聞いたか坊主
歌舞伎に「聞いたか坊主」というのがある。たとえば京鹿子娘道成寺。冒頭に「聞いたか、聞いたか」「聞いたぞ、聞いたぞ」を繰り返しながら大勢の所化(修行僧)がぞろぞろと出てくる。
ところがシェーファーの『アマデウス』によく似たシーンがある。2人のヴェンティチェロ(後述)が交互に台詞をつなぎながら「荒々しいささやきが劇場内に充ちる」中を、舞台の両袖から登場する。
倉橋健・甲斐萬里江による翻訳ではこんな感じ
***
一「まさか。」
二「まさか。」
一「まさか。」
二「まさか。」
囁き合う人々「サリエーリが!」
一「噂だ。」
二「聞いたぞ。」
一「聞いたぞ。」
二「噂だ。」
一と二「信じられん。」
囁き合う人々「サリエーリが!」
***
(テアトロ 471)
一方、江守徹の翻訳(ちなみに本人はサリエリ役をやるつもり翻訳したが、上演権を松竹に取られてしまい、日本初演ではモーツァルトを演じた)では、ちょっと違う。
***
1「信じられない。」
2「信じられない。」
1「信じないとも。」
2「信じるものか。」
ささやき「サリエリ!」
1「皆、言っている。」
2「聞いている。」
1「私も聞いた。」
2「誰でも言っている。」
1&2「信じられない!」
ささやき「サリエリ!」
***
(「アマデウス
」 劇書房)
私の記憶(5回は観た)では「聞いたか」「聞いたぞ」の応酬だが、記憶が当てにならないのは昨日の「兵士シュヴェイク」で証明済みなので固執はしない。しかし、松竹の興行だし、主演は一貫して松本幸四郎だから歌舞伎の要素を取り入れていてもおかしくはないだろう。
またヴェンティチェロとは、脚本の説明では「劇の進行中、種々の事実、噂、風聞は彼ら二人によって提供される」という存在で、これは聞いたか坊主の役割(幕あきに登場して、その狂言の筋などを知らせる)とかなり近い。
さて、私は聞いた。どうするか。アマデウスにはこんな台詞がありますな。
「神を侮るなかれ、と言うが、いいか、人間を侮るなかれ、だ! このまま引っ込みはしないぞ! 神は己の好むところに吹く、と言うが、とんでもない! 神は美徳をこそ好むべきだ。風じゃあるまいし、やたら吹いたりしてはならんのだ。 Dio Ingiusto! 不公平なる神よ...あなたは敵だ! これからは<永遠の敵>と呼んでやる! そして、ここに誓う、命尽きる日まで、この世でお前に逆らうと! 神を懲らしめてやれなくて、何が人間だ?」
こうして奮い立たせなければ挫けてしまうようなショック。
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