« NPO職員はボランティアじゃない | トップページ | 用語解説:唐茄子屋政談とビッグイシュー »

2009/06/22

唐茄子屋政談とビッグイシュー

土曜日は神田の割烹「なにわ」で落語を聴いて来た。演目は「子ほめ」「青菜」「悋気の独楽」「唐茄子屋」。

最後の「唐茄子屋」、正確には「唐茄子屋政談」なのだが、長い話で政談(裁判)まで演らないから「政談」を省くらしい。

道楽が過ぎて勘当された大店の若旦那(正確には以後「元若旦那」だが「若旦那」で通す)。「米の飯とお天道様は付いて来る」と呑気に構えていたが、金の切れ目が縁の切れ目、頼りにしていた遊び仲間から見放され、あっという間に路上生活。空腹と絶望感から身投げを図ったところを通りがかった男に止められる。それが偶然にも叔父さんで、「お前と分かっていたら止めなかった。早く飛び込め」と突き放されるが泣きついて、という話。wikipediaよりは落語逍遊録に載っている紹介の方が分かりやすい。

で、仕事をして来いと渡されたのがカゴと天秤棒と唐茄子(カボチャ)。稼ぐことの大変さとありがたみを実感させて性根を直そうという叔父心。ところが生まれてこの方箸より重たいものを持ったことがない若旦那、唐茄子の重さと炎暑でふらふらになり、途中で転んで「人殺しぃ」なんて泣き叫ぶ。それを聞いて駆け寄って来た男が侠気のある人で、事情を聞くと近所の連中を呼び集めてカボチャを売ってくれる。

その頼み方がいい。「荷が重くて可哀想だから少し軽くしてやってくれ」。斜に構えた男が「そいつから唐茄子を買う義理なんかない」と言えば、「こいつ(=若旦那)に義理はないだろうが、間に入った俺が頼んでいるんだ」と凄む。男が渋々金を出し「唐茄子はいらない」と行こうとすると「誰が恵んでくれって頼んだ」とカボチャを持たせる。(ここで「いらないと言ってたくせに、大きいのを選ってやがる」とくるから客は笑って緊張がほぐれる)

時間の都合で、礼を言う若旦那が「本気で怒ってくれる叔父さんの言うことを聞けよ」と諭されたところで終わりとなった。顧みれば、他人のために本気で怒ることなど絶えて久しい。「後は本人次第」と突き放してしまうのだ。体のいい責任回避かなぁ。そのくせ、まるっきり無関心という訳ではなく、中途半端に怒るから始末に悪い>自分

この日は午前中に聖橋へ行ってビッグイシュー日本版を買って来た。最新号の表紙が笑福亭鶴瓶なので落語の後の懇親会で使えるかなと思って(結局、福引きの景品にはせず、席亭に「現代の唐茄子です」と差し上げて来た)。聖橋の販売者、小西さんはTokyo FMに出演したこともあり、IT研修の修了生でメール販売をやっている。買った雑誌に挟もうと思って「メール販売宣伝用の名刺もちょうだい」というと「持っていない」という(ぉぃ、制作費が割高な名刺をもらうつもりだから2冊買ったんだぞ)。さらに話している最中にお客さんが現れ、言葉を交わした後に名前を聞かれていたので「じゃあ、普通の名刺をお渡しして」と勧めると「コインロッカーに入れたまま」だと。営業ツールを販売現場に持って来ないでどうする! 思わず説教モードに切り替わり。しかし彼はプレッシャーに弱いタイプ。おそらくパニック10秒前といった状態で、私の言ったことの半分は頭上を通過して行ってしまったことだろう。ただただ怒られたということしか残らなかったかもしれない。可哀想なことをした。

ここを読むかもしれないので再掲しておくと、普通のチラシであれば100枚配って注文が1件あれば上出来中の上出来、ビッグイシューを買ってくれた人の場合はもう少し高い関心を期待できるが、買いに来られる人はメールで注文はしない。だからメール販売の売り上げを増やすにはとにかく説明名刺を配って配って配るしかない。いまから配っておけば夏休みにも帰省先から注文してもらえるかもしれないし、故郷で「こういう雑誌があって、メールで注文できる」と広めてもらえば販売者のいない地域の人から注文が来るかもしれない。(もちろん説教はお客様が帰られてから)

閑話休題。若旦那に代わって唐茄子を売ってくれた男、決して甘やかしているのではない。恵んでやってくれと言ってるんじゃない、買ってやってくれと頼んでいるんだというところなど、ビッグイシューを応援している気持ちとぴったり重なる。もちろんビッグイシューの販売者は道楽が過ぎて勘当された人(ばかり)ではないし、高度経済成長を支えた産業戦士も多数いる。だから単純に重ねて論じれば顰蹙をかうだろう。大事なのは、この世話焼きの兄い(20年前にやはり勘当同然で逐電したことがあるというので厄そこそこ←用法が少々おかしいが、これは先に聴いた「子ほめ」の影響か?)の侠気。困ったらまた来いといい、若旦那が「明日来ます」というと、それは早いと慌てる辺りがリアリティ。余裕があっての援助ではないのだ。余裕があっても毎日毎日唐茄子を食うわけにはいかない(ビッグイシュー読者の間でも「同じ号を複数冊買うことの是非」は結論の出ない問題)。まして勘当された若旦那が二人三人と続けて唐茄子を担いで来たら堪らない。ただ、逆にいえば地域で一人くらいなら面倒を見られる。そういう人がいたらいいなぁという願望の結晶かもしれないが、到達可能な理想像と定めてこの侠気を実践してみるのも悪くない。なにより名前がなく、後に若旦那が奉行から褒美をもらう段になっても再登場はしない(らしい)というところが市井の義人らしくて良い。

問題は、若旦那の場合は勘当が解けるという救済が用意されているが、ビッグイシュー販売者にはそんなものはないこと。これも時おり議論に上がる。ビッグイシュー販売者と言うのは過渡的な存在であるべきであり、一生の仕事にしてはいけないという人がいる一方で、現実にはこれが終の仕事になる可能性の高い人がいる。「卒業」を全員の共通目標にすべきなのか、それともパーマネントジョブの一つとして確立させても良いのだろうか。

|

« NPO職員はボランティアじゃない | トップページ | 用語解説:唐茄子屋政談とビッグイシュー »

コメント

うぅむ。

僕の場合の事実を披露します。

週三回通る人が毎回一冊買ってくれました。
一回で5冊買う人がいました。
買わないでお金だけ置いていく人がいました。
そして、年末に餅代を置いていく人がいました。

僕は感じます。

僕は他人に支援されるべき人間なのか。
人に甘えていていいのか。
人に同情されて腹が立たないのか。

人の『自立』とは何なのか考えさせられる経験でした。

ところで『顰蹙』はなんと読むんですか?


(『販売者』という呼称に抵抗を感じる元『販売員』より)

投稿: さすらい風太 | 2009/06/22 22:53

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 唐茄子屋政談とビッグイシュー:

» 用語解説:唐茄子屋政談とビッグイシュー [Before C/Anno D]
路上脱出ガイドに対して、「ルビを振れば良いってもんじゃねーぞ」と批判しておきなが [続きを読む]

受信: 2009/06/23 01:10

« NPO職員はボランティアじゃない | トップページ | 用語解説:唐茄子屋政談とビッグイシュー »