなぜだろうか? その説明はないが、考えられる可能性は二つ。患者(病院)を守るため、または患者や見舞客を見張るため。

病気への偏見から、患者や病院が地元民から嫌悪されていたと考えると、巡査は頼もしく見えてくる。一方、無理な強制隔離の歪みから、患者が脱走したり所内で抵抗したりすることがあり(所内には見張所や私設監獄まであった)、患者を見張る立場だと考えると、隔離収容政策の象徴にも見えてくる。

入院する患者は正門からではなく収容門から入ったという。(患者が東村山駅に着くと迎えの人力車に乗せられて病院へ連れられる。降り際にだろうか、車夫(不適切語か?)が「もう一度乗せてやる」というので退院の日ことかと思っていると、彼は死亡した患者を火葬場に運ぶ仕事もしていた云々...) その収容門の前(内側)で撮影された患者の集合写真がある。入所記念? それとも叶わぬ退所の日を夢見てか。撮影したのは職員で、撮影も現像も今とは比べ物にならないくらい手間がかかるものだから、業務として記録したのであろうが。

これは常設展にある写真だが、失明した患者が洗濯(桶に入れた洗濯物を洗い棒で撹拌)していて、その説明には患者も働かなくてはならなかったと、療養者を使役したことが批判的に書かれている。しかし、全患者(1900年で約3万人)を収容しようという以上、予算的に患者労働に頼らざるを得ないという点は措くとしても(隔離の必要性をきちんと検討する事業仕分けがあれば良かったのに!)、「病人だから治療に専念し、作業は何もしなくて結構」というのも結構辛い。なにしろ有効な治療法はなかったのだ。要するに「死ぬまでじっとしていろ」ということになる。「要らない人間」として弾き出された感覚を癒すのに、労働は有効だったのではないだろうか。(貧しい時代の慣行が後に不適切になるのは仕方がないが、遡って不適切と決めつけるのには慎重でありたい。)

所内作業(まるで刑務所だな)の写真を見ても、白い防疫服を来た職員が立ち会っていて、見張っているという説明は正しいのだろうが、ただの強制労働だったのかというと疑問が残る。たとえば築山。これを作ったのは職員の指示だろうか? 患者が全く勝手に作るということはないだろうが、患者の発案のように思う(敷地を拡張し農地を整備した際に掘り出された木の根を積み上げ、逃亡防止のために掘られた堀の残土を積み上げて作った)。

築山から撮影したパノラマ写真を使った企画展チラシ

築山と言えば、「全生園の隠れた史跡」めぐり ⑩築山(望郷台)に「登ると、所沢街道を往きかう人や車、そして富士山や秩父の山並みも見え、患者たちはここから故郷の空を眺めて家族を思い、人知れず涙を流したものであった」とあるので登ってみたが、冬でも樹々に視界を遮られてしまうので不思議に思っていたが、造成直後の写真を見て納得。周りには何もない。築山自体にも木はほとんどない。これなら見晴らしは良かっただろう。実際、企画展の第二部には築山から当時撮影した写真がパノラマで展示されている。(ときおり凝った撮影方法の写真があるのが興味深い)

地元との関係で謎なのが全生劇場。外部からも観客が来て満席になることもあったという。建てられたのが1910年で、失火で焼失したのが1944年。外部との交流は27年ころからというから結構長い。ちょっと年表でも作って整理しないと混乱しそうだが、堀と塀で外界から遮断されていたと言っても刑務所ほどではないような。もちろん堀や土塁で囲ったことは正当化できないが。


最終日にも関わらず、来館者がほとんどいなかったのは寂しい。最寄り駅からバスで10分はそう不便とは思わないが。

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2010/12/22

電子書籍になっても本の価格は現状の1/10にはならないだろう

電子書籍が普及すれば、本の価格は現状の1/10になると主張する人がいた。

果たしてそうだろうか?

本の価格の内訳はおよそ次のようになっている。仮に1000円(税抜)の本があるとすると

発行元 700円
取次  100円
書店  200円

発行元の取り分のうちから著者におよそ100円が支払われる(印税・原稿料)。取り分600円のうちから印刷製本関係費用、デザイン費用、広告宣伝費、人件費等を除いた残りが発行元の利益となる。

ポイント
発行元は利益を上げなければ存続できない。カツカツの経営では、新人を育成できない。新人とは書き手だけではない。1代限りで潰す個人経営ならいざしらず、会社であれば社員も育成しなければならない。

人件費の対象は編集者だけでなく、営業や総務経理なども含まれ、またその内訳には給与だけでなく社会保険料の会社負担分や賞与、退職金も含まれる。

一般的な慣習として、著者の取り分は本体価格の10%である。したがって、製作流通がタダ働きをしない限り、価格を1/10にすることは不可能であることが分かる。(初刷部数の印税一括払いがなくなれば−−なにしろ初刷部数というものがなくなる−−もっと高率を要求される可能性もある)

ところが、「電子書籍であれば、製作費は劇的に安くなる」と譲らない。

では、製作流通にどれだけかかるであろうか?

製作流通販売にかかる費用


電子書籍になっても書店と取次は必要である。アマゾンやappストアは「書店機能を持った取次」であり、アフィリエイターが小売書店に相当する。現状のアマゾンアフィリエイト(紙の書籍)では最大8%が支払われている。無店舗であることや精算業務までアマゾンが引き受けていることを考えれば書店より低いのは合理的。

発行元からすれば、取次を介する以上は、書店(アフィリエイター)にいくら渡るかはあまり関係がない(直販を進める場合は重要)。で、その取次(アマゾンなど)がいくら取るかというと30-65%(=発行元に35-70%)。ただし、これは競合が現れた場合は「体力勝負の焦土戦」で下落する(『電子書籍の衝撃』第2章参照)が、独占なり寡占なりで安定した場合、再び高くなるであろう。さすがに8割9割となれば独占禁止法(優越的地位の濫用)が介入してくるであろうが。

取次が何%取るのが妥当かを論じる前に、製造原価の削減について考えたい。

製作費用

製版・印刷・製本の費用は不要になる。製版代は刷り部数に無関係なため、少部数の本では大きな割合を占めていた。これが無くなっても発行部数が多いものはあまり影響を受けないが、専門書では大きな減額要因になる。

運送代と倉庫代は通信費とストレージ費用に置き換わる。これは規模の効果によりたぶんかなり安くなる。

電子書籍の「装丁」がどうなるかは興味深い。表紙に相当するアイコンやオープニング画面は本の印象に強く影響するから、これはプロのデザイナーに任せた方が有利。この単価はどこまで下がるであろうか。

フォントサイズは読者が変えられるから決める必要はないとしても、フォントの種類は発行元で決めなければならない。ナールと角ゴチでは印象がまるで違うからだ(まして勘亭流においておや)。読者が違う印象で読むのは自由だとしても、デフォルトは著者が希望する印象をあたえる書体にする必要がある。この選定もブックデザイナーの仕事。依頼する手間を惜しんだ、MS明朝でいいよ、が一時的には流行るかもしれないが、長くは続くまい。(メジャーな読書端末が携帯電話になった場合はどうなるか分からないが)

ちなみに先日 auが発表したbiblio Leaf SP02は、「行頭に句点」「フォントに漱石感ないし」「字間行間もセンスなさすぎ」と散々な評判だった。大手企業の広報のプロでさえブックデザインには気が回らないという好例(現在の広報資料では明朝体になり、1行の文字数が変更されて行頭の句点は無くなっている)。そういう電子書籍ばかりで低位安定化する可能性もなくはないが、やはり「かっこいい」書籍の需要はあるだろう。

また実質プレーンテキストなら問題にならないが、絵であるとか図であるとかを挿入するならば、それを綺麗に描く人が必要になる。写真などを借りてくるなら、著作権処理業務も必要。とはいえ、ICTの力を借りて今までよりは安くはなるだろう。

営業と編集

次に人件費を概観してみよう。

電子書籍になれば「営業」の形態が大きく変わることは想像に難くない。だが、著者や編集者が片手間でできるものとも思えない。

一例をあげてみよう。電子書籍は電子書店でどのように売られるだろうか? 客は著者や書名を指定してくるとは限らない。「なにか面白い本はないか」と探しに来ることもある。書店のトップ画面、あるいはカテゴリ別のトップ画面に紹介してもらえるかどうかは売上に大きく関わってくる。これはリアルの書店と同じこと。むしろ棚の争奪戦よりも厳しさは増すであろう。一画面に収められる点数は平積みできる点数よりたぶん少ない(まして携帯電話でアクセスされた暁には)。一時的に良いポジションを得られても、後から来る新刊にいつ奪われるか油断はならない。「書店営業」は手を抜けない。

次に編集の人件費。これが結構難しい。すでに書いたように、従来の「出版社」は解体しても編集者は残るというのが私の考え。千歩譲っても、諸々の雑用を抱え込んだ著者よりは、執筆に専念できる著者の方が良いものを書くだろうということは容易に想像できる。

(それと第三者が目を通さない原稿の多くは外に出せる品質ではなく、まして金を取るなど論外。個人ブログの惨状を見よ。企業のウェブでさえ「担当者は読んでないのか」というような例が割と簡単に見つかる。)

営業と編集の人件費は外せない。それがいくらになるかというと、刊行点数にもよるので一概には言い切れないし、売れ行きの予想とも関係してくるが、とりあえず著者と同じ100円を当てておこう。

取次は何%までとれるか


素朴な人は、売上から経費を引いて利益を求める。だが営利企業は逆で、まず利益を決める。そこから売上と経費を導きだし、個々の価格を決定する。

「これくらいしかかからないから、これくらいで売る」というのは素人の発想。(営利を目的としないなら正しい決め方ではある)

なお、企業の目標は最大の利益を上げること。つまり儲けられるところではとことん儲けようとする。その貪欲さがないと営利企業は市場からの退場を迫られる。1000円でも売れるとわかれば、原価が10円でも1000円の値付けをするのが営利企業。そこで利益を得ておくと、後発の競合が現れたときに体力勝負(値下げ競争)で退ける戦術をとることができる。また体力があれば、競合に対してより優位性を保てる製品を開発することが可能で−−書籍でいえば原稿料を弾んで著者の意欲をかきたてるとか、取材費を潤沢に提供するとか、ベテラン編集者に担当させるとか−−それは消費者(読者)の利益にも叶う。ま、半分は建前だけれど、こう擁護しないと「企業が儲けるのはケシカラン」と変な人が涌いて出かねないので。

また、率よりも金額のほうが大事ということも指摘しておきたい。薄利は多売によって支えられる。

販売数が劇的に増えない限りは、従来の300円が妥当な線という合意に至るであろう。「いや、モノを動かすより楽になるのだから、もっと下げられる」という意見も出ようが、浮いた費用が100%読者に還元されると考えるのは甘すぎよう。

結論


電子書籍は、紙の書籍の半分程度の価格で提供することは十分に可能と考えられる。
とくに専門書のように少部数発行の書籍では「ものすごく高い本」が「少し高い本」になるくらいは期待できる。

しかし実際につく価格は、売れ行きの予想に依存する。たとえば中高生相手なら価格を抑えて部数を狙うが、経営者相手のものであれば、比較的強気に設定する。

安定して売れる「金のなる木」の出版権を押さえていれば、気持ち安くして普及を図ることはあっても、価格破壊的な値付けはしないであろう(出版権とは、出版社が持つ権利で、他社からの出版を差し止められる)。もっとも、先行き何が起こるのか分からないのが現実というやつだが。

BOP(base of the pyramid)の時代だから、全体的には安めになるであろうが、価格に「ありがたみ」を織り込んだ本はそうは下がるまい。

政治家が、中身の薄い本を立派に装丁して高額販売するのは脱法的政治献金と批判されるだろうが、難民の子が描いた絵を1点500円で販売して援助資金に当てるのは悪くない発想だ。これを電子版で進めれば効率が良い。こう書くとまた「それは本ではない」と原理主義者が異議を唱えるかもしれないが、あなたに正統な書籍を定義する権限はなく、よしんばあったとしても、現状でさえ書店に並んでいるものは90%がそれから外れるのだから、電子書籍にだけそんな理想を求めても意味はない。よって却下。

また再販指定されないため、時期によって、また「書店」ごとに売価が変わることが考えられる。基本的には売れ行き芳しくないものが値下げする方向だろうが、改訂を機に値上げするような強気の対応もありえるだろう。

いちばん安くなるのは自費出版物であろうか。

補足


コンピュータ用ソフトに比べiPhoneアプリは105円など極端に安価に提供されている。「だから電子書籍も」という声が聞こえてきそうだ。この原因はいくつか考えられる。

(1)少額決済が容易になった
(2)単機能製品である
(3)開発環境の違い(?)
(4)移植物は開発費の回収が終わっている
(5)競合が多い

これらが電子書籍に当てはまるだろうか。
(1)少額決済は電子書籍にも当てはまる。セミプロが出すものや、内容の普及を目的としたものは低価格が進むであろう。
(2)単機能に相当するのは小品である。ブックレットは低価格化が期待できる。紙の書籍は造本や配架の都合で、一定の大きさを必要とされたが、電子書籍では歌一首からでも販売は理論的に可能だ。
(3)書籍の製作環境がコンピューティングによって大きく変わり、コストカットが進めば低価格化が期待できる。しかし過渡期にはワープロで完全原稿を提出できる著者とそうでない著者(極端な例では原稿用紙に手書き)とで価格に差が出る可能性がある。
(4)既刊本の電子化は比較的低コストで行える。著作権の切れたものは原稿料さえ必要ない。逆に書き下ろしの新刊にはこの効果は期待できない。
(5)競合の問題は微妙。本来はすべてオリジナルなものであるはずだが、実際には書店の棚を見れば分かるように、似たような本は多い。これらは価格も同じような範囲に収まるだろう。一方で固定ファンがいるような著者が出版社へロイヤリティを示した場合には高止まりする可能性もある。

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2010/12/06

知的財産管理技能検定2級特例講習へ

制度変更にあわせて、いま持っている知的財産検定準二級を知的財産管理技能士二級にする特例講習を受けてきた。4コマの講習の後は修了試験。これに合格しないと受講料と受験料は無駄になる。

講師は弁理士だが工業所有権もとい産業財産権だけでなく著作権法や民法まで解説してくれた。陽気で親切な感じの方。

正答率ランキングは特許・実用新案がB、意匠・商標がC、著作権がS、民法・不正競争防止法・独占禁止法等がS。Sは90%以上。

思い返せば6年前に受けた知的財産検定は「意匠・商標」の成績が悪くて「準」が付いてしまった。その穴さえ塞げれば大丈夫と思う反面、その後の法改正がジークフリートの葉になる可能性も。と思っていたら、違法コンテンツのダウンロード非合法化がしっかり出題されました。これ、講義でもいっぺん飛ばされて、ごめん言い忘れてた、と後から説明された項目。...印象づけるためのテクニックだったのかなぁ? そういえば冒頭で、知財関係の話にご無沙汰の人もいるでしょう、と東京地区最後の特例講習参加者の実態を見透かしたようなこともおっしゃっていた。

1コマ目は特許、実用新案。2コマ目は意匠と登録商標。苦手意識があったけれど、まぁまぁ常識的な話。3コマ目は著作権、不正競争防止法、民法、独占禁止法はては種苗法まで。もっとも民法については契約の定義と自力救済の禁止だけ。で、契約の定義はしっかり出題された。また権利の保護期間が出るたびに「特許は出願から20年、実用新案は出願から10年...」と繰り返され、おかげで助かった人は多かったのでは。もっとも数値は覚えなくてもいいと言われましたが、種苗法の保護期間はひっかけに出ましたぞ(25/30年なのに10年と)。4コマ目はおさらい。

実務的な話が随所に織り込まれていて、たとえば商標権侵害に問われたら使用実績を調べて不使用取消審判を請求するという対抗法があるなど、面白かった。特にロゴでは事業部門が勝手に(知財部門に連絡せずに)改変している場合があって、ご本尊は使用実績がないということがあるらしい。特許を押さえて国家の保護を受けるか営業秘密として自ら守る(不正な侵害に対しては国家の保護を受けられるが立証責任が重い)かの選択の話は、試験の第一問から出てきた。こうしてみると試験対策講習とは銘打たず、実際、三択ではウに正解が多い傾向があったけれどここ最近はそうでもないというアドバイス?くらいしかなかったけれど(あ、「誰の得になるか」が鍵になるとかも言っていたか)、オールエレメントルールなど強調されていたことはよく出題されていた。(ちなみに私がウを選択したのは11問あって、なるほど偏っている。)

あと、ここには書かないほうが良いであろう楽しい話も。

試験そのものは50分で25題とゆったりしたもの。しかも3択だから4択よりも検討時間を長く取れる。15分ほどで一通り終わってしまった。もっとも見直したら変更したくなったものもあったけれど。全問解答できたし、自信もあるけれど、傾斜配点がなく1問4点だとミスの影響が大きい。知財検定は50%で合格だったようだけど、これはどうなることやら。

仮に合格したとして、一級受験には実務経験を積まなければならないし、受験資格は3年しか持たないし、そもそもすごく難しいらしいし。どうしましょ。

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