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2009/04/16

DID二回め

2回めのダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)に行ってきた。

2回めの印象は「前と違う」だった。本人の慣れ、態度の変化、同行者そしてアテンドの違いが複雑に絡み合ったのだろう。どちらが良かったとは一概に言えないけれど、とにかく「単純な繰り返し」ではなかった。

また滞在時間が前回の1.5倍(約75分)というのにも驚いた。

前回の感想は「熱心に人に勧めるほどのものか?」に近かったが、今回は「1回行った人はもう1回試すと良いかも」とやや好意的に(「2回体験論」)。ただ、あのお値段なのでそうそう気軽には言えない(mixiには「高い」という書き込みも)。

あと、感想を語り合う場がないのが辛いところ。未体験の人が先に詳細を知ってしまうのは、やはり好ましくないだろう(ああ、2回体験論は「白紙の状態で素直に」と「心の準備をして感度を高めて」の良いとこどりになるわけだ)。見ていると、終わってから8人で連絡先を教え合う例もあるようだが、ハイになっている状態で大丈夫かなぁ。

もっとも「DID体験者の会」って、あったらなんとなく怪しい感じが漂うだろう。少々言いにくいことだが、スタッフのフレンドリーさも、警戒針が振れるのだ。あれはファミレスやファストフード店とは違う(良い意味でも悪い意味でも)。ディズニーランドには行ったことがないので比較はできないが、同じであればどれだけ安心できるだろう。DIDは知らない人にあまり熱心に勧めると、「新興宗教?」みたいな印象を与えかねない代物。体験者の、特に終了直後のテンションもちょっと怖い。

以下、事務局へ送ったメールから箇条書きに抜粋。


  • 野外演出にこだわらないのも一つの道。靴を脱いで畳・板敷き・カーペット・絨毯・石畳...の部屋を巡るとか。
  • 音響信号機や音響誘導装置(役所の入り口などに設置されているもの)も利用する。「音の出ている扉を開けてください」とか。
  • 音以外に頼れるとすれば、点字ブロック、風、赤外線。アテンドが団扇であおいで、「風上に集まってください」なんてのは愉快。

    • 嗅覚の利用。方向を示すのは難しいけれど、現在位置を示すには有効。
    • 触覚の利用。ところどころに「触る案内板(道しるべ)」を立てる。「柱のザラザラ面の方向に進んでください」とか。
    • 味覚の利用。これは無理だろう(誰かが舐めたかもしれないところを舐めるのはね)。
    • 平衡感覚の利用。ゆるい斜面をつけたら視覚に頼らずに識別できるだろうか。

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2009/04/05

漏泄も正しい

最近トラックバックした(リンクはしていない)ブログの別エントリーを読んでいたら、「漏泄」という言葉があった。

今は「漏洩」は「ろうえい」と読むのが一般的だと思うが、正しくは「ろうせつ」。で、「正しい読みを知ってます」をアピールしようとして「漏泄」と書いたのかな、と思ってしまった(脆弱と変換できないので危弱と書くみたいに)。

念のため辞書を引いたら「漏泄」とも書くのね。知らんかった。

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DIDの真っ当な感想

ちゃんとした感想を載せないまま、ちょいと捻った「目隠しで十分?」を公開してしまった。f(^^)

まず、予約した日のmixi日記。


話には聞いていたので速攻で予約。3月28日(土)です。

http://www.dialoginthedark.com/

「参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、何人かとグループを組んで入り、暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障害者)のサポートのもと、中を探検し、様々なシーンを体験していきます。」

去年のFITチャリティランでもらった資料によると、アンケート(回答者約25,000人)で98%が「また参加したい」、99%が「他の人にも紹介したい」と回答している。回収率95%というのもすごい。

新たな伝道師の誕生か、はたまた1%への仲間入りか。
速攻で予約(2009年03月20日11:45)

内容的には当ブログのダイアローグ・イン・ザ・ダーク(DID)に予約(ダイアログをダイアローグと書き違えているよ)とほぼ同じだが、新たな伝道師の誕生か、はたまた1%への仲間入りか。という冷めた一文がある。

続いて、帰ってきた翌日のmixi日記。


視覚を遮断されるとほかの感覚が研ぎすまされるという触れ込みであったが...


「安全には配慮されている」が念頭にあったので、怖さは感じなかった。もちろん最初ひるみはしたが、「ダイジョーブ、ダイジョーブ」とずんずん進む。その結果、何度も「道」に迷い、アテンドさんに救出してもらった。orz

誰かが本に書いていたが、ホント「暗視スコープでも付けてるんじゃないか」と思えるほど、アテンドは闇の中で自在に歩く。それがわかるとまたアテにして勝手な行動をとる困った参加者(私)。最後には放置されてしまいました。f(^^) (ほかのみんながバーに着席してから救出)

闇の中では音を出すのが大切、とのことなので、やたらを音を出し続けました。うるさかったらごめんなさい>一緒の皆さん 声を出すのはもちろん、白杖でまわりを叩きまくりました。壊してたらごめんなさい>主催者

そうやって賑やかに振る舞っていたので、ほとんど何も考えていませんでした。次回行くとしたら、おとなしく振る舞い、他の人への協力は拒んでみようかな。そしてじっと闇との対話を。


饒舌も緊張の裏返しだったのか。最後に薄明かりの部屋に戻ってきたとき、アテンドから「みなさん、明るくなったら黙ってしまいましたね」と笑われた。


(『夜明かしする人、眠る人』に、野外での暗闇体験の話があったと記憶する。屋内で慣れたアテンドがそばにいるのと独り屋外ではずいぶんと違うだろう。雨の夜に山中にでも行ってライトを消してみよう。)
暗闇の中で考えられなかった(2009年03月29日13:53)

この段階ですでに、自然環境下での暗闇に意識が向いていた。

全盲の知人に送ったメッセージ。


全盲の人が案内役(アテンド)としてついてきてくれましたが、「丸木橋を渡ります」「靴を脱いで上がってください」などと言われるたびに参加者は悲鳴。はてさて目あきは不自由なものです。

私はさらに、たびたび迷子になってしまい(右耳難聴で声の方向が分かりづらいのが原因?)、そのたびにアテンドの女性に助け出してもらいました。それはもう、ほんとに「実は暗視スコープを着けた晴眼者なんじゃないの?」と思えるほど的確に。

安全に設計されていると信じていましたし、また明るい世界に戻れると分かっていましたが、それでも緊張感からでしょう、ずいぶんと饒舌になっていました(中身のないことをベラベラと)。

ここでも「安全な設計」に触れている。

別の知人に送ったメッセージ。こちらは晴眼。以前、参加しようとしたがチケット完売でかなわなかったとか。

「もういっぺん」では多数派に属する私(10日にまた行きます)ですが、人に勧めるという点では栄えある1%。もちろん止めはしませんよ。興味があるなら行った方が良いと思います。期待通りとかそれ以上とかならラッキーだし、「がっかり」なら経験した以上の何かを自分が持っていると分かりますからね。

(中略)

何度もはぐれてしまい、そのたびにアテンドさん(女性)に助け出されたので自尊心を傷つけられました。ええ、自損事故だから悪いのは私ですけど。左耳しか聞こえないから、声のする方向を把握できないためだと慰めています。あとは予備知識、それと「ここは地下室」という意識が邪魔をしました。そういう自分の特性を再確認できたのが面白いと言えば面白い。:-)

それと「難聴の人は申し出て」という注意を思い出して受付に申告したところ、アテンドさんが打ち合わせに来てくれました。明るいところでは(黙ってうなずいても通じないから返事はちゃんと声に出そう)と相手を気遣う立場だったのに、暗くなったとたんにおすがり状態になったのも面白い。

管見の範囲では「素晴らしい!」と絶賛の嵐で、ちょっと眉に唾をつけたくなったところで「本物には負ける。」という冷めた感想を見付けて嬉しくなり、少数派をカミングアウト(四面楚歌の状態で宣言するのが本物だぞ)。

「おすがり状態」はやや誇張で、mixi日記に書いた通り「しょせんは作り物、恐れることは何もない」と行動は大胆。ただ心理的には相当依存していたことを認めざるを得ない。だから、なかなか迎えにきてもらえないと苛立ちを感じたし、壁と植え込みに行く手を阻まれて二進も三進もいかなくなり、定位できるところ(説明のあった場所)に戻ろうとしていてアテンドさんから「戻ってしまってますよ」と言われると(想定の範囲内です)と言い返しそうになったり(さすがに大人げないので飲み込んだ)。

...10日に申し込んだけど、今ごろアテンド配置会議(?)で「えー、この人やだ〜」とか言われてたりして。orz

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2009/04/04

ダイアログ・イン・ザ・ダーク、目隠しとの違いは

ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)に行ってきた。

闇の中を、杖を頼りに歩き回るイベント。いろいろな環境が(人工的に)再現されている。

一見、視覚障害体験のようでもある。そういう側面は確かにある。だが目的は闇の中を安全に通り抜けることではない。視覚以外の感覚を研ぎすませて、見えないものを「発見」すること。その機会を増すためか、グループで行動する。ダイアログ(dialogue:対話)とは行動をともにするメンバーとの対話であった。

さて、6000円を払って予約をしたのに、「遅刻をしたら参加できません」と厳しいことを言うので、余裕をもって会場に行った。ら、1時間以上の待ち。(^^; ロビーに置いてあった資料を読んで過ごす。そこには光を遮断することの難しさが書かれてあった。特に仮設会場では相当厳しかったらしい。それを読んで、なぜそこまで闇にこだわるのか疑問に思った。

終わってみて、それは解消するどころか、強まった。参加者がアイマスク(目隠し)を着ければ済むことではないか。

闇の再現にこだわる結果、いくつもの不具合が起きている。遮光が大変という問題は地階の常設会場ならば解決できるが、それ以外にもたとえば
 屋内でしか行えない。
  そのため陽光や風を肌で感じることができない。
  再現された環境はすべて人工、きびしくいえば紛い物。
 会場の規模拡大は難しい。
 不注意な、あるいは悪意のある参加者が明かりを持ち込むと、すべてが台無しで、しかも全員に影響する。
 光を遮断するために演出が制限される(光の出る機械や現象を使えない)。
 参加者の安全をアテンド独りが担うことになる。
 即応的メンテナンスが難しい(やたら杖で叩いたり、よろけて寄りかかったりする参加者が状況を変えてしまっているかもしれない)。

もちろん闇を創出することにも利点はある。
 目を凝らしても何も見えない本当の暗闇は目隠しとは違うリアル感がある。
 こっそりズルができない。
 屋内なので安全設計、完全管理ができる。
 瞼を覆われる不自然な感触がない(直射日光の下、目隠しで完全な遮光をしようとすればかなり大掛かりなことに?)。

「シャルガフの経験則」や分子生物学の皮肉な定義で知られるシャルガフ(Erwin Chargaff)はこう言った。


我々は、自分が、無限の可能性をもった洞窟にいると感じています。ところが懐中電灯一本あればあなたは、御自分が物置小屋にいるに過ぎないことを発見されるかもしれませんよ。何を自分が見付けるか判っていたら、私はそれを見付けたいと思わないでしょう。


(『ヘラクレイトスの火』p.134 村上陽一郎 訳 岩波書店 1981)

暗闇は広大な空間に感じられても、実は狭い地下室だという雑念があった私は、杖を使って天井の高さまで計ってしまった(なるほど立派な研究者になり損なった訳だ)。だから「本当に広大な見えない空間」の実現を期待してしまう。小賢しい細工が意味をなさない空間。屋内では難しいだろう。といって廃坑などの利用はもっと難しい。となると、アイマスクがもっとも現実的。

そして太陽の光を目ではなく、肌で感じとる。「これで方角が分かる」とほくそえんでいると突然陰る。雲かもしれないし物影かもしれない。風が吹いて来る。風上の匂いが運ばれる。林、花畑、水辺...本物の香りだ。これらは季節によって、日によって千変万化。動物の群れと遭遇したらどうなるだろう。まさに「群盲、○を撫でる」だ(DIDは基本的に「種明かし」をしないようだから、後々「あの動物は何?」で盛り上がるだろう)。さらに築山に登るとか滑り台でおりるとか。もちろんアテンドは全盲のままで構わない。

保安上の問題は多々あろうが、せっかく「視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づ」かせておいて、あてがわれるのが紛い物ばかりというのは納得いかない(最後の飲み物は本物でしたが)。

保安と言えば、いつでも晴眼に戻れる目隠しの方が、非常時には安全だろう。暗闇の中で強い地震に遭い、頼りのアテンドは何かの下敷きで動けなくなる。ほうほうの体で明かりのある筈のエリアまで来たら、そこも停電で真っ暗、なんて考えたくもない(明かりになるものはロッカーに預けている)。

...見えない状態で起震車に乗るのもかなりエキサイティングな経験ね。完全な闇の創出にこだわらなければ、紛い物でも、それなりに面白い環境を作り出せる。硬い鉱物をぶつけて音で聞き分けるのはどうだろう。火花が出ても問題ない。


と文句を垂れてみたが、要するに素直に体験してくれば良かったのだ。はい、もういっぺん行ってきます。今回は全員が初参加ということで、お節介にもムードメーカーを買って出ようとしてしまったが、次回はおとなしく(と同じような反省を書いている人もいるので、やはり同じように出しゃばってしまうだろうか。いえ、役割意識が発露されなければ本質的には控えめな人間なんですけど)。それと、やたら杖で叩き回るのは止めよう。f(^^;

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