ほめる覆面調査
2009年にmixiの日記に書いて、そのままになっていたので手を加えて公開する。
昨日(5/29)NHK総合のニュースで「ほめる覆面調査」を取り上げていた。ぼーっと見ていたら、いつもより2本後の電車で出勤するはめになってしまったが、それだけの価値はあった。
覆面調査とは経営者の依頼により、調査であることを隠し、客として企業(店舗)に接触し、その対応を評価するもの。
ニュースで取り上げられた会社は、客として店に行き、従業員の対応の良いところを報告する。意表をつかれた思いがしたのは、こういう調査(テスト)は問題点を発見するものだという先入観があったから。なるほど、見落としていた長所を指摘されれば人事評価は公正になるし、スタッフ間で共有させて個人プレーからチームプレーに発展させれば店舗自体のサービスも向上する。
逆に、ダメ出しばかり受けていると人間は萎縮してしまいがち。
そういえば「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」(山本五十六)もよく引かれる。原理そのものは古くから知られている。
ただ、相手の心理に配慮は重要だし、丸い卵も切りようで四角、わざわざ角の立つ言い方をしないようにするのは賢明ではあるが、あざといという印象も拭いきれない。
また、これはこの会社の調査に関して言えば的外れのようだが、慎重=臆病・優柔不断、迅速=拙速・早とちり、明るい=軽佻浮薄、重厚=愚鈍・権威主義、融通無碍=場当たり的・ご都合主義、基本に忠実=石頭・教条主義...のように言い方一つで同じことが誉めもできれば貶しもできる。ものの見方が柔軟と言えば聞こえは良いが、一歩間違えばレトリックを弄ぶだけに陥りかねない。
身を切るような反省と改革が必要な時に、幇間のおだてに満足していたら身の破滅。
(反省も度が過ぎれば自滅への片道切符になるけれど)
さて、仕事はできて当たり前、本当のことを言ってもお世辞にはならんぞ、褒められたら裏があると思え、大したことのない連中から大したもんだと褒めそやされるのは苦痛、誤りの指摘と人格の否定は別、という貶(けな)しの殿堂の住人であった私だが、それが世間では通用しないことは重々承知している。
ほめる覆面調査を紹介するニュースを見ていて、前職での頓挫した新サービス開発を思い出した。一言でいえば「ウェブサイトの日本語の質の向上」(まるで日本ウェブ協会「日本語のウェブサイトの質の向上」の双生兄弟)を目指すもの。
組み立てている段階から枝葉末節の間違い探しと受け取られることは想定できた。マイナスをゼロに引き戻すだけで、新しい価値を生み出す訳ではない。そこで、「言葉の誤りは致命傷となりうる」を訴求ポイントに「こんな店からものを買いたいと思いますか?」と「鳥龍茶」(烏でなくて鳥、まるで紛い物と告白しているような字の間違い)「脅威の洗浄力」(驚異が正しい)などの例を集めて営業資料を作った。
日経BPから「秘匿を「ひじゃく」と読む会社のセキュリティは大丈夫か?」という記事を見付けて、一人説でない証拠としても添えた。
人間は脳内補正してしまうが、セマンティックウェブを目指すうえでは重大な障害、なんて書いたかもしれない(ところが検索エンジンの「もしかして」が先に発達してしまった)。
それでも「経営者は分かってくれるだろうが、担当者はいやがるだろうな」という心配があった。だからチョコレートのCMではないが「お口でとろけて、手にとけない」工夫(サイト担当者が喜んで導入を起案し、経営層も納得するような二段階のサービスメリット)が必要だと訴えていたのだが、けっきょく私に妙案はなく、営業サイドからの支援もなく、売れ行き不振を理由に縮小に追い込まれてしまった。
「ほめる」要素を組み込んでおけば良かったかもしれない。「誤解される可能性」を指摘することは簡単だが、「誤解されないことを保証」するのはきわめて難しい。そのため「問題はありません」判定には二の足を踏んでしまった。ギャランティーなしの「よくできています」「わかりやすい」なら大盤振る舞いしても良かったなぁ。
けっきょく知恵は後から湧いて来る。でも、人生に遅すぎることはない、と重い鯛。
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