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2010/10/07

*年ぶりの夏の学校(2)

生化学若い研究者の会(生化若手の会)主催の夏の学校へ久しぶりに参加したのは50年記念企画の一つ「1Q89 その時年長組が動いた」に登場する年長組に所属していたから(なんと要旨集本文にも名前が載っていた)。

夏の学校に初めて参加した年の秋、何かの学術集会が開かれていた現在の明治安田生命ホールで声をかけてきたのが元センター長の養王田さん(今回の企画では代表としてイントロを担当)。で、なんだかんだの神保町で深入りし、夏の学校シンポジウム企画に首を突っ込み、とうとう名古屋で開かれた四支部連絡会に並び大名で遠征したのは前回書いた通り。

この第29回夏の学校では第27回に引き続いてシンポジウムの企画に携わったうえに、単独で分科会をオーガナイズするという、若さって素晴らしいと言いたくなるような関与をした。すでに年長組と呼ばれていたけどね。(分科会にはNIFTY-Serveに開いたばかりのバイオフォーラム(FBIO)からメンバーを集め、オフラインミーティングを兼ねた。)

さて、年長組4人のうち3人、さらにその流れを汲むOBOG数名(傍目には同じようなものだろうが年長組とは一線を画したいらしい)で久しぶりに集まる口実に使った訳で、さらに同期がいたら同窓会にしようという算段をしていたのだが、50回記念なので草創期のOBらも参加している。名簿を見たら、とても大きな顔などしていられないことが分かる。と思っているうちに先生方から声をかけられ冷や汗三斗。

シンポジウム


さて2日目(私にすれば参加1日目)の午後はシンポジウムー科学の関心を社会へ。偉い先生が講演をして、壇上で講師同士が話し合うだけのシンポジウムではなく、聴衆をグループ分けして議論させ発表もさせるというなかなかインタラクティブな趣向。そしてこのグループで前日すでに予備討議をしていた!(この辺りは手際よいと感心した) 途中からだからと遠慮して黙っていたらただの「変なおじさん」になってしまうので、積極的に混ぜっ返していたら、とうとう「あなた何者?」と詰問されてしまった。と、そこへ折よく稲垣さん(第24回夏の学校校長)が「お久しぶり〜」と声をかけてきてくださったので「あ、OBなんだ」と納得(?)してもらえた。翌日の授賞式になって知ったが、稲垣教授はメルク賞の選考委員長だった。

私が顰蹙承知で突っ込んだのは、ディスカッションタイムに、与えられたテーマの「理想の科学コミュニケーション」そっちのけで、「pure science の研究費を税金で賄うことは正当化できるのか」にご執心の参加者がいたから。昨年の事業仕分けを見て、「基礎研究は大事」というお題目が力を失っていると感じたのだろう。そのこと自体は好ましいのだが、「眼に見える社会還元のないのに税金で支えてもらえるのか」と悩むようになるとちょっと不健康。そんなことを言ったら文学部の連中なんざ、ほとんど失職だ。ま、文芸産業を支えられるような学科は生き残るかもしれないが。

「この研究もいずれは社会の役に立つ(かもしれません)」というのはあざといと感じたのであろう、彼らがいったん辿り着いたのは「研究者は生きた教材として科学的なものの見方・考え方を社会に示す」というもの。それによって呪術思考や感情論に社会が毒されるのを防げる。それは確かに立派な役割だ。学術会議や日本医学会、日本薬学会、日本薬剤師会、日本獣医学会などがホメオパシー批判を公にしたのは記憶に新しいところ。だが、それは基礎研究者でなくても果たせる役割でもある。余人を持って替え難い役割でないと納得できないようだった。

ちょうど講師から、日本の科学政策は「機体と燃料とパイロットがいれば飛行機は飛ぶ」という発想で進められてきたが、それはおかしいという提起がされたところだったので、基礎研究者は整備士かもしれないし管制官かもしれない(華々しく空を飛ばなくたって構わない)と言っても納得してくれない。ま、初めに「虎(科学者)を野に放ったら危険だから、囲いの中で飼育しておく必要がある」論を展開したのがまずかったか。orz

「虎を野に放った」は、内田吐夢監督の映画「宮本武蔵 巌流島の決斗」で、武蔵にリジェクトを告げた柳生但馬守宗矩が、衝立てに描かれた絵を見て吐く台詞。但馬守としては武蔵を取り立てたかったのだが、吉岡一門が大将に担ぎ上げたとはいえ一乗寺の決闘で少年を斬ったことが咎められて叶わない。断っておいて絵を描いてくれというのも妙な話だが、あなた剣だけじゃなくて絵もうまいんだって、と?おねだり。描き終えた武蔵は黙って辞去。残された絵を見て唸る但馬の守。

ちなみにこの映画、学生のころ、師匠宅に入り浸っていた暮にテレビ放映されたのを、若い頃に映画館で観たという師匠の解説付きで見た。感銘を受けたシーンらしく、解説をしながら「覚えているもんだなぁ」と感心されていた(テレビが普及していないから映画館がその代わりでいろいろ観たらしい)。この師匠の前ではそういう経験をしていない自分がなんとなく劣化コピーのような気がしてくる。劣化とはいえ、教えられた異色の西部劇「リバティ・バランスを射った男」を覚えていて、後日深夜に放送されていたのを見られたのは収穫。あと小説では「忠直卿行状記」も、師匠の講談を聞かなければ読むことはなかったであろう。

閑話休題。で、拡散したロシアの核科学者を引き合いに、国が面倒をみないと勝手に奉公先を変えてしまう危険性が歯止めになると説いた訳だが、どうも核技術は実学と思っているらしくて、基礎科学とは話が違うとにべもない。そうかなぁ。理論物理学者だって核技術者のまねごとはできると思うよ。本当に核兵器を作る必要はない訳で、「よそで作るぞ、いいの?」と雇い主を恫喝できれば十分なんだし。それにちゃんとした科学官僚ならば、核爆発装置を作るのとミサイルに搭載可能な小型核爆弾を作るのとでは別の話で、唐人の寝言のようなことを言っている理論屋が決定的な助言をしかねない可能性というより危険性を理解するだろう。

タスマニア効果論や多様性(あるいは保険研究)論であれば納得してくれただろうか。

なお、全体的な印象であるが、科学コミュニケーションが「蒙昧な民を善導する」的にはなってなかったのは素晴らしい。AKB48にならってSCI48を結成するなどという冗談みたいな科学コミュニケーションプランさえ。生真面目な人は不謹慎だと怒るかもしれないし、真面目な人は大衆を馬鹿にしていると怒るかもしれない。しかし「学生がマンガを読むから先生の専門書が出せる」というあるブログの指摘もあるわけで(もっともコミックと専門書の両方を出している会社って講談社の他にあるの?)、広く浅いスポンサーに科学をアピールするのは案外現実的かもしれない。白衣は着ていても、中身は同世代と同じ若者だ。

また研究を、プロダクツで考えずサービスとして考えると前出ブログの「1600円のCD-ROMで出来る内容を、通信教育にして6カ月に分けると6万円。もっとお金を取りたいなら大学を立てるとトータルで100万円くらい取れる立てるは原文のまま)」も皮肉と受け取るべきではないことが分かる(ちなみに座学では研究行為を学ぶことはできないから実習は必須だし、既知の結論を確認するような実験を重ねるよりも未知の課題への取り組みを経験した方が教育的)。

なお、わがテーブルは課題を離れた議論をしていたが、前日の討議を元に一人の院生がそつなく発表文をまとめてくれていた。

このセッションでは、与えられたブラックボックスの内容を、開けないで推測するという楽しいグループワークも行われた。

記念企画前半


夜になってから到着するつもりで4日は夕食も予約していなかったが、せっかくなので追加料金を払って皆と一緒に食べることにした。やっと宿泊部屋に荷物を放り込み、寝る布団を確認してから食堂へ。OBOGは同じテーブルに集められ、お先にお酒をいただいた。私が初めて参加した当時の支部長(いきなり電話をして「夏の学校というのに参加したいんですが」と申し込んだ)やその次の支部長など懐かしい方々とも再会。

語る養王田さん

講演会場(実は体育館)に戻り前方テーブルに陣取る。まず年長組(当時)を代表して、今は東京農工大の教授に収まっている養王田さんがイントロ。彼は生化学会大会で発表前日に飲み明かし、ハイになったまま口演に臨み予鈴がなるまでイントロを語ってしまったことがあるけれど、今回は全部イントロでも問題ない。さて、それによると当初助手層によって始められた生化若手の会は徐々に若年齢化し、80年代後半には博士課程後期1年生(D1)から博士課程前期/修士課程2年(M2)が主力となって運営されていた。そこに既に院を修了して勤めだしていた三品・養王田らが「年長組」と称して再参加したのは、若手の会が掲げる2つの目標のうちの1つ、研究教育環境の改善、その中心となっていたオーバードクター問題がとりあえず解決に向かいだしたように見え(この辺の評価は難しいので私は踏み込まない)会が目標を見失いかけていたから。そこで日本の研究環境を客観的に見るために欧米との比較を企画した云々。

続いて登場した、今はミシガン大学に席を置く三品さん29回夏の学校シンポジウムを中心とする夏の学校裏話と、USAでの研究経験や大学院の状況を披露。会場はアルコールが入って半分懇親会状態なためか、某女子大はある年に大量参加して多いに盛り上げてくれたけれど翌年になると急に減って、活性の強さと半減期の短さから32Pと呼ばれたという話もあまり受けなかったみたい。物持ちの良い彼は当時のスライド(リバーサルフィルム)をデジタル化してパワーポイントで持ってきた。その中には当時の有名人を使ったポスターを改変したものがあったが、なぜか登場する3人のうち2人は去年今年で「時の人」になっていた(一人は今年の参院選に民主党から立候補、一人は去年、覚醒剤事件でムショ族候補に)。ちなみにそのポスターは日赤のもので、入手するために400ml献血をする、文字通り身体を張った努力がなされたのだ。

三番目は要旨集には載っていない長野さん。彼女は自ら研究を行う博士課程には進まずに研究支援体制を作るべく科学技術庁(当時)に入った(そして第32回夏の学校では年長組とともにシンポジウム「研究成功のカギを探る —プロジェクトのひ・み・つ—」を企画)。どうやら今回の参加目的には学生のリクルートもあったらしく、職務経歴の中にさらりと「1年間育休」を入れたキャリアパス示していた。その甲斐あってか講演後には話を聞きにくる学生も。

懇親会中にポスター発表の続きが始まる

コップを手に集まる聴衆

会場となった体育館には前日行われたポスターセッションのポスターが貼ったままになっていたが、年長組のテーブルではなぜかそれを持ってきて、いきなり続きのディスカッションが始まる。

硝煙もうもうの駐車場

22時になるといったん懇親会は中断して、駐車場での花火大会に。ちなみに海老茶色のシャツはスタッフの目印。

そのあと食堂に移って懇親会の続き。なぜか持ち込まれたタンカレー(新宿のHには養王田さんのボトルがあり、そこで飲むと私はたいてい潰される...何度経験しても学習できない)の影響を強く受けたため、記憶があるうちに部屋に引き揚げることにした。

懇親会で科学行政のやりがいを学生に説く?長野さん

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