« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010/11/23

世間話では使えない「暴力装置」だが

遅ればせながら「自衛隊は暴力装置」について述べてみる。

1.国家は暴力装置を必要とする
堯舜を理想とする人なら暴力装置を必要としない国家を模索するかもしれないが、現実問題としては難しい。だからある防衛大臣経験者も「警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と述べている(発言当時は農水相)。
今回「とんでもない!」という大合唱が湧き上がったが、ある法学者は「自衛隊は国家の暴力装置に決まってるだろう」と書き、ある政治学者は「「国家」が、社会的装置として、企業その他の社会集団と区別できるのは、「一定の地域・住民」に対し「正統的暴力」を独占している、という点にあります。これは、ウェーバー以来、政治学では、最も通常の定義です。」に始まる連続ツイートで解説をしている。
つまり「自衛隊は暴力装置」というのは正統的な見解である、というのが第一。

2.非難の声を上げた人は何に怒っているのか
にもかかわらず、国会も新聞テレビも非難の声一色。ネットでも非難派は多く、wikipediaの関連項目は悪意のある言葉として使用されたという印象を与えようとするかのように頻繁に編集されている。
非難の理由の一つは、「暴力装置」という言葉を政治学用語ではなく一般語として捉え「国を守る自衛隊員に対して失礼」というもの。事の成り行きに気づいた人たちが遅ればせながら上述のように政治学の常識だと解説をすると、そんな難しいこと知りません、私は失礼だと思いました的にシフトはするが、非難の矛先を収めはしない。居酒屋や理髪店での世間話ならそれは通じるけれど、今回は国会答弁。 国会は国民全体を反映するものだから、いわゆる教養に欠ける議員が少しくらいいるのは仕方が無い(むしろ義務教育を終えただけで働いてきた人々の声を感覚レベルで理解できる議員は必要)。しかし参議院とはいえ予算委員会は国会審議の晴れ舞台であろう。各党選りすぐりのエース級を送り込む場の筈だ。国会法が国家公務員の最高と定める給与額(現在1,297,000円)を受け取る職業政治家が使う言葉を日常感覚だけで批判するのは不適切だろう。
「旧土人保護法」のように、非難に価する言葉もあるが、法律の名前を口にした者を非難するのは的外れ(同法は廃止されている)。
つまり不快に思う気持ちは理解できるが、それは庶民の会話においてのみ成立する。これが第二。

3.坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
国会で政治学の常識を述べたことを非難するのは難しいと気付いたのか、仙谷の意図は違うと言いだす人もいる。悪罵として使ったというわけだ。
文脈を見てみよう。予算委員会で取り上げられたのは自衛隊関連行事の来賓に政治的発言を控えるよう求めた防衛事務次官通達。公務員に政治的中立が求められるのは選挙への影響(干渉)が理由だ。だが自衛隊が政治的中立を破った場合、影響は選挙にとどまらない。サルは木から落ちてもサルだが、議員は選挙に落ちればただの人というけれど、自衛隊が武器を持って政権交代を迫ったら、政府要人は良くて囚人、悪くすると死人になってしまうのだ。佐藤優は尖閣沖ビデオの流出に関して、機関砲を持つ組織(海上保安庁)の職員に下剋上を認めてはならないと述べているが、自衛隊が持つのは機関砲どころではない。
もちろんほとんどの自衛隊員は法と法に基づく命令に忠実だろう。そう簡単に部隊ごと動いて2.26事件のようになるとは今のところ考えにくい。40年前、三島由紀夫は自衛隊員を集めさせて蹶起を促す演説をしたが、逆に野次られて腹を切った(因果関係は不詳)。だが戦闘機乗りが「憂国の志」に取り憑かれたら? 後先考えずに官邸へ空対地ミサイルを撃ちこむことは絶対にないと言い切れるだろうか? 大掛かりな武器を持ち出す必要もない。自衛隊には狙撃やら爆破工作やらのプロが揃っている。一人でも十分なのに数人で「天誅(=要人暗殺)」を画策されたらSPでは防ぎきれまい。
殷鑑遠からず。今年33人の鉱山労働者の救出で湧いたチリは、37年前、自由選挙によって選出された大統領が、大統領府で反乱軍と銃撃戦の末に殺された国でもあるのだ(Wikipediaの記事(2010年10月13日 (水) 11:42)によれば、政権発足直前には軍の政治的中立を主張してクーデターの依頼を拒否した陸軍総司令官が暗殺されている)。仙谷由人はこの時27歳。「思はず知らずイツか掌が首に廻つてゐた」(山崎今朝弥)のではあるまいか。
自衛隊の政治的中立の重要性が分かっていれば、悪口を言って挑発するようなマネをするわけがない。
つまり、暴力装置である自衛隊の政治的中立を守るため外部から煽らせないというのはスジが通っており、思わず知らず罵ったと見るのは無理がある。これが第三。

4.反知性主義の台頭?
日常感覚からは「え?」と思えるにしても、正統な政治学用語である「暴力装置」の使用に対して取り消しと謝罪を求めての大騒ぎは、特に「暴力装置」という言葉を知っている人からすると異様な眺めであった。ちなみに私は政経が専門ではないが、それでも「軍と警察は暴力装置」という論にまったく疑問は感じなかった(ただし、マックス・ウェーバーの名前はすぐには出てこなかったので、Yahoo!百科事典で確認はしたけれど)。

新聞ではようやく22日に朝日紙の投書欄で「政治学のイロハ」という指摘が取り上げられたのを確認できたが、それまでは自衛官に失礼論に加え、出典はレーニンだとか「かつて自衛隊を違憲と批判する立場から使用されてきた経緯がある」とか唖然とするような記事ばかり。ふだん「マスゴミが」などと言っている人も、自分が信じたい記事はすぐ信じるようだ。

これらに対して反知性主義の表れではないかという憂慮の声がある。

学術用語を日常語で解釈して非難し、政治的に立ちまわる危険を天皇機関説事件を振り返って諌める人は「(重要なのは)『威勢の良さだけが取り柄の馬鹿』どもをどう啓蒙するか」「馬鹿にちゃんと「お前馬鹿だろう」って言わないと、機関説論争で美濃部をファナティックな民間馬鹿に売った当時の学者や知識人となんら変わらないよ。」とも述べている。

残念ながら、この声が肝心の「馬鹿」(「」付きであることに注意)に届くとは思えない。馬鹿と言われて我が身を冷静に顧みられる人は、学識の多寡とは関係なくインテリだ。インテリは少数派。カッとなって殴りかかろうとする人、「人にバカっていう方がバカ」と返して気のきいたことを言ったつもりになる人、いじける人、金持ち喧嘩せずとばかりに聞き流す人、これで大部分ではないだろうか。

「職業としての政治」が一般教養と言えるかというと微妙だし。

反知性主義という確固たるものではなく、自尊心の問題「わたしをバカにするな」であると思う。手を焼いた人達の間では、半ば冗談で、これはもう池上(彰)さんに登場してもらうしかないのではという声さえ聞こえる。反知性主義なら池上さんは逆効果だが、彼がにこやかにスタジオの「おバカ引き受け役」に解説するのを聞けば、すんなり受け入れることだろう。

つまり、納得してもらうためには自尊心を傷つけない配慮が必要。これが第四。

ところで解せないのは国会議員の反応。あれは知らないというよりは、知っていて、あるいは突込みどころではないことを承知の上で騒いでいたのだと思いたい。なにしろ予算委員というのは国会議員の中でも選りすぐりだ。そんなウェーバーも知らないバカの集まりなワケがないだろう。それが危険な火遊びであるのは天皇機関説事件以降の歴史を見れば明らかなのだが、さすがにそこまで賢くはなかったか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010/11/22

電子出版≠電子書籍

3団体合同「iPad利活用研究会」の末席に連なってiPadの活用事例を聞いてきた。配布資料からは割愛されて、スライドだけでの説明だったので社名は出さないほうが良いだろう。驚いたのはサイネージとしての利用。マス配布はしないのだ。

電子書籍に対する個人的期待はすでに述べた。だが出版≠書籍なのだ。それは雑誌もあるというのとは違う。電子出版は1部(?)発行もありだということ。

ダイレクトメールの名前を差し込み印刷にするのは古典的だが、コンテンツをコンピュータ管理すれば、内容も個人に合わせてカスタマイズできる。電子書籍の特徴に挙げられるアンビエントの「あなただけ」が、文字通り「世界に一つ、あなただけのコンテンツ」になりうることにゾクッとした。

また考えて見れば「生きている図書館」も現実にあるのだ。リメイク版「タイムマシン」に登場するVR司書(?)のように、キャラクターとの会話で情報を得る「図書」は考えられる。画面に映る文字を読むことに限定する必要はない。


「それが出版か?」という意見はあるだろう。だがそんなことを言い出せば、いま店舗に並んでいる書籍でさえ多くは「読書の対象ではない、ただの見るカタログ」という批判を免れないではないか。

バーチャル司書(クラウド展開すればどの端末からも呼び出せる)に自然文で質問をすれば、関連図書(資料)を持ってきてレクチャーしてくれる。もちろんレベルや重点は質問者に合わせてある。こうなるともう秘書というか執事というかコンシェルジェというか。もっともこいつ、外から金を貰って、特定商品をお薦めするようなこともするから油断がならない。十分な給与を払ってロイヤルティを高めるか、利害相反にならない限りで小遣い稼ぎを認めるか、これはユーザーが選ぶようになるだろう。

研究会に話を戻すと、今のところハードウェアとセットでの提供が多いようだ(個人のiPad所有はまだ少ない)。だがいずれ、個人の持つ端末へのプッシュ配信も現実的になるだろう。そこで問題になるのはAndroid端末。NetscapeNavigator2とかInternet Explorer3なんてのから知っていると、ブラウザで見え方が違うのは当たり前だが、出版就中デザインの人にこれは受け入れてもらえない。そうすると機種ごとにピクセル単位の調整なんて地獄の作業が発生しかねない。しかし、だれにでも同じ大きさの字で見せるって、作り手の自己満足ではないだろうか。アクセシビリティの精神に反していると思う。縦読みを仕込むとか、特別なことをするのでなければ「細かいことは気にしない」で行きたいものだ。

余談になるが、無料なので医学界新聞のiPadアプリを落としてみた。紙面そのままのレイアウトよりはテキスト中心レイアウトのほうが断然読みやすかった。

組版に情熱を傾けている方がいることは知っているが、高度になりすぎて文化財クラス=実用性喪失になっていないだろうか。実用性の中に費用対効果も含めると、過剰品質は害になる。いずれ電子出版も爛熟期を迎えれば、凝った組版も日の目をみるかもしれない。その日まで伝統芸能として静かに保護されていてください。

閑話休題。iPadのようなタブレット活用もB2B(対事業者)とB2C(対消費者)の2通りがある。ハードの普及状況を考えるとまずB2Bだろう。そういえば第2回の後で活用シーンの妄想をまとめたはずだ。探してみよう。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2010/11/04

電報あるいはエスニックレストラン風ツイッター術

ツイッターでは1回に送信できるのは140文字までである。「あいう」も「abc」も等しく3文字と数えられるので、Twitter(7文字)ではなくてツイッター(5文字)と書く、さらに句読点の省略や漢字の多用などユーザーは苦心を重ねている。

それでもユーザー名を指定したり、URIをつけたり、引用をしたりすればそれだけ自由に使える文字数が減る。

勢い省略や短縮が幅を利かすわけだが、これが思わぬ誤解を生むことがある。

ツイッターでは向かうところ敵なしの芦田宏直先生は「アホか」「ネット売春婦」などと端的なツイートをされるため、感情的な反発をしばしば受けている。しかしご本人は改めるつもりはないらしい。

「アホ」ではないとしたら、「バカなことを言ってはいけません」かな。これだと人格攻撃臭がないので、いつもはこれなのですが、140文字ではつらい(笑)。

このツイートを見て思いついた。よく使う定型文に番号を振っておき、それを提示すれば十分な説明ができるではないか。

ちょうど電報文を例文から選ぶあるいは中華料理店のように読めない料理名の代わりにメニューの番号で注文するのと同じ。

こんな感じに。
1:バカなことを言ってはいけません
2:素直さと拒絶が極端な仕方で同居していて、勉強できなくなっている
3:大学教員ならもう少し考えなければいけません
4:これを読みなさい→http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100721/237707/
5 :天才とは、自己を意識せずに対象に没頭できる人。アホほど、「私は…と思います」なんて言いつづける。

10:男との距離の取り方や私生活との距離の取り方が抜群だね。まるで売春婦みたい。
11:学生のくせに一度も勉強したことないのよ。慶大生売春婦みたいになってる。もっと勉強しないと。

ツイッターのプロフィールに定型文を載せきるのが難しければ、自分のウェブページに載せておき、プロフィールに「番号についてはhttp://www.ashida.info/blog/* を参照」としておけば済む。


ご本人にも骨子をリツイートしておいたが、さてどうなるか。w

ちなみに「21」とは、記憶に誤りがなければ、この中華料理メニュー風議論を紹介したナイジェル・コールダーが例示した番号。なにか気の利いた落ちがあったはずだが...

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/11/02

ひのもとおにこ(日本鬼子)で萌えられるか

ひのもとおにこ(日本鬼子)という萌えキャラを作ろうという計画が進められているらしい。

その趣旨は以下のように説明されている。

日本鬼子ってキャラを作り、日本鬼子に別の意味、概念を作る事

その新しい概念が定着した人間が反日デモ、暴動見たとき日本鬼子! って旗持った奴が顔真っ赤にしてシュプレヒコール挙げてたらどう思うか?  日本鬼子ってなんだろうってググったら萌えSSやかわいい鬼子ちゃんがTOPででてきたらどうだろう?

反日暴動の画像みたら萌えオタが暴動起こしてるように見えるんじゃないか?

中国の反日デモをいなそうというわけだが、反中国あるいは逆に日中友好といった政治的目的があるわけではないとしている(キャラクターへのスローガンの書き込みは明示で禁止されている)。

スラッシュドットでこの話を読んだときは、「斜めに受けて」という姿勢や、紹介されていた中国側の反応に笑ってしまった。

中国国内ですら「糞青」とバカにされることがあるらしい憤青(怒れる若者)の暴走気味反日行動への対応としてはエレガントにさえ思えた。

しかし日本鬼子は単なる蔑称ではない。戦争を知らない世代にとってはそうかもしれないが、日中戦争中は恐怖と憎悪が込められていたはずだ。今の日本でこれに相当する語感のある言葉はさがすのが難しい(なんと平和でありがたいことか!)が、「ピカッ」はそれに近いかもしれない。美術グループが広島市の上空に飛行機雲で「ピカッ」という字を描いて非難されたことがある。この表現行為に理解を示す評論家も「「ピカ」が戦後数十年間にわたって原爆に対する激しい怒りや原爆症に対する差別意識をも含むネガティブな言葉として用いられてきた歴史的認識や配慮がなかった。あるいはあったにしても甘かった。」と指摘している。

とすれば、日本鬼子に新しい意味を付与しようとする試みは、たとえるならばアメリカが no more hiroshima という萌えキャラを作って反核兵器運動を脱力させようとするのと同じではないだろうか。世界で一番核兵器をもつアメリカが、そのようなことをすれば、被爆者は憤るだろう。

同胞の「ピカ」に対する感情さえ理解出来ないのだから、親しみを覚えない異国の老人への配慮を求めても無理だろう。しかも、そういう老人たちが「ひのもとおにこ」の絵を見る可能性は極めて低い。カウンターを喰らって慌てふためくのは自らの経験には基づかない言葉を振り回す憤青だけだ。その理屈はもっともだ。

だが、この無邪気さになにか寒々しい感覚を覚えてしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »