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2010/04/09

『電子書籍の衝撃』出版記念講演会

佐々木俊尚『電子書籍の衝撃 本はいかに崩壊し、いかに復活するか?』の出版記念講演会に行って来た(6日)。通常は「読者会」なのだが、発行前(書籍版は15日発行予定、電子版は7日から公開)なので記念講演会。

Twitter上に著者と編集者のやり取りがあると聞いたので、佐々木さんのtweetを去年の11月までさかのぼって取得。スキルがないのでブラウザで「もっと読む」を繰り返してwebarchiveとして保存(htmlソースで保存すると最初の1ページしか保存されない!?)して約5M。ところが他の話題も面白いし、リンク先に飛ぶとまた話が広がるので遅々として読み進まない。そうこうしているうちに当日になってしまった。印刷して持ち出そうとすると色文字のため白地に印刷すると読むに堪えない(モノクロで印刷すると灰色文字に)。某テキストエディタに貼り付けると文字コードが絡む不思議なエラー。全選択だとおかしくなるが、手で範囲指定をしてペーストすると何とかなる。とはいえところどころに地雷が埋まっているらしく、エラー頻発。それでもなんとか2月以降のtweetをプリントできた。しかし時間順に読もうとするとまた大変(結局全部は読み切らないままに講演に)。


この日はまず、新宿でビッグイシュー日本版を購入することにした。新宿東南口駅前広場でも売っているはずだが販売者の姿が見えない。仕方ないので大塚家具前まで行って購入。売り慣れていない様子だが「精一杯」が感じられる接客態度に感心。ところが行動規範第2条(IDカードの提示)を守っていない。注意すると、風が強くてバタバタするのでとかなんとか言い訳をする。「あんた何者?」と思われるのが嫌で、深くは追及せずに辞去。でも通報しておいた方がビッグイシューのためになる。

その足で模索舎に立ち寄る。今年で創立40周年を迎えると言うのに、中小書店の例に漏れず経営は逼迫状態だと聞く。3月の40周年イベントをコロッと忘れてしまった埋め合わせに書籍を購入。「電子書籍」という文字が目に留まって「週刊読書人」も合わせて買う。

失業中なのにこうして予定外の出費が重なったので、そのまま会場のある九段南まで歩くことにする。

早めに会場に着いたので、ロビーで週刊読書人を読む。閉鎖されたフランス国立印刷所(世界最古の印刷所、ただし名称は「印刷局」が正しいらしい)の話とか活版本中心の書店とかの話は面白いことは面白いのだが、なんとも言えぬ苛立ちを感じさせられる。対談している当人もペシミスティックと自認し、「(新しい)世代に対して、印刷された本と電子化された本の違いを訴えることには、意味がないような気がします」とか「しかし、そう思うのは僕らの世代までなのかなあ」などとは言っているのだが、どうも現実認識に差があるように思えた。一つには「アウラ」とか「アティチュード」といったカタカナ語のせいかもしれない。活版印刷には哀惜があっても日本語にはそれを感じないのですか、と不毛な煽りをしたくなる。

現実認識の差と言えば、たとえば検閲の話。たしかに電子書籍の場合、検閲は容易になり得る。アマゾンが、読者の手元のキンドルから書籍を消してしまった事件は有名だ(その消された書物がオーウェルの「1984」とは出来過ぎの気もするが)。しかし、だから紙の出版は自由を守る、なんてのは自由ボケした寝言だろう。言論の自由のない独裁国家では、地下出版物はまず配布ルートが絶望的に弱いけれど、それ以前に、紙や印刷機を政府に抑えられているから地下出版そのものがまず困難なのだ。その点、電子出版であれば全国のPCやネットワークがISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)を取得した企業のように管理されていない限り(そして、そんなことは不可能に近い)誰でもデータを作り、全国に配布することができる。winnyでも使った日には回収不可能(警察も配布に協力してくれる w)。

「検閲は、これをしてはならない」(日本国憲法第二十一条)が蔑ろにされるようになるとしたら、それは技術のせいではない。政治の問題だ。

とまれ、この後で聴いた佐々木さんの講演と比べ、いろいろな点で対比的なので、稿をあらためて考えてみたい。

さて『電子書籍の衝撃』出版記念講演である。イントロが痛快だった。「電子出版なんて...」という言説をいくつか取り上げては、「太陽の下に新しいものは何もない」「歴史は繰り返す、二度目は茶番」とばかり、活版印刷登場時に写本派が持ち出した理屈と並べて一刀両断。

これは既に見たことのある光景。ワードプロセッサ普及期に、「ワープロで手紙なんて失礼千万」のようなことが大真面目に主張されたことがある。じゃあ、なにが礼儀に叶っているのですかと問うと「便箋に万年筆」というお答え。すると博識な人が鼻で笑って、その万年筆も初めは毛筆派から「あんなもの」と誹られていましたね、と。

そうそう「ワープロで書けるのはビジネス文。小説は無理」なんてことも真顔で言われていた。安部公房がワープロで長編小説を書き上げた時には話題になり、宣伝惹句もなった(はず)。今となっては信じられませんよね。

閑話休題。次にデバイスとコンテンツの関係(p.17の図)。「書籍は脳がオフ」には違和感があったが、書籍で確認すると「文字などを入力している訳ではない」つまり受け身という意味。そして書籍や雑誌を電子化した際のリーダーは「近くで見る、大きな画面」である必要がある(したがって携帯電話は画面サイズで脱落)と。(パソコンがオンのデバイスであることを認めても、なぜそれでオフのコンテンツを楽しむことができないかは説明できていないような....まぁ確かにパソコンで長編小説を読む気にはならないけれど)

その次のマトリクスではさらに疑問が。図そのものは手元に無いが、「線的/リンク的」「フロー/ストック」の4象限だったと思う。雑誌はフロー、書籍はストックと言われ「んー」と思っていると続けて「ウェブはフロー」と。待て待て、ウェブだってストックはあるだろうと思っていると、フロアから「wikipediaは?」という質問。「あれもフローです」とあっさり退けられる。普通に辞書事典と言えば良いのに(たとえばyahoo!百科事典は小学館の日本大百科全書(全26巻)がベースになっている)、wikipediaを持ち出すなんてビョーキじゃないの。ところで「辞典は読むもの」と喝破したのは誰だっけ?

ともあれ、電子書籍は「リンク的なストック」になるだろう、と。enhanced book(拡張された書籍)、たとえば音声の出る本、である(このあたりは記憶が曖昧。「書籍はアプリになる」という言い方をしていたかもしれない)。しかし、と佐々木は言う。実用書なら動画付きも便利だが、たとえばお仕着せのBGM付きの小説は読まれるだろうか、と。だから雑誌の電子化は進むけれど、書籍、特に著者の思想が貫かれた小説などは話が別だろう、と。

そうかな? 映画なんてのは、まさにお仕着せBGM満艦飾だ。それどころか歌劇・楽劇なんてものもある。ちなみにニーベルングの指輪は通しでやれば約15時間はかかるという。アルバムというパッケージが壊れて個々の曲がバラバラに購入されると言うマイクロコンテンツ化は進むにしても、“指輪は指輪”(全体で一つの作品であり、たとえば「ワルキューレの騎行」を指して指輪とは言わない)、ではないだろうか。むしろ「ペレアスとメリザンド」を読むのに音楽をフォーレにするかドビュッシーにするか選べるなら自由度の向上で、それは歓迎されるだろう。また、たまたま前日のクイズ番組で知ったのだが、JTBパブリッシングは夏目漱石や太宰治らの小説に旅行ガイドをつけた『名作旅訳文庫』なんてものを出している(番組では売れていると言っていたが真偽は不明)。

それを軽薄に感じて眉をひそめる人もいるだろう。好きだった小説の装丁が後からできた映画のスチール写真になるとげんなりする、という読書家もいる。舞台版の「アマデウス」に涙を流すほど感動し、決して安くはない公演を何度も見たが、映画の換骨奪胎(脚本が同じシェーファーとは!)には失望し、劇書房発行の『アマデウス』の新装丁にがっかりした記憶が私にもある。拡張された書籍もこうなるだろうか? 要は作り方の問題だろう。センスの良い作りを発行者に期待するのではなく、読者が主導権を握る。購入してからテキスト部分だけ分離できるなら、単純に文章を楽しむことも、自分好みにリッチコンテンツ化(カスタマイズ)することもできる。従来の紙書籍ならそれぞれ別に印刷製本せねばならないから難しかったことだ。使い勝手(ユーザーインターフェイス)とあわせて、この自由度は重要な要素になるような気がする。...著作者人格権は弱められるだろうか?

また、聞き漏らしでなければテキストの音声化(読み上げ)には触れられなかったようだ。『電子書籍の衝撃』の中ではキンドルストアのオプションにあることがさりげなく紹介されているけれど。音声データをつけるか、読み上げエンジンが認識しやすいように手を加えたテキストを陰に用意するか、技術的な話はさておき、朗読してもらえれば「読書」の機会は増える。別に視覚障害者に限った話ではない。満員電車や布団の中など本を開くのが難しい場所、暗い場所でも「読める」。そしてこの場合、大きな画面は必要ない。デバイスとしての携帯電話の優位性が一気に高まる。iPod shuffle でも十分。

さてマイクロコンテンツ化と並ぶ電子書籍のもう1つのキーワードがアンビエント(ambient)。元の意味は「周囲の, あたり一面にある」(プログレッシブ英和中辞典)だが、意訳すれば「どこででも」か。「遍在」だとubiquitousと区別がつかないし、なにより「偏在」と誤変換される危険が大きい。(アンビエントは手垢にまみれたユビキタスの改装版という穿った見方もできるが、KDDIでは「いつでも、どこでも」を一歩進めた“「今、ここで、私が」必要とする情報を提供する”と定義している。別のところでは「今だけ、ここだけ、私だけ」とも。なるほどねぇ。) iPodによって音楽がアンビエントになったように、iPadやkindleによって雑誌・書籍がアンビエント化するだろう、と。アンビエント化と脱パッケージの関係がよくわからないが、「私だけ」が関係するのだろうか。

音楽にせよ書籍にせよ、親しんだジャンルの違いは案外大きいかもしれない。オペラの中から一つの歌を取り出すことはあるけれど、ブルックナーの一節を取り出して「フェイバリットメロディー」を作る人はいるだろうか? もちろんいるし、着メロなんてその最たるものだろう。もしかすると多数派を占めるかもしれない。ベートーベンの第五交響曲は、第1楽章冒頭なら知っている(それしか知らない)という人も多い。全曲知っている人の数倍はいるだろう。だからといって今後その傾向が強まり、あの交響曲がバラバラにされ元のパッケージがなくなる運命にあるとは思えない(ここが私の限界か...シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」も今や****(自粛)の間では「2001年の音楽」だし...もちろん冒頭だけ... orz)。

それから大きいのがコンピュータやコンピュータネットワークの経験の差。無知や誤解が前向きな議論の障害になっていることは疑いようがない。そして無知無理解誤解は嘲笑するものではなく、丁寧に説明すべきもの。そうでないと感情的な軋轢に発展しかねない。もっともそれは「前向きか後ろ向きか」の差に飲み込まれてしまうものかもしれない。旗幟の種類は少ない方が良い。旗印が多いと微少な差を言い立てて、際限なく分裂してしまう恐れがある。(この論の難点は、多数派を占める一般消費者は条件が示されなければ前向きでも後ろ向きでもないこと。また同じ前向き派の中にも同床異夢が紛れ込んでしまうこと。)

話戻って、新しいパッケージ(リパッケージ)の核になるのがキュレーション(curation)。目利きと言ったら良いだろうか。この辺りでも「××さんのお薦めも一種のパッケージングではないのか?」「プロモーションが時代遅れなのとプロモーションが無意味なのとでは意味が違うのでは?」と本題を離れて思考は旋回。違いはつまりスケールというか規模。マスプロモーションによるパッケージ化の終焉ということらしい。しかしミドルとマスって、どこら辺で区切るのだろうか? 日本語の文章ならば顧客は最大でもせいぜい1億人。音楽ならば65億人が対象になり得る。

それにしても聞いていて呆れるのは、(日本の)出版関係者って、どうしてそんなに保守的なのだろうか? あ、こういうと「大手出版社と限定して」と注意されるかな? でも中小もずいぶんコンサバな感じがする。取次システムには苦労させられているはずなのに。たとえば、何の工夫もないテキストだけの電子ブックにも紙と比べて大きな利点があることに気付かないのだろうか? 一例を挙げれば盗用の発見が格段に楽になる。盗用だけではない。原稿の使い回しも容易に発見できる。小細工を施したところで悪あがき。すでに大学などには糊紙細工のレポートを発見するノウハウが蓄積しつつあるのだ。紙の本なら解析用のデータを作るだけで一仕事だったが、これからはすぐ解析できる。そして、これは同時に知らずに盗作本を出す危険を回避する助けにもなる。出版前の原稿と既刊本のマッチングテストは必須になるだろう。駄本の多くはこの段階でリジェクトになり、良貨が悪貨を駆逐するようになったりして。こういうシステムがあればセルカン事件も防げたかも。てなことは考えないのかな。

あと余談。オアゾにある丸善丸の内本店正面の品揃えを罵倒していたのが小気味良い。特に勝間本の版元ではっきり言っちゃうところが素敵。

ところで最近、本を読む量が激減していないか?>自分  とまれ『電子書籍の衝撃』を読んでみよう。新書一冊にそんな時間はかからないはず。

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