電子出版≠電子書籍
3団体合同「iPad利活用研究会」の末席に連なってiPadの活用事例を聞いてきた。配布資料からは割愛されて、スライドだけでの説明だったので社名は出さないほうが良いだろう。驚いたのはサイネージとしての利用。マス配布はしないのだ。
電子書籍に対する個人的期待はすでに述べた。だが出版≠書籍なのだ。それは雑誌もあるというのとは違う。電子出版は1部(?)発行もありだということ。
ダイレクトメールの名前を差し込み印刷にするのは古典的だが、コンテンツをコンピュータ管理すれば、内容も個人に合わせてカスタマイズできる。電子書籍の特徴に挙げられるアンビエントの「あなただけ」が、文字通り「世界に一つ、あなただけのコンテンツ」になりうることにゾクッとした。
また考えて見れば「生きている図書館」も現実にあるのだ。リメイク版「タイムマシン」に登場するVR司書(?)のように、キャラクターとの会話で情報を得る「図書」は考えられる。画面に映る文字を読むことに限定する必要はない。
「それが出版か?」という意見はあるだろう。だがそんなことを言い出せば、いま店舗に並んでいる書籍でさえ多くは「読書の対象ではない、ただの見るカタログ」という批判を免れないではないか。
バーチャル司書(クラウド展開すればどの端末からも呼び出せる)に自然文で質問をすれば、関連図書(資料)を持ってきてレクチャーしてくれる。もちろんレベルや重点は質問者に合わせてある。こうなるともう秘書というか執事というかコンシェルジェというか。もっともこいつ、外から金を貰って、特定商品をお薦めするようなこともするから油断がならない。十分な給与を払ってロイヤルティを高めるか、利害相反にならない限りで小遣い稼ぎを認めるか、これはユーザーが選ぶようになるだろう。
研究会に話を戻すと、今のところハードウェアとセットでの提供が多いようだ(個人のiPad所有はまだ少ない)。だがいずれ、個人の持つ端末へのプッシュ配信も現実的になるだろう。そこで問題になるのはAndroid端末。NetscapeNavigator2とかInternet Explorer3なんてのから知っていると、ブラウザで見え方が違うのは当たり前だが、出版就中デザインの人にこれは受け入れてもらえない。そうすると機種ごとにピクセル単位の調整なんて地獄の作業が発生しかねない。しかし、だれにでも同じ大きさの字で見せるって、作り手の自己満足ではないだろうか。アクセシビリティの精神に反していると思う。縦読みを仕込むとか、特別なことをするのでなければ「細かいことは気にしない」で行きたいものだ。
余談になるが、無料なので医学界新聞のiPadアプリを落としてみた。紙面そのままのレイアウトよりはテキスト中心レイアウトのほうが断然読みやすかった。
組版に情熱を傾けている方がいることは知っているが、高度になりすぎて文化財クラス=実用性喪失になっていないだろうか。実用性の中に費用対効果も含めると、過剰品質は害になる。いずれ電子出版も爛熟期を迎えれば、凝った組版も日の目をみるかもしれない。その日まで伝統芸能として静かに保護されていてください。
閑話休題。iPadのようなタブレット活用もB2B(対事業者)とB2C(対消費者)の2通りがある。ハードの普及状況を考えるとまずB2Bだろう。そういえば第2回の後で活用シーンの妄想をまとめたはずだ。探してみよう。
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