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2009/07/29

もしも私が殺されたら

もちろん家族や親戚、友人知人には悲しんでもらいたいし、憤ってももらいたい。しかし...5年経っても10年経っても「あの日から時間が止まったまま」「犯人が処刑されても悲しみは死ぬまで続く」なんて言われたら、それこそ成仏できない。

霊魂なんて信じていないから、なおさら心配だ。夢枕に立って「私のことを追慕するのは良いとして、あなたはあなたの人生を生きてください」と告げることもできないのだから。

これはある殺人犯処刑のニュースを見て、ネットで死刑や公訴時効が話題に上ると必ずと言って良いほど出て来る「被害者家族の気持ちを考えろ」という意見を念頭に書いたもの。この人達は本当に被害者家族のことを心配しているのだろうか。嘆き悲しむ人の側に立つと言う割には優しさの感じられない言葉遣いが多いのはなぜなのか。わずか数行の記事でしか知らない人にどれだけ思い入れられるものなのか。

とはいえ、赤の他人が、現に悲しみ憤っている人に「一生憎しみを抱えて生きていくつもりですか。それで故人が喜ぶと思いますか。」という訳にもいかない。

いえるのは誰か? 一番説得力があるのは、思い出の中の故人ではないかと思い至った次第(死者の霊を信じる人は、その囁きでも構わない)。

ときどき思い出してもらえるならば、普段は忘れられても構いません。そして思い出す時は、どれほど非業の死であっても憎むよりは憤る、憤るよりは悲しむ、悲しむよりは懐かしむ、懐かしむだけでなく私が生きていたら喜ぶようなことをして、前向きに生きてもらえたらと思います。殺されるのは私一人で十分。皆まで憎悪や悲嘆に取り憑かれた「生ける屍」にならないでほしい。まして、たとえ犯人であろうともその死を願うような、人の道を外れた生き方はしないでもらいたいのです。

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