閉じ込められても生きていける
NHKスペシャル「命をめぐる対話 “暗闇の世界”で生きられますか」を見た。
意識はハッキリしているし、感覚系つまり視覚聴覚嗅覚味覚触覚は正常なのに、運動系がやられてしまい全く動く事ができない、したがって意思表示が全くできない「閉じ込め状態」に陥る人が増えているという。脳出血や外傷でも起こるけれど、これらが場合によっては意識障害も併発しているのに対し、特異的に随意筋だけが冒される筋萎縮性側索硬化症(ALS)では意識があるまま意思疎通が不可能になること(=閉じ込め)が明白だ。以前であれば呼吸筋が麻痺した時点で死亡していたが、人工呼吸器のおかげで生き延びる事ができるようになって顕在化した問題。
「ジョニーは戦場へ行った」のジョニーや全盲聾に比べれば、光は感じるし、音ははっきり聞き分けられるので恵まれているようにも思えるが、たとえるならば永遠の金縛り状態にあるわけで、その苦痛は想像を絶する。俗にいう幽体離脱状態(自分の体に家族が取りすがっているのが見えるけれど、いくら話しかけても誰も気付かない)にも似ており、これを信じる人ならば臨死状態だと思うだろう。
(タイトルに「暗闇の世界で」とあるのは不適切ではないだろうか。たしかに瞼が垂れて自力では眼を開ける事はできなくなるし、眼球を動かせないから焦点を定めるのも難しいだろうけれど、光を感じる事はできるはず。)
ICTの発達に助けられて、瞬きや頬の筋肉を使ってコミュニケーションを図って来たけれど、その最後の希望が絶たれる事態を前に、ALS患者の中には人工呼吸器の停止を要望する人も出てきた。
実を言うと、この番組を見るまでは、完全な閉じ込め状態になって生き続ける事に意味を見いだせなかった。
だが、一足早く完全な閉じ込め状態に陥った患者とその家族の様子を見た時に、それも一つの選択肢かな、と思えるようになった。
何の反応も示さない(まさに「まるで屍のような」)夫に対し、妻は語りかける。子どもたちも父に話しかける。その様子はまるで位牌に向かってあれこれ話しているようにも見える。だが夫(父)は聞いている事を彼らは知っている。妻は「お父さんがいるといないとでは子どもたちの態度がちがう」ともいう。家族にとって患者が生きている事は意味がある。
では患者の方は? 果てしない金縛りの苦痛を上回る悦びはあるだろうか? これは軽々しく決めつけられないけれど、可能性はあると思う。
不謹慎に聞こえるかもしれないが、胃ろうから毎晩お酒を注入してもらったら私の場合はQOLは高くなる。
モーツァルトの全曲をエンドレスでBGMとして流してもらうのも良いかもしれない。新しい演奏が出るたびに追加してもらい聴き比べをするとか。
前提として、虐められたり不本意な安楽死をさせられたりする事はないという信頼関係が必要であるけれど。ん? そーっと麻酔薬を増量されたら陶酔状態のまま逝ってしまうから心配する事はない? というのは冗談として、介助者(家族)との信頼関係、そして楽しい思い出があれば、立ち向かえない事もない、のではないかと思う。そういえば映画「父の祈りを」の中で、無実の罪に問われて投獄されてしまった父ジュゼッペは、獄中にあっても心の中では常に妻とともにいると言っていたな。だから耐えられる、と。
また治療法が開発される希望、はさておくとしても、意思疎通を可能にする技術の開発なら実現可能性は高い。それを楽しみにしても良いだろう。思考をダイレクトに音声化されたりすると、若い看護師が近づいて来たときにスピーカーからあらぬ音声が出る心配もあるけれど。:-p
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