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2010/10/22

某官公庁の底抜けセキュリティ

某官公庁の庁舎に入っている外郭団体の話である。職員一人に一台のノートパソコンが支給されていた。だがノートパソコンというのは持ち運びが実に容易である。というかそのために作られたパソコンだ。庁舎全体にセキュリティシステムがあるとはいえ、業務上個人情報を扱うためだろう、セキュリティワイヤとケンジントンロックも支給された。

ところがだ。デスクが肝心のワイヤを結びつける構造になっていなかった。で、以下のような素敵な処理が行われた。写真は私が使っていたデスクだが、全員これと同じことをやっていた。

机を持ち上げたら容易に外せるセキュリティワイヤ
情報セキュアドを持つ身としては「これでは無意味」と進言はしたけれど、時給900円の臨時職員の言うことは通らない。ま、どうせ短期雇用だからと矛を収めた(軽く扱われる職員はロイヤリティも希薄になる)。

だが、さすがに良心が咎めたので、契約延長後の事務所移転(同じ庁舎内だが)に際して、自分の分だけでもまともなセキュリティ状態に変更した。ちょっと使いにくくなるのが難点。

容易には外せないセキュリティワイヤ

その後、新たに導入されたノートパソコンや外付けハードディスクに関してはまともなワイヤ処理をしたが、かなりの数のPCが底抜けセキュリティ状態にあった。

適正なワイヤ処理を強硬に主張しなかったもうひとつの理由は、鍵の管理が適当だったから。いくらワイヤをしっかり固定しても、鍵で外されたらなんにもならない。2mのワイヤをつけたまま持ち去る方が難しいだろうという判断。USBメモリ突っ込まれたらみんな抜かれちゃうし。

なお、退職時の引き継ぎ事項に書いておいたので、現在は適正に処理されていると信じる。

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2010/10/16

チリの「炭鉱」って書いている人たちは大丈夫?

チリ共和国コピアポ近郊で落盤事故のあったサンホセ鉱山は銅と金の鉱山です。炭鉱(石炭鉱山)ではありません。

ところが炭鉱(または炭坑)と書いている人がいる。日経BPのあるコラム(プロのライターが執筆し、編集のチェックも入っている)にさえ、炭鉱と3回(含む「炭鉱夫」)も書いてある。

もしかして、と思って「チリ 炭坑|炭鉱」で検索をして、目眩を覚えた。1か月以内に限定しても214,000件もヒットする(さすがに「チリ 鉱山」の2,260,000件よりは少ない)。

結果を少し見てみよう。まずニュース。

・ジョブズ、チリ炭鉱生還の33人に新iPod謹呈 ギズモード・ジャパン
・チリ救出劇、中国ネットに飛び火 炭鉱の安全管理批判の書き込み - J-CASTニュース【これは正しい
・【チリ奇跡の救出】炭鉱事故多発の中国でも高い関心 - MSN産経ニュース【これは正しい

さすがにマスコミはしっかりしていると言いたいが、8月にはこんな記事も(期間を絞り込む前に発見した)。

「愛する妻へ」生存知らせたラブレター チリ炭鉱事故 - MSN産経ニュース

8月23日の配信なので、かれこれ2か月間も放置されている。本文は正しく「鉱山」となっているので、整理部のミスなのだろう。

ちなみに「-中国」で絞り込んでも約 64,200 件ヒットする。

「まずニュース」と書き出したが、疲れたのでここで探索中止。

日本で落盤事故と聞いて炭鉱を連想するのは、ある年代以上なら当然かもしれない。また「炭鉱じゃないよ、銅山だよ」という記事もヒットしているだろう(明日にはこのエントリーも仲間入り)。指摘を受けて、書き直す代わりに追記で対応したところもあるだろう(さらに「-鉱山」で絞ると約 42,100 件)。掲示板のスレッドなら、一人が炭鉱と書いてしまえば、残りの参加者全員が銅山と正しく認識していても誤りに数えられる。

比率で言えば、正しく鉱山と書いたページが約50倍ある。しかし炭鉱(炭坑)という勘違いも無視できる数とは思えない。あえて偏見を交えていえば、ニュースをきちんと読み(聞き)とれず、そのくせ一文をものして世界に公表する人がこれだけ(どれだけ?)いるということだ。少数派とはいえ「世間の声の一つ」として影響力を発揮したら面倒なことにならないだろうか。


まさか、石炭を知らない世代が炭鉱=鉱山だと思って書いたと言うオチはないよね?

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2010/10/15

いまさらながら「一番じゃなきゃダメなんですか」

2009年の事業仕分けにおいて、次世代スーパーコンピュータ開発予算に対して蓮舫議員が発した「1番じゃなきゃダメなんですか? 2位じゃだめなんでしょうか」は事業仕分けを象徴する言葉のように繰り返し放映され、ご本人が『一番じゃなきゃダメですか?』という著書を出すほどに。

これを最初に聞いたときは、なんて愚かな質問だろうと思った。彼女の選挙の時には「当選しなきゃダメなんですか、次点じゃだめなんでしょうか」と嫌みを送ろうかと思ったほど。これは私ばかりではなく「科学研究がわかっていない素人の暴論」としてノーベル賞受賞者を集めて批判集会まで開かれた。最近では、2010年のノーベル化学賞を取られた鈴木博士が「科学や技術を全く知らない人だ」と批判するほど。

科学における1番の意味


なぜ一番が大切か。

1番と2番では雲泥の差があります。日本一高い山は知られていても、2番目に高い山は誰も知りませんよね。

これはいろんなセミナーで言われているらしい(中には「知ってますよ、南アルプス北岳3193mです」なんて受講者もいて、その時の反応で講師としての鼎の軽重が問われる)。ソニーとパナソニック、どっちのカラーテレビが売れているか、なんて知らないけれど、「その他」にくくられたら影が薄くなるというのは説得力がある。

だが科学の場合はもっと深刻。科学者の業績は論文などの発表によって評価されるが、すでにやられたことを繰り返しても、その研究発表は受理されない。材料だけのように少し趣向を変えたものは銅鉄研究(銅を使った研究はあるが、鉄はまだないのでやってみた)と呼ばれ、それはそれで大切な仕事ではあるけれど、二流以下の仕事とみなされやすい(そういえば私の卒業論文は正に銅鉄研究)。業績がなければ昇進もままならないし、競争的研究費の獲得も難しいし、共同研究の声もかかりにくいし、アカデミックポストへの転職もままならない。Publish or Perish (発表するか消え去るか)、投稿論文の採否は自然科学系研究者の死活問題なのだ。

この競争は先に投稿した者の勝ち。ほぼ同時に発表ということもあるけれど、雑誌には投稿受理日が記載されていて、どちらが早いかははっきりする(同日受理もあるだろうが)。また特許の先発明主義に対抗するには、とにかく先に結果を出すしかない。

そして一番手は発見者/発明者/提唱者となり、命名権を手に入れる。自分が発見した法則や物質あるいは新種の生物ときには元素に、発明した物や方法に、提唱した理論に名前をつけることができる。これがまた大きい。

科学界が研究者に与える最高の栄誉をご存じだろうか。何が栄誉かは人によって異なるけれど、科学者の総意として与えられる栄誉は「名前を残すこと」。中でも単位名への採用が最高級。科学は難しいという人でも、電気の単位、ボルト、ワット、アンペアはご存じだろう。それぞれA.Volta(イタリア 1745 - 1827)、J.Watt(イギリス 1736 - 1819)、A.Ampere(フランス 1775年-1836)に由来する。温度を表す摂氏温度(℃)はA.Celsius(摂爾修斯、スウェーデン 1701 - 1744)から。中にはキュリーさんのように使われなくなってしまうこともあるけれど、一般的には永く名を留めることができる。単位としては他にパスカル、ニュートン、ドルトン(ダルトン)、モルガン、ベクレルがある。

単位に名を残すのはなかなかの難関であるが、物や法則の名前も歴史に残る。たとえばX線撮影はレントゲンの名で親しまれている。自分で命名しなくても、「あの人の仕事だから」と名を冠せられることもある。分子生物学でよく使われるサザンブロッティングはE.Southernが開発した。それゆれその後に別人によって開発されたノーザン法、ウェスタン法がnorthern,westernなのに対してサザン法のみSouthern blottingと大文字表記である。もっともサザンご本人はgel transferという名称を広めようと頑張っていたらしいが。(なおウェスタンブロッティングは2番目の開発者による命名ということで、必ずしも一番じゃなきゃダメというわけではない。ネーミングのうまさの問題。)

大成建設が「地図に残る仕事」という名コピーを広告に載せたことがあるが、研究者は歴史に残る(かもしれない)仕事に挑んでいる訳。

誤解?


というわけで、蓮舫議員に腹を立てた訳だが、その後たまたま『一番じゃなきゃダメですか?』を読む機会があり、どうやら話が違うらしいと気がついた。

ネットでは、まるで圧迫面接のようだ、人の発言を遮ぎるなんて何様だ(「私の話も聞いてください」も有名になった)、1時間で何が分かると悪評たらたらの事業仕分けだが、実は事前に2回もヒアリングをして、同じ質問をしていたという。来年度の予算をつけるとどんな利益があるのか、逆に予算をつけないとどんな不利益があるのか具体的に説明してと求めているのに、本番で返ってきた答えは「夢です」。本には「会場は失笑であふれていました」とさえある。

そこで実際の様子を確かめることにした。Ustreamで中継された筈だが、なぜか録画を見つけることができなかったので、Youtubeにあがっている録音(なぜか画像はない)を聞いてみた。

事業仕分けの様子


Youtubeのサイズ制限により7つに分割されていたが、最初から連続再生することができる。ちなみに参照数を見ると1が1457、2が1376、3で急に減って534、問題の「2位じゃダメなんでしょうか」が聞ける5は494回しか再生されていない。同じ場面を確認できるファイルは他にもあったけれど、それも1000回未満で、「世界一になる理由はなにがあるんでしょうか。」を切り取ったたとえば「必殺仕分け人(笑)蓮舫の売名パフォーマンス」の130,259 回に比べると明らかに少ない。

では、その部分を要約再現してみよう。

06分45秒:(仕分け人?)期待される効果を具体的に。「気象の予測を局地的にできる」にこれだけの予算を注ぎ込む価値はあるか、ピンと来ない。国民生活に向けたメッセージが欲しい。またUSAに抜かれるまでどれくらい1番でいられるのか。一時的にトップになる意味は?
08分00秒:(理研)研究者の立場からすると、サイエンスに費用対効果はなじまない。ビッグバンなどを解き明かせるのはシミュレーションだけ。
08分42秒:(仕分け人?)そういう一般論は共通の認識になっている。これだけのお金をかけて来年度やる必要性を具体的に。
08分51秒:(理研)世界一を取ることで国民に夢を与えること。
09分05秒:(蓮舫)思いはよく分かるし、夢を否定するものでもないが、すでに100億予算超過していて、今後700億投入する。本当にこの額が必要なのか教えていただきたい。比較参考値を見ると、日本はすでにアメリカの後だと。「これ、世界一になる理由はなにがあるんでしょうか。二位じゃだめなんでしょうか。」あるいはアメリカと協同開発するような夢の共有はできないのでしょうか。
10分00秒:(理研?)現在の科学技術はスパコンなしには最先端は不可能に近い。世界一の研究は世界一の装置...

「会場の失笑」については聞き取ることができなかったが、スパコン開発の一般的意義を述べようとして制止され、かなり苦し紛れに「夢を与える」と言ったような印象を受けた(この部分は「具体的に」という制止はカットされているもののニュース映像の3分30秒のところで表情を含めて−−悪いけど夢を説く顔ではない−−確認できる)。

スパコン予算のまとめ


整理すると

初めの仕分け人の質問とそれに対する答え
1.スパコンで期待される効果は?(具体的に) →一般論は良いからと制されて「夢を与える」
2.USAに追い越されるまでどれくらいの間、1位を確保できるのか? →(回答なし)
3.すぐ追い抜かれると分かっていて、一時的にトップになることの意味はあるのか? →(回答なし)

蓮舫の質問
1.700億円も本当に必要なのか
2.USAにすぐ追い抜かれると分かっているのに、つかの間の1位にこだわる理由は?
3.USAと協同開発にすればもっと安くもっとよい物ができるのではないか?

700億円については「もっとかかるのではないか」という懸念も含まれている(すでに100億超過の指摘)。700億円(総額1154億円)出したらなんぼ儲かりまっか?は確かに科学研究予算に対する質問ではない。しかし限りある予算の分捕り合戦に参加しているのだから、もう少し理解してもらえるよう歩み寄るべきだったと思う。

理研の人(平尾公彦副本部長)は、どうやら気がついているようで、「最速」とか「一番」と言う言葉を避けて10ペタフロップスの効能に切り替えようとしていたが、文科省は最後まで「最速」「一番」で、「1位になれなかったらどうなる」という現実的な質問にさえ「頑張ります」としか答えられない。実際には僅差で2位になっても実害はないようなのだから、目標を「世界一」から「10ペタ」に掛け変えるだけで印象はずっと良くなっただろう(10ペタには大鑑巨砲主義だと言う批判もあったようだが)。

初めから聞いていくと、この計画が当初大手3社の参加を得てベクトル型とスカラー型の複合システムで開発するとしていたのに、途中で2社が抜けてスカラー型一本に計画変更されたことに財務省は強い不審感を抱いている。その方面からもいろいろ質問が投げかけられているが、どうも噛み合っていない感じ。仕分け人側が助け舟のように、予算に見合うと感じられるような具体的な成果の提示を求めているのに、それにきちんと答えない。

また「私の話も聞いてください」の印象が強くて、あたかも仕分け人が吊るし上げるように詰問したと思っていたが、ここでは非専門家の仕分け人は丁重に「教えてほしい」と質問を繰り返している。ペタフロップスで世界の見え方が変わるというなら、たとえば「新幹線があっても東京大阪間に飛行機を使いますよね」くらいの説明をしても良かったのではないだろうか。


印象操作


結局「“2位ではどうか”などというのは愚問。このようなことを言う人は科学や技術を全く知らない人だ」という批判は的外れだった。これは別に鈴木博士一人が不見識という訳ではなく、仕分けの実際を見ないで報道だけの印象で語れば当然のようにはまる陥穽だ。

丁重に、一位にこだわる訳が理解できないし、実際できたところですぐに二位になってしまうのだから初めからその線を追求した方が賢明ではないかという「二位じゃだめなんでしょうか」が、まるで「オラオラ、説明できるもんならしてみぃ」という恫喝のように見えるのは映像マジック。たしかに「絵になる」シーンだから、それ以上の悪意があったとはあえて思わないが。

そもそも、次世代スパコン計画が目標に掲げた世界で1位と研究者が重視する世界で1位はまるで別の話。たとえていうならば前者はエアバスA380は世界最大の旅客機という意味での世界一、対する後者はライト兄弟は世界で最初の飛行機を開発したという意味での世界一。もちろんエアバスの開発も大仕事だし、いくつもの画期的な技術が使われているだろう。しかし木枠に布張りで数百メートルしか飛ばなかったライトフライヤー号の方が画期的なのだ。

どうもその辺も誤解している人が多い感じ。かくいう私もそう誤解して腹を立てていた訳で。いや、世間の人も私並みにおばかと主張したい訳ではありませんが。(大阪大学の菊池教授など冷静な反応もありましたが、管見の範囲では少数派。ちなみに菊池教授はTwitter上で、上記産経記事を無批判に紹介した朝日アピタル苦言を呈されていた。←本エントリーの執筆動機)

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2010/10/12

コロンタール村

アルミニウム精錬工場からの有毒汚泥流出事故が起きたハンガリーのコロンタール(Kolontar)村とはどんなところか地図で調べた。


大きな地図で見る

村の東に池がある。池の間を鉄道が通っていて、車中からはさぞや風光明媚と思いきや、これを航空写真で見ると!


大きな地図で見る

なんと水は真っ赤。これぞ有毒汚泥の貯蔵池であろう。

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2010/10/10

Inbookにおける邂逅 愚かな学生への忠告

Inbookに『モリソン・ボイド 有機化学』から「愚かな学生」のエピソードを投稿した。

すると、前後した投稿と絶妙の組み合わせが誕生した。

愚かな学生の失敗談の下に「失敗したことが恥ずかしいんじゃない、そこから何も学ばないことが恥ずかしいんだ」


以前の悲しむべき経験からはほとんど何も学んていなかったので,」とセットになっていたら最高だったのになぁ!

ソーシャルメディアではこのような思いもかけぬ出会いが起きる。Twitterでは、「やっぱり小泉さんは分かりやすかった」「わかってたまるか、と思って書き続けています」というツイートがタイムライン上に並んで笑ってしまった(互いにそんなツイートと並んでいるとはご存じない)。

2つのツイート


ときどきツイートに通し番号を振って、少し長めの意見開陳を試みる人がいるけれど、見る人によってはその間に不似合いあるいは抱腹絶倒のツイートがまぶされてしまうしまうのだ。それがまた面白い。

板子一枚下は「わなびう」か「うんこなう」か。

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無色になった辣油

餃子についてきたのであろうラー油のパックが発掘された。

初めはなんだか分からなかった。なぜならば、ラー油特有のあの色がなかったから。

よく見ると隅の方にうっすらと残っている。
色のないラー油のパック

ラー油の色はおそらく唐辛子の色(パプリカ色素)。これって時間経過で褪色するか?

味を確認する勇気はなかったので廃棄した。なにしろ冷蔵の隅で(冷蔵する必要はないだろう!)何年も、ひょっとすると十数年眠っていたものなので。密封が生きていれば有害なものはできていないと思うがさすがに感覚的に受け付けない。もし酸素が透過していれば過酸化脂質ができているかもしれないと(冷蔵してあったことは無視して)合理化。

腹でも痛くなったら無色の呪い、なんちゃって。

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2010/10/09

*年ぶりの夏の学校(3)

いつのまにか一月以上経ってしまった。生化学若い研究者の会(生化若手の会)主催の第50回夏の学校の記録最終章。

記念企画後半


最終日の午前中はOGOBを招いての記念企画後半「情報過多な時代のオリジナルな研究とは?」。途中休憩で顔を会わせたPhDはタイトルと内容が違いすぎる!と憤っていたけれど、後半はなんとなくそういう流れになった。いろいろと含蓄のあるお話を伺えたが、ここで中途半端に紹介することは避け、本家からの要約を待とう。
Alternative Careers in Scienceの前書き


活動報告/表彰/閉校式


支部の栄枯盛衰には目を見張るものがある。北海道支部や東北支部が復活したのは喜ばしい。また青息吐息とはいえ中四国支部が存続していたのも立派。一方で名門?大阪支部が消滅(休止?)していたのには驚いた。名古屋支部さえ一時は活動を停止していたらしい。

だいたい活動の縮小衰退期というのは残る人間の負担が増し、そのために後継者候補が退いてしまうという悪循環に陥り容易には抜け出せないものなのだ。だから他支部とか他団体の協力を得て軌道に乗せなおす必要がある。電子ネットワークの普及で、遠隔地との連絡は格段に楽になっているので、盛り立てていってほしい。低リスクな企画としては、他支部のイベント(講演会)のネット中継なんてのもあり。

さて、前日と打って変わってスーツ姿の稲垣先生を訝っていたところ、メルク賞の授賞式が始まった。その他にも優秀なポスター発表を表彰するなど、ほめる運営が目立っていた。これはほめる覆面調査と同じ良い傾向。(OBOG特別賞まであったのに審査に参加しないですみません。)

3つのロゴ案を示した投票用紙

また3案あった生化若手の会ロゴの投票結果は1案と3案が同数で決まらない、と発表。投票していなかったので慌てて3案に一票を投じる(だって1案は新しい高齢運転者標識みたいだから)。

なお、「蛋白質核酸酵素」の休刊で掲載の場を失った「キュベット」は羊土社の「実験医学」に場を提供していただいた由。

全体の感想


私の夏の学校経験は3期に分けられる。初期は一般参加者。ただし幸か不幸か指図をする先輩がいなかった(多くの参加者は先輩につれられてくるし、いきなりスタッフという人もいたようだ)。慣れてくると主体的に参加する気になって、企画者(オーガナイザー)や運営スタッフになる。これが中期。しかし「若手の会」だからいつまでも居座るわけにはいかない。適当なところでバトンタッチして後期へ。人によっては講師として参加するようになり、普通は「えらくなったね」と言われるのであるが、中にはいつまでも足を洗えないみたいに言われてしまう人も...(やはり後輩はいつまでたっても頼りなく見えるんですかね。) ちなみに以前は「卒業生」の講師はお礼奉公扱いで謝礼なしという時期もあったが、全体に金回りがよくなった上に、世代が離れてくると会の方からは言い出しにくくなり、自主返納に移行した模様。

今回が初めての参加だったらどう感じただろうか? まず申し込みが楽になった。前回までの様子もウェブで見られるし、検索をすれば参加者の感想なんかも読むことができる。伝手のない人間が初めて参加するときは、それこそ何を着ていくかから悩むものだ。情報公開の姿勢は評価できる。

また途中からの参加だったのでよくは分からないが、初日の夜の討論会で翌日の参加セッションごとの顔合わせをするなど、全体を有機的に関連づける工夫がされていると感じた。名簿をざっと見たところ部屋割りも所属を散らすようにされたようで、これも交流を進める上で良い工夫。もしかすると実行されていたかもしれないが、初回参加者も目立つようにしておくと「誰も知り合いがいなくて独りぽっち」を回避できる(これをやられると悪印象が強くなるので要注意)。

スタッフがそろいのTシャツを着ていて、非常に分かりやすかった。前回書いたように、急遽食事の追加をお願いできたのもスタッフが識別できたから(無理言ってすみませんでした)。

全体的に見て手際は良かったけれど、あえて難を挙げれば2つ。
記念写真の撮影がもたついた
講師の先生が所在無さげに立たれていたことがあった(招聘したオーガナイザーは気を配るべき)

なお来年はUstreamなどを利用し、現地には来られなかった人にもハイライトを参照できるようにすると、宣伝になるし記録にもなる。夜の部は....映さない方が良いでしょう。「遊んでばっかり」という誤解を招きかねませんから。(^^;

参加者は発表に集中すべきだからtsudaるのは推奨できないが、ハッシュタグを設定しておくとツイートを集計するのに便利。#swngとか#swng51とか。「分科会Cは延長戦に突入」「懇親会中だけど××についての討論会をやってます」など使い方はいろいろ。tsudaるスタッフを決めておいても良い。

とまれ実行委員の皆さん、ご苦労様。

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2010/10/07

*年ぶりの夏の学校(2)

生化学若い研究者の会(生化若手の会)主催の夏の学校へ久しぶりに参加したのは50年記念企画の一つ「1Q89 その時年長組が動いた」に登場する年長組に所属していたから(なんと要旨集本文にも名前が載っていた)。

夏の学校に初めて参加した年の秋、何かの学術集会が開かれていた現在の明治安田生命ホールで声をかけてきたのが元センター長の養王田さん(今回の企画では代表としてイントロを担当)。で、なんだかんだの神保町で深入りし、夏の学校シンポジウム企画に首を突っ込み、とうとう名古屋で開かれた四支部連絡会に並び大名で遠征したのは前回書いた通り。

この第29回夏の学校では第27回に引き続いてシンポジウムの企画に携わったうえに、単独で分科会をオーガナイズするという、若さって素晴らしいと言いたくなるような関与をした。すでに年長組と呼ばれていたけどね。(分科会にはNIFTY-Serveに開いたばかりのバイオフォーラム(FBIO)からメンバーを集め、オフラインミーティングを兼ねた。)

さて、年長組4人のうち3人、さらにその流れを汲むOBOG数名(傍目には同じようなものだろうが年長組とは一線を画したいらしい)で久しぶりに集まる口実に使った訳で、さらに同期がいたら同窓会にしようという算段をしていたのだが、50回記念なので草創期のOBらも参加している。名簿を見たら、とても大きな顔などしていられないことが分かる。と思っているうちに先生方から声をかけられ冷や汗三斗。

シンポジウム


さて2日目(私にすれば参加1日目)の午後はシンポジウムー科学の関心を社会へ。偉い先生が講演をして、壇上で講師同士が話し合うだけのシンポジウムではなく、聴衆をグループ分けして議論させ発表もさせるというなかなかインタラクティブな趣向。そしてこのグループで前日すでに予備討議をしていた!(この辺りは手際よいと感心した) 途中からだからと遠慮して黙っていたらただの「変なおじさん」になってしまうので、積極的に混ぜっ返していたら、とうとう「あなた何者?」と詰問されてしまった。と、そこへ折よく稲垣さん(第24回夏の学校校長)が「お久しぶり〜」と声をかけてきてくださったので「あ、OBなんだ」と納得(?)してもらえた。翌日の授賞式になって知ったが、稲垣教授はメルク賞の選考委員長だった。

私が顰蹙承知で突っ込んだのは、ディスカッションタイムに、与えられたテーマの「理想の科学コミュニケーション」そっちのけで、「pure science の研究費を税金で賄うことは正当化できるのか」にご執心の参加者がいたから。昨年の事業仕分けを見て、「基礎研究は大事」というお題目が力を失っていると感じたのだろう。そのこと自体は好ましいのだが、「眼に見える社会還元のないのに税金で支えてもらえるのか」と悩むようになるとちょっと不健康。そんなことを言ったら文学部の連中なんざ、ほとんど失職だ。ま、文芸産業を支えられるような学科は生き残るかもしれないが。

「この研究もいずれは社会の役に立つ(かもしれません)」というのはあざといと感じたのであろう、彼らがいったん辿り着いたのは「研究者は生きた教材として科学的なものの見方・考え方を社会に示す」というもの。それによって呪術思考や感情論に社会が毒されるのを防げる。それは確かに立派な役割だ。学術会議や日本医学会、日本薬学会、日本薬剤師会、日本獣医学会などがホメオパシー批判を公にしたのは記憶に新しいところ。だが、それは基礎研究者でなくても果たせる役割でもある。余人を持って替え難い役割でないと納得できないようだった。

ちょうど講師から、日本の科学政策は「機体と燃料とパイロットがいれば飛行機は飛ぶ」という発想で進められてきたが、それはおかしいという提起がされたところだったので、基礎研究者は整備士かもしれないし管制官かもしれない(華々しく空を飛ばなくたって構わない)と言っても納得してくれない。ま、初めに「虎(科学者)を野に放ったら危険だから、囲いの中で飼育しておく必要がある」論を展開したのがまずかったか。orz

「虎を野に放った」は、内田吐夢監督の映画「宮本武蔵 巌流島の決斗」で、武蔵にリジェクトを告げた柳生但馬守宗矩が、衝立てに描かれた絵を見て吐く台詞。但馬守としては武蔵を取り立てたかったのだが、吉岡一門が大将に担ぎ上げたとはいえ一乗寺の決闘で少年を斬ったことが咎められて叶わない。断っておいて絵を描いてくれというのも妙な話だが、あなた剣だけじゃなくて絵もうまいんだって、と?おねだり。描き終えた武蔵は黙って辞去。残された絵を見て唸る但馬の守。

ちなみにこの映画、学生のころ、師匠宅に入り浸っていた暮にテレビ放映されたのを、若い頃に映画館で観たという師匠の解説付きで見た。感銘を受けたシーンらしく、解説をしながら「覚えているもんだなぁ」と感心されていた(テレビが普及していないから映画館がその代わりでいろいろ観たらしい)。この師匠の前ではそういう経験をしていない自分がなんとなく劣化コピーのような気がしてくる。劣化とはいえ、教えられた異色の西部劇「リバティ・バランスを射った男」を覚えていて、後日深夜に放送されていたのを見られたのは収穫。あと小説では「忠直卿行状記」も、師匠の講談を聞かなければ読むことはなかったであろう。

閑話休題。で、拡散したロシアの核科学者を引き合いに、国が面倒をみないと勝手に奉公先を変えてしまう危険性が歯止めになると説いた訳だが、どうも核技術は実学と思っているらしくて、基礎科学とは話が違うとにべもない。そうかなぁ。理論物理学者だって核技術者のまねごとはできると思うよ。本当に核兵器を作る必要はない訳で、「よそで作るぞ、いいの?」と雇い主を恫喝できれば十分なんだし。それにちゃんとした科学官僚ならば、核爆発装置を作るのとミサイルに搭載可能な小型核爆弾を作るのとでは別の話で、唐人の寝言のようなことを言っている理論屋が決定的な助言をしかねない可能性というより危険性を理解するだろう。

タスマニア効果論や多様性(あるいは保険研究)論であれば納得してくれただろうか。

なお、全体的な印象であるが、科学コミュニケーションが「蒙昧な民を善導する」的にはなってなかったのは素晴らしい。AKB48にならってSCI48を結成するなどという冗談みたいな科学コミュニケーションプランさえ。生真面目な人は不謹慎だと怒るかもしれないし、真面目な人は大衆を馬鹿にしていると怒るかもしれない。しかし「学生がマンガを読むから先生の専門書が出せる」というあるブログの指摘もあるわけで(もっともコミックと専門書の両方を出している会社って講談社の他にあるの?)、広く浅いスポンサーに科学をアピールするのは案外現実的かもしれない。白衣は着ていても、中身は同世代と同じ若者だ。

また研究を、プロダクツで考えずサービスとして考えると前出ブログの「1600円のCD-ROMで出来る内容を、通信教育にして6カ月に分けると6万円。もっとお金を取りたいなら大学を立てるとトータルで100万円くらい取れる立てるは原文のまま)」も皮肉と受け取るべきではないことが分かる(ちなみに座学では研究行為を学ぶことはできないから実習は必須だし、既知の結論を確認するような実験を重ねるよりも未知の課題への取り組みを経験した方が教育的)。

なお、わがテーブルは課題を離れた議論をしていたが、前日の討議を元に一人の院生がそつなく発表文をまとめてくれていた。

このセッションでは、与えられたブラックボックスの内容を、開けないで推測するという楽しいグループワークも行われた。

記念企画前半


夜になってから到着するつもりで4日は夕食も予約していなかったが、せっかくなので追加料金を払って皆と一緒に食べることにした。やっと宿泊部屋に荷物を放り込み、寝る布団を確認してから食堂へ。OBOGは同じテーブルに集められ、お先にお酒をいただいた。私が初めて参加した当時の支部長(いきなり電話をして「夏の学校というのに参加したいんですが」と申し込んだ)やその次の支部長など懐かしい方々とも再会。

語る養王田さん

講演会場(実は体育館)に戻り前方テーブルに陣取る。まず年長組(当時)を代表して、今は東京農工大の教授に収まっている養王田さんがイントロ。彼は生化学会大会で発表前日に飲み明かし、ハイになったまま口演に臨み予鈴がなるまでイントロを語ってしまったことがあるけれど、今回は全部イントロでも問題ない。さて、それによると当初助手層によって始められた生化若手の会は徐々に若年齢化し、80年代後半には博士課程後期1年生(D1)から博士課程前期/修士課程2年(M2)が主力となって運営されていた。そこに既に院を修了して勤めだしていた三品・養王田らが「年長組」と称して再参加したのは、若手の会が掲げる2つの目標のうちの1つ、研究教育環境の改善、その中心となっていたオーバードクター問題がとりあえず解決に向かいだしたように見え(この辺の評価は難しいので私は踏み込まない)会が目標を見失いかけていたから。そこで日本の研究環境を客観的に見るために欧米との比較を企画した云々。

続いて登場した、今はミシガン大学に席を置く三品さん29回夏の学校シンポジウムを中心とする夏の学校裏話と、USAでの研究経験や大学院の状況を披露。会場はアルコールが入って半分懇親会状態なためか、某女子大はある年に大量参加して多いに盛り上げてくれたけれど翌年になると急に減って、活性の強さと半減期の短さから32Pと呼ばれたという話もあまり受けなかったみたい。物持ちの良い彼は当時のスライド(リバーサルフィルム)をデジタル化してパワーポイントで持ってきた。その中には当時の有名人を使ったポスターを改変したものがあったが、なぜか登場する3人のうち2人は去年今年で「時の人」になっていた(一人は今年の参院選に民主党から立候補、一人は去年、覚醒剤事件でムショ族候補に)。ちなみにそのポスターは日赤のもので、入手するために400ml献血をする、文字通り身体を張った努力がなされたのだ。

三番目は要旨集には載っていない長野さん。彼女は自ら研究を行う博士課程には進まずに研究支援体制を作るべく科学技術庁(当時)に入った(そして第32回夏の学校では年長組とともにシンポジウム「研究成功のカギを探る —プロジェクトのひ・み・つ—」を企画)。どうやら今回の参加目的には学生のリクルートもあったらしく、職務経歴の中にさらりと「1年間育休」を入れたキャリアパス示していた。その甲斐あってか講演後には話を聞きにくる学生も。

懇親会中にポスター発表の続きが始まる

コップを手に集まる聴衆

会場となった体育館には前日行われたポスターセッションのポスターが貼ったままになっていたが、年長組のテーブルではなぜかそれを持ってきて、いきなり続きのディスカッションが始まる。

硝煙もうもうの駐車場

22時になるといったん懇親会は中断して、駐車場での花火大会に。ちなみに海老茶色のシャツはスタッフの目印。

そのあと食堂に移って懇親会の続き。なぜか持ち込まれたタンカレー(新宿のHには養王田さんのボトルがあり、そこで飲むと私はたいてい潰される...何度経験しても学習できない)の影響を強く受けたため、記憶があるうちに部屋に引き揚げることにした。

懇親会で科学行政のやりがいを学生に説く?長野さん

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