電子書籍になっても本の価格は現状の1/10にはならないだろう
電子書籍が普及すれば、本の価格は現状の1/10になると主張する人がいた。
果たしてそうだろうか?
本の価格の内訳はおよそ次のようになっている。仮に1000円(税抜)の本があるとすると
発行元 700円
取次 100円
書店 200円
発行元の取り分のうちから著者におよそ100円が支払われる(印税・原稿料)。取り分600円のうちから印刷製本関係費用、デザイン費用、広告宣伝費、人件費等を除いた残りが発行元の利益となる。
ポイント
発行元は利益を上げなければ存続できない。カツカツの経営では、新人を育成できない。新人とは書き手だけではない。1代限りで潰す個人経営ならいざしらず、会社であれば社員も育成しなければならない。人件費の対象は編集者だけでなく、営業や総務経理なども含まれ、またその内訳には給与だけでなく社会保険料の会社負担分や賞与、退職金も含まれる。
一般的な慣習として、著者の取り分は本体価格の10%である。したがって、製作流通がタダ働きをしない限り、価格を1/10にすることは不可能であることが分かる。(初刷部数の印税一括払いがなくなれば−−なにしろ初刷部数というものがなくなる−−もっと高率を要求される可能性もある)
ところが、「電子書籍であれば、製作費は劇的に安くなる」と譲らない。
では、製作流通にどれだけかかるであろうか?
製作流通販売にかかる費用
電子書籍になっても書店と取次は必要である。アマゾンやappストアは「書店機能を持った取次」であり、アフィリエイターが小売書店に相当する。現状のアマゾンアフィリエイト(紙の書籍)では最大8%が支払われている。無店舗であることや精算業務までアマゾンが引き受けていることを考えれば書店より低いのは合理的。
発行元からすれば、取次を介する以上は、書店(アフィリエイター)にいくら渡るかはあまり関係がない(直販を進める場合は重要)。で、その取次(アマゾンなど)がいくら取るかというと30-65%(=発行元に35-70%)。ただし、これは競合が現れた場合は「体力勝負の焦土戦」で下落する(『電子書籍の衝撃』第2章参照)が、独占なり寡占なりで安定した場合、再び高くなるであろう。さすがに8割9割となれば独占禁止法(優越的地位の濫用)が介入してくるであろうが。
取次が何%取るのが妥当かを論じる前に、製造原価の削減について考えたい。
製作費用
製版・印刷・製本の費用は不要になる。製版代は刷り部数に無関係なため、少部数の本では大きな割合を占めていた。これが無くなっても発行部数が多いものはあまり影響を受けないが、専門書では大きな減額要因になる。
運送代と倉庫代は通信費とストレージ費用に置き換わる。これは規模の効果によりたぶんかなり安くなる。
電子書籍の「装丁」がどうなるかは興味深い。表紙に相当するアイコンやオープニング画面は本の印象に強く影響するから、これはプロのデザイナーに任せた方が有利。この単価はどこまで下がるであろうか。
フォントサイズは読者が変えられるから決める必要はないとしても、フォントの種類は発行元で決めなければならない。ナールと角ゴチでは印象がまるで違うからだ(まして勘亭流においておや)。読者が違う印象で読むのは自由だとしても、デフォルトは著者が希望する印象をあたえる書体にする必要がある。この選定もブックデザイナーの仕事。依頼する手間を惜しんだ、MS明朝でいいよ、が一時的には流行るかもしれないが、長くは続くまい。(メジャーな読書端末が携帯電話になった場合はどうなるか分からないが)
ちなみに先日 auが発表したbiblio Leaf SP02は、「行頭に句点」「フォントに漱石感ないし」「字間行間もセンスなさすぎ」と散々な評判だった。大手企業の広報のプロでさえブックデザインには気が回らないという好例(現在の広報資料では明朝体になり、1行の文字数が変更されて行頭の句点は無くなっている)。そういう電子書籍ばかりで低位安定化する可能性もなくはないが、やはり「かっこいい」書籍の需要はあるだろう。
また実質プレーンテキストなら問題にならないが、絵であるとか図であるとかを挿入するならば、それを綺麗に描く人が必要になる。写真などを借りてくるなら、著作権処理業務も必要。とはいえ、ICTの力を借りて今までよりは安くはなるだろう。
営業と編集
次に人件費を概観してみよう。
電子書籍になれば「営業」の形態が大きく変わることは想像に難くない。だが、著者や編集者が片手間でできるものとも思えない。
一例をあげてみよう。電子書籍は電子書店でどのように売られるだろうか? 客は著者や書名を指定してくるとは限らない。「なにか面白い本はないか」と探しに来ることもある。書店のトップ画面、あるいはカテゴリ別のトップ画面に紹介してもらえるかどうかは売上に大きく関わってくる。これはリアルの書店と同じこと。むしろ棚の争奪戦よりも厳しさは増すであろう。一画面に収められる点数は平積みできる点数よりたぶん少ない(まして携帯電話でアクセスされた暁には)。一時的に良いポジションを得られても、後から来る新刊にいつ奪われるか油断はならない。「書店営業」は手を抜けない。
次に編集の人件費。これが結構難しい。すでに書いたように、従来の「出版社」は解体しても編集者は残るというのが私の考え。千歩譲っても、諸々の雑用を抱え込んだ著者よりは、執筆に専念できる著者の方が良いものを書くだろうということは容易に想像できる。
(それと第三者が目を通さない原稿の多くは外に出せる品質ではなく、まして金を取るなど論外。個人ブログの惨状を見よ。企業のウェブでさえ「担当者は読んでないのか」というような例が割と簡単に見つかる。)
営業と編集の人件費は外せない。それがいくらになるかというと、刊行点数にもよるので一概には言い切れないし、売れ行きの予想とも関係してくるが、とりあえず著者と同じ100円を当てておこう。
取次は何%までとれるか
素朴な人は、売上から経費を引いて利益を求める。だが営利企業は逆で、まず利益を決める。そこから売上と経費を導きだし、個々の価格を決定する。
「これくらいしかかからないから、これくらいで売る」というのは素人の発想。(営利を目的としないなら正しい決め方ではある)
なお、企業の目標は最大の利益を上げること。つまり儲けられるところではとことん儲けようとする。その貪欲さがないと営利企業は市場からの退場を迫られる。1000円でも売れるとわかれば、原価が10円でも1000円の値付けをするのが営利企業。そこで利益を得ておくと、後発の競合が現れたときに体力勝負(値下げ競争)で退ける戦術をとることができる。また体力があれば、競合に対してより優位性を保てる製品を開発することが可能で−−書籍でいえば原稿料を弾んで著者の意欲をかきたてるとか、取材費を潤沢に提供するとか、ベテラン編集者に担当させるとか−−それは消費者(読者)の利益にも叶う。ま、半分は建前だけれど、こう擁護しないと「企業が儲けるのはケシカラン」と変な人が涌いて出かねないので。
また、率よりも金額のほうが大事ということも指摘しておきたい。薄利は多売によって支えられる。
販売数が劇的に増えない限りは、従来の300円が妥当な線という合意に至るであろう。「いや、モノを動かすより楽になるのだから、もっと下げられる」という意見も出ようが、浮いた費用が100%読者に還元されると考えるのは甘すぎよう。
結論
電子書籍は、紙の書籍の半分程度の価格で提供することは十分に可能と考えられる。
とくに専門書のように少部数発行の書籍では「ものすごく高い本」が「少し高い本」になるくらいは期待できる。
しかし実際につく価格は、売れ行きの予想に依存する。たとえば中高生相手なら価格を抑えて部数を狙うが、経営者相手のものであれば、比較的強気に設定する。
安定して売れる「金のなる木」の出版権を押さえていれば、気持ち安くして普及を図ることはあっても、価格破壊的な値付けはしないであろう(出版権とは、出版社が持つ権利で、他社からの出版を差し止められる)。もっとも、先行き何が起こるのか分からないのが現実というやつだが。
BOP(base of the pyramid)の時代だから、全体的には安めになるであろうが、価格に「ありがたみ」を織り込んだ本はそうは下がるまい。
政治家が、中身の薄い本を立派に装丁して高額販売するのは脱法的政治献金と批判されるだろうが、難民の子が描いた絵を1点500円で販売して援助資金に当てるのは悪くない発想だ。これを電子版で進めれば効率が良い。こう書くとまた「それは本ではない」と原理主義者が異議を唱えるかもしれないが、あなたに正統な書籍を定義する権限はなく、よしんばあったとしても、現状でさえ書店に並んでいるものは90%がそれから外れるのだから、電子書籍にだけそんな理想を求めても意味はない。よって却下。
また再販指定されないため、時期によって、また「書店」ごとに売価が変わることが考えられる。基本的には売れ行き芳しくないものが値下げする方向だろうが、改訂を機に値上げするような強気の対応もありえるだろう。
いちばん安くなるのは自費出版物であろうか。
補足
コンピュータ用ソフトに比べiPhoneアプリは105円など極端に安価に提供されている。「だから電子書籍も」という声が聞こえてきそうだ。この原因はいくつか考えられる。
(1)少額決済が容易になった
(2)単機能製品である
(3)開発環境の違い(?)
(4)移植物は開発費の回収が終わっている
(5)競合が多い
これらが電子書籍に当てはまるだろうか。
(1)少額決済は電子書籍にも当てはまる。セミプロが出すものや、内容の普及を目的としたものは低価格が進むであろう。
(2)単機能に相当するのは小品である。ブックレットは低価格化が期待できる。紙の書籍は造本や配架の都合で、一定の大きさを必要とされたが、電子書籍では歌一首からでも販売は理論的に可能だ。
(3)書籍の製作環境がコンピューティングによって大きく変わり、コストカットが進めば低価格化が期待できる。しかし過渡期にはワープロで完全原稿を提出できる著者とそうでない著者(極端な例では原稿用紙に手書き)とで価格に差が出る可能性がある。
(4)既刊本の電子化は比較的低コストで行える。著作権の切れたものは原稿料さえ必要ない。逆に書き下ろしの新刊にはこの効果は期待できない。
(5)競合の問題は微妙。本来はすべてオリジナルなものであるはずだが、実際には書店の棚を見れば分かるように、似たような本は多い。これらは価格も同じような範囲に収まるだろう。一方で固定ファンがいるような著者が出版社へロイヤリティを示した場合には高止まりする可能性もある。
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